土井たか子の発言 (憲法調査会)

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○土井委員 きょうは、午前中は前文について申し述べる機会でございますが、この日本国憲法の前文そのものは憲法の内容をなすものであることは言うまでもございません。しかも、前文の中に記述されております中身をしっかり把握することによって各条文に対しても正確な理解ができるというのが前文の内容であると思うのです。
 以下私は、四点ばかり、この前文に関係する問題点を取り上げてここで申し述べてみたいと思います。
 よく言われるのに、憲法前文は翻訳調だという声があるんですね。それからまた、したがって、正しい日本語で書き直すべきだという、それに対する提言があるんです。どうも聞いておりますと、なかなかこれは気持ちがこもった発言であるがゆえに、よい表現で言えば感情的だというふうに申し上げてもよいと思います。どうも多くの人たちは、憲法前文を見たときに、国民の間では読みやすい前文の文章は定着していますよ、少なくとも国民の間には定着していますよ、したがって変える必要はありませんとおっしゃる方々の声の方が実は多いんですね。本当に前文は翻訳調であって、日本語で書き直すべきかどうかということになりますと、これは、結論から言えば、私は変える必要はないと思っております。
 翻訳調だとおっしゃっているその語調には、少なくとも、押しつけ憲法だ、押しつけられたのではないか、アメリカから一方的に押しつけられたといういきさつがあるというところを力説される向きがあるんですが、この問題については、一言私は、こういう実際問題にどのような理解をすればいいかという意味も込めて申し上げさせていただきたいと思うのです。
 それは、余りこれは取りざたを最近されないんですけれども、一九四五年の十二月、戦後間もないときに連合諸国十一カ国で創設されたのが、御存じの方が多いと思いますが、極東委員会なんですね。極東委員会は、創設されてから後、憲法改正については最高の権限を持っていたというのがこの存在でございまして、この極東委員会の第三十回の会議の中で「新しい日本国憲法の再審査のための規定」というのが出されているんです。これは一九四六年の十月十七日、これを決定して出しているわけですが、その十月十七日の決定の中には、憲法について、施行されてから一年ないし二年以内に、必要とあらば国会でもう一度日本国憲法に対して、国民の自由な意思でもって支持されているかどうかということを再検討すべきであるという決定がこの中で出されているのです。
 しかし、極東委員会のこの決定にもかかわらず、一九四六年の十月十七日付のこの決定後、憲法が施行されてから一年以上経過して、もう一度検討しようということにはなりませんでした。それは、つづめて言えば、その時期には国会も政府も言論界も、今の憲法で十分である、変える必要はないということが大勢で見送られたということが読み取れるのでございます。そして、極東委員会もこれを了承したという事実があります。
 この点は、したがって、見れば、一概に押しつけられたというふうに言えないんじゃないかという実際問題があったわけで、もう一つ申し上げますと、マッカーサー草案と世に言われる草案が出る以前に、日本の民間では、例えば高野岩三郎私案とか憲法研究会の森戸私案とか、いろいろ民間では、ただいまの憲法と大体中身は似たり寄ったり、さらに、部分的に言うと、労働権や社会権については非常に親切な条文が用意されたような草案が発表されております。
 したがって、民間の間では必ずしもこれを押しつけられたということは言えないわけで、むしろ、民間の中で用意された私案は非常に進んだものがあったということを考えますと、少なくとも国民の圧倒的多数は、この日本国憲法に対しては歓迎したということが言えるのではないかと思うわけでありまして、押しつけられたというのは、したがって適切な理解というわけにはいかないんじゃないか。むしろ、それでも押しつけられたと言うのは、当時の政府、官僚としては、そういうふうな感想を実態に触れて経験上お持ちの方々があるのかもしれません。
 したがって、そういうことからいいますと、結論から言えば、憲法前文は憲法全体の目的や理念を簡潔明瞭に示しておりまして、その憲法の前文に対してこれを変えるという必要はただいま全くないということがまず言えると思うのです。
 二つ目には、この憲法に対して一国平和主義であるという批判がよくございます。しかし、これは当たりません。この前文について言うと、国連憲章の理念を進めるものであって、その実現には、国際社会の平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去する努力が欠かせないということを明記いたしております。これはもう当然のことだと思うんですけれども、日本国憲法の目指すものはただ日本一国の平和ということではない、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存するということを目指しているんだ、そのために憲法のこの前文の箇所では、自国のことのみに専念し他国を無視してはならないということをはっきりここに決めているという点がもっともっと具体的に認識される必要があるというふうに思うのです。
 三つ目には、昨今、我が国の歴史とか伝統とか文化に根差した国柄を盛り込むべきだというふうな主張が聞こえてまいります。しかし、考えてみますと、伝統や国民性といった中身からいったら、一定のものではなく多様性を持っている内容を、この一様でないものを改憲してまで憲法に書くということが果たして必要であるかどうかという問題と同時に、可能なのかどうかということすらこれは考えなければならない問題だと思うんですね。公共の精神、日本の歴史、伝統、文化の尊重、愛国心、家族、道徳心や倫理観、そういうのを強調するということが同時にこれは並行して進められているようでありますけれども、どうもそれは憲法や法律に書いて国民に強制できるものではない、本来。したがって、前文をそういう意味で書きかえるということは、不必要であると同時に、理にかなっていないというふうに私は思います。
 最後に、これは、少なくとも憲法の基調をこの前文ははっきりと述べております。そして、九十六条の、憲法の改正に対して手続を用意している条文とも相呼応して、この憲法は、憲法を変えるということについても、この九十六条は憲法と一体をなすものであるということを前提にして考えているということを忘れちゃならないと思うんですね。それは、この前文の主権在民の原理、基本的人権の不可侵性、そして、不戦の絶対的平和主義、こういうことなどの憲法原則と矛盾したり、それを否定するような改憲というのは憲法の破壊であって、この憲法自身が認めないということをしっかりこの前文のところに疑いもなく明記されております。
 そこは、よくお互いの間で討議をするときに、間々、ここのところを置き忘れて論議するという嫌いが昨今あるんです。「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と前文では言っているわけですから、この日本国憲法の決めております憲法の原理自身に矛盾したり、逆行したり否定したりするその行為自体が憲法違反だということをこの日本国憲法の前文自身が明記している。この点は非常に大きな意味を持つというふうに私は思います。極めて重要な憲法原則が述べられているというふうに思っております。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 土井たか子

speaker_id: 16322

日付: 2005-02-24

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会