枝野幸男の発言 (憲法調査会)
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○枝野委員 私は、この権利と義務に関して、三点、基本的なところについてお話をしたいと思います。
まず、憲法にもっと義務を書くべきではないかという議論がよくなされておりますが、これはもう憲法そのものを基本的に理解していない議論であると私は思います。
そもそも憲法は公権力行使の限界を定めた法でありまして、憲法で制約されていない義務については法律で自由に課すことができる。逆に言えば、法律でも課すことのできない義務は何なのか、あるいは、法律でこれ以上の義務を課してはいけないということを規定するのが憲法典の意味で、義務を課す必要があるんだったら、憲法に書き込むのではなくて、立法によって義務を課せばいいだけの話であって、しょせんは、もし書いたとしても確認的規定にすぎず、法的意味は全く持たない。法的意味を全く持たないことについての議論を一生懸命やっていることは全く無意味であるということをまず申し上げておきたい。
二点目。それでも、憲法典に書けば訓示的な意味を持つではないかという議論がありますが、そういう方の多くが、実は憲法九条について、憲法九条があったから戦争に巻き込まれなかったという議論を否定している方にそういう発言が多いように思います。
私もそう思います。日本の戦後、平和が安定されてきたのは、憲法九条は一要素ではあったかもしれませんが、基本は、日本の外交、安全保障の努力、その結果として戦争に巻き込まれないできた、そういうふうに私も思っていまして、訓示規定を書いたからといってそうなるというわけではない。
例えば、人を殺しちゃいけないというのは、訓示どころか罰則までつけて義務を課していますが、それでも人を殺す人がいる。したがって、具体的にその訓示規定で実現をしたい価値をどういう手段で実現するのかということこそが政治に求められていることだと思います。
よく教育のことが問われていますけれども、教育について憲法や基本法に何を書くかということ以上に、今現に求められている価値、例えば人を殺してはいけないということを、学校教育の現場で子供たちにしっかりとそうした意識をはぐくむことができていないという教育現場の問題、つまり、教師の能力と、あるいは、人を殺してはいけないとか親を大事にするとか、そうした意識をはぐくむためのカリキュラムができていない。こうした教師の能力やカリキュラムについての具体的な解決策を持っていない人に限って、抽象的なところで議論をして目をそらそうとしていると私は受けとめております。
三つ目。戦後民主主義あるいは戦後の人権規定が個人の勝手、利己主義に走らせたというような批判をする人がいます。これこそまさに憲法を、あるいは基本的人権を全く理解しないで、ひとりよがりの発言だと思います。
そもそも憲法典が規定している基本的人権の概念、個人の尊重というのは、自分のことを尊重するという個人の尊重ではなくて、あなたを尊重するから私のことも尊重してください、お互いに個人として尊重し合いましょう、そもそも基本的人権というのはそういうものであって、利己主義とは全く百八十度違うものであります。これは、ある程度憲法を理解している者からすれば当然のことであるし、また、そうした価値、つまり、自分さえよければいいではなくて、あなたも尊重するから私も尊重してください、こういう基本的な価値こそはまさに大事にしなければならないものであって、それを、十分な理解もなしに、この人権の規定を利己主義のことだと勝手に間違った理解をしておきながら、その間違った誤解をもとにそのことを批判しているのは、まさにひとりよがり、まさに利己主義そのものでありまして、全く議論に値しない、混乱した議論であると言わざるを得ない。
こうした基本的な三つの点が混乱したまま議論が進んでいくことは非常に私は危惧するところでありまして、基本的な人権あるいは憲法典というものに対する共通の理解のもとに議論を進めていただきたいと強く訴えたいと思います。
以上です。