舛添要一の発言 (憲法調査会)
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○舛添要一君 自民党の舛添要一です。
今日は、第九条と憲法前文について意見を申し述べます。
まず、第九条ですけれども、戦後のずっと時代の流れを考えてきたときに、そこにある理想は理想として、やはり明確にこれを改正すべきであるというふうに思います。そのポイントが二点ございまして、第一点は、個別的及び集団的自衛権を明確に認める形で書くという、改正するということであります。
第九条には明記はされていませんですけれども、憲法以前の自然権として自衛権はあるという解釈をこれまで取ってきております。しかし、今の問題は集団的自衛権をどうするのかということでございまして、これは現内閣、日本政府の解釈では、集団的自衛権は持っているが行使しないということであります。持っている権利を行使しないということ自体がそもそも矛盾でありますし、行使しないような権利を持っていてどうするんですかということでございますので、これは明確に認める形で改正すべきだというふうに思います。
そもそも集団的自衛権という言葉が国際条約の中で出てきたのは、国連憲章の中に初めて出てくるわけでありまして、これは旧敵国条項との絡みで出てきております。旧敵国条項を廃止するとともに、この集団的自衛権についての位置付けも、我々は明確に我が国の行使できる権利として所有することを認めるべきだというふうに思います。
ちなみに、私は、この旧敵国条項を含めて国連憲章の改正ということと、我が日本国の常任理事国入りということと、第三に憲法改正、この三つをワンパッケージで行うべきだというふうに思っております。小泉総理のように、憲法を改正しないで常任理事国になるということは矛盾が多過ぎるというふうに思いますし、常任理事国について拒否権を持つのか持たないのか。私は持つべきであるというふうに思っていますから、国連安全保障理事会はユネスコや経済社会を扱う諸機関と違うわけで、正に安全保障のための理事会ですから、当然のことながら、憲法改正、すなわち集団的自衛権を認めることがなければ、そういう常任理事国入りに手を挙げるということは単なるパフォーマンスにすぎないという批判を免れないというふうに思います。
このことを申し上げているのは、実を言うと、過去十年間、国際社会の中で自衛隊が海外に出てPKO活動、その他の国際協力活動を行っている現実と今の憲法九条とが余りに乖離しているからであります。
そこで、第二の大きな問題として、国際協力ということを第九条に明記すべきであるというふうに思います。第一点は、個別的、集団的自衛権を認める。第二点は、国際協力のために我が国の持てる力の一つである自衛隊を活用するということであります。様々な条件がそこに付くことは当然でございますけれども、大枠の議論をいたしますとそういうことであります。
つまり、第一点と第二点をまとめますと、個別的及び集団的自衛権を我が国が保有し、それを行使する、そしてまた国際協力のために自衛隊の持てる力を活用すると。こういうことを明確な形で憲法九条に書き込むということが、憲法九条をめぐる神学論争を果てしなく続けるという、このエネルギーのロスをやめることになるというふうに思います。
今まで、最近のイラク特措法、それから九・一一を受けたテロ特措法のように個別的な法律でもって自衛隊を海外に派遣することを担保してきた。しかし、その解釈というのは、解釈でそれを行うというのはもう限界に来ている。ここで憲法を改正しないでこれ以上のことをやることは不可能です。
今、サマワにいる自衛隊の活動についていろいろな議論がございますけれども、この点について言うと、今、オランダ兵と日本の自衛隊が二人で歩いていてオランダ兵が攻撃を受けたときに、我が国の自衛隊員はこれを反撃することはできません。じゃ、どういう状態でできるかというと、オランダの兵隊さんが病気ないしけがで我が自衛隊の野戦病院の中で治療を受けているときに攻撃を受けたら我が自衛隊は反撃できるということでありますから、つまり、自衛隊の管轄下というか、に入るという形を取らない限りは、邦人であれ、NPOで活躍している青年であれ、外国の軍隊であれ、これは自衛隊によって守られる対象にならないわけで、まあ、けがしたり病人になったら守りますよという、そこが今の憲法解釈上認められている上限でありますから、そういう活動、そのように自衛隊の活動に制限が付いたままで常任理事国になるなんということはおよそ笑止千万なことだと私は思っております。
特に、テロとの戦いということを掲げて国際社会が団結するならば、我々の持てる自衛隊という力を国際協力のために使うことが必要だというふうに思います。それが憲法九条につきまして大きな二つの改正すべき点だというふうに思います。
その絡みで、憲法第七十六条、これは第六章司法の初めに書いてある項目ですけれども、その中に「特別裁判所は、これを設置することができない。」とありますけれども、私は、憲法九条改正とともに七十六条を改正して軍事裁判所を設けるべきであると、つまり特別裁判所を入れるべきであるというふうに思っています。
つまり、七十六条というのは憲法九条と裏腹であって、軍隊というものを持たないからそういうものが要らないということになっていますけれども、ちゃんと自衛隊というものに、これを認知するならば、七十六条を変えて特別裁判所を設置することが必要であろうと思います。
さらに、この憲法九条との絡みで申し上げますと、緊急事態の規定がございません。やはり国家の基本的な法律である憲法の中に緊急事態にどういうふうに対応するのかということについて明確な規定があった方がよかろうかというふうに思います。
それから、そういう安全保障、国際平和活動、国際協力などとの絡みにおきまして、憲法の前文について申し上げたいと思います。
大変に理想的ないい文章で書いてありますけれども、私は、この憲法の前文というのを英語の、日本国憲法の英文の方と比較して読んで常に疑問が解けないのは、ネーションステートの枠組みというのをこの日本国憲法はどう考えているんだろうかということであります。
国際連合というのはユナイテッドネーションズであって、ネーションステートが束になったものであるわけです。しかし、今現在見たときに、テロリズムというのは、アフガニスタンであれ、イラクであれ、サウジであれ、例えばアルカイダにしてもそうですけれども、これ国境を越えて動いている、ネーションステートの枠にはまらない。さらに、イスラムという文明を考えたときに、そのイスラムファンダメンタリズムというのは、ネーションステートの枠にはまらないからこそ、例えば文明の衝突というような現象が起こってくるわけであります。
そこで、ネーションステートの枠組みということから、皆さんもう一遍、英語と対照しながら憲法の前文を読んでいただきたい。
例えば、日本語の方の憲法でいいますと、我らは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じると。これは、ネーションという言葉を使ってあります。ノーネーションとか、アザーネーションズとかいう言葉を使ってありますから、ここの記述は完全にこれはネーションステートということを前提に置いていて、国が単位である。
ところが、その前の、例えば、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と。「平和を愛する諸国民」と書いていますので、日本語の文字面でいうと、それぞれのネーションステートの中にある人たちでネーションステートの枠組みかなと思うんですけれども、ここではピースラビング・ピープルズ・オブ・ザ・ワールドになっている。ピープルズ、ピープルというのは余りネーションステートの枠組みに入らなくてもピープルなんで。
なぜそういうことを申し上げるかというと、このネーションステートの枠組みについての明確な認識というか、概念規定というのは、実を言うとこの憲法の前文にはっきりしていない。で、ネーションステートのその枠組みの中で考えているならば、それはユナイテッドネーションズ、国際連合、いろんな協力ということを言っていいんですけれども、正に今起こっている国際テロリズムというのはピースラビング・ピープルじゃなくて、全くその逆のピープルがいるわけである、人々がいるわけですから、これを国際社会でどう協力して封じ込めるかということであって、とてもじゃないけれども、そういうテロリストの公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意したところで、そんな決意は何の重みも持たないわけであります。
是非、皆さん、このネーションステートとの絡みにおいて憲法の前文というのをしっかり書き直す必要があるんではないかということを私は御提言申し上げたいと思います。
それからもう一つ、最後にですね、日本国民は、国家の名誉に懸けて、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。全力を挙げてということになっているんですけれども、英語の元の文は、「ツー アカンプリッシュ ジーズ ハイ アイデアルズ アンド パーパシズ ウィズ オール アワ リソーシズ」になっている。リソーシズ、私たちの持つすべての資源を使ってとなっている。
で、リソースの中には経済力もあれば、自衛隊という年間五兆円もの予算を使っている大変立派なリソースがある。なぜイラクに自衛隊行くか。ほかの我々が持っているリソースでは行けないから、自己完結型の自衛隊しか行けないから行っているわけでありまして、そうすると、戦力の保持を禁止する、そういう憲法の字面だけ読むと、自衛隊いないはずですから、このオール・アワ・リソーシズの中に自衛隊が入らないことになってしまう。
ですから、やっぱりこれは憲法九条、前文だけじゃなくて、もう一遍、是非、英語と対照しながらみんなが見る必要があるんだろうと。そして、逆に、日本国憲法をきちんとした日本語で書くときには、それを例えば英語やフランス語の正規の翻訳するときにはどういう言葉を使うかというのは非常に重要な作業になると思いますので、少なくとも私は前文について、今私が申し上げたようなことは余り皆さんおっしゃらないんだけれども、憲法の起草した方々がネーションステートというものを一九四五年、六年、七年、こういう戦後の混乱期にどういうふうに思われたのか、そして今またネーションステートの枠組みを超えるいろんなチャレンジが起こってきている、それに対してどういうふうにして新しい憲法を書くのかということなんで、重要な問題だと思いますので、この点を提起して私の意見陳述を終わります。誠にありがとうございました。