憲法調査会

2005-02-17 衆議院 全82発言

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会議録情報#0
平成十七年二月十七日(木曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君
   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君
   幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君
   幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君
   幹事 赤松 正雄君
      大村 秀章君    加藤 勝信君
      河野 太郎君    坂本 剛二君
      柴山 昌彦君    中谷  元君
      永岡 洋治君    野田  毅君
      葉梨 康弘君    早川 忠孝君
      平井 卓也君    平沼 赳夫君
      松野 博一君    松宮  勲君
      三原 朝彦君    森山 眞弓君
      渡辺 博道君    青木  愛君
      稲見 哲男君    大出  彰君
      岡本 充功君    鹿野 道彦君
      楠田 大蔵君    近藤 洋介君
      鈴木 克昌君    園田 康博君
      田中眞紀子君    辻   惠君
      中根 康浩君    長島 昭久君
      西村智奈美君    計屋 圭宏君
      古川 元久君    馬淵 澄夫君
      笠  浩史君    渡部 恒三君
      大口 善徳君    高木 陽介君
      長沢 広明君    福島  豊君
      桝屋 敬悟君    山名 靖英君
      塩川 鉄也君    吉井 英勝君
      土井たか子君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    —————————————
委員の異動
二月十七日
 辞任         補欠選任
  園田 康博君     西村智奈美君
  馬淵 澄夫君     楠田 大蔵君
  和田 隆志君     近藤 洋介君
  太田 昭宏君     桝屋 敬悟君
  高木 陽介君     長沢 広明君
  福島  豊君     山名 靖英君
  山口 富男君     吉井 英勝君
同日
 辞任         補欠選任
  楠田 大蔵君     長島 昭久君
  近藤 洋介君     和田 隆志君
  西村智奈美君     園田 康博君
  長沢 広明君     高木 陽介君
  桝屋 敬悟君     大口 善徳君
  山名 靖英君     福島  豊君
  吉井 英勝君     塩川 鉄也君
同日
 辞任         補欠選任
  長島 昭久君     岡本 充功君
  大口 善徳君     太田 昭宏君
  塩川 鉄也君     山口 富男君
同日
 辞任         補欠選任
  岡本 充功君     馬淵 澄夫君
    —————————————
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
     ————◇—————
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中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 本日の午前は、財政・地方自治について自由討議を行います。
 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、まず、早川忠孝君。
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早川忠孝#2
○早川委員 自由民主党の早川忠孝であります。
 財政及び地方自治に関する規定について申し述べたいと思います。
 私は、八十九条を除いては、基本的に改正の必要がないと考えております。
 そこで、まず、財政の点について申し上げます。
 現在の憲法を策定するに当たって立案者の念頭にあったのは、いわゆる財政民主主義の確立だったと思います。財政運営は行政権が帰属する内閣の専権事項でありますけれども、これを国権の最高機関と位置づけられている国会の議決によらなければならないとするところに大きな意義があったと考えております。憲法八十四条の租税法定主義や、八十五条、八十六条、八十七条、九十一条などが財政民主主義の大宗を示したものと理解しております。戦後六十年の節目を迎える今日においても十分これらの規定が通用するものであり、これを変更する事情がないと考えております。
 現在の憲法の制定時の状況を色濃く反映しているのが、第八十八条の皇室財産及び皇室費用に関する規定であります。大日本帝国憲法、明治憲法において日本国の統治者として位置づけられていた天皇を、国民主権制度のもとの象徴天皇と位置づけることによって戦後の日本の礎が築かれました。これに伴い、皇室や皇室に帰属する財産をどのように取り扱うべきかが大きな課題となりました。その解決として、第八十八条のとおり、皇室財産はすべて国に帰属するものとし、「皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」ものとしたものであります。
 連合国軍の施政権のもとに置かれ、公職追放や極東軍事裁判、東京裁判が行われるといういびつな状況の中で戦後の国づくりを進めざるを得なかった当時の我が国にとって、憲法八十八条の規定は、象徴天皇制を実質化する極めて重要な規定であったと考えております。現時点においてこれを変更する必要はないと考えております。
 第九十条の会計検査に関する規定でありますけれども、これは戦後の新しい発明であると評価をしております。
 会計検査院が財政民主主義の確立にどのように機能するかについては、当時は明確な考え方は確立していなかったのではないかと思います。「会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。」ということにされたことによって、会計検査に関する制度設計については、すべて国会の審議にゆだねられることになったわけであります。
 しかしながら、これまでの経験にかんがみて、会計検査院制度が十分機能してきたか否かについては疑念を抱かざるを得ません。私は、国民主権主義をより実質化していくためには、現在のいわば官僚制をとっている会計検査院を、より開かれたものとして、専門家等を任期つき公務員として採用する等の方策をさらに進めていく必要があると考えております。
 いずれにしても、会計検査院制度は、現在の憲法秩序の中で、いわば国民主権を実質化するためのビルトインスタビライザー、制度安定装置として位置づけられているというふうに考えておりますので、その所期の機能を果たすことが求められていると考えております。
 財政の手法についてどうしても改正が必要なのは、第八十九条であります。
 第八十九条は、公の財産の公共性を確立し、宗教上の組織等のために公の財産を支出し、または利用に供してはならないという限りにおいては、大きな意義が認められます。これにより、戦前の国家神道との決別を憲法上明記したことになると考えております。
 しかしながら、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」に対しても同様に公の財産を支出等してはならないと規定したのは、明らかに立法ミスではないかと考えております。字義どおり解釈すれば、私学助成は憲法八十九条に抵触すると考えざるを得ません。NPOやNGO等の民間のボランティア活動等に対し公的助成をすることもできないという理屈になります。
 現在は、さまざまな迂回措置をとることによって、直接には八十九条に抵触しないような法形式をとっておりますが、これまでの運用の実態に即して、八十九条を全面的に改正すべきであると考えております。
 また、いわゆる玉ぐし料の公費支出について、これを違憲とする裁判等が起きております。
 私は、総理大臣と公務員のごく一般的な習俗的な行事への参加については、仮にそれが一部宗教的色彩を帯びたとしても、特に特定の宗教団体への支援と認められないような事情がある場合には、公共性のある行為として公費の支出は認められるべきであると考えており、そのように憲法の条項を改正することが相当であると考えております。
 国及び地方の財政は極めて逼迫し、いわば破綻寸前と言われる現時点において、私は、財政の規律を回復することが極めて重要であると考えております。その意味で、現時点において、いわゆる健全財政条項を憲法に設けることを検討することには大きな意義があると考えております。
 また、公の財産の支出の公共性を制度的に担保するために、それが真に公共性に合致するものであるか、あるいは支出の手続について公正な手続によってなされているか、あるいはその支出の手続のすべての過程が公開されているか、公共性、公正性、透明性等の原則を憲法に明記することが適当であるか等についても検討課題とされてよいと考えております。
 次に、地方自治について申し述べます。
 第九十二条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と規定しております。ここに言う「地方自治の本旨」とは何かという議論があり、また、極めてわかりにくいという批判があります。しかし私は、「地方自治の本旨」という表現は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という象徴天皇制のこの「象徴」という表現と同様に、現在の憲法の最も大事な要素を表現するものであり、これを変える必要はないと考えております。
 地方自治は民主主義の学校であると教えられてまいりました。ここで、地方とは、国あるいは中央政府に対する概念であり、自治とは、文字どおりみずから治める、オートノミーということであります。
 その具体的内容は、第九十三条二項、すなわち「地方公共団体の長、その議会の議員」「その他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」ということにあり、また、第九十四条に述べるとおり、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」このことにあると考えております。官選知事等が選挙によって選ばれるようになったということに極めて大きな意義があると考えております。
 現在、地方分権の推進あるいは市町村合併の推進等の二つの流れが加速をしてまいっております。こういった流れの中で、廃県置藩あるいは道州制等の議論が出てまいっております。私としては、これらの議論については、憲法の改正なくしてはこのような制度改正をしてはならないというふうに考えております。
 全国で三千二百余りあった市町村の合併が進展し、すべての市町村が人口四十万人以上の規模となり、自立できる財政保障あるいは必要な人材の確保ができた場合には、都道府県はその役割を終えるものと考えておりますけれども、現時点では、現在の市町村はいまだ脆弱であり、都道府県を廃止するような制度設計は現実的ではないと考えております。
 自分たちのことは自分たちで決める、地方のことは地方で決めるということを徹底しますと、一つのコミュニティーとして成り立たぬような大きな規模の団体は自治団体としては適当ではないというふうに考えられます。現在の都道府県についてもそのような批判は当たりますが、これは、江戸幕府時代以来のさまざまな歴史的な経過、あるいは地理的な一体性を持っている、あるいは文化的な背景があるということの中で、これはそれなりの意味があると考えております。
 これからの問題は、地方分権が進む中で、地方と国とのかかわり方が大きく問題になろうかと思っております。すなわち、地方公共団体が国の規制基準より厳しいさまざまな規制基準を定めることを許すか、あるいは、地方公共団体が国とは独自の土地利用等の新たな規制条例を制定することができるようにするか、あるいは、地方公共団体に国とは独自の課税権あるいは税の徴収権を持つことができるようにするか、さらに引き続いて、地方公共団体に司法権、裁判権を認めることまで考えるかといった問題が出てまいります。私は、これらの問題はすべて国が最終的に責任を持つべきであり、現在の地方自治制度は特に変える必要はないと考えております。
 しかしながら、問題点としては、現在の法律では、条例等の法律適合性の審査権限が裁判所にしかないということであります。私は、立法府である国会に、条例や国の政省令あるいは通達についての法律あるいは憲法適合性を審査する権限を付与し、そのための常設機関を国会の中に置くことが望ましいのではないかと考えております。現在、二院制について議論が出ておりますけれども、参議院をどうしても残すという結論をとるのであれば、参議院をいわゆる憲法院的な構成にし、参議院にこれらの権能を付与するということがよいのではないかなと考えております。
 最後に、外国人の地方参政権の問題が……
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中山太郎#3
○中山会長 早川忠孝君に申し上げます。申し合わせの時間が過ぎておりますので、結論をおまとめください。
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早川忠孝#4
○早川委員 ありがとうございます。地方参政権の問題がありますが、これについては、さまざまな観点から、国籍法の改正で対処すべきではないかというふうに考えております。
 以上であります。
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中山太郎#5
○中山会長 次に、古川元久君。
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古川元久#6
○古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。
 財政及び地方自治について若干のコメントを申し上げたいと思います。
 まず、財政についてでございますけれども、我が国の財政、そしてまた、国、地方を合わせまして大変な、膨大な借金を抱えているという状況にありまして、こうした状況を今後とも続けていくということは、政府に対する信頼を失うということにもつながりますし、そしてまた将来世代に過度な負担を負わせるということで、現在に生きる者として大変にこれは無責任だと思います。そういう意味で、憲法の中にそうした財政規律を何とか維持できるようなそういう仕組みの基本的な原則を織り込むということは、極めて大事なことだというふうに考えております。
 では、どのような形で財政的な面から財政規律を維持するそうした仕組みを持ち込むかということでございますが、そのためには、まずやはり、公会計の仕組みというものをきちんと整備する、その大原則を憲法上規定することが必要ではないかというふうに思います。
 公会計制度が透明性の高いルールと公正な第三者機関の監視の下に置かれる、そういう公会計のあり方に関する基本原則をやはり憲法の中に明記して、そのもとで、その公会計のルールに基づいて、現在負担あるいは将来負担、そうしたものを含めた財政状況がきちんと国民にも提示され、そして、そうした情報が提示された中で、実際に現在世代の負担、そして将来世代にどれだけの負担をお願いできるか、そうした議論も政府そしてこの国会の中で議論できるようなそういうシステムをつくるということが、財政規律を維持する上で極めて大事なことだというふうに思います。
 そういった意味では、これまでの予算単年度主義というものも、複数年度予算制、そうしたものも可能となるようなそういう仕組みというものも考えていくべきだというふうに思われますし、また、予算編成システムの途中の過程でも国会のチェックというものができるようなそういう仕組みというものも、その基本原則の中には入れていくべきではないかというふうに思います。同時に、予算執行、そして行政の執行、それに対しまして国会がきちんとチェックをできる、国民がきちんとその監視をできる、そういう仕組みというものを入れていくことも、財政規律を維持する上で極めて重要でございます。
 したがいまして、会計検査院の機能を強化するとともに、私どもが従来から主張しております、国会の中に新たに行政監視院という、行政の執行状況をチェックするそういう機関をつくって、そのもとで、行政の執行状況、そして予算の消化状況、そういうものについてきちんとした監察や調査を行って、そして必要な勧告を行うということも、これは一定限度のところで憲法に規定するということも十分に考えるべきではないかというふうに思います。
 そして、財政については、内閣総理大臣の、予算、決算の提出者として全責任を負うべきことと、そして、予算編成方針の決定段階から国会への説明責任を果たすべき、そうしたことも憲法の中に明記をすべきじゃないか。また、現行財政法上で規定されております基本原則についても、その一部分は憲法に書き入れることを検討してもいいのではないかというふうに思っております。
 さらに、決算報告につきましては、事実上、現在二年以上かかっておりますけれども、こうしたものにつきましても、本来は次年度予算の編成にその決算の結果が生かされる、そうした仕組みをつくることが必要でありますから、やはり、概数でも結構ですから、決算報告が翌年度の予算編成に利用できるようなそういう仕組みを確立して、それを義務づけるということも考えるべきではないかというふうに思っております。
 次に、地方自治について若干のコメントを申し上げたいと思います。
 我々民主党は、従来より分権国家の創造を目指してまいっておりますけれども、現行憲法、地方自治については四カ条の原則的規定を定めておりますけれども、しかし、それが十分に機能しているとは残念ながら言える状況にはありません。むしろ、こういう状況の地方自治の原則が定められているにもかかわらず、中央政府はみずからの事務や権限を一貫して肥大させ続けて、そしてその結果、むだな箱物ができたりとか、そしてまた、結果としての膨大な財政赤字というものを生み出したり、そしてまた、美しい自然や多様な地域文化が破壊される、そして地方が疲弊してしまうという結果が生まれてきたとも言えるのではないでしょうか。
 そうしたこれまでの行き方を根本的に転換させる、地域のことは地域で決める、自分たちのことは自分たちで決めるという民主主義の原点に立ち返った分権国家への転換、そのことを高らかに憲法の中でうたうべきであるというふうに私どもは考えております。
 そして、この分権国家、それを担保するための規定といたしまして、行政権限配分は憲法上明確にすべきではないかというふうに考えております。地域でできることは地域にゆだねるという補完性の原理に立脚して、住民に身近な行政は優先的に基礎自治体に配分し、また、都道府県は広域的に再編して道州を設け、司法、外交、出入国管理など、国家主権にかかわる行政を除く大半の広域的行政は道州に移管するということを規定してはいかがかというふうに考えます。
 さらに、自治体の立法権限も強化する、そのことも明記をしていかないと、憲法上保障していかないといけないと思います。これまでのような法律の範囲内での条例制定権限ではなく、地方自治体と中央政府の権限配分に対応して、地方自治体に専属的あるいは優先的な立法権限を憲法上保障する必要があるというふうに思っております。
 さらにまた、住民自治に根差す多様な自治体のあり方を認めていかなければなりません。自治体の組織運営のあり方は住民自身が決めることを原則とし、これまでのような首長と議会の二元代表制だけでなく、例えば執行委員会制や支配人制など、それぞれの地域で自分たちがその組織形態を決めて、その地域コミュニティーに合った地方自治体のあり方というものを考える、そういうことができるようにするべきではないか。そしてまた、住民投票なども可能にするような住民発案住民投票制度など、そういうものも自治体の中で採用ができるようなそういう権限を自治体に与えるべきだというふうに思っております。
 そして、そうした中で、地方自治体がみずからの事務事業を適切に遂行できるよう、課税自主権、財政自治権を憲法上保障して、必要な財源をみずからの責任と判断で調達できるようにするということが極めて重要だと思っております。課税自主権は、各自治体がみずからにふさわしいと考える税目、税率の決定権も含まれなければなりません。
 そして、これらを補完するものといたしまして、当然地方によって格差が出てくるわけでありますから、その格差を調整するものとして、現行の地方交付税制度にかえて、新たな水平的財政調整制度を創設することが必要だというふうに考えております。
 財政の規律を保ち、そして地域のそれぞれの特色を生かしていく、これは全く別物のようであって、実は、私は表裏一体をなすものだというふうに思っております。それぞれの地域が自立的に、それぞれの地域での予算の編成のあり方、そして税の集め方、そういうものも含めて運用されていく、そういう中で効率的な政府の運営、そしてむだのない税金の使われ方ということもされるのではないでしょうか。そうした国家をつくっていくということが今後我が国に求められることだというふうに私は考えております。
 以上です。
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中山太郎#7
○中山会長 次に、山名靖英君。
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山名靖英#8
○山名委員 公明党の山名靖英でございます。
 今日まで五年、憲法調査会の皆さんには大変な論議を続けてこられまして、心から敬意を表する次第です。また、きょうは発言の機会を与えていただきまして、御礼を申し上げます。
 それではまず、第七章の「財政」の問題から端的に申し上げたいと思います。
 まず、八十四条の課税につきましては、現行法におきましては「租税」、こういう言葉を使っております。租税となれば、すべての税目を網羅するという意味になるわけでありますが、これからの地方公共団体の自主課税、課税の自主権ということを考えていく際には、やはりここは、その税目と区別をするという意味から国税、こういう言葉を使った方がいいのではないか、まず一点そのように考えております。
 さらに、八十六条の予算につきましては、私も、現行の単年度主義の予算編成につきましては、やはり、駆け込み執行、こういう弊害等も出ておりますし、かなり硬直的な予算編成システムになっている、こういう意味合いから、複数年度予算、こういったシステムを導入すべきではないか、このように思う次第でございます。
 九十一条の財政状況の報告等につきましては、国の財政運営に企業会計を導入いたしまして、一層国民にわかりやすく、明確な国の財政運営についての情報公開、これに資する、こういうことでの企業会計導入をしてはどうかと考えております。
 九十条の会計検査院につきましては、会計検査院をむしろ国会に帰属をさせまして、内閣、内閣総理大臣にその改善措置を勧告することができる、こういったシステムの導入を図ってはどうか、このように思っております。
 次に、第八章の「地方自治」の観点でございますが、御承知のように、戦後六十年近くたちまして、地方自治をめぐるこういう実態も状況も大きく変化をしてきております。今、地方分権一括法の制定の中で、まさに地方分権は着実に実行段階に入っておりまして、目下、いわば市町村合併の推進、こういったことが喫緊の最重要テーマでございます。合併による市町村の行財政基盤の充実、これは、分権時代にふさわしい地方自治体をつくる上で極めて重要であり、また望ましいものではないか、こういうふうに思っております。
 しかし一方、地方自治の実体論からいいますと、それぞれの地域社会における連帯感、あるいは協働、ともに働こう、協力し合って働こうという精神、さらには地域の文化、芸術、伝統、こういったものに対する住民の意識というのが極めて薄くなってきている、こういった懸念も一方であるところでございまして、そういった意味では、今、この憲法論議を通じて地方自治をいま一度見直していく、大転換を図っていくという意味からも、私は意義あることではないかと思っております。
 そこで、特に憲法のこの第八章、ここでは、九十二条で基本的な原則をうたい、九十三条で住民自治をうたい、九十四条で団体自治をうたい、九十五条で国との関係、こういった四条五項目、こういったことで規定をしているわけでありますが、基本的原則というこの観点、すなわち地方自治の本旨、この意味、内容というものがいま一つ明確ではないのではないか。
 当初、この憲法草案のときには、地方自治の基本精神を的確に表現するという言葉がなかなか見つからなかったというふうにも聞いていますけれども、当時のいわゆる市町村、町村というあり方のそういう時代から、今はまさに、近代都市、広域地方自治体等に当たる府県の現在の状況を見ても、こういった地方自治の本旨という、意味がもう一つ明確ではない言葉というのは余りなじまないのではないかというふうに思っております。
 当然、団体自治あるいは住民自治、これを根幹にしているということは、自明の理として当初制定されたとは思いますけれども、であるならば、いま少し、地方分権的要素なりあるいは民主主義的要素を含めたこういった表現については、明確な表現にすべきではないか、こういうふうに思います。
 それとともに、先ほど申しましたように、地方分権をさらに進めていく上において、やはり、憲法上もこういった地方分権の規定というものをさらに明確に設けるべきではないかというふうに思っております。現行地方分権推進法あるいは地方自治法等の改正によりまして、それぞれの地方の自立性あるいは自主性というものは極めてハイレベルな形で規定はされているわけでありますが、憲法上、地方分権の理念というものを明確にしていく、さらには国と地方の役割、こういうことに関してもやはりいま一歩強化していくべきではないかというふうに思う次第でございます。
 さらに、国と地方の関係の観点から申し上げますと、共通の目的である国民、住民福祉の増進、これに向かって相互に協力する関係、こういう表現、こういったことが私は大事じゃないかというふうに思っている次第でございます。さらには、地方の税財政のあり方につきまして、国の責務として、地方自治体の健全な運営を支援して地方の自立性を高めていく、地方に負担を転嫁することを禁ずる、ここまでやはりうたうべきではないかというふうに思っております。
 そういう意味では、国と地方の役割分担に応じた地方税財源の確保を図る規定というものをやはり設けるべきではないかと思う次第であります。
 さらに、課税自主権の問題でありますけれども、地方自治法なり地方税法におきましては、この課税自主権という問題からいろいろと取り組みをしているわけでありますが、ここには「法律の定めるところによつて、」こういう表現を使っておりまして、これは、言いかえれば、地方の自由度あるいは自立性というものを一定制限をしている、こういうことにもなるわけであります。
 私は、現在の地方財政の実態からいっても、今後、この課税自主権を憲法上も明記をした上で地方の税財源の確保というものを図っていかなきゃならないわけでありますが、ある意味では、全国知事会等でも論議があったようでありますが、既に地方においては主要な税源はもう法定化されている、財源をこの課税自主権の活用で生み出すということは極めて困難であるというような論議もあったようでございまして、ある意味で否定的でもございます。
 しかしながら、これからの地方の自主性、自立性、そして国と地方の役割、そういう観点、そして受益と負担、こういう観点から考えても、それぞれ地域住民がみずからの責任において税目を決め、税率を決め、そして、住民と行政が向かい合って新たな福祉行政のさらなる増進に力を相互に発揮していく、こういう観点から課税自主権の保障というものはある意味で必要ではないかというふうに思っている次第でございます。
 さらには、現行の交付税制度につきましては、これからの地方自治体のあり方として、やはり一定の保障機能、調整機能、こういった意味では必要ではありますけれども、いま一歩進めて、財政調整制度というものを新たに設けてはどうか、こういうふうに思っている次第でございます。
 羅列的に申し上げましたけれども、今後の取り組みをよろしくお願いしたいと思います。
 以上でございます。
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中山太郎#9
○中山会長 次に、吉井英勝君。
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吉井英勝#10
○吉井委員 日本共産党の吉井英勝です。
 財政、地方自治について発言いたします。
 日本国憲法の財政条項を見ていく上では、憲法の国民主権、恒久平和主義、基本的人権の尊重という基本的原則に照らして見るということが大事だと思います。
 日本国憲法は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」と八十三条でうたい、財政国会中心主義の規定を置いています。具体的基本原則として、八十四条で収入の面における租税法律主義、八十五条で支出の面における国会議決主義、八十七条、八十八条で予備費や皇室費に対する国会の権能、九十条で決算の国会への提出、九十一条は財政状況の国会、国民への報告の義務、そしてさらに、財政処理の原則として宗教団体等への公金の支出を禁じ、国家の中立性を保つとともに、財政民主主義の見地から公費乱用の防止を図っているのが八十九条の規定であります。
 日本国憲法が八十三条の総則的規定を初め詳細な財政条項を定めたのは、これは、明治憲法下で財政に対する議会の関与が厳しく制限されるもとで、天皇制政府が起こした侵略戦争遂行のために国債を乱発し国の財政を破綻させたことへの反省があり、また、一二一五年のマグナカルタ以来の財政立憲主義、財政議会主義をさらに発展させた財政民主主義の思想を取り込んだものと言わなければならないと思います。
 こうした憲法の原則に照らして、日本の財政状況は今どうなっているか。まず、財政規律、財政健全化の問題について述べたいと思います。
 憲法に基づいて制定された財政法では、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」としています。公共事業費などに限って公債の発行等は認めるものの、国の歳出は租税等をもって財源とするという原則を定めています。
 ところが、歴代の政府はこの原則をないがしろにして、一九六五年に戦後初めて国債を発行し、均衡財政システムの一端を崩してきました。七五年度からは、公債発行特例法を制定して特例公債、赤字国債を発行し、バブルの一時期を除いてそれが常態化しています。その結果、国の長期債務残高は五百兆円を超え、国と地方を合わせた債務残高は対GDP比で一六一%と、先進主要国の中でトップという事態になってしまいました。
 自民党などの一部から、国の財政を悪化させた原因が、憲法に財政健全化の規定がないからだとする主張がありますが、これは、みずからが所属する政党の政権がこれまで行ってきた行為を省みない主張であり、これは無責任だと言わなければならないと思います。
 次に、税金の集め方の問題について述べたいと思います。
 憲法の租税法律主義に基づいて、戦後の日本は、直接税中心主義、生計費非課税と、負担能力に応じた累進課税、申告納税制度という原則は一応確立してきました。これらの原則は、経済所得格差の縮小、緩和を図り、所得再配分機能を果たすものでありました。
 ところが、この点でも歴代政府はこの原則を踏みにじって、累進性の緩和、消費税の導入などによって所得再配分機能を著しく低下させ、富める者はますます富み、貧しい者からも厳しく取り立てる制度へと変えられてきました。定率減税の縮小、廃止、消費税の税率アップは、さらに税制における貧富の格差を大きくするもので、許されないものであります。
 次に、会計検査院について述べたいと思います。
 憲法第九十条二項に基づいて会計検査院が設置されていますが、これがふさわしく機能してきたのかどうか。特に、最近では警察の裏金づくりの問題が国民の大きな批判の的になっていますが、会計検査院は戦後一度も警察の不正経理について告発したことがありません。機密費の検査も含め、会計検査院が憲法の規定にふさわしくその役割を果たすように、体制と機能を強化していくということが今重要な課題になっていると思います。
 財政問題の最後に、私学助成の問題について触れたいと思いますが、本調査会でも一部の委員から、私学助成は憲法第八十九条に違反するとの主張がなされておりましたが、私学助成は憲法上も是認され、かつ確立しているというのが政府の一貫した見解でありました。このもとで私学振興助成法が制定され、厳に運用されています。教育を受ける権利を定めている憲法二十六条の立場からも、私学助成というのは憲法上当然の措置であるというふうに考えるものであります。
 次に、地方自治についても述べたいと思います。
 日本国憲法は第八章に地方自治を規定していますが、これを見るときも、憲法の基本原則を踏まえることが重要です。憲法の地方自治の原則は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と、九十二条で総則的規定を置いています。この地方自治の本旨の内容というのは、団体自治と住民自治であります。住民自治の上に立つ団体自治、これが大事なところであります。
 以下、住民自治の具体化として、議会の設置、地方公共団体の長、議会の議員等についての住民の直接選挙制を九十三条で定めており、団体自治の具体化として地方公共団体の行政的機能と立法的機能を定め、これは九十四条、さらに九十五条で、住民自治の保障として、地方自治特別法に関する住民投票を定めております。
 明治憲法のもとでは、知事が官選であったことを初め、地方公共団体に自治が認められていなかったもとで、天皇制政府が起こした侵略戦争に国民を駆り立てていく道具とされてしまったという経過があります。日本国憲法の地方自治の原則というのは、こうした戦前の反省と、地方自治は民主主義の源泉であり民主主義の学校であるというブライスの言葉に象徴される地方自治の原理を取り込んでいったものであります。
 こうした憲法の地方自治の原則に照らして、日本の地方自治の現状は今どうなっているか。地方分権改革、三位一体改革は叫ばれておりますが、分権にはほど遠く、逆に、国の地方に対する統制が強まっているというのが現状ではないでしょうか。
 九九年に制定された地方分権一括法は、それまでの機関委任事務は廃止したんですが、その四割強が法定受託事務として残りました。しかも、それまで憲法の規定から権力的関与は認められてこなかった自治事務に対しても、法的義務を負う是正の要求を明示し、それを出すのも、内閣総理大臣一人からすべての大臣に拡大しました。また、個別法で代執行できる旨の規定が初めて地方自治法に盛り込まれてきました。
 昨年五月の統治機構小委員会で辻山幸宣参考人からも、一括法施行五年が経過しても、国の行政統制は表紙を取りかえただけとの指摘があったところであります。これは、団体自治をないがしろにするものだと言わなければなりません。
 また、地方分権の名で米軍用地特措法の改悪を盛り込み、地方自治体、住民をアメリカの戦争に動員する仕掛けをつくったことも、団体自治への侵害であり、憲法の平和原則に背くものであるということを言わなければなりません。
 地方議員の定数削減は、憲法九十三条が保障する住民自治を切り縮めるものであります。
 また、市町村合併が今強制的に進められておりますが、これについては、辻山参考人からも、地方自治体が住民自治の拡充の努力を呼びかけてもいわば地上げ状態で、そのことに大変憤りを感じているとの指摘がありました。合併した地方自治体では、負担はより高い自治体にならされ、住民サービスはより低い自治体にならされているということが起こって、住民生活を圧迫しているのが実態です。実際、合併によって、例えば乳幼児医療は就学前まで無料制度をしいていた自治体が、合併によって三歳以下までに引き下げられたという例などを見ることができます。
 市町村合併の先に道州制を導入すべきという議論がありますが、日本経団連を初めとした経済団体は、そろって将来の道州制の導入を提言しています。
 ことし一月に発表された日本経団連の「わが国の基本問題を考える」では、これからの中央政府は、外交、安全保障など、国全体としての整合的、一体的に取り組むべき課題に集中して政策資源を投入すべきとし、国民生活や企業活動に密着したインフラ整備や住民サービスについては地方の所管とすべきとして、官と民の役割分担という言い方で、地方レベルでの行政サービスの整理削減や効率化をうたっています。これは、国の役割を国防や外交などに特定し、国が対外政策上の国益に専念できるようにする、それ以外を道州自治体の役割としていくというものであります。
 今日、財界が進めようとしている新自由主義的改革の受け皿として道州制を位置づけているものでありますが、しかし、地方自治の本旨が住民自治を含み徹底した民意による政治を求めていることからすれば、道州制はそれに反する方向への変革にほかならないと指摘があるように、道州制の導入は、憲法が定める地方自治の原則にも地方自治の発展の歴史にも逆行するものと言わなければなりません。
 以上で、私の発言を終わります。
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中山太郎#11
○中山会長 次に、土井たか子君。
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土井たか子#12
○土井委員 社民党の土井たか子でございます。
 私は、財政問題について、そして私学への国庫助成の問題について、さらに道州制について、多くをきょうは問題にすることができませんが、そのある視点からこの問題について述べさせていただきます。
 内閣は予算の作成権を持っております。そしてまた、内閣が作成した予算について最終的な決定権は国会にございます。このことは、憲法の八十六条という条文の中で明らかに定められているところでございます。財政民主主義の一環だというふうにこれを理解しなければならないと思います。
 また、会計年度独立の原則、予算の単年度主義ですね、会計統一の原則、総計予算主義の原則、予算事前議決の原則ということも勢い論じられて今日に及んでいるわけですけれども、まず予算の単年度主義については、完成までに数年もかかるというような大きな事業が行われる場合には、やはり、厳格に単年度主義を守ろうということになると、予算を執行する立場からどうも不都合だというようなことが大いに論じられて例外規定が出てまいった中に、いわゆる継続費制度、それから国庫債務負担行為制度等々がございます。きょう私は、ここでは継続費制度について申し上げたいと思っているんです。
 財政法の十四条の二にこのことが定められているわけですが、完成に年度を要する事業にこれは充てられるわけですね。実は、旧憲法、大日本帝国憲法の場合には、憲法の六十八条でこの継続費問題が定められていたんですけれども、現行憲法にはこの規定がございません。制定当初の財政法にもこれは定められておりません。そこで政府は、ダムやトンネル工事などの大型公共事業を持ち出しまして、一九五二年、財政法を改正して継続費制度が設けられたわけです。しかしそのときに、憲法上疑義があるというので、随分これ論議になっております。
 議事録をたどってみますと、この問題に対しての討議の焦点というのは、大きく言って二つあったように思います。
 一つは、旧憲法に規定があって新憲法にこの規定がないということは、この日本国憲法が継続費制度を認めないという立場に立った取り扱いではないか、したがって、継続費というのを問題にするというのは憲法の趣旨に反するという論点が一つなんですね。
 そしてあと一つは、複数会計年度を前提にしている継続費というのは、先ほど申し上げました日本国憲法の八六条の単年度原則ということを鮮明にしている規定に対して反するんじゃないか、この疑義が出まして、憲法上大きな問題になったんです。
 この背景には、継続費制度を認めるということが財政規律の維持や健全化を損なうのではないかという意見であるとか、かつてのように、大日本帝国憲法当時、戦費のためにこれが使用された、わけても軍艦建造に大変にこれが活用された、そして、戦争遂行のための財源づくりということになったという経緯があると。現に、財政法五条の公債の日銀引き受け禁止という条項も、こういう過去のいろいろな反省の上に立ってなされた趣旨がその条文の中には生きているということが問題視されております。
 実際、大日本帝国憲法の六十八条は明文で継続費を認めておりましたけれども、事実、これが戦費に乱用されまして、議会の審議権というのが非常に弱められる結果になっていったという経緯がございます。このことなどを取り上げて随分その当時論陣を張られていたのが、木村禧八郎さんなんかを初めといたしまして、そして政府側は、大蔵大臣が池田勇人さんであり、後に、総理大臣としても、予算委員会の席ではこのことがよく論議の対象になったといういきさつがございます。
 ところが、その後、導入の理由とされた公共事業については、景気に左右されるということで継続費は余り活用されておりません。しかし、現在継続費が組まれている事業を見ますと、防衛庁のイージス艦や潜水艦の建造ということにこの経費の総額と年割額というのが決められているわけでして、軍艦建造に乱用されたという過去のその経緯にかんがみて、非常にこのことに対して危惧を持っておられた木村さんのやはり質問を通じての御発言というのが、何だか当たっているというふうにもこれは考えなきゃならないなと、私は読んでいてつくづく思うんです。
 そもそも憲法というのは、主権者国民による権力者への授権を決めているわけなんですから、制度として旧憲法にあった継続費がわざわざ削除されたということからいたしますと、憲法から考えて、これは、主権者国民は権力者に対して授権を行っていないじゃないかということを、やはりこの問題に対しても認識することが非常に大事なのではないかと思うんです。
 予算の単年度主義について会計年度を一年とすることを前提としたのが、憲法、財政法の決めております財政システムなんですから、そういうことからすると、単年度予算についても、予算の透明性というのが十分確保されていなければならない。現実はそうではないというところが実は問題だと思うんです。多年度予算になればさらに透明性が確保されにくいというふうな問題もこれは生じます。
 したがって、単年度が問題だ、したがって継続主義ということを考えてもいいのではないか、継続費制度というのを考えてもいいのではないかと言われる問題は、実はその行い方にあるのであって、中身からすると、継続費制度というのは、そういう経緯があるということについてやはり苦い経験を忘れてはならないとまず思うんですね。
 しかし、ここで申し上げたいんです。そもそも憲法と財政について論議する以前の問題として、十分に、国会に対する予算、財政の透明化が図られて、国会がコントロール可能な状況に置かれているかどうかという問題です。議決のあり方をどのようにするのかといったことも、これは大事な観点だと私は思うんですね。
 例えば、ここに私は平成十七年度特別会計予算の表紙の次の部分をコピーして持ってまいりましたけれども、一会計、そして三十一特別会計、九つの機関の会計、これを審議して、予算委員会では、みんなこれは毎年そうなんですからよく覚えておりますけれども、三案一括して議題として採決するというやり方をとっているんですね。現にここには三十一特別会計というのがずらずらずらっと並んでいるわけですから、これは一つ一つをきちっと審議する必要があるんじゃないでしょうか。
 「国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」について、単に国会は質問するだけに終わっちゃっている。しかも、国権の最高機関としての国会による修正という例がほとんど今までにはないということも顧みますと、この中身に対して審議のあり方というのが、三案一括審議、採決というのは、おかしなやり方だというふうに思います。
 したがって、いずれにせよ、国民の血税をどう使われるかということを、為政者の立場からすると、国民の代表者として国会が決めるというところにこの議会制民主主義のあり方というのを生かそうということになっているわけですから、それに対してやはりこたえた審議でなければならぬと思うんですよね。
 まず隗より始めよということをそこで私は申し上げたいのは、当憲法調査会におきましていよいよ最終報告書をつくらなければならないということが近づいておりますけれども、これに対して既に予算が組まれております。議運の方で問題にされたという経緯もございますが、ここでの庶務小委員会を通じて具体的に出されている額もございます。しかし、中身をどのように、予算に対してこの報告書を作成することに使うかというのは、この調査会がやはり問題にして、ある意味における審議をして決めるということが必要なんじゃないんでしょうか。
 隗より始めよという言葉もございますから、この最終報告書作成の予算についてぜひともお取り上げいただいて、その問題に対して私たちも意見を申し述べる機会がつくられますように、会長に特にそのことを希望したいというふうに思います。
 あと、私学助成の問題や、それからさらには道州制の事柄について、もう時間が来ましたから、後の五分間の自由討論のときを使わせていただくことにいたしまして、ひとまず終えたいと思います。
 ありがとうございました。
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中山太郎#13
○中山会長 土井委員の御提言は、後刻、幹事会において協議をさせていただきます。
 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
    —————————————
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中山太郎#14
○中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと思います。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
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大村秀章#15
○大村委員 自由民主党の大村秀章でございます。
 それでは、まず、財政の点につきまして発言をさせていただきたいと存じます。
 この財政の点は、今、各委員の先生方からの御意見も拝聴いたしました。その中で私は、この財政のいろいろな制度、こうしたものにつきまして、例えば複数年度にまたがる財政計画でありますとか、また、いろいろな財政情報の開示またはバランスシートの作成、こうしたことは大変重要なことだと思いますが、これはやはり、国会にゆだねて法律で対応すれば十分ではないかというふうに思います。
 ただ、これから、現在の国の財政状況を考えますと、また、国、地方を合わせて七百兆円を超える大きな借金、そうしたものを考えると、この憲法を今後改正する機会に、やはりプログラム規定としても、財政の健全性を回復してそして維持していくということを国家としての大目標に掲げていくということから、やはりこの健全財政主義をプログラム規定として書き込むべきだ、こういうふうに思います。その点をまず第一点で申し上げたいというふうに思っております。
 それから次に、地方自治につきまして申し上げたいというふうに思っております。
 地方自治につきまして、これも、基本的には国会の裁量、法律にゆだねられているというふうに思うわけでありますが、その際、地方自治の本旨という言葉、これだけでも、もちろん本旨は本旨でありますから、これまでのいろいろな学説、判例の積み重ねで、大方といいますか、方向性はもう決まっているということかもしれませんけれども、改めて、やはり地方分権を、この国の形を、やはり身近な仕事は身近な行政体である地方自治体でしっかりやっていくんだということを、方向性を示していく上でも、地方自治の本旨というところの具体的な内容といいますか、方向性、考え方をこの憲法に書き込んでいく必要があるのではないか。それは、身近な仕事は身近な自治体でやっていく、そのために必要な組織、権限、財源、そういったものは確保されてしかるべきだということをやはり明定していく必要があるというふうに思っております。
 その点をした上で、あと具体的な、私は道州制も賛成でありますし、また、市町村の形態にしても、地方自治法で一律的に日本全国三千の自治体をこうなきゃいけないということにするのはややこれは行き過ぎだと思いますので、例えば、自治体によってはもっともっと簡素な形態を選択できる、そういった道もあっていいと思います。
 また、そういう自治体の中でも、いろいろな行政委員会、例えば教育委員会とかそういったものも全部必置でやっておるわけでありますが、例えば、この憲法の議論とはちょっと外れるかもしれませんが、教育委員会というやり方をずっと戦後五十年、六十年やってきた。もう明らかに失敗したところも幾つかある、全部とは言いませんけれども。
 日本の教育行政の中で教育委員会が本当にまだ要るのか、何で選挙で選ばれた首長さんがその地域の子供たちの教育に責任が持てないのか、市長さんが何で小学校、中学校の先生の人事権もないんだ、何で県の教育委員会がそんなものを偉そうに持っておるんだというようなことを、地元からもそういう怨嗟の声をいっぱい私も聞くわけでございます。そういう意味で、そういったところはもう教育委員会なんかやめちゃっていいんじゃないか。何か知らないけれども、管理教育の、誤った文教行政の何か下げ渡し機関を、何でこんなものを維持しなきゃいかぬのかなというような感じもしておるものですから。それは別のところで追及をしたいと思いますけれども。
 いずれにしても、地方の行政機関及び議会も含めて、もっと弾力的な組織形態ができるようなそんなことも、これは、憲法ではなくて、やはり立法の範囲だと思いますが、そういったことも議論をしていきたいというふうに思っております。
 以上です。
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枝野幸男#16
○枝野委員 民主党・無所属クラブの枝野でございます。
 私は、私学助成等に関して、憲法八十九条の話をさせていただきたいと思います。
 私は、あの八十九条の文言をどう読んでも、現行の私学助成は違憲としか読めないと思っております。私が不思議でありますのは、憲法の文言を狭く厳格に解釈する立場から憲法九条で自衛隊が違憲という主張をされるのであれば、より一層、八十九条と私学助成の関係は違憲だという主張にならないと、どう考えても筋は通らないと思います。
 また、逆に、どちらも緩やかに文言を解釈してということであるならば、つまり、自衛隊も私学助成も合憲だということならば一定の合理性はあるかと思いますが、この場合にも、とはいっても、自衛隊を九条で明確に位置づけるべきだという主張をされるのであるならば、それ以上に、文言からわかりにくい八十九条の改正の方がより優先順位が高くならないとおかしいのではないか、そういうふうに思っております。
 ちなみに私は、自衛隊は芦田修正などもありまして合憲だと思いますが、私学助成は違憲だというふうに思います。公の支配に属する私学という言葉自体が、そもそも日本語として矛盾をしているというふうに思っております。しかも、この趣旨からすれば、私学であるとか社会福祉事業等が政治や行政からある程度距離を置く必要があるのではないかという趣旨だとよく言われておりますが、まさにそうなっていない弊害が出ているのではないだろうか。
 もちろん、私学助成を受けている私学にも立派な私学はありますけれども、よく見られるのは、そうした現行の学校教育法などの支配に置かれていない、例えば予備校であるとか、それこそまさに私塾的なところが実は非常にいいレベルの教育をしている。そういったところがむしろ、経済的、財政的な側面で私学助成を受けているところとの差別を受けてしまっている、あるいは、現状のNPOなどと、それから、八十九条に反した助成等を受けているいろいろな事業との格差などが出てきてしまっているというような意味で、本来、この八十九条が意図した趣旨に反する現象が私はむしろ出てきているというふうに思っております。
 私は、八十九条の趣旨をしっかりと徹底して、税金を使って行う事業は公がしっかりと管理する、それ以外、民間でできるところはまさに民間でやって、せいぜいやるとすれば、税制上の措置などによって処遇をする、優遇をするというようなやり方で、民間は民間で、公の支配を受けずに、公からコントロールを受けずに自由に行うという役割分担を明確にすべきだというふうに考えます。
 こうした意見に対しては、憲法の二十六条との兼ね合いを主張される方がおられますが、私はここは簡単な話だと思っておりまして、私学に助成をすることは憲法八十九条で禁止をされている、私立学校に通っている子供あるいはその保護者に対して助成を行えばいい。
 つまり、公立学校の生徒児童あるいは学生一人当たりに支出をしている公金の平均値、あるいはその最低値の幅の間のどこかだと思います、それは法律上の立法の裁量があるかと思いますが。その範囲の一人当たりの、つまり公金支出額をきちっと子供に教育をさせている保護者に対して直接支払って、その金をどこの学校に払うかというのはまさに保護者の判断、それは学校教育法上の教育機関であろうがなかろうが、きちっと子供に保護者としての責任に基づいて教育を与えている、あるいは、高等教育であれば自分の責任、判断で教育を受けている、そういう人にお支払いをして、その人が直接学校等に授業料という形で支払えば、しっかりとした、レベルの高い教育サービスとしてすぐれたサービスを提供している私学には従来と同じように財政的には裏づけがつけられるし、しかし、子供たちあるいは保護者から評価を受けない私学は淘汰されていくという私学本来の姿に戻っていくというふうに思っております。
 この八十九条、私学助成の問題、憲法の、自衛隊と九条以上に、少なくとも一般の人が読む文言と実態がずれている。もしこの規定の私学助成を現行どおり続けるべきという主張に立つのであれば、まずこの条文を変えるというところから入らないとおかしいということを強く申し上げておきたいというふうに思います。
 以上です。
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葉梨康弘#17
○葉梨委員 自民党の葉梨康弘です。
 財政について、財政均衡の問題、予算案否決等の非常事態における措置等の論点がありますけれども、憲法八十九条と私学助成の問題について申し上げます。
 私は、そもそもこのような論点が問題となること自体、現行憲法のできの悪さだと考えています。この条項は、GHQ原案では、ノット・アンダー・ザ・コントロール・オブ・ステートの教育機関への助成を禁止していますけれども、このコントロールを支配と訳すのは余り一般的ではありません。この英文を素直に訳せば、私の理解では、公的監督のもとにない教育ということになって、公的に設立認可を受けている私学には公的助成ができるという趣旨になります。そして、この条項は、例えば、明らかなカルト宗教の教育施設あるいは朝鮮学校などの公的監督下にない教育機関への助成を排除するものと考えられます。ところが、この議論の発端は、このGHQ原案を仮訳して閣僚に配付するとき、このコントロールを監督でなく支配と訳してしまい、これが余り議論されることなく成案になってしまったことにあるように思われます。
 このように、戦後六十年も経過して、翻訳調云々の文体の議論はおくとしても、我が国の最高法規の中で用語の正確性にかかわる和訳の稚拙さを引きずることが本当にいいことかどうか、もっと明確にすべきじゃないかというようなことを申し上げたいと思います。
 次に、地方自治について。
 地方自治は、現行憲法について新たに設けられた章で、私は、現行憲法が、地方自治の原則を打ち出して、今、地方にできることは地方にという改革を行い得るまで地方の地力をはぐくんできたことを高く評価します。ただ、基礎的自治体、地方公共団体である市町村において首長の直接選挙が行われ、一定の直接民主制的な制度がとられることは、世界の民主主義国家に共通する原理で、発展させることが必要と考えます。しかし、この考え方が道州制に適用できるかどうか、およそすべての地方公共団体の首長を直接選挙によるとしている現行憲法で本当によいのかどうか、慎重な配慮が必要です。
 現在、おぼろげながら多くの国民が、将来の趨勢として道州制の導入を歓迎しているように思いますし、私もそういう方向は大切だと思います。しかし、その具体的な姿は必ずしも見えてきません。我が国を例えば十程度の道州に分けるとすると、その規模からしても権限からしても、連邦制に近くなります。連邦制とまでいかなくても、州は多くの権限を有し、自治州的な性格が強くなります。となると、確かに中央集権の性格は薄まりますけれども、今度は国家の分裂の危機を考えなければなりません。
 ちなみに米国は、確かに州知事を直接選挙で選んでいますけれども、強大な権力を持つ大統領もまた直接選挙で選ばれます。ところが、連邦国家であり、かつ中央政府が議院内閣制をとるドイツ、オーストリア、オーストラリア、カナダ、マレーシアなどは、州政府は、州議会により負託される一種の議院内閣制をとっています。連合王国であり議院内閣制をとるイギリスも、スコットランド、北アイルランドなどは議院内閣制をとっています。最近、州の権限を拡大して中央政府を議院内閣制としているスペイン、イタリアでは、スペインの自治州はやはり一種の議院内閣制をとっています。イタリアについては、二十州に分けて州知事を直接選挙としていますけれども、特に最近では、北イタリアの知事の間から国家の分離主義の動きも出ているということも聞いています。
 このように、市町村単位の基礎的自治体とは別に連邦的な道州制の導入を考える場合には、その政治体制について、少なくとも諸外国では、中央政府の政治体制との均衡に極めて配慮しています。ですから議院内閣制的な政体を導入している国が多いということになります。これも一種の歴史の知恵だと思います。私は、地方自治あるいは地方の多様な発展は大いに結構だと考えます。発展させなければなりません。
 ただ、今回の三位一体の改革の議論の中でも、たった四十七の都道府県知事の権限の強大化が言われています。我々は、評論家ではなく政治家です。国家百年の計を考えた場合、思いつきで道州制を論じるんじゃなくて、国を十程度の領域に分けて大統領的な首長を置き、例えば、それぞれが治安維持、災害対策のための州兵的な組織を持つことの国としての危険性に改めて思いをはせるべきではないか。そういうことから、道州制についても今後議論を深めていく必要があるんじゃないかと考えております。
 以上でございます。
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桝屋敬悟#18
○桝屋委員 公明党の桝屋敬悟でございます。
 私は、地方自治、第八章について意見を申し上げたいと思います。三位一体の改革がただいま進められておりまして、その作業で大変苦労している立場から発言をしたいと思っております。
 私は、先ほど、我が党の山名委員から発言がありましたように、地方分権一括法ができまして、そして今回、ただいま三位一体の改革を進めている、こういう状況からいたしまして、大変混乱をしながら、苦労しながら進めているわけでありますので、その地方分権一括法のまさに出口部分としては、今議論しております憲法の改正ということで、この第八章「地方自治」、とりわけ九十二条の地方自治の本旨ということについて、私は、出口の形として改正があってしかるべきだ、このように考えております。それを目指さなければならないという立場でいるわけであります。
 先ほどから出ておりますように、地方自治の本旨というのは、本旨は本旨で象徴天皇と同じような相当の深い意味があるという話はありましたが、今日までの議論の中で相当整理されておりますし、ここを整理することについて合意は得られるというふうに私は思っております。
 その際に、とりわけやはり、先ほどお話がありましたように、国と地方の関係ももちろんこの中で整理される必要があると思っておりますし、地方分権一括法や、そして地方自治法の中に言われております国と地方の関係でのさまざまな配慮規定、配慮規定で実はとまっているわけでありますが、こうした部分についてはやはり地方自治の本旨という中で整理をしなければならない、このように思っております。これをしない限り、これからの分権型社会は前に進めることはできない、そこまで我が国は来ているのではないか、こう私は思っております。
 とりわけ、この四条の中で地方の税財政に関する基本原則は全くないわけでありまして、何人かの方が言われておりますように、ここもやはり新たに規定をしなければならぬ、こう思っているわけであります。
 道州制についてでありますが、結論から言いますと、私は、道州制については、憲法改正の中で地方団体の二層構造ということを、基礎的自治体とそして広域自治体、この二つの自治体を規定できるものであれば、あるいは規定できなければ道州制はできない、憲法の中で明確に整理をしなければならない、このように考えております。
 今、葉梨委員からいろいろ御意見もありましたけれども、私も、立法権や司法権まで与えるような道州制は賛成ではありませんけれども、しかし、基礎的自治体と広域自治体、これを憲法上規定していくということは時代の要請であろう、このように考えております。
 いずれにしても、そこも含めて憲法で、この第八章の中で、第八章ができたということはすばらしいことでありますが、この八章を発展させる意味で整理ができなければならない、このように思っておりまして、今回の議論にぜひとも期待をしたい、こういう立場でございます。
 以上でございます。
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船田元#19
○船田委員 自民党の船田元でございます。
 まず、財政健全化あるいは財政規律の問題でございますが、現在のこの国家財政の状況を考えますと、憲法は、やはり財政の健全性ということについてきちんと規定をしなければいけないと思っております。
 ただ、これにつきましては、例えば単年度ごとのプライマリーバランスを保てとか、そういう義務規定ということは、やはりその時々の財政出動あるいは景気対策というものができないということにもなりかねません。そこはある程度柔軟であるべきでありますが、中長期的に見て、財政の健全化を図ることは極めて大事でございます。したがって、これをプログラム規定として、政府、場合によっては国民の責務として書き加えるべきであるというふうに思っております。
 また、予算の単年度主義がどうか、こういう話も出ておりますが、私は、これについてはやや抑制的だと思っております。やはり、この予算単年度主義というものが財政の規律を辛うじて保っている、これが崩れるとますます健全化から離れる方向に行ってしまうというふうに考えます。
 しかしながら、全く厳格な単年度主義ということでは、年度末の予算の消化のことであるとか、あるいは、その予算が本当に効率的に使われたかどうかということのその検証ができません。したがって、限定的に緩和していくということが必要であると思っております。
 それは例えば、国庫債務負担行為などの財政的な裏打ちのある場合、あるいは五カ年計画などが国会において認められた場合、それを一年ごとに計上していく、このような場合には予算単年度主義を一部緩和するということは有益であるというふうに思っております。
 それから、地方自治の方に話が行きますけれども、地方自治の本旨、先ほど来多くの議員からも指摘をされております。一方では、憲法は住民自治というものを明確に規定をし、同時に、地方公共団体による団体自治も認めるということでございまして、私は、この地方自治の本旨というのは両方存在をする、両方の意味があると思っております。
 ただ、昨今の世論あるいは地方自治をめぐるさまざまな情勢を考えますと、住民自治の方にややバランスが移りつつあるのかなと考えておりますが、団体自治の重要性も、やはりきちんと憲法の中で把握しておく必要があると思っています。
 特に、住民投票の扱いということでいろいろ議論が出ております。確かに、住民投票は即時性があり、また、テーマごとに住民の意思を知るという点では非常に大きな効用があると思っております。しかしながら、この住民投票制度が頻繁に行われる、あるいはいろいろなテーマで何でもできる、こういう状態が常套化しますと、やはり住民自治の要素が強くなり過ぎるというふうに思います。
 それから、住民投票の結果と議会における意思が異なった場合、それは、従来から知事や市町村長がそれを調整するということで何とか乗り切ってきたわけでありますが、この問題につきましても今後さまざまな議論がなされるかと思っております。
 私が言えることは、この住民投票というものを万能のものとして考え、そして議会の意思を無視するということになりますと、首長による議会の否定ということにつながりかねません。要はバランスが大事だ、このように考えております。そういったことも含めた地方自治の本旨ということを憲法上明確にする必要はあると思っております。
 以上でございます。
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中川正春#20
○中川(正)委員 民主党の中川正春です。
 まず、八十九条の問題でありますが、大まかな点、多くの点について枝野幹事のお話と私も同調するわけでありますが、その中で、特に「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」というその具体的な中身ということになると、今、いわゆる公益法人の改革論議が進んでおりますが、これをどのように位置づけるかということにも密接に絡んでくるんだろうというふうに思うんです。
 恐らく、私は、八十九条を想定したときの社会観というか世界観といいますか、そういうものは、この公益法人でなされるパブリックサービスを、補助金といういわゆる国に一たん通したお金を国の意思によって、権力の意思によってその公的サービスの質を順位づけながら資金を配分する、そういうシステムではなくて、国民の中から出てくる価値観に基づいた寄附金とかあるいは会費とかいうものが、いわゆる国に対する税と、それからこうしたものと選択的に拠出ができて、国民の意思に基づいた、それぞれの個人の意思に基づいた形で公益法人が運営をされていく形態、これを想定した世界観の中でできているものではないかというふうに思うんです。その実態が日本の今の法制度の中でもあるいは我々の頭の中でも整理ができていないということが問題ではないかというふうに思います。
 そういう意味で、私学も含めて、先ほどの議論の整理が必要なんだろうというふうに思っております。
 それから、もう一つは分権の話なんですが、分権というのは、いわゆる権力をどう分権していくか、権力の行使だと思うんです。それを類型化していくと三つほどになるんじゃないかと私は思っております。
 一つは、いわゆる法律というものを媒体にして社会の規範を制定していく、この機能というのが一つあるんだろうというふうに思います。二番目には、具体的な、それを実行していく中で許認可権というのをどこに付与していくかという議論があります。これは事務事業と言われるものだと思うんです。三番目に、公的サービスを供給していく機能。これは、課税権と予算権というのを組み合わせてこの公的サービスを供給していくということであります。
 今進んでいる分権議論というのは、実はこの二番目と三番目、許認可権とそれから公的サービスの供給機能をどのように国と地方が分担していくかという議論は、やっと今、本当に第一歩でありますが、進んできたんだろうと思うんですが、一番大事な規範制定機能、法律をどう組み立てていくかという機能について、これは全く整理ができていない、あるいはこの議論が進んでいないということに一つの混乱の基本があるんじゃないかというふうに思っております。
 そうした意味で、もっと具体的に言えば、法律の枠組みの中で、例えば公害という問題についての規範を決めなきゃいけない、あるいは道路交通法なんかのルールを決めていかなきゃいけない、こういうものをつくるんですが、その中身というのは政令、省令で具体的に国が全部一括してコントロールしているわけですね。この政令、省令の部分をいかに条例化していくかということ、この議論をもう一つすることによって、日本の場合、具体的にどこまでパワーの配分、権力の配分というのが地方へ向いてなされるのかというのがもっとはっきりしてくるんじゃないかなというふうに思っております。
 続きは、また後ほど、五分ほどいただいてさせていただきたいというふうに思います。
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鹿
鹿野道彦#21
○鹿野委員 財政でありますけれども、財政は、言うまでもなくそのときの経済あるいは国際情勢で動いていく、こういうふうなことになるわけでありますけれども、今日の我が国のこの財政状況からするならば、財政健全主義の基本的な考え方を憲法上規定した方がいいのではないか、こういう考えであります。
 本来、国会が予算の出も入りも決めるわけであります。しっかりとチェックしなきゃならないわけでありますけれども、実態は、今日のような状況からするならば、今、財政法にいわゆる健全財政への考え方は書いてありますけれども、この際は、これだけ膨大な借金を残しておる、こういう実態を考えたときには、健全なる、規律ある国の運営のあり方くらいは精神論としても憲法上規定した方がいい、こういうふうな考え方に立ちます。
 それから、もう一点大事なことは、財政情報の重要性ということであります。非常に、この財政に関しての情報は複雑でわかりにくい。特に、特別会計とか財投とかということになってくると、本当に、わからないというよりは、むしろわかりにくくしているのではないか、こんなふうに思わざるを得ないくらいのいわゆる今日の状況であります。ましてや、隠れ借金なんという言葉があることそのものが問題だ。
 このことを考えたときに、憲法の九十一条に対して、国会、国民に対して報告義務ということになっているわけでありますけれども、国民に対しての報告義務ということも含まれるということからするならば、少なくとももっとわかりやすい仕組み、すなわち、実質化されていないようなことでは本来の報告ということにならないわけでありますから、情報提供というものは具体的にもっとわかりやすくする、そういう言葉、文言を明記して、そして、国民の人たちが今日の状況というものに痛みをもっと感ずるようにし、国民みずからが判断できるようにしていくというふうなことが大事なことではないか、こういうふうに考えます。
 会計検査院については、言うまでもなく、これは国会、内閣からも独立をした第四の権限、こんなふうにも言われておるわけでありますけれども、実質的に、そのようなことを考えたときに、いわゆる人事権も予算の査定も独立をしていかなきゃならない、切り離された状況でなきゃならない、こう思います。
 そのときに、憲法の九十条、内閣を経由して報告が国会に出される、こういうふうな規定でありますけれども、この検査の結果というふうなものは、内閣を経由ということでなしに、国会にダイレクトに出される、すなわち、国会とリンクの状況をつくるというふうなことがこの会計検査院のあり方ではないか、こういうふうに考えます。
 それから、地方自治のことでありますけれども、九十二条。これはもういろいろ今日までも議論がありましたけれども、この九十二条のいわゆる地方自治の本旨というものはいかにもあいまいであります。
 ですから、例えば、そのときそのときの都合で中央のやり方は変わってくる。中央と地方は、政府と地方政府は対等ですよ、こういうふうに言いながらも、昨年のあの予算編成時においても、地方交付税をいわゆる地方公共団体に何の相談もなしにカットするなんというふうなことは、全くこれはもう対等でないわけでありますから、このようなあいまいな地方自治の本旨というふうなことでは、本来の地方分権、いわゆる分権の形をつくることができない、そういう意味では、国と地方の役割を明確に規定した方がいい、こういうふうな考え方であります。
 連邦国家でないイタリアとかスペインにおいても、あるいはそれぞれの連邦国家も、当然のことながら、憲法問題について視察調査をした段階でも、ほとんどの国々が国と地方の役割を明確にしておるというふうなことからいたしまして、これは基本的に、地域が、国民みずからが自分たちで判断する、自分たちで自立をする、そういうふうないわゆる民主主義の根幹にかかわる問題でありまして、国と地方の役割を明確にするというふうなことがまさしく民主化につながっていくということからするならば、この九十二条を改めていく必要があるもの、このように考えます。
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鈴木克昌#22
○鈴木(克)委員 民主党の鈴木克昌でございます。
 私も、地方自治のあり方、特に地方分権の必要性ということ、みずからの体験を含めてぜひ発言をさせていただきたいというふうに思うわけであります。
 戦後、我が国は、官僚主導の体制で来たことは事実であると思います。ある一定時期まではそれが功をなしたということかもしれませんけれども、これからの国のありようを考えていったときには、やはり官僚主導の政治体制を改める必要は絶対にある、このように思っております。もう少し国民の近いところで政治が行われていくような形に変えていく必要がある。
 そこで、従来の中央集権体制というのが、やはり中央に期待する依存心というのを国民の中に根づかせてきてしまった、そして、地域の自立性とか自己責任というのを失わせてきたのではないのかな、このように思っております。したがって、地方分権をこの際やはりきちっと推進するような形に持っていくべきだ、このように思っております。
 具体的には、例えば地方の立場で申し上げるならば、事務権限がどこまであるのかとか、財源をどこまで地方に任せてもらえるのかとか、それから、事務をやっていく上において国がどこまで規制というか統制を及ぼしてくるのかとか、地方公務員の人事はどこまで与えられておるのかというようなところが非常にあいまいでありまして、その辺が、私は地方のやはり率直な悩みになってきておるのではないのかなというふうに思っております。
 もう一つ、道州制の問題にも入っていくわけでありますけれども、私は、行政改革を今大胆に進めていかなきゃいけないという状況の中で、やはり道州制というのは非常に大きな選択権だというふうに思っておりまして、先ほど、道州制の権限だとか首長の選出方法とか、考えなきゃならないことは確かにあるわけでありますけれども、私はやはり、先ほど申し上げたように、大胆な行政改革を行っていく上においての道州制の導入というのは避けて通れないというふうに思っております。現実に、例えば富山県ではもう十五の市町村になっておるということでありますから、現在の形の都道府県という体制で本当にいいのかというのは、大いに議論をしなくてはならないというふうに思っております。
 そして、最後に地方自治についてもどうしても申し上げておきたいと思うんですが、先ほど来、鹿野委員からもお話がありましたけれども、私は九十二条について、「地方自治の本旨」という表現が本当にこれは抽象的過ぎるというふうに思っております。例えば、地方自治の第八章も四カ条しかないということで、私は非常に簡素過ぎるというふうに思っていまして、例えば、九十二条では「法律でこれを定める」、九十三条では「法律の定めるところにより」、九十四条では「法律の範囲内で」、九十五条では「法律の定めるところにより」ということで、結局何も地方には決定権がないということになってくるわけでありまして、余りにも法律に授権する部分が多過ぎる、このように思っております。
 ということで、第八章の「地方自治」については、ここをやはりきちっと直していく、そして地方分権を進めていく、そしてその先に道州制という体制をきちっと明記する、こういうような、憲法を改正していくという、まさに時代がそれを求めておるのではないかなと、みずからの経験に基づいても私はそう思って発言をさせていただきました。
 以上であります。
    〔会長退席、枝野会長代理着席〕
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柴山昌彦#23
○柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。
 先ほど来御指摘がある健全財政主義についてのプログラム規定化ですけれども、私も、現在の深刻な財政状況を見るにつけ、こうした規定の創設が必要だと思っております。
 先ほど、土井委員から御指摘がございました、予算の審議をもう少しきちんと実質化すべきではないか、私も同様に感じておりますけれども、そのためには、やはり国会の審議の中身の充実というものをしっかり図っていかなければいけないと思っておりますし、また、そのためには、決算についての情報をしっかりと国会でそしゃくすることが必要なのではないか。会計検査院の機能の強化、それと、新しく設けられました決算行政監視委員会、それとの連携を図っていく、あるいはこうした国会の決算行政監視委員会の調査の外部委託等についても、しっかりと行っていくことによって、予算というものを、きちんと中身のある審議を確保していくということが必要ではないかと考えております。
 先ほど来、単年度主義についての御発言がございました。私は、この単年度主義は、もちろん規律という点から望ましいものであるとは考えますが、ともすると、前年の前例の踏襲、また、船田幹事から御指摘のあったように、年度末の無理な予算の執行などの弊害があることも事実ですので、しっかりと、五カ年計画など計画を持った形での積み上げ方式による、真に必要な予算の検討ということも私は部分的に進めていかなければいけないのではないかなというように思っております。
 八十九条の問題については、いろいろ価値観の対立もあったところではあると思います。私の意見を申し上げると、やはりここは、支配の意味というものを緩やかに考えていくべきではないかなという考えに立っております。もちろん、公益あるいは教育の中立性ということを厳格に考えるという解釈も成立し得るわけですけれども、葉梨委員からお話があったとおり、やはり、国として必ずしも容認できないような内容の団体あるいは教育というものについては、緩やかな事業の報告等を徴求するというような形で、その公費については、一定程度の支出をしてこれを助成するというような形で運用をしていくというのが私は一番望ましいのではないかなというように思っております。
 公費の乱用の防止のためにこの八十九条というものは設けられたものと解するべきでありまして、そういった趣旨がしっかりとわかるようにするために八十九条の規定を改正するべきだというように私は考えております。
 地方自治の分野についてでありますけれども、先ほど来、分権についてのさまざまな御発言がありました。私は、現在の日本の実情というものを考えると、連邦制に移行するということはいささか難しいのではないかなというように思っております。地方は、やはり自治体が自治の固有権を有するというよりは、国の主権から伝来をする、ただし、その地方自治の本旨となる部分、いわゆる住民自治、団体自治となるような部分については侵せないというような制度的保障説に立つのが私は最も穏当ではないかなというように考えております。
 そのような観点から考えるときに、道州制というものは、私は採用することもしないことも現行憲法上は可能であると考えておりますが、現行の自治体の統廃合を行うには、しっかりともちろん憲法上明記した方が明確化するのではないかな。二層性というものを維持して、そして行財政改革というものを行っていく、そして、地方のより一層の権限というものを確保するという観点から、もし道州制を採用する場合には、やはり憲法上明記する方が望ましいのであるというようには考えております。そして、地方自治の本旨についても、憲法上、先ほど言った団体自治、住民自治のほか、そういった形での補完性の原則などについても書き込む余地があるのではないかなというように思っております。
 法律の範囲内でしかさまざまな規制あるいは課税等について認められないのはやはり問題であるというようなお話がありました。私は、徳島公安条例判決に見られるように、法律の範囲内ということを一定程度緩和して解釈するということが可能である以上、現在のシステム自体をいじる必要はないのではないかなというように考えております。
 地方交付税を水平的な交付制度に改めるということについては私も検討の余地があると考えておりますが、これは、憲法ではなくて法律のレベルで考えるべき問題だと思っております。
 以上です。
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大出彰#24
○大出委員 民主党の大出彰でございます。
 先ほどから、先輩議員あるいは同僚議員からあいまいであるという話が出ておりまして、確かにそうなんですが、ただ、解釈の余地があるというふうにも思っておりまして、その余地があることが学者の方々の学説を立てるところのもうけ話になるわけですが、そういったことも含めまして、今の場合でも許容範囲の中にあるのではないかなと実は思っておりまして、そして、現実に、今の解釈をしながら余り不都合はないのではないかというようなことも実は思っております。しかし、明確にしろということで、直すということがやぶさかでないというのは、その思いもあります。
 そこで、八十九条のことが言われておりまして、私は、どちらかというとこの私学助成については、公の支配に私学が属するはずはない、あってもいけないわけなんですが、解釈で認めていくということは許容しておりました。というのは、何らかの、例えば人事だとか監督だとか、あるいは財政的なところでかかわりがあれば補助金を出してもいい、そういう話でございますけれども、先ほど葉梨さんは、いなくなりましたけれども、コントロールという話がありましたが、ここで言うのはサポート・バット・ノーコントロール、こういう形の解釈でできるのではないか、そういうふうに思ってまいりました。
 そこで、今はお金の話でございますけれども、かなり解釈によって余地があるというところで、もっと強調して解釈すべきだというような条文はかなりあると思うんですね。
 その中で一つ、納税のところなんですが、三十条で国民の納税の義務というのがありまして、それを受けた形といいますか、別の方で、八十三条の財政の民主主義ということと、八十四条で課税法律主義というのがございます。このときに、私は、納税という言葉自体が受動的だというふうに思いまして、もう少し国民主権に即して能動的に解釈をしていくべきではないかと思っております。
 というのは、言えば、この納税という言葉はちょっとほかに思い当たりませんけれども、払う人、つまりペイヤーの権利というような感じの権利を考えていいのではないかと実は思っております。というのは、納税の義務がある、一定額を納税しなさいというときに、納税者が納税をしようとしたときに国が拒否できるかというと、これはできないだろうと思っておりまして、そういった意味の権利性というものがあるんだろうと思っております。
 そこで、これを権利性みたいなもので考えるとどういうメリットがあるかといいますと、これは一つには、サラリーマンが源泉徴収というのをされておりますが、それはまずい、申告納税が基本でなければならぬ、こんなような解釈ができるのではないかと思っておりまして、強調した国民主権というか、民主主義を強めるような形での解釈をする余地があるのではないかと思っております。
 そして、同じようにお金で、財政のところでございますけれども、国民あるいは国会における財政統制というのが必ずしもうまくいっていないだろうというふうに思って、もう少し財政の情報というものを、国民の皆さんにも明確なものをあるいはわかりやすいものを与えることが必要なのではないかと思っております。先ほど特別会計の話も出ておりましたが、ここもチェックができていないだろうと私は思っておりまして、これはもう少し、今の段階でも、今の憲法のままでも改善の余地があるだろうと思っております。
 そのためにも、外国で言うような議会予算局、CBOというような制度を取り込んでくるというのは一つの方法ではないかと思いますし、決算の方でいきますと、決算が予算の審議にフィードバックするような使い方というのがあるはずなんですが、そこもちょっと弱いのではないかと思っております。
 会計検査院については、GAOのようなものを考えて、もう少し強めないといけないのではないかと今の現憲法でも思っております。
 最後に、地方自治でございますけれども、これは先ほどから、本旨の言うところで、確かにあいまいなんですが、団体自治と住民自治がありまして、団体自治の方は、やはり、国家からの自由という地方政府対政府という形の対立する概念でのとらえ方が当然ありますので、そしてもう一つ、住民自治という民主主義というのもありまして、これは、同レベルでやはり意識して法律等に具体化していくべきなんだろうと思います。
 そのときにやはり重要なのは、三位一体の改革の中での課税自主権というところが重要でありますし、その主体はやはり住民ですので、そこも意識したような解釈をする必要があるだろう、このように考えているわけでございます。
 以上です。
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山花郁夫#25
○山花委員 民主党・無所属クラブの山花郁夫でございます。
 地方自治のことについて発言をさせていただきたいと思います。
 先ほど来、補完性の原理などということについても論じられておりますが、ここのところ、多くの国で、中央集権的な国だった国は地方分権の方に、また、連邦型とか分権型の国が割と、もうちょっと集権的でいいんじゃないかというような議論がなされているように感じております。
 ところで、我が国の場合は非常に中央集権的であるという指摘もあり、またそのとおりだと思いますけれども、中国、アメリカが賛成をしておりませんので条約化はされておりませんが、ヨーロッパ自治憲章であるとかEU憲法などにうたわれておりますような、家族でできないことはコミュニティーで、コミュニティーでできないことを自治体で、自治体でできなければ広域自治体で、それでもできないことを国でという、こういった補完性の原理というものについては、我が国のこの地方自治の条項の中にも取り入れられる価値があるのではないかと思っております。
 先ほど、葉梨委員から、余りそういうことをやり過ぎると国の力が弱まってしまうのではないかという趣旨の懸念の表明があったように感じましたけれども、国の持っている、つまりは、外交戦略として国の力が余り弱まるのがいいかどうかという議論はあり得るんだと思いますけれども、ただ、そういったことではなくて、今、本当にはしの上げ下げまで自治体に指導をしたりとか、誤解を恐れずに言えば、本当にこんなのを国がやらなければいけないのというようなことまで中央の役人が、地方の、まあ面倒を見ているという言い方がいいのか、口出しをしているという話なのか。もっとそういうことは地方にできることはやってもらう、そういう中で、本当に国がやらなければいけない、例えば外交だとか安全保障だとか、そういったことにもっと国としての力を集約していく、そういったことが必要なのではないかと思います。
 また、そのように補完性の原理という観点からいきますと、先ほど鈴木委員からも御指摘がございましたように、現行の憲法の書きぶりですと、法律の範囲内で、範囲内でというような形になっております。
 条例と法律との関係ということで申しますと、国法秩序の体系というものもございますので、合衆国であっても、州法と連邦法との関係で、連邦法の方が禁止をしているケースですと州法が下の方になるということですから、条例の方を上位にという話にもなりづらいのかもしれません。ただ、あくまでも補完性の原理にのっとって考えるということであるとすると、法律の授権がなくても、つまりは法律が禁止さえしていなければ、基本的には条例で、その枠内で自由に定め得るという発想で、つまりは、法律と条例との関係でいうと、授権規範というよりも禁止規範という関係で考えるのが適切ではないかと思っております。
 ただ、そうした場合に、基礎自治体と広域自治体との条例間の関係というものも考えなければなりません。また、現行憲法上は法律の範囲内で条例が定められるとなっておりますけれども、地方自治法で、その条例の実効性を担保する罰則につきましては法令の範囲内でとなっておりまして、条例は政省令よりも下位の規範と位置づけられております。私は、これは、本来は政省令と同格、あるいは条例の方が上であっても構わないのではないかと考えております。
 その上で、ただ、罰則につきましては、罪刑法定主義との関係もあるということでございますので、現行憲法は、非常に刑事手続上の人権については詳細に定めている割には、犯罪なければ刑罰なし、法律なければ刑罰なしという原則については明示的には規定をしておりません。法律または条例なければ刑罰なしというような形での罪刑法定主義の条項も入れることによって条例の実効性を担保するというやり方も一つではないかと考えております。
 以上です。
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赤松正雄#26
○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 この憲法調査会は、言わずもがなのことでございますが、設置の趣旨が、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うという観点で今日まで議論が進められてきたわけです。私の理解するところでは、この憲法調査会でもって憲法をいろいろな角度から議論をして、現行の憲法の適用されている状況をきちっと認識をする、そして、では、どこをどう変えるかということの議論は改めて違う場で行われる、そうなるのか、あるいはそうならないのかもしれませんけれども、いずれにしても、いろいろな角度から憲法の規定に対する運用状況というものを調査する、そういう場であろうと思うわけです。
 その観点からしますと、しばしばいろいろな角度から申し上げておりますけれども、今直ちに変えなくちゃいけないというぐらい実態と乖離していて問題があるというふうに見るのか、あるいは、優先順位はもう少し後、現行のさまざまな法律の規定でも十分やっていける、こういうふうな仕分けというか見方というものをしっかりと確認していく必要があるのじゃないのかなという感じがいたします。
 そういう点で、きょうのこの朝のテーマでは、一点、私学助成のことに関して、考え方というか感ずることを申し上げたいと思います。
 先ほど、枝野委員の方からなかなか示唆に富んだお話がございましたけれども、憲法九条と八十九条を対比させるというか、かねてよく例に出されるケースとして、憲法九条と八十九条、いずれも現実と憲法の規定との乖離が激しいじゃないかという、差が激しいという例でしばしば出された、そういう経緯があるわけです。
 私どもも、憲法九条については、かつて、九条の規定と自衛隊のありようというのは憲法違反であるというふうなことを言い、また、憲法の違反の疑義があると言い、そして今、合憲という解釈を下すに至っているわけでございますけれども、おのずと、憲法違反の自衛隊というものとそうでない自衛隊というものには、自衛に徹する自衛隊と、それから、侵略という、軍事大国という側面を色濃く持った自衛隊というものとのそういうきちっとした見方、規定の仕方というものが背景にあって、そういうふうな位置づけをしてきたわけであります。
 私学助成の問題につきましては、この現行の規定というものについて、やはり私は、そう余りしゃくし定規に見ていく必要はないんじゃないかというふうに思います。といいますのは、私学助成という問題について、私立学校は公の支配外である、公の支配、コントロールに属しない、では、逆に言うと、公立学校は公の支配に属するものなのかというと、そういうふうな視点というものは余りふさわしくない。おのずとそこには解釈の余地があるというか、ゆとりがある見方をしていかなくちゃいけないだろうと思います。
 そういった点で、結論的に言いますと、八十九条を改正して、私学助成ができるんだということを憲法上明確にするという必要はないのではないか。現状のこの規定によって、あるいはまた、現状についての不備があるならば私学助成法という法律で対応するということでいいのであって、優先順位という観点、今の憲法の規定をどうするのかという観点から見たときに、そう余り熱くならなくてもいいところではないのかな、そんなふうな感じがいたします。
 以上です。
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保岡興治#27
○保岡委員 保岡興治でございます。
 私は、せんだっての国の統治のシステムのあり方のところでも申し上げましたが、やはり、現在、この憲法改正を考えるに当たって、将来の日本の国の形の基本をどうしてもきちっと政治家は議論しておかなきゃならない、整理しておかなきゃならない、そう思うものでございます。
 私は、道州制の導入というのは、それはもう間違いなく大事なキーポイントだと思っております。やはり、キャッチアップ時代と言われる明治以来の中央集権化を進めて、官僚主導でこの国を立派な国にしてきた、これは一時代の使命を終わったと。日本の国柄というか歴史を考えても、江戸時代という三百年の地方分権のすばらしい歴史を持っているし、その以前の歴史をたずねても、私は、これからやはり地方主権とか分権とかいう、道州制を基本にする国の統治機構のあり方を考える、これは、逆に国の統治のあり方を、例えば内閣のあり方、首相の強いリーダーシップ、あるいは一院制か二院制かという問題にも直接かかわってくる、そういうことにつながると思います。
 私は、やはり国の役割というのは大事だと思います。これは、中国や、あるいは北朝鮮ないし韓半島という安定を欠いた地域をある程度長いスパンでどうおさめていくかという立場を、日本は、非常に世界の平和からいっても日本の独立と安全からいっても当然大事なことで、こういった安全保障、外交ということを考えると、やはりこういったことに対して国の強いリーダーシップが必要であるし、また同時に、これを支える経済あるいは教育、その他基本的な施策の国家戦略的な対応を確保する仕組みというものが絶対必要だということも言える一方、やはり、もう一つ道州の役割について、単なる基礎自治体、身近なところのものを身近な住民の立場で行う、こういう基礎自治体の広域調整というような位置づけがされていますが、私は、経済単位としてこれはすばらしい単位じゃないかと思っております。
 例えば、九州は韓国と大体同じGDP、面積を持っておりますが、韓国は非常にフレキシブルに時代に対応して急伸を続けております。中国の沿岸部も同様であります。こういったことを考えると、ポテンシャルの強い、いいものを持っている九州が、やはり世界の経済の中で日本の力を発揮して、各地域の道州が競って日本の国力を最大化する、このことは、非常に意義あることとしてやはり道州の重要なポイントではないかと私は思っております。
 それともう一つ、コミュニティーというのが大事です。
 先ほど御発言もありましたが、家庭でできないところをコミュニティー、コミュニティーでできないところを地方の基礎自治体、こういう補完性の原則を述べられましたが、そういった公共というか公というか、社会の単位を一つ一つ大事にしてこの憲法を構成していく。そのことが非常に大事であって、そういった意味では、基礎自治体も大事だが、小さな地域で文化や伝統や教育やその他一番身近なところで担って日本のよきものを伝えていかなきゃならない、そして、生活そのものの幸せを実現していかなきゃならない、コミュニティーというものも、やはり憲法上重要な位置づけをしておく必要があるんじゃないか。
 家族、コミュニティー、基礎自治体、道州、国、こういった国の形をしっかり議論することが非常に重要だと思う次第でございます。
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辻惠#28
○辻委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。
 地方分権ということはどの政治家も前提として掲げていることでありますが、問題は、道州制なり基礎自治体なりを論ずるに当たって、形式より実質をどのように実現していくのかという観点がより重要なのかなというふうに思います。道州制、基礎自治体の役割等についてはまた別途論じる機会をいただければいいと思いますので、きょうは、形式よりも実質、どのようなものを目指さなければいけないのかという点について少し申し述べたいと思います。
 やはり、地方分権というときに、地方自治が基本であって、それは、まさに保岡先生が今おっしゃったように、歴史、伝統、文化、各地域に根づいたものがあって、その地域の人々が本当に幸せにともに生きられるという、基礎自治体のもっともとになるコミュニティーをしっかりさせていくということが重要であろう。
 ともに生きるというそのときに、憲法十四条の言う人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されてはならないという、だから、まさにともに生きるということは、その地域に生きる、住まう、それは国籍の違いも含めた人々がともに生きられるようなコミュニティー、社会システムをつくっていくということがやはり原則でないといけないのではないか。在日外国人の地方参政権の問題も、そういう観点から、地方自治を考えたときに、ともに生きるということを原理原則と考えたときに、当然実現されなければならない問題だというふうに思いますし、かつ、議論がしっかりなされるということが重要だと思います。
 旧来型のコミュニティー、町内会が一般的に悪いということではありませんけれども、地域ごとにそれは歴史、伝統、文化、いろいろな特殊性がある、それに根づいて考えられるべきだというふうに思いますけれども、やはり、しっかりした各立場に立った人たちの議論が成立するということが基本になければならない。そういう意味で、情報公開がなされなければいけないし、直接民主主義的な契機、リコール制とか住民投票制度とか、そういうものがやはり活用されてしかるべきだ。
 そういう意味で、憲法九十二条の言っている団体自治と住民自治のうちの住民自治、そういう契機は、ともに生きる前提としてしっかり議論をして、お互い多様性のある協調した地域をつくっていくための必須不可欠の前提であろう。そして、同時にそれを調整していかなければいけない。政治というものは、いろいろな利害の対立を調整する役割を持ったものが政治ですから、それを制度として調整するための団体自治というものが一方でしっかり位置づけられなければいけない。
 前にも少し述べましたけれども、自民党の中の憲法改正論議の中で、住民自治に偏重するべきではなくて団体自治なんだというような議論が割合強く言われているというふうに私は感じたものでありますけれども、そうではない、住民自治のそういう直接民主主義的な契機をしっかりと位置づけて、それを調整する意味での団体自治の同等の重要性ということをやはり考えるべきなのではないか、このように思います。
 以上です。
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稲見哲男#29
○稲見委員 民主党・無所属クラブの稲見哲男でございます。
 地方自治について発言をさせていただきます。
 自治体には二つの側面があると思います。一つは、国法の実施、執行という側面、それからもう一方では、住民に密着をした事業について、国法の基本的な方向性に基づきながら、地方自治体が地域の特性を生かして地域の住民の参画を得ながら自主的に実施をしていく、こういう側面であろうかと思います。
 これまでは、前者、国法の執行の面が強かった。今日の歴史的な局面は、地方主権の国の形づくりであろうかというふうに思います。地方分権推進法からの流れで、機関委任事務の廃止、国地方係争委員会の設置、国、地方の対等、平等を担保する制度的な整備がなされてまいりましたけれども、第三の改革として、自治体において、この後者の面について飛躍的に確立をし発展をさせることが今求められているのではないかというふうに思います。
 このために何が必要か。やはり、憲法第九十二条の地方自治の基本原則についてこの地方自治の本旨というもの、これを明確にし、憲法基準において新たな地方自治確立を促進すべきではないか、こういうふうに思います。
 公述人の意見の中で、地方自治の発展を阻害してきたのは憲法規定の不備によるものではなく、法令の規律密度や行政統制あるいは税財政制度が長期間集権的であったことによるというふうな御意見がございました。まことに納得できる意見でありますが、であるからして九十二条をいらわなくてもいいという問題ではないんではないか、こういうふうに思います。
 そして、九十二条を明確にするということになりますと、先ほどからも出ておりますように、憲法上において国と地方の行政権限の配分を明確にする、福祉や環境、教育、まちづくりなど住民に密着した事業については、国法の基本的な方向性に基づきながら、地方自治体が実施主体であること、地域の特性を生かして地域の住民の参画を得ながら実施をしていくということを明確にすることが必要ではないかというふうに思います。
 それに加えて、今、国法の執行であれば国にお伺いを立てれば済むわけですが、そうではない場合、自治体固有の基本的なスタンスが必要になってまいります。住民の意思により必要な公共的な業務を自治体制度として行うというために、先進的な自治体においては、自治体の憲法ともいうべき自治基本条例の制定を進めております。また、各行政分野において、例えば、住民の健康と福祉を守る基本条例であったり、環境基本条例であったり、まちづくり基本条例であったり、そういうものが制定をされております。この自治基本条例並びに各行政分野における基本条例の制定の方向づけを憲法の中でも行うべきではないか、こういうふうに思っております。
 それから、課税自主権の問題であります。今、三位一体の改革ということで、主要には補助金の廃止と税財源の移譲、こういうものが進められつつございます。
 次は、交付税改革。これは三位一体の中での問題ではなしに、交付税制度そのものの抜本改革がやはり求められてくる、こういうふうに思っております。分権が進めば財政保障機能はおのずから小さくなるというふうに思いますけれども、財政調整機能については残っていくといいますか、必要なものだというふうに思います。
 その場合、今は交付税の中で、単位費用掛ける測定単位掛けるさまざまな補正というふうな、総務省が握っている基準に従って莫大な算定のための作業時間が費やされております。算定基準を簡素にしていくという見直しもあるかもしれませんけれども、むしろ、自治体間での水平的な財政調整、こういうものに基本的に変更していくべきではないかというふうに私は考えております。例えば地方税としての共同税的なものをつくって、それを地方間で水平的な財政調整をしていく、こういうふうなことになりますと、やはり、課税自主権についてこの地方自治のところで明記をしていく必要も強まってくるのではないか、こういうふうに思っているところでございます。
 以上です。
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