少子高齢社会に関する調査会

2007-02-28 参議院 全104発言

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会議録情報#0
平成十九年二月二十八日(水曜日)
   午後一時二分開会
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  出席者は左のとおり。
    会 長         清水嘉与子君
    理 事
                荻原 健司君
                川口 順子君
                中原  爽君
                足立 信也君
                鰐淵 洋子君
    委 員
                有村 治子君
                岡田  広君
                狩野  安君
                沓掛 哲男君
                坂本由紀子君
                山崎  力君
                羽田雄一郎君
                林 久美子君
                松下 新平君
                森 ゆうこ君
                蓮   舫君
                山本 香苗君
                小林美恵子君
                後藤 博子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        岩波 成行君
   参考人
       産業医科大学公
       衆衛生学教授   松田 晋哉君
       名古屋学芸大学
       学長
       日本尊厳死協会
       理事長
       日本ケアマネジ
       メント学会理事
       長        井形 昭弘君
       諏訪中央病院名
       誉院長      鎌田  實君
       特定非営利活動
       法人デイサービ
       スこのゆびとー
       まれ理事長    惣万佳代子君
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  本日の会議に付した案件
○少子高齢社会に関する調査
 (派遣委員の報告)
 (「少子高齢社会への対応の在り方について」
 のうち地域社会と高齢者)
    ─────────────
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清水嘉与子#1
○会長(清水嘉与子君) ただいまから少子高齢社会に関する調査会を開会いたします。
 少子高齢社会に関する調査を議題といたします。
 先般、本調査会が行いました委員派遣について、派遣委員の報告を聴取いたします。足立信也さん。
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足立信也#2
○足立信也君 それでは、報告いたします。
 去る二月十九日及び二十日の二日間、広島県において、少子高齢社会に関する実情調査を行いました。
 派遣委員は、清水会長、荻原理事、中原理事、島田理事、鰐淵理事、狩野委員、羽田委員、松下委員、小林委員及び私、足立の十名であります。
 以下、調査の概要を御報告申し上げます。
 一日目は、まず、東広島市にある株式会社ノサックスの視察を行いました。
 同社は、創立八十三年の歴史を持つ安全靴等のワークシューズメーカーで、早くから高齢者の雇用に熱心に取り組んでおり、現在、七十五人の従業員のうち六十歳以上が九人を占めております。また、平成十八年度には、厚生労働省等が主催する高年齢者雇用開発コンテストにおいて、奨励賞を受賞しております。
 工場では、運搬単位の少量化や作業の機械化などの工夫を行うとともに、手作業による精緻な作業を重視しており、高年齢の従業員の方が熟練した技能を発揮されている様子を身近に見ることができました。派遣委員からは、定年後再雇用される嘱託従業員の雇用期間、六十五歳以上の従業員の社会保険加入状況等について質疑が行われました。
 次に、広島県より、同県における少子高齢化の現状と対策について概況説明を聴取いたしました。平成十七年における広島県の高齢化率は、二〇・九%と全国平均を上回っており、また、合計特殊出生率は、全国平均よりやや高い一・三四となっております。
 広島県では、シニア世代が活躍する社会づくり、健康寿命の延伸、福祉・介護サービスの質の向上を柱として高齢社会対策に取り組んでおります。また、次世代育成支援では、子育て支援体制の充実、小児・母子医療体制の確保、子供・家庭に関する相談支援機能の充実を柱としており、ひろしまこども夢財団による情報提供や企業の費用負担による「子育て応援イクちゃんサービス」等の独自事業も行っております。派遣委員からは、高齢化率が四〇%を超えている地域における高齢化の原因、こども夢プランの目標達成の見通し、広島県における産科医不足の状況、三次市における男性職員の育児休暇取得への取組等について質疑が行われました。
 次に、広島市東部に隣接する海田町の社団法人海田町シルバー人材センターの視察を行いました。
 同センターでは、平成十四年十二月に託児センターひまわりランドを開所し、生後二か月から小学四年生までを対象に、シルバー人材センターの会員による育児支援事業を行っており、豊かな人生経験を持つ高年齢者が、地域の未来を担う子供たちの育児に生き生きとして取り組んでいる様子が印象的でした。派遣委員からは、託児希望に対する受入れ状況、国庫補助期間終了後の人材センターの運営見通し等について質疑が行われました。
 次に、広島市西区にある訪問看護ステーション「こい」及び療養通所介護事業所「こい」を視察いたしました。
 これらの施設は、いずれも社団法人広島県看護協会が運営しているものであり、同協会は、広島市内に四か所、呉市内に二か所の訪問看護ステーションを設けております。療養通所介護は昨年四月の介護保険制度改正に伴って創設されたものですが、手厚い人員配置が求められることや経費と介護報酬の不均衡から、単独では収益の確保が厳しい状況となっております。派遣委員からは、職員の雇用形態、介護支援専門員の役割、新人看護師の早期退職理由、夜間の訪問看護ステーション間の連携等について質疑が行われました。
 二日目は、尾道市北部の旧御調町にある公立みつぎ総合病院及び尾道市北部地域包括支援センターを視察いたしました。
 公立みつぎ総合病院は、早くから行政と一体となって、保健、医療、福祉、介護を連携させた地域包括ケアシステムを構築し、在宅ケアや寝たきりゼロ作戦等に取り組んでおります。また、尾道市北部地域包括支援センターは、高齢者の方の総合支援窓口の役割を果たしております。現地では、病院内施設のほか、地域包括ケアシステムをハード面で構成する保健福祉総合施設などを視察いたしました。派遣委員からは、地域包括支援センターの設置形態、病院と行政との関係、リハビリテーション日数の上限規制と実態との乖離、公立病院の果たす役割等について質疑が行われました。
 我が国においては、少子高齢社会への対応が重要な課題となっております。今回の派遣を通じて、これまで培ってきた技能や経験を生かして、高年齢者が仕事や子育て支援に取り組んでいる姿や、介護などの地域医療に携わっている方の様子をつぶさに拝見することができ、限られた時間ではありましたが、充実した調査を行うことができました。
 最後に、今回の調査に当たり、広島県を始めとする関係者の皆様からの御協力に対し、心より感謝を申し上げ、報告を終わります。
 以上です。
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清水嘉与子#3
○会長(清水嘉与子君) 以上で派遣委員の報告は終了いたしました。
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清水嘉与子#4
○会長(清水嘉与子君) 次に、「少子高齢社会への対応の在り方について」のうち、地域社会と高齢者について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、産業医科大学公衆衛生学教授松田晋哉さん、名古屋学芸大学学長・日本尊厳死協会理事長・日本ケアマネジメント学会理事長井形昭弘さん、諏訪中央病院名誉院長鎌田實さん及び特定非営利活動法人デイサービスこのゆびとーまれ理事長惣万佳代子さんに参考人として御出席いただいております。
 この際、参考人の皆様方に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、大変御多忙のところ本調査会に御出席いただきましてありがとうございました。
 参考人の皆様方から、「少子高齢社会への対応の在り方について」のうち、地域社会と高齢者について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますけれども、まず、参考人の皆様方からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めずに、自由に質疑を行っていきたいと存じます。
 また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、松田参考人からお願いいたします。松田参考人、どうぞ。
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松田晋哉#5
○参考人(松田晋哉君) 産業医科大学の松田でございます。(資料映写)
 今日は、高齢社会の進行と医療・介護ということで、諸外国との比較を中心にお話をさせていただきたいと思います。
 若干、イメージを具体的につかんでいただくために写真等を追加してございますので、ごらんいただけたらと思います。
 これが今日の説明の要点ですけれども、高齢者医療・介護の特徴、それから構造改革の必要性ということで、在宅ケアの推進、プライマリーケア、生活の保障、この三点についてお話をさせていただきたいと思います。
 まず、これが高齢者の医療費の特徴でございますけれども、もうこれはよく御存じだと思いますけれども、入院医療費、入院外医療費とも受療率が非常に高い、受診率が若年者に比べて高いということが特徴でございます。入院に関していいますと五・六倍、入院外ですと二・七倍ということが、これが統計的に明らかになっております。
 まあ言葉でまとめてみますとこうなりますけれども、非常に受診率が高いということ、それから多科受診であるということ、それから医療ニーズと介護ニーズが混在している、高い薬剤比率、それから死亡前一年間の医療費がやっぱり生涯医療費に占める割合が非常に高いということで、終末期の在り方が検討されるわけでございます。それから、保険収支のアンバランスということで、支出が保険料だけでは賄えないという特徴もございます。それと、また高齢者の医療といいますと、慢性疾患が中心の議論になりがちですが、実はその慢性疾患の管理的な医療に加えて急性期医療もかぶってくるというのがこの特徴でございます。
 このような特徴がある高齢者ですけれども、これはオランダの厚生福祉スポーツ省、日本の厚生労働省に相当するところがこういう統計を出しております。
 年齢階級別にどのようなサービスを使っているのかということですけれども、この七十五歳以上の後期高齢者になりますと、この赤い部分、これは何かといいますと、看護ケアと介護ケアが総介護・医療費のどのくらいを占めているのかということですが、基本的にはこの後期高齢者になりますと、まあ半分以上がこの介護・看護ケアの支出になるということになります。
 実は、オランダではこのように介護と医療が一体化しておりますので、実はこの二つを長期保険という形で一体的にカバーしています。実は、オランダというのは世界で一番最初に介護保険を導入した国でもあります。
 今、日本でもこの在宅へという流れが非常に出てきているわけですが、その中でやはり考えなければいけないのは、いかにこの在宅において看護サービスを保障するかだということだと思います。
 例えば、その療養病床の今削減が日本でも課題になっておりますけれども、その療養病床の医療の特徴、ケアの特徴を見てみますと、非常に看護ケアが重要であります。そうしますと、もし仮に今後在宅ケアというものを日本で進めていくのであれば、いかにこの在宅に移行した高齢者のケアを看護師が担う仕組みをつくっていくかということが非常に大きな課題になってきます。
 諸外国を見ますと、例えばイギリスですとナースプラクティショナーという形で、これはソーシャルケアトラストという中でやっているわけですけれども、在宅で、かなり医療行為も含めるんですけれども、看護師さんが主体となってケアをする仕組みというのができております。あるいは、フランスなんかでは在宅でリハビリを行う開業理学療法士、開業作業療法士制度というものもございます。あと、またフランスは、その開業看護師制度とか在宅入院制度といって、後で御説明いたしますけれども、その看護サービスをいかに在宅で提供するかと、そういう枠組みができております。
 御参考のために、まずフランスのことを御紹介したいと思いますけれども、少し複雑な図になっておりますけれども、高齢者を真ん中に置きますと、実はフランスではいろいろなサービスが提供されております。もちろん、急性期の入院医療施設もございますけれども、リハビリテーションを中心とした入院施設、それからまあ安定期にありますけれども医療的な管理が必要な人のための長期入院施設、こういう施設に高齢者はそのニーズに応じて入院をするわけですけれども。
 ただ、その高齢者に関しまして一番重要な役割を果たしているのは、実はこの開業医でございます。主に一般医なんですけれども、この一般医の先生が包括的な処方せんを出すことによって、在宅の高齢者に対して開業看護師、開業PTというのが在宅でサービスを提供するという、そういう仕組みができております。
 じゃ、この開業看護師とはどういうものかといいますと、基本的には国家資格を持っていればだれでも個人で開業できるという、日本の訪問看護ステーションよりかなり軽い仕組みになっています。
 このような高齢者が介護が必要になってきますと、老人ホームやケア付き住宅、あるいは受入れ家庭制度というところに移っていくわけですけれども、こういう人たちに対して実は医療が必要になってきます。この医療に関しましては、それぞれの部門に医療部門というものがありまして、ここに地域の開業医の先生がいて医療を提供するという、そういう枠組みと、もう一つはこの開業看護師の方がこういう老人ホームやケア付き住宅に行って看護サービスを提供するという、こういう仕組みが導入されています。
 それからもう一つは、受入れ家庭制度というのがございます。これは何かといいますと、一定の研修を受けた家庭が、高齢者、それは家族でなくてもいいんですけれども、その高齢者を自宅に受け入れてケアを、お世話をするという、そういう仕組みがございます。
 それ以外にも、いわゆる社会福祉の仕組みとして個人自立給付、これは日本で言う介護保険ですけれども、そういうサービスを提供もしております。このような多様なサービスがあって、フランスではこの在宅ケアというものが非常に保障されているということがあります。
 この在宅入院制度なんですけれども、これは何かといいますと、実は患者さんの御自宅のベッドを登録した場合にその病院のベッドというふうにみなして、その患者さんに対して病院の医療チームがチームとしてサービスを提供するという、こういう仕組みです。これは非常に最近フランスでも増えてきている仕組みなんですけれども、非常に面白い仕組みだというふうに考えています。緊急時には当然病院の方に入院できるような形になっているわけですが、こういう在宅入院制度というのがございます。
 それからあと、開業看護師というのがいまして、二十四時間対応というのが中心になってくるわけですけれども、この二十四時間対応できる開業看護師の方が、いわゆるかかりつけ医、後方病院、患者さんの間に入ることによって緊急時にも対応できるような継続的な看護というものが保障されているということがございます。この場合、注意していただきたいのは、在宅の患者さんというのは、この在宅というのは自宅だけではなくてケア対応住宅とか老人ホーム、そういうものも含めているということになります。
 次に、プライマリーケアの話をさせていただきます。高齢者が要介護状態に至る一般的過程を考えますと、何らかの慢性疾患があって、そこに突発的なイベントが起こって、ぐるぐる回りながら最後は亡くなるわけですけれども、この介護の入口と出口には医療があるわけです。そうしますと、この部分をだれが保障するのか、いわゆる地域でケアの継続性をいかに保障するかということを考えますと、やはりかかりつけ医の役割が重要だろうと思います。
 実はどこの国でも、ヨーロッパではこのかかりつけ医制度をいかに導入していくか、充実させていくかということが大きな課題になっています。その中で非常に注目されますのがフランスのかかりつけ医制度の導入です。フランスは、実は日本と同じように患者さんのフリーアクセス、医師選択の自由が保障されている国でした。そのために非常に重複受診とかそういう問題がありまして、ただやはりかかりつけ医の方が、医師組合の方がやっぱり診療の自由というものを、医師選択の自由というものをかなり強調しておりましたので、実はこれがなかなか難しい状況にありました。
 これが実はブラジ・プランという中で入ることになったわけですが、どういう仕組みかといいますと、今、フランスでは十六歳以上のフランス人はすべて自分のかかりつけ医を選択しなければいけません。そのかかりつけ医にまず掛かって、そこから専門医等を紹介していただく場合にはいわゆる診療報酬表に従った支払を行うことになります。ところが、この患者さんがかかりつけ医を通らずに専門医に掛かるということをしますと、診療報酬の定額に加えて付加料金を支払わなければいけないという、こういう仕組みになっています。要するにフリーアクセスといわゆるかかりつけ医制度というものの両立をするということをこういう仕組みでやっているわけです。実はドイツも同じような仕組みを用いて家庭医制度というものを今運用しているところです。
 イギリスでは更に進みまして、かかりつけ医なんですけれども、高齢者の方が多いわけですが、そういう方が持っている問題のいろんな問題というのが、医療、介護、それからいわゆる経済的な問題、いろいろなものにかかわりますので、ソーシャルケアトラストという、家庭医、看護師、PT、OT、ソーシャルワーカーから成るグループをつくらせまして、そのグループが全体で地域の登録された住民を診るという、そういう仕組みを今つくっています。やはり高齢化が進むということはニーズが多様な高齢者が増えるということでございますので、そういう患者さんに対してどのようにトータルにサービスを提供していくのかということが求められるということは、このイギリスのソーシャルケアトラストというのは非常に参考になるんじゃないかなと思います。
 ここから少し町づくりとか総合的な課題についてお話ししていきたいと思うんですけれども、これは日本の今のいろんな取組を少しまとめてみたものですけれども、今やはりどちらかというとこういう議論が中心になってきているわけですが、実はこの一方で、高齢期の生活保障をいかにするかというその議論をしなければ、実は医療、介護の問題は解決しないんじゃないかなという、そういう問題意識を持っています。
 例えば、高齢期の所得保障を考えた場合に、やはり日本は特徴として諸外国に比較して前期高齢者の就労意欲が非常に強い国でございますので、そうすると、この高齢者が労働を継続できる、そういう環境づくりをどういうふうにやっていくのかということが課題になろうかと思います。
 これは、労働経済学の清家先生がこういうものを出しているわけですが、専門的技能を持っていること、職住近接であること、健康であること、この三つを挙げているわけですが、これを見ますと、やはり、働くことができるだけの健康状態をいかに保っていくのか、それで、また、そういう方たちが地域の中でどのように働く場所を見付けていくのか、そういう体制をつくることが大事ではないかなというふうに考えています。
 実は、この生活不活発病の対策という話が今回の介護予防等でも出てきているわけですが、いかに、この移動能力の低下が生きがいの低下とか意欲・関心の低下につながっていく、この悪循環をいかに断つかということがやはり重要ではないかなというふうに考えています。
 これは実は写真で、ある日本の地方都市の駅前の写真です。かなり大きな都市でございますけれども、昼間の写真です。高齢化率が三〇%を超していますのに、この町の駅前で高齢者を見ることはほとんどございません。
 これはノルウェーのアーケード街ですけれども、高齢者がたくさん歩いています。あるいは、これはスペインですけれども、町を散歩するお年寄りがたくさんいます。やっぱりヨーロッパに行きますと地方都市ほど実は高齢者が町を非常に昼間出て歩いています。日本でなぜこれができないのかということがやはり大きな課題ではないかなと思います。
 あるいは、これはドイツで、凍った川に、これ川なんですけれども、お年寄りが集まっています。何をやっているのかというと実はカーリングをやっているんですね。こんな感じで投げているわけですけれども。常にその地域の中に自分たちで楽しめる場所をつくっていく。それがあることによって高齢者が町に出ていくという、そういう枠組みができる。要するに、生きがい対策というものをその地域の中で工夫してつくっているということがあります。
 巣鴨のとげぬき地蔵の前の商店街ですけれども、ここにはこんなにたくさん高齢者が出てくるわけです。やはり楽しいと思える場所があれば高齢者は町に出てきますし、こういう町づくりをいかにしていくかということが特に地方都市においては重要じゃないかなというふうに考えています。
 そういうことを考えてみましたら、実は青森が今こういうことをやっています。これは新町商店街という、手前が青森の駅になるんですけれども、ここは何をやったのかといいますと、歩道を倍に広げて、ここに、ちょっと見にくいんですけれども、ベンチがあります。百メートル置きにベンチを置いて、要するに、高齢者、障害者が出やすい町をつくっていくことによって実は今この商店街に活気が戻ってきていますし、郊外から高齢者がこの裏の、いろんな高齢者対応住宅ができているんですけれども、そういうところに高齢者が集まるようになっている。いわゆるコンパクトシティーというやつですけれども、こういう町づくりをいかに地域でやっていくかということがこれから求められるんじゃないかなと思います。
 なぜそういう話をしてきたのかといいますと、これちょっと見にくくて申し訳ないんですが、こちらだけ見ていただきたいんですけれども、これは福岡県で、医師会の先生方の御協力をいただきまして、百八十日以上入院、入所されている方を対象に全数調査をやらせていただきました。どういう方が入所しているのか。百八十日以上です。独居者や六十歳以上の場合ですと、実は退院を希望しない高齢者というのは、ADLのレベルは悪くありません。自立度はかなり高い。それから認知症のレベルも軽いんですね。ところが、生活の安心感が不足している、生きがいが不足している、経済的支援がない、そういうことで病院から退所しようとしない、退院しようとしない。
 要するに、考えてみますと、入院期間、入院していますと、そこでは食事が保障される、入浴もできる、ケアも保障される、それからいろいろな方と楽しむこともできるわけですので、住むという環境においては非常に望ましい、高齢者にとって生きがい、安心できる環境になっている。やはり、そういうところからなかなか出ていきたくないというのは、やはりこれは当然のことだろうと思います。
 例えば、それに対応するものとして実はオランダにはコミュニティレストランというのがあります。これはどんな町に行ってもあります。これはどういうものかといいますと、地域に、例えば高齢者のボランティア組織が地方自治体の委託を受けて、市街地の空き部屋とかデイケアセンターを使ってコミュニティレストランというのをやっています。そこにその地域の高齢者、まあ多くは女性ですけれども、やってきて食事を作って振る舞う。そういうものを、その地域のニーズのある住民、独居老人ですとか障害者ですとかHIVの患者さん、あるいは薬物中毒者、あるいは不登校の子供たちがやってきて、そこで温かい御飯を一日に一回は食べて午後を過ごして帰っていくと。お酒も出ます。こういうものが地域にあって、そこで食、また生活のための基本的なものが保障されている。
 こういうものが日本にできればいいのになという話をしていましたら、実は、また青森なんですけれども、青森でこういうものができています。これは浅虫温泉の裏側に浅めし食堂というのがあるんですけれども、これは何かというとコミュニティレストランです。だれがつくったのかというと、この近くに石木医院というのがあるんですけれども、そこの石木先生がおつくりになったものですけれども、ここで元気な高齢者が有償ボランティアとして働いて、地域でニーズのある高齢者がここにやってきて昼御飯を食べて帰っていくと、こういう地域の中に生活を保障するものをつくれないか。そういうものを医療機関は持っているわけですので、そういうものを地域に開放できないかということを今考えているところでございます。
 こういうことをなぜ考えているのかというと、人材面での持続可能性の問題があります。これまたオランダのデータですけれども、オランダの保健省がこういうデータを作っております。二〇二五年になると労働者の五人のうちの一人がケアワーカーになると。オランダでもケアワーカーはほとんど女性ですので、そうすると、二人の女性のうち一人がケアワーカーであるという非常に想像しにくい状況になるということです。
 日本でも同じような問題が出てきます。そうしますと、どうしてもこういうフォーマルなケアだけでは難しいですので、いかにその地域でインフォーマルなケアをつくっていくのか、共助の仕組みが必要だろうと思います。
 これはまとめでございますけれども、高齢者対策としての町づくりということですが、たとえ軽度の障害を持っていても、楽しいと思える場所があれば皆さんそこに出掛けていきます。生活がリハビリの場になります。たとえ障害がなくても、町が楽しくなければそこにはだれも出掛けてこない。冒頭にも、途中お見せした日本の地方都市のスライドでございますけれども、これが生活不活発病のリスクになってしまう。やっぱり高齢者が楽しいと思えるような町づくり、それをやることがやはり健康づくり、介護予防の目的じゃないかなというふうに考えています。
 これは、やはりそういうものはそれぞれ地域によって特性がございますので、やっぱり地域の知恵が必要だろうと思います。そういう意味で、こういう点に関しては、やはりヨーロッパの町づくりから学ぶべき点が非常に多いと思いますので、是非そういうものを御参考にいただけたらなというふうに考えています。
 以上でございます。
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清水嘉与子#6
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 次に、井形参考人にお願いいたします。井形参考人、どうぞ。
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井形昭弘#7
○参考人(井形昭弘君) 今日はこういう機会を与えていただいて、感謝を申し上げます。
 私は、書いてありますように、尊厳死協会の理事長でありますので、今日、御理解いただくようにお話しするのは尊厳死についてが主でありますけれども、実はケアマネジメント学会の理事長もしておりますので、若干介護に関しても前にお話しさせていただきたいと思います。
 我が国はあっという間に世界一の長寿国になりました。こんな急激に高齢化を果たした国は初めてでありまして、世界が日本がどういう対策を取るかをずっと注目している。その中にあって、我々は自分の手で未来を開拓していかなきゃいけない責務を担っていると思います。
 私は、鹿児島大学に長くいたんですけれども、ちょうど平成五年に国立長寿医療センターの創設が愛知県に決まりまして、その創設をしなさいというので来まして、それから高齢者問題に密接に関与するようになりました。したがって、介護保険にも担当の審議会の部会長を務めましたし、そういう意味では、ケアマネジャーというのは非常に私は思い入れの多い職業であります。
 高齢者は社会では一般に暗いと言われていますけれども、やはり健康な高齢者がたくさん出ることがマイナスになるはずがないというふうに思います。平均寿命と健康寿命との間に間があって、まあぴんぴんころりだとゼロですが、平均しまして、男性が七年、女性が九年の間は、病気になり、それからだんだんQOLが低下して、その末に死が待っておるわけですね。そういうことを考えますと、医療も、医療はもちろん進歩すれば、例えば認知症がそう遠くない将来に解決すると思いますけれども、解決すればこういう体制もがらっと変わると思うんで、そういうことを申し上げたいと思います。
 ケアマネジャーは、現在、資格を持っている人が約三十万で実働の人が八万前後いると思うんですけれども、いろんな多種多様なサービスを利用者に代わって調整する職業で、もう今はステータスの高い職業として定着してきました。それで、二〇〇五年の先生方の見直しによって、介護予防の導入と同時に、地域の介護をもっと充実しなきゃいけませんということが決まりました。
 そこで、地域包括センターですね、というものが各市町村にできることは先ほど御報告のありましたとおりであります。そこの主な担い手が、三つの職種なんですけれども、主任ケアマネジャーとそれから社会福祉士と、それから──すぐに出てきませんが、まあとにかくそこで主任ケアマネジャーというのが大きな責務を課せられることになりました。
 そこで、地域におけるケアマネジャーの役割というのがハイライトを浴びてきたわけですね。これからだんだんこういう介護制度をやっていくうちに、私は走りながら考えるというスローガンを掲げておりますが、一歩踏み出してみたら問題が分かる、その問題に柔軟に解決すれば理想の力に近づくということで、現実そのような経過を取ってきております。
 介護保険は、諸外国から見ると比較的うまく円滑に導入されたという評価を受けておりますし、これから幸せな長寿社会に向けて前進していくと信じて疑いませんが、その中でケアマネジャーというのが大きな責務を担っているということを申し上げたいと思います。
 最後に、私が思っておることでありますけれども、ケアマネジャーは導入のときにゼロから始まって、四万人のケアマネジャーが必要になりました。そこで、医師、歯科医師、それから保健師、看護師、栄養士、それからPT、OT、もう非常に多くの職種に声を掛けて、その中で五年の実務経験と将来に情熱を持つ人はどうぞということで、もちろん試験があったわけでありますが、幸い数はそろいましたが、その質が大きく問われて、今度の見直しでもケアマネジャーの資質向上というのが大きなテーマになりました。そこで、生涯研修体制というのがつくられて、鋭意今e—ラーニングを含めたいろんな研修体制化して、ケアマネジャーは今、日常の勤務よりも研修の時間の方が多いんじゃないかというぐらいかなり厳しい訓練を受けております。
 で、思いますのは、ケアマネジャーはいろいろ各種の職種から出身者が多いものですから、ケアマネジャーといってもいろいろカラーが違うんですね。保健師出身の人と、看護師出身の人と、栄養士出身の人のケアマネジャーでは若干あれがある。それをもっと均一なステータスの高い職にしていく必要がある。
 それには、最初はゼロから出発したからそういうことになったわけでありますが、できたら十八歳のときから大学にケアマネジャーをライフワークとするコースをつくって、そこで本格的なケアマネジャーを養成するのが望ましいのではないか。今は依然として、ほかのことをライフワークに選んだ人が資格を取ってから五年の実務があってから試験を受けるわけでありますから、ライフワークのスタートが三十歳。こういういわゆるステータスの高い職種でありながら非常に不自然な形になっております。
 是非、先生方に関心を持っていただきたいと思います。そうすることによって、地域介護あるいは高齢者の地域生活がかなり効果的にサポートできるということを申し上げたいと思います。
 次に申し上げたいのは尊厳死のことです。
 お手元に日本尊厳死協会の「入会のご案内」と「「リビング・ウイル」をご存知ですか?」というパンフレットが届いておると、私の書いた論文が幾つか参考として提出してございますが。
 御承知のように、人間はいつかは死ぬわけですね。いかに医学が進歩しても不治、末期という状態は必ずある。ならば、高齢者は一般に、若い人は何かで急に死ぬという場面になったとき初めて命の大事さ、死はどういうものか、そしてどういう生き方をすればいいかと考えるようになりますが、高齢者は、漠然とではありますけれども、近い将来に死が訪れることを意識しております。そういう中では、やはり健康に、意欲あって生き抜いて、そして最後は苦しまずに安らかな死を遂げたい、これは高齢者がだれしもが思っておることであります。したがって、ぴんぴんころりというような言葉にもみんなあこがれるわけですね。
 ところが、医学が進歩しておりますと、病気になりますと、ある日救急車で運ばれると、そこから後はもう主治医の延命至上に教育された方針に従って、どんなことがあっても、その命を長らえる技術がある限りはどんどん命が、それで命が助かって長寿が実現したんですから、それを否定するものではありませんけれども、しかしそういう生活が本当に人間の尊厳にかなっているものか、あるいはそういう苦痛を無限に強制するものではないか、そういう考えが世界的に起こってきた。これは医学の進歩に伴って起こってきたんですね。私が大学卒業したころは人工呼吸器はありませんでした。したがって、それほど問題にならなかった。ほとんどの人が自宅で亡くなって、しかもそれがほとんどが自然死、自然の経過に任せる。ところが、医学が進歩してきて、特に延命技術が進歩してきますと、本人の意思、苦痛にかかわらず命だけが長らえられるということが起こってきたわけですね。
 そこで尊厳死という思想は必然的に世界各国に起こってきたわけですけれども、一番大きな事件はカレン裁判といって、一九七六年にカレン・アン・クインランと、これは若い方なんですが、この両親が、植物状態でそのまま長く生かされることに、これはとても尊厳ある生ではないということで、延命措置を中止することを免責してほしいという裁判を起こしました。アメリカ・ニュージャージー州。第一審は敗訴しましたけれども、第二審が現場を見て、なるほどこの人の言っていることは本当にそのとおりだといって最高裁で決定しました。
 これが大きな引き金、内外に反響を呼んで、日本もその年に尊厳死協会が誕生しております。尊厳死協会というのは、アメリカはその年にもう既にカリフォルニア州に自然死法ができまして、瞬く間に各州で尊厳死の立法化が成立し、そして連邦法としても容認されまして、アメリカでは尊厳死の考えは定着しています。ヨーロッパも人権が発達していますから、本人が希望したものを家族がどうのこうのと言うことはあんまりしない風習なんですね。したがって、ローマ法王庁もこれを容認しておりますし、常識として本人の意思がある限り尊厳死は社会的に定着していると言って過言ではありません。
 一方、日本はまだその法制化ができておりません。日本は、国会議員でありました太田典礼先生という方が中心になりまして、法曹界の人あるいは大学教授を糾合して日本尊厳死協会が発足しました。当時は尊厳死という言葉がなくて、積極的安楽死と消極的安楽死、これが自然死なんですね、と言うしかなかったものですから安楽死協会と名のって、当初は人殺し集団とかいう批判を受けたそうでありますが。
 安楽死というのはオランダ辺りで法制化されておりますけれども、これは、第三者、医者、そういう者が積極的に薬剤の注射とかでえいやっと死期を早めることですね。まあ現象的には殺人ということ。
 私たちが主張しておりますのは、自然の経過に任せてほしい。延命措置は中止してほしい。延命措置の中止と安楽死という、いわゆる安楽死を遂げる方法とは大きな乖離があります。そのことを申し上げたい。それで、私どもの尊厳死は自然死と言った方が一番分かりやすいんですが、これが安楽死とは根本的に異なることをまた強調させていただきたいと思います。
 さて、そういう経過で昭和天皇の延命治療が行われました。それから、ライシャワーさんが尊厳死を遂げたという話が伝わりました。去年は富山県の射水市民病院で問題が起こって大いに関心集めまして、その事件があるたびに、東海事件でも、事件がありましたし、もう医療現場ではこういう問題は一杯起こっておるんです。起こっておるんですけれども表へ出ない。あうんの呼吸というようなことでなされていることもありますし、本当に延命至上主義に育ったお医者さんは、そんなことはできません、協力はできませんということを言っておられます。
 したがって、いろいろ社会事情はあれですけれども、時代とともにだんだん理解が進んできて、今は尊厳死協会の会員は十二万名に達しました。しかし、十二万名は決して多い数ではありません。お話ししてみたら、積極的な反対の人はそんなに多くはない。それから、がんの末期なんかでは、尊厳死を遂げたいという人は、どんな調査をやっても八〇%以上です。こういう背景がありますので、是非法制化をお願いしたいということで、現在は中山太郎先生を中心に尊厳死を考える議員連盟が発足して、今日も実は衆議院の方で勉強会が行われておりますが、そういうことで私どもは是非法制化をしていただきたい。
 厚生省は、ガイドラインを発表しました。ガイドラインは結構なんです。じゃ、ガイドラインのとおりやれば罪にならないということを決定していただくだけで法制化は実現するんですね。ガイドラインだけですと、どうしてもやっぱり反対の人は告訴しますし、それからやっぱり社会問題になりますので、お医者さんはどうしても手が出ない。こういう意味で是非法制、法制化といいましても決してすべての者に不治、末期になったら延命を中止しろということでは決してない。本人の意思があるものは、自然に安らかな死を遂げることに容認、逃げ道をつくってほしいと、そういうことを申し上げております。
 もう時間がありませんからこれで終わりますけれども、安らかな死というのは高齢社会のキーワードです。高齢者は、十何年も苦しんで人工呼吸器であんなに生かされるのかという気持ちが、そういうことはないということを思うだけで、安らかな高齢者、高齢社会、幸せな高齢社会というのが実現できると思います。私自身も今もう独居老人でありまして、自分の問題としてあれしていますが、老年医学をやった当然の結果として私は尊厳死ということに到着いたしました。
 以上で終わります。ありがとうございました。
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清水嘉与子#8
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 次に、鎌田参考人にお願いいたします。鎌田参考人、どうぞ。
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鎌田實#9
○参考人(鎌田實君) 諏訪中央病院の名誉院長の鎌田と申します。(資料映写)
 三十二年前に、この画像であるように八ケ岳の山ろくの茅野市に行きまして、当時は人口三万九千ぐらいの町でしたが、現在は五万七千の町で、こういうところの地域の中で、最後まで見捨てない、放り出さない医療というのはあり得ないだろうかということを実践をしてきました。その辺を今日はお話をしたいと思います。
 山ろくの町なんですけれども、工業が、精密機械工業があることと、それから観光が、八ケ岳山ろくの蓼科とか白樺湖とか、それから諏訪湖の湖畔、隣の町になりますけれども、観光が豊かである、農業がある、地方都市にしては、小さな町ですが、恵まれた町であると。
 そこで、茅野市全体としてはパートナーシップの町づくりというのを、市長さんが中心になって、住民がかなり議論の中心になりながら町づくりを推し進めてきました。十年ほど前から議論をしたのが、人口五万数千の町を五層に分けていて、この三層の保健福祉サービス地域、四エリア、要するに、本当言うと、人口一万ぐらいの北欧の自治区というのを一つのモデルにしていたんですけれども、お金の、コストの問題もあって、五万七千の町を四つのエリアに分けました。そこへ行けば、子育ての問題も、それから健康づくりの問題も、老人介護の問題も、障害者の問題も、精神障害の方々の問題もそこで解決ができるという、市役所へ行かなくてもいいという町づくりをしてきました。
 四層に十区と、これは元々の市ができる前の村の単位のときにあったコミュニティーという、歴史を抱えているところがありまして、ここも大きなその活動の拠点になっています。
 それから、五層のところを自治会という、公民館分館があるんですけれども、九十九、元々公民館活動の盛んな地域で、後でお話をしますが、不健康な地域だったんですね。三十二年前僕が行ったころは、脳卒中が秋田に次いで長野県は多く、長野県の中、当時は十七の市があったんですけれども、茅野市は脳卒中が一番多い市でした。まあ不健康な市だったんです。その不健康な市をできるだけ健康な地域づくりができないだろうかと健康づくりをやったんですけれども、仕事が終わると、ボランティアで、夜、スライドを持って山の中の公民館へ行きました。それは、多い年には年間八十回、集落の公民館へ出た。九十九ある集落の八十ぐらいを毎年回った。それが健康づくりの始まりでした。
 そして、これが、茅野市山麓を四つのエリアに分けました。そして、四つに、今、地域包括ケアセンターというのが日本じゅう制度としてでき上がりましたけれども、まあ七、八年前から保健福祉センターというのがあって、そこに今の名前の地域包括ケアセンターのようなものを自分たちでつくってきました。
 右側には診療所があり、左側にはデイケアがあり、真ん中に地域包括ケアセンターのような、僕たちの名前はちょっと違いましたけれども、をつくっておりました。
 これが、真ん中が地域包括支援センター、右側が諏訪中央病院の内科医師が二名常勤で行っている診療所です。左側がデイケアで、診療所です。
 こういうのが四つのエリアにあって、ここへ行けば市の保健師さんもヘルパーも、それから診療所があれば医師もいるというような、それから市役所のケースワーカーもいるしケアマネジャーもいるというような形をつくってきました。
 それから、元気なお年寄りたちが憩う場をつくろうということで、茅野市の中に六つ、元々温泉の出るところでしたので、温泉を引いたところ、人が集まれる場所をつくってきました。
 これが、三十二年前、脳卒中が多かった地域で健康づくり運動というのをして、こういう形でその集落の公民館で人が集まって、脳卒中で死なないためにというような運動をしていきました。
 これが、折れ線グラフで左側の上のところが、僕らが、昭和四十九年に若い医師たちがそこへ赴任をしまして、脳卒中の多さにあきれて地域へ出ていって、脳卒中が激減をしていくところです。
 ですから、その後、今では日本でも有数の長寿地域になりました。長寿であるということは老人が多い、老人が多ければ医療費が高いはずですけれども、長野県は日本一老人医療費が安いわけですけれども。
 もう一つ、お手元の方に棒グラフが出ています。長野県の市の中の医療費が、老人医療費と一人当たりの医療費が出ておりますが、茅野市はもう五年ほど老人医療費も一人当たりの医療費、国保の医療費ですけれども、市の中では断トツに安い。
 そして、めくって、最後の今の棒グラフの二枚ぐらいのところに、全国と長野県と茅野市の一人当たりの医療費と、それから一番最後のページに老人の医療費が書かれておりますが、例えば老人の医療費でいうと、二十四万ぐらい全国平均に比べると茅野市は安いということで、ほどほどの救急医療、ほどほどの高度医療があり、そして約二万坪の土地に三百六十二床の救急医療をやる病院を中心に、周りに特養、老人保健施設、回復期リハビリ病棟、療養型病棟というようなものがあって、もちろん二十四時間体制の在宅ケアがある。先週御視察をなさったみつぎ病院と同じような地域包括ケアというのを行ってきました。
 次、お願いします。
 これが在宅医療です。僕の「がんばらない」の本の中に出てくる山根のばあ、九十三歳のおばあちゃんで、亡くなる一か月ほど前の写真なんですけれども、亡くなる前も、こんな直前でも穏やかないい顔ができている。まあホームグラウンドにいるからこそ、当然これがお年寄りの生きがいにもなるし、同時に地域の医療費を上げないことにもなっているというふうに思っています。
 当初、日本で初めてだと思うんですけれども、老人デイケアというのを行いました。まだ病院が累積赤字四億円というのを持っている時期だったので、まあ施設はぼろぼろのところで、職員の図書室を利用して、使わなくなった布団を敷いてデイケアを開始した。ボランティアがたくさん参加をしてデイケアが始まりました。現在もボランティアに囲まれたデイケアが行われています。もう二十五年前から参加しているボランティアがいまだにデイケアに参加してくれておりますので、当時六十歳ぐらいの方がボランティアで八十五歳。結局、それ自体が、ボランティアをしながらその方の健康を守っているという、支えている側にいながら、実は支えていることをしながら支えられている、それが健康な町づくりにつながっているかなというふうに思っております。
 ホスピスです。がんの末期の患者さんだったんですけれども、東京の大学病院にいて、僕のNHKラジオ「鎌田實 いのちの対話」というのを聞いていて、ああ、そういう医療もあるのかということで転院をしてきました。たくさんの若い医師たちが集まってくる病院なので、その方、学生たちやレジデントたちにボランティアをするというふうに言ってくださって、このがんの末期の方が非常に生き生きとして若い医師たちを育ててくれる。こうすることによって、この人自体も元気をもらっていきます。お互いが、結局、病気を持っていても何かしてあげる側に回ったときというのは大きいんじゃないかなというふうに思っています。
 この方も、僕の「がんばらない」という六年前に書いた本に出てくる、当時八十九歳の小脳変性症の難病のおじいちゃんでした。ワープロを使って僕に手紙をくれたりしていました。僕が往診に行ったところ、グラフが見えたので何をしているんですかと聞いたところが、株式投資をしていると言われて、八十九歳で、難病で、介護度五で、もうしゃべれなくなって、歩けなくなって、現在九十五なんですけど、八十歳から僕は往診をし始めて、十五年往診で通っているんですけど、今もワープロを使ってコミュニケーションをし、株は相変わらずやっているということで、もうかりますかと聞くともうからないと言って、まあもうかってくれるとますますいいんじゃないかなと思っていますけど、社会とつながっているということが、九十五歳でも、介護度五でも、難病でも生き生きとして生きている。この人が愚痴を言わないために十五年介護している家族も疲れてこないということがある。
 それから、鎌田實とハワイへ行こうというのを、二年前、僕、諏訪中央病院を退職をして、今パート医を諏訪中央病院でやっているんですけれども、ボランティアで障害のある人たちと百八十人ぐらいでハワイへ行った。それから学んだことは、九十三歳のおばあちゃんが僕とハワイに行って、介護度五です。寝たきりです。その方が旅をして面白いと言われて、ヘルパーさんを雇って、その後京都と津和野を旅をしました。そうしたら、何としゃれたことを言うおばあちゃんで、日本の旅じゃ刺激がないわと言って、韓国へヘルパーを雇って焼き肉を食べに行きました。いたく気に入ったようで、二回目も韓国へ焼き肉を自分で食べに。介護度が多分次の認定のときは下がると思うんですけれども、やっぱり生きがいを持つということがすごく大事なことではないかなと。
 長野県が医療費が安いというのの分析の一つは、生きがい、結局仕事だ。高齢でありながら就業率が日本一高いという。何かといったら、別に会社勤めをしているわけじゃなくて、小さな農業を八十歳になってもやっていて、八十歳だけど出荷もちょっとしているという、それで収入をわずかに得ているという。
 これは、NHKテレビの@ヒューマンという番組に報告された八十一歳の、お二人ががんです。今、日本人は三人に一人ががんで死ぬ時代になっていて、二人とも末期がんです。末期がんの最後ですけれども、おばあちゃんが亡くなる四日前です。最後にラストダンスを御主人と踊りたいと言い出して、諏訪中央病院の緩和ケア病棟で最後の御夫婦のダンスをし、まあ本人はもう思い残すことがないと言われて亡くなっていきました。
 結局大事なことは、もう一つ僕の方で、明るくしていただいて、プリントに書いてありますが、できるだけ僕は老人が生き生きと生きていけるためには国民皆保険制度が必要だということをそこで書きました。それから、ほどほどの救急医療とほどほどの高度医療がどうしても必要である。それから健康づくりが必要である。
 ページ、三ページを開いていただいて、それから支える医療が大事だというふうに思っています。その支える医療は、在宅医療とかホスピス医療、そういうものをもうちょっと充実させる必要があるんじゃないかということで、三ページの最後の五、六行が大変言いたいところなんですけれども、医療費抑制政策がずっと行われていますけれども、もうそろそろ、この医療費抑制政策をやっていると支える医療とか地方の病院医療は崩壊するんじゃないかというふうに思っていて、できたら三十二兆円の医療費を二兆円ぐらい上げて、その上げる理由としては、がん医療の充実と子供を安心して産み育てられる産科や小児科の充実と、人間はだれでも年を取り死んでいくわけですから在宅医療や緩和医療の充実をしていただいて、四ページ目、まとめというところで今言ったようなお話をして、最後の七番、八番、括弧で囲みましたけれども、どう生きがいをつくるか。どうケアを導入するかよりも、生きがいを持つようになっていけば結構介護度は変わっていくということもあるので、それを地域でつくっていくことが大変大切かなというふうに思っています。
 以上です。
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清水嘉与子#10
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 次に、惣万参考人にお願いいたします。惣万参考人、どうぞ。
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惣万佳代子#11
○参考人(惣万佳代子君) このゆびとーまれの惣万です。よろしくお願いします。(資料映写)
 このゆびとーまれとは、富山市で平成五年の七月に産声を上げました。どうしてこのゆびとーまれをしたかといったら、一人のおばあちゃんの声でした。惣万さん、自分のうちながにどうしてうちに帰れんがけ、畳の上で死にたいって言っとるがに、どうして畳の上で死なれんがけ、これがわしの運命け、なんまいだ、なんまいだって手を合わされたがですね。それで、私たち富山赤十字看護婦三人が立ち上がりました。対象はだれにするかというたら、もう最初から赤ちゃんからお年寄りまで、障害者、障害児もみんないらっしゃいがにしたがです。
 私たち、開所したのは七月二日でした。七月一日に、前日ですよね、あしたから開所だというのに、利用者の申込みがゼロだったがですよ。それなのに、富山県で初めての民営デイケアハウスが開所するいうことで、テレビ局三局、新聞社三局、取材に来るというがですよ。そして、利用した人にインタビューするって。どういうインタビューかいうたら、どうしてこのゆびとーまれ利用されたがですかって聞くっていうがですよ。そしたら、インタビューする人おらんがですよ、利用者ゼロですから。ですから、私はぼけたふりしてインタビュー受けるのかなと思うとったがです。そしたら夕方五時ごろになって、もしもしっていって、たまたま私取ったがですけど、身体障害者一級の三歳の子供さんを持っているお母さんからだったがです。あした利用さしてくださいって言うがです。本当、私うれしいてうれしいて、本当に来てもらえんがけ、本当に来てもらえんがけって何回も言うもんだからね、お母さん、こんな頼りないところ嫌がかなと、自分が行く言うとんがに来てもらえっちゃどういうことけ言うて来られたらしいがですよ。そしたら、当日行ったら、そのお母さんと障害児の三歳の子だけだったがですよ。そしてテレビ局の方がお母さんに、どうしてこのゆびとーまれ利用されたがですかと聞いたら、この子が生まれてから一度も美容院に行ったことがない、この子をこのゆびに預けて、パーマ屋へ行ってパーマ掛けてくるということだったがですよ。
 私たちは、お年寄りを支えたいと思ってこのゆびとーまれをしたがですよ。ですから、最初の利用者はお年寄りだと思い込んでいた。それが障害児であった。そしてその理由が、三年間一回も美容院に行ったことがないと、この現実に驚きました。
 立ち上げた看護婦三人です。十三年前の写真です。真ん中の人、特にきれいですよね。いやいやいや、若いですよね、間違えました。
 このゆびとーまれの理念は、「だれもが、地域で、ともに暮らす」。日本の福祉施設は、お年寄りだけで五十人、百人、二百人が住んでいます。知的障害者は、富山は三百九十人、お隣の新潟は五百人、日本全国五百人ほどの知的障害者の施設があちこちにあります。私はね、同じような人たちだけで一つの村をつくっちゃいけない、コロニーをつくっちゃいけないと十三年間言い続けてきてます。何でかっていったらね、その人たちの集団は異様ですよ、同じ人しかいないんですから、同じ集団ですから、不自然ですよ。そして、お互いに相乗効果がないですよ。赤字、見てください。「豊かな人間関係の中で人は育ち、喜びも大きい。一人ひとりが輝く。」のだと思います。
 このゆびとーまれに年間、県外から二千人以上の方たちが見学に来られます。よく言われるのは、このゆびとーまれは、最先端なことしたね、画期的なことしたねって言われますけど、私たちのしてきたことは画期的でも最先端でも何でもないですよ。私たちがちっちゃいころあった光景、当たり前、普通の生活しとるだけながですよ。それを私は日本の文化だと言い切っております。
 皆さん、あのおばあちゃんの顔を見てください、あのミッチースタイルしているこっちのおばあちゃん。あの人、介護度四の、認知症の介護度四の方。あのモモちゃんの顔を見たら、あんな穏やかな顔になるでしょう。このおばあちゃん、嫁さんの顔を見たら顔引きつるがですよ、分かります。でも、子供の顔を見たら、こんなにこやかに。で、このおばあちゃん、早崎のばあちゃん、ここにね、子供がいるから気晴れると言うんですよ。お年寄りだけだと気晴れぬと言うがですよ。皆さん、隣同士、顔を見合ってください。気晴れますか。晴れぬでしょう、晴れぬでしょう。
 はい、次お願いします。
 このゆびとーまれの日常です。認知症のおばあちゃんとヨッちゃんです。ヨッちゃんは六百七十八グラムで生まれました。最初生きるか死ぬかで普通の保育所へ行くことができぬもんで、立山町で生まれたんですけど、看護婦のいる宅老所、看護婦四人いましたから、看護婦のところで育ててもらいなさいということで、このゆびとーまれで育ちました。これでもう六歳過ぎまして、今の四月から養護学校に通います。で、六歳なんだけど、体重がまだ九キロですね。一歳みたいなもんですね。
 このゆびとーまれの日常を見ていってください。窪田キヨさんです。この方は認知症のおばあちゃんです。平成五年の十月二日からこのゆびとーまれに来られました。何で来られたかいうたら、警察に何回かお世話になってきております。別に悪いことしたがじゃないですね。徘回で迷子になって来られたんですけど。
 このおばあちゃん、自分でおんぶしたんですよ、この赤ちゃん。今の若いお母さん、おんぶもしないけど、自分でおんぶできる人おらぬですよ。で、必ず私たち後ろから支えになるんですよ。このおばあちゃん、子供が大好きで、このマリちゃん、自分の孫、ひ孫やと思っていつもおんぶしとんがですよ。自分の孫はヨッちといって、外孫がおるがです。本当はこの人、マリちゃんなんだけど、マリちゃんにもヨッちヨッち言ってやっとんがですよ。だから、マリちゃん、ヨッち言うたら返事するがです、はい言うて。そういういろんなことがあるがですけど。
 で、このマリちゃんが生後六か月のとき、赤ちゃんのとき、このおばあちゃん、何と言ったと思います。あれ、あんた、もうはや歯ないがけ、ばあちゃんみたいに入れ歯作られって言うたばあちゃんなんがです、分かります。自分も歯ないがなって入れ歯作ったから、あんたも歯ないがなったんやから入れ歯作ったら、そうしたら御飯食べれるよ言うてちゃんと教えとんがですよ。ノーベル賞もんかもしれんがですよ。
 どうです、このおばあちゃん、働いているでしょう。このころ、おばあちゃん、どんな痴呆かいうたら、食べたかどうかが分からない。御飯食べても、私だけ御飯、弁当あたらんだと言い出すおばあちゃんなんです。そのおばあちゃんがこうやって子供の子守ができるんですよ。マズローの原理に、人間の一番高い欲求は自己実現です。私もそう、皆さんもそう。認知症のおばあちゃんだって、自己実現なんですよ。自分が何かに役立つことができる、こうやって子守ができる、自分の出番があると思ったら、認知症のおばあちゃんだって生き生きするがですよ。これが反対に、なあんわし、一方的に世話されておるだけ、なあんわしの出番なんかない、みんなに迷惑ばっかり掛けとる、生きとるが嫌になった、死にたあなったってなるがですよ、これ反対だったらですよ。こうやって生き生きしとるからいいがですよ。このおばあちゃんね、このゆびとーまれの給料日近うなったら事務所入ってくるがですよ、わしにも給料出んがけ言うて。ちょっと悪いけど出んわ言うたら、惣万さん、けちと言うたおばあちゃんなんで、それくらいに自分が働いていると思っとるがですよ。
 そのおばあちゃんが、七年四か月毎日来られましたけど、二〇〇一年の一月一日、午前五時三十九分、私と西村が添い寝をして亡くなっていきました、このゆびとーまれで。認知症で亡くなったわけではないです。認知症ではなかなか人間というのは亡くなりません。大体死因は肺炎かがんです。このおばあちゃんは左の乳がんでした。亡くなる三年半前に県立中央病院のお医者さんから、手術せぬだらあと半年の命だと宣告されています。そしたら、あんちゃんと姉ちゃんが、母ちゃんはがんとは闘えないだろう、抗がん剤打ったら意味が分からぬから点滴なんか取ってしまうだろう、手術なんかしたらベッドに手足縛られてしまうだろう。そしたら、何もせぬとこのゆびとーまれでお願いということだったんです。そしたら、半年やと言われながら三年半介護だけで生きられたわけなんです、治療せぬと。
 そしたら、皆さん、がんというのは最後、痛みとの闘いなんですよ。これは亡くなる二週間前の写真なんですよ。私たちが血圧測りに行っても食事介助行っても、起き上がる元気ないがですよ、体だやてだやてかなわんで。だけど、大好きなユウキ君が来たら起き上がって、何しとると思います、これ十二月十五日ごろの写真なんですよ。寒かろう言って靴下はかしておるがですよ。ですから、人間いうのは大好きな人に対して、最後まで何かしてやりたい、何かしようかと思う気が出てくるんですよ。嫌いな人にはそんなことしませんけどね。布団かぶりますけどね。私たち、嫌いな人いたら布団かぶりますけどね。人間というのはそんなものなんですよ。
 西田孝さん。西田孝さんは、八年四か月毎日このゆびとーまれに来られましたけど、平成十五年七月四日、午前三時半、この方も、私と西村、西村って副代表の看護婦ですね、添い寝をして、畳の上で大往生をしていかれました。西田さんは亡くなる十六日前から寝泊まりして亡くなっていっております。窪田さん、さっきのおばあちゃんは亡くなる五日前から寝泊まりして亡くなっていっております。つまり短いということなんですよ。このおばあちゃんは、亡くなったのは午前三時半です。私たちはある意味では宅老所ですから、若い職員は夜中、うちへ帰っていますけど、三時ごろから全部集まってきまして、そして亡くなった西田さんを、まだ体の温かい西田さんをみんなでおふろに入れました、家族と一緒に。そして、生きていたころの西田さんの話をしながら体をみんなで洗いました。
 ヨッちゃんとおばあちゃんですね。ヨッちゃんは超未熟児で生まれましたから、生きるか死ぬかです。ですから、高濃度の酸素を最初に長期間投与しなければ彼は死んでいったんですよ。高濃度の酸素を投与するいうことは、未熟児網膜症になってしまって両眼失明するんですよ。ですから、医学的にはヨッちゃんは両眼失明していると言われています、お医者さんからしたら。惣万さん、何も見えぬよ、光も分からぬよと。もしかしたら片目が少し光が分かるかもしれぬという程度なんです。だけど、ヨッちゃんはお年寄りの顔を和やかに、和やかな目で見ているでしょう、優しい目で。きっとお年寄りの顔が映るんですよ、かわいがってもらっとるから。医者に言うたら、何ばかなこと言うておるって言われそうやけど。
 はい、次言います。これ難病の方です。気管切開して気管カニューレを入れております。この竹内さんは、これで難病になりまして五年ほどですか、難病の方ってだんだん顔が無表情になってくるがですよ、仮面様に。あんまりうれしい顔ちゃせぬがですよ。だけど、この大ちゃんが大好きで、大ちゃんの顔見たらこうやってにこにこっとされるがですよ。
 コミュニケーション取るときっちゃ、アイコンタクトといってまぶたをつぶったり開いたりしてイエスかノーか、あと文字盤でしゃべるしかないがですよ。だけど、うち行ったら、ちゃんとお母さんに、大ちゃんが歩いたとか、大ちゃんがしゃべった言うてちゃんと教えとるがですよ。ちゃんとコミュニケーション取ったがですよ。
 この方が総合病院に退院するときに、お医者さんも看護師さんも医療者側は全部、在宅は無理だと、すぐ療養型病床群に行くか老人病院に行きなさいと言われたんだけど、家族と本人がどうしてもうちに来たいということだったんです。そうしたら、そこの師長さんが、まあたまたま私が友達だったんですけど、惣万さん、一か月だけ支えてくれぬかと、どうしても私たちが無理や言うのにうちに帰りたいと言う人がおると、惣万さん、一か月でいいから頼むちゃと言われたんですよ。ああ、分かりました、一か月だけでいいがですね言うて私たち引き受けました。
 そうしたらどうでしょう、結果的にどうだと思います。今の三月でこれで五年間在宅におられます。医療者側が幾ら無理や言うても大丈夫なんですよ。そして、五年間の間に入院されたのはわずか二回です。その二回も足して九日間だけながですよ。そして、この人は露天ぶろが大好きで、二週間前もうちの職員がボランティア、うちの職員も手伝って、露天ぶろへ入ってきました。四回目の露天ぶろへ行ってきましたね。それが楽しみなんですよ。
 寝たきりのおばあちゃんの後ろにうちのユウキ君が眠っております。そうしたら、ばあちゃんがつぶさぬか思って心配しとるがですよ。今の日本に何が足りないか。今の日本の家庭に何が足りないか。これが足りません。
 寝たきりの、半身麻痺ですけど、寝たきりでもないんですけどね、半身麻痺のお母さんにうちの職員が、手浴といって、洗面器に熱い湯を持っていって、白いのがあるで、あれ石けんなんです。石けんで手を洗うとるがですよ。そこに三歳のユウキ君が、僕も手伝うちゃ言って、おばあちゃんの手を洗ってくれとるがですよ。今の日本に何が足りないか。今の日本の家庭に何が足りないか。これが足りません。
 宗教家のある先生がこう言われました。惣万さん、今の日本にこれが足りないから、つまり、お年寄りが死んでいく過程、お年寄りを介護する場面を子供たちに見せない、体験させないから、自分の命も大事にしない、人の命も大事にせぬ子が増えるんじゃないかと言っておられました。私もそう思います。
 このゆびの子供たちです。道で寝ております。これ、昭和初期の子供でないんですよ。パンツ見たら分かりますよね。平成の子供です。最近の子供ですよ。
 宅老所の合い言葉は、小規模、多機能、地域密着です。小規模とはというたら、これ省略しますね、皆さん知っていますから。多機能とは、一番、お年寄りが通って、泊まれて、家にも来てくれて、いざとなったら住むことができる。私たち富山ケアネットは、町に住んでいるのはお年寄りだけじゃないだろう、介護が必要なのはお年寄りだけじゃないだろう、子供からお年寄りまで、障害者、障害児も通って、泊まれて、家にも来てくれて、いざとなったら住むことができる富山をつくろうじゃないか、いや、日本をつくろうじゃないかと言っております。それと、三番見てみてください。御縁あってこのゆびとーまれに来てくださったがですよ。本人と家族が希望するならば、みとりまでかかわろうじゃないかというのが私たちの願いです。
 このゆびとーまれは平成五年からしてきました。このゆびとーまれのしてきたことは、七つの制度が本当は必要でした。逆に言えば、七つの制度に引っ掛かっていました。ある意味では、私たちは法律違反をずっとしてきたということなんですよ。
 どんな法律が要ったかといったら、高齢者だけの単独のデイサービスが必要だったがですよ。それと、身体障害者は十八歳以上と以下とを分けんなん。知的障害者も者と児とを分けんなん。まだこれに精神が入ってきておりません。まだ健常な子供も入ってきておりません。
 ですから、例えばある県へ行ったら、富山型したいんですけどと言ったら、いまだに、デイサービス十五人規模で、玄関を三つ造れ四つ造れ、便所も三つ四つ造れ、おふろも三つ四つ造れ。つまり、障害者とお年寄りと一緒の玄関へ入るなよと、一緒の便所を使うなよ、一緒のふろを使うなよ、子供もみんな別にせよということながですよ。
 十年たって、私たちの活動が初めて国が認めました。小泉さんの構造改革の特区です。一つ屋根の下でお年寄りと障害者が一緒に過ごしてもいいよということを認めました。お年寄りは介護保険で、障害者は、あのときは支援費だったんですけど今は自立支援法です。それが、特区だったのが十月一日から法律になりました、制度になりました。今度は、ショートステイなんですけど、ショートステイはもう三年前から富山型は法律になっています、制度になっています。私たちの思いが活動になり、活動が特区や制度をつくり上げていったということです。
 私は富山県の審議会に入っております。富山県のキャッチフレーズは、日本国民じゃないですけど、富山県民一人一人が、一人一人が生き生きと生きがいのある町づくりをつくらんまいけと知事さんが言われたがですよ。そうしたら、いや、生き生きとか生きがいはありふれておると、こんなキャッチフレーズはどうかと、富山県民一人一人が日々感動とチャレンジ精神を持ち、死にがいのある町づくりをせんまいけと言ったら、知事さん、死にがいは駄目やと却下されました。
 死にがいのある町づくりとは、富山で生まれてよかった、まあ日本で言うたら日本で生まれてよかったということになるんですね。富山で生まれてよかった、富山で暮らしてよかった、そして、わしはこの富山で死ぬんだと腹を決めるということですよ。あのばあちゃんはあそこのうちで畳の上で大往生していかれた、その横に、あんた、息子さんやら孫やらと一緒に寝ておったといね、あのじいちゃんはあそこのうちの仏壇の前で死んでいかれた、そういう事例ですよね、事例を私たちは多くしていく、積み重ねていく、これが宅老所の役割だと思っています。身近な死の有り難さを感じる町づくり。
 これで終わりなんですけど、ごめんなさい、何かこの後できないって。あと二つ、ちょっと言わせてください、すぐ終わります。
 私たち宅老所の仲間はNPO法人が多いんですよ。今、NPO法人で私たち仲間が言っているんだけど、税収が、年間例えば五百万の利益やっとこさ上げたと、二十人か三十人の職員の規模でやっと五百万の利益上がったと思ったら四〇%の税率を払わんにゃいけんがですよ。一千万やったら四百万なんですよね。
 ですから、NPOは、それは税金払うのはいいんですよ。同じ、でも、仕事をしておって社会福祉法人は払ってないんですよ。ましてや、NPOは市民の方に顔を向いているんですよ。
 ですから、私は、四〇%から二〇%ほどにしてもらえないかなということと、もう一つは、十月に富山型が制度になったんですけど、例えばある県とかある市とかへ行ったら、市町村とか県がまだ分からなくて、富山型みたいなのはやらんでいいっちゃみたいに、余り勧めない、何か嫌がる市とか県があるので、そこら辺、また、ああ富山型するがけって、喜んでするような国になってほしいなと思っています。
 じゃ、どうもありがとうございました。
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清水嘉与子#12
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時をめどとさせていただきます。
 なお、質疑者及び各参考人にお願い申し上げます。質疑及び御答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようにお願いいたします。
 また、多くの方が御発言できますように、一回の発言はおおむね三分程度とさせていただきます。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べいただきます。
 それでは、質疑のある方、挙手をお願いいたします。
 いかがでしょうか。
 森ゆうこさん、どうぞ。
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森ゆうこ#13
○森ゆうこ君 民主党・新緑風会の森ゆうこでございます。今日は先生方、大変貴重な御意見、誠にありがとうございました。
 私も尊厳死の法制化を進める議員連盟に入会させていただいております。そこで、まず初めに、尊厳死の問題についてそれぞれの先生方の御意見を、せっかくの機会ですのでちょうだいしたいと思うんですけれども、井形先生におかれましては先ほど尊厳死の問題について御説明がありました。それぞれの先生方については、尊厳死の問題についてお話をされたことはないのかもしれませんけれども、せっかくの機会でございますので、この尊厳死の問題についてどのような御意見をお持ちでいらっしゃるのか、参考までに伺いたいと思います、まず。
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清水嘉与子#14
○会長(清水嘉与子君) では、最初に井形先生からでよろしいでしょうか。
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井形昭弘#15
○参考人(井形昭弘君) ありがとうございます。
 今、超党派で、先ほど申し上げたとき、尊厳死法制化を考える議員連盟がスタートしておりまして、いろいろ御協力をいただいておりますが、私自身は、ここに書いてありますように、健やかに生き、安らかに死ぬ、これが高齢社会の一番のキーワードだと思っております。まず健やかに生きるのに全力を挙げて、そしていつかは死ななきゃいけないわけですから、そのときはダンディーに、かつ安らかな死を遂げたい。ただし、死の有様に関与する権利というふうに私たちが言っておるので、死に様に発言する権利というふうに言っております。死ぬ権利となると、自殺を認めたり、あるいはオランダなんかである安楽死、私たちは安楽死を主張しているものではありません。
 それで、そうすることによって、高齢社会が、日々が、いつかは死ぬのに、そのときは自然に安らかに死ねるんだという保障が付くことによって、高齢社会は非常に生きがいも生まれ、かつ希望が生まれてくると、そういうふうに考えております。
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清水嘉与子#16
○会長(清水嘉与子君) それでは、お手が挙がりましたので、鎌田参考人、どうぞ。
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鎌田實#17
○参考人(鎌田實君) 僕たち茅野市では尊厳死の地域版というのをつくって、まあ多分あんまり日本ではないと思うんですけれども、尊厳死協会から何度も勉強会に指導に来ていただいて、七、八年、主婦が中心になって、開業の医師会の先生も、それから諏訪中央病院のレジデントを入れると五十名ぐらいの医師が病院にはいるんですけれども、その医師たちもアンケート調査をすると九割ぐらいが尊厳死を認めてもいい。だから、地域で話し合って、もう八年ぐらい理解をし合ってきたので、地域版の尊厳死協会のような尊厳死カードを作ろうということで、僕はその地域版の尊厳死カードを持っています。ですから、僕は自分が突然意識障害起こしたときにはこうしてほしいというようなカードを持っているということになります。そういう方が五万七千の町で今のところ千二百人ぐらい。全員が持つ必要はないと思っているんです。持ちたい人が持てばいい。持てるときに、持ちたいと思ったときに持てるような地域で、持っていったときにそこの地域の医師たちがそういう理解を持っているということが大事かなというふうに思っている。
 ただ、法制化にするかどうかということに関しては、三年前に厚労省の終末期の在り方検討会というところが大掛かりな世論調査をやっていて、そのときの、ちょっと正確ではありませんけれども、六割ぐらいの方がまだ法制化に、尊厳死は大方の方が認めると言いながら、法制化に関しては時期尚早というような世論調査だったので、特にそれから弱者というか、障害を持っている組織の人たちが尊厳死の法制化に関して、自分たち弱い者が何か尊厳死を、カードを書かないといけないような状況に陥るから、どうも自分たちは納得ができないというような意見を聞くと、そういう人たちにとっても自分たちでちゃんと判断できるんだよということを分からすためにはもう少し時間が必要なのかなというふうに思って、取りあえずまず僕はガイドラインを徹底させて、ガイドラインに従った限りは医師や何かに罰則が行かないという形にするのがいいんではないかというふうに考えています。
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清水嘉与子#18
○会長(清水嘉与子君) それでは、松田参考人、いかがでしょうか。
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松田晋哉#19
○参考人(松田晋哉君) 私、短い期間ですけれども臨床を少しやったことがあります。その経験から少し考えますと、やはり最終的には尊厳死のようなものが認められるべきだろうと思っています。安楽死はやはりやるべきではないだろうと思います。安楽死に関しましては、井形先生も御紹介ありましたけれども、例えば今オランダが少し反省期に入っています。やはり、もっとやれることがあったんではないかという家族の意見等が取り上げられるようになっていますので、やはり安楽死というのは少し駄目だろうと。
 そういう意味では、自然に尊厳死のようなものに行くべきだろうとは思いますけれども、今日、先ほど惣万さんが話されたように、死というものが、やはり今のように日本人の生活から非常に切り離された状態で、その生死にかかわるところが最終的にはすべて医療者に今任されているような状況になっています、すべてお任せしますというような形で。そういう段階、そういう過程で、我々医師が、あるいは看護師、看護職がその責任を取らなければいけないかということに対してやっぱりまだ少しためらいがあろうかと思います。
 その意味ではやはり、この死というものに対して国民的なもう少し理解が進まないと、人間はいつかは死ぬんだというお話が先ほどありましたけれども、そこに関してやはりもう少し理解が進まないと、この尊厳死の問題というのは先に進めないのではないかなというふうに考えます。
 そういう意味では、国民に対してこういう問題に対する議論をもう少し深めていただきたい。それをやることによって、私は、井形先生がおっしゃられたような方向に必ず行くんではないかなというふうに考えております。
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惣万佳代子#20
○参考人(惣万佳代子君) 惣万です。
 看護婦なんですけど、尊厳死そのものがよく本当は分かっていないんですよ。ただ、富山出身なんで、射水市民病院で抜管の問題になったときに、その院長側と外科部長側で七例あったんですね、もめたわけなんですね、富山で。
 私は、考え方としたら、伊藤部長、外科部長の考え方が好きでした。それに患者、家族がだれ一人文句を言ってるわけじゃないがですよね。それと、私はその後、富山県は倫理委員会をどの病院にもつくって、要するにいったん付けたらもう外さないとなってしまったがですよ。私はおかしいんじゃないかと。緊急の場合にやっぱり付けんなんときが出てくるわけなんですよ、肺炎とか何かで。でも、いったん付けても、いつか外す権利はやっぱり、本人は余り意識なくて分からないかもしれぬけど、外す権利はあるんじゃないかなと私は思います。
 私は、老人の死をずっと見てきまして、このゆびとーまれで亡くなったのは、畳の上で亡くなったのは六事例です。ほとんどのお年寄りはもう自然死ですよね、点滴一本すらもうしません、御飯食べれぬようになったらもう死です。私はそれでいいんじゃないかなと思っています、家族と本人が望むなら。緩やかな死。
 私は、死そのものは、何か暗いイメージとか、もう何か負のイメージなんですけど、私は、死というものはある意味では卒業で、青いブルーみたいな、きれいな。ある宗教家が言っていましたけど、惣万さん、天国っちゃパラダイスやよ言うて、えっ、どうしてパラダイスなの言ったら、だれ一人帰ってこんねかいね、やっぱりいいところながやっちゃと言われたから、ああそうかと、そういう死を取れればいいのかなと。
 今、千の風の新井満さんのもあるように、死んでなんかいないようやら言うし、あれ、みんなよう、このゆびとーまれでも歌っとんがですよ。ばあちゃんたちも、意味分かるか分からぬかしれぬけれども、死んでないよ、墓になんか入らんがだとやら言って、やっとんがですよ。ああいうような歌もどんどんみんなで広めていけばいいんじゃないかなと私は思っています。
 鎌田先生のぴんぴんころりですけど、私も、できたらぴんぴんころりで死にたいがですよ。ただ、私、ごめんなさい、鎌田先生は私が言ったらまたいろんな意見があると思うけど、ただ私は、国としてぴんぴんころりを進めたらいけぬがじゃないかなと思う。意味分かります。個人としたら、ぴんぴんころりと言っとっても、それは勝手、自分の命だからいいんだけど、国としてぴんぴんころりを進めますということはできぬがじゃないかなと思いますよ。
 ということは、人間というのは、じゃ介護を必要になった方が、病気になったら、じゃ罪なことかとなるわけですよね、取りようによっちゃ。ぴんぴんころりになって死なんじゃ。じゃ障害者の方もまた言いますね。おれたちは先天性で初めから、ぴんぴんころりどころか、おれたちはずっと迷惑掛けて生きてきたんだと、おれたちは生きとること自体がおかしいがかって、また言い出しますよね。これ、ちょっと尊厳死とは全然違うんですけど、ごめんなさい。
 そういうことで、先生の言っておられるんがとちょっと的外れとるかもしれぬがですけれども。
 ありがとうございました。
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清水嘉与子#21
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 森さん、いかがですか。
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森ゆうこ#22
○森ゆうこ君 ありがとうございました。的は外れてないと思います。
 私は、尊厳死というか、要するに尊厳のある生き方を全うするために、医療、そしてまた介護がそれぞれの機能分担をし、そして十分に連携をして充実させていかなければならないということだと思うんですね。
 そういう意味では今ほどの先生のお話も、本当にすばらしい御意見をいただいてありがとうございます。厚生労働委員会に所属しておりますので、大臣には必ずこの尊厳死について、それぞれの大臣の御意見を伺うことにしておりますし、また今後の議論の中でも、この問題について先生方の意見を参考にしながら議論をさせていただきたいと思っております。
 ありがとうございました。
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清水嘉与子#23
○会長(清水嘉与子君) では、ほかにはいかがでしょうか。
 山崎さん、どうぞ。
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山崎力#24
○山崎力君 これは直接的には鎌田先生になると思うんですが、ほかの方々からも、当然関連してくるところあるんで、お伺いしたいんです。
 というのは、我々のこの議論の背景にあるお金の問題なんです。それで、諏訪中央病院その他いろんなところで、先輩、長野で特に、議員になられて亡くなられた先生もいろいろ頑張られたケースもありますし、それで、それが一つの目標になってやられていると。あるいは、惣万さんのやられていることも、そういう意味でいえば、一つのテストケースとして称賛に値するということを言うということは、逆に言えば、ほかのところでやっていることが現状ではなかなかそこまで行っていない、政策といいますか、制度としてですね。先ほど先生がおっしゃられたように、国民皆保険はこれはもう絶対守らなきゃいかぬ制度だと。
 そのときに、それでは、そこにおいて今一番ある種の格差として問題になっているのは地方の医療体制でもあろうと。その中で、特に自治体立の病院の赤字問題、そこに関しての赤字補てんの問題と自治体の財政の悪化の問題。もっと言えば、ここまで言うと問題になるかもしれませんけど、民間病院と公立病院のその違いのところをどうするんだと。もっと言えば、民間病院は赤字になればつぶれて四散する、公立病院は赤字になっても税金で補てんされると。その辺のところを全部ひっくるめた上で、今この老人医療も含めた議論がなされているわけです。
 そういった中で御苦労なされて、非常にいい、一言で言えば、先生のやっていらした経過が、全国の地方自治体立の病院等で行われて、そういう地域になれば、これは恐らく今の医療費の大きな問題というのは解決されるとは思うんですが、恐らく医療関係者、だれ一人そうはならないだろうと思っている。そこのギャップを、我々、制度論を考えなければいけない人間として、どこをポイントにして考えればいいというふうに先生はお感じになるかどうか、考えられているかどうか。何をやればその方向に進むんだと、その辺のところのお考えを伺いたいと思います。
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清水嘉与子#25
○会長(清水嘉与子君) それでは、鎌田参考人、いかがでしょうか。
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鎌田實#26
○参考人(鎌田實君) 今から五、六年前なんですけれども、諏訪中央病院ずっと、病院自体黒字、自治体立の病院ですけれども、黒字が続いてきたということもあります。しかも、ある時期はかなりの黒字が生まれるようになり、地域の医療費は上がらず、そしてどんどん長寿化、長寿、地域の健康度は上がっていく、そういう三つともいい状態が続いて、それから地域の国保の財政も安定していくという状態が続いていったわけです。
 ただ、やはり制度が変わるとその数年後にはやはり病院も経常収支は、医業収支は黒字なんだけれども経常収支は赤字というようなつらい状況もある。それは、僕たちが自治体立の病院としてはほとんど運営費としては繰入れを一切もらっていないということで。ですから、民間病院に近いと。ただ、民間病院と比べると、税金を払っていないとか、それから新しい施設を造るときに、三分の一国が、三分の一市町村がというような形で自分たちが負担するのは三分の一ということです。ここはもう明らかに民間との差があるというふうに、恵まれているというふうに思っています。
 ですから、僕たちはかなり市長さんのやり方、市長さんがかなり民間的な手法でということを常に言うので、そういう意味では厳しい条件の中でやってきたわけですけれども、今後もそれでやれるかというと、今の全体の医療費抑制政策がある限りは、もうそれは続かないんじゃないかな、かなりぎりぎりのところに来ているんじゃないかというふうに思っています。
 問題は、医療費全体のパイの問題もありますけれども、病院とクリニックとの医療のお金の流れがやはり病院に薄いような感じがある。つまり、世界的に見て、やはり日本の病院医療とクリニック医療に対してのお金の流れ方を、ここを変えないと病院医療が崩壊していくんじゃないかというふうに思って。それから、やはりパイ、パイを広げるという必要が今あるんじゃないかなと僕は思っています。
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清水嘉与子#27
○会長(清水嘉与子君) 山崎さん、よろしいですか。はい、続けて。
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山崎力#28
○山崎力君 ほかの先生は、このところについて何か御発言があれば承ってからと思うんですが、よろしゅうございますか。それで、もしあれば。
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清水嘉与子#29
○会長(清水嘉与子君) それでは、今、井形先生と惣万先生とお手が挙がっていますので、じゃ井形先生、まず。
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