本間浩の発言 (憲法調査会)

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○参考人(本間浩君) 法政大学の本間でございます。このように私の意見をお聞きいただく機会を設けていただきまして感謝いたします。
 初めに、本院憲法調査会の先週行われました憲法と日米安保条約に関する第一回会合における参考人の方々の御意見を速記録を介して拝読し、それについて国際法学を研究する立場から一言申し述べたいと思います。
 条約についてにしろ憲法についてにしろ、その法文に忠実に従って解釈することは大切であります。それと同時に、法文の背後にある真意、歴史的経験を酌み取り、それを参照しながら現在において求められている解釈を確定することも同じ程度に大切であります。
 本論に入ります。
 国連憲章における集団的自衛権の意味ということについて、まずお話ししたいと思います。
 国連憲章五十一条に定める集団的自衛権を個別的自衛権と一体的に見る見方がございます。したがいまして、個別的自衛権を有するということは当然に集団的自衛権を有することである、それの証拠として個別的自衛権も集団的自衛権もともに固有の権利である、あるいは自然権であると、こういうふうに明示されているということであります。
 それに対して私は、こういう違った考え方を取っております。
 集団的自衛権は個別的自衛権とは異質な概念である。集団的自衛権の本質は、武力行使の一般的かつ原則的な禁止原則、これは国連憲章の二条四項、それから安全保障理事会による武力行使の事前許可原則、これは五十一条に定めてありますが、これに対して、軍事同盟に基づく事前許可なしの武力行使の違法性を阻却すること、このことに集団的自衛権の本質があると私は考えております。
 国連憲章の作成過程においては、その草案には集団的自衛権という概念はありませんでした。それが審議の過程において集団的自衛権という概念が挿入されたわけであります。そこで固有の権利という言葉が付け加えられましたけれども、これは個別的自衛権と並べることによって新しい概念に正当性を与えるための法的粉飾であると、こういうふうに見ることができます。そして、この挿入の政治的意味というのは、集団的安全保障体制という、国連の集団的安全保障体制という理想と軍事同盟による対抗的安全の確保というこの現実の要請とを妥協せしめることにあると思います。
 集団的自衛権が権利であって義務ではないからそれを行使するもしないも自由だという、こういう議論もありましたけれども、これは軍事同盟の実質から見ると日米安保条約の存在意味を無力化するものであると言わざるを得ません。これは権利という言葉じりをとらえた見方なんだと思います。実態的には、権利という表現によって事前許可を必要とするというその原則に対する違法性、それを阻却した上に軍事同盟条約により防衛義務関係を構築すること、集団的自衛権概念はその構築の足掛かりであるということであります。
 それでは、その憲法九条下の自衛権ということについてどう考えるかということですが、政府の伝統的解釈、先ほど豊下参考人から紹介がありましたけれども、その政府の伝統的解釈というのは自衛隊の設置及び維持を合憲化するための論理であると、そこからこの他国防衛のための集団的自衛権行使の合憲性を引き出すことはできない、こういうことになってくると思います。
 ただ、この政府の伝統的解釈は、次第に増大化するアメリカの防衛協力要求を拒否する根拠になり得たという意味において、この限りでは効用があったと私は評価しております。しかし、この伝統的解釈では、アメリカの増殖する軍事協力要求をかわし切れないこと、それから自衛隊の戦力増強要請を制約することができないという、こういう意味で限界又は矛盾を含んでいたというふうに見ます。
 これに対する、これに対するというのは政府の伝統的解釈に対する非武装論についてですが、非武装論の真意は、日本の軍事力自己増殖に対する懸念、それにあったんだと思います。この懸念にこたえるというのは、これは日本国民の要請であると思います。ただ、この非武装論というのは、現実のこの安全保障をどうするかと、そういう問い掛けに対して具体的な答えを用意できなかった。それから、この非武装論は、実は米軍の沖縄駐留条件ということを前提にしていた。つまり、沖縄に米軍が駐留するということなしには非武装論が成り立たないという、こういう矛盾を抱えていたということも言えると思います。
 したがいまして、私の論理からすると、現状ではある程度の自己防衛能力、これを持たざるを得ませんし、それから他国による防衛協力への依存ということもこれもまた認めざるを得ない。これはやむを得ない選択であると言わざるを得ないと思います。
 問題は、自衛隊の自己増殖しようとする内的な力をどういう、それにどういうような歯止めを掛けるか、それからアメリカの増殖化する軍事協力要請をどのように制約するか、場合によってはノーと言えるようにするかということであります。
 駐留米軍の目的の変更ということについては、特に一九九七年のガイドラインに示されておりますように、駐留米軍というのは日本以外の地域の防衛に当たるんだと、日本施政下領域の防衛は主として日本独自でやるんだと、こういうことが明示されております。それから、駐留米軍が軍事的に対応する地域的範囲も極東からアジア、更に中近東に広がっている、対応すべき紛争も国家間紛争から他国の内戦、更には国際テロリストの軍事行動、こういったものも対象にするようになってきたと。こうなってくると、そういう対応の必要性ということについて考えなければならないんですけれども、少なくとも現行安保条約上の要件との整合性ということには疑義を生ぜざるを得ないと思います。
 ただ、一層重大な問題となるのは、在日基地から出動する米軍の軍事行動が国連憲章など国際法に対する違反を生じた場合、又はその疑義を生じた場合に、その行動にどのような制約ができるかということであります。例えば、米軍の軍事行動が国連決議を根拠にしていると、こう主張するわけですけれども、その主張に疑義がある場合とか、それから国際社会で認められていない先制的自衛権という概念に基づいて軍事行動を起こしたような場合ということです。それからもう一つは、日本国憲法上許されない行為、措置、つまりこういう新しい措置のために立法しても、その立法が違憲の疑いを生ずるようなそういう措置、そういう措置をアメリカが軍事協力として日本側に求めてきた場合にそれを拒否できるのかと、こういう問題が残っているということであります。
 そこで、次の日米安保体制の効用と矛盾ということについてお話ししたいと思います。
 アメリカの日本防衛の根拠は、日米安保条約に基づく防衛協力義務としてこの集団的自衛権行使、すなわち違法性を阻却される武力行使を行うことにあるということであります。で、日本の施政下にある領域で日米共同の軍事行動が行われる場合に、自衛隊の軍事行動の根拠を日本の集団的自衛権行使に置くという見方については、これは論理的に一種の清涼剤になり得ても、逆にアメリカの増殖する軍事協力要求の主張を誘発する要因になりかねないという意味において危うい一面があると言わざるを得ないと思います。
 それから、またアジア諸国が日米安保条約の維持に期待しているわけですけれども、その期待の真意は日本の軍事力増大化に対する警戒感にあります。そうすると、自衛隊の戦力増強を抑え込むためには日米安保体制が必要だということになる。つまり、瓶のふた論ということが言われているわけですが、それと、この日本の憲法では、これは建前ということになりますが、憲法の前文を見ますと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というこの文言は何を意味するかというと、日本の安全保障、これを国連軍にゆだねるという発想であります。しかし、国連軍は存在しません。将来、形ばかりの国連軍が結成されたとしても、日本の安全保障に効果的な措置が取れるという可能性が生まれるのかどうかということについて、現在の状況ではなお疑義があると言わざるを得ません。
 こういうことになってきますと、総括的に申し上げますと、いわゆる政府の伝統的解釈はそれなりに私は評価すべきであると思います。その集団的自衛権についても、日本はその自衛権の行使、これはそういう考え方を取るべきではないということになると思います。つまり、対米協力、これは日本の個別的自衛権の一つの戦術技術的な面の問題として対応できると、私はそう考えます。
 それから、米軍の駐留に伴う諸問題と地位協定の問題について触れておきたいと思います。
 駐留米軍は、基地周辺住民を始め、日本国民の理解を欠かせないはずであります。それにもかかわらず、とりわけ沖縄県民に大きな負担を負わせておりまして、皆さん御存じのように、全国の米軍専用基地の七五%が沖縄に集中しているという状況があります。日本の安全保障上、米軍の日本駐留を認めることがやむを得ない選択であるとしても、住民、国民の負担を少しでも軽減していかなければならない。また、現行のその地位協定の改定に国会はもっと強い関心を寄せていただきたい、こうお願いするわけであります。
 そういう要請に対して、アメリカの軍事力に依存している以上、安保条約、地位協定の見直しに日本側から言い出しにくいという、こういう見方があります。それに対して私はこういうふうに反論をします。
 地位協定の改定問題には緻密な対応が必要であって、また可能である。というのは、地位協定というのは米軍、米軍関係者の法的地位に関する協定の側面と基地協定の側面と両方持っているということであります。住民の立場から地位協定の改定を求めることは、これはアメリカ側はしばしば、これはナショナリズムの問題だというふうにとらえるわけですけれども、そうではなくて、人間らしい生活を求める国民の声の、あるいは住民の声の叫びであると見なければならないと思います。
 そこで、若干の具体的な問題を取り上げたいと思いますけれども、まず基地の整理、縮小問題に関しては、冷戦構造崩壊後も対ソ戦略に対応する規模、機能が維持されております。とりわけ沖縄基地の場合、本土ではもう当然問題になるであろうと思われるんですが、住民の福祉に重大な影響を及ぼしている地域にその基地が置かれている、こういう基地を迅速に整理しなければならない、整理、縮小しなければならないと、こう考えるわけであります。
 それから、二番目には、米軍の基地使用についても、原則的に日本の国内法上の基準が適用されると解釈すべきであります。ボン協定、つまりドイツ駐留NATO軍の地位に関する補足協定でありますが、この協定は一九九三年に大改正になりまして、この協定では、ドイツの国内法が原則的に適用されるということが一層明確にそこに定められたわけであります。
 それから、イタリアに駐留する米軍についても、基地使用に関する実施取決めというそういう条約が一九九五年に締結されまして、この条約においてもイタリアの国内法が原則的に適用されるんだというんです。
 これはどういう法的意味を持っているのかというと、今の外務省の解釈ですと、地位協定に定めのない限り日本国の国内法は適用されない。だから、逆に言いますと、日本国の国内法に定めていないことについてはアメリカは何でもできるんだと、こういう解釈になっていくわけであります。これが日本国の国内法が原則的に適用されるということになれば、その地位協定に定められていないものについては、米軍はその基地の使用権、これがないんだと、こういうふうになるわけであります。
 それから、次の刑事手続問題でありますが、これについては、とりわけ米軍人の被疑者引渡問題ということで大変問題になっているところでありますが、これについてもこの十七条の五項、引渡しについては十七条の五項ということが扱っているわけですが、この(a)項では、引渡しについて相互協力、相互援助するんだということが定められている、そして(c)項において日本の公訴提起まで米軍当局がその被疑者の身柄を拘禁すると、こういうことになっているわけであります。
 日本の外務省は、内々には(a)の原則、つまり引渡しについて相互援助するという原則を日本に当然に引渡しがなされるものだと、こう理解していたように思われます。ところが、現実には、公訴提起、日本側の公訴提起まで米軍当局が拘禁すると。つまり、例外が原則化されているということであります。
 それから、次の経費負担問題についても、これはNATOでもこれは大変な問題になっているわけでありますが、これは前回の会議において田岡参考人が指摘したことでありますが、日本がこの、何といいますか、経費負担についてルーズなやり方をするということによって、NATO諸国に実は、アメリカ以外のNATO諸国に迷惑を掛ける可能性があると言わざるを得ないと思います。
 時間になりましたので、あと、結びに代えてというところがあるんですが、そこでは私、前回のこの会議において平和主義ということについても述べられましたので、それについてお話ししようかと思ったんですが、時間になりましたので、また御質問があったときにお答えしたいと思います。

発言情報

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発言者: 本間浩

speaker_id: 17407

日付: 2004-02-25

院: 参議院

会議名: 憲法調査会