2004-03-04
衆議院
井口秀作
憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会
井口秀作の発言 (憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会)
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○井口参考人 大阪産業大学の井口と申します。発言の機会を与えていただきまして、大変光栄に思っております。
私に与えられた課題は、直接民主制の諸制度、諸類型について、比較法的に具体的な事例を挙げながら紹介し、日本での制度の適用の可能性や考慮事項などについて意見を述べよということでございますが、私にとっては非常に重い課題でございますし、比較法的な見地も大してあるわけではありませんので、非常に限られた能力の中での意見の陳述ということになろうかというふうに思います。
事前にレジュメを配付しておりますので、それに沿って意見を述べたいと思いますが、レジュメをお送りした後、事務局作成の非常に立派な基礎資料をいただいて、私のものよりも類型のところは非常によくできているので、それも参考にしながら意見を述べたいというふうに思います。
まず一番目ですが、私として、直接民主制という言葉で何を意味するかということを最初に申し上げておきたいと思います。
代表民主制と直接民主制という対比が非常に一般に行われています。そして、それぞれのいいところ、悪いところといった議論が盛んに行われているわけです。ただし、そこには、直接民主制という言葉それ自体の概念が実を言うとはっきりしていない、二つのものが一つに混然とされているという側面があって、議論がすれ違っているというところがございます。
例えば、事務局作成の資料の一ページ目に、清宮四郎先生と言った方がよろしいんでしょうか、清宮四郎教授の直接民主制の批判のものが載っております。そこに、なぜ現代国家において直接民主制は不可能かということについて、こういう表現があります。「この制度は、団体が小さく、社会条件が単純な国家の場合には比較的実行し易いが、団体が大きく、社会的分業が進化している近代の国家では、全国民が会同して、多数決によって国政を決するということは、第一に、不可能である。」という言葉があります。
直接民主制という言葉で、まさにここにある「全国民が会同して、多数決によって国政を決する」こと、こういう制度を指して直接民主制という言葉が使われるときがあります。私は、これはレジュメの上の方に書いた、純粋直接民主制型というふうに考えるべきものであって、清宮先生が言われているように不可能であるということは、これは全くそのとおりであると思います。これは、古代都市国家における民会、あるいはスイスの一部のカントンで行われているようないわゆる青空議会と呼ばれるもの、また、現行法上も、地方自治法の町村総会、町村議会にかわって町村総会を置くことは可能なわけですが、これもそれに該当すると考えていいと思います。
しかし、一般的にこういうものが直接民主制と言われる場合と、もう一つ、私のレジュメだと半直接制型というふうに表現してありますが、広い意味の国民投票制、レフェレンダムと呼ばれるものですね、地方レベルでは住民投票と呼ばれるものです。これは、純粋直接民主制型と半直接制型の直接民主制というのは違うというふうに考えないと、先ほどの清宮先生の指摘というのは、純粋直接民主制型については当てはまるけれども、後者については当然当てはまらないわけです。
半直接制という言葉はスイスやフランスではよく表現されている言葉で、何を意識して半直接制という言葉を使うかというと、先ほど申し上げました純粋直接民主制型と分けて議論するために半直接制という言葉が使われるわけです。
一般的に、私は広義の国民投票制を直接民主制だというふうに理解しておりますが、では、リコールについて、これもその直接民主制に含めて理解する見解があります。私は必ずしもその立場に立つものではなくて、広い意味で国民が何かを決める人を選ぶ、人を選ぶということと国民が直接決めるということには、やはり区別して理解することには意味があると思いますので、選ぶのは代表民主制だけれども、やめさせる、リコールするのは代表民主制ではない、直接民主制だというところには私は少し違和感がありますので、リコール自体は含めないで私自身は理解しております。
ただし、そのことは、リコールという制度が決して意味がないというふうに申し上げているのではございません。むしろ、日本国憲法の十五条一項では、公務員の選定、罷免を国民固有の権利と規定しております。その点で、リコールというのは政治責任の追及の手段として一定程度の意味があるというふうには理解しておりますが、ただし、直接民主制には含めていないということでございます。
そういう点で、広い意味での国民投票制というのを直接民主制として本日は理解し、二番目以下の意見を述べたいというふうに思います。
二番目では、国民投票制の現況というふうに書いておきましたが、最近頻繁に行われている、ある人の表現を使えば、レフェレンダム旋風であるということが言われます。
確かに、時代区分として、第二次世界大戦後あるいは一九九〇年代以降、国民投票の実施された数が増大している。これは、いろいろな人の統計を見てもはっきりしている事柄だというふうに思います。量的には拡大をしている、これは間違いないというふうに思います。
しかし、その量的な拡大も、ある程度相対化して見てみる必要があります。
現在、世界で実施された国民投票の半分以上がスイスで行われています。残りの二割の部分もヨーロッパ、しかも、ヨーロッパの中でもイタリアが多いという点。その点で考えてみますと、世界的に増大しているといっても、非常に、増大している地域について限定がある、偏りがあるということが言えます。
第二次世界大戦後、それから一九九〇年以降ふえている増加の要因として、戦後、植民地国家が独立することによって新しい国家ができるわけです。当然、新しい憲法ができる。それを国民投票にかける。国自体がふえたということが一つあります。それから、九〇年代以降について言えば、旧東欧の社会主義諸国が崩壊をして新国家が成立する。同じように、国家の正当性を求めるために国民投票に付したという側面があります。それからもう一つ、ヨーロッパでは、特にヨーロッパ統合をめぐる国民投票が多々行われているわけです。そういう要因があって非常にふえていることから見ると、非常に世界的にふえているという点も相対化して見る必要があります。
また、国民投票が本当に頻繁に行われているかということも、そうとは言いがたい側面があります。特に、アメリカやドイツのことをどういうふうに評価するか。
アメリカについては、国レベルの直接民主制は制度化もされていませんし、実施されたこともありません。地方のレベルでは、州レベルでは、後でも御紹介しますが、むしろ頻繁に行われていますが、少なくとも国レベルではない。ドイツでは、ワイマール憲法下では直接民主制の制度化がされていましたし、実際に行われたわけですね。しかし、現在のボン基本法のもとではない、制度化されていない。また、東西ドイツ統一後の基本法の改正のときに、一つの重要なポイントは直接民主制の導入であったわけですが、結局、基本法の改正においても直接民主制の導入は見送られたわけです。
そうすると、非常にたくさん行われているといっても、それが本当に世界的傾向かというと、必ずしもそうではないのではないかという気がします。したがって、日本で国民投票は全く経験がないわけですね。そのことは決して、日本国憲法が世界におくれているとか、そういうことは必ずしも早急に評価できないというふうに私は思っております。
フランスの憲法学者、フランシス・アモンという先生が、上からのレフェレンダム、下からのレフェレンダム、日本語で言ったら、上からの国民投票、下からの国民投票という分類になるんだと思いますが、国民投票の発議権がだれにあるのか。国民にあるのを下からのと言う。それに対して、大統領であるとか政府であるとか議会にあるものを上からの国民投票と言う。そういうふうに分類して、上からの国民投票はむしろ減っているんだ、下からの国民投票はふえているんだということを指摘しております。
そういうことを考えますと、制度化を考えるに当たっても、そのような視点、上からの、下からのという点は踏まえておく必要があろうかというふうに思います。
そのような国民投票制の現況を踏まえて、類型化の話に参りたいと思います。
国民投票制の諸類型という点については、先ほども申し上げましたように、基礎資料は大変よくできております。私の類型などよりもはるかによくできているものですが、私は、大きく分けて三つ、プラスして四つ目を入れておきましたが、四つの観点から分類をしてみました。
一番目は対象ですね、国民投票の対象となるもの。国民という言葉を使っていますから、地方レベルであればそれを住民投票と呼ぶわけです。
それからもう一つ、対象の分け方として、憲法を対象にするのか、一般的な法律を対象にするのかということで、憲法型、それから一般立法型に分けられるわけですね。普通はそこまで分けますが、さらに、私は、憲法制定型、憲法改正型というのはまた分けて考えることもメリットがあるかと思います。
そうすると、先ほど言った、新しい国家ができてレフェレンダムが行われる、国民投票が行われるということと、実際に憲法が制定されたその中で憲法改正が行われるという点、これは少し意味合いが違うのではないかと思いますので、少し分けて考えることもできるかと思います。もう一つは、一般立法型ですね。通常の法律あるいは条約、いろいろなものを対象にする場合があるわけですが、そういう国民投票があり得ます。
その場合でも、対象をどういうふうにするかについて大きく分けると、一番目は限定型ですね。これは、ポジティブリストと言ったりしますが、国民投票にかける事項を列挙する。これとこれとこれと、こういうことについては国民投票に付することができるというふうに規定する。フランスは非常に細かい規定をしています。それから、スペインのように、漠然としてですが、特に重要性を有する政治的決定というような、こういう事項については国民投票に付すことができるというような表現をして、国民投票に付する事項を限定する場合、そういう形があります。
もう一つは、除外事項列挙型と書きましたが、いわゆるネガティブリストですね。これとこれと、こういうものは国民投票にかけることができないというふうに表現しているもの、イタリアの例をそこに書いておきました。
ただ、問題は、そういう限定を加えた場合に、その限定をどう守ることができるのかというのが実は重要な問題です。
フランスの例で申し上げますと、そこに列挙したものは全部法律案となっていますが、実際には、一九六二年に憲法改正案をかけてしまうんですね、十一条で。だから、限定をしているといっても、限定する手段が必ずしも有効に機能しているとは限らないわけです。ですから、ポジティブリストにしろ、ネガティブリストにしろ、限定を加えたとしても、それをどうやって実効化を持たせるのかという点が一つ非常に重要な問題であるというふうに思います。
それから、二番目の分類方法としては法的効力の問題がございます。
これは、国民が最終的に決定する裁可型というのは、要するに、法的効力を持つ国民投票のことですね。二番目は、議会を拘束しない諮問型、いわゆる諮問的と呼ばれる、議会を拘束しないけれども国民の意思を聞いてみる。一般的に諮問的国民投票と呼ばれるようなもの、そういうものがございます。
諮問的国民投票制の場合、諮問的国民投票ができるようなことが、憲法上の根拠がある場合、憲法上の根拠がなくても法律によってやっているデンマークのような場合、両方あるわけです。
それから、イギリスの一九七五年の国民投票。これはECへの残留を問う国民投票ですが、これも、議会は拘束をしない、政府は拘束するけれども議会は拘束をしないという形で、議会主権との整合性をとったわけですね。これも諮問的なものというふうに言っていいかと思います。ただし、これは非常に強調される類型化ではあります、法的効力を持つものと持たないものという点が。しかしながら、本質的な差異はあるのかというと、かなり首をかしげざるを得ません。
というのは、実際に、諮問的であっても、国民投票で示された国民の意思とは違う決定を議会ができるかというと、それは非常に困難である。レジュメにはスウェーデンの事例というのがありますが、スウェーデンで一九五五年に、自動車を右側通行にするというものが国民投票にかけられます。これは、国民投票によって否決されます、諮問的ではありますが。
しかし、一九六七年、十二年たって議会が右側通行を可決するわけですね。逆に、その点でいったら、十二年という期間を要したという点で、これは、諮問的国民投票制だから議会を無視したとは必ずしも言えない。十二年という期間を考えると、逆に十二年待たざるを得なかったというふうに考えれば、やはり、諮問的なものだからといって議会を無視できるわけではないと考えられるというふうに思います。
それからもう一点は、廃止的国民投票制と書きましたが、これはイタリアの例ですが、現に存在する法律の廃止を国民投票で決めるというものです。普通は、国民が最終的に決定するというのは、国民投票でイエスが多数になって初めて法律としての効力が生じるということですが、イタリアの場合はその逆ですね。現にある法律の廃止に賛成というのが多数になった場合に廃止が決まる、そういうシステムです。これも広い意味では裁可型と言ってもいいわけですが、普通のものと逆ですので、別の類型化と言って構わないかというふうに思います。
それから三番目、開始手続による類型。これは義務的な場合、任意的な場合、大きく分けて二つあるわけですね。
義務的というのは、日本国憲法の九十六条のように、憲法改正の場合に必ず国民投票が行われなければならない、義務的に行われなければならない場合があるわけです。それから、任意的な場合というのは、結局、発案者、発議者がやると言ったらやる、そういうふうに言ってもいいかと思いますが、例えば、フランスであれば共和国大統領、ただし、政府の提案または両議院の共同提案に基づいてという限定が加えられているわけです。
スペインですが、これは、実はレジュメに間違いがありまして、首相なんですが、括弧の中が両院合同会議となっておりますが、これは下院ですね。コングレ・ドゥ・デピュテ、フランス語で僕、読んでしまいましたので。これは下院です。スペインは首相で、下院で絶対多数の承認を要するというわけですね。行政府の長に与えているものですね。
それから、イタリアのように、五十万人の選挙人または五つの州議会が要求する場合、国民あるいは州の議会に発議権を与えている場合ですね。
それから、デンマークのように、議会の三分の一が要求する場合、これは少数者の保護ということを念頭に置いているわけですね。国際機関に権限を移譲する場合はまた別の要件が加わっております。
それから、スイスの場合は、義務的に国民投票が行われる場合と任意的に国民投票が行われる場合を区別して、任意的な国民投票の場合は、五万人の選挙人または八以上のカントン、地方自治体と言っていいんでしょうか、の要求がある場合に国民投票が行われるということになっているわけです。
それから四番目、イニシアチブとの結びつきというのは、つまり国民発議と言ったりするものですね、それとの結びつきによってまた別の類型ができようかと思います。
スイスの場合は、これは事務局作成の資料では二十六ページ、二十七ページに条文がそのまま載っけてあるわけですが、憲法の全面改正の場合は、国民が、十万人の有権者によって全面改正を提案して、必ず国民投票に付さなければならないという場合ですね。それから、憲法の部分改正の場合は、一般的発議の場合というのは、これは憲法改正の基本的な方向だけを示した発議です。それと、完成された草案、こういうふうに条文を具体的に書いて発議する場合があるわけですが、それぞれによって国民投票が行われる場合、どういうふうに行われる場合かというのが百三十九条に詳細に書かれているわけです。これを説明すると長くなりますので省略いたします。
アメリカの住民投票についても、似たようなシステムとして、直接イニシアチブ、間接イニシアチブという分け方ができます。
直接イニシアチブというのは、州によってもちろんいろいろなやり方がありますが、有権者の一定数の署名に基づいて法律案、場合によっては憲法改正案ですね、具体的な案を発議するわけです。直接イニシアチブというのは、それをそのまま投票にかける、州ですから住民投票と言った方がいいのかもしれませんが、州の住民投票にかける。議会の審議を一切経ずに、住民が発議したものを、それを住民の投票にかける、そういうシステムですね。
間接イニシアチブというのは、発議したものを議会で審議する、その上で、修正案がある場合はそれをかけるというような、議会の審議を経て住民投票に付すというようなものが間接イニシアチブというふうに呼ばれているわけです。これも、先ほど少し言いましたフランシス・アモン先生の表現によれば、下からの国民投票と申し上げていいんだろうというふうに思います。
以上、大まかな類型化であったわけですが、四番目に、日本への適用の可否及び留意点、これについて意見を述べたいというふうに思います。
まず一つ目として、原理論、憲法原理の問題として、恐らく、直接民主制を排除するということを一つの骨格とするような国民主権、フランス的な表現で言うとナシオン主権と言ったりします、抽象的な国民に主権が存在するのであるから具体的な有権者団、選挙人団は主権を行使できないという形で、国民主権、ナシオン主権だから直接民主制ができない、こういう国民主権。日本国憲法上の国民主権を専らフランスのナシオン主権的に理解するような見解はもはや存在しないと言ってもいいかと思います。もっとも、直接民主制と強く結びつく国民主権論、フランス憲法学でいうところのプープル主権ということになるんでしょうが、プープル主権的な理解が通説であるわけでもありません。フランス型のナシオン主権、プープル主権というのも、事務局の資料にもよく整理されておりますので、御参照いただきたいと思います。
もともと、ナシオン主権だからといって、一切の直接民主制を本当に排除するのかどうかという点については、見解に争いがあるわけです。ですから、ナシオン主権であっても実は国民投票は可能だという議論もありますから、国民主権と国民投票は結びつかない、全く結びつかないんだという理解はもはや存在しないと言ってもいいと思います。
また、議会主権を原理とするイギリスでも、諮問的とはいえ国民投票が行われたという点、この点でも、議会主権でも国民投票と矛盾しないんだというふうに理解すると、もはや、直接民主制を専ら排除するような原理論、憲法原理というのは恐らくないだろうというふうに思います。
我が国でも、地方自治体の住民投票が行われたときに、議会制民主主義だから住民投票ができない、すべきではないんだというような理解、批判がございますが、しかし、そのような議会制民主主義というのは本来あるのだろうかというふうに、私は首をかしげざるを得ません。議会制民主主義の基礎には民主主義があるわけですから、それと国民投票とは結びつくというふうに理解すれば、少なくとも、議会制民主主義だからできないというのはおかしいだろうというふうに思っています。
また、直接民主制の導入自体は、恐らく、日本国憲法の前文、「代表者を通じて行動し、」という文言とも矛盾をしないというふうに私は理解しています。もともと、現行憲法上も、「代表者を通じて行動し、」と前文で書きつつも、九十六条で憲法改正のための国民投票を認めているわけですから、それ以外に国民投票の場面をふやしたとしても、必ずしも憲法前文と矛盾するというふうにはならないと思います。
また、アメリカの例ですが、アメリカのいわゆる共和政体ですね。アメリカ合衆国憲法の第四条の四節は、合衆国は連邦内の各州に共和政体を保障しという文言があります。この共和政体というのは、専ら代表制であると理解される場合があります。そこの点で、州レベルの住民投票というのは、この共和政体と相入れないのである、憲法違反である、こういう議論があります。これについて、アメリカの連邦の最高裁が、反することはない、それは政治問題であって、個別に各州で判断すればよいのであるという判決を出しております。この点でも、アメリカでも共和政体と直接民主制は矛盾しないという結論が出ていると言っていいと思います。
しかしながら、一般的に、法律に関する法的拘束力のある国民投票制を導入することは、日本国憲法上、第四十一条ないしは第五十九条に違反するので、その導入に当たっては憲法改正が必要であるというのが私の見解であると同時に、恐らく憲法学界の多数の見解と一致するものだというふうに思っております。
しかしながら、事務局作成の資料の六ページですか、フランスにおける代表制の展開、これがナシオン主権からプープル主権への展開という図表になっていると思いますが、まさに直接民主制の方に傾いていくというのは大きな歴史の流れであるというふうに私は理解しています。しかしながら、直接民主制に過大な期待、これですべてが解決できるかのように期待を持つことも誤りであるし、また、直接民主制が導入されることによって大きな変化が起きるというふうに危惧を抱くことも、それも誤りであるというふうに思っております。
続きまして、二番目の直接民主制の困難性についてという点です。
古くから直接民主制に対する批判というのはあるわけですね。先ほどの清宮先生の議論などもそうです。これについて、事前に資料として御紹介いたしました、議場にも御用意しているかと思いますが、イアン・バッジというイギリスの政治学者ですね、「直接民主政の挑戦」という本、訳本が出ております。この八十四ページに、詳細な批判、直接民主制に対する批判に対する回答が出ているわけです。ほとんど直接民主制に対する、国民投票に対する批判に対して反批判をしているというわけです。ただし、イアン・バッジの議論は、政党の役割を重視している点、特に成熟した政党制、政党の役割を重視している点で、日本に即座に当てはまるわけではないわけです。
ただ、バッジが言っていることは、要するに、直接民主制はそんなに悪くないんだという、結論としては、議会の立法とそんなに変わらないんだ、危なくないんだということを言っているわけですね。では、議会による立法と変わらないんだったら何でわざわざ直接民主制をやるんだという点については、バッジの結論は、要はそれが民主制なんだというところに恐らく尽きるんだろうというふうに思います。
考えてみると、議会による立法と国民投票による立法を比べて、どっちがいいのかということをアプリオリに判断することは恐らくできないというふうに思います。アメリカでも評価は分かれています。そんなに悪くない、むしろ国民は冷静に判断しているんだという評価、と同時に、いや、むしろ積極的差別解消策が廃止されて差別を助長する方向に行っているんだという評価もあります。この点は、アプリオリにどっちかがいいんだということは、私は評価できないというふうに思っています。
ただし、従来言われてきたような直接民主制には非常に困難が伴うという点は、相当程度克服されたというふうに考えております。ただし、頻繁過ぎる実施は国民に疲弊をもたらすということは間違いないだろうというふうに思います。
それからまた、直接民主制の過剰の問題ですね。特に、スイスやアメリカではそれがはっきりしているわけです。そこに幾つか書きましたが、イニシアチブ産業というのは、要するに、国民で発議するために、産業になってしまっているわけですね。業界があるわけですね。その業界がばあっと集めてくるわけです。そうすると、金持ち有利ということになってしまう、そういうものがある。
それから、スイスでは、投票率が低下しているという問題がある。それから、プレビシット論ですね。これもフランスでは、ナポレオンあるいはシャルル・ドゴールを含めて理解されるときもありますし、ドイツは、ヒトラーのように国民投票を悪用する、そういう批判があるわけです。そういう点があることも頭に入れておく必要があると思います。ただし、そこであっても、スイスでもアメリカでもフランスでも、だから国民投票をなくせという議論はないわけです。むしろ、悪用の部分を何とかするべきだという議論に傾いているはずです。
三番目ですが、直接民主制は市民参加を増加させるかという点について。
これは、簡潔に申し上げますと、そもそも、国民投票をやって、市民参加を増加させるということ自体は、それ自体が目的ではないということ。それから、もう一つは、実際には議会の選挙の投票率と国民投票の投票率では、ヨーロッパを見れば明確ですが、国民投票の投票率の方が低いわけです。特にフランスの場合は、非常に最近顕著になっているわけです。ですから、レジュメに書きましたように、イタリアやデンマークのように、一定程度の投票がない限り効力を持たせないというような工夫がされているわけです。
四番目として、国民投票と立憲主義との関係です。
これは、国民投票によって成立した法律に対する違憲審査の可否の問題です。アメリカでは、通常の法律と同じように違憲審査がされます。しかし、フランスでは、国民投票によって承認された法律については違憲審査権が及ばないとする判例があります。恐らく、日本では、日本の最高裁の統治行為の立場を考えると、間違いなく違憲審査は行われないということになってしまう。そうすると、かえって、国民投票を導入することによって違憲審査が及ばないということによって、少数者の保護ということがなされないという危険性が出てきます。イタリアでは、事前に憲法裁判所が審査をするということになっております。では、日本の場合、それは可能かというと、日本の最高裁が付随的審査制をとっているので、それとはそぐわないという側面があります。やはり国民投票であっても決められないことがあるという点、そして、それをどう守っていくのかという点、これを理解しておく必要があると思います。
それから、五番目、政党との関係ですが、特に二大政党制になった場合に、では、選挙による投票とどう関係するのかという点、この点をよく整理しておく必要があります。少々時間がありませんので、飛ばしてしまいますが、むしろ、国民投票を導入することによって、選挙でマニフェストによって政策を選択するという意味がかえって薄れてしまう、そういう危険性があります。その点に注意が必要であろうかと思います。
それから、六番目、討議民主主義との関係という点です。
これは、要するに、国民投票は議論がない、こういう批判があります。これについてはむしろ、国民投票を実施することが議論を誘発する。これは、新潟県の巻町の原発の投票でもそうです。デンマークでは、そこに書いたような形で、選挙の年齢が引き下げられていったわけです、否決を挟みながら。むしろ、そういうことが討議を誘発するだろうというふうに思います。
七番目、現行憲法下の可能性として、私は、現行憲法下で可能なものとして、一つは地方自治法改正による住民投票を充実させるという点、それから諮問的国民投票制という可能性が十分あると思います。それからもう一つは、国民に法案提出権を与える。特に、法案提出権のない会派に対して、国民の一定数の署名を求める、備えることによって、発議権を認めるということが現行憲法上も可能であるというふうに理解をしております。
そういう現行憲法上の可能性が十分にあるというふうに思っておりますので、最後に、まとめにかえてというところですが、直接民主制は、非常に重要な役割を果たすということは否定しませんが、あくまで一つの手段にすぎないという点。それから、直接民主制導入の議論を避ける理由はないけれども、すべてが解決できるかのように過大な期待を持つことは賛成できないし、また、憲法改正の呼び水としては全く問題外であるというふうに思っております。
また、重要なのは、直接民主制を入れていくことについては、議論をすること自体はよいのですが、むしろ、直接民主制にたえ得るような政党制や代表制、代表民主制を整備するということの方が重要であって、それは現行憲法の理念を充実していくということに尽きるのではないかというのが私の見解です。
最後、少々急ぎましたが、以上で終わらせていただきます。(拍手)