下村恭民の発言 (政府開発援助等に関する特別委員会)

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○参考人(下村恭民君) 下村でございます。よろしくお願いいたします。(資料映写)
 お手元に資料が二種類配付されていると思いますが、レジュメとパワーポイントの打ち出したものがございますけれども、御説明はパワーポイントを使って進めたいと思います。適宜、レジュメの方に触れながら御説明をしたいと思います。
 まず、今回の目的でございますが、日本のODAの経験をレビューしながら、東アジアに対する今後の援助の取組方を考えたいと思います。その際、東アジアと一口に言っても、非常に多様な地域であるということを頭に入れながら進めたいと思います。
 日本のODAにとっての東アジアというものはいろんな意味がございます。幾つかの意味についてお話をすることで、これまでの日本の東アジアに対する援助の経験について全体像が浮かび上がることを期待してお話ししたいと思います。
 まず、量的な側面ですけれども、これにつきましては改めて申し上げることはございませんけれども、東アジアは日本にとって最大の援助供与先ですし、日本は一貫して東アジアにとって最大のドナーの地位を占めてまいりました。
 もう一つ、余り日ごろ考えることが少ないと思いますけれども、日本のODAの源流を考えると、東アジアというのは非常に大きな役割を持っていたというふうに考えられます。日本のODAの、最近の言葉ですとインキュベーターというんでしょうけれども、ふ卵器、生まれ育つ段階で賠償というものが非常に大きな役割を果たしました。もちろん、日本のODAの原点は、一九五四年のコロンボ・プランの加盟による技術協力の開始でございますが、その後のODAの影響という意味では、この賠償、準賠償がより重要な意味を持ったと思います。
 これは、日本の侵略の償いの一部として実施されたわけですけれども、この仕組みが非常にその後の日本のODAの仕組みと共通しておりまして、レジュメに二枚だけ別刷りで図が配られておりますけれども、何か稚拙な図で申し訳ございませんが、そのうちの図の一、これが一九五五年以降の日本の賠償の中心であった役務賠償の基本的な仕組みでございますが、これインドネシアのホテル・インドネシア建設の事例ですけれども、日本政府がインドネシア政府にお金を移転して賠償したということではなくて、財とサービスを納入したということで、それを納入した日本企業に日本政府が代金を支払ったという形でございますけれども、これは無償資金協力と基本的に同じ仕組みでございまして、これを通じて日本企業は、画面にもありますように、輸出市場と海外経験の場を提供され、また日本政府はこういうものを通じて資金協力の準備をいたしました。
 申し上げるまでもなく、賠償、準賠償のほとんどが中国を除く東アジアに対するものでありました。したがって、日本の経済協力のまだ始まる前の揺籃期にインキュベーターとしての東アジアというのは非常に大きな意味を持ったと思います。
 次は、理念の点から考えてみたいと思いますけれども、日本のODAはいろいろ問題ございますけれども、独特の理念を持ったアプローチだということは言えると思います。それは卒業というものがキーワードになっておりますけれども、しかし、その前に日本に援助理念などあるのかという非常に自然な疑問があると思います。
 日本には、援助理念がないという主張は内外で広く行われてまいりました。理念なきばらまきとか、日本企業の利益に直結しているだけであるとか、あるいは途上国側から要請されて受け身で援助しているにすぎないというような主張がございました。これらはそれぞれ一定の妥当性を持っていると思います。ただ同時に、これまでの日本の経済協力あるいはその中の援助の営みをつぶさに見ますと、やはりほかの国にない独特の要素があると思います。それがキーワードとしての卒業でございまして、卒業というのはここでは援助に依存しない高度な自立の達成ということを考えておりますけれども、そこまでの長い道程、道のりを支援していくということでございます。
 それで、再び別刷りの図の方に戻っていただきまして、図二の卒業へのプロセスというのをごらんいただきたいと思いますけれども、二つの大きな要素がありまして、一つはインフラの整備、もう一つが農村開発を中心とした貧困緩和でございまして、インフラ整備によって投資環境を改善して輸出能力を強化すると。それから、農村開発、貧困緩和によって社会的な安定を回復して、それによって投資環境を改善して輸出能力を強化するということで、輸出能力の強化、輸出振興というのが一つのキーワードになっております。画面でいうと、①、②の到着点が輸出振興ですけれども。輸出が伸びていきますと、それによって生活条件の改善をファイナンスする能力が高まりまして、それによって政治的、経済的自立の度合いが高まって卒業に向かうと、こういうシナリオになっております。
 一方でインフラ整備、一方で農村開発と、この二つのものを複線型で実施するというのが卒業へのプロセスですけれども、これを今画面にありますようにオーソドックスな西欧の援助理念と比較いたしますとこういうことになると思いますけれども、西欧の場合、理念の根底には慈善とか富める者あるいは力のある者、恵まれた者の責務であるノーブレスオブリージュというのがあるわけですけれども、この場合、支援する相手が将来どうなるのかと、どういう姿になっていくのかという、その将来の姿は余り明確に見えておりません。
 それに対して、卒業への道を支援するという日本型の理念の場合は、途上国が自助努力を通じて最後はドナーと同じレベルになるということを信じて、まあそうならない場合も多いですけれども、それを信じて長い道のりを支援していくということで、非常に大きな違いがあるかと思います。
 先ほども図で見ていただきましたように、卒業の考え方、卒業へのプロセス、あるいは日本の援助の仕方、考え方というのは二つの足を持って、二つの車輪を持っておりまして、一つはインフラ建設による輸出振興、輸出能力の強化、もう一つは農村開発あるいは貧困緩和による社会的安定の確保を通じた投資誘致能力の強化、それによって輸出能力の強化ということになりますが、この複線型の開発路線というのは東アジアの多くの国々の意思でもありました。したがって、日本の援助理念を実施するのに非常に良い環境が東アジアにあったということは言えるかと思います。
 実際に多くの卒業の例が出ている、あるいは卒業に近づきつつ、例が出ておりまして、OECDでは卒業というものについて具体的な、数量的な基準を設けておりますけれども、それに合致して卒業していった国としてはシンガポールと韓国がございますが、そのほかにまだこの基準には達しておりませんけれども、マレーシアとかタイとか中国はそれぞれの意味で、それぞれの状況で自立、高度の自立あるいは卒業に向かっているということが言えるかと思います。まあそういう、五十年経過してこういうところまで来たということがあります。
 一言で言いますと、東アジアは、もちろん国によっていろんな違いはありますけれども、日本のODAをうまく活用してくれたということだと思います。これも申し上げるまでもなく、日本のODAには多くの失敗例もありますし、非効率な面も数多くございます。いろんな社会問題、例えば住民移転のトラブルとか、あるいは環境破壊とかいうものも副作用としてなかったとは言えません。しかし、総体として東アジアにおいては貧困緩和と高度な自立に一定の成果を上げてきたということは言えると思います。これがもちろん日本の援助だけの結果でこういうものが起きたということではないわけですけれども、それに一定の貢献をしたということは言えるかと思います。
 最後に、東アジアの意味ということで援助資金の回収について申し上げたいと思いますけれども、二〇〇五年の政府の貸付けのデータを見ますと、貸付け一〇〇に対して返済が六四になっております。つまり、実質ネットで貸付けをするアウトフローは三六でいいということになっております。非常に政府貸付け、円借款の返済の金額が大きくなっておりますけれども、東アジアはこの返済の中で非常に高い比重を占めております。中国だけで元利合わせて一千億円を超える返済を毎年、今行っておりまして、こういう意味で東アジアは非常に、現在日本の援助関係の資金繰りに大きな貢献をしてくれているということが言えるかと思います。
 この第一部の、この日本のODAにとっての東アジアの意味ということを総括いたしますと、我々は五十年以上ODAをやってきて非常に東アジアに助けられたと。東アジアといういいパートナーがあったために日本のODAは非常に助けられたということがあるかと思います。
 これから今後の問題になりますけれども、今後の在り方、二つの面で御説明をしたいと思います。
 一つは、東アジアといっても非常に多様なので、三つの国、グループに分けてそれぞれについて考えてみる必要があるかなと思います。特に、域内に取り残された低所得国と卒業に向かう国々に対してはそれなりのメニューが必要だと思います。取り残された低所得国、まあミャンマーは特殊な状況でございますので、ラオス、カンボジアですけれども、これにつきましては非常に潜在能力が低いので苦労するところですけれども、結局、インドシナ半島ということで面で開発して、物とか金とか人の移動を加速して、それによって雇用機会をつくり出していくという、面で対応するしかないのかなというふうに考えております。
 それから卒業ですけれども、卒業につきましては、マレーシアにつきましてもタイにつきましても中国につきましても、これから意識して卒業の戦略、卒業にだんだん近づきつつある相手国にどういうふうに対応したらいいのかということを常に明示的に計画を作っていく必要があると思います。その場合のキーワードは環境と先端技術で、これを合わせて環境保全の先端技術というのが一つの、これだけではありませんけれども、一つの卒業の最後の過程のポイントになると思います。
 次に、ちょっと見方を変えまして、東アジアに援助を通じて向かい合う上で、やはり東アジアの共通のリスクに注目する必要があると思います。共通のリスクがありますから、それを軽減するということをお互いみんなで考えれば、それが共通のメリットになって協力が進みやすいかなと思います。
 ここで、三浦さんなんかと一緒に研究した研究会の中で、この三つの、A、B、C、三つのリスクを取り上げたわけですけれども、ドル急落のリスク、中国という巨大なリスク、これをどうやって軟着陸させるかと。このAとBにつきましては、援助で、ODAでできることというのは非常に限られていると思いますけれども、三番目の経済の活性化が加速する中で深刻化する環境破壊にどうやって貢献していくかということにつきましては、ODAが貢献できる領域でもありますし、また日本が優位を持つ領域ですので、環境ODAへの取組を集中的に考えて、そこで、これまでは各国あるいは各プロジェクトという、点で考えられていた面が非常に多いわけですけれども、それを面、もっと広げて、地域的に広げて全体的な計画を作り、それをシラミつぶしに実行していくということを考えることが重要かなと思います。これがまた日本らしい形のイニシアチブではないかというふうに思っております。
 最後の第三部ですけれども、これまで東アジアに対してどういうことをやっていったらいいのかということを考えてきたわけですけれども、やはり成果を上げるためには前提条件の整備が必要だと思います。
 東アジアと我が国のODAという大きなテーマになりますと、どうしても理念とか戦略とか組織の体制とか、そういう大きな問題に関心が集まりますけれども、やはり実施段階でまだ非常にたくさんある制度的な制約条件をどうやって緩和したらいいかということを考える必要があります。それがないと実効性につながらないということが言えると思います。
 ここで三つ主要な課題を挙げておりますが、一つは、これが最も重要だと思いますけれども、権限委譲を更に加速する必要があると。官庁から実施機関への権限委譲。実施機関の中で東京から現場への権限委譲。随分改善は進んでおりますけれども、まだ業務面の具体的な意思決定に官庁が関与する、これマイクロマネジメントと言いますけれども、この例がまだかなり残っております。こういう例を詳細に洗い出しをして権限委譲を加速していくということが必要ではないかと思います。
 二つ目の問題は人の問題ですけれども、現場は人手不足ですけれども、人材にとっては職場不足という状況がずっと続いております。その結果、多数の期限付の職員、三年限度の職員があちこち転々とするということになっております。これは組織にとっても人材にとっても非常に無駄なことでありますので、何とか、実施機関の定員を増やすことは難しいわけですけれども、この人手をどうやって安定的に使って能力開発を進めていき、知識を蓄積していくかということを考える必要があると思います。
 最後に、新JICAは、独立行政法人になるわけですけれども、独立行政法人の運営というのはどうしても縮小型、つまり、交付金、予算、事務の方の予算ですと毎年減らしていくというような縮小型の運営を求められることが多いので、やはりもっと未来志向で、必要なところには必要な資源を配分するという形の運営が求められると。それが制約条件の打破になるのではないかと思っております。
 私からのお話はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

発言情報

speech_id: 116614580X00320070222_003

発言者: 下村恭民

speaker_id: 19439

日付: 2007-02-22

院: 参議院

会議名: 政府開発援助等に関する特別委員会