小泉純一郎の発言 (行政改革に関する特別委員会)
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○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 格差というのは、どの時代でもどの国にもあると思っております。かつては悪平等という批判もかなり言われました。努力しても努力しなくても同じだと、これは悪平等じゃないかと。努力が報われる社会というのは与野党共通しているんじゃないですか、努力を報われる社会にしようというのは。ということは、努力している人、能力のある人、意欲のある人、これには相当の報酬なりあるいは評価なりがされるべきだと。これを好ましくないと言う人は少ないんじゃないでしょうか。
どの時代においてもどの国においてもありますけれども、日本はアメリカに比べてもその格差は少ないと思います。あるいは、例えば社長の給料と新入社員の給料を比べても、民主主義社会、発展している先進国の中においても日本はその差が少ない国であります。逆に、社会主義社会、一党独裁の中国よりも格差が少ないと思っています。
そういうことを考えますとね、格差というのは何を言っているのかという、その見直しといいますかね、どの辺の格差がいけないのかという議論もこれから必要だと思います。そして、そういう中で、能力のある方には大いに頑張ってもらおうと。
あるいは、最近は、日本の教育の面を取っても、ある程度能力のある人についてはどんどん更にその能力を伸ばすことができるような教育体制をつくることが必要ではないか。得手不得手がそれぞれありますから、得意な分野を伸ばす。あるいは、どうしても追い付いていけない人に対しては、その追い付いていけないように、追い付いていけない場合には分かりやすく教育する。ある程度、それぞれの能力差を考えて、伸ばす面と、伸びにくい面はどうやって手当てしていくかという両面の対策が必要だと。これはスポーツ選手についても言えます。オリンピック選手に対しては、才能教育といいますかね、どんどんどんどん能力のある面を訓練する場が必要じゃないか。教育の面についても言えるんじゃないかと思います。
私は、そういうことから、どんどんどんどん能力のある方が伸びるチャンスを持てる社会、そして一面だけで評価しないことが大事だと思います。学校の成績がいいというのがその人の全人間的な評価を決めるものじゃありません。学校の成績が悪くても、それ以外の分野ではすばらしい能力を発揮する方がいるわけです。そういう点については、一面だけで評価しないと、様々な持ち味があると、人によっては。人のそれぞれの持ち味、多様性、個性を生かしていくような場を提供する、そして頑張っている人は評価する、成功者ということに対してねたんだり足を引っ張ることなく、むしろそういう人に頑張ってもらうと、そういうような環境なり精神的な意識の持ち方も必要ではないかと思っています。
同時に、どうしても一人では立ち行けない人に対しては、やっぱり能力のある人が支え合っていく、助け合っていく、そういう状況が必要ではないか。明治時代ですかね、私、この言葉好きなんですけれども、「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」、友達の悩み、憂いについては同じように憂うと、しかし自分の喜びに対して友達は喜んでくれるという、これはお互いが助け合って、支え合っていく生き方だと思いますね。
「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」、これは、やっぱり他人の意欲、業績に対しては拍手を送る、成功者にもっと頑張ってくれという拍手を送る、しかしながら、どうしてもやっていけない、苦境に陥った人に対しては手を差し伸べていく。これは、個人においても企業においても国においても政府においても、必要なことではないかなと思っております。