青山繁晴の発言 (武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○青山参考人 おはようございます。青山繁晴でございます。
本日は、自由民主党の御推薦をいただきましてこの機会を与えていただいたわけでありますけれども、なるべく不偏不党といいますか、主権者の立場で申したいと思っております。
理由は二つございまして、一つは、私の属しております独立総研は、日本の政府機関やアメリカやヨーロッパ諸国、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、スイスと連携して安全保障の実務を行っておりまして、実務といえどももちろん党派色ある場合もありますけれども、基本的には実務は不偏不党でございますから、その立場で話させていただきたいと思います。もう一つは、この独立総研は、どこの団体、企業グループなどからも支援を受けておりませんので、そういう意味でも公正中立なお話をさせていただきたいと考えております。
本日は、事務局の方から、理事会において、緊急事態対処基本法に重点を置いて意見を述べよというお話をいただいております。緊急事態対処基本法につきましては、まさしく、原理原則のところも含めまして基本的な考えを述べさせていただき、その後、国民保護法制につきましては、現在、私どもが自治体あるいは総務省と連携して国民保護法制の整備の実務を預かっておりますので、一部担っておりますので、そこは詳しく、具体的な話を少しさせていただきたい。
それから、FEMA、日本版FEMA云々の話、緊急事態管理庁ないし危機管理庁のことにつきましては、アメリカのFEMAと一緒に仕事をしておりますので、その実態を含めてお話をさせていただきたいと考えております。
まず、緊急事態対処基本法についてでございますが、憲法につきましてお話ししたいと思います。憲法につきましては、先生方に意見を申し上げるのは僣越でございますが、あえて申し上げたいと思います。
日本国憲法、今憲法調査会を含めて改正論議が盛んになっているわけですけれども、基本的には、国民の安全と国家の平和を具体的にどう守るかという定めがないものと私は理解しております。この憲法が平和憲法であることは疑いを挟む余地はありませんけれども、その平和の理想について具体的な定めがないのではないかと考えている次第であります。
第九条の第一項に、武力の行使、それは武力の威嚇も含めて行わないと明記し、第二項において、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と。さてその上で、ではどうやって国家の平和と国民の安全を守るかについては、いわば第三項が抜けているわけであります。唯一、憲法の前文に、「諸国民の公正と信義に信頼して、」それによって平和を守るという趣旨のことが書いてあるわけでありますが、この憲法前文の定めにつきまして、議員先生方の間にも、現実と合っていないのではないか、例えば朝鮮半島の現状をかんがみるに、公正でなく信義も持てない国があるから、この前文が現実に即していないという議論も聞くわけでありますが、私はそれではまだ不十分だと思っております。
肝要なことは、いつの時代、どこの時点におきましても、どの国家におきましても、当該政府は自分たちの国家が公正で信義であると確信しているわけです。現在の北朝鮮における、いわゆるテロ国家と名指された国家であっても、あくまでその指導部は自分たちの公正と信義に基づいて行動しているわけでありまして、そうしますと、国際社会の現実は、常に諸国がそれぞれの公正と信義を掲げるということがございますから、この前文をもって平和を守るための具体的な策があるとは考えにくいと考えております。
さてその上で、どうしてこういう憲法になったかを考えますと、事実は明白であると思っております。さっき申しました、九条の第三項があるかわりにアメリカにお任せする、アメリカ合衆国との同盟関係において我が国の安全を保持するということが明白に今まで続いてきたわけであります。
しかし、それが既に、冷戦構造が崩壊した後、アメリカにすべてをお任せする時代でなくなっていると考えておりまして、今回のイラクへの自衛隊派遣についても、アメリカの言うがままに送ったというよりは、我が国が独自の判断をして、アメリカと協議をして現在の派遣も継続しているのではないかと私は考えておりますので、この第三項を補う、ないしはアメリカとの新しい同盟関係、つまり、アメリカの一部として活動する防衛力を持つのではなくて、すなわち、具体的に言いますれば、海上自衛隊は通常戦力としては世界有数の戦力と考えなければなりませんけれども、例えばアメリカの第七艦隊に潜水艦部隊が実質的にないのは、日本の海上自衛隊の優秀な潜水艦能力に依存しているからであります。
そういう米軍の補完である防衛力の変更も今始まっているわけでありますから、そういう意味において、緊急事態対処基本法、ないしは本来議論されてきた安全保障基本法のような、最もベーシックな法体系が必要だと考えております。
さてその上で、そのあるべき性格を考えますときに、特に所管庁におきましては、安全保障基本法ないしは緊急事態対処基本法を策定する際には、災害対策基本法やあるいは原子力災害対策特別措置法、いわゆる原災法と重なる部分があるから、これを統廃合する手間が大変であるという声もよく聞かれるわけであります。私のところにも官庁からその声は届いております。さらには、自衛隊法や防衛庁設置法との絡みでも整合性を図るという議論が聞かれるわけであります。
まず前者について言いますと、災対法や原災法との統合を当面進める必要は特にないと思います。何となれば、さっき申しましたように、この緊急事態対処基本法のあるべき姿というものは非常に基本的なものでありますから、災対法や原災法と矛盾しない限りは、基本法ができたからといって直ちに統合すべきものであるとは考えにくいと思います。
ところが、自衛隊法、防衛庁設置法に関しては、実はこのままですと基本的な整合性に問題が生じる、矛盾が生じる点があると考えております。何となれば、現在の私たちの自衛隊には、世界の先進国の軍隊ないし軍事組織、防衛組織にない、極めて特徴的な問題点が二つあるわけであります。
一つは、市民社会との整合性、市民社会におけるルールとの混同であります。
自衛隊は軍隊であるのかないのかという論議が延々とこれまで繰り返されてきたわけであります。国際法上は軍隊として扱われています。例えばアメリカの国防総省から見ますと、通常戦力においては、米軍を除けば世界第一位の戦力に近いという判断もなされているわけでありますが、しかし、それでもなお法的には自衛隊は軍隊ではあり得ないと考えております。
どうしてかといえば、それは軍法会議を持っていないからであります。自衛隊が軍法会議を持っていない理由といいますのは、察するに、我が国の戦前の歴史におきまして、旧帝国陸軍、海軍の軍法会議というものは、軍内のルールを確立するためというよりは、軍内の不祥事を国民の目から隠したり、あるいは軍がいわば勝手に行動できる基本として存在していたから、その反省に基づいて、軍法会議が現在否定されて自衛隊が存在しているわけでありますが、これは本来は、帝国陸軍、海軍というものが崩壊し民主国家となった段階で、市民社会とは違う軍法会議を持った国軍が創立されるべきであったと考えております。
軍法会議というものは、基本的には市民社会と違うルールが厳然と存在するということをむしろ主権者市民の側に見せるものであると思っております。
私たち普通の市民生活においては、例えば私の家族が傷つけられても、その復讐として人を傷つけたり、あるいは私の財産が傷められたからといって、相手の財産を傷つけてはいけないわけでありますけれども、国際社会においては、国家の間において、相手の兵員を殺傷することもあり得るし、戦車や軍艦のような相手の器物を損壊することもあり得る。そのために、市民社会と違うルールが厳然と存在することを示すのが本来の軍法会議であると思っております。
そういう意味で、実は私たちの祖国というものは、戦争の反省といいながら、本当は、例えばすべて旧軍に押しつけたり、戦前の体制に問題を押しつけたのであって、私たちの民主主義における新しい、国軍を含めた体制というものをつくってこなかったんじゃないかと思っております。
したがって、緊急事態対処基本法ないし安全保障基本法を策定した際に、この市民社会とルールが混同されている部分の矛盾が残ってしまう。
第二の点は、自衛隊においては、その行動のすべてにおいてポジティブリストしか持っていないわけです。つまり、してもよいリストだけが存在する。
ところが、日本を除くすべての先進国の防衛組織、軍事組織ないしは軍隊においては、すべてネガティブリストであります。してはいけないリストが存在する。現実に敵と向かい合うことを想定しなければいけない。つまり、命のやりとりをする組織において、これはしてもよかったのか、これはしてもよいリストに入っているかということを確認するということは至難のわざでありまして、至難のわざといいますか、実際は不可能だと考えております。
現在のイラクに派遣されている自衛隊だけではなくて、実は、防衛出動が発令された後においても、自衛隊の中にはこういう疑問点も存在していなくもないわけであります。
したがいまして、このポジティブリストしか持っていない問題というものをそのままにしますと、安全保障基本法や緊急事態対処基本法が生まれた際に、矛盾が拡大する形で残ることを懸念しております。
持ち時間十五分ですので、非常に立て板に水で基本の部分を話してしまいましたが、この後少し具体的なことをお話ししたいと思います。
次に、緊急管理庁の創設の問題であります。
これにつきましては、私を含め、私のような安全保障にかかわる人間ないしは与野党の先生方におかれましても、基本的な必要性というものは多分御異存がないところだと思います。しかし、やや懸念しておりますのは、特にアメリカのFEMAについて、緊急事態管理庁、アメリカのFEMAにつきまして、やや幻想といいますか、思い込みといいますか、誤解があると考えております。このFEMAと私どもは常日ごろ連携して仕事をしているわけでありますが、その機能というものは極めて限られております。
まず、少し整理しますと、このFEMAは現在、御承知のように、九・一一同時多発テロの後、アメリカの国土安全保障省に統合されました。一たんFEMAという名前を消したんですけれども、単なる一部局の名前に変わりましたが、アメリカ国民に理解されずに、国土安保省の中に再びFEMAという名前の組織が復活した状態になっているわけであります。
ただし、この国土安保省についてまず幻想があって、実際は、御承知かと思いますけれども、FBIもCIAもこれに入っておりません。国防総省の情報に関する部分、たった九十一人しかいないスタッフのところは国土安保省に統合されましたが、それ以外のところは統合されずに、アメリカの国土安保省に情報部門は置かれましたけれども、CIAやFBIないしDIA、そういったところの情報が統合されているとはとても言いがたいわけであります。
したがって、FEMAについては、緊急事態をすべて統合して、それに対応して、いざとなればFEMAに機能が統合されるというのは、はっきり言いますと甚だしい誤解であると思っております。
これは実際に、例えば重大テロに関して言えば、重大テロを未然に防いだり、それから、テロが起きた場合に、そのテロリストの行動を抑止したりという機能は持っていないわけであります。あくまで、起きた災害がそれ以上広がらないように、住民の避難や、あるいは化学兵器ですと、ガスの拡散、例えば服にしみ込んだガスを、それ以上二次被害を与えないために、FEMAの権限において、被害者であっても裸にしてその服を遺棄する、廃棄するというようなことについてはFEMAは権限を預かるわけでありますが、部分的な活動にすぎないというところを考える必要があります。
したがって、日本版FEMAをつくるという話がよくされるわけでありますけれども、それはアメリカを参考にするのではなくて、一から、日本版といいますか、日本独自のものを考える必要が存在していると思います。
その際にぜひ先生方にお考えいただきたいのは、さっき軍法会議のところで触れました問題と同じなんですけれども、安全保障にかかわる諸機関、防衛庁・自衛隊以外の機関を考えましても、警察を考えても、実は、警察庁というものは国家警察とは国際社会においては呼ばれないわけであります。あくまで日本の警察は自治体警察でありまして、警察庁は、調整機能は持っているけれども、直接の指揮権は実質持っておりません。
なおかつ、国家警察じゃありませんから、直轄の部隊を一切持っておりません。警察の特殊急襲部隊、SATも各自治体警察に属しておりまして、例えば、原子力発電所で何か重大な事態があったときにも、福井なら福井にSATを派遣されても、それは福井県警本部長の指揮下に入ることが原則であります。この国家警察を欠如している先進国というものも、私の知る限り、ほとんど見当たらないわけであります。
これも恐らくは、推察するに、戦前に特別高等警察、特高警察があって、それが国民の正当な権利を甚だしく侵害したから、とりあえずその特高警察を復活させないところでとまっていて、私たちの新たな民主的な国家警察をつくるところに及んでいないという問題が、戦後五十九年間にわたって営々として残ってきたと考えております。情報機関、あるいはさっき言いました国軍といいますか国民軍についても、実は同じことであろう。
そうしますと、危機管理庁を創設する際に、内閣官房にそれを置くだけではなくて、こういう国家警察の不在を含めた、私たちの歴史の本当の総括、戦前の総括というものを行った上で、この日本の危機管理庁をぜひ創設していただきたいと考えるものであります。
もうそろそろ時間ですね。お時間が近づいてまいりましたので、あと二点だけ申し上げます。
一つは、国民保護法制についてでありますが、例えば鳥取県のように非常に先進的に取り組んでいるところがありますけれども、鳥取県においては、県民に対してどういう脅威が存在するかを説明するのに苦労している現状があるわけであります。
それは、例えば、鳥取の砂丘から着上陸侵攻した敵が京阪神に向かう途中に鳥取県に危害を及ぼすという想定になっておりまして、それはそれで非常に工夫された想定だと私は考えております。しかし、実際の重大テロというものは、実際の脅威というものは、そういう形で起こることはもはやほとんど考えられない。実際は、例えば天然痘ウイルスのように、姿なきテロで起こるわけでありますから、国民保護法制に取り組まれる場合に、現実の脅威というものをもう一度洗い直す作業が必要であると考えております。
最後に、憲法の問題に戻りまして、憲法九条と前文の問題だけではなくて、憲法第六十五条には「行政権は、内閣に属する。」と書いてあるわけであります。これは、アメリカ合衆国においては、先生方御承知のように、合衆国憲法第二条において、行政権は合衆国大統領に属すると、ただ一点の責任に帰することが明記されているわけであります。
内閣というものは基本的に調整機関でありますから、閣議も調整会議でありますから、そこに行政権が属するという体制自体が、実は危機に対する対処の弱さというものをつくっているものだと私は考えております。
済みません。お時間、超過しました。ありがとうございました。(拍手)