日高明の発言 (憲法調査会公聴会)
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○日高公述人 兵庫県西宮市の日高明と申します。
本日は、憲法調査会の場にお招きくださり、まことにありがとうございます。国政におきまして日々御尽力くださっておられる諸先生方と憲法について考えるときを与えてくださったことを大変感謝しております。ありがとうございます。人生経験も未熟でありまして、まことにつたない公述になりますが、精いっぱい努めたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
私は、一九七八年の生まれでありまして、戦争を知らない家庭環境の中で育ちましたが、幼いころから政治には関心を持ちながら歩んできたと思っております。私が憲法前文を初めて読んだのは、終戦からちょうど五十年目の節目に当たる一九九五年のことでありまして、その前文を読んだときは、その理念のすばらしさに非常に感動したという記憶がございます。そして、この憲法の理念を着実に国民生活の中に根づかせていくという作業が非常に重要であると思い、今自分が生きている国のことをより深く知り、日本の国の抱えている問題をともに考えていきたいという動機から、学生時代は憲法学のゼミに所属しておりました。
今、憲法は非常に重要な岐路に立たされているわけでありますが、そうした中にありまして、いま一度憲法の意図するところを確認する必要があるのではないかと考えております。
これから憲法前文と九条について意見を述べさせていただきますが、第一に、前文及び九条が条文化された背景には、一九二八年の不戦条約に始まる世界の戦争違法化の流れの中で確立されたものではないかと考えると同時に、特に広島や長崎における原子爆弾の投下による教訓が大きいのではないかと考えられます。
不戦条約は、第一条、戦争放棄で、締約国が国際紛争の解決のための戦争と国家の政策の手段としての戦争を放棄するということを記し、第二条、紛争の平和的解決で、締約国が平和的手段によって相互間の紛争、紛議を処理することが求められていました。この条約には、自衛戦争の否定が規定されていない、あるいは制裁手段の欠如などという不備もあったとの指摘がございますが、戦争が違法であるということを盛り込んだものとしては非常に重要な、画期的な意味を持ったのではないかと考えております。
第二に、前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」との明記がございます。
この文言は、今日的視点に立って読み解くと、単に国際社会における紛争解決及びその紛争の被害からの脱却のみにとどまらない、人間一人一人の安全にかかわる広い意味での不安、例えば、飢餓、貧困、難民、環境破壊、HIV、テロなどといったものからの脱却を視野に入れた人間の安全保障の必要性を定めているのではないかと思われます。前文には、人間の安全保障と、明確に示されてはおりませんが、前文の理念の根底にその芽生えを読み取ることができ、先見的な要素を持っていることが言えると考えます。
第三に、憲法は二十一世紀の新たな国際関係を導く強力な理念となりつつあるのではないかということです。そう解釈されるのは、前文と九条の中に平和主義の新たな性質が見受けられるからです。それは、前文において、戦争を起こす主体が政府にあるとその主体を自覚している点、九条一項で、戦争のみならず武力による威嚇、武力の行使を含んだ国家暴力の行使を放棄している点、九条二項において、武力による威嚇、武力の行使を放棄したからこそ国家が交戦権をも放棄しているという点、国連による平和構築への協力を惜しまず、また、日本国民の安全を非武装の手段で行うことを採用している点、憲法が積極的に人間一人一人の安全と平和的生存権を保障している点であります。
平和に対する脅威の源が複雑になり、かつ多様化している今日において、いかにして人間の安全保障を実施するための方策をまとめ、人間開発の場が失われない環境を設定していくのかという問題は、政治の最大の課題ではないかと思います。人間一人一人が勇気と希望を持って生きていける世界を底辺から構築していくことが今求められているのではないかと思います。
徹底した平和主義を貫く日本が、世界の平和と安定に対しいかなる役割を果たせるのかを考えますと、日本は、平和的生存権を最重要視しつつ、徹底的な非武装の国際貢献に徹し、その点に最大の価値を置くべきであります。
世界の中には、各国国内の社会構造が整備し切れておらず、未発達であること、また、国家の統治力が不足しているがゆえに、飢餓、貧困、難民、環境破壊、テロ、人権じゅうりんなどといった問題が生まれています。統治能力を有さない政府のもとで人々が生きていくことは不可能です。人々が希望を持って生きていける社会システムを整備するために、また、それを実現していくために、国連の姿勢に各国政府や人々が連なり、結束し、国連を基軸とした取り組みがなされなければなりません。
今、アメリカが非常に強大な軍事力でアメリカの民主主義を推し進めておりますが、そのような状況であるからこそ、逆に国連の働きというものが重要なのではないでしょうか。
平和的生存権を持っているがゆえに、飢餓、貧困、難民、環境破壊、人権じゅうりん、テロなどといった問題を改善していくことに尽くすことができるのではないでしょうか。むしろ、その使命が日本にはあるのだと思っております。
日本国内では九条改正派が多数を占めるという現状にありますが、九条や前文の理念を改正することで平和な環境が生み出されるのでしょうか。その保証はどこにあるのでしょうか。軍事力をもってしても、平和はおろか安全すら保証されない状態なのではないでしょうか。そのような状態であるからこそ、国連を基軸とした平和構築を実現させるために、日本が国連とアメリカの間に立ち、いわば仲介役としての役割を果たしつつ、非軍事的手段において人々を守る外交を積極的に打ち出していく、これが日本の歩むべき道筋ではないかと考えます。
武器を持たずして国際貢献は行えないのでしょうか。今日本が果たすべき役割は、人間の安全保障の強化に向けた外交の展開、軍縮、近隣諸国間における信頼関係の醸成、人間の安全保障に基づくODAの実施、このような政策を遂行していくこともテロ対策になると考えます。
日本は戦争を二度と起こさないという最も重要なことを真っ先に表明いたしました。その正しさを今捨て去ることなく、むしろその正しさを誇る立場にあると考えております。憲法の理念と現実が乖離しているということは明白であります。しかし、そのことが憲法改正の理由には当たらず、むしろ、現実こそが憲法の理念により批判され、現実こそ憲法の理念へと近づけるために改められるべきでしょう。そのような作業が今日本には求められていると考えております。
日本国国家が戦争放棄を宣言した日本国憲法を持っているということを、私は大変誇りに思っております。そのような日本であるからこそ、私は日本の国を愛することができました。現在にこそ、日本は過去の戦争の歴史に心を寄せつつ、加害の事実と被害の事実を受けとめ、戦争をしていた時代にささやかな願いを口にできずに亡くなっていった人々の声を世界に発信すべきです。そして、日本国憲法の精神をとうとび、その精神を次代へつなげていくことが、我々日本人の選択すべき唯一の道であるということを確信しております。
御清聴ありがとうございました。(拍手)