憲法調査会公聴会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
平成十六年五月十二日(水曜日)
午前九時二分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 小野 晋也君 幹事 近藤 基彦君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 保岡 興治君 幹事 鈴木 克昌君
幹事 仙谷 由人君 幹事 山花 郁夫君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 岩永 峯一君
衛藤征士郎君 大村 秀章君
倉田 雅年君 河野 太郎君
下村 博文君 棚橋 泰文君
渡海紀三朗君 永岡 洋治君
野田 毅君 平井 卓也君
二田 孝治君 松野 博一君
森岡 正宏君 森山 眞弓君
綿貫 民輔君 伊藤 忠治君
大出 彰君 鹿野 道彦君
楠田 大蔵君 玄葉光一郎君
園田 康博君 武正 公一君
辻 惠君 計屋 圭宏君
古川 元久君 馬淵 澄夫君
増子 輝彦君 村越 祐民君
笠 浩史君 太田 昭宏君
斉藤 鉄夫君 石井 郁子君
塩川 鉄也君 照屋 寛徳君
土井たか子君
…………………………………
公述人
(上智大学法学部教授) 猪口 邦子君
公述人
(早稲田大学大学院教授) 川本 裕子君
公述人
(元群馬県林業改良普及協会事務局長) 井ノ川金三君
公述人
(慶應義塾大学総合政策学部助教授) 小熊 英二君
公述人
(東京大学大学院教授・文化人類学者) 船曳 建夫君
公述人
(東亜大学学長) 山崎 正和君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
委員の異動
四月二十二日
辞任 補欠選任
武正 公一君 篠原 孝君
山口 富男君 塩川 鉄也君
同日
辞任 補欠選任
篠原 孝君 武正 公一君
塩川 鉄也君 山口 富男君
五月七日
辞任 補欠選任
杉浦 正健君 野田 毅君
同月十二日
辞任 補欠選任
山口 富男君 塩川 鉄也君
土井たか子君 照屋 寛徳君
同日
辞任 補欠選任
塩川 鉄也君 石井 郁子君
照屋 寛徳君 土井たか子君
同日
辞任 補欠選任
石井 郁子君 山口 富男君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
日本国憲法に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時二分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 小野 晋也君 幹事 近藤 基彦君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 保岡 興治君 幹事 鈴木 克昌君
幹事 仙谷 由人君 幹事 山花 郁夫君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 岩永 峯一君
衛藤征士郎君 大村 秀章君
倉田 雅年君 河野 太郎君
下村 博文君 棚橋 泰文君
渡海紀三朗君 永岡 洋治君
野田 毅君 平井 卓也君
二田 孝治君 松野 博一君
森岡 正宏君 森山 眞弓君
綿貫 民輔君 伊藤 忠治君
大出 彰君 鹿野 道彦君
楠田 大蔵君 玄葉光一郎君
園田 康博君 武正 公一君
辻 惠君 計屋 圭宏君
古川 元久君 馬淵 澄夫君
増子 輝彦君 村越 祐民君
笠 浩史君 太田 昭宏君
斉藤 鉄夫君 石井 郁子君
塩川 鉄也君 照屋 寛徳君
土井たか子君
…………………………………
公述人
(上智大学法学部教授) 猪口 邦子君
公述人
(早稲田大学大学院教授) 川本 裕子君
公述人
(元群馬県林業改良普及協会事務局長) 井ノ川金三君
公述人
(慶應義塾大学総合政策学部助教授) 小熊 英二君
公述人
(東京大学大学院教授・文化人類学者) 船曳 建夫君
公述人
(東亜大学学長) 山崎 正和君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
委員の異動
四月二十二日
辞任 補欠選任
武正 公一君 篠原 孝君
山口 富男君 塩川 鉄也君
同日
辞任 補欠選任
篠原 孝君 武正 公一君
塩川 鉄也君 山口 富男君
五月七日
辞任 補欠選任
杉浦 正健君 野田 毅君
同月十二日
辞任 補欠選任
山口 富男君 塩川 鉄也君
土井たか子君 照屋 寛徳君
同日
辞任 補欠選任
塩川 鉄也君 石井 郁子君
照屋 寛徳君 土井たか子君
同日
辞任 補欠選任
石井 郁子君 山口 富男君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
日本国憲法に関する件
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について公聴会を行います。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
議事の順序について申し上げます。
まず、猪口公述人、川本公述人、井ノ川公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。
それでは、まず猪口公述人、お願い申し上げます。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について公聴会を行います。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
議事の順序について申し上げます。
まず、猪口公述人、川本公述人、井ノ川公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。
それでは、まず猪口公述人、お願い申し上げます。
猪
猪口邦子#2
○猪口公述人 会長、本日、衆議院憲法調査会第一回中央公聴会にて公述するという重要な役割を賜り、感謝と厳粛な思いを抱いて参りました。
私の専門は国際政治学でありまして、長年大学で研究と教育に従事してまいりましたけれども、二〇〇二年四月から二年間にわたりまして軍縮会議日本政府代表部特命全権大使としてジュネーブに赴任し、外交実務に携わる機会に恵まれました。そして、今帰朝したばかりのところでございます。ジュネーブでは軍縮会議の議長も務め、またニューヨーク国連本部にては、国連総会の軍縮と国際安全保障に関する分野の担当大使としても活動いたしました。
このような外交実務の経験も踏まえ、本日は、日本国憲法のもとにおいて、戦後日本が主権を回復してから半世紀余りにわたる政府と国民社会の誠実な努力の積み重ねの結果、日本は今、国際社会においてどのような地位と評価を獲得し得たのか、また世界が日本に寄せる期待と希望とはどのようなものなのかをまず報告申し上げ、さらに日本国憲法と我が国の国際貢献に関する最近の世論の動向を踏まえ、若干の議論をいたしたく存じます。
本日、私はまず、国際安全保障分野の多国間外交の場におきまして、日本は、頼りになる大国として認識され、また各種の問題の解決において高い能力を発揮する国家として評価されていることを、そして日本の大使は、大国の大使としてそれにふさわしい重きを置いた扱いを広く各国から受ける時代となっていることを、日本の議会に何としても報告しなければならないと感じて参りました。そのような日本の国際的地位は当然のことであり、とりたてて言及する必要もないとのお考えもあるかもしれませんが、半世紀余り前、国際的地位も経済力も完全に失った我が国が、今日このような確固たる高い地位を国際社会で享受するようになったことを外交最前線で日々実感してまいりました私としては、深い感動をもってそのことを認識せざるを得ません。
日本国憲法を考えるという機会に、私は、戦後、この憲法のもとで、大きな希望を抱き、多様な可能性に挑戦し、また憲法によって課されたある種の制約の範囲で工夫しながら、日本にそのような高い国際的地位と評価をもたらすことに成功した世代に、私の世代から、心からの感謝の意を伝えなければならないと思っております。
日本国憲法を再検討するどのような試みも、その点、すなわち、戦後日本の国家と社会の努力の評価と、それが現にもたらした世界における貴重な存在感についての深い認識を出発点とする必要があるように感じます。そうすることにより、仮に国民世論が今後、憲法の修正を求めることとなった場合にも、軸足が浮遊して過度な修正へと漂流することなく、必要最小限の簡潔な修正によって連続性を保ち、既に日本国として国際社会において築いた地位や評価を混乱させることなく発展させ、将来の国民に引き継いでいくことが可能になると考えます。
したがって、憲法を再検討するということは、文言調整や表現の含意についての討議、あるいは直近の出来事に触発された論議に終始することであっては決してなりません。憲法を再検討するということは、この国が戦後歩んだ険しい道のりを国民おのおのが振り返り、その努力を慈しみ、その志がもたらした現代日本の国際的な地位を再認識して正当に評価し、それにふさわしい責任感と未来への対応力を深める国民的経験となる必要があります。その意味において、憲法を調査し、検討するプロセスは、日本国憲法について既に存在する国民のオーナーシップ、すなわち、憲法についての深い所有感やみずからのものとして慈しむ気持ちをさらに強化する有意義な政治プロセスであると認識しております。
憲法改正論の一部に、日本国憲法は占領下において公布されたことから真に日本のものとは言えず、独自の憲法に書きかえるべきとの議論があることは承知しております。しかし、日本国民は、議会と政府と各人の日常の努力を通じて、半世紀を超えてこの憲法を守り抜き、その理想の示す到達点を目指して努力してきたのであり、その歴史的時間の重さを思えば、この憲法は紛れもなく日本国民のものであり、また、それを否定することは、日本の戦後の歴史的時間を誠実に生きた無数の国民の努力を軽んじることにもなりかねません。したがって、そのような観点からのみの改正論は適切ではないと考えますが、他方で、最近においては、国際貢献の観点から憲法の再検討が必要である旨の意見が国民世論において増加していると承知しております。
会長、ここで、日本の国際貢献を世界はどのように認識し、評価しているかにつき、一人の研究者及び元外交官としての限られた経験に基づく意見であることをお許しいただきつつ、公述いたしたく存じます。
我が国が憲法第九条一項において、国際平和を誠実に希求する志のあかしとして、国権の発動たる戦争等の放棄を掲げていること、また二項において陸海空軍その他の戦力は保持しないという考え方を示していることは、今日では広く国際社会において知られており、その志と理念は、戦禍に苦悩した歴史を真剣に受けとめるという国民の真摯な生き方及び国家の賢明な選択を伝えるものとして、世界で特別の評価を獲得するに至っていると感じております。その評価は、戦後日本が経済成長に成功し、世界経済の発展や低所得国の救済に寄与した実績等にも補完されて高まったと感じております。
世界は、日本が軍事面での国際貢献においては制約を有していることを了解しており、またその制約の範囲内で近年に見る国際貢献についての著しい工夫を行ってきたことを正当に評価し、またその日本の努力を温かく支援する友情を示してきました。現代国際社会が建設的に発展するには、多様性への寛容をはぐくむことが最も基本的な課題であることは言うまでもありませんが、世界は唯一の被爆国である日本の特別の国民的思いを礼儀正しく受けとめていく過程を通じて、現代国際社会における多様性への寛容の精神を体得する契機をつかんできた側面があるとも言えます。
どの国も、みずからの履歴から生まれる特殊性、いわば個性のような、グローバリゼーションの時代の中でも標準化され得ない部分を内包しています。平等な主権国家間におけるそのような部分をどのように相互に受けとめ合っていくかは今後の国際社会の大きな課題ですが、日本は、みずからの特質についての謙虚にして毅然とした国家の姿勢を示すことによって、世界に多様性と向き合う教育的機会を与えた面があり、欧米諸国はまた、軍事的制約を負いながらも誠実に貢献努力を模索する日本を肯定し、評価することにより、多様性への政治的感性を高めたとも言えます。日本は、そのようなみずからの国家としてのあり方を過小評価するのではなく、むしろ国際社会への長期的な啓発力を信じて積極的に発信し、また日本の姿勢を肯定的に受けとめる各国の多様性の受容をより積極的に外交を通じて評価していくべきであると感じます。
どのような戦争も必ず終わり、その後において、戦後復興の長く不安定なプロセスが続くことになります。戦後復興の失敗は内戦や紛争の再発につながりやすいため、戦後復興プロセスにおいて軍縮、不拡散、人道支援を中心とする具体的な協力に成功し、その実績に基づく和解へのプロセスを誘導することは戦争を最も直接的に予防する貢献となります。言うまでもなく、戦争は、未然に予防することこそがそれに対する正しい対応であり、その意味で、戦後復興に貢献することは過小評価してはならない重要な予防的かつ修復的な国際貢献であり、自負を持ってその観点からの具体的支援に現地において取り組みつつ、あわせて各勢力の和解を仕掛ける外交力を発揮すべきです。
戦後復興期において戦争の再発を防ぐためには、治安回復のための武装解除や治安セクターの改革、そして小型武器軍縮なども含む広範な軍縮・軍備管理政策の実施が必要であり、同時に、人心を安定させて諸勢力の和解への意思を引き出すための人道支援が必要です。
ここで一言、私が特別に思い入れて国連で推進してきました小型武器軍縮について謹んで言及することをお許しいただきますが、小型武器とは人が一人で操作できる戦争用殺傷兵器を意味し、この武器範疇は、戦争終結後の移行期を含め毎年五十万人もの死をもたらし、アナン国連事務総長もこれを事実上の大量破壊兵器と称しました。
日本は、昨年七月、最初の小型武器軍縮実施のための国連会合の議長国に選任されましたが、これは日本が国連で獲得したこの種の会議の初めての議長職であり、私は、軍縮会議日本政府代表部の館員たちと必死で小型武器軍縮実施のための優先措置とその方法についての議長総括をまとめ、無理かと思いながらも猛烈な外交協議を連日繰り返して、ついに、大国も小国も、世界が全会一致でこの議長総括を添付した報告書を採択することを実現いたしました。現在、この国連会合を受けて、世界各地で具体的な小型武器軍縮への措置が講じられ始めています。
さらに、近年においては、大量破壊兵器と関連装置の不拡散を徹底することも、テロの破壊力を抑え込み、広く国際社会の信義を守るために必要であり、日本は、このような軍縮、不拡散、人道支援の分野における工夫ある貢献を、外交活動と、また具体的実施の活動の双方において着実に行っていくべきであります。
戦禍に病む紛争直後の不安定な移行期における支援の具体的実施活動については、防護力のある実力組織に依存しなければならないことも少なくありません。その場合、憲法第九条に見る日本の平和への哲学を基本的には保持しつつ実行できることも多いのではないか、よく研究し、工夫ある努力を誠実に示しながら、国際貢献についての哲学的立場を信念を持って前向きに世界に説明し、積極的に発信し、評価を得ていくべきであると考えます。
会長、軍縮、不拡散、人道支援を日本の国際貢献の特質とすることについて、それは軍事的リスクや危険を回避する臆病なやり方であるとの批判があるとすれば、断固として反論し、論破すべきです。紛争直後の社会は、予断し得ない不確定性や不安定性を帯びている場合が多く、どのような分野でどのような機能を担う実力組織も、おのおののリスクを覚悟して赴いているのであり、職域に殉ずる潜在的な危険性は、その地で活動するすべての部隊とその成員にあるという中で日本の自衛隊もとうとい協力をしてきたのです。そのように世界に認識してもらうことが必要であり、その視座を欠くと、平和のための国際貢献を担う任務で日本から派遣される組織の一人一人に対して、国家として正義ある立場にはなりません。
言うまでもなく、日本の国際貢献は、自衛隊のみが行うものではなく、問題解決を導く政治・外交力を初め、経済・社会開発支援も含め、日本の政府と社会の各方面の総合力をもって効果的に展開していくべきものであります。しかし、紛争直後の社会の不安定性を考えれば、実力組織によってしか効果的な貢献が望めない状況もあり、日本は、法律に基づき、憲法の定める範囲内において、自衛隊による国際貢献を行ってきました。また、日本は、自衛のための必要最小限度の能力を有する必要から、自衛隊の機能を維持してきました。
その事実を踏まえ、生命のリスクを負いながら日本の安全保障と国際貢献に尽くす組織の憲法上の位置づけをより明確にすべきとの見解については、今後、国民世論が憲法の修正を求めることとなった場合には、第九条の基本を維持しつつ、簡潔に、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する国家として保持する、自衛のための実力組織につき言及する可能性は研究するに値する面があります。他方で、その場合においても、個別の法律で扱うべき範囲の事柄を憲法に織り込むことや、今後の国際情勢や国連の活動の方向性を予断して複雑な修正を試みることには慎重であるべきと考えます。
以上、国際政治学の一学徒としての研究と元軍縮大使としての経験に基づき、国際社会における日本のあり方との関連において、日本国憲法についての基本的な考え方を公述いたしました。
既に述べましたとおり、憲法について開かれた議論を行い、憲法への思いを改めて深めていくことは民主主義社会として大変に有意義なことであり、国権の最高機関において、会長のすぐれた指導力に基づき憲法に関する調査がこのように熱心にとり行われていますことに敬意を表します。
グローバリゼーションのさまざまな試練に社会が直面する時代の中で、国民が一致して誇りに思い、安心した帰属感を抱ける国民国家を維持発展させていくことは政治の根本的使命であり、憲法を再考していく政治過程が、日本国民を分断することなく、深い共同体感を培う経験となるように運営されますことを願っております。
会長を通じて、全委員の先生方の御努力に謝意を表明し、その英明なる御判断を信じ、私の公述を終わります。御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私の専門は国際政治学でありまして、長年大学で研究と教育に従事してまいりましたけれども、二〇〇二年四月から二年間にわたりまして軍縮会議日本政府代表部特命全権大使としてジュネーブに赴任し、外交実務に携わる機会に恵まれました。そして、今帰朝したばかりのところでございます。ジュネーブでは軍縮会議の議長も務め、またニューヨーク国連本部にては、国連総会の軍縮と国際安全保障に関する分野の担当大使としても活動いたしました。
このような外交実務の経験も踏まえ、本日は、日本国憲法のもとにおいて、戦後日本が主権を回復してから半世紀余りにわたる政府と国民社会の誠実な努力の積み重ねの結果、日本は今、国際社会においてどのような地位と評価を獲得し得たのか、また世界が日本に寄せる期待と希望とはどのようなものなのかをまず報告申し上げ、さらに日本国憲法と我が国の国際貢献に関する最近の世論の動向を踏まえ、若干の議論をいたしたく存じます。
本日、私はまず、国際安全保障分野の多国間外交の場におきまして、日本は、頼りになる大国として認識され、また各種の問題の解決において高い能力を発揮する国家として評価されていることを、そして日本の大使は、大国の大使としてそれにふさわしい重きを置いた扱いを広く各国から受ける時代となっていることを、日本の議会に何としても報告しなければならないと感じて参りました。そのような日本の国際的地位は当然のことであり、とりたてて言及する必要もないとのお考えもあるかもしれませんが、半世紀余り前、国際的地位も経済力も完全に失った我が国が、今日このような確固たる高い地位を国際社会で享受するようになったことを外交最前線で日々実感してまいりました私としては、深い感動をもってそのことを認識せざるを得ません。
日本国憲法を考えるという機会に、私は、戦後、この憲法のもとで、大きな希望を抱き、多様な可能性に挑戦し、また憲法によって課されたある種の制約の範囲で工夫しながら、日本にそのような高い国際的地位と評価をもたらすことに成功した世代に、私の世代から、心からの感謝の意を伝えなければならないと思っております。
日本国憲法を再検討するどのような試みも、その点、すなわち、戦後日本の国家と社会の努力の評価と、それが現にもたらした世界における貴重な存在感についての深い認識を出発点とする必要があるように感じます。そうすることにより、仮に国民世論が今後、憲法の修正を求めることとなった場合にも、軸足が浮遊して過度な修正へと漂流することなく、必要最小限の簡潔な修正によって連続性を保ち、既に日本国として国際社会において築いた地位や評価を混乱させることなく発展させ、将来の国民に引き継いでいくことが可能になると考えます。
したがって、憲法を再検討するということは、文言調整や表現の含意についての討議、あるいは直近の出来事に触発された論議に終始することであっては決してなりません。憲法を再検討するということは、この国が戦後歩んだ険しい道のりを国民おのおのが振り返り、その努力を慈しみ、その志がもたらした現代日本の国際的な地位を再認識して正当に評価し、それにふさわしい責任感と未来への対応力を深める国民的経験となる必要があります。その意味において、憲法を調査し、検討するプロセスは、日本国憲法について既に存在する国民のオーナーシップ、すなわち、憲法についての深い所有感やみずからのものとして慈しむ気持ちをさらに強化する有意義な政治プロセスであると認識しております。
憲法改正論の一部に、日本国憲法は占領下において公布されたことから真に日本のものとは言えず、独自の憲法に書きかえるべきとの議論があることは承知しております。しかし、日本国民は、議会と政府と各人の日常の努力を通じて、半世紀を超えてこの憲法を守り抜き、その理想の示す到達点を目指して努力してきたのであり、その歴史的時間の重さを思えば、この憲法は紛れもなく日本国民のものであり、また、それを否定することは、日本の戦後の歴史的時間を誠実に生きた無数の国民の努力を軽んじることにもなりかねません。したがって、そのような観点からのみの改正論は適切ではないと考えますが、他方で、最近においては、国際貢献の観点から憲法の再検討が必要である旨の意見が国民世論において増加していると承知しております。
会長、ここで、日本の国際貢献を世界はどのように認識し、評価しているかにつき、一人の研究者及び元外交官としての限られた経験に基づく意見であることをお許しいただきつつ、公述いたしたく存じます。
我が国が憲法第九条一項において、国際平和を誠実に希求する志のあかしとして、国権の発動たる戦争等の放棄を掲げていること、また二項において陸海空軍その他の戦力は保持しないという考え方を示していることは、今日では広く国際社会において知られており、その志と理念は、戦禍に苦悩した歴史を真剣に受けとめるという国民の真摯な生き方及び国家の賢明な選択を伝えるものとして、世界で特別の評価を獲得するに至っていると感じております。その評価は、戦後日本が経済成長に成功し、世界経済の発展や低所得国の救済に寄与した実績等にも補完されて高まったと感じております。
世界は、日本が軍事面での国際貢献においては制約を有していることを了解しており、またその制約の範囲内で近年に見る国際貢献についての著しい工夫を行ってきたことを正当に評価し、またその日本の努力を温かく支援する友情を示してきました。現代国際社会が建設的に発展するには、多様性への寛容をはぐくむことが最も基本的な課題であることは言うまでもありませんが、世界は唯一の被爆国である日本の特別の国民的思いを礼儀正しく受けとめていく過程を通じて、現代国際社会における多様性への寛容の精神を体得する契機をつかんできた側面があるとも言えます。
どの国も、みずからの履歴から生まれる特殊性、いわば個性のような、グローバリゼーションの時代の中でも標準化され得ない部分を内包しています。平等な主権国家間におけるそのような部分をどのように相互に受けとめ合っていくかは今後の国際社会の大きな課題ですが、日本は、みずからの特質についての謙虚にして毅然とした国家の姿勢を示すことによって、世界に多様性と向き合う教育的機会を与えた面があり、欧米諸国はまた、軍事的制約を負いながらも誠実に貢献努力を模索する日本を肯定し、評価することにより、多様性への政治的感性を高めたとも言えます。日本は、そのようなみずからの国家としてのあり方を過小評価するのではなく、むしろ国際社会への長期的な啓発力を信じて積極的に発信し、また日本の姿勢を肯定的に受けとめる各国の多様性の受容をより積極的に外交を通じて評価していくべきであると感じます。
どのような戦争も必ず終わり、その後において、戦後復興の長く不安定なプロセスが続くことになります。戦後復興の失敗は内戦や紛争の再発につながりやすいため、戦後復興プロセスにおいて軍縮、不拡散、人道支援を中心とする具体的な協力に成功し、その実績に基づく和解へのプロセスを誘導することは戦争を最も直接的に予防する貢献となります。言うまでもなく、戦争は、未然に予防することこそがそれに対する正しい対応であり、その意味で、戦後復興に貢献することは過小評価してはならない重要な予防的かつ修復的な国際貢献であり、自負を持ってその観点からの具体的支援に現地において取り組みつつ、あわせて各勢力の和解を仕掛ける外交力を発揮すべきです。
戦後復興期において戦争の再発を防ぐためには、治安回復のための武装解除や治安セクターの改革、そして小型武器軍縮なども含む広範な軍縮・軍備管理政策の実施が必要であり、同時に、人心を安定させて諸勢力の和解への意思を引き出すための人道支援が必要です。
ここで一言、私が特別に思い入れて国連で推進してきました小型武器軍縮について謹んで言及することをお許しいただきますが、小型武器とは人が一人で操作できる戦争用殺傷兵器を意味し、この武器範疇は、戦争終結後の移行期を含め毎年五十万人もの死をもたらし、アナン国連事務総長もこれを事実上の大量破壊兵器と称しました。
日本は、昨年七月、最初の小型武器軍縮実施のための国連会合の議長国に選任されましたが、これは日本が国連で獲得したこの種の会議の初めての議長職であり、私は、軍縮会議日本政府代表部の館員たちと必死で小型武器軍縮実施のための優先措置とその方法についての議長総括をまとめ、無理かと思いながらも猛烈な外交協議を連日繰り返して、ついに、大国も小国も、世界が全会一致でこの議長総括を添付した報告書を採択することを実現いたしました。現在、この国連会合を受けて、世界各地で具体的な小型武器軍縮への措置が講じられ始めています。
さらに、近年においては、大量破壊兵器と関連装置の不拡散を徹底することも、テロの破壊力を抑え込み、広く国際社会の信義を守るために必要であり、日本は、このような軍縮、不拡散、人道支援の分野における工夫ある貢献を、外交活動と、また具体的実施の活動の双方において着実に行っていくべきであります。
戦禍に病む紛争直後の不安定な移行期における支援の具体的実施活動については、防護力のある実力組織に依存しなければならないことも少なくありません。その場合、憲法第九条に見る日本の平和への哲学を基本的には保持しつつ実行できることも多いのではないか、よく研究し、工夫ある努力を誠実に示しながら、国際貢献についての哲学的立場を信念を持って前向きに世界に説明し、積極的に発信し、評価を得ていくべきであると考えます。
会長、軍縮、不拡散、人道支援を日本の国際貢献の特質とすることについて、それは軍事的リスクや危険を回避する臆病なやり方であるとの批判があるとすれば、断固として反論し、論破すべきです。紛争直後の社会は、予断し得ない不確定性や不安定性を帯びている場合が多く、どのような分野でどのような機能を担う実力組織も、おのおののリスクを覚悟して赴いているのであり、職域に殉ずる潜在的な危険性は、その地で活動するすべての部隊とその成員にあるという中で日本の自衛隊もとうとい協力をしてきたのです。そのように世界に認識してもらうことが必要であり、その視座を欠くと、平和のための国際貢献を担う任務で日本から派遣される組織の一人一人に対して、国家として正義ある立場にはなりません。
言うまでもなく、日本の国際貢献は、自衛隊のみが行うものではなく、問題解決を導く政治・外交力を初め、経済・社会開発支援も含め、日本の政府と社会の各方面の総合力をもって効果的に展開していくべきものであります。しかし、紛争直後の社会の不安定性を考えれば、実力組織によってしか効果的な貢献が望めない状況もあり、日本は、法律に基づき、憲法の定める範囲内において、自衛隊による国際貢献を行ってきました。また、日本は、自衛のための必要最小限度の能力を有する必要から、自衛隊の機能を維持してきました。
その事実を踏まえ、生命のリスクを負いながら日本の安全保障と国際貢献に尽くす組織の憲法上の位置づけをより明確にすべきとの見解については、今後、国民世論が憲法の修正を求めることとなった場合には、第九条の基本を維持しつつ、簡潔に、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する国家として保持する、自衛のための実力組織につき言及する可能性は研究するに値する面があります。他方で、その場合においても、個別の法律で扱うべき範囲の事柄を憲法に織り込むことや、今後の国際情勢や国連の活動の方向性を予断して複雑な修正を試みることには慎重であるべきと考えます。
以上、国際政治学の一学徒としての研究と元軍縮大使としての経験に基づき、国際社会における日本のあり方との関連において、日本国憲法についての基本的な考え方を公述いたしました。
既に述べましたとおり、憲法について開かれた議論を行い、憲法への思いを改めて深めていくことは民主主義社会として大変に有意義なことであり、国権の最高機関において、会長のすぐれた指導力に基づき憲法に関する調査がこのように熱心にとり行われていますことに敬意を表します。
グローバリゼーションのさまざまな試練に社会が直面する時代の中で、国民が一致して誇りに思い、安心した帰属感を抱ける国民国家を維持発展させていくことは政治の根本的使命であり、憲法を再考していく政治過程が、日本国民を分断することなく、深い共同体感を培う経験となるように運営されますことを願っております。
会長を通じて、全委員の先生方の御努力に謝意を表明し、その英明なる御判断を信じ、私の公述を終わります。御清聴ありがとうございました。拍手
中
川
川本裕子#4
○川本公述人 早稲田大学の川本でございます。
本日は、憲法問題調査会公述人としてお招きをいただきまして、大変光栄でございます。私は、日ごろ触れることの多い経済や経済政策との関係で、憲法議論に期待したい点を幾つか申し上げたいと存じます。憲法の法律論に関しては知識が乏しい者でございますが、その点御容赦の上お聞き願えればと存じます。
経済にとって憲法は、財産権、営業の自由、職業選択の自由を保障することで、政府の機能、介入を限定し、個人や企業の自由な経済活動を促進しているところに大きな意味があります。日本国憲法は、市場経済を原則とする我が国経済のあり方を保障していると考えられます。ここまでは、まず異論のないところだと思います。
問題は、これらの憲法の条項がどのように解釈されてきたかです。日本国憲法の伝統的な解釈は、憲法二十五条第一項の生存権を根拠とした政府の経済介入には肯定的であり、また、いわゆる二重の基準により、経済的自由に関する制限の判断基準は、精神的自由への制限の許容基準よりも緩く、合理性の原則で判断するという考え方であるようです。
しかし、現実への適用という観点から見れば、薬事法違憲判決のように、最高裁が、競争を制限した政府の規制を合理的根拠がないとして違憲と判決したケースもあるように、経済的自由だからといっても、政府が恣意的に介入することはできないことが判例理論として確立しています。あるAという人の経済的な活動を制限しようとするには、何のために制限をするのかという理由が法律などを通じてきちんと説明されなければいけません。仮に法律が国会で議決されたものであっても、合理性がなければ、裁判所は憲法に基づきAさんの主張を認め、政府の規制は退けられます。
また、最高裁は、憲法第二十五条第一項を根拠とした国民の権利は、具体的なものではなく、法律により具体的内容を定めるべきとしてきており、その限りで政府の経済への積極的な介入には歯どめをかけています。
このように、結果としては今の憲法は大過なく運用されてきていると言えますが、経済を専門領域とする立場から一言申し上げれば、憲法解釈として二重の基準の考え方は、もしそれが政府の経済への介入を大幅に許す方向で依然維持されているとするならば、時代に合わなくなっているのではないかと思います。
確かに、表現の自由などの精神的自由について、それに制限を課すことは、民主主義の根幹にかかわるために極めて慎重に例外的にすべきという考えには私も同感です。しかし、だからといって、その返す刀という形で、経済的自由については制限できるというように議論することはおかしく思えます。経済的自由の尊重も、国のあり方として、精神的自由に劣らず大事であると思います。
経済政策の考え方も大きく変貌を遂げています。日本国憲法が制定された戦争直後には、大恐慌やニューディール政策などの経験を経て、アメリカを含めて、国家の大幅な経済介入による福祉国家の実現が世界的に基本的な経済思想となっていました。現在、憲法の解釈として述べられている二重の基準も、こうした経済思想を踏まえての考え方であると思われます。
しかし、一九八〇年代以降、福祉国家路線の行き詰まり、社会主義の崩壊といった歴史的展開を受け、政府の過剰な介入を避け、市場経済の力を十分に発揮させなければ日本も成長していけないということは、動かしがたい流れになっているのではないでしょうか。中国経済でさえ自由化、市場化によって大きく躍進している時代です。日本の憲法の検討も、こうした経済の実態を十分に取り込んで進めていただきたいと希望します。
特に、日本では、依然として政府による過剰な規制の問題が解決したとは言えません。例えば、官民の関係で、依然官が優越的地位を持っている印象も強いですし、あいまいな根拠により、広範な規制を行政が行う傾向がいつまでも是正されない状況にあるのではないでしょうか。政府介入に関する憲法解釈の緩やかさが、これらの官優位の思想につながっているとすれば根幹的な問題です。私は、法律一般、また憲法の専門家ではないので確かなことは申し上げられませんが、経済的自由に関する現在の大過ない憲法の運用を念押しする意味で、憲法を見直すことに検討の価値があるかもしれないと思います。
ただし、私は、経済政策のあり方について、憲法でもっと事細かに規定せよと主張をするつもりはありません。専門的知識を要求される個々の経済的事例に関して、一々裁判所に憲法判断を求めるということは現実的ではないからです。金融システム一つをとってみても、完全なレッセフェールではうまく機能しないのは明らかです。
現実には、個々の問題は、政府が政策決定として時宜に応じ判断し、国会や国民に説明責任を果たしていくという形で運営していかざるを得ないことが多いと思われます。経済は生き物であり、裁判所による憲法判断によって経済運営を行うことには無理があります。憲法はあくまで基本法であり、政府が極端に不合理なことをしてきた場合にそれを抑える、ラストリゾートとして機能するという姿が望ましいでしょう。
この観点から一点付言すれば、私は憲法に財政均衡義務を規定するといった考え方には反対です。確かに、日本のみならず、民主主義国の政府は財政赤字を必要以上に膨張させる危険や傾向があります。我が国における巨額の国債累積残高の実態は典型的な事例です。しかし、我々はその問題を憲法で解決できるでしょうか。政府が不況時に財政スタンスを緩くとるということは、一般論としてはマクロ経済の安定という視点から望ましいことで、その手をむやみやたらと縛ることは、経済の安定的成長という観点からはかえって有害になります。
アメリカの州の憲法には財政均衡条項を置いているものもあるそうですが、実際には、背に腹はかえられず、あの手この手の抜け道が講ぜられているとのことです。そうなると、違憲状態が恒常化することを黙認せざるを得なくなり、憲法への信頼を揺るがすことになる危険があります。
私の意見としては、憲法に規定すべき政府の義務は、財政赤字を出さないではなく、財政赤字を隠さないということにすべきだと考えています。これについてはまた後で御説明したいと思います。
以上述べてきたように、憲法に経済問題を何から何まで解決してほしいと要求するのはないものねだりであり、結果的にかえって失望を招く考え方だと思います。そして、今の日本国憲法は経済的自由の保障という機能ではおおむねうまくいっているという印象を持っています。
しかし、経済の観点からいうと、民間の経済的自由を保障し、政府が不合理、不要に介入することを防ぐという視点だけが憲法論ではないと思います。そうした視点を超えて、政府活動が経済にゆがみや過大な負担をもたらさないよう担保する、そのために国民が監視し、是正し得る仕組みをつくるという視点からの憲法論も求められます。その意味で憲法には重要な役割があるのではないか、見直しを図っていいのではないかという問題提起をしたいと思います。
以下、二点を申し述べます。
第一に、政府活動全般に関する情報公開の徹底です。この問題提起をする私の基本認識をまず述べます。
経済財政諮問会議を初めとしてさまざまな場で議論されている問題ですが、現在の我が国全体のお金の流れを見ると、政府がコントロールしている資金循環部門が巨大な規模に上っています。二〇〇四年度末でGDPの一四四%に当たる水準に達した一般政府負債については、予算の歳入部分で明示されており、巨額であることは大きな懸念ですが、情報開示という点では問題はないと思われます。問題は財政投融資の部分です。郵貯や年金として国民が預託した資金のうち、相当部分がさまざまな特殊法人に融資されており、住宅、高速道路、中小企業、地方自治体などさまざまな資金が流れています。財政投融資残高は四百兆円で、民間金融機関の融資総額に匹敵します。
道路公団の民営化問題でも大きな問題となりましたが、こうした資金は政府を媒介にして循環しており、最終的に返ってくる見込みがあるかどうかは必ずしもはっきりしません。特殊法人は政府機関なので、その不良債権の存在はそもそも問題ではないという前提のもとで情報が開示されています。政府機関であるがゆえに破綻という事態は想定されておらず、退出の規定もありません。
特殊法人などが企業会計原則を適用しないということは、単に民間企業と事業手法が違うなどといった会計手法の違いではありません。そうしたテクニカルな次元の問題ではなく、最終的には政府保証で支えられる事業形態であるために市場の監視を受けないという問題が根源にあります。そうした前提で事業経営が行われている特殊法人に対しては、基本的に経営ガバナンスが働かないのは自明の理です。企業でいえば、赤字が出続けているのに、その経営責任を問う体制も規律も、またその手法も存在していないからです。独立行政法人という新たな法人形態も出てきていますが、この問題を根本的に変えるものではありません。
こうした公的な資金循環は、最終的に大きな国民負担をもたらす危険性が強くあります。道路公団の民営化でも最も懸念したのはこの点、すなわち、民間から金を借りながら収益性のない道路に投資がどんどん進んで、ますます借金が膨らんでいる事態をどうとめられるかという問題でした。
高度成長期には、伸びる社会ニーズに民間だけでは資金供給は大きく不足しており、さまざまな社会インフラ整備を進めるために財政投融資が民間資金を補完する意義を有していたかもしれません。しかし、今日の日本経済では、将来への巨額の国民負担の先送りとなっているおそれが強くあります。本来の方向としては、経済に不透明な負担となるこのような資金循環は縮小し、究極的には廃止ないし完全民営化すべきです。今の郵政民営化もそうした観点から検討されているものと理解しています。
前にも述べましたように、郵政を民営化すべし、財政投融資を廃止すべしというのは政策論であり、憲法との関係でいえば、いわゆる立法政策の問題、すなわち国民の代表たる国会が決めるべき事柄でありまして、憲法に直接規定すべき問題ではありません。しかし、そもそもなぜ問題がここまで巨大化、深刻化したかを考えてみれば、それは財政投融資、特殊法人に関する国民に対する情報開示が極めて不十分であったからだと考えられます。今でこそこの問題には大きな焦点が当たっていますが、つい数年前までは一握りの専門家と財政当局の間でしかこの問題を議論していませんでした。健全な政策づくりが進むように十分な情報開示を確保するのは、憲法の役割と言っていいのではないでしょうか。
最終的には国民負担となるような政府活動については、前広、積極的に政府に情報公開させるべきです。今の憲法では、第七章の「財政」の箇所の規定があり、例えば、内閣は、財政状況についての国民への報告義務を毎年負うとされています。第九十一条ですが、これも予算という狭い範囲に解釈されて運用されていると考えられます。いきなり国民負担となったときの予算措置を報告されても国民としては遅過ぎるのであり、潜在的に国民負担を生む政府活動はすべて国民に報告させたり、情報開示させるような規定整備が必要ではないでしょうか。また、こうした義務は、将来、財政投融資制度が何らかの衣がえをするようなケースでも依然適用されるよう、十分一般性を持たせるべきでしょう。
今でも政府は情報開示に努力しているという意見もありますし、最近改善が見られるのも確かです。しかし、最大の問題は、特殊法人を初め多岐にわたる政府活動、その結果として最終的には納税者負担が生じ得る政府活動を総覧する連結財務諸表が存在しないことです。特殊法人などは、基本的には全債務を政府が保証していると市場は考えています。ということは、これらは政府の子会社であり、政府債務に対して最終的に責任を負う納税者としては、そのすべての財務内容を一覧的に理解できる形で知る権利が当然にあると思われます。これは、郵政公社や年金資金など、自主運用が認められている部門についても当然当てはまります。
今は一覧的開示がなされていない財投機関債については、政府保証債と違い、政府は保証していない債務だという意見もあるかもしれませんが、明示的に法律でそれを否定していない限り、市場はそう受け取っているという実態を踏まえる必要があります。特殊法人や財政投融資の問題の本質は、国民の究極的な負担が隠されやすいという点です。それを隠せないというルールが基本的枠組みとして確立すれば、おのずから改革の議論も変わってくると思われます。
もちろん、情報開示義務を文字づらで書いただけでは担保としては弱く、国会承認の対象にすべきという議論もあり得ます。また、中立的な監視機能を強化するために、会計検査院を国会に直属させるという考え方もあり得るでしょう。具体的な憲法の規定については素人の私には決定的な意見があるわけではありませんが、要は、納税者の立場から、国民はもっと情報を詳しく理解できる形で政府に提出してもらう権利があるのではないかという論点です。
第二に、情報公開と並んでもう一つ重要な見直しのお願いは、議員定数不均衡の問題、一票の重みの問題です。いわゆる公共経済学の観点から、公共財をどの水準で供給するのかを決めるかなど、集団的な意思決定については、市場における決定に比べていろいろ難しい問題があるとされています。しかし、それにしても、集団意思決定において、一票の重みが平等であることについては議論の当然の前提となっています。
ところが、今の日本には大きな一票の格差が存在し、なかなか是正されないという現実があります。そもそも国会が公共政策決定の責任主体となる前提条件を満たしていないのでは、日本にとって大きな問題です。国民の意思がきちんと反映されていない国会、その意思決定に基づいて責任者が指名される内閣に、国民が全幅の信頼を寄せられないのは当然の理であると思います。
この件についての最高裁判所の憲法判断については極めて大きな疑問があります。少なくとも衆議院について、一票の価値の平等の厳格な実現は憲法上の要請であるというのが憲法学界の主流的見解であるとも伺っています。最高裁は、衆議院では三倍、参議院では六倍までの格差を国会の裁量範囲としているようですが、そうしたことを最高裁が判断できるのか疑問に思います。国会など日本の最高機関の信頼にかかわることなので、国会に早急に毅然たる是正措置をとっていただくのがベストです。しかし、現状がどうしても変わらないのであれば、今の憲法の規定がそうした解釈の余地を与えているのが問題と考えられるのですから、規定の見直しを図るべきではないでしょうか。
また、こうした憲法判断では、最高裁が、定数配分規定は違憲であり、それに基づいて行われた選挙は違法だと判断しても、選挙の結果は有効だという判決が出されるのが通例となっていますが、これも納得できないところです。国民の遵法観念に無形の悪影響を及ぼしているのではないかと思います。何より、自分の子供に説明できません。学級委員の選挙で一人一票だと思ったら、あるグループの子たちは三票ずつ入れていたことがわかった、ルールどおりやれていなかったというのと同じようなことです。間違いがあったことがわかればすぐにやり直すのが当然だと我々は教えるのではないでしょうか。今回は混乱が生じるので来学期に正しい方法でやりましょうなどと言えば、子供はどう思うでしょうか。次の世代に責任を持つ者として、子供にきちんと説明できるかというのは大切な基準です。
違憲であると判断する選挙については、一定期間を限って国会が不均衡を是正する立法措置を判決で義務づけ、その上で選挙をやり直させるべきだと思います。
経済政策では所得配分効果というものが常にあります。どのような所得配分が最も社会にとって望ましいかは常に難しい問題になりますが、避けて通れません。社会保障の問題もそうであるし、郵便や金融のユニバーサルサービスの問題、そして道路問題も同様です。これからは、高度成長期につくられ、右肩上がりの経済に合わせてつくってきたさまざまな国の制度を手直ししていくことがいや応なく迫られます。そこでも必ず所得分配への影響は出てきます。その難しい問題を議論し、決定する国会に主権者たる国民の意思がきちんと反映されていなければ、政策決定への納得感は格段に低下します。その意味で、国会と最高裁の一層の努力と決意を期待しますし、憲法議論の中での御検討をぜひお願いできたらと思います。
御清聴どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日は、憲法問題調査会公述人としてお招きをいただきまして、大変光栄でございます。私は、日ごろ触れることの多い経済や経済政策との関係で、憲法議論に期待したい点を幾つか申し上げたいと存じます。憲法の法律論に関しては知識が乏しい者でございますが、その点御容赦の上お聞き願えればと存じます。
経済にとって憲法は、財産権、営業の自由、職業選択の自由を保障することで、政府の機能、介入を限定し、個人や企業の自由な経済活動を促進しているところに大きな意味があります。日本国憲法は、市場経済を原則とする我が国経済のあり方を保障していると考えられます。ここまでは、まず異論のないところだと思います。
問題は、これらの憲法の条項がどのように解釈されてきたかです。日本国憲法の伝統的な解釈は、憲法二十五条第一項の生存権を根拠とした政府の経済介入には肯定的であり、また、いわゆる二重の基準により、経済的自由に関する制限の判断基準は、精神的自由への制限の許容基準よりも緩く、合理性の原則で判断するという考え方であるようです。
しかし、現実への適用という観点から見れば、薬事法違憲判決のように、最高裁が、競争を制限した政府の規制を合理的根拠がないとして違憲と判決したケースもあるように、経済的自由だからといっても、政府が恣意的に介入することはできないことが判例理論として確立しています。あるAという人の経済的な活動を制限しようとするには、何のために制限をするのかという理由が法律などを通じてきちんと説明されなければいけません。仮に法律が国会で議決されたものであっても、合理性がなければ、裁判所は憲法に基づきAさんの主張を認め、政府の規制は退けられます。
また、最高裁は、憲法第二十五条第一項を根拠とした国民の権利は、具体的なものではなく、法律により具体的内容を定めるべきとしてきており、その限りで政府の経済への積極的な介入には歯どめをかけています。
このように、結果としては今の憲法は大過なく運用されてきていると言えますが、経済を専門領域とする立場から一言申し上げれば、憲法解釈として二重の基準の考え方は、もしそれが政府の経済への介入を大幅に許す方向で依然維持されているとするならば、時代に合わなくなっているのではないかと思います。
確かに、表現の自由などの精神的自由について、それに制限を課すことは、民主主義の根幹にかかわるために極めて慎重に例外的にすべきという考えには私も同感です。しかし、だからといって、その返す刀という形で、経済的自由については制限できるというように議論することはおかしく思えます。経済的自由の尊重も、国のあり方として、精神的自由に劣らず大事であると思います。
経済政策の考え方も大きく変貌を遂げています。日本国憲法が制定された戦争直後には、大恐慌やニューディール政策などの経験を経て、アメリカを含めて、国家の大幅な経済介入による福祉国家の実現が世界的に基本的な経済思想となっていました。現在、憲法の解釈として述べられている二重の基準も、こうした経済思想を踏まえての考え方であると思われます。
しかし、一九八〇年代以降、福祉国家路線の行き詰まり、社会主義の崩壊といった歴史的展開を受け、政府の過剰な介入を避け、市場経済の力を十分に発揮させなければ日本も成長していけないということは、動かしがたい流れになっているのではないでしょうか。中国経済でさえ自由化、市場化によって大きく躍進している時代です。日本の憲法の検討も、こうした経済の実態を十分に取り込んで進めていただきたいと希望します。
特に、日本では、依然として政府による過剰な規制の問題が解決したとは言えません。例えば、官民の関係で、依然官が優越的地位を持っている印象も強いですし、あいまいな根拠により、広範な規制を行政が行う傾向がいつまでも是正されない状況にあるのではないでしょうか。政府介入に関する憲法解釈の緩やかさが、これらの官優位の思想につながっているとすれば根幹的な問題です。私は、法律一般、また憲法の専門家ではないので確かなことは申し上げられませんが、経済的自由に関する現在の大過ない憲法の運用を念押しする意味で、憲法を見直すことに検討の価値があるかもしれないと思います。
ただし、私は、経済政策のあり方について、憲法でもっと事細かに規定せよと主張をするつもりはありません。専門的知識を要求される個々の経済的事例に関して、一々裁判所に憲法判断を求めるということは現実的ではないからです。金融システム一つをとってみても、完全なレッセフェールではうまく機能しないのは明らかです。
現実には、個々の問題は、政府が政策決定として時宜に応じ判断し、国会や国民に説明責任を果たしていくという形で運営していかざるを得ないことが多いと思われます。経済は生き物であり、裁判所による憲法判断によって経済運営を行うことには無理があります。憲法はあくまで基本法であり、政府が極端に不合理なことをしてきた場合にそれを抑える、ラストリゾートとして機能するという姿が望ましいでしょう。
この観点から一点付言すれば、私は憲法に財政均衡義務を規定するといった考え方には反対です。確かに、日本のみならず、民主主義国の政府は財政赤字を必要以上に膨張させる危険や傾向があります。我が国における巨額の国債累積残高の実態は典型的な事例です。しかし、我々はその問題を憲法で解決できるでしょうか。政府が不況時に財政スタンスを緩くとるということは、一般論としてはマクロ経済の安定という視点から望ましいことで、その手をむやみやたらと縛ることは、経済の安定的成長という観点からはかえって有害になります。
アメリカの州の憲法には財政均衡条項を置いているものもあるそうですが、実際には、背に腹はかえられず、あの手この手の抜け道が講ぜられているとのことです。そうなると、違憲状態が恒常化することを黙認せざるを得なくなり、憲法への信頼を揺るがすことになる危険があります。
私の意見としては、憲法に規定すべき政府の義務は、財政赤字を出さないではなく、財政赤字を隠さないということにすべきだと考えています。これについてはまた後で御説明したいと思います。
以上述べてきたように、憲法に経済問題を何から何まで解決してほしいと要求するのはないものねだりであり、結果的にかえって失望を招く考え方だと思います。そして、今の日本国憲法は経済的自由の保障という機能ではおおむねうまくいっているという印象を持っています。
しかし、経済の観点からいうと、民間の経済的自由を保障し、政府が不合理、不要に介入することを防ぐという視点だけが憲法論ではないと思います。そうした視点を超えて、政府活動が経済にゆがみや過大な負担をもたらさないよう担保する、そのために国民が監視し、是正し得る仕組みをつくるという視点からの憲法論も求められます。その意味で憲法には重要な役割があるのではないか、見直しを図っていいのではないかという問題提起をしたいと思います。
以下、二点を申し述べます。
第一に、政府活動全般に関する情報公開の徹底です。この問題提起をする私の基本認識をまず述べます。
経済財政諮問会議を初めとしてさまざまな場で議論されている問題ですが、現在の我が国全体のお金の流れを見ると、政府がコントロールしている資金循環部門が巨大な規模に上っています。二〇〇四年度末でGDPの一四四%に当たる水準に達した一般政府負債については、予算の歳入部分で明示されており、巨額であることは大きな懸念ですが、情報開示という点では問題はないと思われます。問題は財政投融資の部分です。郵貯や年金として国民が預託した資金のうち、相当部分がさまざまな特殊法人に融資されており、住宅、高速道路、中小企業、地方自治体などさまざまな資金が流れています。財政投融資残高は四百兆円で、民間金融機関の融資総額に匹敵します。
道路公団の民営化問題でも大きな問題となりましたが、こうした資金は政府を媒介にして循環しており、最終的に返ってくる見込みがあるかどうかは必ずしもはっきりしません。特殊法人は政府機関なので、その不良債権の存在はそもそも問題ではないという前提のもとで情報が開示されています。政府機関であるがゆえに破綻という事態は想定されておらず、退出の規定もありません。
特殊法人などが企業会計原則を適用しないということは、単に民間企業と事業手法が違うなどといった会計手法の違いではありません。そうしたテクニカルな次元の問題ではなく、最終的には政府保証で支えられる事業形態であるために市場の監視を受けないという問題が根源にあります。そうした前提で事業経営が行われている特殊法人に対しては、基本的に経営ガバナンスが働かないのは自明の理です。企業でいえば、赤字が出続けているのに、その経営責任を問う体制も規律も、またその手法も存在していないからです。独立行政法人という新たな法人形態も出てきていますが、この問題を根本的に変えるものではありません。
こうした公的な資金循環は、最終的に大きな国民負担をもたらす危険性が強くあります。道路公団の民営化でも最も懸念したのはこの点、すなわち、民間から金を借りながら収益性のない道路に投資がどんどん進んで、ますます借金が膨らんでいる事態をどうとめられるかという問題でした。
高度成長期には、伸びる社会ニーズに民間だけでは資金供給は大きく不足しており、さまざまな社会インフラ整備を進めるために財政投融資が民間資金を補完する意義を有していたかもしれません。しかし、今日の日本経済では、将来への巨額の国民負担の先送りとなっているおそれが強くあります。本来の方向としては、経済に不透明な負担となるこのような資金循環は縮小し、究極的には廃止ないし完全民営化すべきです。今の郵政民営化もそうした観点から検討されているものと理解しています。
前にも述べましたように、郵政を民営化すべし、財政投融資を廃止すべしというのは政策論であり、憲法との関係でいえば、いわゆる立法政策の問題、すなわち国民の代表たる国会が決めるべき事柄でありまして、憲法に直接規定すべき問題ではありません。しかし、そもそもなぜ問題がここまで巨大化、深刻化したかを考えてみれば、それは財政投融資、特殊法人に関する国民に対する情報開示が極めて不十分であったからだと考えられます。今でこそこの問題には大きな焦点が当たっていますが、つい数年前までは一握りの専門家と財政当局の間でしかこの問題を議論していませんでした。健全な政策づくりが進むように十分な情報開示を確保するのは、憲法の役割と言っていいのではないでしょうか。
最終的には国民負担となるような政府活動については、前広、積極的に政府に情報公開させるべきです。今の憲法では、第七章の「財政」の箇所の規定があり、例えば、内閣は、財政状況についての国民への報告義務を毎年負うとされています。第九十一条ですが、これも予算という狭い範囲に解釈されて運用されていると考えられます。いきなり国民負担となったときの予算措置を報告されても国民としては遅過ぎるのであり、潜在的に国民負担を生む政府活動はすべて国民に報告させたり、情報開示させるような規定整備が必要ではないでしょうか。また、こうした義務は、将来、財政投融資制度が何らかの衣がえをするようなケースでも依然適用されるよう、十分一般性を持たせるべきでしょう。
今でも政府は情報開示に努力しているという意見もありますし、最近改善が見られるのも確かです。しかし、最大の問題は、特殊法人を初め多岐にわたる政府活動、その結果として最終的には納税者負担が生じ得る政府活動を総覧する連結財務諸表が存在しないことです。特殊法人などは、基本的には全債務を政府が保証していると市場は考えています。ということは、これらは政府の子会社であり、政府債務に対して最終的に責任を負う納税者としては、そのすべての財務内容を一覧的に理解できる形で知る権利が当然にあると思われます。これは、郵政公社や年金資金など、自主運用が認められている部門についても当然当てはまります。
今は一覧的開示がなされていない財投機関債については、政府保証債と違い、政府は保証していない債務だという意見もあるかもしれませんが、明示的に法律でそれを否定していない限り、市場はそう受け取っているという実態を踏まえる必要があります。特殊法人や財政投融資の問題の本質は、国民の究極的な負担が隠されやすいという点です。それを隠せないというルールが基本的枠組みとして確立すれば、おのずから改革の議論も変わってくると思われます。
もちろん、情報開示義務を文字づらで書いただけでは担保としては弱く、国会承認の対象にすべきという議論もあり得ます。また、中立的な監視機能を強化するために、会計検査院を国会に直属させるという考え方もあり得るでしょう。具体的な憲法の規定については素人の私には決定的な意見があるわけではありませんが、要は、納税者の立場から、国民はもっと情報を詳しく理解できる形で政府に提出してもらう権利があるのではないかという論点です。
第二に、情報公開と並んでもう一つ重要な見直しのお願いは、議員定数不均衡の問題、一票の重みの問題です。いわゆる公共経済学の観点から、公共財をどの水準で供給するのかを決めるかなど、集団的な意思決定については、市場における決定に比べていろいろ難しい問題があるとされています。しかし、それにしても、集団意思決定において、一票の重みが平等であることについては議論の当然の前提となっています。
ところが、今の日本には大きな一票の格差が存在し、なかなか是正されないという現実があります。そもそも国会が公共政策決定の責任主体となる前提条件を満たしていないのでは、日本にとって大きな問題です。国民の意思がきちんと反映されていない国会、その意思決定に基づいて責任者が指名される内閣に、国民が全幅の信頼を寄せられないのは当然の理であると思います。
この件についての最高裁判所の憲法判断については極めて大きな疑問があります。少なくとも衆議院について、一票の価値の平等の厳格な実現は憲法上の要請であるというのが憲法学界の主流的見解であるとも伺っています。最高裁は、衆議院では三倍、参議院では六倍までの格差を国会の裁量範囲としているようですが、そうしたことを最高裁が判断できるのか疑問に思います。国会など日本の最高機関の信頼にかかわることなので、国会に早急に毅然たる是正措置をとっていただくのがベストです。しかし、現状がどうしても変わらないのであれば、今の憲法の規定がそうした解釈の余地を与えているのが問題と考えられるのですから、規定の見直しを図るべきではないでしょうか。
また、こうした憲法判断では、最高裁が、定数配分規定は違憲であり、それに基づいて行われた選挙は違法だと判断しても、選挙の結果は有効だという判決が出されるのが通例となっていますが、これも納得できないところです。国民の遵法観念に無形の悪影響を及ぼしているのではないかと思います。何より、自分の子供に説明できません。学級委員の選挙で一人一票だと思ったら、あるグループの子たちは三票ずつ入れていたことがわかった、ルールどおりやれていなかったというのと同じようなことです。間違いがあったことがわかればすぐにやり直すのが当然だと我々は教えるのではないでしょうか。今回は混乱が生じるので来学期に正しい方法でやりましょうなどと言えば、子供はどう思うでしょうか。次の世代に責任を持つ者として、子供にきちんと説明できるかというのは大切な基準です。
違憲であると判断する選挙については、一定期間を限って国会が不均衡を是正する立法措置を判決で義務づけ、その上で選挙をやり直させるべきだと思います。
経済政策では所得配分効果というものが常にあります。どのような所得配分が最も社会にとって望ましいかは常に難しい問題になりますが、避けて通れません。社会保障の問題もそうであるし、郵便や金融のユニバーサルサービスの問題、そして道路問題も同様です。これからは、高度成長期につくられ、右肩上がりの経済に合わせてつくってきたさまざまな国の制度を手直ししていくことがいや応なく迫られます。そこでも必ず所得分配への影響は出てきます。その難しい問題を議論し、決定する国会に主権者たる国民の意思がきちんと反映されていなければ、政策決定への納得感は格段に低下します。その意味で、国会と最高裁の一層の努力と決意を期待しますし、憲法議論の中での御検討をぜひお願いできたらと思います。
御清聴どうもありがとうございました。拍手
中
井
井ノ川金三#6
○井ノ川公述人 憲法改正に関して所信の一端を述べさせていただきます。
二院制の見直しについてですが、見直すといいましても、二院制を短絡的に一院制にしようというのではありません。国会の機能を効率的かつ的確に発揮させるにはどうすればよいか、そこを議論の出発点とします。
国会運営が効率的でない例といたしましては、通常国会冒頭に行われる総理大臣、外務大臣、財務大臣、経済担当大臣の四大臣の演説がありますが、衆議院で行う内容と参議院で行う内容とはほとんど同じで、時間のむだではないでしょうか。両院議員が一堂に会した席でできないものでしょうか。参議院は独立しているのだと言ってしまえばそれまでのことですが、でも、国会運営が効率的でない理由の一つになっております。
もう一つの例といたしまして、衆議院が予算案を審議、議決し、予算案は参議院に送られます。参議院で審議し、議決、予算が成立しますけれども、予算案が年度内に成立しなくても、衆議院で年度内に議決してあれば、その時点で予算は成立します。こういったことは先生方にとって釈迦に説法ですが、私の言いたいのは、与野党対立で国会は紛糾し、予算委員会が開かれない例はしばしば見られるところです。政治のことでやむを得ない面もありますが、でも、その間、予算案を審議しませんから、国会は機能を停止しております。
比較的まれと言ってよいでしょう、衆参ともに審議が順調で、年度内に予算が成立することがあります。こうした例は、一見して正常に見えるのですが、果たしてそうでしょうか。実は、審議は駆け足審議で、急いで議決した節が見られるからです。これでよいのでしょうか。
前の例も正常とは言えないし、後の例も正常とは申せません。審議が順調過ぎて、間違いがあるのではないかと疑念を抱くわけです。
国会運営に一番苦労されている方は、国会運営委員の先生方です。テレビを見ていてよくわかります。でも、それは表立ったことで、裏ではどんなに御苦労されているか、想像されます。
お配りした資料の二枚目の左をごらんいただきたいと思います。見直し案についてですが、国会運営を効率的かつ的確にするため、衆議院は予算審議、参議院は決算審査と、権能を分けます。権能を分けることによりまして一つのことに集中でき、的確さが図られるのではないでしょうか。予算審議を衆議院の専権とし、決算審査を参議院の専権とします。
決算審査は軽く扱われた向きがありますが、予算審議以上に重要だと思います。決算審査は、国の収入、支出が適正に処理されているかどうか総合的に審査され、それによって、予算執行の責任者である内閣の政治責任を明らかにするという目標があります。会計検査院の検査とは別の意味で重要です。
決算審査に関しまして、憲法は九十条一項後段で、内閣は、次の年度に、会計検査院の検査報告とともに、決算を国会に提出しなければならないとあります。これを受けての決算審査ですが、内閣は、決算を衆参別々に提出しているのです。これが実際です。
なぜそうしているのか。決算は、予算と違って、議決を求めているものではない、報告案件の一つです。審査を求めているにすぎないからです。でも、これでは決算審査がおろそかになります。衆参別々に審査することで、審査に整合性が保てない、そごを生ずるおそれがありますなど、欠点があります。
参議院専権にすれば、そうしたことはなくなります。審査の結果、決算が理に合っているのか合っていないのか、その当否を内閣に知らせる。これは当然のことです。そして、国民に向かって公表する。決算審査を専権とする参議院の役割でしょう。
次に、憲法六条二項には、天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所長官を任命するとありますが、内閣に権限が集中しているのはよくないことなので、内閣の指名となっているのを参議院の指名と変えます。すなわち、天皇は、参議院の指名に基づいて、最高裁判所長官を任命するとします。同条一項は、「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」となっていますが、これとの兼ね合いから、最高裁判所長官の任命を参議院の指名とします。
天皇の国事行為に係る権限についてですが、国事行為は、すべて内閣の助言と承認によって行うことになっておりますが、そのうち、司法に係る国事行為、つまり、七条六に、大赦、特赦、減刑……を認証することを、参議院の助言と承認により、とします。すなわち、天皇は、参議院の助言と承認により、大赦、特赦……の認証について国事行為を行うとします。
以上、決算審査、最高裁判所の長官の任命、それから大赦、特赦等の認証を参議院に移すことによりまして、参議院に独自性を与えることができると思います。そうしたことができなければ国会を一院制にした方がましだと、失礼な表現を用いたことをお許しください。
先生方御存じのマッカーサー草案ですけれども、マッカーサー草案では、国会は一院制でした。草案四十一条に、「国会ハ……議員ヨリ成ル単一ノ院ヲ以テ構成ス」でした。草案を受け取った政府関係者はびっくりしたことでしょう。政府関係者はもともと二院制に固執しておりましたので、日本国憲法案では、「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」として、GHQに示し、GHQの了承を得たものと思われます。
お隣の大韓民国の国会は一院制です。だからといって我が国も一院制でよいと言っているのではありません。先進諸国は二院制です。二院制なのはそれなりの理由があってのことです。特に、第二院についてですが、イギリスの貴族院型、アメリカの連邦型、フランスの元老院型、ドイツの連邦型など、それぞれの存在理由があってのことです。我が国の参議院は、それらの国に比べまして、はっきりとした存在理由が見出せないのです。
第二院につきまして学者間で言われていることは、第一院が常に正しい結果を生むとは限らない。第二院に、審議を慎重に、事を合理的ならしむる抑制的機能を期待すること、そして、第二院に第一院の補充的地位を与えることです。
我が国の参議院の緊急集会は、過去、衆議院が解散中、補充的働きを果たしたことがあります。ただ、残念ながら、参議院は抑制的働きを果たしたとは言えないのです。抑制どころか、参議院が政党化したために参議院議員が政党勢力となって、衆議院議員と変わらなくなってしまったことです。これでは参議院無用論が言われるのも無理からぬことです。
私個人としましては、国会は二院制でよいと思っているのですが、参議院が第二院としての役割を果たせないならば、国会は一院制でもやむを得ないと考えております。
それとも、ここで全く新しい参議院をつくる。
先生方御存じのドイツ連邦参議院のことに若干触れます。
ドイツ全土は十六のラントに分かれております。ブランデンブルク、ザクセンなど十六のラントに分かれていますが、ラントでもって構成されているのがドイツ連邦共和国です。ラントの代表が集まるのが連邦参議院です。ラントと我が国の都道府県とは性格が大分違います。都道府県には地方自治が与えられていますが、権限は形だけのもので、機関委任事務が多く、財源が乏しく、国の出先と言ってもよいでしょう。
政治と経済は密接不可分の関係にあります。歴史的に見てもそういうことが言えます。都道府県の数は現在四十七ですが、経済規模が拡大し、経済構造が変化している、それなのに都道府県の規模は昔と変わらないわけで、余りにも小さく、時代に合わないものになっております。早晩、道州制に移行するものと思われますが、そうなったとき、道州の代表を国政に参画させる必要があります。また、道州の人口に応じて表決権に差を設けるのです。
中央とか地方とかといったような言い方はこの際やめにしまして、国と道州で仕事を分担し、新しい日本を築いていくことが大切です。道州の代表を参議院議員とする、非常に手前みそな言い方で恐縮ですが、ドラスチックな国会改革案と言えるのではないでしょうか。
もとに戻りまして、資料の一枚目の左をごらんください。「議員は二院制見直しには消極的と考えられる。」これに対して、いや、そんなことはない、見直しには積極的なんだと反発なさる議員もおありでしょう。参議院のあり方が問題になっている折、衆議院議員は参議院のことに口を出すのをはばかるでしょう。選挙で互いに応援した仲ならなおさらでしょう。参議院議員も、参議院を廃止してよいとは言わないでしょう。中には、先駆的に、廃止してもよいとおっしゃる方もいるかもしれません。でも、それはまれでしょう。そう考えますと、二院制見直しには消極的と受け取ってよいのではないでしょうか。できれば二院制見直しは避けて通りたいと思うのが本音ではないでしょうか。
しかしながら、それでは通らないと思います。なぜなら、国民にとりまして、国会のあり方は、直接政治にかかわるだけに、これほど重要なことはないわけで、国民から信託された国会の現状を見ると、このままでよいとは思っていないはずです。国会運営を効率的かつ的確にしてもらいたいと願っていることでしょう。
御清聴を感謝します。拍手
この発言だけを見る →二院制の見直しについてですが、見直すといいましても、二院制を短絡的に一院制にしようというのではありません。国会の機能を効率的かつ的確に発揮させるにはどうすればよいか、そこを議論の出発点とします。
国会運営が効率的でない例といたしましては、通常国会冒頭に行われる総理大臣、外務大臣、財務大臣、経済担当大臣の四大臣の演説がありますが、衆議院で行う内容と参議院で行う内容とはほとんど同じで、時間のむだではないでしょうか。両院議員が一堂に会した席でできないものでしょうか。参議院は独立しているのだと言ってしまえばそれまでのことですが、でも、国会運営が効率的でない理由の一つになっております。
もう一つの例といたしまして、衆議院が予算案を審議、議決し、予算案は参議院に送られます。参議院で審議し、議決、予算が成立しますけれども、予算案が年度内に成立しなくても、衆議院で年度内に議決してあれば、その時点で予算は成立します。こういったことは先生方にとって釈迦に説法ですが、私の言いたいのは、与野党対立で国会は紛糾し、予算委員会が開かれない例はしばしば見られるところです。政治のことでやむを得ない面もありますが、でも、その間、予算案を審議しませんから、国会は機能を停止しております。
比較的まれと言ってよいでしょう、衆参ともに審議が順調で、年度内に予算が成立することがあります。こうした例は、一見して正常に見えるのですが、果たしてそうでしょうか。実は、審議は駆け足審議で、急いで議決した節が見られるからです。これでよいのでしょうか。
前の例も正常とは言えないし、後の例も正常とは申せません。審議が順調過ぎて、間違いがあるのではないかと疑念を抱くわけです。
国会運営に一番苦労されている方は、国会運営委員の先生方です。テレビを見ていてよくわかります。でも、それは表立ったことで、裏ではどんなに御苦労されているか、想像されます。
お配りした資料の二枚目の左をごらんいただきたいと思います。見直し案についてですが、国会運営を効率的かつ的確にするため、衆議院は予算審議、参議院は決算審査と、権能を分けます。権能を分けることによりまして一つのことに集中でき、的確さが図られるのではないでしょうか。予算審議を衆議院の専権とし、決算審査を参議院の専権とします。
決算審査は軽く扱われた向きがありますが、予算審議以上に重要だと思います。決算審査は、国の収入、支出が適正に処理されているかどうか総合的に審査され、それによって、予算執行の責任者である内閣の政治責任を明らかにするという目標があります。会計検査院の検査とは別の意味で重要です。
決算審査に関しまして、憲法は九十条一項後段で、内閣は、次の年度に、会計検査院の検査報告とともに、決算を国会に提出しなければならないとあります。これを受けての決算審査ですが、内閣は、決算を衆参別々に提出しているのです。これが実際です。
なぜそうしているのか。決算は、予算と違って、議決を求めているものではない、報告案件の一つです。審査を求めているにすぎないからです。でも、これでは決算審査がおろそかになります。衆参別々に審査することで、審査に整合性が保てない、そごを生ずるおそれがありますなど、欠点があります。
参議院専権にすれば、そうしたことはなくなります。審査の結果、決算が理に合っているのか合っていないのか、その当否を内閣に知らせる。これは当然のことです。そして、国民に向かって公表する。決算審査を専権とする参議院の役割でしょう。
次に、憲法六条二項には、天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所長官を任命するとありますが、内閣に権限が集中しているのはよくないことなので、内閣の指名となっているのを参議院の指名と変えます。すなわち、天皇は、参議院の指名に基づいて、最高裁判所長官を任命するとします。同条一項は、「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」となっていますが、これとの兼ね合いから、最高裁判所長官の任命を参議院の指名とします。
天皇の国事行為に係る権限についてですが、国事行為は、すべて内閣の助言と承認によって行うことになっておりますが、そのうち、司法に係る国事行為、つまり、七条六に、大赦、特赦、減刑……を認証することを、参議院の助言と承認により、とします。すなわち、天皇は、参議院の助言と承認により、大赦、特赦……の認証について国事行為を行うとします。
以上、決算審査、最高裁判所の長官の任命、それから大赦、特赦等の認証を参議院に移すことによりまして、参議院に独自性を与えることができると思います。そうしたことができなければ国会を一院制にした方がましだと、失礼な表現を用いたことをお許しください。
先生方御存じのマッカーサー草案ですけれども、マッカーサー草案では、国会は一院制でした。草案四十一条に、「国会ハ……議員ヨリ成ル単一ノ院ヲ以テ構成ス」でした。草案を受け取った政府関係者はびっくりしたことでしょう。政府関係者はもともと二院制に固執しておりましたので、日本国憲法案では、「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」として、GHQに示し、GHQの了承を得たものと思われます。
お隣の大韓民国の国会は一院制です。だからといって我が国も一院制でよいと言っているのではありません。先進諸国は二院制です。二院制なのはそれなりの理由があってのことです。特に、第二院についてですが、イギリスの貴族院型、アメリカの連邦型、フランスの元老院型、ドイツの連邦型など、それぞれの存在理由があってのことです。我が国の参議院は、それらの国に比べまして、はっきりとした存在理由が見出せないのです。
第二院につきまして学者間で言われていることは、第一院が常に正しい結果を生むとは限らない。第二院に、審議を慎重に、事を合理的ならしむる抑制的機能を期待すること、そして、第二院に第一院の補充的地位を与えることです。
我が国の参議院の緊急集会は、過去、衆議院が解散中、補充的働きを果たしたことがあります。ただ、残念ながら、参議院は抑制的働きを果たしたとは言えないのです。抑制どころか、参議院が政党化したために参議院議員が政党勢力となって、衆議院議員と変わらなくなってしまったことです。これでは参議院無用論が言われるのも無理からぬことです。
私個人としましては、国会は二院制でよいと思っているのですが、参議院が第二院としての役割を果たせないならば、国会は一院制でもやむを得ないと考えております。
それとも、ここで全く新しい参議院をつくる。
先生方御存じのドイツ連邦参議院のことに若干触れます。
ドイツ全土は十六のラントに分かれております。ブランデンブルク、ザクセンなど十六のラントに分かれていますが、ラントでもって構成されているのがドイツ連邦共和国です。ラントの代表が集まるのが連邦参議院です。ラントと我が国の都道府県とは性格が大分違います。都道府県には地方自治が与えられていますが、権限は形だけのもので、機関委任事務が多く、財源が乏しく、国の出先と言ってもよいでしょう。
政治と経済は密接不可分の関係にあります。歴史的に見てもそういうことが言えます。都道府県の数は現在四十七ですが、経済規模が拡大し、経済構造が変化している、それなのに都道府県の規模は昔と変わらないわけで、余りにも小さく、時代に合わないものになっております。早晩、道州制に移行するものと思われますが、そうなったとき、道州の代表を国政に参画させる必要があります。また、道州の人口に応じて表決権に差を設けるのです。
中央とか地方とかといったような言い方はこの際やめにしまして、国と道州で仕事を分担し、新しい日本を築いていくことが大切です。道州の代表を参議院議員とする、非常に手前みそな言い方で恐縮ですが、ドラスチックな国会改革案と言えるのではないでしょうか。
もとに戻りまして、資料の一枚目の左をごらんください。「議員は二院制見直しには消極的と考えられる。」これに対して、いや、そんなことはない、見直しには積極的なんだと反発なさる議員もおありでしょう。参議院のあり方が問題になっている折、衆議院議員は参議院のことに口を出すのをはばかるでしょう。選挙で互いに応援した仲ならなおさらでしょう。参議院議員も、参議院を廃止してよいとは言わないでしょう。中には、先駆的に、廃止してもよいとおっしゃる方もいるかもしれません。でも、それはまれでしょう。そう考えますと、二院制見直しには消極的と受け取ってよいのではないでしょうか。できれば二院制見直しは避けて通りたいと思うのが本音ではないでしょうか。
しかしながら、それでは通らないと思います。なぜなら、国民にとりまして、国会のあり方は、直接政治にかかわるだけに、これほど重要なことはないわけで、国民から信託された国会の現状を見ると、このままでよいとは思っていないはずです。国会運営を効率的かつ的確にしてもらいたいと願っていることでしょう。
御清聴を感謝します。拍手
中
中
保
保岡興治#9
○保岡委員 きょうは、御三人の公述人には、我が憲法調査会においでいただきまして、貴重な、すばらしい意見の開陳、本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げたいと思います。
まず、最初に公述された猪口公述人にお伺いを申し上げますけれども、猪口公述人がこの二年間、国際軍縮日本政府特命全権大使あるいは国連総会の軍縮と国際安全保障に関する分野の担当大使として大変な活躍をされたことは、テレビやいろいろなプロジェクト番組などを通じて我々も拝見しまして、本当に小走りに各国の代表の間を飛び回って頑張っておられたお姿が、今も御本人を前に目に浮かぶところでございます。
また、その経験を通じて、きょうお示しいただいたすばらしい認識を、我々一同感動を持って受けとめたと思います。最後に委員の中からすばらしいという声が出ました。この日本が平和憲法を持って、二度と戦争は嫌だ、もうこんな戦争は世界からすべてなくなるようにしなきゃいけないし、その中で日本の安全も平和もつくれるよう、日本はそういう国際平和の構築に努力するという強い決意を憲法に示した、そのことが各国から非常に評価されて、またそういう憲法を持ちながらも国際貢献に大変な努力をしている日本あるいは日本国民、あるいは民間の関係者に対する評価が非常に高い、それが大国としての大使の扱いという重さになって実感された、こういうお話でした。
この点については非常によく述べられておりますので、これ以上お聞きすることはないぐらい丁寧にいろいろな角度から、実績に対する、戦後の日本の平和活動の評価をしていただいておりますので、それはおいて、実は早速、憲法的な観点からお伺いしたいと思うんでございます。
一つは、きょうは余りその点触れられませんでしたが、日本が努力してきた実績の大きな柱であります、最近とみに注目を集めております人間の安全保障。この点について、実は我が国も、日本の外交の基本に据えてまいっておりますし、またODAの重要な理念にもなってきております。
この点について、先ほど実績を将来に受け継いでいかなきゃならないというお話がございましたが、我が国の憲法は、その点に関しては、前文にすべての国民に平和的生存権を認めるようなくだりがあるんですが、実は、これは日本が侵略戦争をした反省として、二度とこういう状況をつくらない、こういうものを日本は大切にするんだという、侵してはならないというような消極的な平和主義だ、正直に読めばそういうふうに受けとめられる。
もちろん、時代の変化の中でこれを積極的な平和貢献と受けとめる道もあると思いますが、公述人は、こういった人間の安全保障、積極的な平和生存権、こういったものについて、憲法の見直しにおいて、どういうふうに考えていけばいいとお考えか、まず伺いたいと思います。
この発言だけを見る →まず、最初に公述された猪口公述人にお伺いを申し上げますけれども、猪口公述人がこの二年間、国際軍縮日本政府特命全権大使あるいは国連総会の軍縮と国際安全保障に関する分野の担当大使として大変な活躍をされたことは、テレビやいろいろなプロジェクト番組などを通じて我々も拝見しまして、本当に小走りに各国の代表の間を飛び回って頑張っておられたお姿が、今も御本人を前に目に浮かぶところでございます。
また、その経験を通じて、きょうお示しいただいたすばらしい認識を、我々一同感動を持って受けとめたと思います。最後に委員の中からすばらしいという声が出ました。この日本が平和憲法を持って、二度と戦争は嫌だ、もうこんな戦争は世界からすべてなくなるようにしなきゃいけないし、その中で日本の安全も平和もつくれるよう、日本はそういう国際平和の構築に努力するという強い決意を憲法に示した、そのことが各国から非常に評価されて、またそういう憲法を持ちながらも国際貢献に大変な努力をしている日本あるいは日本国民、あるいは民間の関係者に対する評価が非常に高い、それが大国としての大使の扱いという重さになって実感された、こういうお話でした。
この点については非常によく述べられておりますので、これ以上お聞きすることはないぐらい丁寧にいろいろな角度から、実績に対する、戦後の日本の平和活動の評価をしていただいておりますので、それはおいて、実は早速、憲法的な観点からお伺いしたいと思うんでございます。
一つは、きょうは余りその点触れられませんでしたが、日本が努力してきた実績の大きな柱であります、最近とみに注目を集めております人間の安全保障。この点について、実は我が国も、日本の外交の基本に据えてまいっておりますし、またODAの重要な理念にもなってきております。
この点について、先ほど実績を将来に受け継いでいかなきゃならないというお話がございましたが、我が国の憲法は、その点に関しては、前文にすべての国民に平和的生存権を認めるようなくだりがあるんですが、実は、これは日本が侵略戦争をした反省として、二度とこういう状況をつくらない、こういうものを日本は大切にするんだという、侵してはならないというような消極的な平和主義だ、正直に読めばそういうふうに受けとめられる。
もちろん、時代の変化の中でこれを積極的な平和貢献と受けとめる道もあると思いますが、公述人は、こういった人間の安全保障、積極的な平和生存権、こういったものについて、憲法の見直しにおいて、どういうふうに考えていけばいいとお考えか、まず伺いたいと思います。
猪
猪口邦子#10
○猪口公述人 保岡先生、御質問どうもありがとうございました。
大変重要な御指摘を賜りまして、この機会に人間の安全保障の考え方の重要性についてお伝えいたしたいと思います。
理論的には、安全保障といいますときに、今までは国家安全保障を当然のごとく指していました。しかし、国家安全保障が回復した後も、あるいはそれが維持されている場合においても、実際に紛争後の多くの地域で多くの人々が戦争関連のことから亡くなり続けている場合等においては、実際には国家安全保障の回復が人間の安全保障を意味しないというような事態がよく見られ、そのようなことを背景に、安全保障というときに、英語ですとナショナルセキュリティーと言いますが、それだけでは不十分ではないか、ヒューマンセキュリティー、人間の安全保障をあわせて概念化しなければいけないのではないか。こういう考え方が理論的に今から十年以上前から出ていまして、そのようなことを背景に、政策的にもその観点を取り入れ、我が国も積極的に人間の安全保障の考え方を取り入れてくださってきているんですけれども。
この考え方は、人道主義の考え方と非常につながるものがありまして、私の公述した範囲の中でも、人道支援はまさに人間の安全保障を回復するための支援というふうに考えることができます。
人間の安全保障という言葉そのものを、今後、仮に国民世論が憲法改正を求めるようになった場合に憲法の中に含めるかどうかということについては、さまざまな研究をよく検討する必要があると思います。また、各国がこの人間の安全保障という考えについてどこまで深めた見方をとっておられるか、そういうことも研究する必要があると思います。まだ概念として比較的新しく、人道主義という考え方は、もう古く、卓立した普遍的な考え方と考えられますが、それとの関係におきますと、やはりまだ深めるべき概念的整理があろうかと思います。ですから、一国の憲法の中にそれを明記するという場合に、十分な研究が必要であると感じております。
他方で、人道主義の考え方は、私の公述の中でも強く述べましたとおり、日本として評価されている活動でありますので、そのような観点をさらに強化するという形で人間の安全保障の概念も包含するということが可能かもしれないと感じております。
いずれにしても、先生御指摘の人間の安全保障の考え方は、個々の人間がどういう国家の中であっても安全が保障されなければならない。その国が紛争直後であっても、あるいは紛争のさなかであっても、あるいは国家安全保障としては既に完成していると思われている中であっても、本当に個々の人間の安全が確保されているか。特に戦争との関連での、例えば貧困であるとか環境破壊であるとか、あるいは軍縮の不徹底からくる殺りくの続きであるとか、そういうことから守られていなければならないという観点から、非常に重要な概念であると思います。
この発言だけを見る →大変重要な御指摘を賜りまして、この機会に人間の安全保障の考え方の重要性についてお伝えいたしたいと思います。
理論的には、安全保障といいますときに、今までは国家安全保障を当然のごとく指していました。しかし、国家安全保障が回復した後も、あるいはそれが維持されている場合においても、実際に紛争後の多くの地域で多くの人々が戦争関連のことから亡くなり続けている場合等においては、実際には国家安全保障の回復が人間の安全保障を意味しないというような事態がよく見られ、そのようなことを背景に、安全保障というときに、英語ですとナショナルセキュリティーと言いますが、それだけでは不十分ではないか、ヒューマンセキュリティー、人間の安全保障をあわせて概念化しなければいけないのではないか。こういう考え方が理論的に今から十年以上前から出ていまして、そのようなことを背景に、政策的にもその観点を取り入れ、我が国も積極的に人間の安全保障の考え方を取り入れてくださってきているんですけれども。
この考え方は、人道主義の考え方と非常につながるものがありまして、私の公述した範囲の中でも、人道支援はまさに人間の安全保障を回復するための支援というふうに考えることができます。
人間の安全保障という言葉そのものを、今後、仮に国民世論が憲法改正を求めるようになった場合に憲法の中に含めるかどうかということについては、さまざまな研究をよく検討する必要があると思います。また、各国がこの人間の安全保障という考えについてどこまで深めた見方をとっておられるか、そういうことも研究する必要があると思います。まだ概念として比較的新しく、人道主義という考え方は、もう古く、卓立した普遍的な考え方と考えられますが、それとの関係におきますと、やはりまだ深めるべき概念的整理があろうかと思います。ですから、一国の憲法の中にそれを明記するという場合に、十分な研究が必要であると感じております。
他方で、人道主義の考え方は、私の公述の中でも強く述べましたとおり、日本として評価されている活動でありますので、そのような観点をさらに強化するという形で人間の安全保障の概念も包含するということが可能かもしれないと感じております。
いずれにしても、先生御指摘の人間の安全保障の考え方は、個々の人間がどういう国家の中であっても安全が保障されなければならない。その国が紛争直後であっても、あるいは紛争のさなかであっても、あるいは国家安全保障としては既に完成していると思われている中であっても、本当に個々の人間の安全が確保されているか。特に戦争との関連での、例えば貧困であるとか環境破壊であるとか、あるいは軍縮の不徹底からくる殺りくの続きであるとか、そういうことから守られていなければならないという観点から、非常に重要な概念であると思います。
保
保岡興治#11
○保岡委員 そこで、今公述人言われました、人間の尊厳とか一人一人の国民の生命とかあるいは生活、それを支える大切な能力、こういったものを守っていくという意味での人間の安全保障、これを極端に脅かすのが、おっしゃるように戦争だと思うんですね。
戦争が起こった、そのことについて、それが拡大したり、あるいはそれが広い範囲の平和と安定を揺るがすようなところに広がっていったり、そういうようなことがないように芽のうちに摘まなきゃいけない、それを限定しているうちに処理しなきゃならないというようなことについて、実力行使が国際的なリスク管理。あるいは、究極はそういった人間の尊厳を守るという意味での、とうとい、普遍的な価値を守る意味で必要とされるけれども、そういうことについて、日本が実力行使を国際貢献ですることの可能性については公述人はどのようなお考えか伺いたいと思います。
この発言だけを見る →戦争が起こった、そのことについて、それが拡大したり、あるいはそれが広い範囲の平和と安定を揺るがすようなところに広がっていったり、そういうようなことがないように芽のうちに摘まなきゃいけない、それを限定しているうちに処理しなきゃならないというようなことについて、実力行使が国際的なリスク管理。あるいは、究極はそういった人間の尊厳を守るという意味での、とうとい、普遍的な価値を守る意味で必要とされるけれども、そういうことについて、日本が実力行使を国際貢献ですることの可能性については公述人はどのようなお考えか伺いたいと思います。
猪
猪口邦子#12
○猪口公述人 先生のお尋ねは、予防的な目的で、特に人道的な観点を含めて実力行使が適切かどうかという御質問かと思いますが、もし勘違いしておりましたら申しわけございません。
人間の安全保障を回復するために実力行使が必要であるかどうか、さまざまな場合に分けて考えなければなりませんけれども、一般的に、人間の安全保障は、対立する勢力との関係においては、まずは和解がどう成立し得るかという努力をもって対応するのが根本であると感じております。
予防的に実力部隊を展開するという方法については、国連においても非常に慎重な議論があったと記憶しております。予防的に、例えば実力部隊、他国の場合は軍隊を展開したような場合において、それが過度に緊張を地域にもたらし、むしろ相手方の先制攻撃を誘発するのではないかということも慎重に議論された経緯があると理解しております、これは国連においてでございますが。
ですから、現にまだ武力衝突の事態になっていない段階において、人間の安全保障の確保を理由に実力部隊の展開を行うということについては、その必要がどこまで絶対的にあるか、その他の手段は尽くしているか、そういうことをかなり慎重にケース・バイ・ケースで見なければならないと思います。
日本の役割としては、そのような場合において、私の公述の中でも申し上げましたとおり、既に世界が認識していて日本はそういう役割を果たしてくれるであろうと期待されている分野がありますので、そのようなことをまずは徹底的に行って、その中から地域の人々の和解への意思を引き出していく、そういう工夫をきわめることがまずは課題ではないかと思っております。
この発言だけを見る →人間の安全保障を回復するために実力行使が必要であるかどうか、さまざまな場合に分けて考えなければなりませんけれども、一般的に、人間の安全保障は、対立する勢力との関係においては、まずは和解がどう成立し得るかという努力をもって対応するのが根本であると感じております。
予防的に実力部隊を展開するという方法については、国連においても非常に慎重な議論があったと記憶しております。予防的に、例えば実力部隊、他国の場合は軍隊を展開したような場合において、それが過度に緊張を地域にもたらし、むしろ相手方の先制攻撃を誘発するのではないかということも慎重に議論された経緯があると理解しております、これは国連においてでございますが。
ですから、現にまだ武力衝突の事態になっていない段階において、人間の安全保障の確保を理由に実力部隊の展開を行うということについては、その必要がどこまで絶対的にあるか、その他の手段は尽くしているか、そういうことをかなり慎重にケース・バイ・ケースで見なければならないと思います。
日本の役割としては、そのような場合において、私の公述の中でも申し上げましたとおり、既に世界が認識していて日本はそういう役割を果たしてくれるであろうと期待されている分野がありますので、そのようなことをまずは徹底的に行って、その中から地域の人々の和解への意思を引き出していく、そういう工夫をきわめることがまずは課題ではないかと思っております。
保
保岡興治#13
○保岡委員 私の質問の仕方も、非常に大まかな質問をしたんで申しわけなかったと思いますが、いろんなケースもあり、それがまた予防的な対応で足りる場合もあるし、もう現に紛争が起こって、武力の衝突が起こっているようなところに、それが拡大しないように早く鎮圧して平穏な状態を回復するということもあれば、回復する過程で、さらに治安とかいろいろな、今のイラクのような状況ですね、こういうことに対応して、実力部隊としての組織と実力行使の余地を持って対応する、要するに、実力組織、あるいは実力を行使するための武器使用、こういったことについて、やはり今の日本の憲法では確かに足りないところが多いんじゃないだろうか。
これは例えばイラクの、今自衛隊が行っておりますけれども、非常に高く評価されていると思うんです。これは、またちょっと所見を述べていただいてもいいと思いますが、先生が先ほど言われたような高い評価の最たる一部だと思うんですね。
それが実は、例えば、ここに一緒にいるオランダ軍と、お互いに助け合うという関係で一緒に防衛する。これに対する攻撃に対応する。あるいは邦人の、ほかの地域にいる人たちを実力で解放しなきゃならないときに、他国に頼まなきゃならなくて、我が国の自衛隊は行動できない。そういうふうに、いろいろ任務を共同にするオペレーションが非常に困難になる、あるいは我が国の同胞の実力による救出さえできない、こういうような制約がある。
これではやはり、リスク管理というのは、常にいろいろな脅威からの遮断であったり、その回復であったりするわけで、必ずそこには危険やリスクが伴うので、そういうことに対して自衛隊が貢献できるように憲法の制約を見直すべきじゃないかというような観点から伺ったわけですが、いかがでしょう。
この発言だけを見る →これは例えばイラクの、今自衛隊が行っておりますけれども、非常に高く評価されていると思うんです。これは、またちょっと所見を述べていただいてもいいと思いますが、先生が先ほど言われたような高い評価の最たる一部だと思うんですね。
それが実は、例えば、ここに一緒にいるオランダ軍と、お互いに助け合うという関係で一緒に防衛する。これに対する攻撃に対応する。あるいは邦人の、ほかの地域にいる人たちを実力で解放しなきゃならないときに、他国に頼まなきゃならなくて、我が国の自衛隊は行動できない。そういうふうに、いろいろ任務を共同にするオペレーションが非常に困難になる、あるいは我が国の同胞の実力による救出さえできない、こういうような制約がある。
これではやはり、リスク管理というのは、常にいろいろな脅威からの遮断であったり、その回復であったりするわけで、必ずそこには危険やリスクが伴うので、そういうことに対して自衛隊が貢献できるように憲法の制約を見直すべきじゃないかというような観点から伺ったわけですが、いかがでしょう。
猪
猪口邦子#14
○猪口公述人 イラクにおきます自衛隊の活動につきましては、まさに国際社会からも高い評価を受けていると理解しておりますし、そのように世界に認識してもらうような発信をしっかりと日本政府として行っていくことが重要であると思います。
日本が展開しているところにおきましては、オランダ政府が多大な協力を提供してくれております。過去において、日本とオランダには困難な歴史がございました。にもかかわらず、オランダ政府が、今回このような決定をして、私の公述内容でも申し上げましたけれども、日本を全面的に支援し、日本に対する友情を示して、その地域でともにイラクの人々の人道復興を支援していこうという決定をしたわけです。
私は、オランダ政府のその決定は非常に立派であり、日本として最大の謝意を表明するべきだと思いますが、そのような決定を日本は引き出すことができたということもまた、私の公述内容で申し上げたような、日本がみずからの制約について正直であり、また毅然とした立場を保ち、かつその中で最大限の努力をして対応したいという気持ちを示し、そのようなさまざまな努力を国際社会に向けて示してきたからではないかと感じております。
ですから、具体的な個々の例を考えますと、やはり今回の場合はこの形が一番適切ではなかったかと評価できると思いますので、それ以上踏み込んで考え抜くことが、私、今現在としては難しいと感じておりますけれども、邦人の救出の問題につきましては、さまざまな御議論があることは存じております。
ただ、ここにおきまして最も根本的に重要なことは、無事にその人が救出されるという結果重視の考え方でありまして、そのために日本が国際社会の中でどういうポジショニングをしていくか、そしてどういう友情関係を各国の政府との間で取りつけていくか、その総合力をもって、ある人を本当にその場面で救出できる最も適切な能力の組み合わせを投入することができるかが決まってくると思います。ですから、国家がこの場合どうあるべきかという観点を超えて、まさに人間の安全保障の考え方から、その人を無事に救出するためのすべての総合力と国際関係を動員するためにどうするべきかという観点から考えるべきとも感じますので、邦人救出については、やや特殊な場合と感じております。
この発言だけを見る →日本が展開しているところにおきましては、オランダ政府が多大な協力を提供してくれております。過去において、日本とオランダには困難な歴史がございました。にもかかわらず、オランダ政府が、今回このような決定をして、私の公述内容でも申し上げましたけれども、日本を全面的に支援し、日本に対する友情を示して、その地域でともにイラクの人々の人道復興を支援していこうという決定をしたわけです。
私は、オランダ政府のその決定は非常に立派であり、日本として最大の謝意を表明するべきだと思いますが、そのような決定を日本は引き出すことができたということもまた、私の公述内容で申し上げたような、日本がみずからの制約について正直であり、また毅然とした立場を保ち、かつその中で最大限の努力をして対応したいという気持ちを示し、そのようなさまざまな努力を国際社会に向けて示してきたからではないかと感じております。
ですから、具体的な個々の例を考えますと、やはり今回の場合はこの形が一番適切ではなかったかと評価できると思いますので、それ以上踏み込んで考え抜くことが、私、今現在としては難しいと感じておりますけれども、邦人の救出の問題につきましては、さまざまな御議論があることは存じております。
ただ、ここにおきまして最も根本的に重要なことは、無事にその人が救出されるという結果重視の考え方でありまして、そのために日本が国際社会の中でどういうポジショニングをしていくか、そしてどういう友情関係を各国の政府との間で取りつけていくか、その総合力をもって、ある人を本当にその場面で救出できる最も適切な能力の組み合わせを投入することができるかが決まってくると思います。ですから、国家がこの場合どうあるべきかという観点を超えて、まさに人間の安全保障の考え方から、その人を無事に救出するためのすべての総合力と国際関係を動員するためにどうするべきかという観点から考えるべきとも感じますので、邦人救出については、やや特殊な場合と感じております。
保
保岡興治#15
○保岡委員 きょうの公述人の意見で、いろいろな国際貢献のやり方があって、日本はそれで現憲法下でも相当評価の高い国際貢献をしてきているという、したがって、日本の得意とする分野、日本の特殊性というか個性というものをもっと生かして、今後も自信を持って日本は対応していくべきだという意味で、私も、その点は大変きょうは貴重な御意見を伺ったと思ったんです。
ただ、まれなる場合にしても、リスクというものは常にまれなる場合のリスクテークなので、その辺の憲法の備えを、これは恐らく民主党も自民党も同じですが、国連の枠組みがあればという前提で、民主党も、国際貢献の実力行使の担保だけはきちっと持った上で、むしろ行使原理というか、行使がどういう場合に、他の国際貢献のいろいろ多様な、あるいは日本の得意とする分野との組み合わせで、世界から信頼できる対応が可能かということなどをやはり模索していかなきゃいけないんじゃないか。また日本の、アジアの周辺の安全保障についてどういう枠組みが、あるいは、それを担保する実力行使の可能性が、基礎的な安定のリスク管理の根幹的なところでの保障をするものであるかということは、やはり我々、今後、努力をしていかなかきゃならないところだとは思っておりますが、きょうは、本当にすばらしいお話を承って、ありがとうございました。
それから、川本公述人に伺います。
川本公述人は、要するに、経済的自由というものに対して政府が介入し過ぎていることは非常に日本の将来にとって大きな障害になるんじゃないか、特に経済的自由については、精神的自由と比較して、自由の制限が緩やかに甘くなっているのではないかというような御指摘をいただいたわけです。
それは我々も、決して、経済的自由の保障を甘くするというよりかは、むしろ精神的自由の方を厳格に考えていかなきゃいけない。要するに、精神的自由というのは、すべての人間活動の基本になるので、営業活動の自由、経済の自由の基礎にもなるし、民主主義の根幹にもなるので、その保障は非常に厳格にやるべきである。だからといって、経済の自由の制約を軽くするのではなくて、合理性をきちっと担保し、それを時代のニーズに合わせて最もいい形でその基準を見出していくということだろうと思うんです。
そういった意味で、川本公述人もおっしゃっているように、憲法のもとにおける経済的自由というのはおおむね保障されているということでございますが、私は、先生のお話を承っていて、実は、多くの試案にもありますが、営業の自由ないし経済的活動の自由というものを職業選択の自由や財産権の保障と並べて憲法事項にすべきだと思っておるんですが、いかがでございましょう。
この発言だけを見る →ただ、まれなる場合にしても、リスクというものは常にまれなる場合のリスクテークなので、その辺の憲法の備えを、これは恐らく民主党も自民党も同じですが、国連の枠組みがあればという前提で、民主党も、国際貢献の実力行使の担保だけはきちっと持った上で、むしろ行使原理というか、行使がどういう場合に、他の国際貢献のいろいろ多様な、あるいは日本の得意とする分野との組み合わせで、世界から信頼できる対応が可能かということなどをやはり模索していかなきゃいけないんじゃないか。また日本の、アジアの周辺の安全保障についてどういう枠組みが、あるいは、それを担保する実力行使の可能性が、基礎的な安定のリスク管理の根幹的なところでの保障をするものであるかということは、やはり我々、今後、努力をしていかなかきゃならないところだとは思っておりますが、きょうは、本当にすばらしいお話を承って、ありがとうございました。
それから、川本公述人に伺います。
川本公述人は、要するに、経済的自由というものに対して政府が介入し過ぎていることは非常に日本の将来にとって大きな障害になるんじゃないか、特に経済的自由については、精神的自由と比較して、自由の制限が緩やかに甘くなっているのではないかというような御指摘をいただいたわけです。
それは我々も、決して、経済的自由の保障を甘くするというよりかは、むしろ精神的自由の方を厳格に考えていかなきゃいけない。要するに、精神的自由というのは、すべての人間活動の基本になるので、営業活動の自由、経済の自由の基礎にもなるし、民主主義の根幹にもなるので、その保障は非常に厳格にやるべきである。だからといって、経済の自由の制約を軽くするのではなくて、合理性をきちっと担保し、それを時代のニーズに合わせて最もいい形でその基準を見出していくということだろうと思うんです。
そういった意味で、川本公述人もおっしゃっているように、憲法のもとにおける経済的自由というのはおおむね保障されているということでございますが、私は、先生のお話を承っていて、実は、多くの試案にもありますが、営業の自由ないし経済的活動の自由というものを職業選択の自由や財産権の保障と並べて憲法事項にすべきだと思っておるんですが、いかがでございましょう。
川
川本裕子#16
○川本公述人 保岡先生、ありがとうございます。
私は、公述でも申させていただきましたとおり、経済的自由に関する現在の憲法は大過なく運用されていると思いますし、それを念押しするということが大事だということでございます。
そして、具体的なことを公述では申し上げなかったわけですけれども、もし経済的自由の保障をさらにどういう形で規定できるのかというようなことを、専門家ではございませんけれども、考えてまいりますと、現行第二十二条は「何人も、公共の福祉に反しない限り、」「職業選択の自由を有する。」というふうに規定されていて、保岡先生おっしゃったように、ここで営業の自由、事業活動の自由を読み込んでいるというふうに思いますが、例えば、事業活動を営む自由を明示して追加するということなどが考えられるのではないかなというふうに思っております。
この発言だけを見る →私は、公述でも申させていただきましたとおり、経済的自由に関する現在の憲法は大過なく運用されていると思いますし、それを念押しするということが大事だということでございます。
そして、具体的なことを公述では申し上げなかったわけですけれども、もし経済的自由の保障をさらにどういう形で規定できるのかというようなことを、専門家ではございませんけれども、考えてまいりますと、現行第二十二条は「何人も、公共の福祉に反しない限り、」「職業選択の自由を有する。」というふうに規定されていて、保岡先生おっしゃったように、ここで営業の自由、事業活動の自由を読み込んでいるというふうに思いますが、例えば、事業活動を営む自由を明示して追加するということなどが考えられるのではないかなというふうに思っております。
保
保岡興治#17
○保岡委員 経済的自由の活動というものと福祉国家との関係を少し述べられました。大きい政府というか、余りにも福祉政策を進めることは経済活動の自由の大きな制約になるんじゃないかというようなお話でしたが、例えば、読売の今度の提言で、あるべき国家の姿として、日本国民は、個人の自律と相互の協力の精神のもとに、基本的人権を尊重し、国民の福祉を増進することにより、自由で活力があり、かつ公正な社会を目指す、こういう前文の新しい提言があるんですね。この中にある、自由で活力があり、公正な社会を目指すという点は、まさに川本公述人が言われたことを書いておりますけれども、その前にあります、国民の福祉を増進することによりというまくら言葉がついているわけですね。その前には個人の自律と相互の協力というのもあります。こういう自由で活力、公正な社会、福祉の増進、この関係について、この前文をお聞きになってどういうふうに印象を持たれるか、ちょっと聞きたいと思います。
この発言だけを見る →川
川本裕子#18
○川本公述人 印象論でございますけれども、福祉のところが若干過大解釈されていかないかなというのが懸念されるところであります。
今の御質問は、多分、私の公述に対しまして、経済的自由主義が行き過ぎると経済が不安定化するのではないかという御質問に通じているというふうに思いますのですけれども、よく市場の失敗というふうに言われますけれども、最近むしろ関心が高まっているのは政府の失敗だというふうに思います。現実には、現代社会では完全なレッセフェールというのはあり得ませんので、社会保障制度も国民生活のために必要だというのが私の立場でございますけれども、これまでの日本や世界の経験に照らせば、安易に経済への政府介入を容認するのは非常に危険だということを私は申し上げたいというふうに思います。
この発言だけを見る →今の御質問は、多分、私の公述に対しまして、経済的自由主義が行き過ぎると経済が不安定化するのではないかという御質問に通じているというふうに思いますのですけれども、よく市場の失敗というふうに言われますけれども、最近むしろ関心が高まっているのは政府の失敗だというふうに思います。現実には、現代社会では完全なレッセフェールというのはあり得ませんので、社会保障制度も国民生活のために必要だというのが私の立場でございますけれども、これまでの日本や世界の経験に照らせば、安易に経済への政府介入を容認するのは非常に危険だということを私は申し上げたいというふうに思います。
保
保岡興治#19
○保岡委員 私も、国民の福祉を増進することによって自由と活力、公正な社会を目指すというか、むしろ自由で活力のある公正な社会を目指して、その結果として福祉の増進を図る、逆にした方がまだいいのかなと公述人のお話を聞いて思ったりしたものですから、伺ったわけでございます。
それともう一つは、憲法で財政規律について余り明快な規制をしない方がいいだろう、こういう御趣旨のお話をされました。中には、余りにも多い、巨額な政府の債務、これを何とかしなきゃならないという思いもあると思うんですが、健全財政、あるいはその維持運営、こういった面について努力規定を憲法に置いたらどうかという意見もあるんですが、もちろん先生が言われるように財政均衡という、短期間の財政均衡みたいなものを憲法に書くところは、おっしゃったアメリカの州の議会の憲法以外余り見当たらない。かなりスパンのある中での財政均衡というものを求めるイタリア憲法の例などはあるんですが。そういった健全財政条項というものについて憲法に設けるという考え方は、公述人はどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →それともう一つは、憲法で財政規律について余り明快な規制をしない方がいいだろう、こういう御趣旨のお話をされました。中には、余りにも多い、巨額な政府の債務、これを何とかしなきゃならないという思いもあると思うんですが、健全財政、あるいはその維持運営、こういった面について努力規定を憲法に置いたらどうかという意見もあるんですが、もちろん先生が言われるように財政均衡という、短期間の財政均衡みたいなものを憲法に書くところは、おっしゃったアメリカの州の議会の憲法以外余り見当たらない。かなりスパンのある中での財政均衡というものを求めるイタリア憲法の例などはあるんですが。そういった健全財政条項というものについて憲法に設けるという考え方は、公述人はどのようにお考えでしょうか。
川
川本裕子#20
○川本公述人 私は、財政均衡義務を規定するということには反対だというふうに申し上げまして、ただ、今のように、健全化を目指すために憲法を規定するということについては、そういうような方向性が考えられてもいいのかなというふうに思いますけれども、やはり、経済運営というのは憲法に対して期待するものではなくて、個々の立法で担保していく話だというふうに思っております。ですので、公述でも申し上げましたように、財政赤字を出さないという観点ではなくて、財政赤字を隠さないで国民に開示するという方を強化していくことで担保すべきなのではないかなというふうに思っております。
この発言だけを見る →保
保岡興治#21
○保岡委員 そこで、憲法に知る権利、国の行政情報の開示請求権というものを規定したらどうかという意見があって、そういう試案もたくさん出ているんです。
この点について、私は、民主政治を行う上で、あるいは、行政を国民が自分のものにしていくためにも、情報開示というのは決定的に重要で、こういう条項は必要だと思うんですが、川本公述人は、財政について、特に開示の制度を憲法上設けるとかいうことについて御関心や何か御意見はあるでしょうか。
この発言だけを見る →この点について、私は、民主政治を行う上で、あるいは、行政を国民が自分のものにしていくためにも、情報開示というのは決定的に重要で、こういう条項は必要だと思うんですが、川本公述人は、財政について、特に開示の制度を憲法上設けるとかいうことについて御関心や何か御意見はあるでしょうか。
川
川本裕子#22
○川本公述人 やはり、政府活動に関する情報公開の中でも、特に財政のところは、第九十一条で「財政状況の報告」というのが決められているというふうに思います。ここのところを抜本的に強化するというのは一つの方向性としてあると思いまして、方向としては、報告の対象を明示するということなのかなというふうに思いまして、例えば、将来財政負担が生じる可能性のある政府活動については、政府が有する情報をわかりやすい形で国民に毎年公表を義務づけるというようなことが考えられると思いますし、また、そうした情報内容を国会承認の対象としたり、会計検査院がそこまで監査することを定めるということも考えられるのではないかなというふうに思います。
この発言だけを見る →保
保岡興治#23
○保岡委員 まことに正鵠を得た御意見だと思います。ぜひこの点は我々十分検討して、答えを求めていきたいと思います。
もう一つ、ちょっとお伺いしたいんですが、日本の競争力、日本の将来の活力を求めていくためには、知的財産ですね、人間の思考の集積あるいは結果を権利として保護し、管理し、これを活用していく、こういう見えないものは権利できちっと保障して、これが管理でき、活用できるようなシステム、制度をつくっていかなきゃいけない。知的財産のあらゆる整備というのは今非常に日本の国家戦略として必要だと思うんです。
もし、川本参考人、この点について、前からちょっと御関心もあるように聞いていたんですが、御意見を承れれば、これについての憲法的な条項の必要性などについて言及していただければありがたいと思います。
この発言だけを見る →もう一つ、ちょっとお伺いしたいんですが、日本の競争力、日本の将来の活力を求めていくためには、知的財産ですね、人間の思考の集積あるいは結果を権利として保護し、管理し、これを活用していく、こういう見えないものは権利できちっと保障して、これが管理でき、活用できるようなシステム、制度をつくっていかなきゃいけない。知的財産のあらゆる整備というのは今非常に日本の国家戦略として必要だと思うんです。
もし、川本参考人、この点について、前からちょっと御関心もあるように聞いていたんですが、御意見を承れれば、これについての憲法的な条項の必要性などについて言及していただければありがたいと思います。
川
川本裕子#24
○川本公述人 私の立場といたしましては、根本的には、経済政策のあり方については憲法でもっと事細かに規定せよという主張をするつもりはないんですけれども、ただ、保岡先生おっしゃったように、知的財産権制度を適切に運用するということは技術立国にとっては大変大事なことだというふうに思いますので、憲法できちんと位置づけることには意義があるというふうに思っております。米国憲法にも、連邦政府の仕事として明示されている規定があるというふうに存じ上げておりますし、ただ、財産権の具体的な内容を決めるのは個別の法律による立法政策の問題であるというふうに思っております。
この発言だけを見る →保
保岡興治#25
○保岡委員 この点については、先日のことですのでよく覚えているわけですが、読売の今度の新しい提言に「国は、知的創造力を高め、活力ある社会を実現するため、知的財産及びその保護に関する制度の整備に努めなければならない。」という項目を提言しています。こういった関係の試案もこれから出てくると思いますので、我々もそれを受けとめて、憲法にあらわすべきものか、あらわすとすればどういうふうにすべきかをよく検討してまいりたいと思います。
それから、もう時間がないので、先ほど川本公述人がお述べいただいた財政の情報の開示の問題ですが、確かに我々も、将来負担を生ずるもの、これについては、特別に、政府はやはり項目別に開示すべきだと思うんですね。そのことによって、現在負担、将来負担ということをきちっと、連結財務諸表みたいなことをおっしゃいましたが、そういう仕組みがあれば、政策決定者も、極端に言えば総理も、一体今の国民にどれだけ負担をかけ、将来の国民にどれだけの負担をかけるか、そういった基準がはっきりしてくるということなど、そして、どういうことからそういう負担が生じているかということがはっきりしているということは、非常に政策決定をする側からも、それに対して意見を述べて、その論議を深めて、国民のためにいい健全財政をつくっていくためにもぜひ必要だなと思っておりますので、そういうことも御提案の趣旨に沿って考えていきたい。
また、検査院の制度のあり方についても、国民の側から何か請求して、いろいろこういうことを検査してほしいというような仕組みが必要なのかとか、そういった財政法の改正で、そういう国民側から要求する権利みたいなものが必要なのかということも総合的に考えた上で、憲法事項を整理してまいりたいと思います。
それから、一票の重みについていろいろお話がございましたが、この点についても、いろいろ最高裁も、衆議院は三倍以内、参議院が六倍以内というようなことを言っておるのでございますが、これはなかなか大変な政治問題でもあります。
これは、私は、確かに川本公述人が言われるように、やっぱり政策決定の平等という意味で、その正確さを得るためには基本的な、根幹的なことだと思います。ですから、これが憲法事項としてどういう形であらわす可能性があるのか、どういう制約を頭に置かなきゃいけないのかなどをよく検討して、やっぱりこれも憲法の基本的なテーマとして取り組んでいきたいということを申し上げておきたいと思います。
それから、井ノ川公述人にお伺いいたします。
参議院のあり方について、いろいろと御意見がありました。参議院の見直しが、やはり衆議院と参議院とは役割をすみ分けた方がいいよというお話がございまして、一番国政上重要な予算と決算、これはもういずれも重要であることに変わりありませんが、それをお互いに権限を分掌したらどうかということや、それから司法のこととか地方の意思の反映ということ、こういったものを、政府からちょっと距離を置いた方がいい、司法のチェックや司法の国民的な関与のあり方を参議院を通じて制度設計していくというようなことは非常に貴重な御意見だと思いまして伺いました。
これは、私も、今のような、法律の成立が同じような権限になっていて、確かに、参議院が否決した場合に、衆議院で三分の二の多数で、特別多数で衆議院だけで法律も成立させられないことはないんですけれども、でも、これは、参議院で否決されるような状況で衆議院で三分の二の多数を持っているという、先ほど御指摘のあった、参議院も政党化している現状ではそういうことは考えられないので、重要法案を否決するというやり方で参議院も政権に対して決定的な権限を持っているという意味でも、全く両院は同じような機能を二度にわたって繰り返しているという印象を国民から強く持たれている。今のこういう時代に、スピードと的確な政治決定をどんどんやっていかなきゃならぬ、激動期である、変化が早い、こういうときには、やっぱり院のあり方についても、国会のあり方についても、公述人の御指摘のような観点を踏まえて見直していかなければならない。
我々の党の調査会での意見も、今のままでいいという人は一人もいないんです。二院制を認めるとすれば、参議院のあり方を、構成も含めて、役割も含めて、抜本的に見直すということでございます。
そこで、私は思うんですが、参議院の役割を変えていくという意味で、公述人の御意見を踏まえて考えれば、参議院の構成は、将来の道州制からの代表、あるいは、それが今の都道府県を基礎に選ぶものなのか、道州議会で代表を選んでくるものなのか、どういう形で選ぶのかということもあろうと思いますが、いずれにしても、道州の代表。
それから、中長期のやはり基本的な問題、こういった観点から、一院をいろいろやっていることについて審議したり将来に提言したりする。そういうためには、やっぱり行政、司法、国会のベテランの中から何らかの形で代表を参議院に送り込むというようなことも工夫される、あるいは衆議院をおやめになったような方の中から選んで、あるいはその他有識者の中から選んで参議院に推薦で入っていただくというようなやり方もあると思うんですね。
そういった意味で、今後、公述人の御意見を参考に、新しい参議院のあり方、二院制のあり方を求めてまいりたい。場合によっては、おっしゃるように一院制もこれも検討の値打ちが十分あるかもしれない。その辺は検討を排除するわけではありませんし、一院制の可能性についてもまた検討していきたいと思いますが、加えて、何か私の今申し上げたことについて御意見があったらお聞かせください。
この発言だけを見る →それから、もう時間がないので、先ほど川本公述人がお述べいただいた財政の情報の開示の問題ですが、確かに我々も、将来負担を生ずるもの、これについては、特別に、政府はやはり項目別に開示すべきだと思うんですね。そのことによって、現在負担、将来負担ということをきちっと、連結財務諸表みたいなことをおっしゃいましたが、そういう仕組みがあれば、政策決定者も、極端に言えば総理も、一体今の国民にどれだけ負担をかけ、将来の国民にどれだけの負担をかけるか、そういった基準がはっきりしてくるということなど、そして、どういうことからそういう負担が生じているかということがはっきりしているということは、非常に政策決定をする側からも、それに対して意見を述べて、その論議を深めて、国民のためにいい健全財政をつくっていくためにもぜひ必要だなと思っておりますので、そういうことも御提案の趣旨に沿って考えていきたい。
また、検査院の制度のあり方についても、国民の側から何か請求して、いろいろこういうことを検査してほしいというような仕組みが必要なのかとか、そういった財政法の改正で、そういう国民側から要求する権利みたいなものが必要なのかということも総合的に考えた上で、憲法事項を整理してまいりたいと思います。
それから、一票の重みについていろいろお話がございましたが、この点についても、いろいろ最高裁も、衆議院は三倍以内、参議院が六倍以内というようなことを言っておるのでございますが、これはなかなか大変な政治問題でもあります。
これは、私は、確かに川本公述人が言われるように、やっぱり政策決定の平等という意味で、その正確さを得るためには基本的な、根幹的なことだと思います。ですから、これが憲法事項としてどういう形であらわす可能性があるのか、どういう制約を頭に置かなきゃいけないのかなどをよく検討して、やっぱりこれも憲法の基本的なテーマとして取り組んでいきたいということを申し上げておきたいと思います。
それから、井ノ川公述人にお伺いいたします。
参議院のあり方について、いろいろと御意見がありました。参議院の見直しが、やはり衆議院と参議院とは役割をすみ分けた方がいいよというお話がございまして、一番国政上重要な予算と決算、これはもういずれも重要であることに変わりありませんが、それをお互いに権限を分掌したらどうかということや、それから司法のこととか地方の意思の反映ということ、こういったものを、政府からちょっと距離を置いた方がいい、司法のチェックや司法の国民的な関与のあり方を参議院を通じて制度設計していくというようなことは非常に貴重な御意見だと思いまして伺いました。
これは、私も、今のような、法律の成立が同じような権限になっていて、確かに、参議院が否決した場合に、衆議院で三分の二の多数で、特別多数で衆議院だけで法律も成立させられないことはないんですけれども、でも、これは、参議院で否決されるような状況で衆議院で三分の二の多数を持っているという、先ほど御指摘のあった、参議院も政党化している現状ではそういうことは考えられないので、重要法案を否決するというやり方で参議院も政権に対して決定的な権限を持っているという意味でも、全く両院は同じような機能を二度にわたって繰り返しているという印象を国民から強く持たれている。今のこういう時代に、スピードと的確な政治決定をどんどんやっていかなきゃならぬ、激動期である、変化が早い、こういうときには、やっぱり院のあり方についても、国会のあり方についても、公述人の御指摘のような観点を踏まえて見直していかなければならない。
我々の党の調査会での意見も、今のままでいいという人は一人もいないんです。二院制を認めるとすれば、参議院のあり方を、構成も含めて、役割も含めて、抜本的に見直すということでございます。
そこで、私は思うんですが、参議院の役割を変えていくという意味で、公述人の御意見を踏まえて考えれば、参議院の構成は、将来の道州制からの代表、あるいは、それが今の都道府県を基礎に選ぶものなのか、道州議会で代表を選んでくるものなのか、どういう形で選ぶのかということもあろうと思いますが、いずれにしても、道州の代表。
それから、中長期のやはり基本的な問題、こういった観点から、一院をいろいろやっていることについて審議したり将来に提言したりする。そういうためには、やっぱり行政、司法、国会のベテランの中から何らかの形で代表を参議院に送り込むというようなことも工夫される、あるいは衆議院をおやめになったような方の中から選んで、あるいはその他有識者の中から選んで参議院に推薦で入っていただくというようなやり方もあると思うんですね。
そういった意味で、今後、公述人の御意見を参考に、新しい参議院のあり方、二院制のあり方を求めてまいりたい。場合によっては、おっしゃるように一院制もこれも検討の値打ちが十分あるかもしれない。その辺は検討を排除するわけではありませんし、一院制の可能性についてもまた検討していきたいと思いますが、加えて、何か私の今申し上げたことについて御意見があったらお聞かせください。
井
井ノ川金三#26
○井ノ川公述人 貴重な意見をありがとうございます。
参議院をつくるとき、創案者は、日本の場合は何か参議院型というふうな、イギリスは先ほど言いましたように貴族院型で、各国によって特色がありまして、あれを持っているんですけれども、日本の場合は、何かはっきりしたこと、先ほど申しましたように参議院型というのを想定していたように思うんですけれども、それがいろいろ変わりまして、補助的地位は果たしたと思うんですよ。緊急集会は何か二回ぐらいやったと思うんですけれども。それはいいんですけれども、抑制的機能を果たさない。これでは何の意味もないというふうな形で、参議院が政党勢力となり、ちっとも衆議院と変わらなくなったというふうな経緯があると思うんですよ。
道州制の問題、道州型は、これは私としては、そういうドラスチックなものをある程度考えた方がよいのではないか。県はドイツの連邦参議院とは大分違いますけれども、違いますけれども、都道府県は明治以来、中央集権国家の出先みたいなものですよ。それはそれなりで戦後の役割は果たしたと思うんですよ。ですが、ここは詰まっているわけですよ。今度は、もう今の形じゃ余りにも小さい、経済のあれにもちっとも見合っていない。ここでは、やはり地方の行為というものを直接政治に反映させるということは必要なので、先生おっしゃっているように、道州型などができれば、私の希望としては、ありがたいんじゃないか、こういうふうに、これは答弁として十分ではないかもしれませんけれども、よろしくお願いします。
この発言だけを見る →参議院をつくるとき、創案者は、日本の場合は何か参議院型というふうな、イギリスは先ほど言いましたように貴族院型で、各国によって特色がありまして、あれを持っているんですけれども、日本の場合は、何かはっきりしたこと、先ほど申しましたように参議院型というのを想定していたように思うんですけれども、それがいろいろ変わりまして、補助的地位は果たしたと思うんですよ。緊急集会は何か二回ぐらいやったと思うんですけれども。それはいいんですけれども、抑制的機能を果たさない。これでは何の意味もないというふうな形で、参議院が政党勢力となり、ちっとも衆議院と変わらなくなったというふうな経緯があると思うんですよ。
道州制の問題、道州型は、これは私としては、そういうドラスチックなものをある程度考えた方がよいのではないか。県はドイツの連邦参議院とは大分違いますけれども、違いますけれども、都道府県は明治以来、中央集権国家の出先みたいなものですよ。それはそれなりで戦後の役割は果たしたと思うんですよ。ですが、ここは詰まっているわけですよ。今度は、もう今の形じゃ余りにも小さい、経済のあれにもちっとも見合っていない。ここでは、やはり地方の行為というものを直接政治に反映させるということは必要なので、先生おっしゃっているように、道州型などができれば、私の希望としては、ありがたいんじゃないか、こういうふうに、これは答弁として十分ではないかもしれませんけれども、よろしくお願いします。
保
保岡興治#27
○保岡委員 いずれにしても、新しい時代の統治システムとして、内閣のあり方、議院内閣制、それとの関係で、言論の府のあり方、先ほど、司法に関係する部分については参議院との関係においていろいろ制度設計すべきものがあるんじゃないか、そういう意味では憲法裁判所がもし設置されるとすればそれとの関係も出てくるというようなことで、きょうの公述人にお述べいただいた一院制の検討あるいは二院制の見直し、その中でいろいろ貴重な御意見を伺いましたが、それを参考に、我々、新しい憲法での統治のあり方についてできるだけ合意を得るようにみんなで努力してまいりたいと思います。きょうは、本当に貴重な御意見、井ノ川公述人、ありがとうございました。
もう時間でございますので、私の質疑はこれで終えたいと思いますが、御三人、それぞれ本当に貴重な御意見、ありがとうございました。心からお礼申し上げまして、質疑を終わります。
この発言だけを見る →もう時間でございますので、私の質疑はこれで終えたいと思いますが、御三人、それぞれ本当に貴重な御意見、ありがとうございました。心からお礼申し上げまして、質疑を終わります。
中
大
大出彰#29
○大出委員 民主党の大出彰でございます。
きょうは、公述人の皆さん、大変ありがとうございます。
最初に井ノ川参考人の方から質問させていただきたいと思いますが、二院制の大変悩ましい問題のところを意見としてあらわしていただきまして、私も興味があるものですから、まず最初に、時間がなくならないうちにと思いまして、質問をさせていただきます。
それと同時に、年の功と申しますか、私たちよりも大先輩である井ノ川さんが、衆議院の方はなかなか参議院の問題、二院制の問題を言いにくいんだ、こう書かれておりますが、そういうところは確かにございまして、しかし、逆に参議院の場合には、この問題を扱うと一院論にされちゃうんじゃないかとか、そういう思いがありまして、なかなか議論にならないというのも現実だったんですね。ですが、私個人は、そう言いながらも本当のところはどうかなと思ったときに、二院制というのはやはりこれは必要かなというふうに思っているんですね。
よく言われるのは、二院制をやゆした形で、もしほかの院が前の院と同じ結論を出すならばむだである、もしほかの院が前の院と違った結論が出るのならこれは有害である、だから二院制をやめろ、こういう話がよくあるわけなんですが、格言としてございますが、やはり、その国々で、制度が、運用の仕方によって、あるいはその国の土壌によって本来考えたものと変わってくるんだとすれば、直していくということが必要なんではないかと思っているわけなんです。
そこで、二院制の話をする前に、憲法の四十一条に、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」こうなっているんですね。その後に二院制の話が出てくるわけですが。私たちの党もこの問題の検討、つまりは、民主党の憲法調査会報告というのが実はありまして、二〇〇二年の七月二十九日に一応出して、余り知られていないかもしれませんし、外に出していないかもしれませんが、その中で、実は、最高機関性というところについて、私が担当いたしまして書いたもので、一番最初に、まず最高機関性の定義の検討ということをやったんですね。それから参議院の制度をどうかということに入っていく、こういうことだったんですね。
そこで、何を言わんとするかというと、「国権の最高機関」、こうなっているんですが、実際、その解釈の中では、いや、これは本当の意味の最高機関ではないということで、政治的美称説だとかいろいろあるわけですが、これを実態に合わせて解釈していくとどういうふうなことになるのかというところで、ちょっと読んでみます。
「従来、国会が国政の基本方針を決定し、内閣がそれを執行するという、国会こそが政治の中心であるべきとの考えが、「議会制民主主義」の正しいあり方と解されてきた。」今まではですね。「しかし、このような理解では、現代社会において、内閣、特にその首長である総理大臣が、政治の推進役となって政策を提案し、議会の同意を得て、それを実行に移していくという政治プロセスを的確に捉えることができない。 したがって、現代社会における政治の中心は、批判・同意機関であり、迅速に行動する能力を持たない国会ではなく、様々な情報に接し、また、その情報の下に国政が必要とする政策を集約しうる立場にあり、さらに、現代社会において必要とされる統一的で一貫した指針の下に迅速に行動する能力を持つ内閣と捉えるべきである。」と現実に即したとらえ方をして、それに対して、国会の役割については二つの重要な役割があると考えるわけですね。
その一つは何かというと、内閣を重視しましたから、そうなってきますと、それに対するコントロールする機関であるというのが一つ。一つの機能としては、政策決定を強力に国会がコントロールするんだということと、もう一つは、ちょっと読んでみますが、「現代社会では、国民が国会を通じて国政をコントロールする前提として、国民に対して様々な政策についての争点が提示されていることが必要になる。」そこで、審議を通じて国民に論点を提示していくという国会の争点の提供機能、これはアリーナ機能とか言っておりますが、争点の提供機能という、コントロールと争点の提供機能というこの二つが、現代の国会はそういう機能が現実になっていて、そうすべきなんだという、そういう解釈で国会を考えたわけですね。
その後、それを前提にしまして二院制を考えたときに、公述人もおっしゃっているように、まさに、予算は衆議院が、決算は参議院がと、そういう提案も我が党もしているわけなんです。そういう機能のやり方をしておりまして、例えば、現行の参議院の役割を大胆に見直し、例えば、参議院議員の大臣指名制を廃止したりとか、あるいは、ここも同じなんですが、衆議院における予算審議と参議院の決算審議などの役割分担、これがまさに公述人がおっしゃるところなんですが、私どももそれを考えておりまして、さらに、いろいろな問題がある、衆議院と類似している選挙制度の問題もありますが、最終的には、地域代表を中心とするような考え方を盛り込んだり、専門性を加味したような選任方法というようなことを提案として出しているわけなんです。
そこで、参考人の場合に、予算審議と決算審査を分けるところはわかるんですが、裁判機能の権限についての、参議院に指名権をゆだねるという点について御説明をいただけますか。
〔会長退席、仙谷会長代理着席〕
この発言だけを見る →きょうは、公述人の皆さん、大変ありがとうございます。
最初に井ノ川参考人の方から質問させていただきたいと思いますが、二院制の大変悩ましい問題のところを意見としてあらわしていただきまして、私も興味があるものですから、まず最初に、時間がなくならないうちにと思いまして、質問をさせていただきます。
それと同時に、年の功と申しますか、私たちよりも大先輩である井ノ川さんが、衆議院の方はなかなか参議院の問題、二院制の問題を言いにくいんだ、こう書かれておりますが、そういうところは確かにございまして、しかし、逆に参議院の場合には、この問題を扱うと一院論にされちゃうんじゃないかとか、そういう思いがありまして、なかなか議論にならないというのも現実だったんですね。ですが、私個人は、そう言いながらも本当のところはどうかなと思ったときに、二院制というのはやはりこれは必要かなというふうに思っているんですね。
よく言われるのは、二院制をやゆした形で、もしほかの院が前の院と同じ結論を出すならばむだである、もしほかの院が前の院と違った結論が出るのならこれは有害である、だから二院制をやめろ、こういう話がよくあるわけなんですが、格言としてございますが、やはり、その国々で、制度が、運用の仕方によって、あるいはその国の土壌によって本来考えたものと変わってくるんだとすれば、直していくということが必要なんではないかと思っているわけなんです。
そこで、二院制の話をする前に、憲法の四十一条に、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」こうなっているんですね。その後に二院制の話が出てくるわけですが。私たちの党もこの問題の検討、つまりは、民主党の憲法調査会報告というのが実はありまして、二〇〇二年の七月二十九日に一応出して、余り知られていないかもしれませんし、外に出していないかもしれませんが、その中で、実は、最高機関性というところについて、私が担当いたしまして書いたもので、一番最初に、まず最高機関性の定義の検討ということをやったんですね。それから参議院の制度をどうかということに入っていく、こういうことだったんですね。
そこで、何を言わんとするかというと、「国権の最高機関」、こうなっているんですが、実際、その解釈の中では、いや、これは本当の意味の最高機関ではないということで、政治的美称説だとかいろいろあるわけですが、これを実態に合わせて解釈していくとどういうふうなことになるのかというところで、ちょっと読んでみます。
「従来、国会が国政の基本方針を決定し、内閣がそれを執行するという、国会こそが政治の中心であるべきとの考えが、「議会制民主主義」の正しいあり方と解されてきた。」今まではですね。「しかし、このような理解では、現代社会において、内閣、特にその首長である総理大臣が、政治の推進役となって政策を提案し、議会の同意を得て、それを実行に移していくという政治プロセスを的確に捉えることができない。 したがって、現代社会における政治の中心は、批判・同意機関であり、迅速に行動する能力を持たない国会ではなく、様々な情報に接し、また、その情報の下に国政が必要とする政策を集約しうる立場にあり、さらに、現代社会において必要とされる統一的で一貫した指針の下に迅速に行動する能力を持つ内閣と捉えるべきである。」と現実に即したとらえ方をして、それに対して、国会の役割については二つの重要な役割があると考えるわけですね。
その一つは何かというと、内閣を重視しましたから、そうなってきますと、それに対するコントロールする機関であるというのが一つ。一つの機能としては、政策決定を強力に国会がコントロールするんだということと、もう一つは、ちょっと読んでみますが、「現代社会では、国民が国会を通じて国政をコントロールする前提として、国民に対して様々な政策についての争点が提示されていることが必要になる。」そこで、審議を通じて国民に論点を提示していくという国会の争点の提供機能、これはアリーナ機能とか言っておりますが、争点の提供機能という、コントロールと争点の提供機能というこの二つが、現代の国会はそういう機能が現実になっていて、そうすべきなんだという、そういう解釈で国会を考えたわけですね。
その後、それを前提にしまして二院制を考えたときに、公述人もおっしゃっているように、まさに、予算は衆議院が、決算は参議院がと、そういう提案も我が党もしているわけなんです。そういう機能のやり方をしておりまして、例えば、現行の参議院の役割を大胆に見直し、例えば、参議院議員の大臣指名制を廃止したりとか、あるいは、ここも同じなんですが、衆議院における予算審議と参議院の決算審議などの役割分担、これがまさに公述人がおっしゃるところなんですが、私どももそれを考えておりまして、さらに、いろいろな問題がある、衆議院と類似している選挙制度の問題もありますが、最終的には、地域代表を中心とするような考え方を盛り込んだり、専門性を加味したような選任方法というようなことを提案として出しているわけなんです。
そこで、参考人の場合に、予算審議と決算審査を分けるところはわかるんですが、裁判機能の権限についての、参議院に指名権をゆだねるという点について御説明をいただけますか。
〔会長退席、仙谷会長代理着席〕