惣万佳代子の発言 (少子高齢社会に関する調査会)
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○参考人(惣万佳代子君) 惣万です。
看護婦なんですけど、尊厳死そのものがよく本当は分かっていないんですよ。ただ、富山出身なんで、射水市民病院で抜管の問題になったときに、その院長側と外科部長側で七例あったんですね、もめたわけなんですね、富山で。
私は、考え方としたら、伊藤部長、外科部長の考え方が好きでした。それに患者、家族がだれ一人文句を言ってるわけじゃないがですよね。それと、私はその後、富山県は倫理委員会をどの病院にもつくって、要するにいったん付けたらもう外さないとなってしまったがですよ。私はおかしいんじゃないかと。緊急の場合にやっぱり付けんなんときが出てくるわけなんですよ、肺炎とか何かで。でも、いったん付けても、いつか外す権利はやっぱり、本人は余り意識なくて分からないかもしれぬけど、外す権利はあるんじゃないかなと私は思います。
私は、老人の死をずっと見てきまして、このゆびとーまれで亡くなったのは、畳の上で亡くなったのは六事例です。ほとんどのお年寄りはもう自然死ですよね、点滴一本すらもうしません、御飯食べれぬようになったらもう死です。私はそれでいいんじゃないかなと思っています、家族と本人が望むなら。緩やかな死。
私は、死そのものは、何か暗いイメージとか、もう何か負のイメージなんですけど、私は、死というものはある意味では卒業で、青いブルーみたいな、きれいな。ある宗教家が言っていましたけど、惣万さん、天国っちゃパラダイスやよ言うて、えっ、どうしてパラダイスなの言ったら、だれ一人帰ってこんねかいね、やっぱりいいところながやっちゃと言われたから、ああそうかと、そういう死を取れればいいのかなと。
今、千の風の新井満さんのもあるように、死んでなんかいないようやら言うし、あれ、みんなよう、このゆびとーまれでも歌っとんがですよ。ばあちゃんたちも、意味分かるか分からぬかしれぬけれども、死んでないよ、墓になんか入らんがだとやら言って、やっとんがですよ。ああいうような歌もどんどんみんなで広めていけばいいんじゃないかなと私は思っています。
鎌田先生のぴんぴんころりですけど、私も、できたらぴんぴんころりで死にたいがですよ。ただ、私、ごめんなさい、鎌田先生は私が言ったらまたいろんな意見があると思うけど、ただ私は、国としてぴんぴんころりを進めたらいけぬがじゃないかなと思う。意味分かります。個人としたら、ぴんぴんころりと言っとっても、それは勝手、自分の命だからいいんだけど、国としてぴんぴんころりを進めますということはできぬがじゃないかなと思いますよ。
ということは、人間というのは、じゃ介護を必要になった方が、病気になったら、じゃ罪なことかとなるわけですよね、取りようによっちゃ。ぴんぴんころりになって死なんじゃ。じゃ障害者の方もまた言いますね。おれたちは先天性で初めから、ぴんぴんころりどころか、おれたちはずっと迷惑掛けて生きてきたんだと、おれたちは生きとること自体がおかしいがかって、また言い出しますよね。これ、ちょっと尊厳死とは全然違うんですけど、ごめんなさい。
そういうことで、先生の言っておられるんがとちょっと的外れとるかもしれぬがですけれども。
ありがとうございました。