馬居政幸の発言 (教育基本法に関する特別委員会)

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○参考人(馬居政幸君) 静岡大学の馬居政幸と申します。
 私は、教育学部で社会科になる人たちを育てていますが、社会学と社会科教育を担当しております。それから、地域社会における生涯学習、あるいは男女共同参画の推進、あるいは子育て支援、介護支援等の支援活動を行政が行うことにお手伝いをさせていただく仕事を幾つかやってまいりました。研究者としては、そういう中から、いわゆる少子化、高齢化、それから人口減少という段階に入った日本の社会が、その基盤となる教育システムをどのように変えていかなきゃならないのかということを、自分の現在の一番関心を持つ課題として向かっております。その立場から、今回の基本法の改正について意見を述べさせていただきますけれども。
 その前に、まず私の基本的な立場というものを申し上げておきますと、個人的には、現行の教育基本法も含めて、国家が国民に対して教育の理念を説くということ自体は余り好きではありません。したがって、現在の教育基本法は、その前の教育勅語と同様に私はない方がいいと思っていますが、しかし、実際にはそういうことを欲している国民があり、あるいはそれがそれなりの機能を持つということを前提としたときに、実証的に社会学の目から見るという意味も含めてですけれども、戦後の日本を平和国家として再建する上で、また現在の自由で豊かな日本社会を構築する上で現行の教育基本法が非常に大きな役割を果たしてきたことは評価したいと思います。
 そして、この基本法とほぼ同じ時期に私は生まれた団塊の世代の一人として、また基本法に支えられた日本の教育の世界を対象とする研究者として、基本法の存在を誇りとも思ってきました。しかし、このことは、それゆえにこそ、制定時より六十年近い時間を経て、団塊の世代と全く異なる条件の下で生まれ育った人たちにとって必要な教育の基本法という面では不適切と言わざるを得ないというのもまた私の立場であります。
 そういう意味で、問題は変えるか変えないかではなくて、変える方向であり、その理由であります。で、私なりに変える方向として三点、賛成する立場から述べていきたいと思います。
 まずその一点は、急激に進行するグローバル化に対応した国家と国民の位置付けの再定義を、個人の自由意思に基づく選択を基盤とする政治システムとの関係において行う必要性であります。
 すなわち、国家と国民の関係が変化しているその中において、教育は国家をどのように教えなきゃならないのかということを改めて問い直さなきゃならないと。教えなくていいという時代から教えなきゃならない時代になったときに、何を教えるかという問題になると思います。あるいは、そのときに、どういう論理、システムを前提として考えなきゃならないのかという。
 このように考えるようになったのは、私は、九〇年代半ばから韓国で広がる日本の漫画やアニメの子供たちへの影響について調査を続けてまいりました。そのときに、いつも学生を連れていっておりました。そして、向こうの学生と、子供たちと交流をしてきました。
 そのときにいつも出てくることは、韓国の子供たちがウリナラという言葉、すなわち我が国ですね、という言葉とともに質問をあるいは詰問を学生たちに浴びせてきます。そのときに、学生たちはみんな戸惑います。その姿からあるいは学生たちの言葉から私が学んだことは、グローバル化という、だれもが日常的に国境を越える状況が進めば進むほど、国の境の自分にとっての意味を語る言葉が必要になるということでした。学生が求めたのは、よく言われる国の近代史を教わっていなかったということではなくて、国家の歴史を何で自分が答えなきゃならないのかという問いでありました。
 そういう意味で、今回のいわゆる教育基本法改正に関する論議で最も問題にされる教育の目標を示した第二条の五、「伝統と文化を尊重し」というところと言わばかかわることであります。私はこの、多分紆余曲折したんだと思いますけれども、最後に表れてきた文章を読んだときに、本来異なる理念の下にある与党の二つの党が、対立しながらも粘り強く同意点を積み上げてきた努力に敬意を表したいと思います。多分、お互いに不満を持ちながらこういう案を作ったんだと思います。それに対して、言わばある種の神学論争に近い批判あるいは肯定、あるいは日本語として不自然という批判もありますけれども、私はその不自然さほど、本改正の評価すべき点だと考えます。
 すなわち、いろいろと悩みながら論議を尽くしたという過程の中で、特にこの教育の目標として示される国という概念に統治機構が含まれないことを明確にし、ナショナリズムではなくてパトリオティズムとしたこと、さらには、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」という条文で結んでいること、この二重の作業によって、国と郷土を愛する対象と目的に対して、自国中心主義に陥る危険性に歯止めを掛け、他国と世界に開くという方向付けを明確に規定したことを評価したいと思っています。
 さらに、この愛する対象の国という概念から統治機構を除いたことによって、これは私自身の考えで、あるいは論議された方がどこまで意図したかは分かりませんけれども、私自身は、このことによってこの基本法が国家と国民の関係を再定義する新たな方向を開示することになったと考えます。その理由は、国を愛することを民に強制することではなく、民が愛することができる国土、自然、文化、社会にすることへの責任をこの基本法を提示した統治機構が負うことを意味するというふうに私は考えました。
 他方、統治機構というのは、実際、具体的には政府と政党です。その担い手は国民の中から試験と選挙で選ばれた人たちであります。このことは、一方で、統治機構を担う人を教え育て、選び送り出す役割を国民が担わなければならないことを意味し、他方で、統治機構、すなわち政府と政党は、国民に対して、統治に従うことだけではなくて、統治に誤りがあれば批判し、その担い手を排除することもいとわない態度を教え育てる義務を負うという循環構造によってのみ実現され得るということを意味していると私は考えました。これが統治機構が外された積極的な意味と。
 そういう意味で、誤解を恐れずに言えば、このような国と民と統治機構、すなわち政府と政党の循環構造が組み込まれていることにより、現行教育基本法にも潜在する国家の統治機構を介して特別な知識層が特定の理念の下に国民を教え導くという教育勅語の呪縛からようやく解放されたと思います。言わば、特別な基本法ではなくて、通常の基本法に教育基本法が変化したと。具体的な実定法を規定する政府の理念を提示するという意味での他の基本法と同様の基本法に言わば肩を並べるようになったということであります。
 そこで、このような民が愛することができる国づくりのために必要な教育課題という観点から、基本法改正の論議を通じて確認していきたいことを指摘したいと思います。それは、人口減少社会という現実であります。すなわち、人口減少社会に適合した教育システムへのソフトランディング、これが基本法改正を必要と私が考える二つ目の条件であります。
 そのために必要な条文として評価するのが、新たに加えられた第二章第五条の二のいわゆる義務教育を規定した部分と、第十条の父母その他の保護者のことを規定した部分であります。この二つは、私は、今後の日本という国と社会を担う人の教育という点で、さきの第二条にも増して重要と考えております。
 その理由は、この二つの条文を重ねて読むと、義務教育の目的が第五条の二にある国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うということであるならば、第十条の子の教育について第一義的責任を有することが可能な父母その他の保護者となる基本的な資質を養うことが義務教育に課せられることになるからです。
 なぜこのような強引とも思える解釈を強調するのか、その理由をお手元に配付していただいた資料により説明します。
 人口減少の状況を示した図でありますけれども、図一は、出生数と出生率のグラフに死亡者のグラフが入り、出生数よりも死亡者が多いことを示す図であります。こういう図は今年初めて出ました。自分で厚生労働白書から取ったものなんですが、ちょっとショッキングだったんですけれども、現行教育基本法成立時には多分想像も付かなかった子供の現実を象徴する図と考えられます。
 そして、この六十年間の社会と子供と学校教育の変化を示したのが図二から四です。時間の制約上詳しい説明は省きますけれども、現行教育基本法が誕生した時代の教育、すなわち「国破れて山河あり」から出発し、ベビーブーマーの後、少なく産んで良く育てることを求めた時代の教育と、国豊かになって子供生まれずという社会に変わり、少しでも子供が増えることを願う時代の教育が同じということはないでしょう。
 そういう意味で、変えるべき課題は何かということを、私は、ヒントは子供が減る理由から取りたいと思います。
 図五から八を見てください。いずれも昨年の国勢調査の集計結果から作成したものなんですけれども、まず図五と六から未婚率が男女ともにバブル景気が始まる一九八〇年代半ばから上昇していることが分かります。最近、未婚率の上昇と社会の格差の拡大を因果関係で結び、出生率低下を格差拡大の証明とみなす論議がありますが、それが一面的な主張であることを示す図であります。
 さらに、図七と八は、問題が女性ではなく男性の方にあることを示しています。東京の大田区の場合、三十代後半の男性の三人に一人、四十代前半の四人に一人が独身であります。女性との差が約一〇%あります。
 日本は、図二に示すように、現在四十歳代半ばになった一九六〇年を前後して生まれた男女から子供は二人の社会に変わります。この多数派が二人っ子になった男女の高校入学時に進学率は九〇%を超え、大学進学時に専修専門学校制度ができ、合わせれば七割近い男女が高卒後も学校にいる社会になります。その男女が実社会に出た八〇年代の日本経済は、女性の労働力を必要とするポスト工業社会、すなわち情報化の段階に入りました。その八〇年代に女性の大学進学率は男性を超え、短大を含むですけれども、性差ではなく個性と能力によって人を選別配置することが求められる社会に変わりました。
 それにもかかわらず、子供を産み育てるのは母親の責任という意識と制度を変えられなかった結果が現在の未婚率の上昇です。ただし、それでも多くの女性は結婚して子供を二人を産み育ててくれています。問題は、仕事を理由に子育てから逃げる男性と、それを強制する働き方であります。
 ここまではよく指摘されることですが、より重要なのは、そのような男性像や働き方、より広く人間像や会社、社会像の再生産の役割を学校教育が担ってきたということです。言い換えれば、女性が選ぶ側に、男性が選ばれる側に変わってしまったにもかかわらず、選ばれるために努力する関心、意欲、態度に支えられた知識、技能、表現を男性に教育することを怠った結果が、本当は男女ということになると思いますけれども、男性未婚率上昇の背景にあると考えます。
 その結果、子供たちの世界はどうなったか。図九を見てください。団塊の世代は人口千人当たり三十四・三人、団塊ジュニアはその半分の十八・八人、昨年生まれた少子世代はそのまた半分以下の八・五人。さらに、図十を見てください。十八歳以下の子供のいる家庭が、団塊ジュニアの場合、全世帯の半分以上ありましたが、現在は四世帯に一つであります。この二つの変化と合計特殊出生率の変化を重ねたモデル図が図十一で、これは私が作ったものですけれども。どこの家にも四人から五人の子供がいて鍛えられた団塊の世代、同学年の友達だけになった団塊ジュニア、それから、それすらも失った現在の子供たち、その親の孤立した状況を理解できると思います。
 家庭の教育力を問題にする前に、家庭をつくる関心、意欲、態度、知識、技能、表現の方法を教えていくことから始めなければ、正に国栄えて人なしとなることを危惧します。これは現行教育基本法が全く想定していない条件だと思います。
 もちろん、このことは女性に子供を産み育てることを勧奨する教育が必要ということではありません。仕事は男女ともにできます。しかし、子供を産むことができるのは女性のみで、それも一定の年齢の範囲です。ならば、せめて育てることの責任は、産むことができない男性と社会の仕組みの方で取ること。言い換えれば、子供を産んでくれさえすれば後は社会全体で支えますという制度と意識に急速に転換しない限り、図十二と十三にあるように、現在の六割台にまで再び子供が減少することが推計されています。
 これが五条の二の「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う」という表現が向かわなければならない現実です。学校教育の目的の重みが理解できると思います。そういう意味で、具体的に規定された今回の教育基本法の積極的な意味があると思います。
 さらに、それが具体化する意味でもう一つ、時間が来たんで簡単に終わりたいと思いますけれども、この基本法が国民の教育に対する基本法である以上、日本政府全体の基準にならなければならないということであります。
 この基本法が求める教育の在り方を実現するためには、省庁の壁を越えた取組が要求されます。これもまた、現行基本法が成立したときと異なる条件です。このことを象徴するのが第十一条の「幼児期の教育」です。この十一条の対象が、幼稚園だけではなくて、保育園あるいは認可外の保育施設をも含むものでなければならないと考えます。児童福祉法にある保育に欠けるという保育園と幼稚園を分ける基準は、正に現行基本法が施行された時代の条件でした。その基本法の改正が必要ということは、保育園と幼稚園を区別する法と、その前提にある福祉と教育の施設を評価する基準もまた改正すべきであると思います。
 あと、少子化への対応と高齢化の持つ問題等がありますが、これはまた改めて質問がありましたら答えたいと思います。あるいは、今のいじめの問題とのかかわりでのレジュメも入れてあります。必要であればまた後で答えたいと思います。
 以上であります。

発言情報

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発言者: 馬居政幸

speaker_id: 25061

日付: 2006-12-01

院: 参議院

会議名: 教育基本法に関する特別委員会