麻生太郎の発言 (本会議)

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○麻生太郎君 ただいま、院議をもちまして在職二十五周年の表彰をかたじけなくちょうだいいたしました。議会人として大変光栄、心より厚く感謝、御礼を申し上げる次第です。
 過ぐる四半世紀の長きにわたり、変わらず麻生太郎を支援していただきました地元支援者の皆様、また何かと御教示をいただきました党内外の諸先輩並びに同僚諸氏に対しましても、心より厚く御礼を申し上げる次第です。また、身辺を支えてくれました秘書や家族にも、この際一言御礼を欠かすべきではないと存じます。(拍手)
 本来ならば、この壇上に、私と同様の選挙経歴をもちまして永年在職の表彰を受けるべき亀井善之先生の姿があるところでありました。志半ばで昨年急逝をされた亀井善之先生のみたまともども、本日、同僚議員の皆様に改めて御礼を申し上げます。(拍手)
 さて、脳裏に浮かびますのは、二期目を迎えておりました昭和五十八年、いわゆる死んだふり解散と言われた選挙におきまして落選をした思い出であります。この年、私は結婚をいたしました。それが十一月の三日。翌十二月十八日が選挙で落選をしておりますから、新婚一月半で亭主は無職ということに相なりました。大変御心配をおかけしました。(拍手)
 なぜか支持者は深刻ぶるわけでもなし、むしろ落ちるのも一興と、こういった感じでこれを楽しむ風情すらあったものでありますが、私本人といたしましては、かなり落ち込みました。
 そんなときです。東京で、亡くなられました田中角栄先生とばったりお目にかかる機会を得ました。
 おい、先生は極めて単刀直入でありました。おまえ、何で落ちたんだ、何票足りなかったんだと言って、例のだみ声で矢継ぎ早に聞かれまして、最後に、それで一体何票とったと聞かれましたので、七万五千四百十二票でありますと答えました。最下位当選は何票だと言われましたので、共産党の方が七万八千九十票で通られましたと言ったら、ちょっと考えて、いいか、八万票あればいいんだと。おまえは考えておかないかぬことがよくある、大体、当選したらみんなよかった、落選したらみんな悪かった、そんなばかなことがあるか、おまえが変えなくちゃいけないのはその差、八万分の二千六百七十八だけ変えればいいんだ、わかったかと。
 およそ論理的じゃないんですけれども、私を納得させる説得力は物すごいものがありました。電気に撃たれたような感じがして、私は、以来、これは政治家として、少なくとも、本物たるべしという自覚を持ったのはこのときであります。八万分の二千五百ということは三%ぐらいという話ですから、それでいきますと、余り自分を変えなくてもいいんだなと思って、本来の自分を忘れず、雪辱を期しました、ちょうど二年半後に当たります昭和六十一年の総選挙におきましては、中選挙区時代、選挙区では新記録になりました十三万四千百七十九票をいただいて、首位で返り咲くことを得たのであります。(拍手)
 以来、今日まで連続当選を重ねてまいりました。初当選の当時は、私ども筑豊は、石炭鉱害の弊害、すべての話の冒頭においてこの弊害をまくら言葉に言わなければならないほど、地元筑豊は疲弊をいたしておりました。
 しかし、今日、おかげさまで、日本で最初のIT学科を有します国立九州工業大学の地元誘致を契機に、そこで育成をされました地元の優秀な人材と高い労働意欲を持つ人材を集めて、今では九州トヨタを初め、日産、ダイハツなどの自動車産業の企業進出が図られ、結果として、福岡県は自動車生産量で愛知県に次ぎ全国第二位になるまで、その経済力を回復させるところまで来ました。
 私は、今後とも、地方経済の成長なくして日本の元気は回復しないし、その底力が日本にはあると確信して活動を続けてまいります。
 日本の将来に明るさを見、そして未来に自信を持って、政治家として変わらぬ精進をしてまいることをここにお誓い申し上げ、謝辞とさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)
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 日程第一 在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)

発言情報

speech_id: 116605254X01520070320_005

発言者: 麻生太郎

speaker_id: 17218

日付: 2007-03-20

院: 衆議院

会議名: 本会議