只野雅人の発言 (憲法調査会)
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○参考人(只野雅人君) 只野でございます。本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございました。
ただいま隅野参考人の方から総論的なお話がございましたが、本日、私にはフランスの話を中心に国民投票について話をしてほしいというふうに要望いただいておりますので、特にフランスとの比較ということを意識しながらお話を進めさせていただきたいと思っております。
この国民投票の問題ですが、既にいろんな論点があるということが指摘されております。投票の方式から始まって運動まで様々な技術的な、テクニカルな論点がたくさんあるわけですが、しかし、一見非常にテクニカルに見えますけれども、憲法原理とかかわる問題がそこにはあるのではないかということをまず最初に申し上げておきたいというふうに思います。
先ほど隅野参考人からもお話がございましたけれども、憲法改正といいますのは制度化された憲法制定権力であると、よくこういう言い方がされます。つまり、主権者である国民の主権的な意思が表明される場と、こういう性格を持っているわけです。したがいまして、一見テクニカルに見える問題につきましても、国民主権から、それほど明確ではないかもしれませんが、大枠である種の要請が働くと、こう考えるのが恐らく自然であろうというふうに思うわけです。
そういたしますと、主権的な意思表明の在り方としてどういう手続がふさわしいのかということを十分見極める必要があるのではないかと、これが私がこの問題を考える上での基本的な視点ということになります。その上でフランスをどう見るかということになるわけですが、フランスといいますのは、言うまでもなく国民主権の母国でございますので、そこでの経験、国民投票についても豊富な経験がございますので、当然いろいろ参考になるところはあるだろうというふうに考えるわけです。
ただ、比較に当たりましては幾つか留意すべき点もあるだろうというふうに考えております。一つは、一口に国民主権を具体化するといいましても、これ、いろいろな具体化の仕方があり得るわけです。したがいまして、それぞれの実定憲法がどういう形でその具体化を図っているのかということの違いは踏まえる必要があるであろうと。例えば、フランスでこう規定されているので日本でもというふうに単純にいかない部分が一つあるのではないかというふうに思うところです。
それからいま一つ、例えば民主主義の在り方をめぐっても、あるいは国民投票ということをめぐりましても、そのバックボーンにあります政治文化ですとか、歴史的なあるいは社会的な文脈の違いということも踏まえる必要があるだろうというふうに感じるわけです。そういった点に留意した上で、国民主権の具体化ということから考えて何が参照されるべきかということを見極めていく必要があるのだろうと、そんなふうに考えております。
次に、レジュメに沿ってお話を進めてまいりたいと思いますが、レジュメの後ろに簡単な資料がございます。フランスの憲法、特に国民投票に関する条文、それから現在の憲法ですね、一九五八年に制定されておりますけれども、その下での国民投票の結果と、ごく簡単なものでございますけれども資料がございますので、ごらんいただきながら話を聞いていただけましたらというふうに思います。
先ほど隅野参考人の方からもお話がございましたけれども、現在の第五共和制憲法、一九五八年に制定されておりますけれども、この憲法自体が国民投票によって承認されるという形で誕生しております。細かな経緯はここでは省略させていただきますけれども、その表の一番上にある国民投票、これによって憲法自体が誕生していると、こういう出自を持っているわけです。
国民主権の母国ですので、当然国民投票に好意的であるという印象を持たれるかもしれませんが、先ほどこれもお話があったところですが、歴史的に見てみますと必ずしもそうでない部分がございます。特に、ナポレオン・ボナパルト、それからおいのルイ・ナポレオンという二人のナポレオンが、自らの帝政を正当化するために国民投票を行ったというのは広く知られる事実であります。
それから、十九世紀から二十世紀の初めにかけてのフランスというのは議会中心主義が全面的に開花した時期でして、国民を代表するがゆえに議会は主権者であると、こういう言い方がなされることもあったわけですが、主権者という意味は、ちょっと言葉が過ぎるところはありますが、他の国家機関に対して議会が優位するということだけではなくて、議会が国家意思の形成を独占する、これは直接民主主義的な手法を排除するということも意味するわけです。
そういった経緯を経た上で、第二次大戦後、第四共和制の憲法ができる際に国民投票が用いられると、こういうことになりました。現在の憲法も同じように国民投票を経て成立をしているわけです。
今度は、そのでき上がりました憲法の中で憲法改正、それから国民投票がどう位置付けられているのかという点に移ってまいりたいというふうに思います。
レジュメの後ろの条文をごらんになりながら話を聞いていただけましたらというふうに思うんですが、現行のフランス憲法では八十九条で憲法改正についての手続が規定されております。
まず改正の発議権ですが、これは政府又は国会議員にあると、こういう規定になっております。日本についても発議権、例えば政府に発議権があるのかということが議論されておりますけれども、フランスの場合は明文でこの点の規定があると。逆に言いますと、日本の場合特に規定がないということをどう考えるかということになってくるかと思いますが、いずれにしましても政府又は議員が発議をすると、その上で両院一致の議決を経た上で国民投票が行われると、これが憲法改正の一つのルートということになります。
ただ、第三項をごらんいただきますと分かるように、これには例外がございまして、政府が発案をした場合、両院一致の議決を経た上で両院合同会議を開催するというやり方もございます。国会の両院の議員が一堂に会して憲法改正について表決をすると、五分の三以上ですね、有効投票の五分の三以上の賛成があった場合には改正案が可決されると、こういう形になっております。
実際どう運用されているかということなんですけれども、第五共和制下で十九回、これまで憲法改正が行われておりまして、このうち十八回が八十九条による改正ですが、国民投票を利用したのはこのうち実は一回だけ、非常に例外的なんですね。
そうしますと、国民主権の下でも国民投票を経ない改正は可能ではないかという感想をお持ちになられるかもしれませんが、私はむしろ逆であろうと。つまり、国民投票が持っている重みというのがここからよくうかがわれるんではないかというふうに思います。後から若干お話をいたしますけれども、議会と国民の判断が食い違う、あるいは国民投票にかけた案件が否定されるという経験をフランス自身何度かしております。それだけに、その国民投票の持っている重みというのが逆にここからうかがわれるのではないかというふうに思うわけです。
これが八十九条ということになりますけれども、実はもう一つ、やや変則的ですが、別の憲法改正の手法も存在しております。これがその上に挙げました憲法の十一条ということになります。
これ、条文見ていただきますと分かるように、憲法改正ということはどこにも直接は言及されておりません。ただ、下線を引きました公権力の組織に関する法律案、ここには憲法が含まれると、これいささか解釈としては疑義が残るところでありますけれども、そういった解釈に基づいて、憲法十一条に基づく国民投票を通じた憲法改正というのが二度試みられております。こちらの手法を取りますと、言わば議会の頭越しに直接国民に訴え掛けをすることができると、こういうことになるわけです。一度は一九六二年、これは大統領直接公選制の導入という非常に重要な国民投票だったわけですが、ここでは十一条を通じて憲法改正が可決されておりますが、他方、一九六九年、こちらも第二院に関する非常に重要な憲法改正だったんですが、につきましては十一条による国民投票が否決されると、こういう結果になっております。
この六九年の国民投票については幾つか留意すべき点があるというふうに思いますので、これはまた後ほど少しお話をしてみたいというふうに思います。
以上が憲法の規定でありますけれども、次に、もう少し詳しくその国民投票の手続について、時間の許す限りでお話をさせていただこうというふうに思います。
まず、国民投票の前段階としまして、両院による同一の文言での議決ということが要請されております。これも先ほどお話があったところでありますけれども、両院の対等性というものが求められていると、こういうことです。
フランスの二院制というのは日本とはちょっと異なっておりまして、第二院が間接選挙で選ばれ、結果として第二院の方が憲法上の権限は弱い、言わば不対等型の二院制ということになりますが、ここでは両院同一の文言で可決されるということが言われている。恐らく、これは日本についても同じことが言えるんだろうというふうに思うわけです。
それから、実際の審議は通常の立法手続と同じように進められているということのようです。議会の議決を経た上で次に国民投票ということになるわけですが、この国民投票に当たって非常に重要な役割を果たしておりますのが憲法裁判所である憲法院ということになります。これは条文を引いていないんですが、憲法の六十条に規定がありまして、その憲法院が手続の適法性の監視、それから結果の公表を行うと、こういうことになっております。
実は、現在の憲法では、この国民投票に限らず、選挙についてもこの憲法院が監視を行うという仕組みが整えられております。従来は、議会の自律性を保つということで、その当選した議員の身分確認は議会自身が行っていたわけですが、いろいろ政治的な濫用というようなこともあって、現行憲法では憲法裁判所がそれを担当すると、こういう仕組みになっているわけです。例えば、レファレンダム以外にも大統領選挙についての適法性監視ということが行われていますし、それから国会議員選挙についても選挙争訟の裁定、これは通常の裁判所ではなくて憲法院が行うと、こういう形になります。
いずれにしましても、独立機関によるコントロールが行われていると、これは非常に重要な点であろうというふうに考えるわけです。日本の場合ですと、恐らく裁判所による事後的なコントロールを考えることになるのかもしれませんが、その独立性のある機関が十分なコントロールを行うということ、これは非常に重要なことだろうというふうに感じるわけです。
それから、投票実施の細則ですけれども、これは投票ごとにアドホックに大統領のデクレ、命令によって規定されるということになっています。デクレを制定するに当たっては必ず憲法院の意見を徴する、憲法院に諮問をすると、こういうことが義務付けられております。
ほかにも細かいところがあるんですが、若干細かいところは省略させていただきまして、次に、実際にどういう形でデクレの中身が決まっているのかということについても御紹介をしてみたいというふうに思います。
これ、投票ごとに違うものがありますので、どれを取り上げるかということになるんですが、一番最近のフランスの国民投票、これは御承知のようにEU憲法をめぐる国民投票、今年の五月に行われておりますが、だったわけです。これ、憲法改正ではございませんけれども、憲法改正に準じるような非常に重要な国民投票ですので、このデクレ、中身について少し簡単に御紹介するということでお話しさせていただくことにいたします。
まず、国民投票の投票の方式ですけれども、これは事柄の性質上、賛成か反対かいずれかの票を投じると、こういう形になります。これ、国民投票の性格上、そうならざるを得ないということだろうと思うんですが。
運動期間の定めというのがフランスの場合必ずあります。基本的に、運動の規定は選挙法をベースに作られているようですけれども、今回の場合ですと二週間弱ですね、若干二週間に欠ける程度の運動期間を置くと。それから、この期間については、投票を目的にしたような商業広告をプレスに出すということが禁止されていると。ここは若干私は問題があるかなというふうに感じているところなんですけれども、こんな規定がございます。
それからもう一つ、非常に注目されると思いますのは、政党ですとか政治団体による運動への参加ということが認められているという点であります。後でこれを若干お話をしようと思っているんですが、選挙運動の場合と異なりまして、候補者主体の運動が国民投票では行われるわけではありません。フランスの場合ですと、しかしそこに政党や政治団体が参加をするということが規定されていると。
これ、一定の要件がございまして、一つは、五名以上国会議員を有していて政党助成の届出をしていると。これは日本の政党助成とよく似た要件ですが、もう一つが、直近の欧州議会選挙で五%以上得票していると、こういう要件です。欧州議会選挙というのは比例代表で行われていますので、割と細かな世論のニュアンスが得票率に表れやすいということになろうかと思いますが、結果的に、それほど多くはないんですが、八つの組織ですね、今回ですと、が運動への参加をしているということになります。
この組織に対してどういうことが認められるかというと、例えば、公設の掲示板を利用するということができるようになる、それからもう一つ非常に重要だと思いますのが、テレビとかラジオといった電波を通じた意見表明の場が保障される、こういうことになります。
これは事務局の方で御準備された資料の中にも少し詳しい規定がございましたけれども、一応そのテレビ、ラジオ、各百四十分という枠があって、各組織に最低十分枠を割り当てた上で、あとは議員数とか得票数に応じて残りの枠を配分していくと、こういう仕組みになっております。その公平さへの配慮というのは一つフランスの選挙法の特徴かなというふうに思っているんですけれども、実際の割当てを見てみますと、秒単位の非常に細かな割当てですね、厳密な割当てというのが行われています。
それから、一部の運動手段ですね、文書による運動とか集会の開催等については、一定の限度でその運動費用の償還というのが行われていると。つまり、世論の多様性にも配慮したような、まあ規制もあるわけですが、運動が一方では準備されているということになろうかと思います。
それからもう一つ、これはむしろ理論的な問題ということになるかもしれませんが、国民投票の例えばその中身について、裁判所がどこまで判断できるのかという問題があるわけです。違憲の憲法改正というのは言葉として少しおかしな感じがいたしますけれども、例えば内容的に重大な問題のある憲法改正が行われた場合、その憲法改正の当否について憲法裁判所が判断できるのかと、こういうことが問題になっておりますが、結論的に申しますと、やはり判断は難しいというふうに憲法院は考えていると、またそういう判決が出ているということになります。ただ、運動の手続の面については、先ほど申しましたように、かなり厳格なコントロールが行われているということになるわけです。
大体これが制度の概要ということになりますけれども、次に、実際に国民投票がどういう形で運用されているのか、それから、どういう問題を生じてきたのかということにつきましても、若干御紹介をしてみたいというふうに思います。
直近の国民投票、これは先ほど申しましたように、憲法改正の国民投票ではございませんで、EU憲法条約の批准をめぐる国民投票でしたけれども、非常にこれはインパクトの大きな投票ですので、まずこの話を少しさせていただくことにいたしますと、二〇〇四年の秋、憲法条約が批准された後、憲法裁判所が違憲判決を出しています。違憲状態では条約の批准ができませんので、まずはその憲法を改正した上で、十一条の手続によって条約を国民投票にかけるということが行われたわけです。
その投票に先行して行われました憲法改正ですが、これは国民投票ではなくて両院合同会議で行われております。結果御紹介しますと、細かい数字を挙げますが、投票者が八百九十二名、これは両院合同ですので九百名弱になります。有効投票が七百九十六、約八百ですね、賛成が七百三十、反対が六十六と、棄権が百票ぐらいありますけれども、有効投票に限って言いますと九割以上が賛成をすると。その改正を踏まえた上で今度は憲法条約を国民投票にかけると、こういうことになったわけです。
結果は御承知のとおりでして、反対が約五五%、かなり大きな差が付きました。議会レベルで行われましたのは憲法改正、国民投票にかかったのは条約案ですので、それぞれ違うものが問われてはいるわけですが、しかし議会内の判断と国民投票のずれというのは非常に大きかったと。これは非常に印象的な点だったというふうに思います。
ほかにもこれまで国民投票いろいろ行われておりまして、幾つか気になる点がございますので、これもごく簡単にですがお話をさせていただくと、一つは、先ほどやはり隅野参考人の方からお話がありましたが、プレビシットとレファレンダムという問題がございます。
プレビシットという言葉はいろんな意味で使われるんですが、特にフランスでは、これは本来の目的から逸脱したような国民投票の利用、これをプレビシットと呼ぶような伝統がございます。典型的には、ナポレオンが行ったような自らの権力を正当化するような国民投票、あるいは議会の頭越しに、その権力者が自らの信任と国民投票を結び付けて人民に訴え掛けると、こんなものが大体プレビシットというふうに呼ばれるわけです。
第五共和制憲法の下では、特にドゴールが政権を取っていた時代、行われた二度の国民投票が特にプレビシットの関係では問題になるところだろうと思うんですね。これは、先ほどお話をしましたように、いずれも憲法十一条という、恐らく本来は憲法改正を想定していなかったであろう条文を使って、憲法改正を議会の頭越しに行うという形で国民投票が行われているわけです。ただ、結果はといいますと、一度目は可決されているんですが、二度目は否決されて、結局ドゴールは結果的に辞任をするということになったわけです。
これ、いろんな点で考えさせられる問題を含んでいるように思うんですけれども、何がプレビシットで何がレファレンダムかという区別、これは実際にはなかなか難しいところがあるわけです。
どういう形で、どういうタイミングで、何を国民投票にかけるかと。これはやはり政治判断によるところもありますので明確な区別をするというのは非常に難しいところはあるんですが、しかし特に留意されるべき点というふうに私が感じていますのは、一つは、個人への信任と投票はやはり区別されるべきだろうと。例えば、首相が自らの信任を国民投票にかけるということは避けられるべきだろうと。国民投票には国民投票で問うべき内容があるんだろうということであります。それからもう一つは、やはり国民投票を取り巻く議論の場を確保する、特に公正な運動の在り方を確保するということが非常に重要な意味を持っているように思われます。
それからもう一つ、この六九年の国民投票につきましては問題がございまして、国民投票で問われたのは大きくは二点、これ憲法改正だったわけですが、一つは第二院の改革、それからもう一つが地方制度の改正だったわけです。ところが、第二院の地位を非常に大きく変えるという国民投票でしたので、関連する条文が非常に多い。これ、議会の審議手続から、場合によると憲法改正の手続まで影響が及んでくるわけです。そこに地方制度改革に関するものがかぶってくる。全部で二十か条以上。恐らくは、一つとは言えない複数の論点が組み合わされた形で国民投票が行われたということになると思うんですね。結果は否決ということでありましたけれども、これは日本で国民投票を組織する上でもいろいろと考えさせられる問題ではないだろうかと。後でまた、これも簡単に触れてみたいというふうに思います。
それからもう一つ、国民投票をめぐりましては投票率という問題があるわけです。
資料の方をごらんいただきますと、二〇〇〇年に行われた大統領任期の短縮に関する国民投票ですね、これが非常に顕著なんですが、棄権が約七割に上っております。比較的テクニカルと感じられる問題について行われたということが一つ背景にあるような感じはするんですけれども、特に日本との関係で申しますと、やはり問題の重要性をきちんと認識した上で議論を行うような、例えば先ほど申した運動の在り方を考えるとか、それから、これも先ほどお話がありましたけれども、例えば投票を有効にするための最低の得票率というようなものを考えるかどうか、こういったことが恐らく検討課題としては出てくるのかなというふうに思います。
以上、ずっとフランスの話をさせていただいたんですけれども、最後に、それらを踏まえまして、若干日本の国民投票についても私なりに考えるところがございますので、ごくごく大まかにその辺りの話をさせていただいて、私の発言を終わらしていただくことにいたします。
最初にも申しましたように、憲法改正の国民投票というのは主権者の国民の意思が表明される、こういう場でありますので、当然、憲法からしましても、意思表明の正確さであるとかあるいは正しさ、こういったものが非常に強く要請されるであろうというふうに思うわけです。
事柄の性質上、国民投票というのは賛成か反対かという形、二者択一で意思表示をせざるを得ないわけです。確かに、主権者の意思は一つであると言ってしまえば言えるわけですが、当然その中には多様なニュアンスや多様な意見が存在しております。それらを取りまとめて二者択一の回答をしてもらう、で、国民の意思を決めると、こういうことになりますので、とりわけその決定に至る前の段階での十分な、例えば国会での審議ですとか、あるいは国会だけに限らず世論全体での討議の場、討議の空間を十分に確保するということが恐らくその国民投票を組織するに当たっては憲法からも非常に強く要請されている点であろう。これは別段明文があるわけではございませんけれども、私は非常にそういう点を強調してみたいというふうに思っております。
それを踏まえた上で国民投票というものを考えた場合、どうなるか。これ、細かな点についてお話をしますと非常に長くなりますので、私なりに特に重要であるというふうに考える点、二点に絞ってお話をさせていただくことにいたします。
一点目、これも先ほどお話があった点なんですが、国民投票に例えば複数の条文の改正をかけるような場合、一括した投票をするのか、それとも言わば論点別、テーマ別に国民の意思を問うのかと、一括か論点別かという問題がございます。
例えば、憲法の基本原理自体を修正するような言わば全面的な改正が行われる場合、これは恐らく、事柄の性質上、一括で投票するということになるのだろうというふうに思いますけれども、しかし、そういった全面的な改正をそもそも改正というカテゴリーでとらえるのが適切かどうかという問題が私はあるように思っております。例えば日本国憲法の制定がそうであったように、むしろそれは実質的には新憲法の制定というふうに考えるべき問題であろうというふうに思うわけです。
ですから、恐らく、改正の枠の中で憲法が想定しているものを考えるとすると、部分的な改正を考えるというのが通常であろうというふうに思うわけです。この部分的な改正につきましては、繰り返しますけれども、できるだけ正確に、それからできるだけ真正な形で民意が表明されると、正しい形で民意が表明されるということについて十分な配慮をする必要があるだろうということになりますので、原則は、やはり異なる問題については異なる形で判断をすることを可能にすると、これが憲法からの要請であるというふうに言って差し支えないのではないかというふうに思っております。また、そうしますと、恐らく一度に問える問題の量とか数についてもおのずから一定の限定はあるんだろうというふうに思うわけです。
ただ、実際に立法化するということを考えますと、どういうふうに条文を書き起こすかというのもなかなか難しいところがありますが、実際に何が論点別なのかという判断、なかなか難しいところがあるだろうというふうに思うわけです。無理に分けると体系性が損なわれるということがあるかもしれませんし、人によっては、何が論点別かということで当然判断が分かれてくる可能性はある。例えば、統治機構について一定の改正をするということになりますと、特にこの点は難しい部分があるだろうというふうには思っております。
しかし、困難だから一括でいいではないかということになるかというと、そうではない。やはり、憲法の要請というものを踏まえますと、可能な限りきちんとした判断ができるような仕分をしていくシステムを考える、あるいはそういう形での発議をお考えいただくと、これが非常に重要な点ではないかというふうに思うわけです。
それからもう一点、特に最後に強調しておきたいというふうに思いますのが、投票をめぐる運動の在り方であります。これ既に幾つかの案が公表されているようでありますけれども、恐らく、フランスもそうですが、基本的には選挙運動をモデルにしながら投票運動を考えていくということになるのだろうというふうに思います。
そのモデルになる日本の公職選挙法ですけれども、これあえて誤解を恐れずに申し上げると、基本的には選挙法が認めた運動手段のみを認めると、こういう非常に厳格なシステムになっていると、こんな印象を私持っております。背景にはいろんな事情があるだろうと思うんですね。特に、個々の候補者が当選を争うということになりますので不正とか買収を防止するという配慮もあるでしょうし、他方で財政力による不平等を緩和するというところで候補者間の公平を図るというような視点がそこには含まれていると、これは承知しているわけですが。しかし、非常にある意味厳正な運動が行われる反面として、一律平等に不自由な運動になっていると、こういう評価があるというのは恐らく御承知のところだろうと思います。
ただ、そうは申しましても、選挙運動の場合にはたくさんの候補者が出てまいりますので、おのずから様々な意見がその選挙運動の中では表れてくる、様々な立場が選挙運動の中で主張されてくると、こういうことになるわけです。
ところが、国民投票をめぐる運動はどうかというふうに申しますと、選挙の場合とは違って候補者はいないわけです。だれが主体かというと、あえて言えば国民が主体だということになるだろうと。もちろん、政党がそこでは大きな役割を果たすことにはなるでしょうけれども、国民全体を含んだ形での運動ということになってまいります。
しかも、候補者が当選を争うというような個人的な利害がかかわる運動ではありませんし、全国的な規模で、しかも非常に幅広い問題がそこでは問われることになりますので、やはり基本的にはできるだけ自由な運動を考えるという点に留意すると。これが恐らく、憲法からいきましても非常に重要な点だろうというふうに思うわけです。
ただ他方、非常に気になりますのは、憲法改正の発議というのは両院の三分の二でなされますので、そもそもその発議の段階で反対意見が非常に少ないだろうということが想定されるわけです。ただ、先ほど申しましたように、主権者国民、意思は一つだと申しましても、非常に多様なニュアンスや多様な意見がその中には存在しております。そうしますと、自由な運動をベースにしながら最低限多様性を確保するような措置というのが考えられてもよいのではないかと、こんなふうに思うわけです。
先ほどちょっと御紹介しましたフランスの制度というのは、なかなか参考になるところがあるだろうというふうに思うんですね。新聞ですとか例えば電波の利用について、最低限、これは恐らく国会に議席を持っている政党が中心になると思いますが、例えばフランスの場合ですと、得票率というようなものも勘案して、割と幅広くいろんな組織の声を拾い上げるという制度をつくっておりますので、そういったことも加味するということが恐らく求められるのではないかと、こんな感じがいたします。投票の公営化ということになるわけです。公営化というのは、反面において自由を規制するという側面も併せ持ちますけれども、基本的には自由な運動をベースにした中で最低線多様性を確保するような措置を組み合わせていくということが恐らく重要になってくるのではないかと、これは私、常々考えているところでございます。
ちょうど時間が参りましたので、私の話は以上にさせていただきたいと思います。