馬居政幸の発言 (教育基本法に関する特別委員会)

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○参考人(馬居政幸君) 先ほども述べさしていただきましたけれども、その経緯も含めてよくここまで来られたんだなという。先ほど言いましたけれども、多分、よって立つ基盤の違う人たちがお互いに何とかしたいという思いですり合わせていったということがこういう形になったんであろうという意味で、そのことについては評価したいと思います。
 と同時に、どんな表現しようとこの部分の問題というのは、日本の歴史あるいは置かれた状況から考えて、反対の人もいれば、より積極的な人も出てくるという、それがいろんな形でこうバランスを取りながら一つの形を取っていくんだろうなという、社会学者のオプティミズムみたいな部分がありますけれども。
 ただ、教育の問題になってくると、現場的にはそうはいかないと思いますので、そうなったときに、先ほど言われた日本人の教育をといった場合に、日本人をどう教育上育てていくかということですが、私は、これまでは日本人ということを意識しなくても日本人であり得たという。言い換えると、多くの人たちが外に行くことがなかったために、国の中だけでいれば日本人であることを余り自覚する必要がなかったわけであって、私のように、四国で生まれて、東京で勉強して、埼玉で結婚して、なおかつ静岡で仕事をし、東京に出てきてこういう出稼ぎやっているみたいな状況になれば、それぞれのところで自分の表現はできるわけですが、ただし、韓国に行くと、もう明らかに日本人になっちゃうわけですね。
 そういう意味で、先ほど言いましたように、日本人という在り方を身に付けておかないと、自分自身の選択肢が非常に狭まっていくであろうと。先ほど山本先生が言われた選択するということを考えたときに、自分の選択肢を広げていくためには、日本人という選択肢を持っていかないとこれからは生きていけない社会だろう。もう現にそういうふうになってきている。とするならば、それなりのことをちゃんと教えていかなきゃならないのが一点。
 もう一点は、教えないことによって日本人の形をこれまでは描けたと思います。戦前とのかかわりにおいてという、先ほどの法学者からの立場というのは正にそれを描いていると思いますが、しかし、具体的に、これから生きていく子たちにとってみると、日常的に日本人であることを問われる場面がたくさん出てくると思います。内なる世界において外国人との関係、ただし国の中において。国の外へ行くともう日常的になっていくと思います。
 そのときに何を日本人として教えていくかという。ただ、その際に、先ほど山本先生言われたように、何が日本人として誇るべきかということは、最終的には、国家が決めるのではなく文科省が決めるのでもなくて、個々人が決めていくという意味において、心ではなく態度としたことに私は評価したいと思います。
 すなわち、心はその人自身が最後まで守らなきゃならないものであって、あえて言いますと、態度はごまかすことができます。あるいは拒否することもできます。しかし、心は、その人の心が本当である限りにおいては、拒否することもごまかすことも本当はしてはならないですね。したがって、態度で止めたということが、公権力を基にした教育がなすべきこととしては限界だろうと。逆に、心は、これは私は中間集団の役割だと思っております。
 以上です。

発言情報

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発言者: 馬居政幸

speaker_id: 25061

日付: 2006-12-01

院: 参議院

会議名: 教育基本法に関する特別委員会