北岡秀二の発言 (文教科学委員会)

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○北岡秀二君 多分、現場の学校の先生に、あるいは教育現場、いろんな立場の方にお答えをいただくと結構ばらばらなお答えになるんじゃなかろうかと思います。そしてまた、なおかつ私が最初に申し上げたとおり、非常に分かったようで分からない状況のままで受け取られておるんじゃなかろうかという印象は私はぬぐえないものを持っております。
 もう一点、今の教育ということを考えてみると、この豊かな心というところに一番我々は大きな課題を抱えておるんじゃなかろうかというふうに、今の教育改革の大きなポイントになっておるように感じております。なおかつ、今我々が教育現場を考えてみたときに、起こってくる社会的なその出来事ですね。学級崩壊であったり、あるいはいじめ問題であったり、あるいはいろんな社会の事件、事故を考えてみますと、行き着くところは最終、心豊かな子どもたちを育成しなければならないというところに行き着いてしまう。我々は、今、教育の中の問題、確かに学力を向上させる、科学技術力を向上させる、あるいは文化的な部分の造詣を深めていくという問題もございますが、大きな大きな要因の問題の一つには、この心の豊かさをどう追求するかというところに私は大きな問題があるように感じております。
 さらに、我々国民、再認識をするというか、改めて客観的に感じることの一つに、毎年毎年、ちょっと今日は資料は持ってきておりませんが、あれ一ツ橋文芸教育振興会というんですかね、千石さんのところで日本と中国とアメリカとの十五歳の子どもを対象にした、最近は韓国も含めたりヨーロッパの国も含めたり意識調査をしておるようでございますが、この意識調査の数字がつい先日も発表されました。そしてまた、この時期に毎年毎年発表される中に、我々は、日本の十五歳の子どもたちが考えておること、あるいは人生に対する思いを数字として提示をされながら愕然とするものを感じておる国民、大勢いらっしゃるだろうと思います。そしてまた、なおかつ、それと同時に、なるほどなあと言ったらもう非常に変な言い方なんですが、さもありなんと、今の状況からするとさもありなんという思いも再認識をしておるだろうと思います。さらに、じゃどうすればいいんだろうと、じゃどうすればいいんだろうでなかなか、そのどうすればいいんだろうの何をやっていいか分からないというのも、もう複雑な要因が絡んできておるだけに現実だろうと思います。
 これには私は、過去から現在に至るまで、教育の改革や心の問題ということを議論されている過程の中で、家庭の問題があったり社会全般の問題があったりして、じゃどうするかというところの一つに宗教の問題が出てきたり、ここの大きな憲法で規定されている政教分離の絡みの中で、学校教育やあるいは社会教育の中に宗教に絡むようなことには触れてはならないと。まあコンクリートされているわけではないんですが、そういう反省の上に立って、なかなか核心に触れることができない、そういう壁があったりですね。あるいは、イデオロギーですね。イデオロギーというか、六十年前の戦争の問題に絡んでくるんですが、その問題に起因して、また思想教育がどうだこうだ、あるいは戦前の日本がひところすべて悪かったような風潮があったりして、いろんな意味で、この心豊かな子どもを本当の意味で具体的に醸成する過程の中で、あるいは学校教育の現場の中で具体的に指導していく過程の中で、我々自身大きな壁というか障害物を感じておることも一つです。
 さらに、これはもう私は個人的な思いなんですが、かつては日本の国の中では修身という非常にすばらしい一つの指針がございました。これも、最近の世の中では、修身はすばらしいじゃないかと。天皇陛下の問題に関しては、確かに時代の変遷があったから、この扱いやこの表現に関しては何とかちょっと手直しはしなければならないが、外国から見ても、あるいは今の状況から見ても、修身はすばらしいから何とか修身に似たようなと言ったらおかしいんですが、復活さしてもいいじゃないかというような議論もございます。しかし、これも、先ほど申し上げました六十年前の問題や、戦後のいろいろ日本の民主主義の過程の中で大きな障害があってなかなか、かつて日本が執り行ってきたことが、まあ復活と言ったらおかしいんですが、再現ができないという壁があります。
 私はここで何を申し上げたいかというと、今私がもろもろ申し上げたような状況の中で、文科省は特にそうだろうと思うんですが、基礎、基本のはっきりしたことを指し示すのに非常に臆病になってきておるんじゃなかろうか。それを避けて通らなければならないがゆえに、今局長、いろいろ御説明いただきました。確かに、説明していただいて、箇条書きに、羅列書き、いろいろおっしゃるとおりです。しかし、分かりづらい。分かりづらいし、トータルからいうと、全部聞いてみて御無理ごもっともで、じゃ一体何なんだろうというところがあります。
 私は、いま一点申し上げます。私なりに豊かな心、大臣は大臣でお持ちでしょうし、各先生方お持ちだろうと思うんですが、一つには幅広い見識を持つ。見識を持つことによって心がいろいろ刺激されますよね。幅広い見識を持つ。
 それともう一点は、これも表現もございましたが、これも俗に言われる人の気持ちを分かる。人の気持ちを分かるためには、つらい、苦しい、悲しい、惨めである、そしてまた、なおかつ愛情の心も含めて、感動の心も含めて、いろんな意味でその人の気持ち、いろんな場面場面の心の体験を、まあ学習するのは実際体験しなければ学習でき得ないところもありますが、疑似体験も含めてできるだけ体験をする。
 それともう一点は、これが私は大きな大事なことだろうと思うんですが、ちょっと横道それて話申し上げますが、昨年、私ども文教委員会で萩へお邪魔しました。萩へお邪魔したときに非常に感銘を受けたんですが、志教育と。志教育ということで、学校自体が、それぞれの志を立てましょうと。大きくなって社会にどう貢献するか、どう大人として生きていくか志を立てましょうと。いろんなところで、朝礼やあるいは節目節目に、学校の中で、志のいろんな関連する、まあ吉田松陰の文章もあるだろうと思うんですが、朗読しながら、志について子どもながらに、何とはなしに志を目指せるような子どもを育成している。
 正に私は、今の世の中、キレる子どもを考えてみると、損か得か、あるいは面白いか面白くないか、苦しいか楽しいか、心の価値基準、物差しがそれしかない。そういう物差しで事に臨んでいって、社会に出ていったときにキレるのが私は当たり前だろうと思います。そのキレる部分をカバーするのは、これは大人として、皆さん方、私ども考えてみたときに、私どももそういう場面に直面する。非常に苦しい場面に直面したり嫌な場面に直面する過程の中で、それを通り抜けられるのは、志があったり目標があったり私はこうなりたいんだという思いがあるからこそ辛抱ができる、あるいは乗り越えることができる、頑張ることができる要因があるんだろうと思うんです。
 ですから、私は、ちょっと話が横道にそれ過ぎましたが、心豊かな子どもの中の大きな要因の中に、表現の方法は別にして、志、これはもう志という表現でなくてもいいんですよ、志というのは大事なんじゃなかろうかと。今、学校教育現場で、志を持ちましょう、人生の志を持ってますか、まあ志という表現でなくてもいいんですよ、例のあの、中川先生いらっしゃるから、北海道のあのクラーク博士の少年よ大志を抱けの大志でもいいんですよ。大志を持ってますかと、そういうことを聞いたときに、多分きょとんとする生徒が大半ではなかろうかと思います、小学校、中学校、高校を通じて。何なんだろう、何なんだろうと。で、私は将来何になりたい、これになりたい、一切ない。損か得か、楽しいか楽しくないか、楽しければいいと、そういうふうに思ってらっしゃる多分子どもさんの現場が今の現実じゃなかろうかというふうに感じてます。
 そういう観点からいうと、何度も申し上げますが、志という言葉じゃなくてもいいけど、志というのも豊かな心の醸成の中の大きな私は大事な要因だろうと思います、今申し上げましたとおり。広い見識を持つ、そして人の心が分かる、そして志を持たそう。私は是非とも、先ほどから申し上げたとおり、豊かな心をつくるというのが我が国の教育現場の最大課題の一つであるということからすると、この豊かな心という抽象的な表現じゃなくて、もう一つ具体的に指し示すべき、はっきりと、いろんなところで、学校の先生にお伺いしてもこうなんですと言えるような状況をつくるというのが私は大事なことの一つのように感じておりますが、この辺り、大臣、是非とも、今後そういう観点で私は大事な分野だろうと思うんですが、大臣の所感、ちょっとお伺いを申し上げたいと思う次第です。

発言情報

speech_id: 116415104X00220060316_008

発言者: 北岡秀二

speaker_id: 13059

日付: 2006-03-16

院: 参議院

会議名: 文教科学委員会