前川清成の発言 (憲法調査会)

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○前川清成君 この調査の締めくくりに発言の機会を与えられましたので、各委員におかれては自明のことと承知しておりますし、私も各論に関して申し述べたい事項がございますが、議論の出発点と到達点を確認するために憲法の存在理由、すなわち何ゆえに憲法が制定されたのか、そして何ゆえに最高法規であるのかについて申し述べたいと思います。
 と申しますのも、過日の公聴会のように、憲法には権利ばかり列挙されていて義務が少な過ぎるとか、憲法は将来この国が進むべき方向を指し示すものとの発言に接するたびに、私は、私たちのこの国に法の支配を確立できるのは一体いつになるのだろうかと失望感さえ覚えるからです。
 まず冒頭、この調査会でも時折引き合いに出されます聖徳太子の十七条憲法は、今私たちが議論すべき対象である憲法とは似て非なるものであることを確認したいと思います。
 何ゆえ十七条憲法が憲法ではないのか。その答えは、フランス人権宣言十六条の、すべての権利の保障が確保されず権力の分立が定められていない社会は憲法を持つものではないという表現に尽くされています。すなわち憲法は、国家権力というリバイアサンを制限し、これによって国民の人権を保障するために、すなわち国家権力に対する制限規範として存在しています。国家権力に対する制限こそ憲法の存在理由ですから、憲法は決して政治の心構えや将来の目標を表現したものではありません。かかる意味での憲法は、十七条憲法などと区別するために近代憲法と呼ばれ、政治が近代憲法に基づいて行われることを立憲主義と呼んでいます。
 私たちは決して一人で生きていくことはできません。それゆえに共同生活を営んでいますが、共同生活には一定のルールが必要であり、したがってルールを定めてそれを人々に強制できる力、すなわち権力もある意味では不可欠です。しかし、権力は権力を支配する者の利益のために濫用されるという不可避の性質を有しています。それゆえに、権力を制限し、拘束する仕組みが必要になります。その仕組みが立憲主義です。専制政治を否定し、個人の尊厳を中核とする市民社会が成立した後、広く世界じゅうでこの立憲主義が統治の基本原則として承認されるに至りました。
 立憲主義の下では、人による統治、すなわち時の為政者の恣意によって左右される専制政治に替わって法による統治が行われます。この法による統治の要請をヨーロッパ大陸では法治主義、特に法律に基づく行政として実現しようとしました。しかし、法治主義においては、法律の内容の正当性は議会の判断にゆだねられることになり、議会そのものが専制的勢力に支配されると人権保障が空洞化してしまいます。ナチス・ドイツによる人権侵害が議会によって制定された法律に基づいて実施されたという歴史的事実は法治主義の限界を指し示しています。
 専制的勢力に支配されるまでに至らなくても、全知全能の神ではない我々人によって構成される議会にあっては、善意に基づく過誤によって、例えばらい予防法のように人権を侵害する内容を含む法律が制定される可能性を否定することはできないという真実を私たちは謙虚に自覚したいと思います。
 法治主義に対して、英米法における法の支配は、法律の内容や手続の正当性も要求し、法の支配の下では、人が生まれながらに人であることに基づいて当然に享有する基本的人権は、行政権力によってはもちろん、国会が制定した法律によっても侵害されてはならず、この意味で国会の立法権も憲法という最高法規によって制限されます。
 現行憲法は、八十一条において法律を含めて憲法適合性を判断する権限を司法裁判所に付与し、九十八条一項においても法律を含めて憲法に違反する国家行為の無効を宣言しています。したがって、現行憲法においても、法の支配をその基本原則の一つに構成しています。
 私は、憲法改正に当たって、この人類の歴史的所産と言うべき法の支配について絶対に後退させてはならず、むしろ更なる貫徹を図ることこそ九条も含めた憲法改正論議の大前提に位置付けなければならないと考えています。
 以上のとおり、国会の立法権も含めて憲法が指し示した国家権力の限界は、国民の側から見れば人権という名前で表現されています。したがって、人権規定を列挙することにこそ憲法という法の存在理由があります。
 憲法という法の成り立ち、歴史的経過に照らして、国民の義務を列挙することは近代憲法の役割ではありません。現行憲法三十条は納税の義務を規定しますが、憲法という法理、思想が誕生する以前の太古の昔から人々は税金を課されており、憲法三十条によって義務が創造されたはずもありません。
 そもそも、権利と義務の性質に照らしても、私法上の契約においては、例えば売買契約における売主の代金請求権と目的物引渡義務のように、権利と義務は対になっています。これに対して、憲法二十六条二項が定める義務教育を受けさせる義務を果たしたとしても、二十七条一項が定める勤労義務を果たしたとしても、三十条が定める納税の義務を果たしたとしても法律上の対価関係に立つ給付を受けることはありません。したがって、憲法上の権利と義務とは対にはなりません。
 このように、人権規定が幾つあるから、その数に応じて義務の規定も置かなければならないという思想は、結局、憲法や立憲主義、法の支配の成り立ち、憲法の制限規範性に照らしても、権利、義務の性質に照らしても明らかに間違っていることを申し上げ、意見陳述を終えます。

発言情報

speech_id: 116214184X00420050302_018

発言者: 前川清成

speaker_id: 22257

日付: 2005-03-02

院: 参議院

会議名: 憲法調査会