吉田健一の発言 (憲法調査会公聴会)
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○吉田公述人 弁護士をしております吉田健一と申します。
私は、今議論されています憲法の括弧つき改正に反対する立場から、憲法の平和主義を中心に意見を述べさせていただきます。その都度括弧つきとは言いませんけれども、憲法改正と言うときは私は括弧つきということで表示しているつもりですので、そのようにお聞きいただければと思います。
まずお話ししたいのは、第一に、憲法九条に違反するイラクに対する自衛隊の海外派兵の問題であります。
今、憲法改正について考えるときに、イラクの問題を抜きにはできません。武装した自衛隊がイラクにまで派遣されている、この現実は、憲法そのものが守られていないというふうに言わなければならないと思います。
イラクは今米英軍の占領下にありますが、これはアメリカによる違法な攻撃に基づくものです。国連憲章は、他国から武力攻撃を受けたとき、または国連の決議がある場合を除けば、武力行使を禁じるという立場を明らかにしています。ところが、ブッシュ大統領は、大量破壊兵器を口実に先制攻撃に踏み切りました。自衛権の行使に基づいてできるなどとしていますけれども、武力攻撃を受けていないアメリカが、自衛権の行使としてイラクを攻撃できるわけはありません。明らかに侵略戦争であります。国連憲章違反であります。
しかも、大量破壊兵器が見つからなかったばかりか、ブッシュ大統領が戦争の終結を宣言した昨年の五月以降もイラクで戦闘が続いています。特に、ことしの四月にはアメリカ軍がファルージャを包囲して攻撃しました。六百人以上の市民が殺されるという悲惨な事態が起こっています。
他方では、収容したイラク人に対するアメリカ兵の虐待行為まで明らかにされています。その映像は、今や世界じゅうにインターネットやマスコミから伝えられているのです。人間性を踏みにじる現実、到底許しがたいことであります。しかし、残念ながら、それが戦争の現実なのであります。
そもそも、小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持すること自体、こういう意味で、国連憲章を無視するものと言わなければなりません。確立された国際法規を誠実に遵守すべきとする憲法九十八条二項を無視するものであります。ましてや、違法な戦争を進めてきたアメリカに協力し、自衛隊をイラクに派兵するなどということが現憲法のもとで認められないことは明らかであります。
まず、自衛隊は、このようなアメリカの占領支配の一環としてイラクで活動していることになるのであります。占領行為は憲法九条二項で禁止された交戦権の行使に当たるということが通説の解釈であります。
また、イラクは戦争状態にあり、その全土が戦闘地域であるということは米軍自身が認めているところであります。ここで自衛隊は、戦闘行為を展開している米英軍の物資の輸送、とりわけ武器を持ったアメリカ兵の輸送まで行っているのではありませんか。憲法で禁止された武力行使にも該当する違憲行為と言わなければなりません。
私たち弁護士すべてが所属しています日本弁護士連合会では、ことし二月三日、国際紛争を解決するための武力行使及び他国領土における武力行使を禁じた日本国憲法に違反するおそれが極めて大きいことを指摘しています。そして、自衛隊のイラク派兵に反対する理事会決議を上げております。
そこで、第二に、平和主義そのものをこのように変質させる改憲の危険性、問題点を明らかにしたいと思います。
今指摘しましたような憲法を無視した自衛隊の海外派兵が行われているもとで、アメリカは、日本に対して集団的自衛権の行使を求めています。この集団的自衛権を行使するために憲法九条の改正が必要だという議論がされていることは、極めてゆゆしきことであると思います。
例えば、読売新聞から発表されている改憲試案では、個別自衛権だけでなく集団的自衛権も行使し得る、そういうふうにして、また、国際平和協力活動も行うというふうにされています。集団的自衛権を認めることによって、アメリカとの共同行動には法律上の制約はなくなるという説明がされています。
さらに、昨年三月二十日に行われたアメリカ軍のイラク攻撃についても、自衛隊も国際平和協力活動として、当初からアメリカ軍と行動をともにしたイギリス軍と同様の行動をとり得るというふうに説明されているのです。数千人から一万人以上とも言われるイラクの人たちを死に追いやっている、それがアメリカ軍の先制攻撃であります。自衛隊にそれも一緒にできる、そういうことを可能にする憲法になるということになってしまったら、それはもはや平和憲法とは到底言い得ない、そういうことになるのではないでしょうか。
そもそも、自衛隊の海外派兵が憲法違反ではないかという疑問に対して、政府は、PKOへの参加、それも武力紛争が終結して停戦合意が成立している安全な地域だ、武器の使用も極めて限定するなど、いわゆる五原則を厳格に遵守するという前提を強調しました。そして、憲法に違反しないということを説明してきたのであります。
それが、二〇〇一年のアフガンでの戦争については、現に戦闘行為を行っている米軍などへの支援、燃料その他物資の補給、輸送、こういうことまで行いました。戦闘行為が続いているイラクでは、先ほど述べましたように、武装したアメリカ兵の輸送まで行っているわけであります。
合憲性を主張するためにみずから行った説明すら投げ捨てていく、場当たり的な説明に終始してきたと言われればそれまでなんですけれども、これでは、憲法に基づく政治が行われているとは到底言えないのではないのでしょうか。つまり、立憲政治の基本が無視されていると言わざるを得ないわけであります。
このように、憲法に従った政治が行われていないもとで憲法を改正すれば、それが本当に正されるのでしょうか、否であります。戦争のできる憲法となってしまった、そういうもとで、海外への戦争参加や武力行使をますます広く容認する、そういう危うさを感じざるを得ません。
それが先ほどの国際平和協力のためという言葉によってなされる場合でも、アメリカ軍の軍事行動に対して自衛隊が協力するという形をとれば、同様の問題が起こります。そのことは、先ほど指摘しました読売の改憲試案について説明されている、そのことからも明らかであります。
いずれにしても、戦争への道を進むことになる憲法の改正、改憲は認めるわけにはいかないのであります。
第三は、憲法の平和主義が危うくなれば、人権保障も危うくなるということを強く指摘したいと思います。
憲法の平和主義は、戦争を行わないということとあわせて、平和のもとでこそ人権も保障される、民主主義、地方自治も保障されるという関連性があります。過去に日本はアジアの人たちに多大な犠牲を強いる侵略戦争を進めてきました。その当時は旧憲法です。つまり、大日本帝国憲法のもとで、表現の自由も知る権利も否定されました。そこで命が奪われ、もちろん、働く権利や財産権まで戦争のために奪われた経験があります。しかし、平和憲法の制定とあわせて、そのときに使われた国家総動員法や軍機保護法など、戦争するためにつくった法律などがすべて否定されてきました。土地収用法も改正され、軍事や国防の目的によって土地を強制収用できるという規定も削除されたのであります。
ところが、その後、日本はアメリカ軍に基地を提供し、基地公害などが多発しました。その基地公害によって住民の権利が侵害されてきましたが、政府はその事態を放置してきたのであります。被害を受ける国民に受忍を強いる、そういう態度をとってきたのであります。特に、沖縄の人々は、アメリカの施政権のもとで米軍の銃剣とブルドーザー、それによって土地を取り上げられました。米軍基地にされた土地については、沖縄が本土復帰をした後にも政府やアメリカ軍は強制使用を続けてきたのであります。
しかも、一九九六年には、日本政府は、契約期限が切れた反戦地主の土地を不法に使用し続ける不法占拠の違法行為まで行ったのであります。そして、使用権原を取得できず違法使用の状態が続くということに対して、これを暫定使用などと後で合法化する立法までしたのであります。このように地主の権利を無視して米軍用地の提供を最優先させてきた事実があります。
また、昼夜を分かたぬ、すさまじい基地騒音に対しても、基地周辺住民は我慢を強いられ続けてきました。沖縄だけではありません。横田基地や厚木基地、こういった東京周辺の基地についても同様であります。せめて夜は静かに眠らせてほしいと裁判に立ち上がった住民に対して、政府はここでも米軍の活動を優先させる態度に終始してきたのであります。国の安全を守るためには騒音は我慢しろというのが政府の態度でありました。
私は、沖縄の反戦地主の裁判や横田基地の騒音公害訴訟を弁護団の一人として担当してきましたけれども、アメリカ軍のためには住民の生活や権利は無視するんだ、そういう政府の態度を幾度となく体験させられてきたのであります。
しかし、このように軍事を優先させて、例えば基地騒音被害の受忍を強いる政府の態度については、裁判所も批判的な立場に立っています。横田基地公害訴訟について一九八七年七月十五日に出された東京高等裁判所の判決は、騒音自体に公共性のあるものとないものとの区別があるはずはなく、侵害行為としては航空機騒音も工場騒音も同一視されるべきものであり、社会生活上最小限度の通常の受忍限度を超えればいずれも違法なのであると判断して、騒音をまき散らす米軍機の飛行を違法としました。これが現憲法のもとでの司法による歯どめであります。
ところが、この問題は、今、国会で審議されている有事法制の関連法案に関して、一層露骨に提起されています。つまり、有事法制のもとでは、自治体、民間業者、マスコミ、一般国民まで、戦争のために協力することを余儀なくされます。日常から戦争を想定した訓練が組織されます。国や自治体が管理する港や空港、海岸、河川、公園はもとより、海域、空域を初め、電波まで軍事のために優先利用の対象とされています。アメリカの軍事活動についても、同様に優先されます。住民の福祉のために自治体が果たすべき役割、これが自治体の基本的任務なわけですけれども、それよりも自衛隊や米軍の活動を円滑にするために最大限の協力が自治体に求められるということになるのであります。
このような有事法制のもとで想定される人権侵害に対して、日本弁護士連合会は、基本的人権保障原理を変質させる重大な危険性が存する、そういう意見書を発表しています。この意見書では、マスコミなどが規制され、市民の知る権利、メディアの権力監視機能、報道の自由を侵害し、国民主権と民主主義の基盤を崩壊させる危険を有すると指摘しています。
それが、改憲により戦争のできる憲法になってしまったらどうなるでしょうか。軍事を一層優先することになり、生活や権利がますます無視されるという深刻な事態となることは必至であります。このような事態をもたらす改憲を認めることができないのは当然であります。
第四に、私は、平和を実現することはもとより、国民の生活や権利を守るためにも、憲法を変えるのではなく、憲法を守り生かす方向こそ、今求められているということを強調したいと思います。
戦争をできる憲法にすることは、普通の国と同じ憲法にするだけだという意見もあります。しかし、日本の平和憲法こそ、平和を求める市民によって国際的にも支持されているものです。例えば、一九九九年にオランダのハーグで開催された世界平和市民会議では、公正な世界秩序のための基本十原則の第一項で、各国議会は、日本の憲法九条のように、自国政府が戦争をすることを禁止することを決議すること、これが採択されました。日本の憲法九条の規定こそ、平和を実現する政府のあるべき立場だということを示したものとして、世界的に注目がされているのであります。
アメリカのイラク攻撃に対しても、ドイツやフランスなど多くの国々が反対しています。アメリカ国内を含め、世界各国で大きなデモンストレーションが行われました。数十万から百万単位の人々が町に繰り出し、全世界で一千万単位の人たちがイラク戦争反対を訴えたのであります。
このように各国が協調し合って、武力によらないで紛争を解決する、このことを求めているのが世界の流れであります。このような平和を求める国際世論に反して、アメリカは、イラクに対する武力攻撃を強行し、今なお軍事占領を続けているのであります。このような武力による支配を目指すアメリカに依存し、日本の憲法を戦争できる憲法に変えてしまおうなどという方向は、平和を求める世界の流れに逆行するものにほかならないと思います。現在の憲法の平和主義を生かして、軍事に頼らない平和な国際関係を実現する、そのことを追求することこそ、日本に課せられた課題ではないでしょうか。
基本的人権の保障に関しても、改憲を進める論議には重大な問題があります。環境権やプライバシーの権利など、新しい人権を憲法に明記するために憲法を改正しようとする議論であります。私が弁護士として携わってきた横田基地公害訴訟では、現憲法の前文、そして十三条などで十分認められるものとして、平和的生存権や環境権、あるいは静かに生活する権利を主張しました。そして、住民の権利の救済を求めてきました。また、刑事弁護活動で、被疑者に黙秘権の行使を勧めた弁護士が政党の所属まで警察に調査された、そういう事件がありました。いわゆる弁護士に対する思想調査事件ですが、ここではプライバシー権の侵害を主張し、警察や検察の責任追及の訴訟を担当してきました。
今、改憲を口にする人たちは、このような権利侵害に対する被害の救済、あるいは権力の責任追及のためにどのような役割を果たしてきたんでしょうか。むしろ足を引っ張ってきたというのが現実であります。まず、憲法を変えることよりも、憲法を生かし、保障されている基本的人権の内容を充実させ、それを実現していくことこそ、第一に考えなければならないと思います。
以上、私の立場から、憲法が大切にされていない、生かされていない事実の一端を指摘させてもらいました。そして、そのようなもとで憲法を変える必要性が全くないこと、改憲の先にはより危険な方向が待ち構えていることを重ねて強調したいと思います。
ところが、国会の憲法調査会では、憲法を変える方向での議論が先行しているのではないかとの危惧を抱かざるを得ない状況があります。しかし、他方では、憲法調査会がこれまで積み重ねてきた各地の公聴会において、現実の生活や権利とかかわってきた多数の市民から、憲法を大切にしたいという多くの意見が述べられてきました。私は、憲法調査会に対して、このような声に対して真摯に耳を傾け、憲法を実現するための積極的な提言を検討するなど、より充実した調査をさらに行っていただきたいというふうに思います。
この五月一日から憲法週間がありました。裁判所の玄関前にも、「憲法は明るい社会の道しるべ」という標語が表示されていました。これは、国民の憲法に対する大きな期待が示されているように思えるのであります。しかし、万一改憲されて、その憲法に基づいて戦争が行われるような事態となったら、憲法は明るい社会の道しるべではあり得なくなってしまいます。暗い社会への道しるべというふうになると言わざるを得ません。そのような事態を憲法調査会が進めたというような批判を後世の人々から受けることのないよう強く要望しまして、私の意見とさせていただきます。
以上であります。(拍手)