四宮啓の発言 (法務委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○参考人(四宮啓君) 今日は、意見を述べる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 実は、二〇〇二年にもこの委員会に司法改革全般についてお招きをいただいて意見を申し述べる機会をいただきました。大変光栄に存じております。
 私は、今日、裁判員制度を中心に司法改革における裁判員制度の意義、それから、これに私は基本的に賛成をいたしますけれども、その賛成をする理由、そしてこの制度をよりよく機能させるために幾つかの点について、この三つについて意見を申し述べさせていただきたいと思っております。
 実は先週の月曜日に、私、カリフォルニア州のサンディエゴという都市に参りまして、朝、地方裁判所をのぞいてまいりました。そこの陪審ラウンジと言われている、陪審員として呼ばれた人たちが集まる部屋には四百人の市民が待っておりました。一人一人は決してうれしそうな顔をしているわけではありませんでした。しかし、だれもがそこにいるのは当然という顔をして、じっと呼ばれるのを待っていたわけです。私は、近い将来、日本の全国の裁判所で似たような光景が実現するのかと思うと、大変感慨深い思いをしたものであります。
 司法制度改革と裁判員制度の意義でありますけれども、御案内のとおり、今回の司法制度改革は、公正で透明な社会をより目指そうというところにその意義があると思います。
 司法制度改革審議会の意見は、その公正で透明な社会を実現するために公正で透明なルールを尊重する社会にしようと、つまり一言で言えば法の支配、法の精神が全国あまねく国民に行き渡るようにしようということを理想としているというふうに思います。そのために、この審議会の意見は三つのこと、まあ大きく分ければ私二つのことだと思っておりますけれども、二つの方法を提案しました。一つは、国民自身が司法を使うということであります。そしてもう一つが、国民自身が司法を担うということであります。
 御案内のとおり、司法は今まで国民にはむしろ忌み嫌われておりました。できれば一生の間に裁判所には行きたくないというふうに思われておりました。しかし、より公正で透明なルールに基づく社会を運営しようとすれば、国民自身が自分の生活をより豊かにするために、この司法を積極的に活用していくということがどうしても必要になります。
 そのためには今の制度にはいろいろ問題も多いわけでして、一つは、このためには全国どこにいてもだれでも司法のサービスが受けられるように、司法が使えるようにする必要があります。これからこちらでも御審議いただく総合法律支援法案というものは、その仕組みを提案しようとするものと私は受け止めております。
 それから、国民自身が司法を使うと申しましても、やはり専門的な領域もありますので、専門家のサポートが必要になります。そのためには、質の良い多くの法律家が国民のすぐそばにいる必要があります。そのために、審議会の意見書は、法曹養成制度というものを抜本的に改革をして、いわゆるロースクール制度、法科大学院制度を提案し、この四月から実現をいたしております。
 二番目の、国民自身が法を担うというものの目玉が、今回御審議いただいている裁判員制度であろうと思います。
 これは、国民が、自分たちの生活というよりは社会を構成する一員として社会的なトラブルの解決に関与する、あるいは法を自ら宣言するという役割を担うという意味で大変重大な意義を有するものと評価をしております。つまり、法の支配というものを今までのようなお上や専門家だけではなくて、むしろ国民に主体的に担ってもらうと、その象徴的な制度が裁判員制度であろうというふうに思います。
 次に、この法案、そして刑事訴訟法等の改正法案を私が支持する理由を二点申し述べます。
 一つは、国民主権の実質化ということでありまして、もう一点は、刑事訴訟制度の改革ということであります。
 国民主権の実質化につきましては、今、長谷部先生からもいろいろとお話がございましたけれども、意見書によれば、憲法が定める個人の尊重ということと国民主権というものが法の支配の内容であると言っているように思います。意見は次のように述べております。国民一人一人が統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画してほしいと呼び掛けております。つまり、国民が利害関係人や有識者としてではなく、社会の構成員の一人として、主権者として自分たちの社会のルールについて考え、そして正義について考え、そしてそれを宣言するということであります。
 このように、裁判員制度は国民主権と深い関係を持つ制度でありまして、法務大臣も述べておられますように、司法の世界における民主化を実現するものと評価できると思います。とりわけ、無作為抽出として一件だけ事件を担当するという仕組みとしたことは、一部の人だけが担う制度ではなく、国民みんなが担うという制度としたという意味で高く評価できるというふうに私は思います。
 次に、刑事訴訟手続の改革の点であります。
 これは、今までと全く変わったものにしてしまう、見ず知らずのものにしてしまうということではなくて、本来憲法や刑事訴訟法が予定をしていた裁判の仕組みというものに変わっていく、あるいは戻っていくという意味で評価をできるということであります。
 無作為に選ばれた国民は、決して裁判官になることが期待されているわけではありません。裁判の経験、法律の知識などは、プロの裁判官がそばにいるわけですから、これらのプロの裁判官たちが提供してくれるわけです。国民に期待されていることは、裁判官と同じように仕事をするというよりは、社会の健全な常識を持ってきて、それをみんなでぶつけ合って、より公正な結論に到達するということが期待をされているわけであります。そうだとすると、現在行われている刑事裁判のシステム、実務というものは大きく変えていかなければならなくなります。二つの理由から変えていかなければならなくなります。
 一つは、一般の国民が裁判をするということからであります。
 今申し上げましたように、裁判員は裁判官になるのではありません。つまり、裁判員には裁判の知識も経験も要求をしなかったのであります。法廷に座っていて、目で見て耳で聞いて分かる裁判にしなければ参加をする意味がありません。公開で行われる公判中心の裁判へ変わっていかざるを得ないのであります。
 今までは、調書と呼ばれている書かれた記録が裁判の中では大きな意義を占めておりました。分厚い調書が作られ、それを裁判官が法廷ではなくて法廷の外で熟読玩味し、そして心証を取っていくという実務が行われているわけでありますけれども、これはとても一般の国民の方にこの同じことをやっていただくわけにはまいりません。また、本来原則的に刑事訴訟法が予定していた裁判の仕組みとも異なるものであったわけです。これが大きく変わってくるということになります。
 もう一つは、集中審理の必要性から、手続が大きく変わらざるを得ないということであります。
 今までは、先ほど申し上げましたように、たくさんの記録を後から読んで、あるいは月一回程度行うことでも裁判が成り立ってまいりましたけれども、今度は忙しい国民に来ていただくわけですから、集中して審理を行わなければなりません。そのためには、充実した事前の準備、言わばおぜん立てが必要になるのでありまして、今度の刑事訴訟法の改正案もその点に対する配慮が行われております。
 その充実したおぜん立てのために最も必要なものは証拠開示の拡充であります。争点を十分に明確に整理をするためには、お互いの情報を事前に十分に交換し合うことが不可欠であります。今回の刑事訴訟法の改正法案にはその拡充が盛り込まれております。ただ、これはやはり更にいろいろと運用段階でも、より争点整理がしやすい方向への運用を是非期待したいというふうに思っているところであります。
 刑事手続の改革で忘れてならないことは、もう一つは刑事被告人の権利でありますけれども、これは今回の法案で決して後退することがあってはなりませんし、またしないと私は信じております。むしろ国民が入る、より公正で透明な裁判を実現することによって、本来憲法や刑事訴訟法が予定をして、保護をして守ってきていた刑事被告人の、被疑者、被告人の権利というものが一段と尊重されるようになるというふうにならなければならないと思っております。
 次に、この裁判員制度の言わば主役である国民が本当の意味での主役になれるためには何が必要かということについて意見を申し述べたいと思います。まず何が必要かということと、それからあと幾つか各論的なことを申し上げたいと思います。
 先ほどサンディエゴの裁判所に参ったと申し上げましたけれども、そこでは陪審コミッショナーと呼ばれている陪審員のお世話をする裁判所の職員がおりますけれども、私が会った方は三十年のベテランでありました。その方に陪審員たちが何に一番感謝をしていますかと質問したところ、二つの答えが返ってまいりました。
 一つは、集められた後に最初に受けるオリエンテーションであります。ここで制度というものを十分理解することができ、しかも自分が歓迎されているということが分かるからだということであります。二つ目には、仕事が終わった後で、社会に貢献できた、制度の一部となって正義を実現できたという満足感だそうであります。つまり、最初と最後にアメリカの陪審員たちは非常に満足感を得ているわけです。
 もちろん、その満足感を得るためにはいろいろな仕組みが想定されているわけであります。つまり、国民一人一人が社会から必要とされていると実感してもらえること、そしてその国民が役割を果たせたと実感できる仕組みにすることが必要であろうと思います。その仕組みを考える上ではやはり国民の視点が大切だと思います。
 アメリカは九〇年代から陪審制度の改革に本格的に、しかも全米の規模で取り組んでおります。それはなぜかと申しますと、今まで陪審というのは国民の義務である、来るのが当然だ、仕事がするのは当然だ、待つのも当然だと皆が考えていたわけであります。しかし、それでは国民の側は納得しなくなってまいりました。国民の側が言わば拒絶の反応を示し始めたわけです。
 そこで非常に参考になることは、例えば出頭率が下がったときに出頭率を上げるためにどうするか、刑罰を科するか、ペナルティーを科するかという方向で議論が行われたかというと、そうではありません。この運動をリードしたニューヨークの最高裁の長官のジュディス・ケイという女性の長官がいますが、彼女はこう語っています。コミュニティーの八〇%の人たちが、単なる義務としてではなく、それ以上の大切な仕事だと認識して来てもらえるようにするにはどうしたらいいだろうか、そこをみんなで考えようという発想であります。
 私、今回の裁判員法案は、実はアメリカが九〇年代から改革に取り組んだその改革をも先取りしていると評価できる点があることを指摘したいと思います。例えば、今回の裁判員制度は、無作為に選ばれて一回だけ呼ばれます。そして、もし選ばれなければそれで義務を果たしたことになりますし、選ばれればその裁判だけを担当すれば帰っていいことになっています。これはアメリカではワンデー・オア・ワントライアル・システム、日本語で言いますと一日又は一公判システムと呼ばれておりまして、アメリカでも最近導入された仕組みであります。これは国民の負担をなるべく少なくして、しかしみんなで社会の責任も果たしてもらおうというために編み出されたものであります。
 それから、日本の裁判員法、今回の裁判員法案は裁判員が質問することを認めておりますけれども、実はアメリカで陪審員に質問を認め始めたのは最近のことであります。陪審員たちの仕事をする上での充実感に資するという点からでありまして、このように裁判員法はアメリカの改革を先取りしている部分もあります。しかし、まだまだアメリカの改革はそれにとどまらずに広範囲に及んでおりますので、今回、裁判員法を運用する、準備をするこの五年間の間に私はアメリカの改革から学ぶものはたくさんあるだろうと思います。
 次に、このように裁判員を本当の意味での主役にするために幾つか御議論是非いただきたい点がございます。
 一つは、分かりやすい公判審理ということであります。
 先ほども申し述べましたように、一般の国民が一回だけ裁判を行うわけですので、分かりやすい十分な準備、分かりやすいプレゼンテーションなどが必要になります。法案の五十一条が審理を迅速で分かりやすいものとすることを関係者に求めたことは大変相当であると思います。
 しかし、ここでは、やはり先ほど申し上げましたように、例えば取調べ状況が争点になった場合には、国民に分かりやすく取調べ状況をビデオに録画をしておいて、それを国民にプレゼントする、国民の前に証拠として出すということが不可欠になってくるであろうというふうに思います。幸い、法曹三者の間でこの点の議論が始まったと聞いておりますけれども、実施までに大きな前進を私は期待をしております。また、審理が行われる法廷の仕組みなども、国民の理解しやすいような、参加しやすいような法廷に是非してほしいと思います。
 二番目は、評議の在り方ですけれども、国民が裁判官と一緒に十分に意見を述べ合えるというためには、法案の六十六条の五項が裁判長に分かりやすいように配慮を求めている点は大変よろしいことだと思います。
 ただ、例えば全員一致を目指す、少数意見を尊重するために、あくまでも全員一致を目指す、その上でみんなで意見を出し合って、一致しない場合に多数決というようなルールですとか、裁判長は議長役ですので公正な議事進行に資するために自らの意見は最後まで例えば言わないとか、裁判官や裁判員だけでは議論をしないとかいったルールを私は考えておく必要があるのではないかと思っております。

発言情報

speech_id: 115915206X01620040513_005

発言者: 四宮啓

speaker_id: 35043

日付: 2004-05-13

院: 参議院

会議名: 法務委員会