鎌田實の発言 (少子高齢社会に関する調査会)
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○参考人(鎌田實君) 諏訪中央病院の名誉院長の鎌田と申します。(資料映写)
三十二年前に、この画像であるように八ケ岳の山ろくの茅野市に行きまして、当時は人口三万九千ぐらいの町でしたが、現在は五万七千の町で、こういうところの地域の中で、最後まで見捨てない、放り出さない医療というのはあり得ないだろうかということを実践をしてきました。その辺を今日はお話をしたいと思います。
山ろくの町なんですけれども、工業が、精密機械工業があることと、それから観光が、八ケ岳山ろくの蓼科とか白樺湖とか、それから諏訪湖の湖畔、隣の町になりますけれども、観光が豊かである、農業がある、地方都市にしては、小さな町ですが、恵まれた町であると。
そこで、茅野市全体としてはパートナーシップの町づくりというのを、市長さんが中心になって、住民がかなり議論の中心になりながら町づくりを推し進めてきました。十年ほど前から議論をしたのが、人口五万数千の町を五層に分けていて、この三層の保健福祉サービス地域、四エリア、要するに、本当言うと、人口一万ぐらいの北欧の自治区というのを一つのモデルにしていたんですけれども、お金の、コストの問題もあって、五万七千の町を四つのエリアに分けました。そこへ行けば、子育ての問題も、それから健康づくりの問題も、老人介護の問題も、障害者の問題も、精神障害の方々の問題もそこで解決ができるという、市役所へ行かなくてもいいという町づくりをしてきました。
四層に十区と、これは元々の市ができる前の村の単位のときにあったコミュニティーという、歴史を抱えているところがありまして、ここも大きなその活動の拠点になっています。
それから、五層のところを自治会という、公民館分館があるんですけれども、九十九、元々公民館活動の盛んな地域で、後でお話をしますが、不健康な地域だったんですね。三十二年前僕が行ったころは、脳卒中が秋田に次いで長野県は多く、長野県の中、当時は十七の市があったんですけれども、茅野市は脳卒中が一番多い市でした。まあ不健康な市だったんです。その不健康な市をできるだけ健康な地域づくりができないだろうかと健康づくりをやったんですけれども、仕事が終わると、ボランティアで、夜、スライドを持って山の中の公民館へ行きました。それは、多い年には年間八十回、集落の公民館へ出た。九十九ある集落の八十ぐらいを毎年回った。それが健康づくりの始まりでした。
そして、これが、茅野市山麓を四つのエリアに分けました。そして、四つに、今、地域包括ケアセンターというのが日本じゅう制度としてでき上がりましたけれども、まあ七、八年前から保健福祉センターというのがあって、そこに今の名前の地域包括ケアセンターのようなものを自分たちでつくってきました。
右側には診療所があり、左側にはデイケアがあり、真ん中に地域包括ケアセンターのような、僕たちの名前はちょっと違いましたけれども、をつくっておりました。
これが、真ん中が地域包括支援センター、右側が諏訪中央病院の内科医師が二名常勤で行っている診療所です。左側がデイケアで、診療所です。
こういうのが四つのエリアにあって、ここへ行けば市の保健師さんもヘルパーも、それから診療所があれば医師もいるというような、それから市役所のケースワーカーもいるしケアマネジャーもいるというような形をつくってきました。
それから、元気なお年寄りたちが憩う場をつくろうということで、茅野市の中に六つ、元々温泉の出るところでしたので、温泉を引いたところ、人が集まれる場所をつくってきました。
これが、三十二年前、脳卒中が多かった地域で健康づくり運動というのをして、こういう形でその集落の公民館で人が集まって、脳卒中で死なないためにというような運動をしていきました。
これが、折れ線グラフで左側の上のところが、僕らが、昭和四十九年に若い医師たちがそこへ赴任をしまして、脳卒中の多さにあきれて地域へ出ていって、脳卒中が激減をしていくところです。
ですから、その後、今では日本でも有数の長寿地域になりました。長寿であるということは老人が多い、老人が多ければ医療費が高いはずですけれども、長野県は日本一老人医療費が安いわけですけれども。
もう一つ、お手元の方に棒グラフが出ています。長野県の市の中の医療費が、老人医療費と一人当たりの医療費が出ておりますが、茅野市はもう五年ほど老人医療費も一人当たりの医療費、国保の医療費ですけれども、市の中では断トツに安い。
そして、めくって、最後の今の棒グラフの二枚ぐらいのところに、全国と長野県と茅野市の一人当たりの医療費と、それから一番最後のページに老人の医療費が書かれておりますが、例えば老人の医療費でいうと、二十四万ぐらい全国平均に比べると茅野市は安いということで、ほどほどの救急医療、ほどほどの高度医療があり、そして約二万坪の土地に三百六十二床の救急医療をやる病院を中心に、周りに特養、老人保健施設、回復期リハビリ病棟、療養型病棟というようなものがあって、もちろん二十四時間体制の在宅ケアがある。先週御視察をなさったみつぎ病院と同じような地域包括ケアというのを行ってきました。
次、お願いします。
これが在宅医療です。僕の「がんばらない」の本の中に出てくる山根のばあ、九十三歳のおばあちゃんで、亡くなる一か月ほど前の写真なんですけれども、亡くなる前も、こんな直前でも穏やかないい顔ができている。まあホームグラウンドにいるからこそ、当然これがお年寄りの生きがいにもなるし、同時に地域の医療費を上げないことにもなっているというふうに思っています。
当初、日本で初めてだと思うんですけれども、老人デイケアというのを行いました。まだ病院が累積赤字四億円というのを持っている時期だったので、まあ施設はぼろぼろのところで、職員の図書室を利用して、使わなくなった布団を敷いてデイケアを開始した。ボランティアがたくさん参加をしてデイケアが始まりました。現在もボランティアに囲まれたデイケアが行われています。もう二十五年前から参加しているボランティアがいまだにデイケアに参加してくれておりますので、当時六十歳ぐらいの方がボランティアで八十五歳。結局、それ自体が、ボランティアをしながらその方の健康を守っているという、支えている側にいながら、実は支えていることをしながら支えられている、それが健康な町づくりにつながっているかなというふうに思っております。
ホスピスです。がんの末期の患者さんだったんですけれども、東京の大学病院にいて、僕のNHKラジオ「鎌田實 いのちの対話」というのを聞いていて、ああ、そういう医療もあるのかということで転院をしてきました。たくさんの若い医師たちが集まってくる病院なので、その方、学生たちやレジデントたちにボランティアをするというふうに言ってくださって、このがんの末期の方が非常に生き生きとして若い医師たちを育ててくれる。こうすることによって、この人自体も元気をもらっていきます。お互いが、結局、病気を持っていても何かしてあげる側に回ったときというのは大きいんじゃないかなというふうに思っています。
この方も、僕の「がんばらない」という六年前に書いた本に出てくる、当時八十九歳の小脳変性症の難病のおじいちゃんでした。ワープロを使って僕に手紙をくれたりしていました。僕が往診に行ったところ、グラフが見えたので何をしているんですかと聞いたところが、株式投資をしていると言われて、八十九歳で、難病で、介護度五で、もうしゃべれなくなって、歩けなくなって、現在九十五なんですけど、八十歳から僕は往診をし始めて、十五年往診で通っているんですけど、今もワープロを使ってコミュニケーションをし、株は相変わらずやっているということで、もうかりますかと聞くともうからないと言って、まあもうかってくれるとますますいいんじゃないかなと思っていますけど、社会とつながっているということが、九十五歳でも、介護度五でも、難病でも生き生きとして生きている。この人が愚痴を言わないために十五年介護している家族も疲れてこないということがある。
それから、鎌田實とハワイへ行こうというのを、二年前、僕、諏訪中央病院を退職をして、今パート医を諏訪中央病院でやっているんですけれども、ボランティアで障害のある人たちと百八十人ぐらいでハワイへ行った。それから学んだことは、九十三歳のおばあちゃんが僕とハワイに行って、介護度五です。寝たきりです。その方が旅をして面白いと言われて、ヘルパーさんを雇って、その後京都と津和野を旅をしました。そうしたら、何としゃれたことを言うおばあちゃんで、日本の旅じゃ刺激がないわと言って、韓国へヘルパーを雇って焼き肉を食べに行きました。いたく気に入ったようで、二回目も韓国へ焼き肉を自分で食べに。介護度が多分次の認定のときは下がると思うんですけれども、やっぱり生きがいを持つということがすごく大事なことではないかなと。
長野県が医療費が安いというのの分析の一つは、生きがい、結局仕事だ。高齢でありながら就業率が日本一高いという。何かといったら、別に会社勤めをしているわけじゃなくて、小さな農業を八十歳になってもやっていて、八十歳だけど出荷もちょっとしているという、それで収入をわずかに得ているという。
これは、NHKテレビの@ヒューマンという番組に報告された八十一歳の、お二人ががんです。今、日本人は三人に一人ががんで死ぬ時代になっていて、二人とも末期がんです。末期がんの最後ですけれども、おばあちゃんが亡くなる四日前です。最後にラストダンスを御主人と踊りたいと言い出して、諏訪中央病院の緩和ケア病棟で最後の御夫婦のダンスをし、まあ本人はもう思い残すことがないと言われて亡くなっていきました。
結局大事なことは、もう一つ僕の方で、明るくしていただいて、プリントに書いてありますが、できるだけ僕は老人が生き生きと生きていけるためには国民皆保険制度が必要だということをそこで書きました。それから、ほどほどの救急医療とほどほどの高度医療がどうしても必要である。それから健康づくりが必要である。
ページ、三ページを開いていただいて、それから支える医療が大事だというふうに思っています。その支える医療は、在宅医療とかホスピス医療、そういうものをもうちょっと充実させる必要があるんじゃないかということで、三ページの最後の五、六行が大変言いたいところなんですけれども、医療費抑制政策がずっと行われていますけれども、もうそろそろ、この医療費抑制政策をやっていると支える医療とか地方の病院医療は崩壊するんじゃないかというふうに思っていて、できたら三十二兆円の医療費を二兆円ぐらい上げて、その上げる理由としては、がん医療の充実と子供を安心して産み育てられる産科や小児科の充実と、人間はだれでも年を取り死んでいくわけですから在宅医療や緩和医療の充実をしていただいて、四ページ目、まとめというところで今言ったようなお話をして、最後の七番、八番、括弧で囲みましたけれども、どう生きがいをつくるか。どうケアを導入するかよりも、生きがいを持つようになっていけば結構介護度は変わっていくということもあるので、それを地域でつくっていくことが大変大切かなというふうに思っています。
以上です。