井堀利宏の発言 (予算委員会公聴会)
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○井堀公述人 お答えしたいと思います。
最初の点ですけれども、確かに、毎年小刻みに上げていくというのは、徴税面それから行政面でいろいろとコストはあると思います。ただし、そのメリットとしては、毎年毎年の増税幅がそれほど大きくありませんので、払う方から見ると負担感が極端に上がらない、そういうメリットがありますので、これは、毎年毎年の、要するに税収を仮に上げていくとした場合の負担感をどこまで中期的に平準化するのかというメリットと、行政的な、あるいは徴税面でのコストの面での煩わしさをどこまで考えるかという、メリットとデメリットの両方で考えるべき問題で、現実的には、その二つをあわせて考えますと、例えば数%ずつ、二、三%ずつ二回か三回ぐらいに分けて上げるというのが、その二つのメリットとデメリットを考えれば落としどころかなという気がします。
それから、二番目の点なんですけれども、確かに所得をベースにとれば消費税というのは逆進的な側面があるんですけれども、私がきょうお話ししたところで一つ強調したかったのは、所得というのは必ずしもその人の経済的な格差をあらわす指標として妥当なものとも言えない。つまり、所得をたくさん稼いでいるということ自体がその人が経済的に豊かだということには必ずしもならなくて、使って初めて豊かだ、そういう側面がありますので、つまり、所得を稼いだだけで死んでしまった人が本当に豊かな生活をしているのかという側面から考えると、消費という方がより望ましい。
それからもう一つは、これはもうちょっと技術的な問題になりますけれども、所得というのはどういう所得を定義するかによって非常にあいまいでして、要するに、勤労所得であれば確かに所得になるんですけれども、それ以外の資産性所得の場合には、必ずしもその所得があるということ自体でその人の長期的な所得が高いということにならないわけですね。要するに、ある一定の勤労所得から貯蓄をしてさらに資産性所得になるわけですから、現在価値に直してみますと資産性所得が消える側面もありますので、その意味では、所得自体がふえるということは必ずしも経済的な格差の指標にはならないということです。
それから、中長期的に考えますと、何のために要するに消費をしないで貯蓄してしまうかといいますと、最終的には使うためでして、最後まで使わないで残してしまって死んでしまうというのも一つの選択肢ですけれども、それであればその人はそれほど経済的に豊かではないんじゃないかというぐあいに考えれば、ある意味では、所得よりは消費の方がその人の垂直的ないわゆる公平性を考える指標としてはもっともらしいのかなと思います。