枝野幸男の発言 (日本国憲法に関する調査特別委員会)
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○枝野議員 これも両取りはできないよねという世界なんですよね。つまり、何らかの規制をしなければ、賛否の量がアンバランスになるということはやむを得ないと考えるしかないんだろうと思います。
私は、せっかくの船田先生の御提案なのでいろいろ考えてみたんですが、配慮規定といえども、やはり、放送局に対して法律で具体的中身に立ち入るような形での何らかの規制を設けるというのは余り望ましくないだろうなと。あくまでも自主規制だと。自主規制で賛否平等にしなさいと言われたって、テレビ局は困ると思うんですね。
片方からは百件の放送コマーシャルをやりたいという申し込みがあって、片方から一しかなかったときに、百断るんですかと。あるいは、片方から百あって、片方から申し出がなかったら、申し出があっても受けないんですかとか、そういう話のことをテレビ局に自分たちで判断しろというのもこれまた無理を強いることなんであって、もし規制を加えないということであるならば、まさに民間でのマーケットメカニズムに基づいて、金を持っていたらたくさん放送される、それは仕方がないということを容認するしかない。
そうでないならば、放送局に対して何らかの介入をするということである。介入をするんであるならば、中身に入る介入は最悪であるということであって、これは中身がいいから放送するとか、これは中身が問題あるから放送しないとか、そういうことはまさに表現の自由にかかわる問題であって、形式的に、この場所では表現してはいけません、この時間帯には表現してはいけませんという、内容のいかんにかかわらず、形式で表現の自由は規制があるとすればやるべきであるというのは、これは表現の自由に対する合理的規制のあり方として一番全うでありますから、やるんだとすれば、いつからいつまでは一切これに対しての放送はしないというやり方をするか、アンバランスが出ても仕方がないと思うか、二つに一つだと思いますが、私は、健全に国民の意思が反映されるということを考えるならば、全く自由に資本力によって量から何から大きな差が出るということの結果よりも、一定程度の何らかの形式的規制が入ることの方が国民の意思は正確に反映される結果につながりやすいというふうに思っています。
念のため、特に船田先生からの御提案の中で、新聞は、一切これは、いずれにしても検討の余地がないんじゃないかな。ちょっと誤解があるんだと思いますが、新聞規制してしまいますと、自由新報に共産党が反対広告出せと言われたとき平等に扱わなきゃいけないし、赤旗に自民党が原稿出せといったときに平等に扱えということになってしまいますので、新聞には配慮規定とはいえども無理だというふうに思います。
以上です。