麻生太郎の発言 (予算委員会第二分科会)
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○麻生国務大臣 小さな政府、だけれども強い政府じゃないとだめだと思いますね。小さくても弱い政府、効率の悪い政府はもっとだめです。したがって、小さい政府、だけれども強くて効率のいい政府、まずこれが大事なことだと思っております。
そのときに、国として最低限何をしなくちゃいかぬかといえば、外交、治安を含む国防、そして教育、四番目ぐらいに多分財政ということなんだと思いますけれども、国がどうしてもやらないかぬのは、基本的にその三つが最終責任を負わないかぬところだと思っております。
そこで、地方との役割分担をやっていくときに、やはり佐藤先生、歴史的に見て、明治四年の廃藩置県で三百大名を四十七にして、しかもそれは勅選知事で、いきなりぼんと知事を送り込んでいっているわけですから、本省の課長になる手前ぐらいのところでみんな知事に出ていったわけです。
そのころは、中央集権をやることによって何を目的とすればいいかといえば、当時の明治政府としては、ロシアの植民地にならない、明らかにこれが国家目標だったと思いますね。当時のアジアの状況は、マレー半島はイギリスに、インドシナ半島はフランスに、インドネシアはオランダに、フィリピンはアメリカに、大体列強の植民地でありましたので、このままでいったら我々はロシアの植民地。それを避けるためにはどうすればいいかというのをきちんと明確にして、目的はそれ、手段として富国強兵、殖産興業、もうはっきりしていたんだと思うんです。
それにあわせて全部というので、義務教育制度もイギリスに先立つこと三年も早くやっているというのは、これは全部一律にやって、近代工業化社会時代には間違いなくその制度は当たったんだと思うんです。戦後も多分、官僚主導、業界協調という中央集権制度をやって、たった十年で、もはや戦後ではないとか、三十年もすればアメリカを上回る経済力を自動車とかいろいろな部分でつけるようになった。
これは当たったんだと思うんですが、多分、一九八〇年代ぐらいでほぼこの制度の本来の目的は達し終わっていて、いよいよもたなくなってきて、プラザ合意になっていきなりドルが暴落というようなことになっていくんです。
やはり国として、一部の人たちが決めて全部一律というのは多分終わったということになると思いますので、いろいろな意味で、地方でできることは地方に、地方分権という流れは正しい流れなんだと思っております。
そのときに大事なのは、今度はその地方分権を支える国民、県民の意識がどうなるかというところでして、国の方も地方へやらせて大丈夫かと。大阪府なんという例が出ましたけれども、これはちょっと極端な話にしても、何となく地方というのは何をやっておるかわからぬというイメージは、中央と地方との信頼関係を損なうという意味では非常によろしくない、私はそう思います。
そういった意味では、地方も、任された以上はおれたちもきっちりやっておかないかぬという意識、経営感覚の意識、そういったものを持ち合って、政府はなるべく国家の、教育なら教育の基本のところをばしっとやりますけれども、あとの具体的なあれにつきましては地方でとか、いろいろその地域に向いたところが出てきて、先生の選挙区からは、少なくとも福沢諭吉は中津から出ておるわけですから、きちんとあの時代をつくり上げていった人というのが地方から出てきたというのは事実だと思う。
そういった意味では、地方に多くの人材というのが埋もれている、隠れているのがきっちり出てきてあの時代を支えたんだと思いますので、逆に言えば、そういった人材は探せば地方にいるだろうし、地方の方がおもしろいというので、いろいろな意味で時代が少し変わっていくとは思いますけれども、私どもとしては、最初に戻りますけれども、国の基本は、小さくても強い政府、それが基本だと思います。