英正道の発言 (憲法調査会)
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○参考人(英正道君) 英でございます。
周知のことでございますけれども、現行憲法には第九十六条という改正規定がございます。これによりますと、国会が発議した憲法の改正提案が成立するためには、国民の過半数の賛成が要件となっています。日本は自他ともに許す先進民主主義国でございますから、この規定は至極当然のことであります。しかし、現実には、有史以来、日本国民は国の最高法規である憲法を作る作業に直接参加したことがありません。明治憲法は欽定憲法でございましたし、現行憲法も実質的には敗戦後の占領下で占領軍が起草したものであります。
私は、民主主義国家である日本を構成する日本人が一度も憲法を作る作業に参画していないということは極めて異常であると考えるものでございます。私は、他の参考人の先生方のような憲法を深く学んだ学者ではございません。一介の元公務員でございます。しかし、憲法前文の問題については、すべての国民が意見を持ってよい問題であると考えております。
本日は、一国民としてこの権威ある調査会で意見を述べさせていただくことは大変に名誉なことと感謝申し上げます。
国民の一人として、私は、一日も早く私たち国民がそれぞれの一票を投じて成立させた国の最高法規である憲法を持ちたいと切望しております。しかし、国会の発議なくして国民はこの自国の憲法を選ぶという権利を行使することはできないのであります。国民の一人として私は、立法府の皆様方に、是非私たちがこの重要な権利を行使できる条件を作り出すようお願いいたします。
憲法改正の機運は高まっております。理由は極めて簡単でございます。それは、多くの国民の間に、現行憲法は日本に国民主権を定着させるというその歴史的な役割を終えたけれども、新しい問題に対応する指針を提供していないという認識が深まっているからでございます。
では、国民が求めているものは何でありましょうか。二十一世紀に入って、日本は国の中でも外でも数多くの新しい問題に直面しております。国民は、国の最高法規である憲法が二十一世紀の世界に生きる日本が必要としている指針や制度を明快に示すことを求めていると言ってよいでありましょう。その求める内容は人によって様々であると思います。この点については、目下、衆参両院に設けられました憲法調査会が五年間にわたる膨大な作業を続けていらっしゃると理解しております。
私個人といたしましては、憲法前文の改正こそが最も重要な問題であると考えておるものでございます。以下にその理由を申し上げます。
その前に一言、憲法の前文そのものについてでございますが、様々な意見があるということに簡単に触れておきます。
世界の主要国の憲法には前文が存在しないものもございます。だから、前文はそう重要ではない、不必要であるという意見もあります。他方、前文は極めて重要であって本文と切り離して前文のみの改正は適当でないとする意見もあります。私は、このいずれの意見も考えとしては間違いじゃないと思います。
ただ、私がここで強調いたしたいのは、憲法前文は極めて重要な役割を果たすことができるということでございます。私はこれから行われるであろう憲法改正作業の中で、前文に積極的な役割を果たさせる方向で改正を考えてみてはどうかというふうに考えるわけでございます。
具体的に申し上げますと、憲法前文が果たすべき役割としては、私としては次のような五つのものが考えられると思います。
第一は、日本の伝統と文化の上に立つこの国の形を示す役割でございます。
私は、日本国民が自分たちの憲法に誇りと愛着を持つことが極めて大切であると考えます。私たちがこれこそ自分たちの憲法であるという意識を持つためには、その前文において日本の歴史、価値観、伝統、文化などが述べられていることが重要でございます。このような日本の自己認識、英語で言うとアイデンティティーということになりますが、そういう自己認識に到達する一番の近道というのは、私は、先祖返りをすることではなくて、過去が投影されているこの現在を私たちがよく見詰めることによって日本人の特性を見付け出すということであると思います。
憲法の前文を考える機会に、過去から私どもが連綿と受け継いできた日本人の伝統の中で何を将来に引き継いでいくべきかを考えてみることには大きな意味があると存じます。
第二は、日本の進路を明らかにする役割でございます。
急速で広範なグローバリゼーションの進展から、二十一世紀において日本は過去のいずれの時代よりも規模の大きい急速な変化を体験すると思われます。変化に対応するためには、私たちは変わらなければなりません。そうしなければ、日本は取り残されて衰退していく運命をたどるでありましょう。
新しい憲法前文は、グローバリゼーションが進む中で、日本人はどういう心構えで未来に対処しなければならないかということを示すという重要な役割を果たせます。私が特に重要であると考えますのは、グローバライゼーションが求める変化の中における国家の役割の変化でございます。
二十世紀は国家主権が至上のものとされた特異な時代でございました。国家はその領域の中で国民を統治するものとされ、各国国民が何ら望んでいなかったにもかかわらず、二つの世界大戦が戦われ、非戦闘員の大量殺害が正当化されました。
国際社会は、このような不幸な経験から学んで、貿易や国際金融をできるだけ自由にする制度を築き上げる一方、武力行使を厳しく制限したり、環境破壊を減らすような国際合意を作ってまいりました。多くの分野にわたり国家は次第次第に勝手に行動できなくなってきています。つまり、国家主権に対する制限は次第に増大する傾向にあるわけでございます。欧州連合のように、幾つかの国家が主権の一部を自発的に他国との共同処理にゆだねるために譲り渡すということも始まっております。
このような流れの中で、私は日本が今後孤高を維持するということなどは到底できないということは明らかであると考えます。私はむしろ、日本はグローバリゼーションの結果必要となってくる国家主権への制限を積極的に受け入れてよいと思います。これは極めて重要な変化でございますので、私は新しい憲法前文の中で、日本と日本よりも上位の存在である地球社会との関係についての長期的な視点に立った考え方をはっきりさせておくことが必要と考えます。
第三は、日本人に現在の閉塞感を打ち破る活力を与える役割でございます。
人間と同じように、国も夢を失った時には衰えると思います。近年の流れとして、日本人の国家への帰属意識は次第に希薄となっているように見受けられます。反面、国民の間には、特に若い世代の人たちの間には国際平和、環境保護、途上国の進歩達成、人口問題などという地球が直面する諸問題への関心が強くなっています。このような意識の中に潜んでいる先進、先端性といいますか先進性は積極的に評価していいと思います。
現在の日本には、世界で最も進んだ憲法を議論する素地が存在していると考えます。国民のよりどころとなる健全で前向きな日本の理想を新しい時代認識として憲法の前文にうたうことができれば、私はすばらしいことだと思います。
第四は、世界の中で日本の座標軸を明らかにする役割でございます。
日本の座標軸は、歴史の認識と世界の認識で決まります。明治以降の日本人は、欧米列強に追い付け追い越せ、そういう政策を国を挙げて追求してまいりました。その結果、日本人は、無意識のうちにほかの文明との間の優劣に一喜一憂するというようになってしまったと言っても過言ではないと思います。自国の文化に自信を持っていれば、少しぐらい経済が浮き沈みしても平気でいられるはずです。日本人が外国に対してむやみに居丈高になったり卑屈になったりするのは、私は自信欠如のなせる業だと思います。
私は、それぞれの民族にはそれぞれ優れたところがあると考えることがこの問題を克服する上で有益であると考える者です。日本の文化が優れているという認識を持つ一方、他の諸国の文化もそれぞれその民族が誇りを持っていることを尊重しなければなりません。
私は、そのためには世界の多くの文化の間に優劣を付けない文化多元主義の考えをはっきりと打ち出すことが適当という考えです。それは、世界の諸文化、諸文明の間の同列性を認める立場であるとともに、幾つもの文化が一つの国の中で併存することに寛容でなければならないということをも意味します。
このような文化多元主義の考えを国の基本に取り入れれば、一部のアジア諸国にいまだに根強く残っている日本のアジア支配への疑念を克服するに役立つかもしれません。それは、取りも直さず、健全な歴史認識にもつながります。
日本が国際社会の中で他国に脅威を与えず、他国に侮られないで、自然体で生存を続け得るためには、抽象的な国際主義を掲げるだけでは不十分であります。自らに誇りを持つが、同時に他国も尊重するという姿勢が明確に示されなければなりません。諸国民が持つそれぞれの固有の文化を尊重するという文化多元主義の考え方は、二十一世紀の日本に一つの重要な座標軸を提供することになると思います。
第五は、日本が包容力があって普遍性のある社会を築くことを可能にする役割でございます。
新しい憲法前文が掲げる日本の理念が普遍性を持つべきであるという考えには、異論を唱える方がいらっしゃるかもしれません。日本人の憲法なのだから日本人にとって大事なことだけを書けばよいと、それが外国に通ずるかどうかは心配する必要はないという反論があるかもしれません。また、憲法は文化的な宣言ではない、これは国家の構造を規定する基本文書であるから、文化が入り込む余地はないという方もおられるかもしれません。
確かに、私たちの憲法が対象とする日本社会は、その構成員の大部分が日本語を話し、日本の伝統的な価値観を持つ日本人が住む社会であります。しかし、日本社会は歴史的に閉ざされ、静止した社会ではなく、中国文明、西欧文明、米国文明などの影響を色濃く受けてきておりますし、海外から人の流入もあります。私は、むしろ異文化の受容という点では日本社会は特に際立った寛容さを示してきたと考えます。
今後、グローバリゼーションが更に進めば、外国文化や外国人は今後ますます日本社会へ流入するでしょう。近年、外国人と結婚する日本人の数は急増しています。日本社会は、現在、新しい血を急速に取り入れていると見られます。このような異なる文化的背景を持つ者が日本社会の中に増える結果、日本社会が活性化されることは疑いがありません。
しかし、将来にわたって、日本に調和のある社会を維持するためには、日本人は外国人を日本社会の中に包摂していく積極的な努力をすることが求められます。日本に暮らす外国人についても憲法の規定は準用されるべきであります。特に、永住権を取得して日本に暮らすことを選択する外国人には、でき得る限りの配慮がなされなければならないと思います。長期的には、これらの永住外国人が日本国籍を取得することを私たちはもっと歓迎するべきです。日本は、外国人に対する差別をなくして、教育、医療等を含め、外国人のための諸制度をよりよく整備することが必要です。
外国人の日本社会への同化は、日本人が掲げる価値観や理念が、日本文化の上に立ちながらも普遍的な合理性を持っている場合には一層容易になります。
私は、新しい憲法の前文は、国内にあっては、日本人に異文化との関係に指針を与えるだけではなく、同時に、国内に居住する非日本人、さらには新たに日本社会に加わる外国人にも意味を持つものであってほしいと思います。
さらに、もう少し考えを進めれば、普遍性のある価値観を掲げるのにとどまらないで、他の文化圏においていまだ認知されていない先進性を有する価値観をも包含することが一層望ましいのです。比喩的に言えば、諸外国から優秀な人間が日本のその価値観を慕ってどんどん日本に来て、究極的には日本国民となることをもいとわないというような理念を掲げようということであります。
ローマの迫害の中で愛と福音を説いたキリスト教が、次第次第にローマ世界を超えて広く全世界に伝播していったように、日本の掲げるそういう理想が、理念が近隣諸国に安心を与えるだけではなく、歴史の中で認知され、次第に普遍性を持つことがあり得るかもしれない、そのくらいの気宇と夢を持ってもよいのではないでしょうか。
ここでちょっと脱線をすることをお許しいただきたいのですが、最近私は日本とビルマの合作の「血の絆」という映画を見て大変に心を動かされました。ビルマ戦線に従軍した日本軍軍人の一人娘が、父亡き後ビルマへ赴いて、父と現地の女性との間に生まれた血のつながった弟を捜し出す旅をします。その弟は、激しい心の中の葛藤を経て、最後には訪ねてきた姉と心を通わせるという筋書です。
そこには戦争と平和、国家と個人、宗教、愛、そしてアジアの中の日本という重要な問題について、日本人の魂を揺さぶるような問題提起がなされておりました。そこには、私が前文の試案を模索しながら考えたことと共通する問題意識が多く見られました。
その共通する問題意識は、一言で言うと、日本とはどういう国なのかということでございます。子供から又は外国人からこの質問を受けたときに、私は何と答えるでしょうか。恐らく多くの人は、平和憲法を持つ民主主義の国だよと答えるでしょう。正に今の憲法の前文に書かれていることです。しかし、更に一歩踏み込んで、それではその世界の平和のために日本人は何をするのですかとか、日本は他の平和的な民主主義国とどこが違うのですかと聞かれたら、答えに戸惑う人が少なくないと思います。
なぜそうなるかというと、現在の日本人は明確な自己認識を持っていないからだと思います。戦後の教育は、正に現行憲法前文が述べているような普遍的な価値観に重点が置かれ、日本らしさというようなことは学校で教えられていないし、また、私たちはこのことを自らに問い掛けることをしてこなかったのではないでしょうか。
私は、大変に僣越ではございましたけれども、三年ほど前に私の前文試案というものを書いて問題提起をいたしました。もとより、これが最もふさわしいなどという気は毛頭ございません。思い上がった気持ちではございませんが、具体的に例を挙げて示さないと私が申し上げていることの意味がよく分からないかもしれないと思ってあえて書いてみた次第でございます。お手元にお配りしてありますのでここでは繰り返しませんけれども、国民主権、国際協調、平和主義という現行憲法の前文にある既に定着した政治理念に加えて、日本の文化と伝統、世界の中での日本が目指す理想などについて述べてみたものです。
さて、今、日本の社会の混迷、特に青少年の心の荒廃がかまびすしく論じられています。こういう事態を導いた一つの大きな要因として、教育の在り方への関心が高まっています。教育基本法の改正が検討されていますが、根本的な問題は、その教育基本法の前文に述べられている憲法の精神の内容であります。私は、現行憲法の前文自体を書き改めて日本とは何であるべきかを明確にしない限り、教育の問題も基本的な姿勢が定まらないのではないかと思います。つまり、私たちは、どこかで日本人のアイデンティティーの問題に真正面から取り組まなければならないんです。私が憲法前文の改正を最も重要と考えるのは、正にこの理由からでございます。
私は、参議院は憲法前文の改正に当たって大きな役割を果たせると考えます。第九条は言うに及ばず、憲法の本文の改正はいかなる問題でも政治性が強く、国会が全体として取り組む必要がありましょう。しかし、前文の問題は、参議院における党派を超えた議論によりよくなじむのではないかと思います。良識の府と言われる参議院は、当初から党派的な争いから超越した見識の面での貢献が期待されていました。参議院には解散ということがございません。私は、参議院がこの安定した立場を生かして憲法前文の検討に主導的な立場を果たしていただきたいと希望します。
日本のアイデンティティーの問題にかかわる前文を作るためには、本質的には政治を超えた広範な国民的合意を必要とします。各院における賛成者の数の問題以上に、いかにして広い国民合意を作り上げるかが問われます。参議院が英知を持って、独自の立場を生かして、広範な国民参画の下に新しい憲法前文を作る作業に取り組んでいただきたいというお願いをもって、私の陳述を終えさせていただきます。
ありがとうございました。