隅野隆徳の発言 (憲法調査会)

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○参考人(隅野隆徳君) 本日は、発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。
 最初に、レジュメについて一か所訂正させていただきます。
 一ページ目の大きな柱Ⅱの①のローマ数字の2のところに、イタリア憲法百三十八条二項という意味でありますが、これを次の3の任意的国民投票制のスウェーデン統治法典の前に入れていただければというふうに思います。恐縮ですが、イタリア憲法を次のスウェーデン統治法典の前に入れていただくということでお願いいたします。
 それでは、レジュメに従いまして発言させていただきます。
 初めに、今日の日本の政治状況で憲法改正問題が議論されているということは存じておりますが、しかし、それについて、憲法九十六条に基づく憲法改正国民投票法等を国会が早急に制定することについては、一個人として疑問を持っております。というのは、何よりも、日本の今日における憲法改正の動きが一般国民の下から沸き起こるものでないという点で疑問を持っているということで、ただし、今回は法論理の問題を中心に考察を進めさせていただきます。
 次に、柱Ⅱ、欧米諸国の憲法改正規定と国民主権原理ということです。
 近代憲法におきまして、憲法を取り巻く状況の変化に応じて、可変性、憲法改正ということと同時に、憲法の場合は最高法規として継続性、安定性の要請があります。それゆえに、憲法改正手続の適正さ、慎重さとか公平性、そういうものの要請と、基本的には憲法制定権者である国民の意見の表明、反映という要請があるように思います。
 欧米諸国の憲法規定における改正、憲法改正の扱いにつきましてはいろいろな分類法がありますが、二〇〇三年四月三日の衆議院憲法調査会小委員会で高見勝利教授が報告をしたそれが参考になるかと思います。つまり、憲法改正の最終的な決定主体がだれであるかということに注目して分類していますが、そこを若干私なりに検討をしていきます。第一に国民であり、第二に議会であり、第三に特別の会議として憲法制定会議あるいは憲法会議、コンベンションというものをつくるということです。第四には連邦国家制の場合にその支邦、ラントなりカントンなりというものを主体とするということです。
 今日では、第一と第二が中心に置かれます。
 まず第一のレフェレンダム、国民投票による憲法改正ということです。この点で最も徹底した取組をしてきたのが、第一の柱にある住民発案権と義務的国民投票制を持っているものとしてアメリカの諸州の憲法、例えば一七八〇年のマサチューセッツ州の憲法なり、その後多くの州憲法があります。それから、スイス連邦憲法、これは一八四八年に作られておるものです。
 それから第二として、特定の場合に義務的な国民投票制、レフェレンダムを作るという、取り組むというものです。フランスが、一九五八年、第五共和制憲法の八十九条の二項に、政府なり議員の発議で国会が取り組み、そして国民投票にかけるというものです。
 第三に、任意的な国民投票制ということで、国会議員等の要請があって国民投票、レフェレンダムが取り組まれるというもので、イタリアの憲法、一九四七年の憲法の百三十八条二項などが当たります。それから、スウェーデン統治法典。スウェーデンは統一成文憲法典がありませんから、その中の基本になる統治法典が一九七九年に、十五条に定めているというものです。
 それから第二に、議会による憲法改正、これが近代憲法の歴史の中では早くから取り組まれてきておりますが、しかし、方向としては、今日、今触れました第一のところが主流になってきています。
 議会による憲法改正、この点では、表決数を加重する、普通過半数であるのを多くは三分の二にするというもので、一番典型的には、議会完結で取り組んでいるのが現在のドイツ憲法、一九四九年の七十九条ということになります。ただし、七十九条には改正対象の限定というのが三項にあります。
 それから、フランス憲法はレフェレンダムも取りますが、一九五八年憲法の八十九条三項に、大統領が両院合同会議を設定する場合には五分の三の投票で、議会で済むというものです。
 それから、(ロ)としまして、議会での再議決、イタリア一九四七年憲法ですと、最初にその発議の改正案が提起され、その一定期間後、少なくとも三か月後に再度同じ議会が取り組むというものです。その間に選挙をして議会の構成を変えて臨むというもので、そこには書いてありませんが、よくベルギー・デラウェア方式、アメリカのデラウェア州の憲法と一八三一年のベルギー憲法の規定などがありますが、物事を明確にするために特にそこには触れてありません。
 それから③と④、憲法制定会議あるいは連邦国家の取組としては、アメリカ合衆国憲法の五条があります。各州の取組あるいは憲法会議を設定するというようなものであります。それから、ソ連崩壊後のロシア連邦憲法、一九九三年の百三十五条三項は、連邦の各邦もかかわりますが、新憲法草案全体にわたる場合には憲法制定会議か国民投票かを択一的に取り組めるというものです。
 それらについてもう少し理論的な根拠として見ますと、第一のレフェレンダムによる場合は、そこに憲法制定権力、憲法改正権、立法権というフランス革命以来の理論を挙げてあります。歴史なり自然法なりによって国民若しくは人民が憲法制定権力を持つということで、プボアールコンスティチュアンというものがありますが、それが憲法制定会議などによって成文憲法に盛り込まれますが、その中に憲法改正権の規定が設定されます。これは後のフランスの憲法学者のビュルドーの言葉で、制度化された憲法制定権力、プボアール・コンスティチュアン・アンスティチュエという表現をされているように、憲法制定権力が成文憲法の上に具体化されているものというので憲法改正権を位置付けます。これが立法権、普通の議会よりも上位に位置付けられると。つまり、立法権はプボアールコンスティチュエ、つくられた権力ということで、憲法制定権力によって議会なり内閣なりあるいは裁判所なりが設定されるというものですが、憲法改正権というのはその立法権よりも上にあるものということで改正権の重要性が指摘されるということになります。
 それに対して、議会が重視されるところは、フランスとドイツで若干異なります。フランスの場合、特に十九世紀の後半の第三共和制では、立法権優位の思想と代表民主制のフィクション、擬制により、憲法制定権力を立法権と同視する傾向がある。言わば立法権を高めていると、立法権優位というところが現れています。
 他方、ドイツでは、一八五〇年のプロイセン憲法以来、憲法は立法の方法で改正されるという規定を持ち、君主制の原理あるいは法実証主義の影響の下に、憲法改正権は立法権と同視された、これがワイマール憲法あるいは現在のドイツ憲法にも引き継がれているもので、それが議会完結型というものになります。言わば憲法改正権がより低められていると、フランスと対していえばそういう位置付けになるかと思います。
 これらを踏まえて、次に第三の柱として、憲法改正国民投票制の問題を考えます。
 この点、国民投票による憲法改正決定の方式は、実はフランス革命以来論ぜられてきた人民主権説、ジャン・ジャック・ルソーなんかに思想的な根拠がありますが、それの人民主権説の思想的、政治的基盤の上に展開すると言うことができます。その背景としては、普通選挙制が実施される、あるいは下院の上院に対する優位、あるいは第一次大戦後は直接民主制が諸国憲法に導入されるというような背景があります。
 ここでは、ですから人民の諸個人の主権的権利の保障ということが重視されます。そういうところを徹底しているのがアメリカ諸州の憲法、スイス連邦憲法ということで、国民発案、イニシアチブも定められています。
 この点で、順序がちょっと前後しますが、第四の柱の最後にレフェレンダムとプレビシットという項目を挙げてあります。これは、詳しくは次の只野参考人の方から述べられるかと思いますが、フランスの歴史ではナポレオン一世、三世の歴史的経験の反省からプレビシットということが位置付けられています。つまり、権力者とその統治を正当化するための人気投票、あるいは信任投票をプレビシットといって、通常のレフェレンダム、国民投票と区別して警戒を強めてきたというものです。つまり、フランスは中央集権が強い国ですが、そういう中で国民の支持ということを逆に権力支配の根拠にするということで、それは直接民主制の言わば負の遺産ということで、今日でも注目されているところです。それらを踏まえまして、ですから、国民投票になる場合にプレビシットにならないようにするにはどうしたらよいかということも視野に入れておく必要があるかと思います。
 今度はレジュメの二枚目に、ごらんいただきたいと思います。以下には、日本国憲法との関係での法的問題点を、主な点をピックアップしたいと思います。
 まず、日本国憲法九十六条の関連で、いろいろな問題点がありますが、時間の関係で、その上から三番目の衆議院と参議院の両院協議会の問題ということです。
 これは、日本国憲法の、普通の国政の運用ですと、衆議院の優越、参議院がそれに従うという側面があるわけですが、しかし、それについての規定である五十九条、六十条、六十一条の規定を、憲法改正の、九十六条の間の分野にどうかかわるかということです。
 憲法九十六条の理解としては、衆議院と参議院は対等、平等であるということになりますと、五十九条、六十条、六十一条にある衆議院優越に基づく両院協議会というのは憲法九十六条の改正、憲法改正の場合にはふさわしくないのではないかということが学説では議論されています。
 次に、改憲発議の方式ということで、投票方法の問題にもなります。つまり、憲法の改正点が複数にわたるとき、各条文又は各項目ごとの提案か、全体を一括して提案するかということです。つまり、この点が、それに対応する発議の方式あるいは投票方法は国会の裁量にゆだねられるかというと必ずしもそうではないのではないかと。つまり、主権者たる国民の側がどのように判断すべきかということを中心に考えるべきで、この点ではアメリカの諸州の憲法ではセパレーティブ・ボート・システムということで、個別投票方式というのが多くの州憲法で定められています。例えば、ミシシッピ州の憲法十五条というようなところにそういう明確な規定があります。また、プレビシットの関係でも、国民が一括提案方式ですと判断しにくいということになりますと、権力の正当化の根拠にもなり得るということで警戒しなければならない点かと思います。
 次に、国民投票に関連してですが、ここはいろいろございますが、時間の関係で、三番目の国民投票で過半数の賛成かどうかと、賛成をどうとらえるかというものです。この点は、学説ではそこに三つ挙げましたような諸説があります。有権者総数の過半数か、国民投票への投票総数の過半数か、有効投票総数の過半数かということです。
 ここでもいろいろな立場がありますが、白票を含めてこれを単純に無効として計算外に置くのではなくて、それを含めて投票総数として、そこに積極的な憲法改正賛成の意思表示を含めて過半数というとらえ方が妥当なのではないかというのが、近年では学説では多くなってきていると言えるかと思います。
 また、最低投票総数、国民投票の成立要件の問題があります。つまり、投票率が一般に棄権率が高いということであると、それの過半数で決するという場合には、例えば有権者の半数は最低の得票という設定をすることもあります。こういう点では、新しい、先ほどちょっと触れました一九九三年のロシア憲法の百三十五条の三項では、憲法の明文に、国民投票で半数を超える選挙人が参加して、その過半数に基づいて選挙人の賛成意思と見るという規定がございます。
 次に、国民投票運動に対する規制という問題です。ここも重要なポイントになると思います。つまり、国民の憲法改正権行使に当たっては、国政選挙における参加の場合以上に国民は知る権利なり表現の自由の保障が必要になるということです。そうでないと、国民主権の原則、保障、それと結び付く憲法改正権というものに矛盾するだけではなく、その国民投票がむしろ権力側の正当化の根拠として、あるいは正当化の場として作用し、プレビシットであるという批判を受ける危険性があるということです。
 この点では、日本の場合、公職選挙法もいろいろな憲法問題を生んでいますが、憲法改正国民投票に当たって、例えば裁判官、検察官、警察官というような特定公務員等の運動をどう位置付けるか、あるいは一般公務員や教育者の職務上の地位利用による運動をどうとらえるのか。日本の場合、よく言われますように、一般公務員は二十四時間公務員という、ちょっと労働法上世界でも異例なとらえ方をしているということで、あるいは教育者の場合であれば、教育の自由、学問の自由ということの保障との関係はどうであるかという問題です。
 それから、定住外国人等の運動をどうとらえるのかと。今日、国際化社会、とりわけ日本は韓国、中国、台湾という人たちに対する歴史的な、社会的な問題を踏まえているだけに、その定住外国人の役割をどう評価するかということが重要な問題になるかと思います。
 それから、マスコミ、放送機関に対する規制ということでも、虚偽報道などで規制をすることによってかえって萎縮的な効果をもたらされる危険はないかということです。先ほど述べましたように、マスコミあるいは放送機関であれば、国民の知る権利への奉仕、表現の自由ということで、最もここはその自由が保障されるべき場ではないかというふうに思います。
 それから次に、国民投票の手続や効力等について投票人からの訴訟提起の問題ということがあります。提訴機関あるいは一審の裁判管轄をどのようにするのか、一つだけに限定するのか、いろいろ日本各所に設定するのか。こういう点については、憲法改正という基本問題についての国民の裁判を受ける権利、司法審査ということの保障が理論的には重要な問題かと思います。
 最後に、第四の柱としまして、憲法改正における議会の位置ということで若干触れさせていただきます。
 憲法改正権の限界問題ということが、無限界説、限界説ということで、明治憲法の改正時に問題になり、その後、学界でも議論されてきました。この点では、近代憲法の基本原理あるいはその立憲主義ということについて、それが改正の対象外であるというのが一般に憲法学説としては多くあります。その中で、国民主権、基本的人権の保障というところが改正権の限界に位置するということはほとんど一致する点ですが、問題は平和主義の点です。とりわけ九条一項、二項、九条二項が日本国憲法の特色とされるわけです。
 この点では諸説ありますが、一つの考え方として、今日、国際法で戦争違法化が進展している、あるいは戦争による地球環境の破壊というものの世界的な規制ということが進んでいる、また、日本国憲法では憲法前文第二項に全世界の国民の平和に生きる権利の保障ということがうたわれ、それが国際的にも評価され、それの根拠として九条二項があるということ、また、現実問題として日本がアジア諸国との関係で戦後補償問題がいまだに解決していないという問題、そしてそこに自衛隊の海外派兵なり海外での武力行使という問題が提起されてきているということを考えますと、そこに九条二項が日本国憲法の今日においては改正権の限界であるという学説も十分な根拠があるというふうに思っております。
 憲法改正の対象として一部改正と全部改正という問題がありますが、形式的な分類ですが、何よりも内容上の問題を限界問題と結び付けて重視する必要があるかと思います。
 最後に、憲法改正条項の改正問題ということが学説上もいろいろ議論されております。
 この点では、先ほど一ページ目に述べましたように、憲法改正規定というのは、憲法制定権力と一体的であるために基本的には改正対象にならないということが言えるかと思います。また、国民投票規定を選択的にするということは国民主権の規制となり、大きな問題を含むのではないかというふうに思います。
 また、国民投票規定を義務的なものとして残しても、議会での発議要件を過半数にして通常の立法権と同じレベルにするということは大きな問題があるのではないか。つまり、近代憲法の特質である議会での発議要件を加重させるということが少数意見の保障であり、それが人権保障の尊重ということに結び付き、それがまた近代憲法の硬性憲法、硬い憲法、リジッドコンスティチューションという立場と結び付くものだけに、そこを重視する必要があるのではないかというふうに思います。
 さらに、その実質的な効果の問題として、議会での発議要件を加重させることは議会での少数勢力、少数意見の尊重となり、議会での審議を充実させ、国民投票にした場合もそれをプレビシットとさせない大きな保障になるのではないかというふうに思います。
 以上で発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。

発言情報

speech_id: 116314184X00320051019_002

発言者: 隅野隆徳

speaker_id: 25055

日付: 2005-10-19

院: 参議院

会議名: 憲法調査会