山本保の発言 (憲法調査会)
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○山本保君 私は、昨年この会に入れていただきまして、主に九条とそれからそれ以後小委員会でも参議院の役割について発言させていただきましたので、今日はそれについては割愛させていただきまして、四点ほどお話をさせていただきます。
第一は、憲法前文についてであります。
前文については、最近特に内容がはっきりしないから書き換えろというような議論があるようであります。もちろん書き換えることについて、私、その自体はやぶさかではありませんが、しかし、憲法前文には大変大事なことが書いてあると思いまして、余りそのことが議論されていない気がしますので確認をしたいと思います。
正に、日本国憲法の平和主義というのは、抽象的な国際主義でもありませんし、又は一国平和主義でもないと思います。前文には、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」という表現がございます。また、我が国はその崇高な理想と目的、世界から戦争や隷従をなくするというこの崇高な理想と目的を達成することを国家の名誉に懸けて誓うというのが前文の最後の締めであります。
私は、このことが、今やっと五十年、六十年たって初めて日本国というのが世界平和にそれなりの寄与をしなければならないという根拠条文だと思っておりまして、このことは、この前文をどうあれ、触るにしまして、この理念についてはより明確に書いていくべきだというふうに思っております。
次に、憲法二十六条について二点ほど申し上げます。
二十六条第一項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」という有名な条文でございます。ほぼ同じ条文が教育基本法にもございます。ただ、この文章は「ひとしく教育」、「ひとしく」というのはイコーリーでございまして、全員がそれなりの権利を受けているという意味であります。この場合に、主たる教育を規定しておりますのは「ひとしく」の方ではなく「能力に応じて、」でございます。能力に応じた教育といいますと、能力の低い、未発達の子供にはその程度の教育でいい、こういう解釈がまかり通ってきたこともございますし、今後もあるのではないかと思います。
実は、国連の児童の権利条約には、その締約国が子供に対して授けるべき教育の定義が、性格付けがいろいろしてありますが、その中には、児童の人格、才能並びに精神的、身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させる、こういう定義がございます。フルエストという言葉が使っております。私は、是非、今後もしこの辺を検討するのであれば、新しい人権概念でありますその持っている能力を最大限に発達させていくという文言を入れたいと思っております。
二番目に、この条文の第二項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とございます。こうありますが、一般的に文部科学省、これまでの整理は、義務教育というのは公立学校であると、こういうふうに言っております。
しかし、これは私立学校というのが大変特殊な状況、戦前から戦後すぐにかけて、言うなればお金持ちの子供さんが行くということを前提とした解釈だと思います。今、NPOが学校をつくったり、またIT学校というようなものもこれからどんどん出てまいります。こういうときに、国公立学校と私立学校と、こう分けるような考え方はおかしいと思いますので、ここはもう一度この憲法の条文をよく考え直して、というかこれに基づいて現在の現状を変えるべきだと思っております。
もう一つありますが、時間がないので、もう一つ八十九条について申し上げます。
今もお話がございましたが、八十九条、条文は読みませんけれども、公に支配に属しない慈善事業に対して公金の支出が現在されているではないか、よってこの憲法条文は合っていないので変えるべきだという意見がございますが、私は反対だと思っております。
この条文によって設けられましたのが共同募金会であり、そして言うならば社会福祉法人、学校法人の税制優遇措置がこの条文が基になってつくられておるわけであります。つまり、これまでこういう法人に関しては、自分たちが寄附をすればその分税金がなくなるという形で国家の関与なしにいわゆる共同のお金が集まる制度があったわけでありますが、しかし残念ながら、その当事者は全くそのことを活用せずに、国に頭を下げて国からお金をもらうということだけをやってきたのではないかと思います。今そのことが、NPOということになって初めてその意味が問い直されております。
私は、この条文は、今や現代的な意義を持ってもう一度復活したと考えます。この条文を直すのではなく、この条文の意味する宗教や信仰や内面にかかわるようなものに対して国が手を入れるべきではない、手を出すべきではないというこの理念をもう一度しっかり確認すべきだと思っております。
以上です。