葉梨康弘の発言 (憲法調査会)
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○葉梨委員 自民党の葉梨康弘です。
国民の権利及び義務について意見を申し上げます。
私は、明治憲法下、法律の定めるところにより天皇から臣民に対して与えられていた基本的人権を、不可侵の永久の権利、すなわち普遍的なものと規定した現行憲法を高く評価いたします。ただ、我が国が二十一世紀において人権大国としての地位を占めるためには、現実に今我が国において発生し、または発生する可能性のある人権侵害の問題を極小化していかなければなりません。
もとより、この論点のほかにも、現行憲法には、二十五条が権利と公助だけを規定し、二十四条にあるような相互の協力を規定していない点、あるいは財産権について、勤労、教育との並びで財産権行使の義務が規定されていない点等、法の欠缺とも思える論点があります。しかし、ここでは、現行憲法が基本的人権の保障や人権侵害抑止の上から十分かどうか、以下、国家による人権侵害、私人による権利の乱用の二つの面から意見を申し上げます。
まず、国家による人権侵害あるいはその可能性についてです。
現行憲法は、刑事司法や私有財産への正当な補償に関する定めのほか、国民の権利としての公務員の選任、請願、損害賠償等の規定を置き、国家による人権侵害の防止やその救済のため、国民が一定の行動をとる権利を確保しています。
しかし、戦後六十年、行政は極めて複雑化しています。損害の救済や法令の制定のために請願を行えるといっても、国民には損害の存在や法令制定の必要性が極めて見えにくいものになっています。さらに、よく言われるように、電磁的情報処理技術の進歩により、汎用の個人情報データベースが出現しています。これにより、個人情報の内容や情報の管理が誤って行われた場合、重大な人権侵害を惹起いたします。しかし、誤った情報がひとり歩きし不適切な管理が行われても、当該個人には知るすべもありません。
このように考えてくると、現行憲法が個人に保障している、国家からの人権侵害を防止し救済を求める権利を適切に行使するための前提として、何らかの形で国民が行政に対してアクセスする権利を明定し、法律事項かもしれませんが、オンブズマン制度等の導入の必要性も検討していくことが必要と考えます。
次に、私人による権利の乱用についてです。
私は、警察庁少年課に在籍当時、児童の人権問題に携わってきました。その経験から、例えば児童買春の問題、児童ポルノの問題、女性のトラフィッキングの問題等、我が国が諸外国から児童や女性の人権侵害に鈍感な人権小国であると見られている事実を指摘しなければなりません。
戦後、児童や女性に対する性的搾取を容認する大人の自分勝手主義が横行し、共同社会も児童虐待や小児性愛に甘い事なかれ主義に変容する中、権利の乱用による人権侵害が日常茶飯のものとなってきました。そして、より深刻な問題は、権利の乱用をしている当人やあるいは一部の進歩的な学者は、このような人権侵害は個人の自由であり、権利の乱用には当たらないとまじめに考えているらしいことです。このような誤った考え方が横行している以上、憲法の法文上しっかりと措置しなければ、二十一世紀の我が国が、現在の人権小国どころか、人権侵害大国という存在に転落してしまうことを真剣に恐れています。
実は、人権行使の制約原理となる公共の福祉について、当初のGHQ原案は現在と異なっていました。
権利の乱用を禁止した現行十二条の公共の福祉は、GHQ原案では共同の福祉とされ、コモンセンスを持ち、私人同士が迷惑をかけない、共同体を大切にするニュアンスがより明確でした。さらに、居住、移転、職業選択の自由の制約原理である公共の福祉も、一般の福祉とされ、一般常識を持ち、社会生活の中で迷惑をかけない、一般社会を大切にするというニュアンスがありました。そして、現行憲法は、財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定めるとなっていますが、これも、財産権の使用は公共の利益のためなるべしとされ、財産権の公共利益適合性がより明確でした。
しかし、イメージとしてはわかるものの、人権の制約原理を何種類もの言葉で表現するのは法制局的には明らかに稚拙です。このため、日本側で検討し、人権の制約原理を公共の福祉と安寧秩序という文言に整理し、さらに、人権の制約を一部法律に委任する案を作成しました。
しかし、安寧秩序と法律への委任はGHQの入れるところとはならず、極めてあいまいな公共の福祉という文言のみが残り、ある意味で時間切れ、見切り発車をしてしまいました。だからこそ宮沢俊義教授らも、公共の福祉を、素直な字義どおりでない、他人の人権を侵害せず、共同社会に迷惑をかけないことという意味に解釈し、定着への努力をしてきました。
しかし、現在までこのような考えは多くの国民に認識されるところとはなっておらず、自分勝手の人権侵害はますます横行しています。その意味で、憲法解釈の限界を呈しているのは、第九条よりも、むしろこの国民の権利義務の章についてかもしれません。
私は、今の解釈で限界を露呈している公共の福祉という文言を、権利の類型等に応じて、共同の福祉、公共の利益などの明確な文言に整理し、改めて利他主義、共同体の大切さを明定すべきと考えます。そして、現在特にその侵害状況が深刻な、プライバシーの権利、環境権、被害者の権利等については憲法に明定すべきということを訴えて、意見表明を終わらせていただきます。
ありがとうございました。