惣万佳代子の発言 (少子高齢社会に関する調査会)

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○参考人(惣万佳代子君) このゆびとーまれの惣万です。よろしくお願いします。(資料映写)
 このゆびとーまれとは、富山市で平成五年の七月に産声を上げました。どうしてこのゆびとーまれをしたかといったら、一人のおばあちゃんの声でした。惣万さん、自分のうちながにどうしてうちに帰れんがけ、畳の上で死にたいって言っとるがに、どうして畳の上で死なれんがけ、これがわしの運命け、なんまいだ、なんまいだって手を合わされたがですね。それで、私たち富山赤十字看護婦三人が立ち上がりました。対象はだれにするかというたら、もう最初から赤ちゃんからお年寄りまで、障害者、障害児もみんないらっしゃいがにしたがです。
 私たち、開所したのは七月二日でした。七月一日に、前日ですよね、あしたから開所だというのに、利用者の申込みがゼロだったがですよ。それなのに、富山県で初めての民営デイケアハウスが開所するいうことで、テレビ局三局、新聞社三局、取材に来るというがですよ。そして、利用した人にインタビューするって。どういうインタビューかいうたら、どうしてこのゆびとーまれ利用されたがですかって聞くっていうがですよ。そしたら、インタビューする人おらんがですよ、利用者ゼロですから。ですから、私はぼけたふりしてインタビュー受けるのかなと思うとったがです。そしたら夕方五時ごろになって、もしもしっていって、たまたま私取ったがですけど、身体障害者一級の三歳の子供さんを持っているお母さんからだったがです。あした利用さしてくださいって言うがです。本当、私うれしいてうれしいて、本当に来てもらえんがけ、本当に来てもらえんがけって何回も言うもんだからね、お母さん、こんな頼りないところ嫌がかなと、自分が行く言うとんがに来てもらえっちゃどういうことけ言うて来られたらしいがですよ。そしたら、当日行ったら、そのお母さんと障害児の三歳の子だけだったがですよ。そしてテレビ局の方がお母さんに、どうしてこのゆびとーまれ利用されたがですかと聞いたら、この子が生まれてから一度も美容院に行ったことがない、この子をこのゆびに預けて、パーマ屋へ行ってパーマ掛けてくるということだったがですよ。
 私たちは、お年寄りを支えたいと思ってこのゆびとーまれをしたがですよ。ですから、最初の利用者はお年寄りだと思い込んでいた。それが障害児であった。そしてその理由が、三年間一回も美容院に行ったことがないと、この現実に驚きました。
 立ち上げた看護婦三人です。十三年前の写真です。真ん中の人、特にきれいですよね。いやいやいや、若いですよね、間違えました。
 このゆびとーまれの理念は、「だれもが、地域で、ともに暮らす」。日本の福祉施設は、お年寄りだけで五十人、百人、二百人が住んでいます。知的障害者は、富山は三百九十人、お隣の新潟は五百人、日本全国五百人ほどの知的障害者の施設があちこちにあります。私はね、同じような人たちだけで一つの村をつくっちゃいけない、コロニーをつくっちゃいけないと十三年間言い続けてきてます。何でかっていったらね、その人たちの集団は異様ですよ、同じ人しかいないんですから、同じ集団ですから、不自然ですよ。そして、お互いに相乗効果がないですよ。赤字、見てください。「豊かな人間関係の中で人は育ち、喜びも大きい。一人ひとりが輝く。」のだと思います。
 このゆびとーまれに年間、県外から二千人以上の方たちが見学に来られます。よく言われるのは、このゆびとーまれは、最先端なことしたね、画期的なことしたねって言われますけど、私たちのしてきたことは画期的でも最先端でも何でもないですよ。私たちがちっちゃいころあった光景、当たり前、普通の生活しとるだけながですよ。それを私は日本の文化だと言い切っております。
 皆さん、あのおばあちゃんの顔を見てください、あのミッチースタイルしているこっちのおばあちゃん。あの人、介護度四の、認知症の介護度四の方。あのモモちゃんの顔を見たら、あんな穏やかな顔になるでしょう。このおばあちゃん、嫁さんの顔を見たら顔引きつるがですよ、分かります。でも、子供の顔を見たら、こんなにこやかに。で、このおばあちゃん、早崎のばあちゃん、ここにね、子供がいるから気晴れると言うんですよ。お年寄りだけだと気晴れぬと言うがですよ。皆さん、隣同士、顔を見合ってください。気晴れますか。晴れぬでしょう、晴れぬでしょう。
 はい、次お願いします。
 このゆびとーまれの日常です。認知症のおばあちゃんとヨッちゃんです。ヨッちゃんは六百七十八グラムで生まれました。最初生きるか死ぬかで普通の保育所へ行くことができぬもんで、立山町で生まれたんですけど、看護婦のいる宅老所、看護婦四人いましたから、看護婦のところで育ててもらいなさいということで、このゆびとーまれで育ちました。これでもう六歳過ぎまして、今の四月から養護学校に通います。で、六歳なんだけど、体重がまだ九キロですね。一歳みたいなもんですね。
 このゆびとーまれの日常を見ていってください。窪田キヨさんです。この方は認知症のおばあちゃんです。平成五年の十月二日からこのゆびとーまれに来られました。何で来られたかいうたら、警察に何回かお世話になってきております。別に悪いことしたがじゃないですね。徘回で迷子になって来られたんですけど。
 このおばあちゃん、自分でおんぶしたんですよ、この赤ちゃん。今の若いお母さん、おんぶもしないけど、自分でおんぶできる人おらぬですよ。で、必ず私たち後ろから支えになるんですよ。このおばあちゃん、子供が大好きで、このマリちゃん、自分の孫、ひ孫やと思っていつもおんぶしとんがですよ。自分の孫はヨッちといって、外孫がおるがです。本当はこの人、マリちゃんなんだけど、マリちゃんにもヨッちヨッち言ってやっとんがですよ。だから、マリちゃん、ヨッち言うたら返事するがです、はい言うて。そういういろんなことがあるがですけど。
 で、このマリちゃんが生後六か月のとき、赤ちゃんのとき、このおばあちゃん、何と言ったと思います。あれ、あんた、もうはや歯ないがけ、ばあちゃんみたいに入れ歯作られって言うたばあちゃんなんがです、分かります。自分も歯ないがなって入れ歯作ったから、あんたも歯ないがなったんやから入れ歯作ったら、そうしたら御飯食べれるよ言うてちゃんと教えとんがですよ。ノーベル賞もんかもしれんがですよ。
 どうです、このおばあちゃん、働いているでしょう。このころ、おばあちゃん、どんな痴呆かいうたら、食べたかどうかが分からない。御飯食べても、私だけ御飯、弁当あたらんだと言い出すおばあちゃんなんです。そのおばあちゃんがこうやって子供の子守ができるんですよ。マズローの原理に、人間の一番高い欲求は自己実現です。私もそう、皆さんもそう。認知症のおばあちゃんだって、自己実現なんですよ。自分が何かに役立つことができる、こうやって子守ができる、自分の出番があると思ったら、認知症のおばあちゃんだって生き生きするがですよ。これが反対に、なあんわし、一方的に世話されておるだけ、なあんわしの出番なんかない、みんなに迷惑ばっかり掛けとる、生きとるが嫌になった、死にたあなったってなるがですよ、これ反対だったらですよ。こうやって生き生きしとるからいいがですよ。このおばあちゃんね、このゆびとーまれの給料日近うなったら事務所入ってくるがですよ、わしにも給料出んがけ言うて。ちょっと悪いけど出んわ言うたら、惣万さん、けちと言うたおばあちゃんなんで、それくらいに自分が働いていると思っとるがですよ。
 そのおばあちゃんが、七年四か月毎日来られましたけど、二〇〇一年の一月一日、午前五時三十九分、私と西村が添い寝をして亡くなっていきました、このゆびとーまれで。認知症で亡くなったわけではないです。認知症ではなかなか人間というのは亡くなりません。大体死因は肺炎かがんです。このおばあちゃんは左の乳がんでした。亡くなる三年半前に県立中央病院のお医者さんから、手術せぬだらあと半年の命だと宣告されています。そしたら、あんちゃんと姉ちゃんが、母ちゃんはがんとは闘えないだろう、抗がん剤打ったら意味が分からぬから点滴なんか取ってしまうだろう、手術なんかしたらベッドに手足縛られてしまうだろう。そしたら、何もせぬとこのゆびとーまれでお願いということだったんです。そしたら、半年やと言われながら三年半介護だけで生きられたわけなんです、治療せぬと。
 そしたら、皆さん、がんというのは最後、痛みとの闘いなんですよ。これは亡くなる二週間前の写真なんですよ。私たちが血圧測りに行っても食事介助行っても、起き上がる元気ないがですよ、体だやてだやてかなわんで。だけど、大好きなユウキ君が来たら起き上がって、何しとると思います、これ十二月十五日ごろの写真なんですよ。寒かろう言って靴下はかしておるがですよ。ですから、人間いうのは大好きな人に対して、最後まで何かしてやりたい、何かしようかと思う気が出てくるんですよ。嫌いな人にはそんなことしませんけどね。布団かぶりますけどね。私たち、嫌いな人いたら布団かぶりますけどね。人間というのはそんなものなんですよ。
 西田孝さん。西田孝さんは、八年四か月毎日このゆびとーまれに来られましたけど、平成十五年七月四日、午前三時半、この方も、私と西村、西村って副代表の看護婦ですね、添い寝をして、畳の上で大往生をしていかれました。西田さんは亡くなる十六日前から寝泊まりして亡くなっていっております。窪田さん、さっきのおばあちゃんは亡くなる五日前から寝泊まりして亡くなっていっております。つまり短いということなんですよ。このおばあちゃんは、亡くなったのは午前三時半です。私たちはある意味では宅老所ですから、若い職員は夜中、うちへ帰っていますけど、三時ごろから全部集まってきまして、そして亡くなった西田さんを、まだ体の温かい西田さんをみんなでおふろに入れました、家族と一緒に。そして、生きていたころの西田さんの話をしながら体をみんなで洗いました。
 ヨッちゃんとおばあちゃんですね。ヨッちゃんは超未熟児で生まれましたから、生きるか死ぬかです。ですから、高濃度の酸素を最初に長期間投与しなければ彼は死んでいったんですよ。高濃度の酸素を投与するいうことは、未熟児網膜症になってしまって両眼失明するんですよ。ですから、医学的にはヨッちゃんは両眼失明していると言われています、お医者さんからしたら。惣万さん、何も見えぬよ、光も分からぬよと。もしかしたら片目が少し光が分かるかもしれぬという程度なんです。だけど、ヨッちゃんはお年寄りの顔を和やかに、和やかな目で見ているでしょう、優しい目で。きっとお年寄りの顔が映るんですよ、かわいがってもらっとるから。医者に言うたら、何ばかなこと言うておるって言われそうやけど。
 はい、次言います。これ難病の方です。気管切開して気管カニューレを入れております。この竹内さんは、これで難病になりまして五年ほどですか、難病の方ってだんだん顔が無表情になってくるがですよ、仮面様に。あんまりうれしい顔ちゃせぬがですよ。だけど、この大ちゃんが大好きで、大ちゃんの顔見たらこうやってにこにこっとされるがですよ。
 コミュニケーション取るときっちゃ、アイコンタクトといってまぶたをつぶったり開いたりしてイエスかノーか、あと文字盤でしゃべるしかないがですよ。だけど、うち行ったら、ちゃんとお母さんに、大ちゃんが歩いたとか、大ちゃんがしゃべった言うてちゃんと教えとるがですよ。ちゃんとコミュニケーション取ったがですよ。
 この方が総合病院に退院するときに、お医者さんも看護師さんも医療者側は全部、在宅は無理だと、すぐ療養型病床群に行くか老人病院に行きなさいと言われたんだけど、家族と本人がどうしてもうちに来たいということだったんです。そうしたら、そこの師長さんが、まあたまたま私が友達だったんですけど、惣万さん、一か月だけ支えてくれぬかと、どうしても私たちが無理や言うのにうちに帰りたいと言う人がおると、惣万さん、一か月でいいから頼むちゃと言われたんですよ。ああ、分かりました、一か月だけでいいがですね言うて私たち引き受けました。
 そうしたらどうでしょう、結果的にどうだと思います。今の三月でこれで五年間在宅におられます。医療者側が幾ら無理や言うても大丈夫なんですよ。そして、五年間の間に入院されたのはわずか二回です。その二回も足して九日間だけながですよ。そして、この人は露天ぶろが大好きで、二週間前もうちの職員がボランティア、うちの職員も手伝って、露天ぶろへ入ってきました。四回目の露天ぶろへ行ってきましたね。それが楽しみなんですよ。
 寝たきりのおばあちゃんの後ろにうちのユウキ君が眠っております。そうしたら、ばあちゃんがつぶさぬか思って心配しとるがですよ。今の日本に何が足りないか。今の日本の家庭に何が足りないか。これが足りません。
 寝たきりの、半身麻痺ですけど、寝たきりでもないんですけどね、半身麻痺のお母さんにうちの職員が、手浴といって、洗面器に熱い湯を持っていって、白いのがあるで、あれ石けんなんです。石けんで手を洗うとるがですよ。そこに三歳のユウキ君が、僕も手伝うちゃ言って、おばあちゃんの手を洗ってくれとるがですよ。今の日本に何が足りないか。今の日本の家庭に何が足りないか。これが足りません。
 宗教家のある先生がこう言われました。惣万さん、今の日本にこれが足りないから、つまり、お年寄りが死んでいく過程、お年寄りを介護する場面を子供たちに見せない、体験させないから、自分の命も大事にしない、人の命も大事にせぬ子が増えるんじゃないかと言っておられました。私もそう思います。
 このゆびの子供たちです。道で寝ております。これ、昭和初期の子供でないんですよ。パンツ見たら分かりますよね。平成の子供です。最近の子供ですよ。
 宅老所の合い言葉は、小規模、多機能、地域密着です。小規模とはというたら、これ省略しますね、皆さん知っていますから。多機能とは、一番、お年寄りが通って、泊まれて、家にも来てくれて、いざとなったら住むことができる。私たち富山ケアネットは、町に住んでいるのはお年寄りだけじゃないだろう、介護が必要なのはお年寄りだけじゃないだろう、子供からお年寄りまで、障害者、障害児も通って、泊まれて、家にも来てくれて、いざとなったら住むことができる富山をつくろうじゃないか、いや、日本をつくろうじゃないかと言っております。それと、三番見てみてください。御縁あってこのゆびとーまれに来てくださったがですよ。本人と家族が希望するならば、みとりまでかかわろうじゃないかというのが私たちの願いです。
 このゆびとーまれは平成五年からしてきました。このゆびとーまれのしてきたことは、七つの制度が本当は必要でした。逆に言えば、七つの制度に引っ掛かっていました。ある意味では、私たちは法律違反をずっとしてきたということなんですよ。
 どんな法律が要ったかといったら、高齢者だけの単独のデイサービスが必要だったがですよ。それと、身体障害者は十八歳以上と以下とを分けんなん。知的障害者も者と児とを分けんなん。まだこれに精神が入ってきておりません。まだ健常な子供も入ってきておりません。
 ですから、例えばある県へ行ったら、富山型したいんですけどと言ったら、いまだに、デイサービス十五人規模で、玄関を三つ造れ四つ造れ、便所も三つ四つ造れ、おふろも三つ四つ造れ。つまり、障害者とお年寄りと一緒の玄関へ入るなよと、一緒の便所を使うなよ、一緒のふろを使うなよ、子供もみんな別にせよということながですよ。
 十年たって、私たちの活動が初めて国が認めました。小泉さんの構造改革の特区です。一つ屋根の下でお年寄りと障害者が一緒に過ごしてもいいよということを認めました。お年寄りは介護保険で、障害者は、あのときは支援費だったんですけど今は自立支援法です。それが、特区だったのが十月一日から法律になりました、制度になりました。今度は、ショートステイなんですけど、ショートステイはもう三年前から富山型は法律になっています、制度になっています。私たちの思いが活動になり、活動が特区や制度をつくり上げていったということです。
 私は富山県の審議会に入っております。富山県のキャッチフレーズは、日本国民じゃないですけど、富山県民一人一人が、一人一人が生き生きと生きがいのある町づくりをつくらんまいけと知事さんが言われたがですよ。そうしたら、いや、生き生きとか生きがいはありふれておると、こんなキャッチフレーズはどうかと、富山県民一人一人が日々感動とチャレンジ精神を持ち、死にがいのある町づくりをせんまいけと言ったら、知事さん、死にがいは駄目やと却下されました。
 死にがいのある町づくりとは、富山で生まれてよかった、まあ日本で言うたら日本で生まれてよかったということになるんですね。富山で生まれてよかった、富山で暮らしてよかった、そして、わしはこの富山で死ぬんだと腹を決めるということですよ。あのばあちゃんはあそこのうちで畳の上で大往生していかれた、その横に、あんた、息子さんやら孫やらと一緒に寝ておったといね、あのじいちゃんはあそこのうちの仏壇の前で死んでいかれた、そういう事例ですよね、事例を私たちは多くしていく、積み重ねていく、これが宅老所の役割だと思っています。身近な死の有り難さを感じる町づくり。
 これで終わりなんですけど、ごめんなさい、何かこの後できないって。あと二つ、ちょっと言わせてください、すぐ終わります。
 私たち宅老所の仲間はNPO法人が多いんですよ。今、NPO法人で私たち仲間が言っているんだけど、税収が、年間例えば五百万の利益やっとこさ上げたと、二十人か三十人の職員の規模でやっと五百万の利益上がったと思ったら四〇%の税率を払わんにゃいけんがですよ。一千万やったら四百万なんですよね。
 ですから、NPOは、それは税金払うのはいいんですよ。同じ、でも、仕事をしておって社会福祉法人は払ってないんですよ。ましてや、NPOは市民の方に顔を向いているんですよ。
 ですから、私は、四〇%から二〇%ほどにしてもらえないかなということと、もう一つは、十月に富山型が制度になったんですけど、例えばある県とかある市とかへ行ったら、市町村とか県がまだ分からなくて、富山型みたいなのはやらんでいいっちゃみたいに、余り勧めない、何か嫌がる市とか県があるので、そこら辺、また、ああ富山型するがけって、喜んでするような国になってほしいなと思っています。
 じゃ、どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 惣万佳代子

speaker_id: 7816

日付: 2007-02-28

院: 参議院

会議名: 少子高齢社会に関する調査会