憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十六年十一月十日(水曜日)
午後零時四十分開会
─────────────
委員の異動
十月二十七日
辞任 補欠選任
井上 哲士君 仁比 聡平君
十一月九日
辞任 補欠選任
高嶋 良充君 藤末 健三君
松井 孝治君 ツルネン マルテイ君
松下 新平君 工藤堅太郎君
仁比 聡平君 紙 智子君
十一月十日
辞任 補欠選任
工藤堅太郎君 松下 新平君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 関谷 勝嗣君
幹 事
愛知 治郎君
荒井 正吾君
武見 敬三君
舛添 要一君
若林 正俊君
鈴木 寛君
簗瀬 進君
若林 秀樹君
山下 栄一君
委 員
秋元 司君
浅野 勝人君
魚住 汎英君
岡田 直樹君
河合 常則君
北川イッセイ君
佐藤 泰三君
桜井 新君
藤野 公孝君
森元 恒雄君
山本 順三君
江田 五月君
喜納 昌吉君
工藤堅太郎君
郡司 彰君
佐藤 道夫君
田名部匡省君
ツルネン マルテイ君
富岡由紀夫君
那谷屋正義君
直嶋 正行君
藤末 健三君
前川 清成君
松岡 徹君
松下 新平君
魚住裕一郎君
白浜 一良君
山口那津男君
紙 智子君
吉川 春子君
田 英夫君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
参考人
元防衛研究所研
究部長
元ボン大学客員
教授 西岡 朗君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○日本国憲法に関する調査
(憲法前文と第九条(国際平和活動、国際協力
等を含む))
─────────────
この発言だけを見る →午後零時四十分開会
─────────────
委員の異動
十月二十七日
辞任 補欠選任
井上 哲士君 仁比 聡平君
十一月九日
辞任 補欠選任
高嶋 良充君 藤末 健三君
松井 孝治君 ツルネン マルテイ君
松下 新平君 工藤堅太郎君
仁比 聡平君 紙 智子君
十一月十日
辞任 補欠選任
工藤堅太郎君 松下 新平君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 関谷 勝嗣君
幹 事
愛知 治郎君
荒井 正吾君
武見 敬三君
舛添 要一君
若林 正俊君
鈴木 寛君
簗瀬 進君
若林 秀樹君
山下 栄一君
委 員
秋元 司君
浅野 勝人君
魚住 汎英君
岡田 直樹君
河合 常則君
北川イッセイ君
佐藤 泰三君
桜井 新君
藤野 公孝君
森元 恒雄君
山本 順三君
江田 五月君
喜納 昌吉君
工藤堅太郎君
郡司 彰君
佐藤 道夫君
田名部匡省君
ツルネン マルテイ君
富岡由紀夫君
那谷屋正義君
直嶋 正行君
藤末 健三君
前川 清成君
松岡 徹君
松下 新平君
魚住裕一郎君
白浜 一良君
山口那津男君
紙 智子君
吉川 春子君
田 英夫君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
参考人
元防衛研究所研
究部長
元ボン大学客員
教授 西岡 朗君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○日本国憲法に関する調査
(憲法前文と第九条(国際平和活動、国際協力
等を含む))
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関
関谷勝嗣#1
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
日本国憲法に関する調査のため、必要に応じ参考人の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
日本国憲法に関する調査のため、必要に応じ参考人の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
関
関谷勝嗣#2
○会長(関谷勝嗣君) 御異議ないと認めます。
なお、その日時及び人選等につきましては、これを幹事会に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →なお、その日時及び人選等につきましては、これを幹事会に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
関
関
関谷勝嗣#4
○会長(関谷勝嗣君) 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
「憲法前文と第九条(国際平和活動、国際協力等を含む)」について、委員相互間の意見交換を行います。
まず初めに、各会派から一名ずつ、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、御意見のある方は順次御発言願います。舛添要一君。
この発言だけを見る →「憲法前文と第九条(国際平和活動、国際協力等を含む)」について、委員相互間の意見交換を行います。
まず初めに、各会派から一名ずつ、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、御意見のある方は順次御発言願います。舛添要一君。
舛
舛添要一#5
○舛添要一君 自民党の舛添要一です。
今日は、第九条と憲法前文について意見を申し述べます。
まず、第九条ですけれども、戦後のずっと時代の流れを考えてきたときに、そこにある理想は理想として、やはり明確にこれを改正すべきであるというふうに思います。そのポイントが二点ございまして、第一点は、個別的及び集団的自衛権を明確に認める形で書くという、改正するということであります。
第九条には明記はされていませんですけれども、憲法以前の自然権として自衛権はあるという解釈をこれまで取ってきております。しかし、今の問題は集団的自衛権をどうするのかということでございまして、これは現内閣、日本政府の解釈では、集団的自衛権は持っているが行使しないということであります。持っている権利を行使しないということ自体がそもそも矛盾でありますし、行使しないような権利を持っていてどうするんですかということでございますので、これは明確に認める形で改正すべきだというふうに思います。
そもそも集団的自衛権という言葉が国際条約の中で出てきたのは、国連憲章の中に初めて出てくるわけでありまして、これは旧敵国条項との絡みで出てきております。旧敵国条項を廃止するとともに、この集団的自衛権についての位置付けも、我々は明確に我が国の行使できる権利として所有することを認めるべきだというふうに思います。
ちなみに、私は、この旧敵国条項を含めて国連憲章の改正ということと、我が日本国の常任理事国入りということと、第三に憲法改正、この三つをワンパッケージで行うべきだというふうに思っております。小泉総理のように、憲法を改正しないで常任理事国になるということは矛盾が多過ぎるというふうに思いますし、常任理事国について拒否権を持つのか持たないのか。私は持つべきであるというふうに思っていますから、国連安全保障理事会はユネスコや経済社会を扱う諸機関と違うわけで、正に安全保障のための理事会ですから、当然のことながら、憲法改正、すなわち集団的自衛権を認めることがなければ、そういう常任理事国入りに手を挙げるということは単なるパフォーマンスにすぎないという批判を免れないというふうに思います。
このことを申し上げているのは、実を言うと、過去十年間、国際社会の中で自衛隊が海外に出てPKO活動、その他の国際協力活動を行っている現実と今の憲法九条とが余りに乖離しているからであります。
そこで、第二の大きな問題として、国際協力ということを第九条に明記すべきであるというふうに思います。第一点は、個別的、集団的自衛権を認める。第二点は、国際協力のために我が国の持てる力の一つである自衛隊を活用するということであります。様々な条件がそこに付くことは当然でございますけれども、大枠の議論をいたしますとそういうことであります。
つまり、第一点と第二点をまとめますと、個別的及び集団的自衛権を我が国が保有し、それを行使する、そしてまた国際協力のために自衛隊の持てる力を活用すると。こういうことを明確な形で憲法九条に書き込むということが、憲法九条をめぐる神学論争を果てしなく続けるという、このエネルギーのロスをやめることになるというふうに思います。
今まで、最近のイラク特措法、それから九・一一を受けたテロ特措法のように個別的な法律でもって自衛隊を海外に派遣することを担保してきた。しかし、その解釈というのは、解釈でそれを行うというのはもう限界に来ている。ここで憲法を改正しないでこれ以上のことをやることは不可能です。
今、サマワにいる自衛隊の活動についていろいろな議論がございますけれども、この点について言うと、今、オランダ兵と日本の自衛隊が二人で歩いていてオランダ兵が攻撃を受けたときに、我が国の自衛隊員はこれを反撃することはできません。じゃ、どういう状態でできるかというと、オランダの兵隊さんが病気ないしけがで我が自衛隊の野戦病院の中で治療を受けているときに攻撃を受けたら我が自衛隊は反撃できるということでありますから、つまり、自衛隊の管轄下というか、に入るという形を取らない限りは、邦人であれ、NPOで活躍している青年であれ、外国の軍隊であれ、これは自衛隊によって守られる対象にならないわけで、まあ、けがしたり病人になったら守りますよという、そこが今の憲法解釈上認められている上限でありますから、そういう活動、そのように自衛隊の活動に制限が付いたままで常任理事国になるなんということはおよそ笑止千万なことだと私は思っております。
特に、テロとの戦いということを掲げて国際社会が団結するならば、我々の持てる自衛隊という力を国際協力のために使うことが必要だというふうに思います。それが憲法九条につきまして大きな二つの改正すべき点だというふうに思います。
その絡みで、憲法第七十六条、これは第六章司法の初めに書いてある項目ですけれども、その中に「特別裁判所は、これを設置することができない。」とありますけれども、私は、憲法九条改正とともに七十六条を改正して軍事裁判所を設けるべきであると、つまり特別裁判所を入れるべきであるというふうに思っています。
つまり、七十六条というのは憲法九条と裏腹であって、軍隊というものを持たないからそういうものが要らないということになっていますけれども、ちゃんと自衛隊というものに、これを認知するならば、七十六条を変えて特別裁判所を設置することが必要であろうと思います。
さらに、この憲法九条との絡みで申し上げますと、緊急事態の規定がございません。やはり国家の基本的な法律である憲法の中に緊急事態にどういうふうに対応するのかということについて明確な規定があった方がよかろうかというふうに思います。
それから、そういう安全保障、国際平和活動、国際協力などとの絡みにおきまして、憲法の前文について申し上げたいと思います。
大変に理想的ないい文章で書いてありますけれども、私は、この憲法の前文というのを英語の、日本国憲法の英文の方と比較して読んで常に疑問が解けないのは、ネーションステートの枠組みというのをこの日本国憲法はどう考えているんだろうかということであります。
国際連合というのはユナイテッドネーションズであって、ネーションステートが束になったものであるわけです。しかし、今現在見たときに、テロリズムというのは、アフガニスタンであれ、イラクであれ、サウジであれ、例えばアルカイダにしてもそうですけれども、これ国境を越えて動いている、ネーションステートの枠にはまらない。さらに、イスラムという文明を考えたときに、そのイスラムファンダメンタリズムというのは、ネーションステートの枠にはまらないからこそ、例えば文明の衝突というような現象が起こってくるわけであります。
そこで、ネーションステートの枠組みということから、皆さんもう一遍、英語と対照しながら憲法の前文を読んでいただきたい。
例えば、日本語の方の憲法でいいますと、我らは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じると。これは、ネーションという言葉を使ってあります。ノーネーションとか、アザーネーションズとかいう言葉を使ってありますから、ここの記述は完全にこれはネーションステートということを前提に置いていて、国が単位である。
ところが、その前の、例えば、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と。「平和を愛する諸国民」と書いていますので、日本語の文字面でいうと、それぞれのネーションステートの中にある人たちでネーションステートの枠組みかなと思うんですけれども、ここではピースラビング・ピープルズ・オブ・ザ・ワールドになっている。ピープルズ、ピープルというのは余りネーションステートの枠組みに入らなくてもピープルなんで。
なぜそういうことを申し上げるかというと、このネーションステートの枠組みについての明確な認識というか、概念規定というのは、実を言うとこの憲法の前文にはっきりしていない。で、ネーションステートのその枠組みの中で考えているならば、それはユナイテッドネーションズ、国際連合、いろんな協力ということを言っていいんですけれども、正に今起こっている国際テロリズムというのはピースラビング・ピープルじゃなくて、全くその逆のピープルがいるわけである、人々がいるわけですから、これを国際社会でどう協力して封じ込めるかということであって、とてもじゃないけれども、そういうテロリストの公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意したところで、そんな決意は何の重みも持たないわけであります。
是非、皆さん、このネーションステートとの絡みにおいて憲法の前文というのをしっかり書き直す必要があるんではないかということを私は御提言申し上げたいと思います。
それからもう一つ、最後にですね、日本国民は、国家の名誉に懸けて、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。全力を挙げてということになっているんですけれども、英語の元の文は、「ツー アカンプリッシュ ジーズ ハイ アイデアルズ アンド パーパシズ ウィズ オール アワ リソーシズ」になっている。リソーシズ、私たちの持つすべての資源を使ってとなっている。
で、リソースの中には経済力もあれば、自衛隊という年間五兆円もの予算を使っている大変立派なリソースがある。なぜイラクに自衛隊行くか。ほかの我々が持っているリソースでは行けないから、自己完結型の自衛隊しか行けないから行っているわけでありまして、そうすると、戦力の保持を禁止する、そういう憲法の字面だけ読むと、自衛隊いないはずですから、このオール・アワ・リソーシズの中に自衛隊が入らないことになってしまう。
ですから、やっぱりこれは憲法九条、前文だけじゃなくて、もう一遍、是非、英語と対照しながらみんなが見る必要があるんだろうと。そして、逆に、日本国憲法をきちんとした日本語で書くときには、それを例えば英語やフランス語の正規の翻訳するときにはどういう言葉を使うかというのは非常に重要な作業になると思いますので、少なくとも私は前文について、今私が申し上げたようなことは余り皆さんおっしゃらないんだけれども、憲法の起草した方々がネーションステートというものを一九四五年、六年、七年、こういう戦後の混乱期にどういうふうに思われたのか、そして今またネーションステートの枠組みを超えるいろんなチャレンジが起こってきている、それに対してどういうふうにして新しい憲法を書くのかということなんで、重要な問題だと思いますので、この点を提起して私の意見陳述を終わります。誠にありがとうございました。
この発言だけを見る →今日は、第九条と憲法前文について意見を申し述べます。
まず、第九条ですけれども、戦後のずっと時代の流れを考えてきたときに、そこにある理想は理想として、やはり明確にこれを改正すべきであるというふうに思います。そのポイントが二点ございまして、第一点は、個別的及び集団的自衛権を明確に認める形で書くという、改正するということであります。
第九条には明記はされていませんですけれども、憲法以前の自然権として自衛権はあるという解釈をこれまで取ってきております。しかし、今の問題は集団的自衛権をどうするのかということでございまして、これは現内閣、日本政府の解釈では、集団的自衛権は持っているが行使しないということであります。持っている権利を行使しないということ自体がそもそも矛盾でありますし、行使しないような権利を持っていてどうするんですかということでございますので、これは明確に認める形で改正すべきだというふうに思います。
そもそも集団的自衛権という言葉が国際条約の中で出てきたのは、国連憲章の中に初めて出てくるわけでありまして、これは旧敵国条項との絡みで出てきております。旧敵国条項を廃止するとともに、この集団的自衛権についての位置付けも、我々は明確に我が国の行使できる権利として所有することを認めるべきだというふうに思います。
ちなみに、私は、この旧敵国条項を含めて国連憲章の改正ということと、我が日本国の常任理事国入りということと、第三に憲法改正、この三つをワンパッケージで行うべきだというふうに思っております。小泉総理のように、憲法を改正しないで常任理事国になるということは矛盾が多過ぎるというふうに思いますし、常任理事国について拒否権を持つのか持たないのか。私は持つべきであるというふうに思っていますから、国連安全保障理事会はユネスコや経済社会を扱う諸機関と違うわけで、正に安全保障のための理事会ですから、当然のことながら、憲法改正、すなわち集団的自衛権を認めることがなければ、そういう常任理事国入りに手を挙げるということは単なるパフォーマンスにすぎないという批判を免れないというふうに思います。
このことを申し上げているのは、実を言うと、過去十年間、国際社会の中で自衛隊が海外に出てPKO活動、その他の国際協力活動を行っている現実と今の憲法九条とが余りに乖離しているからであります。
そこで、第二の大きな問題として、国際協力ということを第九条に明記すべきであるというふうに思います。第一点は、個別的、集団的自衛権を認める。第二点は、国際協力のために我が国の持てる力の一つである自衛隊を活用するということであります。様々な条件がそこに付くことは当然でございますけれども、大枠の議論をいたしますとそういうことであります。
つまり、第一点と第二点をまとめますと、個別的及び集団的自衛権を我が国が保有し、それを行使する、そしてまた国際協力のために自衛隊の持てる力を活用すると。こういうことを明確な形で憲法九条に書き込むということが、憲法九条をめぐる神学論争を果てしなく続けるという、このエネルギーのロスをやめることになるというふうに思います。
今まで、最近のイラク特措法、それから九・一一を受けたテロ特措法のように個別的な法律でもって自衛隊を海外に派遣することを担保してきた。しかし、その解釈というのは、解釈でそれを行うというのはもう限界に来ている。ここで憲法を改正しないでこれ以上のことをやることは不可能です。
今、サマワにいる自衛隊の活動についていろいろな議論がございますけれども、この点について言うと、今、オランダ兵と日本の自衛隊が二人で歩いていてオランダ兵が攻撃を受けたときに、我が国の自衛隊員はこれを反撃することはできません。じゃ、どういう状態でできるかというと、オランダの兵隊さんが病気ないしけがで我が自衛隊の野戦病院の中で治療を受けているときに攻撃を受けたら我が自衛隊は反撃できるということでありますから、つまり、自衛隊の管轄下というか、に入るという形を取らない限りは、邦人であれ、NPOで活躍している青年であれ、外国の軍隊であれ、これは自衛隊によって守られる対象にならないわけで、まあ、けがしたり病人になったら守りますよという、そこが今の憲法解釈上認められている上限でありますから、そういう活動、そのように自衛隊の活動に制限が付いたままで常任理事国になるなんということはおよそ笑止千万なことだと私は思っております。
特に、テロとの戦いということを掲げて国際社会が団結するならば、我々の持てる自衛隊という力を国際協力のために使うことが必要だというふうに思います。それが憲法九条につきまして大きな二つの改正すべき点だというふうに思います。
その絡みで、憲法第七十六条、これは第六章司法の初めに書いてある項目ですけれども、その中に「特別裁判所は、これを設置することができない。」とありますけれども、私は、憲法九条改正とともに七十六条を改正して軍事裁判所を設けるべきであると、つまり特別裁判所を入れるべきであるというふうに思っています。
つまり、七十六条というのは憲法九条と裏腹であって、軍隊というものを持たないからそういうものが要らないということになっていますけれども、ちゃんと自衛隊というものに、これを認知するならば、七十六条を変えて特別裁判所を設置することが必要であろうと思います。
さらに、この憲法九条との絡みで申し上げますと、緊急事態の規定がございません。やはり国家の基本的な法律である憲法の中に緊急事態にどういうふうに対応するのかということについて明確な規定があった方がよかろうかというふうに思います。
それから、そういう安全保障、国際平和活動、国際協力などとの絡みにおきまして、憲法の前文について申し上げたいと思います。
大変に理想的ないい文章で書いてありますけれども、私は、この憲法の前文というのを英語の、日本国憲法の英文の方と比較して読んで常に疑問が解けないのは、ネーションステートの枠組みというのをこの日本国憲法はどう考えているんだろうかということであります。
国際連合というのはユナイテッドネーションズであって、ネーションステートが束になったものであるわけです。しかし、今現在見たときに、テロリズムというのは、アフガニスタンであれ、イラクであれ、サウジであれ、例えばアルカイダにしてもそうですけれども、これ国境を越えて動いている、ネーションステートの枠にはまらない。さらに、イスラムという文明を考えたときに、そのイスラムファンダメンタリズムというのは、ネーションステートの枠にはまらないからこそ、例えば文明の衝突というような現象が起こってくるわけであります。
そこで、ネーションステートの枠組みということから、皆さんもう一遍、英語と対照しながら憲法の前文を読んでいただきたい。
例えば、日本語の方の憲法でいいますと、我らは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じると。これは、ネーションという言葉を使ってあります。ノーネーションとか、アザーネーションズとかいう言葉を使ってありますから、ここの記述は完全にこれはネーションステートということを前提に置いていて、国が単位である。
ところが、その前の、例えば、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と。「平和を愛する諸国民」と書いていますので、日本語の文字面でいうと、それぞれのネーションステートの中にある人たちでネーションステートの枠組みかなと思うんですけれども、ここではピースラビング・ピープルズ・オブ・ザ・ワールドになっている。ピープルズ、ピープルというのは余りネーションステートの枠組みに入らなくてもピープルなんで。
なぜそういうことを申し上げるかというと、このネーションステートの枠組みについての明確な認識というか、概念規定というのは、実を言うとこの憲法の前文にはっきりしていない。で、ネーションステートのその枠組みの中で考えているならば、それはユナイテッドネーションズ、国際連合、いろんな協力ということを言っていいんですけれども、正に今起こっている国際テロリズムというのはピースラビング・ピープルじゃなくて、全くその逆のピープルがいるわけである、人々がいるわけですから、これを国際社会でどう協力して封じ込めるかということであって、とてもじゃないけれども、そういうテロリストの公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意したところで、そんな決意は何の重みも持たないわけであります。
是非、皆さん、このネーションステートとの絡みにおいて憲法の前文というのをしっかり書き直す必要があるんではないかということを私は御提言申し上げたいと思います。
それからもう一つ、最後にですね、日本国民は、国家の名誉に懸けて、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。全力を挙げてということになっているんですけれども、英語の元の文は、「ツー アカンプリッシュ ジーズ ハイ アイデアルズ アンド パーパシズ ウィズ オール アワ リソーシズ」になっている。リソーシズ、私たちの持つすべての資源を使ってとなっている。
で、リソースの中には経済力もあれば、自衛隊という年間五兆円もの予算を使っている大変立派なリソースがある。なぜイラクに自衛隊行くか。ほかの我々が持っているリソースでは行けないから、自己完結型の自衛隊しか行けないから行っているわけでありまして、そうすると、戦力の保持を禁止する、そういう憲法の字面だけ読むと、自衛隊いないはずですから、このオール・アワ・リソーシズの中に自衛隊が入らないことになってしまう。
ですから、やっぱりこれは憲法九条、前文だけじゃなくて、もう一遍、是非、英語と対照しながらみんなが見る必要があるんだろうと。そして、逆に、日本国憲法をきちんとした日本語で書くときには、それを例えば英語やフランス語の正規の翻訳するときにはどういう言葉を使うかというのは非常に重要な作業になると思いますので、少なくとも私は前文について、今私が申し上げたようなことは余り皆さんおっしゃらないんだけれども、憲法の起草した方々がネーションステートというものを一九四五年、六年、七年、こういう戦後の混乱期にどういうふうに思われたのか、そして今またネーションステートの枠組みを超えるいろんなチャレンジが起こってきている、それに対してどういうふうにして新しい憲法を書くのかということなんで、重要な問題だと思いますので、この点を提起して私の意見陳述を終わります。誠にありがとうございました。
関
直
直嶋正行#7
○直嶋正行君 民主党の直嶋です。今日は、発言の機会をいただきましてありがとうございました。
まず、本題に入る前に、民主党としての憲法についての問題意識と民主党の憲法調査会の現状について報告をさせていただきたいというふうに思います。
今、世界は文明史的転換期にあるということがしばしば指摘をされます。今も国際テロの話がございましたが、事実、最近、世界各地で生じる様々な事件や現象を見ていますと、私自身もそう思わざるを得ません。こうした時代の変化、変動に対応し得る生きた憲法の確立を目指して議論を積み重ねてきました。
一方、日本国憲法の現状を見ますと、解釈改憲といいますか、それを繰り返す政府によって憲法の形骸化、空洞化が進んでいると思います。そして、国民の憲法に対する信頼を大きく損ねつつあると、こう思います。こうした状況を克服し、憲法に基づく政治を確立するためにも、二十一世紀の新しい時代にこたえる創造的な憲法論議が必要ではないかというふうに思っています。
そもそも日本の国は中央集権システムの下で官僚による恣意的な行政が横行し、法の支配が形骸化するという傾向が根強く続いてきました。その上、ルールなき自衛隊の海外派遣が繰り返されて、あたかも日米関係が憲法を超えるかのような政治の実態が生まれてきています。民主党が掲げる創憲は、このような危うい政治の現実に対して、立憲政治を立て直し、法の支配が確立された社会をつくり出すことにその大きなねらいがあります。過去を振り返るのではなく、未来に向かって新しい憲法の在り方を考え、積極的に構想していく、そういう意味での創憲を標榜いたしております。
また、新しい憲法をつくるに当たっては、現日本国憲法が掲げる国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三つの根本規範を尊重し、さらにその深化、発展を図ることを基本にすべきと考えています。
こうした考えの下、民主党憲法調査会では、本年六月に憲法提言の中間報告を取りまとめました。中間報告では、以下に述べる五点を大略の方向として打ち出しています。
第一に、国際テロや地球環境問題を始め、新しい共通の脅威に対応するため、国際協調による共同解決が主流になりつつあります。またグローバリゼーションと情報化に伴う新しい変化や価値の転換により、国家あるいは国民という概念、今のネーションステートもそうかもしれませんが、こういった概念も変化しつつあると思います。例えばヨーロッパに見られるような国家主権の移譲や主権の共有、私どもとしてはアジアとの共生なども視野に入れる、そして新しい憲法を考えることが必要だと思います。
第二に、政治主導の政府運営と国民主権の深化に向け、内閣総理大臣の執行権の明確化や政治任用の拡大、国民投票制度の在り方や憲法裁判所、行政監視院等の設置の根拠を盛り込むことであります。
第三に、分権国家日本をつくり出すために、中央、地方の対等原則や補完性の原理、地方自治体の独立した立法権と課税自主権、住民自治に根差した多様な自治体の在り方の保障などを明記することであります。
第四に、新しい人権の確立と、人権擁護のためにプライバシー権、名誉権、知る権利、環境権、自己決定権等を憲法上に明記することや、独立した第三者機関としての人権委員会やオンブズマンの設置を盛り込むことです。
そして第五に、自衛隊のなし崩し的海外派遣という事態を許さず、国際協調主義で平和を確固たるものとするために、国連の集団安全保障活動への積極的な参加、そして専守防衛に徹した限定された自衛権を明確に位置付けることです。
以上の五点の中で、憲法九条の問題に焦点を当て、民主党の基本姿勢と検討の方向を以下申し上げたいと思います。
そもそも日本国憲法は、国連憲章とそれに基づく集団安全保障体制を前提としています。憲法前文にうたわれている国際協調主義は国連憲章の基本精神を受けたものであり、第九条の文言は、前文の平和主義を具体化したもので、国連憲章の条文を反映したものでもあります。
日本は、憲章が掲げる基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小国の同権に関する信念を国際社会と共有し、その集団安全保障が十分に機能することを願い、その実現のために常に努力することを決意をしてきました。日本は、憲法九条を介して、一国による武力の行使を原則禁止した国連憲章の精神に照らし、徹底した平和主義を宣明しています。それはまた、日本国憲法が、その精神において、自衛権の名の下に武力を無制約に行使した歴史的反省に立ち、武力の行使について強い抑制的姿勢を貫くことを基軸としていることにも反映されています。
以上の原則的立場については、現日本国憲法の前文及び九条の平和主義を国民及び海外に表明するものとして今後も踏襲していくべきだと考えます。
この考え方に立った上で、憲法九条の問題を解決するためには以下の三点を明確にすべきだと思います。
第一は、憲法の中に国連の集団安全保障活動を明確に位置付けることであります。国連安保理若しくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動には、これに関与できることを明確にし、地球規模の脅威と国際人権保障のために日本が責任を持ってその役割を果たすことを鮮明にすることであります。
第二は、国連憲章上の制約された自衛権について三つの要件を明記することであります。すなわち、緊急やむを得ない場合に限ること。つまり、他の手段をもっては対処し得ない国家的脅威を受けた場合に限定すること。国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の活動であること。かつ、その活動の展開に際してはこれを国連に報告することであります。
第三に、武力の行使については最大限抑制的であることの宣言を書き入れることです。国連主導の下の集団安全保障行動であっても自衛権の行使であっても、武力の行使は強い抑制的姿勢の下に置かれるべきであります。我が国の安全保障活動は、この姿勢を基本として、集団安全保障への参画と専守防衛を明示した自衛権の行使に徹するものとすべきであります。
以上が民主党憲法調査会の中間報告として取りまとめた考え方でありますが、今後の検討課題として、以下、私見も交えて一、二申し上げたいと思います。
まず、自衛権に関する問題についてであります。
集団的自衛権の行使については否定的な見解も多くありますが、私は国家の自然権として認められている以上、個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、その権利を有しており、自衛権の行使については恣意的な解釈で対応するのではなく、条文を疑義なく解釈できるよう明文化した上で、具体的な行使の場面においては先述した考え方に沿って限定的かつ厳格に考えていくことが日本の国益に資すると考えております。
ただ、集団的自衛権ということで一言付け加えますと、集団的自衛権を考える場合、当面は日米安全保障条約を念頭に置くことになりますが、同盟のカウンターパートナーである米国は世界じゅうに七百以上の軍事基地を展開し、文字どおりグローバルに活動しています。したがって、集団的自衛権を有しているからといって無制約にその自衛権を行使することになれば、世界じゅうで集団的自衛権を行使することにもなりかねません。現に、今でも自衛隊は極東を越え、イラクに派遣されています。したがって、我が国の基本的立場を逸脱しないようきちっと議論を詰める必要があることを申し添えておきたいと思います。
次に、国連の集団安全保障活動についてであります。
国連安保理若しくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動に基づく平和維持・創造活動に対して日本が参画する場合に、国権の発動たる武力行使との関係をもきちんと整理しておく必要があります。現憲法下でも、正統性を持つ国連の平和維持・創造活動への参加は憲法九条の禁じる国権の発動たる武力の行使にそもそも該当しないという考え方があります。
その一方で、日本として参加の有無を決定する以上、国権の発動に該当し、憲法九条の制約を受けるという考え方もあります。また、両者の中間的な考え方もあると思います。これらについて、先ほど述べた武力行使は最大限抑制的であるべきとの考え方を踏まえ、日本が国連の安全保障活動に参加するにしても、どのような活動まで可能であるのか、また、主権国家との関係においても明確にすべくしっかりとした議論が必要であります。
日本の主権の行使と国連の平和維持・創造活動とを明確に区分する意味で、国連待機軍若しくは待機部隊という構想は重要な選択肢であると思います。迅速な派遣、国民の理解やアジア諸国からの理解の得やすさ等長所もあります。自衛隊との組織の切り分けの考え方、現実論などの観点を踏まえて積極的に検討すべきではないかと思います。
その他にも、憲法で明確化する国連中心の安全保障活動への関与と日米安全保障条約や将来的に誕生することも想定される日本とアジアの地域安全保障のかかわり方について、どのように整理していくかなどについても幅広い議論をしていく必要があると考えます。そして、これらに関する憲法上の規定は可能な限り明快で簡潔であるべきだと思います。
このため、これらの原則を法規定として明確にした憲法附属法としての性格を持つ安全保障基本法を同時に定めることも必要と考えます。今や憲法は、国民の日常生活や現実生活とは遠いところに置かれています。どのように立派な法であっても、それが不断に守られ、生かされるのでなければ、国の枠組みや在り方を規制する基本法としての役割は果たせません。憲法の形骸化、空洞化に歯止めを掛け、世界の潮流、時代の流れに対応し得る新しい憲法をつくることが重要である、このことを強調して、私の発言を終わります。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →まず、本題に入る前に、民主党としての憲法についての問題意識と民主党の憲法調査会の現状について報告をさせていただきたいというふうに思います。
今、世界は文明史的転換期にあるということがしばしば指摘をされます。今も国際テロの話がございましたが、事実、最近、世界各地で生じる様々な事件や現象を見ていますと、私自身もそう思わざるを得ません。こうした時代の変化、変動に対応し得る生きた憲法の確立を目指して議論を積み重ねてきました。
一方、日本国憲法の現状を見ますと、解釈改憲といいますか、それを繰り返す政府によって憲法の形骸化、空洞化が進んでいると思います。そして、国民の憲法に対する信頼を大きく損ねつつあると、こう思います。こうした状況を克服し、憲法に基づく政治を確立するためにも、二十一世紀の新しい時代にこたえる創造的な憲法論議が必要ではないかというふうに思っています。
そもそも日本の国は中央集権システムの下で官僚による恣意的な行政が横行し、法の支配が形骸化するという傾向が根強く続いてきました。その上、ルールなき自衛隊の海外派遣が繰り返されて、あたかも日米関係が憲法を超えるかのような政治の実態が生まれてきています。民主党が掲げる創憲は、このような危うい政治の現実に対して、立憲政治を立て直し、法の支配が確立された社会をつくり出すことにその大きなねらいがあります。過去を振り返るのではなく、未来に向かって新しい憲法の在り方を考え、積極的に構想していく、そういう意味での創憲を標榜いたしております。
また、新しい憲法をつくるに当たっては、現日本国憲法が掲げる国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三つの根本規範を尊重し、さらにその深化、発展を図ることを基本にすべきと考えています。
こうした考えの下、民主党憲法調査会では、本年六月に憲法提言の中間報告を取りまとめました。中間報告では、以下に述べる五点を大略の方向として打ち出しています。
第一に、国際テロや地球環境問題を始め、新しい共通の脅威に対応するため、国際協調による共同解決が主流になりつつあります。またグローバリゼーションと情報化に伴う新しい変化や価値の転換により、国家あるいは国民という概念、今のネーションステートもそうかもしれませんが、こういった概念も変化しつつあると思います。例えばヨーロッパに見られるような国家主権の移譲や主権の共有、私どもとしてはアジアとの共生なども視野に入れる、そして新しい憲法を考えることが必要だと思います。
第二に、政治主導の政府運営と国民主権の深化に向け、内閣総理大臣の執行権の明確化や政治任用の拡大、国民投票制度の在り方や憲法裁判所、行政監視院等の設置の根拠を盛り込むことであります。
第三に、分権国家日本をつくり出すために、中央、地方の対等原則や補完性の原理、地方自治体の独立した立法権と課税自主権、住民自治に根差した多様な自治体の在り方の保障などを明記することであります。
第四に、新しい人権の確立と、人権擁護のためにプライバシー権、名誉権、知る権利、環境権、自己決定権等を憲法上に明記することや、独立した第三者機関としての人権委員会やオンブズマンの設置を盛り込むことです。
そして第五に、自衛隊のなし崩し的海外派遣という事態を許さず、国際協調主義で平和を確固たるものとするために、国連の集団安全保障活動への積極的な参加、そして専守防衛に徹した限定された自衛権を明確に位置付けることです。
以上の五点の中で、憲法九条の問題に焦点を当て、民主党の基本姿勢と検討の方向を以下申し上げたいと思います。
そもそも日本国憲法は、国連憲章とそれに基づく集団安全保障体制を前提としています。憲法前文にうたわれている国際協調主義は国連憲章の基本精神を受けたものであり、第九条の文言は、前文の平和主義を具体化したもので、国連憲章の条文を反映したものでもあります。
日本は、憲章が掲げる基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小国の同権に関する信念を国際社会と共有し、その集団安全保障が十分に機能することを願い、その実現のために常に努力することを決意をしてきました。日本は、憲法九条を介して、一国による武力の行使を原則禁止した国連憲章の精神に照らし、徹底した平和主義を宣明しています。それはまた、日本国憲法が、その精神において、自衛権の名の下に武力を無制約に行使した歴史的反省に立ち、武力の行使について強い抑制的姿勢を貫くことを基軸としていることにも反映されています。
以上の原則的立場については、現日本国憲法の前文及び九条の平和主義を国民及び海外に表明するものとして今後も踏襲していくべきだと考えます。
この考え方に立った上で、憲法九条の問題を解決するためには以下の三点を明確にすべきだと思います。
第一は、憲法の中に国連の集団安全保障活動を明確に位置付けることであります。国連安保理若しくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動には、これに関与できることを明確にし、地球規模の脅威と国際人権保障のために日本が責任を持ってその役割を果たすことを鮮明にすることであります。
第二は、国連憲章上の制約された自衛権について三つの要件を明記することであります。すなわち、緊急やむを得ない場合に限ること。つまり、他の手段をもっては対処し得ない国家的脅威を受けた場合に限定すること。国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の活動であること。かつ、その活動の展開に際してはこれを国連に報告することであります。
第三に、武力の行使については最大限抑制的であることの宣言を書き入れることです。国連主導の下の集団安全保障行動であっても自衛権の行使であっても、武力の行使は強い抑制的姿勢の下に置かれるべきであります。我が国の安全保障活動は、この姿勢を基本として、集団安全保障への参画と専守防衛を明示した自衛権の行使に徹するものとすべきであります。
以上が民主党憲法調査会の中間報告として取りまとめた考え方でありますが、今後の検討課題として、以下、私見も交えて一、二申し上げたいと思います。
まず、自衛権に関する問題についてであります。
集団的自衛権の行使については否定的な見解も多くありますが、私は国家の自然権として認められている以上、個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、その権利を有しており、自衛権の行使については恣意的な解釈で対応するのではなく、条文を疑義なく解釈できるよう明文化した上で、具体的な行使の場面においては先述した考え方に沿って限定的かつ厳格に考えていくことが日本の国益に資すると考えております。
ただ、集団的自衛権ということで一言付け加えますと、集団的自衛権を考える場合、当面は日米安全保障条約を念頭に置くことになりますが、同盟のカウンターパートナーである米国は世界じゅうに七百以上の軍事基地を展開し、文字どおりグローバルに活動しています。したがって、集団的自衛権を有しているからといって無制約にその自衛権を行使することになれば、世界じゅうで集団的自衛権を行使することにもなりかねません。現に、今でも自衛隊は極東を越え、イラクに派遣されています。したがって、我が国の基本的立場を逸脱しないようきちっと議論を詰める必要があることを申し添えておきたいと思います。
次に、国連の集団安全保障活動についてであります。
国連安保理若しくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動に基づく平和維持・創造活動に対して日本が参画する場合に、国権の発動たる武力行使との関係をもきちんと整理しておく必要があります。現憲法下でも、正統性を持つ国連の平和維持・創造活動への参加は憲法九条の禁じる国権の発動たる武力の行使にそもそも該当しないという考え方があります。
その一方で、日本として参加の有無を決定する以上、国権の発動に該当し、憲法九条の制約を受けるという考え方もあります。また、両者の中間的な考え方もあると思います。これらについて、先ほど述べた武力行使は最大限抑制的であるべきとの考え方を踏まえ、日本が国連の安全保障活動に参加するにしても、どのような活動まで可能であるのか、また、主権国家との関係においても明確にすべくしっかりとした議論が必要であります。
日本の主権の行使と国連の平和維持・創造活動とを明確に区分する意味で、国連待機軍若しくは待機部隊という構想は重要な選択肢であると思います。迅速な派遣、国民の理解やアジア諸国からの理解の得やすさ等長所もあります。自衛隊との組織の切り分けの考え方、現実論などの観点を踏まえて積極的に検討すべきではないかと思います。
その他にも、憲法で明確化する国連中心の安全保障活動への関与と日米安全保障条約や将来的に誕生することも想定される日本とアジアの地域安全保障のかかわり方について、どのように整理していくかなどについても幅広い議論をしていく必要があると考えます。そして、これらに関する憲法上の規定は可能な限り明快で簡潔であるべきだと思います。
このため、これらの原則を法規定として明確にした憲法附属法としての性格を持つ安全保障基本法を同時に定めることも必要と考えます。今や憲法は、国民の日常生活や現実生活とは遠いところに置かれています。どのように立派な法であっても、それが不断に守られ、生かされるのでなければ、国の枠組みや在り方を規制する基本法としての役割は果たせません。憲法の形骸化、空洞化に歯止めを掛け、世界の潮流、時代の流れに対応し得る新しい憲法をつくることが重要である、このことを強調して、私の発言を終わります。
ありがとうございました。
関
山
山下栄一#9
○山下栄一君 公明党は、現行の日本国憲法は戦後の日本の平和と安定、発展に大きく寄与してきたと高く評価しております。中でも、国民主権主義、恒久平和主義、基本的人権の保障の憲法三原則は普遍のものとしてこれを堅持すべきだと考えます。
憲法九条は、アジアの諸国民に多大な犠牲を強いたさきの戦争に対する反省、再び戦争を繰り返さないというメッセージを諸外国に発信してきた平和主義の根拠であり、戦後の日本の平和と経済的発展を築く上で憲法九条の果たしてきた役割は極めて大きいものがあったと認識しております。
しかしながら、日本国憲法は、制定以来六十年近い歳月が経過しております。憲法が制定されたころとは時代状況が大きく変化し、制定時には想像されることがなかった新たな問題が提起されております。冷戦終結後、憲法前文でうたわれた国際協調主義の具体的な実践として、国連を中心とした紛争予防、平和維持、平和構築の活動に我が国としてどうかかわっていくのか、貧困や飢餓、感染症対策など、個々の人間の生命、生活、尊厳の確保を目指す人間の安全保障の実現にどうかかわっていくかなど、我が国を取り巻く環境も大きく変化してきております。
我が党は、現行憲法は維持しつつ、そこに新しい条文を書き加え補強していく加憲という立場を打ち出しております。諸外国においても修正条項を加えて補強するやり方を取っている国が多く、最も現実的な方式であると考えます。
こうした認識の上から、本日のテーマについて、以下、述べてみたいと思います。
まず、恒久平和主義の理念の現代的意義を強調したいと思います。
国際平和主義と国際協調主義に立脚する現行憲法、とりわけそれを具体化した第九条は、不戦条約、国連憲章の流れをくむものであり、平和憲法と呼ばれる根幹的な意味を持つものであると認識しております。アフガニスタン情勢や泥沼化するイラク紛争を見るとき、憎しみと報復の連鎖が続き、いわゆるならず者国家、反人道国家から民衆を救うべき戦いがかえって民衆を犠牲に巻き込む現実があります。
この現実を見るとき、紛争予防の重要性を痛感せざるを得ません。紛争の火種を未然に摘み取ろうとする紛争予防措置の確立に貢献することこそ、日本国憲法の平和主義に基づいた我が国が果たすべき重要な役割であります。
特に、九条一項においてパリ不戦条約の精神を継いで人類の悲願である戦争の根絶、戦争の根絶という理想に真正面から立ち向かおうとしていること、さらには国権の発動たる戦争の放棄をうたい、国家主権をあえて制限して国連にゆだねることを示唆しております。この九条に投影された国家主権の自己限定の考え方を基に、国連による普遍的な安全保障と紛争予防措置の確立に向け主導的な役割を果たすことこそが、憲法前文に示された我が国が歩むべき道であると考えます。こうした平和憲法の理念、精神性は堅持すべきであり、むしろ今こそ国民全体で再確認し、今後、より積極的に国際社会に対しこの平和主義からのメッセージを力強く発信すべきであると考えます。
二十一世紀において我が国が目指すべきこの国の形は、自国の利益にのみとらわれる視野の狭い一国平和主義や一国国益主義の道であってはならない、積極的平和主義、すなわち国際貢献国家であり、平和人道国家を目指すべきであります。一国だけでは解決が困難な国境を越えた人道の危機を克服するには国家中心の安全保障では限界があり、人間に焦点を当てた安全保障が必要であるというのが人間の安全保障の考え方であります。
我が国は、小渕内閣の時代に人間の安全保障を外交の柱に位置付けることを掲げました。そのために、ODAを戦略的に活用し、また紛争地域の平和構築に国際社会と協力して積極的に貢献していくべきであります。
我が党は、既にマニフェストで掲げておりますとおり、国際平和貢献センターの設置や国際協力に通じた専門家の育成、難民支援、地雷除去支援など、多面的な国際平和への取り組みを我が国が積極的に行うべきであると考えます。
二十一世紀をテロと報復の世紀ではなく、共存と対話の世紀へとするために、日本の果たすべき役割は極めて大きいものがあります。
我が党は、第九条の問題について、タブーを設けず、加憲の対象として論議を積み重ねてまいりました。その主な論点は、自衛隊の存在、国際貢献の在り方、集団的自衛権の行使などに立て分けて考えることができます。
これまでの党内論議では、現行九条を堅持すべきとの議論が大勢であります。個別的自衛権の行使については、あえて明確にすべきだとの意見もありますが、既に現行憲法でも認められているとの解釈が主流であります。一方、専守防衛、個別的自衛権の行使主体としての自衛隊の存在を認める記述を憲法に置くべきだという意見、その反対に、既に実態として合憲の自衛隊は定着している、あえて書く必要はないという指摘もあります。
一方で、我が国の戦後の歴史を振り返るとき、様々に変化する国際環境の中で我が国が平和国家として節度を保った対応が取られてきたのは、この九条、特に第二項の存在に負うところが大きかったと言えます。平和国家としての節度を保ちつつ、時代の変化に柔軟に対応し、かつ暴走に対する歯止めとして九条の存在意義は極めて大きいものがあったのも事実であると理解しております。
既に政府の解釈や様々な実定法の立法化により自衛権や自衛隊の存在は確立されており、その自衛隊が国際貢献できるとする憲法解釈も定着しております。また、国連憲章は、国連による国際公共の価値を追求するための集団安全保障における武力行使を認めていますが、日本政府は集団的安全保障にあっても武力行使は許されるべきではないとしています。我が党においては、あくまで民生中心の人道復興支援を主体とすべきだとの意見が大勢であります。
平和の構築や貧困格差の是正、地球環境など、二十一世紀の全人類が直面する課題の解決のために国連が果たすべき役割は重要であります。
冷戦終結後の今日、国連がその本来の機能を発揮する道を切り開くことも可能となりました。我が国は、このような方向に向けて努力すべきであり、集団安全保障など、国連の機能強化を進めるべきであります。また同時に、我が国は、国連による平和維持、平和構築活動に積極的に参加するとともに、国連決議に基づいた正当な目的のために行われる活動に対しても可能な限り協力を行うことも検討されるべきであります。これには、現在の憲法九条の下においても十分可能なことであると考えます。
その上で、国際貢献については明文化を望む指摘もあります。九条に書き加えるか、前文に盛り込むか、別建てで起こすか、あるいは法律で対応すれば済むというように意見が分かれております。
集団的自衛権の問題については、個別的自衛権の行使は現行憲法でも認められていますが、集団的自衛権の行使は認められていないという意見が大勢であります。
集団的自衛権の議論に際しては、果たして具体的にどのような場合に実際に集団的自衛権の行使を認める必要があるのか、またこの集団的自衛権行使を認めなければ国家存立が危うくなる場合は本当に想定されるのか、あるいは憲法に集団的自衛権行使を明記した場合どのようなリスクを生じるのか、以上のような問題をより具体的に事実に即して吟味し、議論、検討していく必要があります。
また、集団的自衛権については、その保有と行使を区別する政府解釈がしばしば批判されておりますが、国際法上、保有するということが認められた権利を実際に行使するかどうかは、正に主権国家たるそれぞれの国が自らの判断で決すべき問題であり、具体的には主権者である国民の意思により制定された憲法等によって各国がいろいろ決めるべき問題であります。
いずれにせよ、集団的自衛権の問題については、憲法を改正してまでその行使を認める必要があるかどうかを十分に検討する必要があります。
その他、ミサイル防衛、国際テロなどの緊急事態についての対処規定がないことから、新たに盛り込むべしとの意見もありますが、あえて必要ないという意見が大勢です。
最後に、総括的に述べたいと思います。
平和主義と安全保障の問題、とりわけ九条の問題を考えるに際しては、我が国の歴史、国民の体験を踏まえ、第九条が果たしてきた役割を振り返る歴史的視点、それと南北格差やテロリズムなど国際社会の現状や動向に対するグローバルな視点、そして世界や日本の将来についての長期的な視点を踏まえて総合的に考える必要があります。
国民の間には、憲法九条を変えることに対する危惧があることも事実であり、見直しについては、国民的な合意を形成する観点から、慎重に議論を進める必要があります。なかんずく、制定から六十年たった今日、憲法前文及び九条に盛り込まれた平和主義の理念、精神性が果たしてどれだけ国際社会に発信され、具体化されたのか、今後更にこの平和主義の理念と精神をどう世界に広げていくのか、こうした検証と展望を持った国民的議論が不可欠であると考えます。
今後の九条論議に当たっては、九条一項の戦争放棄、二項の戦力不保持の規定を堅持するという姿勢に立った上で、自衛隊の存在の明記や我が国の国際貢献の在り方について、派遣の議論の対象としてより議論を深め、検討していくべきものと考えます。
以上で見解の発表を終わりたいと思います。
この発言だけを見る →憲法九条は、アジアの諸国民に多大な犠牲を強いたさきの戦争に対する反省、再び戦争を繰り返さないというメッセージを諸外国に発信してきた平和主義の根拠であり、戦後の日本の平和と経済的発展を築く上で憲法九条の果たしてきた役割は極めて大きいものがあったと認識しております。
しかしながら、日本国憲法は、制定以来六十年近い歳月が経過しております。憲法が制定されたころとは時代状況が大きく変化し、制定時には想像されることがなかった新たな問題が提起されております。冷戦終結後、憲法前文でうたわれた国際協調主義の具体的な実践として、国連を中心とした紛争予防、平和維持、平和構築の活動に我が国としてどうかかわっていくのか、貧困や飢餓、感染症対策など、個々の人間の生命、生活、尊厳の確保を目指す人間の安全保障の実現にどうかかわっていくかなど、我が国を取り巻く環境も大きく変化してきております。
我が党は、現行憲法は維持しつつ、そこに新しい条文を書き加え補強していく加憲という立場を打ち出しております。諸外国においても修正条項を加えて補強するやり方を取っている国が多く、最も現実的な方式であると考えます。
こうした認識の上から、本日のテーマについて、以下、述べてみたいと思います。
まず、恒久平和主義の理念の現代的意義を強調したいと思います。
国際平和主義と国際協調主義に立脚する現行憲法、とりわけそれを具体化した第九条は、不戦条約、国連憲章の流れをくむものであり、平和憲法と呼ばれる根幹的な意味を持つものであると認識しております。アフガニスタン情勢や泥沼化するイラク紛争を見るとき、憎しみと報復の連鎖が続き、いわゆるならず者国家、反人道国家から民衆を救うべき戦いがかえって民衆を犠牲に巻き込む現実があります。
この現実を見るとき、紛争予防の重要性を痛感せざるを得ません。紛争の火種を未然に摘み取ろうとする紛争予防措置の確立に貢献することこそ、日本国憲法の平和主義に基づいた我が国が果たすべき重要な役割であります。
特に、九条一項においてパリ不戦条約の精神を継いで人類の悲願である戦争の根絶、戦争の根絶という理想に真正面から立ち向かおうとしていること、さらには国権の発動たる戦争の放棄をうたい、国家主権をあえて制限して国連にゆだねることを示唆しております。この九条に投影された国家主権の自己限定の考え方を基に、国連による普遍的な安全保障と紛争予防措置の確立に向け主導的な役割を果たすことこそが、憲法前文に示された我が国が歩むべき道であると考えます。こうした平和憲法の理念、精神性は堅持すべきであり、むしろ今こそ国民全体で再確認し、今後、より積極的に国際社会に対しこの平和主義からのメッセージを力強く発信すべきであると考えます。
二十一世紀において我が国が目指すべきこの国の形は、自国の利益にのみとらわれる視野の狭い一国平和主義や一国国益主義の道であってはならない、積極的平和主義、すなわち国際貢献国家であり、平和人道国家を目指すべきであります。一国だけでは解決が困難な国境を越えた人道の危機を克服するには国家中心の安全保障では限界があり、人間に焦点を当てた安全保障が必要であるというのが人間の安全保障の考え方であります。
我が国は、小渕内閣の時代に人間の安全保障を外交の柱に位置付けることを掲げました。そのために、ODAを戦略的に活用し、また紛争地域の平和構築に国際社会と協力して積極的に貢献していくべきであります。
我が党は、既にマニフェストで掲げておりますとおり、国際平和貢献センターの設置や国際協力に通じた専門家の育成、難民支援、地雷除去支援など、多面的な国際平和への取り組みを我が国が積極的に行うべきであると考えます。
二十一世紀をテロと報復の世紀ではなく、共存と対話の世紀へとするために、日本の果たすべき役割は極めて大きいものがあります。
我が党は、第九条の問題について、タブーを設けず、加憲の対象として論議を積み重ねてまいりました。その主な論点は、自衛隊の存在、国際貢献の在り方、集団的自衛権の行使などに立て分けて考えることができます。
これまでの党内論議では、現行九条を堅持すべきとの議論が大勢であります。個別的自衛権の行使については、あえて明確にすべきだとの意見もありますが、既に現行憲法でも認められているとの解釈が主流であります。一方、専守防衛、個別的自衛権の行使主体としての自衛隊の存在を認める記述を憲法に置くべきだという意見、その反対に、既に実態として合憲の自衛隊は定着している、あえて書く必要はないという指摘もあります。
一方で、我が国の戦後の歴史を振り返るとき、様々に変化する国際環境の中で我が国が平和国家として節度を保った対応が取られてきたのは、この九条、特に第二項の存在に負うところが大きかったと言えます。平和国家としての節度を保ちつつ、時代の変化に柔軟に対応し、かつ暴走に対する歯止めとして九条の存在意義は極めて大きいものがあったのも事実であると理解しております。
既に政府の解釈や様々な実定法の立法化により自衛権や自衛隊の存在は確立されており、その自衛隊が国際貢献できるとする憲法解釈も定着しております。また、国連憲章は、国連による国際公共の価値を追求するための集団安全保障における武力行使を認めていますが、日本政府は集団的安全保障にあっても武力行使は許されるべきではないとしています。我が党においては、あくまで民生中心の人道復興支援を主体とすべきだとの意見が大勢であります。
平和の構築や貧困格差の是正、地球環境など、二十一世紀の全人類が直面する課題の解決のために国連が果たすべき役割は重要であります。
冷戦終結後の今日、国連がその本来の機能を発揮する道を切り開くことも可能となりました。我が国は、このような方向に向けて努力すべきであり、集団安全保障など、国連の機能強化を進めるべきであります。また同時に、我が国は、国連による平和維持、平和構築活動に積極的に参加するとともに、国連決議に基づいた正当な目的のために行われる活動に対しても可能な限り協力を行うことも検討されるべきであります。これには、現在の憲法九条の下においても十分可能なことであると考えます。
その上で、国際貢献については明文化を望む指摘もあります。九条に書き加えるか、前文に盛り込むか、別建てで起こすか、あるいは法律で対応すれば済むというように意見が分かれております。
集団的自衛権の問題については、個別的自衛権の行使は現行憲法でも認められていますが、集団的自衛権の行使は認められていないという意見が大勢であります。
集団的自衛権の議論に際しては、果たして具体的にどのような場合に実際に集団的自衛権の行使を認める必要があるのか、またこの集団的自衛権行使を認めなければ国家存立が危うくなる場合は本当に想定されるのか、あるいは憲法に集団的自衛権行使を明記した場合どのようなリスクを生じるのか、以上のような問題をより具体的に事実に即して吟味し、議論、検討していく必要があります。
また、集団的自衛権については、その保有と行使を区別する政府解釈がしばしば批判されておりますが、国際法上、保有するということが認められた権利を実際に行使するかどうかは、正に主権国家たるそれぞれの国が自らの判断で決すべき問題であり、具体的には主権者である国民の意思により制定された憲法等によって各国がいろいろ決めるべき問題であります。
いずれにせよ、集団的自衛権の問題については、憲法を改正してまでその行使を認める必要があるかどうかを十分に検討する必要があります。
その他、ミサイル防衛、国際テロなどの緊急事態についての対処規定がないことから、新たに盛り込むべしとの意見もありますが、あえて必要ないという意見が大勢です。
最後に、総括的に述べたいと思います。
平和主義と安全保障の問題、とりわけ九条の問題を考えるに際しては、我が国の歴史、国民の体験を踏まえ、第九条が果たしてきた役割を振り返る歴史的視点、それと南北格差やテロリズムなど国際社会の現状や動向に対するグローバルな視点、そして世界や日本の将来についての長期的な視点を踏まえて総合的に考える必要があります。
国民の間には、憲法九条を変えることに対する危惧があることも事実であり、見直しについては、国民的な合意を形成する観点から、慎重に議論を進める必要があります。なかんずく、制定から六十年たった今日、憲法前文及び九条に盛り込まれた平和主義の理念、精神性が果たしてどれだけ国際社会に発信され、具体化されたのか、今後更にこの平和主義の理念と精神をどう世界に広げていくのか、こうした検証と展望を持った国民的議論が不可欠であると考えます。
今後の九条論議に当たっては、九条一項の戦争放棄、二項の戦力不保持の規定を堅持するという姿勢に立った上で、自衛隊の存在の明記や我が国の国際貢献の在り方について、派遣の議論の対象としてより議論を深め、検討していくべきものと考えます。
以上で見解の発表を終わりたいと思います。
関
吉
吉川春子#11
○吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。
日本国憲法前文と九条について私の見解を述べます。
憲法前文は、政府の行為によって戦争の惨禍の起きることのないようにすることを決意し、過去の侵略戦争に対する反省が日本国憲法制定の動機であるとしています。
私は、戦争の犠牲になった人々に対するいわゆる戦後補償問題について取り組んできました。民主、共産、社民、野党三党共同提出の戦時性的強制被害者問題、いわゆる慰安婦問題解決促進法案の提案者です。内容は、日本が慰安婦とした七万とも二十万とも推測されるアジア地域の女性たちに対して謝罪と補償を行うというものです。
二〇〇二年三月に提案されたこの法案は、参議院内閣委員会で二回審議されました。同法案の提案理由は、今次の大戦及びそれに至る一連の事変等に係る時期において、旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的行為の強制が行われたことにより、これらの女性の尊厳と名誉が著しく害されたこと、このことに対して我が国が十分な対応を行ってきたとは言えない状況を踏まえて、我が国が誠意を持ってこの問題解決に取り組むことが緊要な課題になっていることにかんがみ、被害を受けた女性への謝罪と償いの意を表するための措置を我が国政府の責任によって講ずるためと述べています。
政府がさきに行ったアジア女性基金の償い事業がとりわけ韓国や台湾から激しい批判を受けましたので、私たち野党の法案が関係諸国にどう受け入れられるのか、民主、社民の議員の方々と一緒にそれらの国を訪問し、慰安婦被害者の皆さんやNGO、そして大臣や政府高官、国会議員にお目に掛かり、法案の内容の説明と意見交換を行いました。
韓国国会では、私たちの帰国後、常任委員会である女性委員会、林委員長が提案者となって私たちの法案の制定促進決議が提案され、本会議で全会一致で可決されるなど、各国から歓迎を受けたことは喜ばしいことでした。
しかし、同時に、私が訪問した各国では日本の残した戦争の傷跡が今なおいえていないことも実感しました。
オランダはインドネシアを植民地支配しているときに日本に占領され、多くの人々が収容所に入れられ、二、三百人の若い女性たちは慰安婦にさせられました。
一昨年、私は、日本の裁判所に提訴しているオランダ・ハーグにある対日道義請求財団を訪ねましたが、日本政府の対応には厳しい批判を浴びせられました。
彼らの案内で日本との戦いの犠牲者の碑、インデヒモニュメントに献花をしました。私は記者のインタビューを受け、私の写真と記事が現地で報道されました。それを見た市民から、NGOの事務所に、なぜ日本人に献花をさせたのかと抗議の電話が入りました。私のオランダ訪問の目的を説明したら納得したそうですが、ここは十数年前、日本の総理大臣も訪れ、花輪がすぐに投げ捨てられたと言われる場所で、事前に私も日本人は近づけない場所とは聞いていました。
私は、この経験を通じて、日本国憲法と九条の今日的大切さを痛感しました。憲法は、日本の侵略戦争におけるアジア二千万人の犠牲、日本国民三百十万人の犠牲の上に、日本の侵略戦争への反省を示し、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないとし、二度と再び戦争はしないと世界に宣言し、国際紛争の平和的解決の方向を人類の取るべき道として示しました。利己的、独善的な国家主義に対し決別の意思を表しています。この憲法の基本原則に沿った政治、外交が行われることが国際社会において名誉ある地位を占める道ではないでしょうか。
慰安婦問題等は早急に解決されなければなりません。しかし、強制連行や毒ガス問題などを含め多くの戦後処理問題は裁判に持ち込まれましたが、敗訴し、いまだに解決をしていません。そればかりかかえって、侵略戦争の精神的バックボーンでありA級戦犯が合祀されている靖国神社へ総理が毎年参拝することに対し、日本へのアジア諸国の批判は増幅しています。靖国神社への参拝は、裁判所も言うとおり憲法違反です。侵略戦争への反省が不十分という批判がアジア諸国に抜き難くあるのが現実です。
一昨年、ソウルの青瓦台の反対側にある西大門刑務所を訪れたとき、日本語のできるガイドの説明を受けました。植民地時代に独立戦争をする朝鮮の人々を投獄した場所ですが、私は日本人として正視に堪えませんでした。ここは、日本の植民地支配についての学習の場として毎年大勢の学生生徒が見学に来ます。日本支配はいまだに韓国国民のぬぐい難い記憶であることを私は痛切に感じたのです。
韓国の国会議員は日本をどう見ているか。雑誌「世界」八月号の青木理氏の記事によると、今年四月の総選挙で圧勝した与党ウリ党の新議員の学習会で、今後最も重点を置くべき外交通商の相手はどこかという質問に対して百三十人が回答しました。第一位が中国、六三%、次はアメリカ、二六%、三位はASEAN、四位はEU、そして日本はわずか二%で最下位でした。
さらに、日本の首相の靖国神社参拝についてどう考えるかとの設問に、外交摩擦を避けつつ遺憾表明によって立場を明らかにするが四三%ですが、外交問題が生じても日本に強力に抗議して断固たる措置を取るべきという回答も四〇%だということです。
憲法前文は、いずれの国家も、自国のことのみに専念し他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なもの、この法則に従うことが各国の義務としています。この文言に込められた侵略戦争への反省を二度と再び繰り返さないとの決意を忠実に実現していくことが、戦争で犠牲を強いた諸外国の人々と友好関係を築く道であり、アジアで日本が信頼をかち得る方法であると思います。
一部には、我が国の歴史、伝統、文化、日本のアイデンティティーを憲法前文に盛り込むべきとの見解がありますが、この見解は基本的人権の制限や過去の国家主義的考えに基づくものであるならば時代錯誤です。
憲法九条と参議院の自衛隊を海外に出さざる決議により、第二次大戦後九〇年代初めまで海外派兵は行わず、平和国家としてアラブ、アジアなど、世界で一定の信頼を日本は得てきました。しかし、今イラクでは、悲しいことに日本人も標的になっています。イラクのほぼ全土に非常事態宣言が出され、米軍が病院や橋まで攻撃し、ファルージャ総攻撃を行って死傷者が多く出ています。イラク戦争は泥沼化しており、武力行使が何の解決にもなっていないことを改めて示しています。
国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇ではなく外交など平和的手段で行うとの憲法原則に立ち返り、自衛隊はイラクから直ちに撤退すべきです。
日本の憲法九条は海外からどう見られているのでしょうか。
国際民主法律家のロラン・ベイユ氏は、日本憲法を歴史的にとらえれば、第二次大戦と結び付いて軍国主義の復活に予防線を張った条文だが、第二次大戦後の世界の思想の進歩に照らせば、憲法の条文は今日全く違った永続的かつ基本的な意義がある、九条と日本を世界の進歩の最先端に立たせることになったと語っており、私も同感します。
憲法九条を変えて実態に合わせようとの動き、中でもアメリカからの度々の要請に呼応し、国際社会との協力を明文として集団的自衛権行使を明記する動きには同意できません。歴代政府は、日米軍事同盟の強化で日本を戦争のできる国にするための法体制、周辺事態安全確保法、武力攻撃対処法、武力攻撃事態対処法を次々に成立させました。
憲法九条を変えることは、文字どおり戦争ができる普通の国に日本を変えていくことです。アジア諸国はそれを望んでいるでしょうか。
タイのチュラロンコン大学のチャイワット・カムチュー部長は、改憲にアジアは反対する、もし九条が変わったらアジアに衝撃が走ると述べています。私は、これによって日本と世界が失うものは極めて大きいと思います。
集団的自衛権の行使、自衛のための戦力の保持、国の防衛及び非常事態における国民の協力義務を設けるとの主張は、徴兵制の道につながるおそれがあります。
私が毎年訪問する上田市の無言館には、戦死した東京美術学校、現芸大の画学生がかいた遺品の絵が展示されています。彼らが生きていたらどんなにすばらしい画家になっていたでしょうか。
俳優の三國連太郎さんは、戦前、日本にいなきゃ軍事教練もしなくていいし、戦争に行かなくて済むと思い、中国大陸と朝鮮半島を放浪したそうです。二度目の放浪のとき母親に出した手紙で、お母さんが警察に届け、消印で三國さんは捕まりました。僕みたいな子供がいると世間からつまはじきにされる、弟妹がかわいそうだということか、母親を恨んだことはないと赤旗インタビューに答えています。
徴兵制で若者を戦争に駆り立てる歴史を繰り返してはなりません。核保有国が増え、核兵器の小型化がアメリカによって進められ、イラク戦争でもアメリカは劣化ウラン弾を使用しています。
政府の安全保障と防衛に関する懇談会で武器輸出三原則の見直しも言われています。ミサイル防衛、MD構想に参画する上で武器輸出三原則が邪魔になってきた、武器の共同開発、生産、核兵器の製造、輸出につながりかねない圧力が武器商人から掛けられています。
しかし、核兵器廃絶は世界の願いです。今年も原水爆禁止世界大会へ各国首相からメッセージが寄せられています。ニュージーランドのヘレン・クラーク首相は、「いま、核兵器の廃絶を」というメッセージは明快で説得力を持っています。この目標は重要であり、ニュージーランド政府は強く支持します。また、バングラデシュのイアンジュディン・アハメド大統領は、核軍縮の前進は、世界の平和と安定を達成するため、より強固なものに強化されなくてはならない。スウェーデンのヨーラン・ペンション首相は、時の経過とともに長崎、広島の恐ろしい経験は忘却のかなたに消えてしまう可能性がある、それを決して容認してはならない。ラオスの人民民主共和国カムタイ・シハンド大統領は、ラオス国民は戦争を拒否するとともに、平和でどのような大量破壊兵器もない世界のために協力していくことを誠実に望んでいると述べています。
日本の核兵器廃絶運動への期待は大変高いものがあります。憲法九条の歯止めを取れば、広島、長崎の被害を負う我が国が核兵器製造、核武装へと進んでいくと思います。それは日本の戦後の歴史を一挙に無にするに等しい暴挙です。
最後に私は、九条の会のアピールの一節を引用します。
二十世紀の教訓を踏まえ、二十一世紀の進路が問われている今、改めて憲法九条を外交の基本に据えることの大切さがはっきりしています。日本と世界の平和な未来のため、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、改憲の企てを阻むために一人一人ができるあらゆる努力を今すぐ始めることを訴えます。
以上です。ありがとうございました。
この発言だけを見る →日本国憲法前文と九条について私の見解を述べます。
憲法前文は、政府の行為によって戦争の惨禍の起きることのないようにすることを決意し、過去の侵略戦争に対する反省が日本国憲法制定の動機であるとしています。
私は、戦争の犠牲になった人々に対するいわゆる戦後補償問題について取り組んできました。民主、共産、社民、野党三党共同提出の戦時性的強制被害者問題、いわゆる慰安婦問題解決促進法案の提案者です。内容は、日本が慰安婦とした七万とも二十万とも推測されるアジア地域の女性たちに対して謝罪と補償を行うというものです。
二〇〇二年三月に提案されたこの法案は、参議院内閣委員会で二回審議されました。同法案の提案理由は、今次の大戦及びそれに至る一連の事変等に係る時期において、旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的行為の強制が行われたことにより、これらの女性の尊厳と名誉が著しく害されたこと、このことに対して我が国が十分な対応を行ってきたとは言えない状況を踏まえて、我が国が誠意を持ってこの問題解決に取り組むことが緊要な課題になっていることにかんがみ、被害を受けた女性への謝罪と償いの意を表するための措置を我が国政府の責任によって講ずるためと述べています。
政府がさきに行ったアジア女性基金の償い事業がとりわけ韓国や台湾から激しい批判を受けましたので、私たち野党の法案が関係諸国にどう受け入れられるのか、民主、社民の議員の方々と一緒にそれらの国を訪問し、慰安婦被害者の皆さんやNGO、そして大臣や政府高官、国会議員にお目に掛かり、法案の内容の説明と意見交換を行いました。
韓国国会では、私たちの帰国後、常任委員会である女性委員会、林委員長が提案者となって私たちの法案の制定促進決議が提案され、本会議で全会一致で可決されるなど、各国から歓迎を受けたことは喜ばしいことでした。
しかし、同時に、私が訪問した各国では日本の残した戦争の傷跡が今なおいえていないことも実感しました。
オランダはインドネシアを植民地支配しているときに日本に占領され、多くの人々が収容所に入れられ、二、三百人の若い女性たちは慰安婦にさせられました。
一昨年、私は、日本の裁判所に提訴しているオランダ・ハーグにある対日道義請求財団を訪ねましたが、日本政府の対応には厳しい批判を浴びせられました。
彼らの案内で日本との戦いの犠牲者の碑、インデヒモニュメントに献花をしました。私は記者のインタビューを受け、私の写真と記事が現地で報道されました。それを見た市民から、NGOの事務所に、なぜ日本人に献花をさせたのかと抗議の電話が入りました。私のオランダ訪問の目的を説明したら納得したそうですが、ここは十数年前、日本の総理大臣も訪れ、花輪がすぐに投げ捨てられたと言われる場所で、事前に私も日本人は近づけない場所とは聞いていました。
私は、この経験を通じて、日本国憲法と九条の今日的大切さを痛感しました。憲法は、日本の侵略戦争におけるアジア二千万人の犠牲、日本国民三百十万人の犠牲の上に、日本の侵略戦争への反省を示し、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないとし、二度と再び戦争はしないと世界に宣言し、国際紛争の平和的解決の方向を人類の取るべき道として示しました。利己的、独善的な国家主義に対し決別の意思を表しています。この憲法の基本原則に沿った政治、外交が行われることが国際社会において名誉ある地位を占める道ではないでしょうか。
慰安婦問題等は早急に解決されなければなりません。しかし、強制連行や毒ガス問題などを含め多くの戦後処理問題は裁判に持ち込まれましたが、敗訴し、いまだに解決をしていません。そればかりかかえって、侵略戦争の精神的バックボーンでありA級戦犯が合祀されている靖国神社へ総理が毎年参拝することに対し、日本へのアジア諸国の批判は増幅しています。靖国神社への参拝は、裁判所も言うとおり憲法違反です。侵略戦争への反省が不十分という批判がアジア諸国に抜き難くあるのが現実です。
一昨年、ソウルの青瓦台の反対側にある西大門刑務所を訪れたとき、日本語のできるガイドの説明を受けました。植民地時代に独立戦争をする朝鮮の人々を投獄した場所ですが、私は日本人として正視に堪えませんでした。ここは、日本の植民地支配についての学習の場として毎年大勢の学生生徒が見学に来ます。日本支配はいまだに韓国国民のぬぐい難い記憶であることを私は痛切に感じたのです。
韓国の国会議員は日本をどう見ているか。雑誌「世界」八月号の青木理氏の記事によると、今年四月の総選挙で圧勝した与党ウリ党の新議員の学習会で、今後最も重点を置くべき外交通商の相手はどこかという質問に対して百三十人が回答しました。第一位が中国、六三%、次はアメリカ、二六%、三位はASEAN、四位はEU、そして日本はわずか二%で最下位でした。
さらに、日本の首相の靖国神社参拝についてどう考えるかとの設問に、外交摩擦を避けつつ遺憾表明によって立場を明らかにするが四三%ですが、外交問題が生じても日本に強力に抗議して断固たる措置を取るべきという回答も四〇%だということです。
憲法前文は、いずれの国家も、自国のことのみに専念し他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なもの、この法則に従うことが各国の義務としています。この文言に込められた侵略戦争への反省を二度と再び繰り返さないとの決意を忠実に実現していくことが、戦争で犠牲を強いた諸外国の人々と友好関係を築く道であり、アジアで日本が信頼をかち得る方法であると思います。
一部には、我が国の歴史、伝統、文化、日本のアイデンティティーを憲法前文に盛り込むべきとの見解がありますが、この見解は基本的人権の制限や過去の国家主義的考えに基づくものであるならば時代錯誤です。
憲法九条と参議院の自衛隊を海外に出さざる決議により、第二次大戦後九〇年代初めまで海外派兵は行わず、平和国家としてアラブ、アジアなど、世界で一定の信頼を日本は得てきました。しかし、今イラクでは、悲しいことに日本人も標的になっています。イラクのほぼ全土に非常事態宣言が出され、米軍が病院や橋まで攻撃し、ファルージャ総攻撃を行って死傷者が多く出ています。イラク戦争は泥沼化しており、武力行使が何の解決にもなっていないことを改めて示しています。
国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇ではなく外交など平和的手段で行うとの憲法原則に立ち返り、自衛隊はイラクから直ちに撤退すべきです。
日本の憲法九条は海外からどう見られているのでしょうか。
国際民主法律家のロラン・ベイユ氏は、日本憲法を歴史的にとらえれば、第二次大戦と結び付いて軍国主義の復活に予防線を張った条文だが、第二次大戦後の世界の思想の進歩に照らせば、憲法の条文は今日全く違った永続的かつ基本的な意義がある、九条と日本を世界の進歩の最先端に立たせることになったと語っており、私も同感します。
憲法九条を変えて実態に合わせようとの動き、中でもアメリカからの度々の要請に呼応し、国際社会との協力を明文として集団的自衛権行使を明記する動きには同意できません。歴代政府は、日米軍事同盟の強化で日本を戦争のできる国にするための法体制、周辺事態安全確保法、武力攻撃対処法、武力攻撃事態対処法を次々に成立させました。
憲法九条を変えることは、文字どおり戦争ができる普通の国に日本を変えていくことです。アジア諸国はそれを望んでいるでしょうか。
タイのチュラロンコン大学のチャイワット・カムチュー部長は、改憲にアジアは反対する、もし九条が変わったらアジアに衝撃が走ると述べています。私は、これによって日本と世界が失うものは極めて大きいと思います。
集団的自衛権の行使、自衛のための戦力の保持、国の防衛及び非常事態における国民の協力義務を設けるとの主張は、徴兵制の道につながるおそれがあります。
私が毎年訪問する上田市の無言館には、戦死した東京美術学校、現芸大の画学生がかいた遺品の絵が展示されています。彼らが生きていたらどんなにすばらしい画家になっていたでしょうか。
俳優の三國連太郎さんは、戦前、日本にいなきゃ軍事教練もしなくていいし、戦争に行かなくて済むと思い、中国大陸と朝鮮半島を放浪したそうです。二度目の放浪のとき母親に出した手紙で、お母さんが警察に届け、消印で三國さんは捕まりました。僕みたいな子供がいると世間からつまはじきにされる、弟妹がかわいそうだということか、母親を恨んだことはないと赤旗インタビューに答えています。
徴兵制で若者を戦争に駆り立てる歴史を繰り返してはなりません。核保有国が増え、核兵器の小型化がアメリカによって進められ、イラク戦争でもアメリカは劣化ウラン弾を使用しています。
政府の安全保障と防衛に関する懇談会で武器輸出三原則の見直しも言われています。ミサイル防衛、MD構想に参画する上で武器輸出三原則が邪魔になってきた、武器の共同開発、生産、核兵器の製造、輸出につながりかねない圧力が武器商人から掛けられています。
しかし、核兵器廃絶は世界の願いです。今年も原水爆禁止世界大会へ各国首相からメッセージが寄せられています。ニュージーランドのヘレン・クラーク首相は、「いま、核兵器の廃絶を」というメッセージは明快で説得力を持っています。この目標は重要であり、ニュージーランド政府は強く支持します。また、バングラデシュのイアンジュディン・アハメド大統領は、核軍縮の前進は、世界の平和と安定を達成するため、より強固なものに強化されなくてはならない。スウェーデンのヨーラン・ペンション首相は、時の経過とともに長崎、広島の恐ろしい経験は忘却のかなたに消えてしまう可能性がある、それを決して容認してはならない。ラオスの人民民主共和国カムタイ・シハンド大統領は、ラオス国民は戦争を拒否するとともに、平和でどのような大量破壊兵器もない世界のために協力していくことを誠実に望んでいると述べています。
日本の核兵器廃絶運動への期待は大変高いものがあります。憲法九条の歯止めを取れば、広島、長崎の被害を負う我が国が核兵器製造、核武装へと進んでいくと思います。それは日本の戦後の歴史を一挙に無にするに等しい暴挙です。
最後に私は、九条の会のアピールの一節を引用します。
二十世紀の教訓を踏まえ、二十一世紀の進路が問われている今、改めて憲法九条を外交の基本に据えることの大切さがはっきりしています。日本と世界の平和な未来のため、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、改憲の企てを阻むために一人一人ができるあらゆる努力を今すぐ始めることを訴えます。
以上です。ありがとうございました。
関
田
田英夫#13
○田英夫君 憲法第九条を論ずるに当たっては、まず、第九条はどういういきさつで、どういう空気の中でつくられたかということを知っていなければならないと思います。そういう意味から、私どもが調べた限りの第九条がつくられた経過をまず申し上げたいと思います。
私どもの意見では、この第九条は幣原喜重郎首相を中心としてつくられたと思っています。幣原さんは、昭和の初め、若槻内閣とか浜口内閣で外務大臣をやられ、軍縮交渉の全権となって活動され、軍縮条約をのんだために軍部や右翼から罷免をされたという平和主義者だと思いますが、一九四五年、つまり昭和二十年の戦争が終わった直後、その十月から昭和二十一年の五月まで総理大臣をやられ、憲法をつくることに加わっておられます。そして、その後の吉田内閣のときに、国務大臣として国会での憲法審議の答弁をしておられます。
その幣原さんの憲法をつくられたいきさつを平野三郎さんという、この方は衆議院議員をやられ、後に岐阜県知事をやられた方ですが、その平野三郎さんが幣原さんから聞いたことを、「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」という本が、文書があります。これは内閣憲法調査会が一九六四年二月に作ったものですけれども、それを私どもも調べました。
平野さんが質問するのに対して幣原さんが答えるという形でこの文書はできているんですけれども、まず幣原さんが言われたことは、原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わった。今後は交戦国の大小の都市は灰じんに帰すだろうと。世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。戦争をやめるにはどうしたらいいか考えあぐねた結果、それは武器を持たないことだという結論に達したと。平野さんは、そのような大問題は大国間で議論するべきことであって、日本のような敗戦国がそんなことを言っても、偉そうなことを言ってもどうにもならないではないかと言ったのに対して、幣原さんは、負けた日本だからこそできる。軍拡競争は際限のない悪循環を繰り返す。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられないネズミの大群のようだと。世界が一斉に軍備を廃止すること、もちろんそれは不可能だと思う。となれば、非武装をする狂気のさたの国が出なければならない。世界は一人の狂人を今必要としている。世界は軍拡競争のアリ地獄から抜け出すことができない。これに対して、軍備を持たないと言う一人の狂人はすばらしい狂人であると。世界史の扉を開く狂人である。まあ、こういうことを幣原さんは言っておられます。
そしてさらに、もちろんこれが憲法九条の根幹になるわけですけれども、この考えを持って、総理大臣としての幣原さんはマッカーサー司令官を訪ねておられる。その事情についてマッカーサー司令官は、一九五一年の五月四日、アメリカの上院の外交委員会で証言をしています。マッカーサー元帥は、そのときには、これはまだ朝鮮戦争が行われているさなかですが、言わば首になって、で上院に喚問をされているということで、その中で日本占領当時のことも議員の質問に答えて話をしている。
そこの中で、日本人はどの国民よりも原子戦争がどんなものか了解している。それは理論上のことではなくて、彼らは死体を数え数え埋葬したのだ。幣原首相は私のところに来て、唯一の解決策は戦争をなくすことです、軍人であるあなたにこの問題を差し出すのは非常に不本意ですが、そしてあなたは受け入れないでしょうけれども、しかし、私は日本の憲法にこの条項を挿入するよう努力したいのです、こう述べた。マッカーサーは、私は思わず立ち上がってこの老人の手を握って握手をし、これは大変な偉大な建設的な措置だと言わざるを得なかったと。しかし、世界は恐らくそれを受け入れず、嘲笑の的にするだろう、そのあなたの考えを貫徹するには大変大きな道義上の気力が必要だと思うと、こういうことをマッカーサー元帥は証言をしております。
結局、マッカーサー元帥はそのことを、これを了承して、最終的に憲法第九条というものが入れられたと。まあ言わば第九条というのは幣原さんとマッカーサー元帥との間でできた、そうした経緯があると思います。
なお、マッカーサー元帥は太平洋戦争の総司令官をやり、朝鮮戦争の指揮を執ったわけですけれども、その後、実はこの証言をしたときには非常に平和主義者になっていると思われる言葉があります。
有名だったマクマホン上院議員の質問に答えているんですが、軍縮交渉はどうあるべきかというマクマホン上院議員の質問に対して、マッカーサー元帥は、軍縮交渉ではなくてアメリカの一方的な軍備廃止によって戦争を非合法化することだと。正に、幣原さんの言われたことをマッカーサー元帥も理解をして、議会の証言の中でこういうことを言っているということを、私どもは憲法を、九条を考えるときにはやはり知った上で、今のこの国際情勢の中で憲法というもの、九条を改正するとかそういうことを考えるのがいいのか、それとも、この幣原さんが考えられた一つの人類というスケールで物を考えたこの考え方を今も大切にしていくのかと。そのことを私どもは考えなければいけないと思っています。
そして、日本が、この憲法第九条という条項を持っていることを、つまり、日本は戦争をしない国なんだ、軍隊を持たない国なんだということを現在の世界の人たちがどの程度知っており、そして正しく理解しているのか。いや、日本人すらも私はそういう気がしてなりません、正しく理解しているのかどうか大変疑問に思うんです。
そのことのために私どもは日本人は何をすべきかということを私は考え続けてきたんですが、その一つの結論は、日本が世界に向かって不戦国家宣言というものを出すべきではないか。これは、私が何年か前にモンゴルを訪ねたときに思い当たった考え方です。
御存じの方あるかもしれませんが、モンゴルは今非核国家宣言というものを出して、国連総会でそれを認めております。一九九二年に、モンゴルは大統領の名においてモンゴルは核を持たない非核の国だという宣言をしました。そして、それから国連に働き掛けて、一九九八年に国連総会がこのモンゴルの非核国家という宣言を承認をしました。今、世界でただ一つ、本来ならば日本がそれを先にやるべきですが、モンゴルは非核国家であるということを国連総会において承認をされています。
その話をモンゴルで聞いて、私はやはり日本の憲法第九条を、まず衆参両院で全会一致で、この憲法を守っていく国だという意味を込めて日本は不戦国家であるという決議をし、それを政府が受けて、総理大臣の名において世界に向かって日本は不戦国家であるという宣言をする。そして、それを国連総会に持ち込んで、国連総会において日本は不戦国家であるということを承認をしてもらう。世界が認めた戦争をしない国、軍隊を持たない国ということを決定をすれば、これは憲法第九条を改正しようとか、改正して戦争のできる普通の国にしようとか、そういうことを考える必要は全くなくなります。
以上です。
この発言だけを見る →私どもの意見では、この第九条は幣原喜重郎首相を中心としてつくられたと思っています。幣原さんは、昭和の初め、若槻内閣とか浜口内閣で外務大臣をやられ、軍縮交渉の全権となって活動され、軍縮条約をのんだために軍部や右翼から罷免をされたという平和主義者だと思いますが、一九四五年、つまり昭和二十年の戦争が終わった直後、その十月から昭和二十一年の五月まで総理大臣をやられ、憲法をつくることに加わっておられます。そして、その後の吉田内閣のときに、国務大臣として国会での憲法審議の答弁をしておられます。
その幣原さんの憲法をつくられたいきさつを平野三郎さんという、この方は衆議院議員をやられ、後に岐阜県知事をやられた方ですが、その平野三郎さんが幣原さんから聞いたことを、「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」という本が、文書があります。これは内閣憲法調査会が一九六四年二月に作ったものですけれども、それを私どもも調べました。
平野さんが質問するのに対して幣原さんが答えるという形でこの文書はできているんですけれども、まず幣原さんが言われたことは、原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わった。今後は交戦国の大小の都市は灰じんに帰すだろうと。世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。戦争をやめるにはどうしたらいいか考えあぐねた結果、それは武器を持たないことだという結論に達したと。平野さんは、そのような大問題は大国間で議論するべきことであって、日本のような敗戦国がそんなことを言っても、偉そうなことを言ってもどうにもならないではないかと言ったのに対して、幣原さんは、負けた日本だからこそできる。軍拡競争は際限のない悪循環を繰り返す。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられないネズミの大群のようだと。世界が一斉に軍備を廃止すること、もちろんそれは不可能だと思う。となれば、非武装をする狂気のさたの国が出なければならない。世界は一人の狂人を今必要としている。世界は軍拡競争のアリ地獄から抜け出すことができない。これに対して、軍備を持たないと言う一人の狂人はすばらしい狂人であると。世界史の扉を開く狂人である。まあ、こういうことを幣原さんは言っておられます。
そしてさらに、もちろんこれが憲法九条の根幹になるわけですけれども、この考えを持って、総理大臣としての幣原さんはマッカーサー司令官を訪ねておられる。その事情についてマッカーサー司令官は、一九五一年の五月四日、アメリカの上院の外交委員会で証言をしています。マッカーサー元帥は、そのときには、これはまだ朝鮮戦争が行われているさなかですが、言わば首になって、で上院に喚問をされているということで、その中で日本占領当時のことも議員の質問に答えて話をしている。
そこの中で、日本人はどの国民よりも原子戦争がどんなものか了解している。それは理論上のことではなくて、彼らは死体を数え数え埋葬したのだ。幣原首相は私のところに来て、唯一の解決策は戦争をなくすことです、軍人であるあなたにこの問題を差し出すのは非常に不本意ですが、そしてあなたは受け入れないでしょうけれども、しかし、私は日本の憲法にこの条項を挿入するよう努力したいのです、こう述べた。マッカーサーは、私は思わず立ち上がってこの老人の手を握って握手をし、これは大変な偉大な建設的な措置だと言わざるを得なかったと。しかし、世界は恐らくそれを受け入れず、嘲笑の的にするだろう、そのあなたの考えを貫徹するには大変大きな道義上の気力が必要だと思うと、こういうことをマッカーサー元帥は証言をしております。
結局、マッカーサー元帥はそのことを、これを了承して、最終的に憲法第九条というものが入れられたと。まあ言わば第九条というのは幣原さんとマッカーサー元帥との間でできた、そうした経緯があると思います。
なお、マッカーサー元帥は太平洋戦争の総司令官をやり、朝鮮戦争の指揮を執ったわけですけれども、その後、実はこの証言をしたときには非常に平和主義者になっていると思われる言葉があります。
有名だったマクマホン上院議員の質問に答えているんですが、軍縮交渉はどうあるべきかというマクマホン上院議員の質問に対して、マッカーサー元帥は、軍縮交渉ではなくてアメリカの一方的な軍備廃止によって戦争を非合法化することだと。正に、幣原さんの言われたことをマッカーサー元帥も理解をして、議会の証言の中でこういうことを言っているということを、私どもは憲法を、九条を考えるときにはやはり知った上で、今のこの国際情勢の中で憲法というもの、九条を改正するとかそういうことを考えるのがいいのか、それとも、この幣原さんが考えられた一つの人類というスケールで物を考えたこの考え方を今も大切にしていくのかと。そのことを私どもは考えなければいけないと思っています。
そして、日本が、この憲法第九条という条項を持っていることを、つまり、日本は戦争をしない国なんだ、軍隊を持たない国なんだということを現在の世界の人たちがどの程度知っており、そして正しく理解しているのか。いや、日本人すらも私はそういう気がしてなりません、正しく理解しているのかどうか大変疑問に思うんです。
そのことのために私どもは日本人は何をすべきかということを私は考え続けてきたんですが、その一つの結論は、日本が世界に向かって不戦国家宣言というものを出すべきではないか。これは、私が何年か前にモンゴルを訪ねたときに思い当たった考え方です。
御存じの方あるかもしれませんが、モンゴルは今非核国家宣言というものを出して、国連総会でそれを認めております。一九九二年に、モンゴルは大統領の名においてモンゴルは核を持たない非核の国だという宣言をしました。そして、それから国連に働き掛けて、一九九八年に国連総会がこのモンゴルの非核国家という宣言を承認をしました。今、世界でただ一つ、本来ならば日本がそれを先にやるべきですが、モンゴルは非核国家であるということを国連総会において承認をされています。
その話をモンゴルで聞いて、私はやはり日本の憲法第九条を、まず衆参両院で全会一致で、この憲法を守っていく国だという意味を込めて日本は不戦国家であるという決議をし、それを政府が受けて、総理大臣の名において世界に向かって日本は不戦国家であるという宣言をする。そして、それを国連総会に持ち込んで、国連総会において日本は不戦国家であるということを承認をしてもらう。世界が認めた戦争をしない国、軍隊を持たない国ということを決定をすれば、これは憲法第九条を改正しようとか、改正して戦争のできる普通の国にしようとか、そういうことを考える必要は全くなくなります。
以上です。
関
関谷勝嗣#14
○会長(関谷勝嗣君) 以上で意見陳述は終了いたしました。
それでは、ただいまの意見陳述に対し、一時間程度、意見交換を行いたいと存じます。
委員の一回の発言時間は五分以内でお願いをいたします。
御発言は着席のままで結構でございます。
なお、まず最初に各会派一巡するよう指名いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
秋元司君。
この発言だけを見る →それでは、ただいまの意見陳述に対し、一時間程度、意見交換を行いたいと存じます。
委員の一回の発言時間は五分以内でお願いをいたします。
御発言は着席のままで結構でございます。
なお、まず最初に各会派一巡するよう指名いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
秋元司君。
秋
秋元司#15
○秋元司君 自由民主党の秋元司でございます。こういった機会をいただきましてありがとうございます。五分という限られた時間でございますので、概論的な話と、そして今回テーマとなっているこの前文とそして九条、この点について話をさせていただきたいと思います。
まず冒頭に、今回、現在の日本国憲法というものを考えてみた場合において、やはりこの憲法というのは、戦後、アメリカによってある意味押し付けられた憲法であり、そしてまた、戦後六十年近くがたつ中に様々な国際情勢の変化というのがありました。そういったものに関しまして、やはり全く変わらないというのはおかしい。そしてまた、いよいよ戦後六十年ということの中で、日本人が自らの意思で物事を考えるという点から、しっかりとした日本人による自主憲法というものをまずは制定していかなくちゃならない、そういった観点から今日は議論をさせていただきたい、そのように思うところであります。
まずこの前文についてでありますけれども、この内容につきましては、やはり国民主権、そして基本的人権、そして平和主義というものがしっかり明記されている中に大変理想的なすばらしいことが書いてある、そういうふうに思うわけでありますけれども、私がこの憲法というものを恐らく初めて読んだときというのは小学生の後半か中学生のときであったと思うんですが、非常に、ただ読む中については非常に分かりづらいな、そんな考えを有しました。
一般的に言われている議論でありますけれども、やはり翻訳的であるということが言われております中に、やはり分かりやすい、まずきれいな日本人としての言葉の文章を構成をする。そういったことの中で、この平和主義に近づけられる形で今現在、日本の立場を考えますと、やはり国際貢献、国際協力というものは強調して明記すべきであるな、そのように思うところであります。
また、これに付け加えまして、やはりここの前文にも国連というものが非常に大事であって、国連で判断したことをどう日本が受け止めるか、そういったことも付け加える必要があると思います。
次に、九条についてでありますけれども、一項、二項とも普通に素人的に読めば、これだれが見ても、まあ解釈論はさておきまして、やはり戦力の不保持、こういった言葉から、ある意味自衛権も放棄していたり又は今存在している自衛隊もこれは違憲だ、そんなことのように受け止められるわけでありまして、しかし現在、実際には安全保障、そういった立場と又は自衛隊が今果たしている役割というのは、国内の災害に対する仕事もしっかりする、災害対策もしっかりする、そういったことから実際存在しているわけでありますから、やはり自衛隊というものをしっかり、自衛権というものもしっかり明記をし、そしてまた、戦力不保持という言葉も改めて自衛隊というものをしっかり持つ、そういった言葉に私はすべきである、そのように思うところであります。
そして、自衛権についてでありますが、従来から議論されているこの個別的自衛権、そして集団的自衛権であります。当然、私のように戦争を知らない世代になりましても、私の気持ちからは到底戦争を始める、そんなことはあり得ない、そのように思うわけでありますけれども、やはり過去の反省、過去の歴史を振り返ってみますと、自衛権の拡大という観点からやはり戦争というものに突入した、そういった例があるわけでありますので、やはりあえて明記するとすれば、この個別的自衛権についても不法性、必要性又は均衡性、こういったものをしっかりとある意味入れておく必要があるのかな、そのような気がいたしております。
そしてまた、集団的自衛権についてでありますけれども、これは前文で国際貢献ということを明記しておけば、私はあえてここで明記しなくてもいいんじゃないかなという気がいたしております。今現在の日米安全保障条約の下に非常に日本の立場があいまいな中で、ある意味アメリカに押し切られてしまうということもあるやに思う次第でございますので、やはりこういったものを、前提条件をしっかり整備する、そういったことの中で、最終的に集団的自衛権をどう考えていくんだ、最終的にはやっぱり国連というものに付随してやっていく、そういった考え方をしていかなければならないと思うわけであります。
それと同時に、この常任理事国入りと、こんなことが叫ばれておりますけれども、やはりこれは、先ほど舛添議員のお話にもありましたとおり、これは必ず安全保障という議論なしにしてはあり得ない形でありますので、やはりこの憲法改正とそしてこの常任理事国入りというのは表裏一体の議論として私は考えていくべきだと思うところであります。
最後に、やはり総合的に、今ある現在の憲法、解釈論ということが先行しますと、どうしてもそのときの政治のパワーバランスによってある意味偏った判断がされがちだと。そういった危険性から、しっかり、国民に分かりやすい、そして見える形での憲法というものをしっかりうたった上での国の基本方針というものを定めるべきである。
そのことを最後に付け加えさせてもらいまして、また最後に、自国のことは自国で守っていく、そういったことをしっかり打ち出しながらこの議論を進めていきたい、そのように思う次第でございます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →まず冒頭に、今回、現在の日本国憲法というものを考えてみた場合において、やはりこの憲法というのは、戦後、アメリカによってある意味押し付けられた憲法であり、そしてまた、戦後六十年近くがたつ中に様々な国際情勢の変化というのがありました。そういったものに関しまして、やはり全く変わらないというのはおかしい。そしてまた、いよいよ戦後六十年ということの中で、日本人が自らの意思で物事を考えるという点から、しっかりとした日本人による自主憲法というものをまずは制定していかなくちゃならない、そういった観点から今日は議論をさせていただきたい、そのように思うところであります。
まずこの前文についてでありますけれども、この内容につきましては、やはり国民主権、そして基本的人権、そして平和主義というものがしっかり明記されている中に大変理想的なすばらしいことが書いてある、そういうふうに思うわけでありますけれども、私がこの憲法というものを恐らく初めて読んだときというのは小学生の後半か中学生のときであったと思うんですが、非常に、ただ読む中については非常に分かりづらいな、そんな考えを有しました。
一般的に言われている議論でありますけれども、やはり翻訳的であるということが言われております中に、やはり分かりやすい、まずきれいな日本人としての言葉の文章を構成をする。そういったことの中で、この平和主義に近づけられる形で今現在、日本の立場を考えますと、やはり国際貢献、国際協力というものは強調して明記すべきであるな、そのように思うところであります。
また、これに付け加えまして、やはりここの前文にも国連というものが非常に大事であって、国連で判断したことをどう日本が受け止めるか、そういったことも付け加える必要があると思います。
次に、九条についてでありますけれども、一項、二項とも普通に素人的に読めば、これだれが見ても、まあ解釈論はさておきまして、やはり戦力の不保持、こういった言葉から、ある意味自衛権も放棄していたり又は今存在している自衛隊もこれは違憲だ、そんなことのように受け止められるわけでありまして、しかし現在、実際には安全保障、そういった立場と又は自衛隊が今果たしている役割というのは、国内の災害に対する仕事もしっかりする、災害対策もしっかりする、そういったことから実際存在しているわけでありますから、やはり自衛隊というものをしっかり、自衛権というものもしっかり明記をし、そしてまた、戦力不保持という言葉も改めて自衛隊というものをしっかり持つ、そういった言葉に私はすべきである、そのように思うところであります。
そして、自衛権についてでありますが、従来から議論されているこの個別的自衛権、そして集団的自衛権であります。当然、私のように戦争を知らない世代になりましても、私の気持ちからは到底戦争を始める、そんなことはあり得ない、そのように思うわけでありますけれども、やはり過去の反省、過去の歴史を振り返ってみますと、自衛権の拡大という観点からやはり戦争というものに突入した、そういった例があるわけでありますので、やはりあえて明記するとすれば、この個別的自衛権についても不法性、必要性又は均衡性、こういったものをしっかりとある意味入れておく必要があるのかな、そのような気がいたしております。
そしてまた、集団的自衛権についてでありますけれども、これは前文で国際貢献ということを明記しておけば、私はあえてここで明記しなくてもいいんじゃないかなという気がいたしております。今現在の日米安全保障条約の下に非常に日本の立場があいまいな中で、ある意味アメリカに押し切られてしまうということもあるやに思う次第でございますので、やはりこういったものを、前提条件をしっかり整備する、そういったことの中で、最終的に集団的自衛権をどう考えていくんだ、最終的にはやっぱり国連というものに付随してやっていく、そういった考え方をしていかなければならないと思うわけであります。
それと同時に、この常任理事国入りと、こんなことが叫ばれておりますけれども、やはりこれは、先ほど舛添議員のお話にもありましたとおり、これは必ず安全保障という議論なしにしてはあり得ない形でありますので、やはりこの憲法改正とそしてこの常任理事国入りというのは表裏一体の議論として私は考えていくべきだと思うところであります。
最後に、やはり総合的に、今ある現在の憲法、解釈論ということが先行しますと、どうしてもそのときの政治のパワーバランスによってある意味偏った判断がされがちだと。そういった危険性から、しっかり、国民に分かりやすい、そして見える形での憲法というものをしっかりうたった上での国の基本方針というものを定めるべきである。
そのことを最後に付け加えさせてもらいまして、また最後に、自国のことは自国で守っていく、そういったことをしっかり打ち出しながらこの議論を進めていきたい、そのように思う次第でございます。
ありがとうございました。
関
喜
喜納昌吉#17
○喜納昌吉君 民主党・新緑風会、喜納昌吉と申します。
私の憲法観を述べます。
二十一世紀を迎え、地球規模の問題が山積する中、真の全球化に適応できる国家の枠組みを作ることは、日本のみならず全人類にとっての大きな命題だと言えると思います。チェルノブイリの事故、酸性雨の問題、地球温暖化、そして戦争など、国境線を越えて存在している様々な問題は、安全保障を含めて地球規模の問題となっています。病は地球単位であるのに、治療は国家単位で行っていたら間に合うはずはありません。今後、国益は人類益との整合性を図らねばならない時期に来ていると思います。持続可能な発展とは健康な地球と付き合うことを意味するのです。そういう意味で、日本国憲法の前文と九条は世界をリードする概念であり、理念であると言えるでしょう。
国際協調が叫ばれる中、国連憲章の重要性はますます高まってきていますし、その国連憲章に勝るとも劣らない日本国憲法の前文と九条を珠玉にして国連改革をうたい、日本がグローバリズムの先頭に立つという気概を持って憲法改正に努めるべきではないでしょうか。
日本はペリーの砲艦外交による文明開化で門戸を開きましたが、そのショックは現在も日本民族の精神のトラウマとして残っています。幾多の戦争を重ねた末、第二次世界大戦で敗北し、GHQと米国務省の双頭体制によって占領政策が行われ、日本の憲法学者を巻き込み、陣痛を繰り返しながら日本国憲法が制定されました。
国連憲章に基づいて人類の規範となる憲法をつくろうと試みたマッカーサーの自然法的理想主義とダレスに代表されるドミノ理論へとつながる実定法的現実主義との葛藤のもつれが顕著に現れている憲法九十八条の呪縛は、いまだに日米安保、日米地位協定という形で日本を縛り続けています。護憲論者も改憲論者もそのことに気付いているでしょうか。我々は、護憲や改憲という視点を超え、まず憲法を独立の次元からとらえなければならないと思います。
ローマ法典に基本を置く自然法的理想主義と実定法的現実主義を地球規模の観点から更に発展させ、真のグローバリズムのひな形を日本から構築するような新憲法を提唱すべきです。力によって押さえる全球化ではなく、宇宙に開かれた全球化を成し遂げるためには、地球こそが人類の聖地であるという理念に向かって、日本が憲法前文と九条を世界にプレゼンテーションすることだと私は思います。
すべての武器を楽器に。
どうも。
この発言だけを見る →私の憲法観を述べます。
二十一世紀を迎え、地球規模の問題が山積する中、真の全球化に適応できる国家の枠組みを作ることは、日本のみならず全人類にとっての大きな命題だと言えると思います。チェルノブイリの事故、酸性雨の問題、地球温暖化、そして戦争など、国境線を越えて存在している様々な問題は、安全保障を含めて地球規模の問題となっています。病は地球単位であるのに、治療は国家単位で行っていたら間に合うはずはありません。今後、国益は人類益との整合性を図らねばならない時期に来ていると思います。持続可能な発展とは健康な地球と付き合うことを意味するのです。そういう意味で、日本国憲法の前文と九条は世界をリードする概念であり、理念であると言えるでしょう。
国際協調が叫ばれる中、国連憲章の重要性はますます高まってきていますし、その国連憲章に勝るとも劣らない日本国憲法の前文と九条を珠玉にして国連改革をうたい、日本がグローバリズムの先頭に立つという気概を持って憲法改正に努めるべきではないでしょうか。
日本はペリーの砲艦外交による文明開化で門戸を開きましたが、そのショックは現在も日本民族の精神のトラウマとして残っています。幾多の戦争を重ねた末、第二次世界大戦で敗北し、GHQと米国務省の双頭体制によって占領政策が行われ、日本の憲法学者を巻き込み、陣痛を繰り返しながら日本国憲法が制定されました。
国連憲章に基づいて人類の規範となる憲法をつくろうと試みたマッカーサーの自然法的理想主義とダレスに代表されるドミノ理論へとつながる実定法的現実主義との葛藤のもつれが顕著に現れている憲法九十八条の呪縛は、いまだに日米安保、日米地位協定という形で日本を縛り続けています。護憲論者も改憲論者もそのことに気付いているでしょうか。我々は、護憲や改憲という視点を超え、まず憲法を独立の次元からとらえなければならないと思います。
ローマ法典に基本を置く自然法的理想主義と実定法的現実主義を地球規模の観点から更に発展させ、真のグローバリズムのひな形を日本から構築するような新憲法を提唱すべきです。力によって押さえる全球化ではなく、宇宙に開かれた全球化を成し遂げるためには、地球こそが人類の聖地であるという理念に向かって、日本が憲法前文と九条を世界にプレゼンテーションすることだと私は思います。
すべての武器を楽器に。
どうも。
関
白
白浜一良#19
○白浜一良君 公明党の白浜でございます。
前文につきまして三点ほど意見を述べておきたいと思います。
一つは、現在の憲法前文には人権尊重の理念が明確に表記されていないと、こういうこともございますし、前文という性格からは、もう一度憲法三原則ですね、国民主権、基本的人権、平和主義と、こういう三原則を明記した方がいいのではないかと、こういう意見を持っております。
二つ目は、いわゆる国際貢献ということに関してでございます。
前文の中には、国際社会の名誉ある地位を占めたいと、こういうふうにございますが、それ以上の内容はございません。ですから、いわゆる国際貢献、特に最近は人間の安全保障という、国家としての安全保障ということも当然大事でございますが、その枠組みでとらえ切れない概念、実態というものがあるわけで、人間の安全保障という理念も含めて国際貢献ということを明確にした方がいいのではないかと、このように考えております。
三つ目は、どちらかというと全般的に人類の普遍的理念を中心に書かれておりますが、日本国の憲法として考えれば、日本人のアイデンティティーをどのように共有できるかということはございますけれども、そういうものも書き及んでいいのではないかと、このように考えているところでございます。
それから、憲法九条の問題、またそれに類した集団的安全保障、集団的自衛権の問題ですが、これは本調査会で、かつてこのテーマで私も意見を申し上げました。ですから、重ねて申し上げるつもりはございませんが、ただ、戦後日本を考えた場合、この日本の平和と繁栄という面でこの九条の果たしてきた役割は事実上大変大きなものがあると、このように思うわけでございますし、私どももこの憲法のフォーラムを全国で開催しておりますが、率直に、参加されている方からは、この憲法九条を大切にしてほしいという、こういう意見が大変多くあるわけでございます。
ですから、私どもの考えとしては、当然、一項の戦争放棄、二項の戦力不保持というものを前提として、あとは現実に自衛隊の存在そのものが国民の皆さんの中に大変定着もしております。また、PKO法案が大変な騒ぎの中で成立して以降、国際貢献という、自衛隊だけではございません、ODAも含めてでございますが、大変国民の中にも浸透しているわけでございまして、この問題をどのように考えるかと。これはもう現実問題、国民の皆さんの中に定着しているわけでございますから、この辺を我が党としても、私自身としても今議論をしているところだということだけを述べさせていただいて、意見表明を終わりたいと思います。
この発言だけを見る →前文につきまして三点ほど意見を述べておきたいと思います。
一つは、現在の憲法前文には人権尊重の理念が明確に表記されていないと、こういうこともございますし、前文という性格からは、もう一度憲法三原則ですね、国民主権、基本的人権、平和主義と、こういう三原則を明記した方がいいのではないかと、こういう意見を持っております。
二つ目は、いわゆる国際貢献ということに関してでございます。
前文の中には、国際社会の名誉ある地位を占めたいと、こういうふうにございますが、それ以上の内容はございません。ですから、いわゆる国際貢献、特に最近は人間の安全保障という、国家としての安全保障ということも当然大事でございますが、その枠組みでとらえ切れない概念、実態というものがあるわけで、人間の安全保障という理念も含めて国際貢献ということを明確にした方がいいのではないかと、このように考えております。
三つ目は、どちらかというと全般的に人類の普遍的理念を中心に書かれておりますが、日本国の憲法として考えれば、日本人のアイデンティティーをどのように共有できるかということはございますけれども、そういうものも書き及んでいいのではないかと、このように考えているところでございます。
それから、憲法九条の問題、またそれに類した集団的安全保障、集団的自衛権の問題ですが、これは本調査会で、かつてこのテーマで私も意見を申し上げました。ですから、重ねて申し上げるつもりはございませんが、ただ、戦後日本を考えた場合、この日本の平和と繁栄という面でこの九条の果たしてきた役割は事実上大変大きなものがあると、このように思うわけでございますし、私どももこの憲法のフォーラムを全国で開催しておりますが、率直に、参加されている方からは、この憲法九条を大切にしてほしいという、こういう意見が大変多くあるわけでございます。
ですから、私どもの考えとしては、当然、一項の戦争放棄、二項の戦力不保持というものを前提として、あとは現実に自衛隊の存在そのものが国民の皆さんの中に大変定着もしております。また、PKO法案が大変な騒ぎの中で成立して以降、国際貢献という、自衛隊だけではございません、ODAも含めてでございますが、大変国民の中にも浸透しているわけでございまして、この問題をどのように考えるかと。これはもう現実問題、国民の皆さんの中に定着しているわけでございますから、この辺を我が党としても、私自身としても今議論をしているところだということだけを述べさせていただいて、意見表明を終わりたいと思います。
関
紙
紙智子#21
○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。
九条について意見を述べたいと思います。
私、今年の九月に沖縄での米軍ヘリ墜落事故の現場に調査に参りました。宜野湾市に行って、本当に死の恐怖を味わったという県民の声や、戦後六十年になろうとしているのにいまだに基地が置かれているこの実態に触れて、県民にとってまだ戦後は終わっていないということを感じましたし、それから沖縄のこの負担を軽減するというようなことで、駐留している海兵隊の訓練の移転をめぐっての、まあ名前が見え隠れしている問題で、関係の自治体を訪問し、話をしたわけですけれども、非常に不安な気持ちを抱いていると。
どんな戦力も保持しないという憲法九条の内容に照らしてみても、やはり現実とこの憲法との間に大きな乖離があるということを思います。憲法が現実に合わなくなっているんだから憲法の方を変えていけばいいんだという意見もあるわけですけれども、その焦点は九条だと思うわけですが、しかし、この憲法九条から懸け離れた現実を作り出してきたということの方が私は問題だというふうに思います。
アメリカから押し付けられてきたものじゃないかという意見や、あるいは時代の変化に追い付いていないという意見も聞くわけですけれども、私はそうは思いません。
先ほどもどういう経緯の中でこの憲法九条をつくられてきたのかという話もありましたけれども、やはり憲法九条の持つ現代的な意義についてやはりきちっととらえていくということが大事だというふうに思います。
一つは、やはり九条が、これまで二回にわたる世界大戦の深刻な反省に立って、戦争のない世界を目指した世界の大きな流れの中で生み出されてきたものだと思います。だから、単に侵略戦争の反省ということにとどまらずに、戦争のない新しい世界を展望する、そういう決意も表明していると。それが、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄すると、九条の第一項で、国際関係において武力による威嚇又は武力の行使を禁じた国連憲章に条文を取り入れたものなわけです。そして、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」というこの文章も、国際憲章に盛り込まれた内容だと。これは、個々の国が勝手にやっぱり戦争をやることについて認めないと、平和のルールが守られるような世界秩序を作り上げようとした国連憲章の立場を日本で具体化したものだと思います。当時つくられた各国の憲法にもこの戦争のない世界を目指す流れが生かされたと思います。今日、百九十一の国連加盟国のうちで、多くの国でこの平和を求める立場というのが憲法の中にも明記されていると思います。
さらに、この中では、第二項を作っているわけですけれども、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と。ここに世界の平和の流れの中でも先端を行く到達点があるというように思います。これは、かつて日本の天皇制政府が国際紛争を解決する手段としての戦争を禁じた不戦条約を破って自存自衛あるいは大東亜共栄圏と、こういう口実で侵略戦争をやった、そういう経験から、それを踏まえての問題として明記していると。国権の発動としての戦争と武力行使に幾重にも縛りを掛けているというのがこの中身だというふうに思います。
それからもう一つの、やはり現代的な意義ということでいえば、二十一世紀を迎えて世界の平和秩序を求める流れが大きく広がってきて、正に今がしゅんというふうに言えるような新たな力を九条というのは持っていると思います。
一九九九年のハーグ世界市民平和会議で、公正な世界秩序のための基本十原則、その第一項で、各国議会は日本国憲法第九条のように政府が戦争することを禁止する決議を採択すべきであるということも言っていますし、二〇〇〇年の国連ミレニアム・フォーラムでは、すべての国が日本国憲法九条に述べられる戦争放棄の原則を自国の憲法において採決するというような提案も取り上げられました。それから、来年の夏には、アナン国連事務総長の呼び掛けで、武力紛争予防のための市民社会の役割を議論する国際NGO会議がニューヨークで開かれるわけですけれども、そこでもこの九条の問題というのも取り上げられるべき問題として準備をされているということでもあります。
今、アジアでも注目すべき新しい流れもあって、九月に北京で開かれた第三回アジア政党国際会議と、これは三十五か国八十三の政党が参加しているわけですけれども、ここで採択された北京宣言がまさしくこの憲法九条とも重なるような、国連憲章のやっぱり戦争のない世界、テロをなくす、そういう方策などを含めた内容になっているということや、東南アジア友好協力条約という条約ができましたけれども、ここでも紛争の平和的手段による解決、武力の威嚇又は行使の放棄を基本原則として確認をしているんですね。正にこの九条と重なってくる中身だと。
こういう流れが今アジアの中でも作り出されてきているときに、逆に日本が九条を捨ててしまって、戦争をする国に変わってしまったらどうなるかと。それこそアジアでも国際社会でも日本が孤立することになるのではないかというふうに思います。
時間ですね。ということで、ちょっと最後一言だけ。
集団的自衛権の発言がありまして、使えるように明記すべきだというのがありましたけれども、これについてはやっぱり実態、今までの実態として集団的自衛権がどうだったかというと、過去に使われた例で、その名前で使われた例でいうと、主にアメリカのベトナム侵略や、旧ソ連のチェコ侵略やアフガンへの侵攻や、国連総会や国際司法裁判所で国際法違反だとか、そういうふうに問われたものがあるわけで、そういうことを合理化するために持ち出された議論ということもあると思います。
そういう実態を踏まえるならば、やっぱりこれは明記すべきでないということを申し上げて、終わります。
この発言だけを見る →九条について意見を述べたいと思います。
私、今年の九月に沖縄での米軍ヘリ墜落事故の現場に調査に参りました。宜野湾市に行って、本当に死の恐怖を味わったという県民の声や、戦後六十年になろうとしているのにいまだに基地が置かれているこの実態に触れて、県民にとってまだ戦後は終わっていないということを感じましたし、それから沖縄のこの負担を軽減するというようなことで、駐留している海兵隊の訓練の移転をめぐっての、まあ名前が見え隠れしている問題で、関係の自治体を訪問し、話をしたわけですけれども、非常に不安な気持ちを抱いていると。
どんな戦力も保持しないという憲法九条の内容に照らしてみても、やはり現実とこの憲法との間に大きな乖離があるということを思います。憲法が現実に合わなくなっているんだから憲法の方を変えていけばいいんだという意見もあるわけですけれども、その焦点は九条だと思うわけですが、しかし、この憲法九条から懸け離れた現実を作り出してきたということの方が私は問題だというふうに思います。
アメリカから押し付けられてきたものじゃないかという意見や、あるいは時代の変化に追い付いていないという意見も聞くわけですけれども、私はそうは思いません。
先ほどもどういう経緯の中でこの憲法九条をつくられてきたのかという話もありましたけれども、やはり憲法九条の持つ現代的な意義についてやはりきちっととらえていくということが大事だというふうに思います。
一つは、やはり九条が、これまで二回にわたる世界大戦の深刻な反省に立って、戦争のない世界を目指した世界の大きな流れの中で生み出されてきたものだと思います。だから、単に侵略戦争の反省ということにとどまらずに、戦争のない新しい世界を展望する、そういう決意も表明していると。それが、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄すると、九条の第一項で、国際関係において武力による威嚇又は武力の行使を禁じた国連憲章に条文を取り入れたものなわけです。そして、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」というこの文章も、国際憲章に盛り込まれた内容だと。これは、個々の国が勝手にやっぱり戦争をやることについて認めないと、平和のルールが守られるような世界秩序を作り上げようとした国連憲章の立場を日本で具体化したものだと思います。当時つくられた各国の憲法にもこの戦争のない世界を目指す流れが生かされたと思います。今日、百九十一の国連加盟国のうちで、多くの国でこの平和を求める立場というのが憲法の中にも明記されていると思います。
さらに、この中では、第二項を作っているわけですけれども、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と。ここに世界の平和の流れの中でも先端を行く到達点があるというように思います。これは、かつて日本の天皇制政府が国際紛争を解決する手段としての戦争を禁じた不戦条約を破って自存自衛あるいは大東亜共栄圏と、こういう口実で侵略戦争をやった、そういう経験から、それを踏まえての問題として明記していると。国権の発動としての戦争と武力行使に幾重にも縛りを掛けているというのがこの中身だというふうに思います。
それからもう一つの、やはり現代的な意義ということでいえば、二十一世紀を迎えて世界の平和秩序を求める流れが大きく広がってきて、正に今がしゅんというふうに言えるような新たな力を九条というのは持っていると思います。
一九九九年のハーグ世界市民平和会議で、公正な世界秩序のための基本十原則、その第一項で、各国議会は日本国憲法第九条のように政府が戦争することを禁止する決議を採択すべきであるということも言っていますし、二〇〇〇年の国連ミレニアム・フォーラムでは、すべての国が日本国憲法九条に述べられる戦争放棄の原則を自国の憲法において採決するというような提案も取り上げられました。それから、来年の夏には、アナン国連事務総長の呼び掛けで、武力紛争予防のための市民社会の役割を議論する国際NGO会議がニューヨークで開かれるわけですけれども、そこでもこの九条の問題というのも取り上げられるべき問題として準備をされているということでもあります。
今、アジアでも注目すべき新しい流れもあって、九月に北京で開かれた第三回アジア政党国際会議と、これは三十五か国八十三の政党が参加しているわけですけれども、ここで採択された北京宣言がまさしくこの憲法九条とも重なるような、国連憲章のやっぱり戦争のない世界、テロをなくす、そういう方策などを含めた内容になっているということや、東南アジア友好協力条約という条約ができましたけれども、ここでも紛争の平和的手段による解決、武力の威嚇又は行使の放棄を基本原則として確認をしているんですね。正にこの九条と重なってくる中身だと。
こういう流れが今アジアの中でも作り出されてきているときに、逆に日本が九条を捨ててしまって、戦争をする国に変わってしまったらどうなるかと。それこそアジアでも国際社会でも日本が孤立することになるのではないかというふうに思います。
時間ですね。ということで、ちょっと最後一言だけ。
集団的自衛権の発言がありまして、使えるように明記すべきだというのがありましたけれども、これについてはやっぱり実態、今までの実態として集団的自衛権がどうだったかというと、過去に使われた例で、その名前で使われた例でいうと、主にアメリカのベトナム侵略や、旧ソ連のチェコ侵略やアフガンへの侵攻や、国連総会や国際司法裁判所で国際法違反だとか、そういうふうに問われたものがあるわけで、そういうことを合理化するために持ち出された議論ということもあると思います。
そういう実態を踏まえるならば、やっぱりこれは明記すべきでないということを申し上げて、終わります。
関
田
田英夫#23
○田英夫君 憲法九条を改正して国際協力を自衛隊ができるようにもっと明快にした方がいいという御意見があります。確かに国際協力ということは日本の立場から重要だと思いますけれども、日本らしい、九条に沿った国際協力というものをもっと知恵を出してやる必要があるんじゃないか。今のイラクに行っている自衛隊のような有様は日本らしくない、私は思っています。武装をして、そして実はそれは戦闘をしないんだと、復興支援だと。復興支援するのになぜあれほどの武装をする必要があるのかと思います。
それよりも、自衛隊の中から一部を独立させて、国際協力隊といいますか、あるいは国際災害協力隊という、そういうものを考えることも一つの知恵でしょう。事実、陸上自衛隊は今新潟で活動していますけれども、災害に対する非常に優れた機材を持っているんですね。武装する必要ありません。非武装の集団としてその既にある機材を使って国際的に協力をすると。災害の現場などにすぐ飛んでいけるようにするということも一つの知恵でしょう。
あるいは、皆さんの中で、青年海外協力隊というのを皆さん御存じだと思います。国際協力事業団だったのが国際協力機構に今なって、緒方貞子さんが理事長をしておられますけれども、この機構が毎年青年たちを世界各国の、各地の、特に発展途上国に送り出している。
私は、時間が取れる限りその出発式に行くことにしております。本当に感動をいたします。女性一人で行く場合ももちろんあります。大体一人で、一か所に一人で行くというのが最初でした。最近はグループになって行くこともあるようです。農業技術とか工業技術とかいうものも自分で持って行くわけですけれども、中には柔道を教えに行くとか、女性はお花を教えに行くとか、そういうことまで含めて非常にきめの細かい日本的な友好と親善、同時に協力という、ちょうどここに国際協力事業団の今までみたいな本がありましたが、この手紙はちょうどおととい私のところに送ってきた。最近は青年だけではなくてシニアの海外派遣も相当の数に達して、今年派遣する人たちの顔写真を紹介してくれています。
海部俊樹さんが非常に熱心に取り組まれて、一九六五年に発足して以後、総理大臣のときも出発式にも来られて、育てたと言っていい。こういうことを、もっと予算を投入し、いろいろな職種にわたって希望する国に派遣をするという、こういうやり方も本当に日本らしい国際協力と言えるんじゃないでしょうか。
以上です。
この発言だけを見る →それよりも、自衛隊の中から一部を独立させて、国際協力隊といいますか、あるいは国際災害協力隊という、そういうものを考えることも一つの知恵でしょう。事実、陸上自衛隊は今新潟で活動していますけれども、災害に対する非常に優れた機材を持っているんですね。武装する必要ありません。非武装の集団としてその既にある機材を使って国際的に協力をすると。災害の現場などにすぐ飛んでいけるようにするということも一つの知恵でしょう。
あるいは、皆さんの中で、青年海外協力隊というのを皆さん御存じだと思います。国際協力事業団だったのが国際協力機構に今なって、緒方貞子さんが理事長をしておられますけれども、この機構が毎年青年たちを世界各国の、各地の、特に発展途上国に送り出している。
私は、時間が取れる限りその出発式に行くことにしております。本当に感動をいたします。女性一人で行く場合ももちろんあります。大体一人で、一か所に一人で行くというのが最初でした。最近はグループになって行くこともあるようです。農業技術とか工業技術とかいうものも自分で持って行くわけですけれども、中には柔道を教えに行くとか、女性はお花を教えに行くとか、そういうことまで含めて非常にきめの細かい日本的な友好と親善、同時に協力という、ちょうどここに国際協力事業団の今までみたいな本がありましたが、この手紙はちょうどおととい私のところに送ってきた。最近は青年だけではなくてシニアの海外派遣も相当の数に達して、今年派遣する人たちの顔写真を紹介してくれています。
海部俊樹さんが非常に熱心に取り組まれて、一九六五年に発足して以後、総理大臣のときも出発式にも来られて、育てたと言っていい。こういうことを、もっと予算を投入し、いろいろな職種にわたって希望する国に派遣をするという、こういうやり方も本当に日本らしい国際協力と言えるんじゃないでしょうか。
以上です。
関
簗
簗瀬進#25
○簗瀬進君 大変、今日はそれぞれ大変有意義な御発言を聞かせていただきましてありがとうございました。
そこで私は、憲法の特に前文について是非このような内容を入れるべきではないのかという提案をさせていただきたいと思っております。
それは、日本も国を挙げて新しい信頼回復をしていく、あるいは日本に対する信頼の創造をもう一回生み出していく、そういう国家を挙げての信頼回復の取組をしていくんだという、そういう決意を前文に明らかにしておくべきなんではないのかなと思います。そして、その中核には未来志向の歴史検証作業を置くべきなのではないのかなと、このように考えます。
そして、過去を振り返ってみますと、私は、ある意味でシビリアンコントロールに完全に失敗をし、軍隊が暴走することによって諸外国に大変な迷惑を掛けてしまった。私は、そういう意味では、戦前の歴史というのはシビリアンコントロールに失敗をしたという、ある意味でこれから未来に向かって臨む前の大変な教訓があるのではないのかなと思っております。それを常に振り返りながら未来に向かっていくんだという、それを我が国国民一人一人も決意を明らかにし、またそのような取組をしているということを諸外国の皆さんにもしっかりと分かっていただくことによって、本当の意味でのアジアを始めとする世界の信頼というようなものが我が国に回復されるんではないのかな、このように考えております。
私がこのように考えるのは、いわゆるドイツの国民の英知に学ぶべきだということでございます。同じように第二次世界大戦で失敗の歴史を持っておりますドイツが、戦後に信頼回復に向けての大変な努力をいたしました。その第一番目に置いたのは、私は歴史の検証作業を永続的にやっていくということだと思います。それから第二番目に、大変膨大な予算に上る個人補償を特にユダヤの皆さんに対してやったということ。それから第三番目には、国際貢献に非常に積極的であったということ。このような三つの大きな柱を立てながら、ドイツは自らに対する失われた信頼を回復するために全力を挙げていったと思います。
私自身、調べてみましたら、特に歴史検証という部分で言わせていただきますと、敗戦直後の一九四七年から既にドイツは自らの失敗の歴史を検証するという意味での研究所を作りました。そして、一九四七年、たしか四七年だったと思うんですけれども、このスタートした歴史研究所が一九五三年には非常にしっかりとした形に整えられて、ミュンヘンに本部が置かれ、現在も活動を続けております。そういうことで、非常にその研究作業を続けながら、平和を希求する真摯な努力をしているんだということを大変海外にアピールをしていった。
私は、現在EUという新しい国家の枠を超えた取組をヨーロッパで行われているわけでありますけれども、その中心にドイツやあるいはフランスがあるわけでありますが、正にそのようなドイツが信頼をして、新しい国家の枠組みを超えようといった動きの中心にドイツがリーダーシップを取れるようになったということも、このような大変な真摯な歴史検証作業を行った、その結果としての信頼の回復があったんではないのかなということ、これを我が国も真剣に学ぶべきなんではないのかなと思っております。
ある意味では、ヒットラーが武力で成し遂げようとしたEUの統合というようなものを、ヨーロッパの統合というようなものを新しいEUという発展的な形で、しかも平和を創造するという旗印の下にそれを成し遂げようとしつつあるのがドイツなんではないのかな。非常に、そういう意味では歴史の失敗に大変きちんと学んだ例なんではないのかな。それを日本もしっかりと行っていくべきだと思うし、そのような決意を前文にきっちりと明らかにしておくべきなのではないかなと、このように考えております。
皆様の御意見いただければと思っておりますけれども。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →そこで私は、憲法の特に前文について是非このような内容を入れるべきではないのかという提案をさせていただきたいと思っております。
それは、日本も国を挙げて新しい信頼回復をしていく、あるいは日本に対する信頼の創造をもう一回生み出していく、そういう国家を挙げての信頼回復の取組をしていくんだという、そういう決意を前文に明らかにしておくべきなんではないのかなと思います。そして、その中核には未来志向の歴史検証作業を置くべきなのではないのかなと、このように考えます。
そして、過去を振り返ってみますと、私は、ある意味でシビリアンコントロールに完全に失敗をし、軍隊が暴走することによって諸外国に大変な迷惑を掛けてしまった。私は、そういう意味では、戦前の歴史というのはシビリアンコントロールに失敗をしたという、ある意味でこれから未来に向かって臨む前の大変な教訓があるのではないのかなと思っております。それを常に振り返りながら未来に向かっていくんだという、それを我が国国民一人一人も決意を明らかにし、またそのような取組をしているということを諸外国の皆さんにもしっかりと分かっていただくことによって、本当の意味でのアジアを始めとする世界の信頼というようなものが我が国に回復されるんではないのかな、このように考えております。
私がこのように考えるのは、いわゆるドイツの国民の英知に学ぶべきだということでございます。同じように第二次世界大戦で失敗の歴史を持っておりますドイツが、戦後に信頼回復に向けての大変な努力をいたしました。その第一番目に置いたのは、私は歴史の検証作業を永続的にやっていくということだと思います。それから第二番目に、大変膨大な予算に上る個人補償を特にユダヤの皆さんに対してやったということ。それから第三番目には、国際貢献に非常に積極的であったということ。このような三つの大きな柱を立てながら、ドイツは自らに対する失われた信頼を回復するために全力を挙げていったと思います。
私自身、調べてみましたら、特に歴史検証という部分で言わせていただきますと、敗戦直後の一九四七年から既にドイツは自らの失敗の歴史を検証するという意味での研究所を作りました。そして、一九四七年、たしか四七年だったと思うんですけれども、このスタートした歴史研究所が一九五三年には非常にしっかりとした形に整えられて、ミュンヘンに本部が置かれ、現在も活動を続けております。そういうことで、非常にその研究作業を続けながら、平和を希求する真摯な努力をしているんだということを大変海外にアピールをしていった。
私は、現在EUという新しい国家の枠を超えた取組をヨーロッパで行われているわけでありますけれども、その中心にドイツやあるいはフランスがあるわけでありますが、正にそのようなドイツが信頼をして、新しい国家の枠組みを超えようといった動きの中心にドイツがリーダーシップを取れるようになったということも、このような大変な真摯な歴史検証作業を行った、その結果としての信頼の回復があったんではないのかなということ、これを我が国も真剣に学ぶべきなんではないのかなと思っております。
ある意味では、ヒットラーが武力で成し遂げようとしたEUの統合というようなものを、ヨーロッパの統合というようなものを新しいEUという発展的な形で、しかも平和を創造するという旗印の下にそれを成し遂げようとしつつあるのがドイツなんではないのかな。非常に、そういう意味では歴史の失敗に大変きちんと学んだ例なんではないのかな。それを日本もしっかりと行っていくべきだと思うし、そのような決意を前文にきっちりと明らかにしておくべきなのではないかなと、このように考えております。
皆様の御意見いただければと思っておりますけれども。
ありがとうございました。
関
浅
浅野勝人#27
○浅野勝人君 憲法九条の改正について、政党、自民党とかかわりなく、自民党の見解、考え方とかかわりなく、自らが常に思っているその思いを述べさせていただきます。
私は、シビリアンコントロールの強化を前提に、自衛のための軍事力の存在、つまり自衛隊の存在位置をはっきりと明記をすべきだと第一に思っております。
二つ目は、国際協力、国際貢献の義務付けをはっきりさせること。これは、ここまでは舛添教授と全く同じなんですけれども、集団的自衛権の行使については、教授のように明確に割り切れると私もすっきりするんですけれども、国連が合意した場合のみに認めるのかなと、はっきり考えを固め切っておりませんけれども、そんなふうに考えております。集団的自衛権という意味合いの、行使という意味合いが、自衛隊がよその国に行ってよその軍隊と一緒に戦をするという意味である限り慎重にならざるを得ないと考えます。
国連軍の創設に限って参加すべきだとかねて思っておりましたけれども、過去六十年近く国連軍は創設されたことはありませんし、今後も恐らくその可能性が皆無に近いということを予測しますと、ちょっとこれは世界の国々とのお付き合いの中でハードルが高過ぎるかなと。
今思っていることは、安保理ないしは国連総会が決定した、国連の総意で決めた事態に対しては集団的自衛権をともに行使をしていくという、これは相当厳しい限定だと思いますけれども、そんなふうに考えております。
仮に、安保理の常任理事国になったとしても、国連ないしは安保理の決定に対して日本が自らのその事態に対する明確な態度を示しながら、その決定にイエスなら参加するし、ノーならやはりそれは加わるべきではないと。たとえアメリカがどういう態度を取ろうとも一緒に行動をすべきではないということであるとすれば、国連の常任理事国になることと自己撞着は起こさないと考えます。
現実が憲法から乖離し過ぎているので、そこのところをきちんと考えるべきだという指摘は多いと、ありますけれども、陸海空の戦力はこれを保持しないといっても、保持しているんですから、現実が憲法から乖離をしたのではなくて、憲法が現実に取り残されたと私は思っております。
ただ、ただ、平和憲法と言われる我々が今持っているこの国是の基本理念は大事にすべきだと。安易に、安易に扱ってはいけない。ある意味では、世界に冠たる政治哲学だと思っておりまして、そのことと、今の憲法の基本理念を大切にしていくということと、私が三点申し上げたことを書き換えるということの整合性は決して矛盾をしない事柄だと思っております。
以上です。
この発言だけを見る →私は、シビリアンコントロールの強化を前提に、自衛のための軍事力の存在、つまり自衛隊の存在位置をはっきりと明記をすべきだと第一に思っております。
二つ目は、国際協力、国際貢献の義務付けをはっきりさせること。これは、ここまでは舛添教授と全く同じなんですけれども、集団的自衛権の行使については、教授のように明確に割り切れると私もすっきりするんですけれども、国連が合意した場合のみに認めるのかなと、はっきり考えを固め切っておりませんけれども、そんなふうに考えております。集団的自衛権という意味合いの、行使という意味合いが、自衛隊がよその国に行ってよその軍隊と一緒に戦をするという意味である限り慎重にならざるを得ないと考えます。
国連軍の創設に限って参加すべきだとかねて思っておりましたけれども、過去六十年近く国連軍は創設されたことはありませんし、今後も恐らくその可能性が皆無に近いということを予測しますと、ちょっとこれは世界の国々とのお付き合いの中でハードルが高過ぎるかなと。
今思っていることは、安保理ないしは国連総会が決定した、国連の総意で決めた事態に対しては集団的自衛権をともに行使をしていくという、これは相当厳しい限定だと思いますけれども、そんなふうに考えております。
仮に、安保理の常任理事国になったとしても、国連ないしは安保理の決定に対して日本が自らのその事態に対する明確な態度を示しながら、その決定にイエスなら参加するし、ノーならやはりそれは加わるべきではないと。たとえアメリカがどういう態度を取ろうとも一緒に行動をすべきではないということであるとすれば、国連の常任理事国になることと自己撞着は起こさないと考えます。
現実が憲法から乖離し過ぎているので、そこのところをきちんと考えるべきだという指摘は多いと、ありますけれども、陸海空の戦力はこれを保持しないといっても、保持しているんですから、現実が憲法から乖離をしたのではなくて、憲法が現実に取り残されたと私は思っております。
ただ、ただ、平和憲法と言われる我々が今持っているこの国是の基本理念は大事にすべきだと。安易に、安易に扱ってはいけない。ある意味では、世界に冠たる政治哲学だと思っておりまして、そのことと、今の憲法の基本理念を大切にしていくということと、私が三点申し上げたことを書き換えるということの整合性は決して矛盾をしない事柄だと思っております。
以上です。
関
那
那谷屋正義#29
○那谷屋正義君 民主党・新緑風会の那谷屋正義でございます。初めての発言をさせていただきますので、失礼がありましたらお許しいただけたらと思いますけれども。
憲法を国民がより理解し、そしてより良いものとする議論の必要性というものを私は否定するものではないというふうに思うわけであります。そういうふうに考えているわけでありますけれども、今、現実の乖離論というふうなことのお話がございましたが、しかし陸海空のその武力を持たないというお話で、持っている、実際にはあるじゃないかというお話なんですが、しかし自衛隊そのものは、海外での集団的自衛権を行使するために元々生まれたわけではなくて、やはり自衛隊は今、日本の国民の財産なり命なりをしっかりと守るために頑張っている、そういうふうな形になっているんではないかと。今回のイラクに行った、海外へ行った自衛隊については、やはりこれはもうあくまでも違憲であるというふうに言わざるを得ないというふうに私は考えていたところでございます。
そういう意味で、この九条の一項、二項について、一項については、これはほとんど党派を超えて、いわゆる戦争をするものではない、平和な国を目指すんだというそういう精神は多分同じように理解をされているんではないかというふうに思うわけでありますが、その具体的な在り方として、二項の中で、じゃ国際貢献はどうするんだというふうなところで今論議が非常にされてきているのではないかというふうに思っているところであります。
そういう中で、これまでやはりこの九条が成り立ってきた、そしてこれが、九条が果たしてきたそうした役割を考えると、やはりこれを今変えるということは、とりわけアメリカでブッシュ政権が引き続いたということの中にあるならば、今、正に武断外交に追従する形になっている、そういうふうなところでこの文言を入れるということ、憲法にそうした集団的自衛権あるいは自衛隊云々というものを入れるということは、そこに入れるということの重みというのは非常に大きいものがあるんではないかというふうに思うわけであります。
じゃ、世界的なそうした貢献はどうするんだという、そういう問題が出てくるというふうに思いますけれども、それについては、前にこうした会にも意見が幾つか出されたというふうに伺っておりますけれども、やはりそうしたいわゆるその平和を守るための、あるいは安全保障のためのいわゆる基本法なるものをそこにやはりひとつ置いていくということが私は今一番現実に合った、そしてこの憲法の精神をこれまでのように生かしていく、そのためにはそういったものが今必要ではないかというふうに思っています。その安全保障、例えば基本法という、仮称ですけれども、そうしたものを置くことによって、国民及び近隣諸国の理解を得ることができる、またそのことが重要であって、日本への信頼と抑止力にもなっていくんではないかというふうに思っているところであります。
これは、ある会で八十八歳になる方が述べられていたことでありますけれども、その方はお二人のお子さんがいらっしゃいますけれども、一人のお子さんがまだおなかの中にいるときに夫を戦争に送らなければいけなかったと。そして、そのおなかの中の子が生まれて小学校に入るころには、もうお父さんはいない子供になっていた。そして、学校で、今日は、図工の時間に、今日はお父さんの絵をかいてみましょうというふうに、そういう授業があったときに、その子はどうしていいか分からずに、ただただ泣くばかりであったと。そして、ふだん我慢強い子であるけれども、その子は家に帰ってもお母さんの胸に飛び付いていって、すごい悲しい顔をして泣いていたと。そうすると、お母さんは、その子を抱き締める中で、こんな悲しい思いはもう私の娘、私だけで十分だと、絶対に未来の子にはそうした思いはさしてはならないという、そういう思いを強く持って八十八年間頑張ってきましたというような話を聞くならば、これは単なるそうした話だけでなくて、その精神というものを私たちは引き継いでいかなければいけない。
そういう意味でも、学校教育の中でもやはりそうした平和教育をすることによって、武力による様々な成果を収めようとするものはあり得ないんだということを、イラクにおいても、今回NHKで珍しくテレビでやっていましたけれども、イラクの病院に入院している子供たちが出ていました。そして、その子供たちが何を言うかといったら、六歳の子ですけれども、それが、僕は大きくなったらあのアメリカ兵をやっつけるんだと。アメリカの飛んでいる飛行機を落として、そしてその飛行機を乗っ取って僕はその飛行機に乗ってアメリカ本土を攻めていくんだと、こういう言い方をしている。
いかに大義があるかないかはともかくとして、やはりそうした武力によって事を収めていこうということはやはりあり得ないということ、そのことは肝に銘じていく中で、その精神が今の九条の中に生きているのではないかというふうに思います。
そういう意味で、九条は今は変える必要ないというふうに思いますし、今後世界貢献の中では、平和基本法なるものをひとつ制定していくということが大事ではないかというふうに考えるところです。
済みません、長くなりまして。
この発言だけを見る →憲法を国民がより理解し、そしてより良いものとする議論の必要性というものを私は否定するものではないというふうに思うわけであります。そういうふうに考えているわけでありますけれども、今、現実の乖離論というふうなことのお話がございましたが、しかし陸海空のその武力を持たないというお話で、持っている、実際にはあるじゃないかというお話なんですが、しかし自衛隊そのものは、海外での集団的自衛権を行使するために元々生まれたわけではなくて、やはり自衛隊は今、日本の国民の財産なり命なりをしっかりと守るために頑張っている、そういうふうな形になっているんではないかと。今回のイラクに行った、海外へ行った自衛隊については、やはりこれはもうあくまでも違憲であるというふうに言わざるを得ないというふうに私は考えていたところでございます。
そういう意味で、この九条の一項、二項について、一項については、これはほとんど党派を超えて、いわゆる戦争をするものではない、平和な国を目指すんだというそういう精神は多分同じように理解をされているんではないかというふうに思うわけでありますが、その具体的な在り方として、二項の中で、じゃ国際貢献はどうするんだというふうなところで今論議が非常にされてきているのではないかというふうに思っているところであります。
そういう中で、これまでやはりこの九条が成り立ってきた、そしてこれが、九条が果たしてきたそうした役割を考えると、やはりこれを今変えるということは、とりわけアメリカでブッシュ政権が引き続いたということの中にあるならば、今、正に武断外交に追従する形になっている、そういうふうなところでこの文言を入れるということ、憲法にそうした集団的自衛権あるいは自衛隊云々というものを入れるということは、そこに入れるということの重みというのは非常に大きいものがあるんではないかというふうに思うわけであります。
じゃ、世界的なそうした貢献はどうするんだという、そういう問題が出てくるというふうに思いますけれども、それについては、前にこうした会にも意見が幾つか出されたというふうに伺っておりますけれども、やはりそうしたいわゆるその平和を守るための、あるいは安全保障のためのいわゆる基本法なるものをそこにやはりひとつ置いていくということが私は今一番現実に合った、そしてこの憲法の精神をこれまでのように生かしていく、そのためにはそういったものが今必要ではないかというふうに思っています。その安全保障、例えば基本法という、仮称ですけれども、そうしたものを置くことによって、国民及び近隣諸国の理解を得ることができる、またそのことが重要であって、日本への信頼と抑止力にもなっていくんではないかというふうに思っているところであります。
これは、ある会で八十八歳になる方が述べられていたことでありますけれども、その方はお二人のお子さんがいらっしゃいますけれども、一人のお子さんがまだおなかの中にいるときに夫を戦争に送らなければいけなかったと。そして、そのおなかの中の子が生まれて小学校に入るころには、もうお父さんはいない子供になっていた。そして、学校で、今日は、図工の時間に、今日はお父さんの絵をかいてみましょうというふうに、そういう授業があったときに、その子はどうしていいか分からずに、ただただ泣くばかりであったと。そして、ふだん我慢強い子であるけれども、その子は家に帰ってもお母さんの胸に飛び付いていって、すごい悲しい顔をして泣いていたと。そうすると、お母さんは、その子を抱き締める中で、こんな悲しい思いはもう私の娘、私だけで十分だと、絶対に未来の子にはそうした思いはさしてはならないという、そういう思いを強く持って八十八年間頑張ってきましたというような話を聞くならば、これは単なるそうした話だけでなくて、その精神というものを私たちは引き継いでいかなければいけない。
そういう意味でも、学校教育の中でもやはりそうした平和教育をすることによって、武力による様々な成果を収めようとするものはあり得ないんだということを、イラクにおいても、今回NHKで珍しくテレビでやっていましたけれども、イラクの病院に入院している子供たちが出ていました。そして、その子供たちが何を言うかといったら、六歳の子ですけれども、それが、僕は大きくなったらあのアメリカ兵をやっつけるんだと。アメリカの飛んでいる飛行機を落として、そしてその飛行機を乗っ取って僕はその飛行機に乗ってアメリカ本土を攻めていくんだと、こういう言い方をしている。
いかに大義があるかないかはともかくとして、やはりそうした武力によって事を収めていこうということはやはりあり得ないということ、そのことは肝に銘じていく中で、その精神が今の九条の中に生きているのではないかというふうに思います。
そういう意味で、九条は今は変える必要ないというふうに思いますし、今後世界貢献の中では、平和基本法なるものをひとつ制定していくということが大事ではないかというふうに考えるところです。
済みません、長くなりまして。