山口富男の発言 (憲法調査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
まず初めに、日本国憲法と国民投票の位置づけについて述べてみたいと思います。
国民投票、レファレンダムは、主権者の意思を直接に表明する民主主義の制度の一つです。この制度は世界各国で取り入れられていますけれども、その形態を見ますと、投票の対象、それが持つ法的な効果、そして投票の開始手続、発案者の性格など、こうした要素を組み合わせることによって実に多様なものになっています。そこには各国の歴史や政治状況も色濃く反映されていると思います。
それでは、日本国憲法の体系は直接民主制の諸制度をどう位置づけているのか。
既に指摘もありましたけれども、憲法は九十六条で憲法改正の国民投票を定め、九十五条で地方自治特別法の制定に際しての住民投票、そして七十九条で最高裁判所裁判官の国民審査を定めています。ここには、代表民主制を基本に置きながら直接民主制を取り入れて、ともに国民主権を実質化させるという日本国憲法の法規範が貫かれていると思います。
国民投票をめぐっては、憲法改正の際の国民投票の整備を問題にする議論があります。しかし、主権者国民に憲法改定の具体的な内容についての合意もなく、憲法改定も求められていないもとで、法整備は今必要な課題ではありません。まして、憲法九条の改定を中心とした改憲への道筋をつけるという政治的な問題設定の中での議論となれば、これは主権者国民の意思に反したものとなります。
私は、当委員会でもこの問題で繰り返し発言してきましたけれども、憲法改定を現実の政治日程にのせるための国民投票法の整備、あるいは国会法改正を含めまして、これはその必要はなく、反対であります。
さて、第二に、きょうの発言では、九十五条に係る住民投票について中心的に述べてみたいと思います。
憲法九十五条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」と定めています。
憲法制定後の歴史を振り返ると、九十五条の規定が制定当初は極めて豊かな展開を示していたことが見てとれます。九十五条に基づく特別法は、一九四九年公布の広島平和記念都市建設法から一九五一年公布の軽井沢国際親善文化観光都市建設法まで、十五件に上っています。ところが、それ以降、特別法とその賛否を問う住民投票は実施されておりません。むしろ、特別法が適用されるべき事例でありながら、国政レベルでは九十五条がないがしろにされてきたというところに近年の特徴があります。
その端的な例がいわゆる米軍用地特措法です。特に、一九九七年の改正は、事実上沖縄県にしか適用されない法改正でありながら、形式的に全国に適用可能として、政府は特別法の制定、レファレンダムを拒否しました。この点については憲法学界からも厳しい批判が上がっております。
例えば、ある研究者は次のように述べています。
今回の特措法改正は、そこに言う地方特別法に該当する。これは九十五条のことですけれども。続けてこういうふうに言っております。事実上特定の地方公共団体にしか適用されない法律、改正法律であっても、形式的にそれを日本全国に適用可能であるように定めを置けば、右のような地方特別法としての規律、住民投票による過半数の賛成票の獲得を免れるというのでは、憲法九十五条はざる法に堕することになる。今回のような場合に、同条を適用せずして、一体いつそれを適用するのかという感はぬぐい得ないのである。この批判は極めて重要な批判だと思います。
この批判にあるように、憲法上明記され、戦後史の中で具体化されてきた制度が今日使われていないということになります。沖縄では、現在でも米軍基地問題が重大問題になっています。県民レベルでは、米軍ヘリの最近の事故問題での対応にも示されたように、米軍基地の県内たらい回しを許さない、そこの点での大きな一致があるわけですけれども、これは国の政治とは大きな矛盾を持っております。そして、この矛盾を埋める手だてとなるものが九十五条の規定であって、米軍用地特措法では、沖縄県民の意思表明としての住民投票が憲法上要請されていたはずです。
一方、地方政治の分野では、住民投票はさまざまな経験をこの間積んでまいりました。地方自治体での住民投票は、現行制度上は住民投票条例の制定が必要となりますけれども、この住民投票条例に基づく初めての住民投票を実施したのが、一九九六年、新潟県巻町での原発建設の賛否を問う住民投票でした。その後、二〇〇三年に東北電力が原発計画を、いろいろな経過はありましたけれども、断念するということになりました。
きょう配付されました憲資第五十九号、「「国民投票制度」に関する基礎的資料追補」というものの中に最近行われた住民投票の事例が紹介されておりますけれども、この巻町の住民投票に続いて、九七年に岐阜県御嵩町での産業廃棄物処理場をめぐる住民投票が行われる。同じ年の九七年、沖縄県名護市で米軍ヘリ基地の是非を問う住民投票が行われた。私は、これにはしばしば名護市まで直接足を運びました。二〇〇〇年、徳島市での吉野川可動堰問題での住民投票、こういう形で相次いできたわけですけれども、廃棄物処理場、原発、米軍基地の是非、空港、ダムなどの大型公共事業のあり方、最近は市町村合併、こういう住民投票が各地の自治体で実施されてきました。
住民みずからの意思を直接投票という形で示すこのような運動の広がりは、住民の意思と要求を地方政治に反映する上で、極めて大きな意義を持つものと思います。現状では、住民投票条例が制定されなければ投票が実施できないこと、また、議会が条例を否決する場合があり、しかも、この住民投票の結果についての扱いも問題になっております。
日本共産党は二〇〇〇年十一月に住民投票法案大綱というものを発表いたしましたけれども、これは、地域や住民生活に重大な影響を及ぼす問題について、住民が意思を表明する機会を安定的、普遍的に保障するための住民投票制度の制定を求めたもので、投票結果についての尊重ないし結果に反する措置をとらないとしております。
このように、地方政治のレベルでは、住民投票について、その可能性について、さまざまな経験が積まれ、光が当てられてきたと思います。今日、国民投票制度を問題にするならば、このような地方政治の契機も踏まえて国政レベルで、九十五条の住民投票の意義と憲法の持つ可能性について、二十一世紀という時点での現代的な光を当てることが極めて重要であるというふうに考えます。
以上で発言といたします。