葉梨康弘の発言 (憲法調査会)
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○葉梨委員 自民党の葉梨康弘です。
財政について、財政均衡の問題、予算案否決等の非常事態における措置等の論点がありますけれども、憲法八十九条と私学助成の問題について申し上げます。
私は、そもそもこのような論点が問題となること自体、現行憲法のできの悪さだと考えています。この条項は、GHQ原案では、ノット・アンダー・ザ・コントロール・オブ・ステートの教育機関への助成を禁止していますけれども、このコントロールを支配と訳すのは余り一般的ではありません。この英文を素直に訳せば、私の理解では、公的監督のもとにない教育ということになって、公的に設立認可を受けている私学には公的助成ができるという趣旨になります。そして、この条項は、例えば、明らかなカルト宗教の教育施設あるいは朝鮮学校などの公的監督下にない教育機関への助成を排除するものと考えられます。ところが、この議論の発端は、このGHQ原案を仮訳して閣僚に配付するとき、このコントロールを監督でなく支配と訳してしまい、これが余り議論されることなく成案になってしまったことにあるように思われます。
このように、戦後六十年も経過して、翻訳調云々の文体の議論はおくとしても、我が国の最高法規の中で用語の正確性にかかわる和訳の稚拙さを引きずることが本当にいいことかどうか、もっと明確にすべきじゃないかというようなことを申し上げたいと思います。
次に、地方自治について。
地方自治は、現行憲法について新たに設けられた章で、私は、現行憲法が、地方自治の原則を打ち出して、今、地方にできることは地方にという改革を行い得るまで地方の地力をはぐくんできたことを高く評価します。ただ、基礎的自治体、地方公共団体である市町村において首長の直接選挙が行われ、一定の直接民主制的な制度がとられることは、世界の民主主義国家に共通する原理で、発展させることが必要と考えます。しかし、この考え方が道州制に適用できるかどうか、およそすべての地方公共団体の首長を直接選挙によるとしている現行憲法で本当によいのかどうか、慎重な配慮が必要です。
現在、おぼろげながら多くの国民が、将来の趨勢として道州制の導入を歓迎しているように思いますし、私もそういう方向は大切だと思います。しかし、その具体的な姿は必ずしも見えてきません。我が国を例えば十程度の道州に分けるとすると、その規模からしても権限からしても、連邦制に近くなります。連邦制とまでいかなくても、州は多くの権限を有し、自治州的な性格が強くなります。となると、確かに中央集権の性格は薄まりますけれども、今度は国家の分裂の危機を考えなければなりません。
ちなみに米国は、確かに州知事を直接選挙で選んでいますけれども、強大な権力を持つ大統領もまた直接選挙で選ばれます。ところが、連邦国家であり、かつ中央政府が議院内閣制をとるドイツ、オーストリア、オーストラリア、カナダ、マレーシアなどは、州政府は、州議会により負託される一種の議院内閣制をとっています。連合王国であり議院内閣制をとるイギリスも、スコットランド、北アイルランドなどは議院内閣制をとっています。最近、州の権限を拡大して中央政府を議院内閣制としているスペイン、イタリアでは、スペインの自治州はやはり一種の議院内閣制をとっています。イタリアについては、二十州に分けて州知事を直接選挙としていますけれども、特に最近では、北イタリアの知事の間から国家の分離主義の動きも出ているということも聞いています。
このように、市町村単位の基礎的自治体とは別に連邦的な道州制の導入を考える場合には、その政治体制について、少なくとも諸外国では、中央政府の政治体制との均衡に極めて配慮しています。ですから議院内閣制的な政体を導入している国が多いということになります。これも一種の歴史の知恵だと思います。私は、地方自治あるいは地方の多様な発展は大いに結構だと考えます。発展させなければなりません。
ただ、今回の三位一体の改革の議論の中でも、たった四十七の都道府県知事の権限の強大化が言われています。我々は、評論家ではなく政治家です。国家百年の計を考えた場合、思いつきで道州制を論じるんじゃなくて、国を十程度の領域に分けて大統領的な首長を置き、例えば、それぞれが治安維持、災害対策のための州兵的な組織を持つことの国としての危険性に改めて思いをはせるべきではないか。そういうことから、道州制についても今後議論を深めていく必要があるんじゃないかと考えております。
以上でございます。