那谷屋正義の発言 (憲法調査会)
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○那谷屋正義君 民主党・新緑風会の那谷屋正義でございます。初めての発言をさせていただきますので、失礼がありましたらお許しいただけたらと思いますけれども。
憲法を国民がより理解し、そしてより良いものとする議論の必要性というものを私は否定するものではないというふうに思うわけであります。そういうふうに考えているわけでありますけれども、今、現実の乖離論というふうなことのお話がございましたが、しかし陸海空のその武力を持たないというお話で、持っている、実際にはあるじゃないかというお話なんですが、しかし自衛隊そのものは、海外での集団的自衛権を行使するために元々生まれたわけではなくて、やはり自衛隊は今、日本の国民の財産なり命なりをしっかりと守るために頑張っている、そういうふうな形になっているんではないかと。今回のイラクに行った、海外へ行った自衛隊については、やはりこれはもうあくまでも違憲であるというふうに言わざるを得ないというふうに私は考えていたところでございます。
そういう意味で、この九条の一項、二項について、一項については、これはほとんど党派を超えて、いわゆる戦争をするものではない、平和な国を目指すんだというそういう精神は多分同じように理解をされているんではないかというふうに思うわけでありますが、その具体的な在り方として、二項の中で、じゃ国際貢献はどうするんだというふうなところで今論議が非常にされてきているのではないかというふうに思っているところであります。
そういう中で、これまでやはりこの九条が成り立ってきた、そしてこれが、九条が果たしてきたそうした役割を考えると、やはりこれを今変えるということは、とりわけアメリカでブッシュ政権が引き続いたということの中にあるならば、今、正に武断外交に追従する形になっている、そういうふうなところでこの文言を入れるということ、憲法にそうした集団的自衛権あるいは自衛隊云々というものを入れるということは、そこに入れるということの重みというのは非常に大きいものがあるんではないかというふうに思うわけであります。
じゃ、世界的なそうした貢献はどうするんだという、そういう問題が出てくるというふうに思いますけれども、それについては、前にこうした会にも意見が幾つか出されたというふうに伺っておりますけれども、やはりそうしたいわゆるその平和を守るための、あるいは安全保障のためのいわゆる基本法なるものをそこにやはりひとつ置いていくということが私は今一番現実に合った、そしてこの憲法の精神をこれまでのように生かしていく、そのためにはそういったものが今必要ではないかというふうに思っています。その安全保障、例えば基本法という、仮称ですけれども、そうしたものを置くことによって、国民及び近隣諸国の理解を得ることができる、またそのことが重要であって、日本への信頼と抑止力にもなっていくんではないかというふうに思っているところであります。
これは、ある会で八十八歳になる方が述べられていたことでありますけれども、その方はお二人のお子さんがいらっしゃいますけれども、一人のお子さんがまだおなかの中にいるときに夫を戦争に送らなければいけなかったと。そして、そのおなかの中の子が生まれて小学校に入るころには、もうお父さんはいない子供になっていた。そして、学校で、今日は、図工の時間に、今日はお父さんの絵をかいてみましょうというふうに、そういう授業があったときに、その子はどうしていいか分からずに、ただただ泣くばかりであったと。そして、ふだん我慢強い子であるけれども、その子は家に帰ってもお母さんの胸に飛び付いていって、すごい悲しい顔をして泣いていたと。そうすると、お母さんは、その子を抱き締める中で、こんな悲しい思いはもう私の娘、私だけで十分だと、絶対に未来の子にはそうした思いはさしてはならないという、そういう思いを強く持って八十八年間頑張ってきましたというような話を聞くならば、これは単なるそうした話だけでなくて、その精神というものを私たちは引き継いでいかなければいけない。
そういう意味でも、学校教育の中でもやはりそうした平和教育をすることによって、武力による様々な成果を収めようとするものはあり得ないんだということを、イラクにおいても、今回NHKで珍しくテレビでやっていましたけれども、イラクの病院に入院している子供たちが出ていました。そして、その子供たちが何を言うかといったら、六歳の子ですけれども、それが、僕は大きくなったらあのアメリカ兵をやっつけるんだと。アメリカの飛んでいる飛行機を落として、そしてその飛行機を乗っ取って僕はその飛行機に乗ってアメリカ本土を攻めていくんだと、こういう言い方をしている。
いかに大義があるかないかはともかくとして、やはりそうした武力によって事を収めていこうということはやはりあり得ないということ、そのことは肝に銘じていく中で、その精神が今の九条の中に生きているのではないかというふうに思います。
そういう意味で、九条は今は変える必要ないというふうに思いますし、今後世界貢献の中では、平和基本法なるものをひとつ制定していくということが大事ではないかというふうに考えるところです。
済みません、長くなりまして。