水島朝穂の発言 (外交防衛委員会)
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○参考人(水島朝穂君) 今、この国は極めて重要な転換点にあります。本法案もまたその一つであります。そのような重要局面におきまして発言の機会を与えていただきまして、感謝申し上げます。
さて、冒頭に申し上げたいことは、参議院の重要性であります。衆議院の安全保障委員会議事録を子細に昨日読んだところではありますけれども、十月二十七日から四回の委員会が御承知のような事情で野党欠席のまま行われております。十一月三十日の本会議で本法案は可決されましたけれども、報道によれば、審議時間は十四時間二十分だそうであります。良識の府である参議院で、本法案の持つ重要性にかんがみ、より慎重な審議が求められます。六日の本会議において、藤末健三議員が参議院を再考の府、再び考える府と呼び、深い審議を求めましたけれども、全く同感であります。慎重審議を本委員会に期待し、内容に入ります。
結論をあらかじめ申し上げますと、私は本法案に反対であります。差し当たり、三つの理由を述べたいと思います。
まず第一に、今この時期、このタイミングで防衛庁から防衛省にすることの積極的な説明がほとんどなされていないことであります。なるほど、旧総理府、現在の内閣府の外局として、内閣府の長としての内閣総理大臣の下で、その委任を受けた者としての地位にある防衛庁長官が閣議請議権がなく、また御承知のとおり、予算要求や予算編成の時期に他省庁と異なり内閣府を経由する手続などもあります。また、これらの理由を読んでみますと、ディフェンスエージェンシーという名詞が他国の防衛担当官との間で一言説明を要するといったような形で、言わば一つ格下に見られることの問題性などなどが指摘をされています。
しかし、これは今に始まったことではなく、既にこの半世紀、これまでもやってきたわけで、その中で先人たちは様々な努力をし、各国に説明をしてきたわけであります。これがどうしても不都合であるという積極的な説明が私にはどうしても見られないのであります。
そもそも、なぜ国家のいわゆる防衛任務というのをこのような複雑な二階建ての構造にしたのでしょうか。その設計の根底には明らかに憲法九条の存在があります。憲法九条は、安全保障の設計を軍事力を限りなくゼロにしたところから立ち上げることを要請しています。これは、広島、長崎という人類的な核戦争の体験、沖縄に見られる地上戦の悲惨な体験、そしてアジアの多数の民衆の犠牲の上に、日本国憲法はあえて近代立憲主義が自明視した国民国家における軍事力の本質へという点をあえて疑い、軍事的合理性を単に制限するにとどまらず、あえてその軍事的合理性を否定するところまで徹底した平和主義を採用したと私は考えております。ここにこの憲法の特質があります。
国際情勢の変化の中で、憲法施行後わずかな期間で警察予備隊、保安隊というものを経由し、今から半世紀ちょっと前に自衛隊が発足するとき、政府は自衛のための必要最小限度の実力、いわゆる自衛力の合憲論を打ち出しました。違憲の戦力と合憲の自衛力。だから、当時、改進党が防衛省設置要綱案を作成しましたけれども、結局、防衛庁設置法となったわけであります。
内閣の首長としての内閣総理大臣は実力組織としての自衛隊の行動に関する指揮権を持つ、しかし、自衛隊法七条は憲法七十二条の確認規定であると解し、いわゆる統帥権的な創設規定ではないと解します。したがって、長官は、内閣府の長としての内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の部隊やその機関に対する指揮監督権、隊務統括権を行使するわけでありまして、これは国家行政組織法十条の確認規定と解します。
これは、言ってしまうと列国の、普通の一般の国の国防省とは明らかに異なります。この苦肉の策ともいうべき手法は、これは憲法九条と自衛隊の言わば矛盾的併存状態を半世紀以上続けたことと一体を成していると私は考えています。つまり、日本は世界と違って、あえて軍政と軍令というようなクリアな分け方や、そういう軍政面にすらこのような二階建て構造をあえて屋上屋を重ねてやることによって、軍事に対して徹底してネガティブな姿勢を取る憲法の下で、あえて必要最小限の実力としての正当性を各国に説明をしてきたわけであります。
いわゆる一般的に知られるシビリアンコントロールと異なる、この日本型のシビリアンコントロールの枠組みもまた、文官スタッフ優位制度を含めて、様々な矛盾を生じてくることは明らかでありますけれども、その矛盾をどう評価するか、その矛盾の中身の問題であります。森本参考人が御指摘するような、軍事的合理性を徹底した観点からすれば、文字どおりこの言わば矛盾的な仕組みというのは非常に不徹底であり、また様々な問題点を含んでいると思うことは明らかであります。しかし、あえてこれをこの国は半世紀続けてきた、その歴史の重みを見るべきであります。二〇〇一年に環境庁を環境省に変えたとき、環境は重要な国家任務であるからということで合意をしていったのとは明らかに異なる、軍事というものに抑制的であったこの国の姿勢はあえて私は重要であると申し上げておきたいと思います。
防衛庁の説明図を見ますと、すっきりとした行政組織に変えるという、すっきりとした行政組織という、すっきりという言葉が多用されております。すっきりという言葉は最近いろんな場面で使われますけれども、世の中すべてすっきりするものばかりではありません。この国があえて軍や国防省を持たない国として進んできたこと、これはノーマルではありませんが、アブノーマルではない。世界がむしろ、世界が軍縮に向かっていく中でこの国があえてこの仕組みを今の瞬間変えること、そのことは世界の複雑な状況の中で日本が果たすべき独自の役割を私は放棄するものであり、あえて軍と国防省を持たない国として自衛隊と防衛エージェンシーでこのままいくことの方が、私はあえて軍事的合理性を高める、このような法案に対して反対するという観点からこれを強調したいのであります。
これが第一の理由であります。
第二の理由は、海外派遣任務の本来任務化の問題性であります。
詳しいことは省略いたしますが、法案、子細に読んでみますと、実に様々な仕掛けが入っております。第三条第二項の構造は、一項で定める防衛の目的以外にも、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、別に法律に定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを含むとされています。もちろん、武力による威嚇、行使は含まないという形で縛りは掛かっていますけれども、そこに法律さえ定めれば任務の拡大に歯止めはありません。元々、自衛隊法第八章の第百条は土木工事の規定であり、ここに言わばずらずらと追加的に雑則のところに様々な、PKOから一連の任務が付いていったことは御承知のとおりであります。本来、これは本則である第三条を変えてそこで含むべきものと言われるものでありましたけれども、これまで一切そういうことがなされないままこの雑則の活用法でやってまいりました。
自衛隊法改正案第三条二項には、法律で定めれば本体任務に連動するようこの雑則との関係も付いております。例えば、テロ特措法とイラク特措法という賞味期限付きの法律が本来任務に格上げされる仕掛けであります。附則第七項以下では、テロ特措法、イラク特措法による派遣が当該法律が効力を有する間として本来任務にリンクするように設計してあります。
そもそも特措法というのは極めて時限立法であり、それぞれの国会の中で深い議論があります。この中でイラク特措法、テロ特措法に賛成した方でも、あえてこれが恒久法であれば決して賛成しなかったであろうような内容と性格を持っております。そのような特別措置法という法律をこのように何度も延長すること自体はここでは、問題でありますけれども触れませんけれども、その特別措置法というものをその法律の効力がある間、本体任務に連動されるこの立法作法は私は甚だ疑問であると思います。
すなわち、本来、武装組織を持った以上、その権限行使は本則の部分の権限行動規定でしっかりとした授権規定、すなわちその権限を与える規定を持つべきであります。このような雑則の中にあったものを附則の中にこっそり忍び込ませ、それを言わば別の言葉で連動させて顕現化するというやり方こそ、これはこそくと言わざるを得ません。
あえて次善の策、私はこの法律すべてを違憲と考えますけれども、あえて次善の策を考えるならば、あえてこの附則第七条以下と本来任務を切り離し、言わば別に法律を定めるというところに別の言わば歯止めを掛ける必要があると考えております。すなわち、PKO任務と周辺事態任務が附則二項には入っておりますけれども、これと同じように機能するように別に法律の定めるその有効な期間というやり方は余りにもあいまいであり、海外から見ても、日本の対外的な姿勢から見ても問題であると考えるのであります。
そういう観点から、自衛隊の海外派遣任務の蓄積をあえて本来任務にすることが当然だという御意見があることは私も理解しております。しかし、これまでの海外派遣実績の冷静な検証、これが求められていると思います。川口元大臣が在席されていますけれども、これまでの日本の対外的な国際協力の中で、自衛隊をどうしても派遣せざるを得ないのというのがどれだけあったのか。自衛隊を派遣したカンボジアPKO以降、イラク特措法のサマーワ以降、この中身についての冷静な検証を見ていく必要があると思います。
現地から感謝されているという表面的な理由だけでこれらの海外派遣任務が支持されたとするには私は早計であるし、これだけ財政が緊迫する中、大量の費用を掛けて、例えば同じ費用を掛けるならば相手国に対してもっと喜ばれるような方法があったであろうということも含めた冷静な検討が必要だろうし、テロ特措法やイラク特措法でも、現地のニーズにかかわりなく、ある種の派遣されることに意義があるという形で対米的な関係を重視したやり方が取られてこなかっただろうか。真の限られた予算の中で真の国際貢献を言うのであれば、世界の疾病や貧困、今そこにある危機に適切、的確に対応する日本の姿勢があってしかるべきであろう。そういうふうに考えたとき、海外派遣というものをこのように容易化するやり方について、今ここで決めることについて私は大きな疑問を持ちますし、また、費用対効果から見ても、日本がやるべき国際協力の形についてもっと検証が必要だろう。
皆さん方の先輩が半世紀以上前の六月二日、参議院の本会議において、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」というものを行っております。その中で、我が国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないと決議したわけであります。つまり、自衛隊は海外に出さないということでこの自衛隊が発足したのであります。これは事情が変わったと簡単に言えるでしょうか。このときの皆さん方の先輩、参議院の議員たちの心にあったことは、少なくとも日本が海外で武力行使をし、再び他国に対し武力による威嚇を行わない、そういう国の形を想定していたに違いありません。そこから生まれてきたこの変則的とも言える防衛庁という防衛エージェンシーの形、軍隊ではなく自衛隊であるという形、大佐と言わず一佐と言うこの不思議な形、英文では一致しているのに、このようなある種の苦肉の選択というものは、この国の五十年の形を私は示していると思います。
この点で、私はドイツの例を引きたいと思います。私の専門であるドイツは、同じように敗戦国として出発しながら、実は様々な海外派遣を蓄積してきました。私の調べた限りでは、今年の十一月の現在で、十地域八千八百八十九人の海外派遣を展開しています。そして、カンボジア、ソマリア、ボスニア、コソボ、アフガン、コンゴ、スーダン、そしてレバノン沖の海軍派遣まで、文字どおり、ヒンズークシからコンゴの密林までドイツ連邦軍の言わば防衛範囲になったと前国防大臣は言っているほどであります。つまり、本来、国防という下に設置されドイツ基本法がそれを根拠付けて連邦軍を設置したものが、九一年の湾岸戦争以降、国防というものの定義、すなわち防衛概念の定義変えを二つの軸でやってきました。
第一の軸は、距離の軸であります。すなわち、本来、国防というのは、領空、領海、領土というものを言わば明確に守るという意味では、地理的な概念であります。これを地理的概念ではない形にして、言わば資源あるいは市場、そしてそことのアクセス、これが国益であると、こういう形で理解し、それを守ることが防衛の概念に含まれる、こういう距離概念の多大な拡大が行われました。その結果、ヒンズークシ山脈に至るまでドイツ国防軍の防衛範囲と解釈されていったのであります。これが距離軸であります。すなわち、死活的利益があるもの、守るべきものは国境の外にある死活的利益となっていき、国防目的で設定された軍隊が海外任務に転用されていったのであります。
一方、時間軸は、武力攻撃の着手時点ではなく、脅威の内容と程度に応じて事前、先制、予防的に行動する考え方が生まれてきました。これはいわゆるアメリカの二〇〇二年九月の国家安全保障戦略におけるプリエンプティブストライク、先制攻撃などの明確に見られるように、言わば相手国からの脅威あるいはその攻撃の現実性がないにもかかわらず、文字どおり攻撃を掛けてしまう。これはイラク戦争について既にアメリカでさえ反省の動きがあることをかんがみれば、この先制攻撃のやり方がいかに国際的な法の支配を崩してきたかは明らかであります。
ドイツは、この時間軸については抑制的であり、この距離軸についてかなり広げた結果、現在レバノン沖に部隊を展開し、さらに、そこで様々な問題を起こしています。世論調査では、七割が撤収すべきだという世論の結果が出ておりますし、この前の派遣決議では与党の中からすら反対意見が出てまいりまして、ドイツではこれまでのように多大に行われてきた海外派遣任務に抑制的な傾きが見られるのであります。そこにおける議論は、防衛のために設置された軍隊が言わばそのような形で国際政治的に転用されていく、そのことに対する軍隊内部からの批判もあります。私はドイツ滞在中、ドイツ国防軍の中の連邦軍の大佐が委員長を務める連邦軍協会を訪問し、様々な意見を聞きました。彼らは政治に向かってはっきりと軍人としての主張をします。つまり、このような海外における軍人が危険にさらされる任務が法的正当化が不十分なまま行われるということに対する疑問が内部からも出ているのであります。
今、日本までがそのような海外派遣任務を容易にするシステムを取ることは、このような観点からいっても私は大いに疑問であります。ドイツの教訓を導けば、国連任務が明確である場合、そして人道援助のような明確な、いわゆる非軍事の活動であることが明確である場合に限っていくという形で、文字どおり国際派遣任務の言わば明確化ということが求められているように思います。その観点から、法案の三条二項に、他に法律に定めるという定め方はあいまいに過ぎると思います。
第三に、この内容については、実質的には憲法改正の先取りではないかという疑問があります。憲法九条の言わば先ほど述べたような軍政、軍令を徹底して否定したやり方に対抗して、実質的には軍政面における制度的な改変を一歩進める、不十分であるけれども、防衛省という形で一歩進めることによって実質的には憲法改正の先取りになる。憲法改正は、御承知のように本院の総議員の三分の二を必要とする憲法改正マターでありまして、そのことを自覚するならば、あえてこのことは憲法改正の議論のところでやるべきであります。
政府の行為によってという形で戦争の発生原因を明確化し、平和を愛する諸国民の連携と連帯のネットワークの構築を示唆し、そのために自らの戦争、武力行使、武力威嚇など国家暴力の諸形態を放棄するとともに、軍隊の保持を禁止し、国際法上交戦者の資格としての交戦権を自ら放棄し、そして全世界の国民、個人が貧困や飢餓、疾病、自由抑圧などから免れるよう、平和のうちに生存する権利の普遍化のための行動を求めたこの日本国憲法の思想、それは人権と統治の両面から平和を普遍的な憲法原理に高め、本質安全の保障モデルと私は考えております。
このような観点から見るならば、本日、国連の安全保障理事会が半世紀以上前、日本の国連加盟を決定したと聞いております。国連安保理が日本国連加盟を決定した日にこのような場で、私は、日本という国が防衛省というふうに昇格させ、国際任務の拡大という方向に一歩踏み出すような法案を審議していることは大変象徴的と私は考えています。
なぜならば、このような憲法の下で、国連の集団安全保障を強化する方向で、日米同盟というもの、つまり日米の軍事的同盟関係を過剰に強める方向ではなくして、あえてアジアに軸足を置いて、この国連の集団安全保障の枠組みの中でアジアの地域的な集団安全保障の枠組みを強めていく方向で日本が一歩踏み出していくこと、そのためにも米軍再編や、あるいは様々な海外任務の本来任務化、そして防衛省への昇格といったようなことをひとまずペンディングにして、その上で国連の強化の方向で日本が議論を進めること、それは今アメリカですら、あの先制攻撃的性格を強めたブッシュ政権ですら、今国内からの大きな批判にさらされ若干の軌道修正をせざるを得ないというこの時期、このタイミングでこの日本が文字どおり示すべき見識であると私は考えております。すなわち、防衛庁を防衛省にするよりも他にすべきことがたくさんある。何よりも、イラク派遣について文字どおり深刻な反省をすることが求められています。
本委員会において、防衛庁長官は小泉前首相の発言について個人的見解のようなこともおっしゃって、私はいすからずり落ちましたけれども、文字どおり、あの小泉内閣、ついこの前行われたイラク派遣について、あの時期あのタイミングでの支持、協力の表明が正しかったのか、その後のイラク復興支援という名の下で行われた自衛隊のパンツァーファウストまで持つ、百十ミリのあの対戦車ロケットまで持っていったあのような活動が本当に正しかったのか、他に復興支援の方法がなかったのか、冷静な検証が求められていると思うのであります。
そういう意味で、私は、衆議院でわずかな時間しか審議されていない本重要法案がこの国の形を対外的に示すというメッセージ機能を持っているという意味で、本良識の府参議院において、特に本委員会において、先ほどの議員の言葉を借りれば、深い審議を行って、慎重審議の上にも慎重審議を行って参議院の見識を示していただきたいと考えるものであります。
最後に、米国との適切な関係を取ること、そして武力に過剰に依存しない形、この国の対外的な政策において求められるこの二つの姿勢を一貫させるならば、文字どおり対外的な交渉能力や情報力、そして何よりもネットワークの構築能力といったものを日本がもっともっと伸ばしていく、そういう方向に努力をするためにも、ディフェンスエージェンシーであえてとどまること、その上で外務省や様々な省庁との、あるいはNGOなどとの協力をしながら、日本が平和や安全保障について非常に難しいこの極東アジアの状況を踏まえて行っていくことが私は求められていると思います。
本委員会が、繰り返しになりますが、参議院の外交防衛委員会という重要な場面におきまして、深い審議を行った上で本法案に対して慎重な態度を取っていただくことを最後に期待して、私の発言を終わります。
ありがとうございました。