保利耕輔の発言 (憲法調査会)

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○保利委員 保利でございます。自由民主党の文教制度調査会長をやっております。
 きょうは、権威ある憲法調査会で発言の機会をいただきまして、会長を初め、幹事の皆様方に厚く御礼を申し上げるものであります。
 さて、きょうは、国民の権利及び義務ということでお話をさせていただくのでありますが、私は、立場上、きょうは教育の問題に限ってのお話をさせていただきたいと思います。時間が極めて限られておる十分という中でありますから、全部を語り尽くすことはできないと思いますけれども、一生懸命に努力をしたいと思います。
 まず、憲法をさっと見てみますと、教育の条項については、憲法十三条、個人として尊重されるという趣旨のもの、それから憲法十四条、法のもとの平等、それから憲法十九条、思想及び良心の自由、それから憲法二十条、信教の自由、それから憲法二十三条、学問の自由等がございますが、何はおいてもやはりこの憲法の中で教育に関しての重要な事項は、憲法二十六条であると思います。
 憲法二十六条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」という旨の第二十六条というのが、非常に重い条項であると私は考えております。
 大日本帝国憲法は七十六条ありますが、この中には教育の条項は盛られていないというのが私の観察でありまして、この帝国憲法、明治二十二年二月の十一日、百余年前のあしたでございますが、に発布をされておるということであります。その中には教育の条項がない。
 しかし、明治二十三年十月三十日、一年ちょっとおくれて教育勅語というのが出ておりまして、その中には、教育の問題については、表現として、「学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ」という言葉が入っているのが教育に関する事項であると思っております。
 明治憲法下ではそういう状態であったわけでありますが、戦後、新憲法ができましたときにこの二十六条を入れた意味あるいは重みというのは非常に大きいと私は考えておりまして、今後もこの二十六条、若干の修正は考えられますけれども、存続をしていただきたいというのが私の念願であります。
 ただ、つぶさに見てまいりますと、いろいろな問題がこの二十六条については指摘がなされます。
 極めて素人の議論でありますけれども、子供には権利が与えられている、しかし親に義務がかけられている、こういう構成になっておりまして、子供には義務をかけていないわけであります。これは当然、法学上の問題として、子供に義務を課すということが妥当なのかどうかという問題があろうかと思いますが、これは学者の議論にまたなければならないかと思います。しかし、子供は学校へ行かなければいけないんだよということが易しく言えるようにするためには、子供にも義務をかける必要があるなと。
 しかし、この子供に対する義務というのは、罰則規定というのをつけるわけにはいきません。したがって、これはいわゆる訓示規定のようになるんではないかと思います。これはもう私限りの自分の独断でございますが、これがいいとは申しませんが、こういうことが考えられる。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有し、義務を負う。」訓示規定としてそういう義務条項が入ればわかりやすいのかなという感じを私的に持っております。
 ただ、親に対しては義務が課せられておることは御承知のとおりでありますし、学校教育法の第九十一条には、親がこの義務に違反した場合には十万円以下の罰金を科するという条項がございまして、親に対する義務については、非常に厳しい規定が学校教育法の中にあることを申し述べたいと思います。
 さて、これを読んでまいりまして、今の権利義務のほかに、これは小さい問題かもしれませんが、子女という言葉が使われております。「国民は、その保護する子女に」ということでありますが、子女という言葉が現代的なのかどうかということについてはいろいろ議論のあるところでありまして、教育基本法を検討してまいります場合に、「その保護する子に」ということでいいのではないかという議論が非常に有力であります。しかしこれは、憲法に子女と使われておるので、子女という言葉をそのまま使った方がいいだろうというのが法制局の考え方のようであります。これは憲法のところでよく御議論をいただきたいと思う次第でございます。
 また、その中に普通教育という言葉が入っております。「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」ということを言っておりますが、この普通教育というのは一体何であろうかということを考察いたしてみますと、物の本で調べてみますと、国民として必要な基礎的教育というのを普通教育の定義にしている本がございますが、妥当な定義ではなかろうかと思うわけでございます。
 ところが、現行は普通教育というのを三段階に分けておりまして、小学校においては初等普通教育を授けるところ、それから、中学校においては中等普通教育を授けるところ、そして、高等学校では高等普通教育を授けるところということが学校教育法の中に規定をしてあるわけであります。したがいまして、これを見る限りにおいては、普通教育というのは義務教育段階では終了しないのかという疑念が出てくるわけであります。
 つまり、国民として必要な基礎的な教育というのは、義務教育の中で完結させるというのが一番わかりやすいのではないか。そうすると、高校段階での高等普通教育というのは一体何であるかということが疑問として出てくるわけでございまして、これは、教育基本法を検討してまいります中で非常に大きな議論になっております。
 当然、高等学校のあり方と関連をするわけでございますが、私どもとしては、やはり中学段階で普通教育は完結させるのが一番すっきりしているんではないか、国民として必要な素養それから基礎的な教育というのは義務教育段階で完結させるという方がいいのではないかと思うわけであります。この辺は、現行の高等学校の性格というのが一体何であるかということの議論に発展をしてまいりまして、今非常に複雑な議論をしております。
 それから、初等普通教育あるいは中等普通教育というのは一体何だ、どこにこの区分けがあるんだということも疑念として起こってくるわけであります。
 さらにもう一つ、義務教育につきましては、教育に対する国家の任務というのは一体何かという議論が出てまいりまして、教育に対する国家の干渉をできるだけ排除するという側面と、教育に対する国家の配慮を求めるという側面と、矛盾したことが国家には要請をされているというふうに考えられるわけでありまして、この辺は非常に難しい議論であります。教育基本法の中での議論ということになりますが、憲法についてもどこへはね返ってくるのか、私どもとしても研究をしてまいりたいと思っております。
 なお、中教審が言っております、国を愛する心あるいは公共の精神というのが提言されておりますけれども、それにつきましては、憲法の前文の中でどういう考え方が示されるのかということに大きな影響が出てくるものだと考えておりまして、憲法前文の検討状況というのを十分に考えていかなければならないと思います。
 時間が参りましたので、ここで一たん区切らせていただきます。

発言情報

speech_id: 116204184X00220050210_002

発言者: 保利耕輔

speaker_id: 33589

日付: 2005-02-10

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会