青山武憲の発言 (憲法調査会)

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○参考人(青山武憲君) 青山でございます。
 日本国憲法前文の問題点というテーマで愚見を述べさせていただきます。
 ただ、日本国憲法の前文につきましては既に論じ尽くされています感があります。ですから、ここでどれだけ独自のものを述べ得ますか自信はありません。今から述べますことにつきまして既にお聞き及びのようでしたら、どうか御容赦お願いいたします。
 レジュメをお配りしてありますが、レジュメを提出した後、当調査会から送られてきました当調査委員会の調査資料を拝読しましたところ、そのほとんどが当委員会で発言されていることを知りました。それでも、レジュメは既に提出されていましたので、ここでは大方レジュメに従いながら、でき得る限り、既になされた調査と重複しないような愚見の開陳に努めます所存です。
 手続上は大日本帝国憲法の改正案であるはずですが、その実、新たな憲法案であります日本国憲法案を審議しました際、金森徳次郎国務大臣は、前文に関連して、前文は必ずしも満足いくものではないが、文章の善悪等は別の観点と述べられながら、よく分かるように書くことが適切であるという考えを示されました。また同じく、金森大臣は、日本国憲法案の前文が英文和訳的で悪文とする批判がなされ、美文に改めることについて問われました際には、私といたしましては、この憲法がいろいろの事情からして、相当の早い時期に実施されることを願望してやみませぬがゆえに、願わくばその趣旨と背馳せざるように御協力を願いたいと考えておりますと答えておられます。
 このようなことからして、日本国憲法前文の文章におきますある程度の欠点の存在は、日本国憲法の制定に際して既に覚悟されていたようであります。そういうことであります以上、日本国憲法前文の欠点の修正は、金森大臣が考慮に入れましたいろいろな事情がなくなりました暁には、当然、後世の人の責務であったわけです。
 日本国憲法の前文には、その文章以外にもいろいろな欠点が存在します。
 金森大臣は、その前文についてよく分かるように書くことが適切と述べられましたが、その前文には書き出しからして分かりにくいものがあります。「正当に選挙された国会における代表者」という書き方は何を意味するのでしょうか。このような書き方がなされていますから、時々、学生から、国会議員のほかに正当に選挙された国会における代表者がいるのですかと聞かれます。そのような質問が出ないようなもっと端的な書き方があったはずです。
 もっとも、「正当に選挙された国会における代表者」というのを国会議員と理解することは私は正しくないと思います。前文は「国会」という言葉を用いていますが、一体、国会は日本国憲法によって設けられたものです。したがって、日本国憲法が制定される以前に国会議員は存在するはずがないのです。
 ただ、「正当に選挙された国会における代表者」ということにつきましては、それを我が国が代表民主制を採用することを意味すると理解する人がいます。そのように理解することは不可能ではありません。しかし、そのような理解が正しいとしますと、その部分は同じく前文第一段の、その権力は国民の代表者がこれを行使すると宣せられた部分と重複することになります。いかに何でも同じことを続けて宣しますことは、いかにも稚拙な作業です。ですから、そのような解釈が正しいとしますならば、そのような文章は直ちに是正されなければなりません。
 しかし、その原案を練りましたGHQによる英文によりますと、「正当に選挙された国会における代表者」とは書かれていません。日本国憲法上の「国会」は、英文ではザ・ダイエットとされていますが、その前文におきます問題の部分の「国会」は、ザ・ナショナルダイエットとなっているのです。そのザ・ナショナルダイエットとは、実際には日本国憲法案を審議した帝国議会を意味するはずです。したがって、「正当に選挙された国会における代表者」とは国会議員ではなく、帝国議会議員ということになります。問題の部分は、代表民主制を採用することを宣したのではなく、帝国議会に代表者を送って日本国憲法案を審議したということを宣したものだと思います。
 そのことを示して英文憲法は、第一段の第一文を過去形の形で書いております。したがって、その部分は規範ではなく事実を述べたものなのです。ところが、その部分は事実を述べた部分でありながら、真実を述べたものではありません。と申しますのも、帝国議会は衆議院と貴族院とによって組織されていたからです。貴族院は御承知のとおり、正当に選挙されたものではなかったのです。したがって、問題の部分は、分かりやすいどころか分かりにくく、しかも虚偽を述べた部分でもあったのです。
 日本国憲法前文の書き出しは、英文憲法といろいろな意味で一致していません。例えば、英文憲法では「この憲法を確定する。」ではなく、この憲法を確定することを決意するとなっているのです。これは我が大学の英語の先生にも確認していただきました。
 ところで、「確定する。」という言葉は英語でエスタブリッシュとなっていますが、その意味も法的には必ずしもはっきりしません。と申しますのも、アメリカ合衆国憲法や一部南米諸国の憲法では、エスタブリッシュという言葉だけをもって憲法を宣言したりしてはいません。そのエスタブリッシュという言葉を用いている憲法で、アメリカ合衆国の憲法と一部南米諸国の憲法とでは宣言の仕方が少しく異なりますが、それでもほとんどがオーデーンという言葉を伴っています。オーデーンとエスタブリッシュ、これは参議院のたしか法制局の翻訳であったと思いますが、それによりますと、制定し、確定すると、このようになっているんです。一部南米諸国の憲法ではその他にも一語加わりますが、要するに、ドゥという強調の助動詞を伴って、ドゥ・オーデーン・アンド・エスタブリッシュという形で二つの言葉が用いられると。エスタブリッシュという言葉だけで宣言しているところはそれほど多くはないのです。
 エスタブリッシュという言葉で憲法を宣言しているのは、アメリカの、せいぜい、カリフォルニア、アイダホ、ミズーリ、ネバダ、ニューヨーク、デラウェア、ウィスコンシンといった州の憲法だけだと思います。アメリカの多くの州で、エスタブリッシュという言葉を持った憲法は、制定し、確定するとうたっているのです。それの宣言の仕方には意味があるものと思われます。まだ調べておりませんが、絶対に何か意味があるものと思われます。
 エスタブリッシュという英語の問題はともかくとしまして、日本国憲法前文の「確定する。」という言葉の意味も余りはっきりしないのではないでしょうか。
 前文の分かりにくい点といいますと、本文規定九十七条にも存在します「信託」という言葉です。同じ言葉でありながら、前文と本文とで同じ意味か否かはっきりしないのです。同じ言葉ですから同じ意味を持つと理解するとしますと、おかしなことになります。
 より具体的には、例えば、前文において、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託による」と宣していますが、信託した後、国政が依然として国民のものなのか、国政を行う者のものなのか、はっきりしないのです。もし、信託した後も国政は依然として国民のものであるとします。そうしますと、憲法九十七条では基本的人権は国民に信託されていますから、基本的人権は信託した者のものであって、国民のものではないということになります。その場合、憲法九十七条では、基本的人権を国民に信託した者はだれかという問題が解明されなければなりません。それは、基本的人権を持っている者はだれかという問題でもあります。
 ところで、憲法十一条では、基本的人権は「国民に与へられる。」となっています。ですから、与えられた以上、基本的人権は国民のもののはずです。その意味で、憲法九十七条と同十一条とは一致しません。また、この憲法十一条でも、基本的人権を国民に与えた者はだれかという問題が解明されなければなりません。
 ともあれ、ここでは、日本国憲法前文の信託と本文規定の信託とは同じ意味なのか、そうでないのかはっきりしません。であります以上、もう少しよく分かるような言葉で宣言せらるべきであったのではないかと思います。
 日本国憲法と本文とでは内容的に一致しないところがあります。憲法前文第一段では、人類普遍の原理を宣言し、また、その普遍の原理に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除するとさえ宣言しています。この「排除する。」と宣言した部分は、決して経過規定というだけではないはずです。そうしませんと、日本国憲法を改正して国民主権主義を排除することができることになります。
 日本国憲法前文が宣言している普遍の原理の内容は、国民主権主義、代表民主主義、国民福利主義です。その前文では人類の原理ではなく、「人類普遍の原理」と言っていますから、およそ例外はないはずです。例外がありますと、もはや普遍ではなくなるからです。
 ところが、日本国憲法本文は一部に直接民主制を採用しています。国会議員の選挙、最高裁判所の裁判官の国民審査及び憲法改正、地方自治絡みで地方特別法に関する住民投票がそれです。もとより、地方自治も人類の行為にほかなりませんが、その地方自治において、地方自治法には直接民主的制度は多様に存在します。原理や原則には例外があっても構いませんが、およそ普遍のものには例外はないはずにもかかわらずです。それどころか、現実の情報開示制度が既に導入されています。最近では、裁判員制度の導入の動きもあります。また、地方では次第にいわゆる住民投票が行われる傾向が確認されます。
 少しく繰り返しになりますが、日本国憲法前文は国政の原理ではなく「人類普遍の原理」と宣しているのです。そして、その普遍の原理と矛盾する制度が規定され、また表れつつあるわけです。日本国憲法が「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と強い言葉で宣言しているにもかかわらずです。これは、日本国憲法の前文の宣言の仕方が必ずしも妥当ではないことを意味しているのではないのでしょうか。
 日本国憲法前文第二段の第二文と第三文、すなわち、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」という文章と、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という文章とは逆でなければならないのではないでしょうか。
 一体、国際社会も全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認しているからこそ、平和を維持しようとしたり、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているはずです。にもかかわらず、我が国民はその国際社会がそのような努力をしている状態で平和に生きる権利を確認するだけでは意味がなく、権利を確認した以上、平和の維持のために努力している国際社会で名誉ある地位を占めたくなる、あるいは名誉ある地位を占めるための何らかの行為を営みたくなるということでなければならないと思います。
 日本国憲法前文第四段は、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を」「誓ふ。」と宣言していますが、一体だれに対して誓っているのでしょうか。
 誓うとか願うとかは、元来、誓ったり願ったりする者より上位の者、天主や神仏に対してなされる言葉です。そうでない限り意味のない行為なのです。誓った行為に反した行為を営めば、いわゆる天罰的な、理論上何らかの制裁的な行為をなし得る者に対してなされない限り、無意味なのです。しかし、主権の存する日本国民が誓っている相手は一体だれなのでしょうか。
 ともあれ、現実には国民は憲法改正に先立って実際に憲法を自主的に改正しています。否、国民だけでなく、国家の機関も憲法改正を実際に行っています。
 当調査会も、調査に先立って憲法改正を既に行っているようです。例えば、ここに当調査会からいただきました「日本国憲法」がありますが、既に旧漢字はすべて改められています。これは当調査会がもはや旧漢字など使えるものではないという判断の下に自主的に改正したのではないでしょうか。私は、かつて人の名前で、たしか難しい漢字で書く澤田さんか大澤さんだったか分かりませんが、それを易しい漢字で沢田と書きましたら、私は難しい漢字の方の澤田ですといった訂正をされた経験がございます。人は重要なことには正しさを求めるものです。にもかかわらず、重要な日本国憲法において、六法全書を見ても文部省検定の教科書も、既に憲法改正を旧仮名遣いについて実践しております。「日本国憲法」は、実際には難しい方の漢字を書いた「日本國憲法」なのです。
 もっとも、平仮名につきましては、多くが許容範囲として自主的改正を必要なしとしているようです。日本国憲法の紹介に際して、日本国憲法前文の最後の「誓ふ。」と書いた部分を「誓う。」と書いている例はいまだ見たことはありません。しかし、私などは平仮名を率先して改正していただきませんと、先ほど述べました「除去しようと努めてゐる国際社会において、」と言う場合のわ行の「ゐ」の発音ができません。
 その現実に一部改正されています日本国憲法の前文に関しまして、新憲法の制定に際しましては多分に憲法制定のいきさつとか目的及び理念等がうたわれると思いますが、その際、私は、日本人が大事にしてきたものを是非挿入してほしく思います。その日本人が大切にしてきたものとは何かと申しますと、意見もおありでしょうが、私の認識では、英先生の前文案にもあります「和」です。
 聖徳太子による十七条憲法では、和の精神が説かれています。「うえやわらぎしもむつみて、あげつらうにかなうときは、じりおのずからつうず、なにごとかならざらん」の精神です。その精神は、万機公論に決すべしとか、上下心を一にす等として、五か条の御誓文や日本国憲法制定に先立ちまして、新日本建設の礎の詔にもあらわれております。
 我が国では政治や行政の組織だけでなく、企業から村落の生活等に至るまで、昔から会議が多いのは、和を重んずる精神の反映だとも言えます。白川静先生の「字統」によりますと、和という文字におけるのぎへんの「禾」は軍門の象、「口」はさい、すなわち祝祷を収める器を意味し、したがって、軍門で盟誓、誓うですね、盟誓し、和議を行う意味で、和平の意となるそうです。そのような意味を持つ和の精神は、人々の間における親和、家庭や社会の構成員の協和、国際社会における平和、人類と自然との調和等と、元々穏和な我が国民性に非常に合ったものと思います。いささか和という文字のいいとこ取りをいたしましたが、そのような和の精神を前文に是非とも反映してほしいものです。
 それから最後に、天皇についても一言あってほしいものです。天皇は我が国の文化、伝統を継承している象徴的存在でもあるからです。是非このようなものを含めた宣言文をお考えいただきたいと思います。
 以上でございます。

発言情報

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発言者: 青山武憲

speaker_id: 10875

日付: 2004-04-21

院: 参議院

会議名: 憲法調査会