岩本荘太の発言 (憲法調査会)
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○岩本荘太君 今年になりましてこの憲法調査会に参加させていただきまして、早々にこの平和主義と安全保障の問題に、議論に参加させていただいたわけですが、私もちろんそういうものの専門家でもございませんので勉強させていただいた身でございますが、常々現場の率直な立場の意見をいろいろ聴して、お話を伺ったというような立場から、多少感覚的な理想論になるかもしれませんが、お聞き願えればと思っております。
この問題につきましては、先ほど会長が申されましたとおり四回ございまして、私は四回とも質疑に参加させていただきましたことをまず感謝いたしたいと思いますが、その質疑を通しまして感じたことは、今の社会では武力による衝突やむなしが主流になっているとの感が否めないということでありました。それがまた、最近の日本社会一般に見られる風潮に思えてならないのであります。昨今の風潮の中では、平和主義を唱えようものなら、のうてんきだと非難の目を向けられそうな気がしてなりません。
参考人の皆さんと交わした質疑の中で、私は、この先戦闘行為をすべて放棄する社会があり得るかとただしたのでありますが、ほとんどの方々は否定的な意見でございました。しかし、確かに有識者の客観的かつ冷静な判断はそうでありましょうが、戦争のない世界というのは皆さんだれもが願う世界であると思っております。そうして、そういう世界は、皆さんそれぞれ各人がそれを望み、努力しない限り巡ってはこない。そこに至る道のりがいかに厳しかろうと、希望の火を絶やしてしまえばそういう世界は絶対にやってこないということを認識しなければならないと思っております。
かつて、私の経験では、私の記憶では、党派に関係なく戦争を忌避し、平和を求める声が凌駕していたと記憶しておりますが、世の中の、そういう世の中の風潮が何でこれだけ変わってしまったのか。第二次大戦の怨念を潜在的に持ち続けてきた人たちがやっと自己主張できる場を得たということなのか、あるいは熱さがのど元を過ぎてしまったということなのか、戦争の経験のない人たちが巧妙な戦争プロパガンダに踊らされているということなのか、あるいは経済的な行き詰まりに悩まされて、その行き詰まりをいかに打開しようかもがいているということなのでありましょうか。
今の時代の状況は、軍事的制圧を念頭に置かなければならない社会だという判断は一面では認められるとしても、今の状況がこの先もずっと続いていくだろうということには疑問を持っております。今の状況も、顧みれば、最近になって大きく変わってきたものであると見ているところでございます。したがって、この先再び状況が大きく変わることも考えられるわけでございますので、そのことを考えますと、今の状況に合わせて、目先のことにとらわれて早々に軍備を容認する憲法改正を急ぐことが得策かどうか、慎重に検討することが必要であろうと考えます。
また、この問題を結論付けるには、国民あっての国家であるという認識に立てば、本当に戦争に行かなければならない年齢の人々、階層の人々に本当に戦争も辞さない気持ちを持っているかたださねば現実的な答えにならないことを心しておかなければならないと思います。更なる意見交換を尽くすべきであると思います。
最近のきな臭さが充満する世界状況を眺めておりますと、そのよって来るところは貧困層の拡大にあるのではないか、それはまた、とどまることのない発展途上国の人口増に起因しているとも言えるのではないか、そのせっぱ詰まった救いようのない状況が自爆テロを誘発する要因になっているのではないかというような見方もできると思います。
特に、現下の世界は所得格差の拡大が進んでいると見ていいと思いますが、その弊害は、国内面、国際面の二面にあると考えております。したがって、その格差に起因する貧困の解消をその国の国内体制の欠陥を是正することに求めるだけでなく、先進国は自ら南北格差の大きさに気付き、その是正に今以上の役割を果たすべきであることを認識すべきであると思います。
貧困と人口増の問題を何らかの形で解決できれば、世界は戦争のない安定した状態に到達すると私は信じてやまないものであります。その状態に到達するために、世界じゅうの人たちが国際連合の組織の下に協力する必要があると考えております。
戦闘なき世界を求める手段として私が日ごろ考えていることを申し述べさせていただきますと、その一つは、人類はその進化の段階で戦争というものを作り出し、多くの不幸を招いてきたのでありますから、更に人類は進化して戦争というものを抹殺できるのではないか。そのためには、もっと歴史を学ぶ社会、歴史を学ぶ人類に我々が発展しなければいけない。その反省がまず必要であると思います。
また、民主主義を情報の公開と合議制の徹底ということに定義するとすれば、戦時には民主主義は通用しないと私は考えております。そのどちらも軍事作戦に大きな障害となるからでありまして、そんなことを徹底しては戦争に勝てるわけがないと考えております。その手を逆用すれば、民主主義を徹底すれば戦闘はできなくなるということに着目できないかということであります。
今、世界は、いかなる国も、その中身はイデオロギーによって多少異なることは確かでありますが、民主主義を基本としております。日本が戦後たどってきた道が正にこの民主主義であればこそ、戦闘ができなかったという、できないというその模範であると考えるところであります。もちろん憲法の規定は否定するわけではございませんが、それ以上にこの民主主義の徹底による合議制が戦争を回避してきたと私は考えたいと思っております。その我が国のたどってきた道を国際社会、特にいまだ民主主義を導入し得ていない国に宣伝すべきではないかというふうに考えております。
さらには、一般的に申し上げまして、敵対する二者の間には利害の程度を異にする中間派が数珠つなぎにいることに着目しなければいけないと思います。時間を掛けましても、その数珠つなぎを丁寧にたどっていけば、極端な両者の、両端の二者が戦うことなく合意できる答えはおのずと見付かるものと確信をいたします。この役割は国連あるいは国際交流の活発化によってなし得るものと考えております。
歴史は繰り返すものと単純に解釈して、現在の状況が歴史の必然と割り切って見過ごしていてはならないと考えます。歴史が繰り返されている間に兵器の威力は確実に向上し続けております。さきの第二次世界大戦では人類を滅亡させるに十分な威力を持つ兵器の出現を見たところであります。このまま同じ歴史を繰り返していては、たとえ一国が残っても、気が付いたときには周囲にはだれもいなかったということにならないか、その道は絶対にたどるべきではないと思います。
次に、それでは現実の対応をいかにすべきかということでありますが、日本の場合、平和憲法を半世紀以上守ってきております。その国が今普通の国宣言をすれば、他国とは比較にならないほどの危機感を持って外国に受け止められる、特にアジアに受け止められるに違いないと思っております。その点を留意しなければならないと思っております。
また、一国がいかに不戦を誓っても、それはよその国の行動を規制するものではない。すなわち、一たび戦闘状態に陥れば、日本の平和憲法など何の役に立たないのではないかというふうに考えるものであります。とすれば、自国を規制するだけの憲法であれば今までどおり平和主義を貫いていいのではないか、理想として日本は不戦国家であることを高らかにうたい上げるべきであると私は考えております。
とはいえ、現下の世界情勢では他国からの侵略が危惧される気持ちも否定できません。自衛のための策も考慮しなければならないことは当然であります。その観点からすれば、五十有余年にわたる日本人同士の切磋琢磨の上に成り立っている現在の自衛隊は認めるべきであります。そして、現在よりも行動領域を拡大しないよう留意し、努力すべきではないかと思っております。さらには、自衛のための認識を明確にするためには、領土内、領海内以外では行動を起こさない、また国家権力の暴走を歯止めするためには、徴兵令と言っては言い過ぎでございますが、強制的にそういう役に就かせるようなことはしないということをはっきりと規定すべきであると考えております。
以上、私の討論を終わります。