宮里邦雄の発言 (日本国憲法に関する調査特別委員会)
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○参考人(宮里邦雄君) 弁護士の宮里でございます。私は、主として公務員、教育者の国民運動規制の論点に絞って意見を申し上げたいと思います。
実は、このテーマは私、この参考人に出る前から大変関心を持っているテーマの一つであります。といいますのは、先ほど西参考人も指摘をされた猿払事件、あの猿払事件というのは、総理府統計局事件、徳島郵便局事件、三事件が併合して審査をされて最高裁で判決に至った事件でありまして、私はその総理府統計局事件の刑事弁護人であります。
そういう意味で、かねてから、国公法百二条違反、人事院規則一四―七の公務員の政治活動規制は、諸外国の立法例に比べても余りにも広範に過ぎるのではないか、これは違憲ではないかということをずっと思い続けておりましたし、その事件の弁護に当たってもそういう主張をいたしました。この事件では、東京高裁は実は無罪判決を出したのでありますが、最高裁で覆ったという経過もございます。
そういう意味で、とりわけ言論の自由が最大限に発揮されるべきその国民投票の問題において、公務員の政治活動規制がどう扱われるかというのは、私の重大なこの法案に対する関心の一つであったわけであります。そういう観点から、今日はその論点に絞って私の所見を申し上げたいと思うのでございます。
総論的なことは既に各参考人から述べられましたけれども、最もこの問題を考える重要な視点の一つは、国民投票運動の意義、性格をどうとらえるかということにかかわっていると思われます。この点については、今、憲法学の立場から理論的な説明がなされました。私も、今おっしゃったことを聞いておりまして、全く同感でございます。
つまり、国民投票というのは選挙とは違う。国民投票と選挙との違いをどう考えるかというのはこの問題を考える重要なポイントだと思います。選挙はその時々の政策あるいはその政策に関連しての候補者の選択であります。しかも、それは選挙が定期的に行われる、臨時にも行われる。国政もあれば地方選挙もある。しかし、憲法改正というテーマは、これは極めて長期的な意味で国の在り方を左右するし、基本的な人権の在り方を決定する。憲法改正の内容によっては、場合によっては天皇制の問題も出てくる。あるいは皆さん方の両院制の、参議院を廃止するという問題だって憲法上の議論であります。
つまり、国の統治の在り方や基本的な人権にかかわる最も重要なテーマについて直接、主権者である国民の意思を問うというのが国民投票でありまして、言わばその時々の党派の争いである選挙とは決定的に性格が違うと。やっぱりこの点の認識を持つか持たないか、ここに私は国民投票運動の規制の在り方を考える基本的な視点があると思います。どうも国民投票法案を見ておりますと、公職選挙法的な規制の発想を取り込んでいる、持ち込んでいると。そこにそもそもの出発の誤りがあるというふうに言わざるを得ません。
そういう点から、公務員、教育者に関する法案の規定について少し各論的に論じたいと思います。
私の基本的な立場は、その国民投票というものが選挙とは違う。国の統治や基本的人権にかかわるそういう問題について唯一、国民が主権者として直接民主制を行使し得る唯一の機会であると。やっぱりこの点からその国民運動については最大限の自由が保障されるべきでありますし、先ほども議論が出ておりますように、様々、改正の賛否をめぐってオープンな国民の議論の場を確保するという点で、公務員や教育者についてもその制限は必要最小限、しかも厳格な要件の下にということを基本として申し上げたいと思うわけであります。
実は、その選挙運動と国民投票運動の違いというのは私だけが申し上げているわけではございません。私の意見の中に紹介をしておきました。かつて一九五三年当時に、自治庁が憲法改正国民投票法案を作っているのであります。そのときに、この立法の中心であったと思われます自治庁選挙部長の金丸三郎氏が当時論文を発表しておられます。「日本国憲法改正国民投票について」という論文であります。その該当部分を紹介しておきましたけれども、金丸さんも明らかに選挙法的な規制は国民投票にはなじまないと、言論や文書による運動を制限する必要はないということを明確に述べているのであります。
この選挙運動と憲法改正の国民投票は性格が違うんだというのは、これは私は憲法から出てくる当然の結論だろうと。そのことを一九五三年当時において指摘された金丸論文は正に達見であろうかと思います。そして、これは今日においても同様のことが当てはまるのではないかというふうに私は思うわけであります。
さてそこで、各論的に百三条一項の、まず公務員の地位利用に関する国民投票運動の禁止について申し上げたいと思うわけでありますけれども、まず一つは、この法案ではその国民投票運動を定義しておりますが、これ自体非常に広い概念です。憲法改正案に対し賛成又は反対の投票をし又はしないよう勧誘する行為、これは非常に広い概念でありまして、何らかの働き掛けをする行為はほとんどこれに該当するというふうに解釈されるでありましょう。
例えば裁判所法五十二条二号においては裁判官に対する政治運動の禁止がございますが、これは、裁判所法は政治運動の禁止ではなくて積極的に政治運動をすることを禁止しているんですね。つまり、積極的にという要件を付しているのであります。そういう点から考えても、今回の国民投票運動の概念は非常に広い、そしてその広い概念を前提として禁止をかぶせているというところに問題があります。
さて、その地位利用概念も私は非常にあいまいな概念だと思います。
確かに法案では、法文ではこれを限定されようという努力をされておりまして、その地位にあるため特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用してという、そういう条文になっております。ただ、これは従来、公職選挙法上の地位利用について言われている解釈をそのまま踏襲したものでありまして、特に地位利用概念について要件が限定されたというふうに解釈することはできないと思います。
それから、私はもう一つ、これは従来余り言われていないことかもしれませんが、先ほどいみじくも今井参考人も指摘されたけれども、つまり、地位利用という問題は官だけではなく民間でも起こり得るんですね。民間、例えば企業ぐるみ選挙などにおいて、職務上高い地位にある管理職が部下に対して地位を利用して投票の勧誘活動をする、こういうことも起こり得るわけです。あるいは大企業と中小企業との間で、あるいは下請企業との間でこういう地位利用による運動というのは起こり得るわけです。
もし地位利用による運動が自由な意思決定に対する阻害であるから許されないと考えるならば、どうして官のみが禁止され民は禁止されないのか。私は、この合理的な理由の説明はできないと思います。ましてや今、官から民へどんどんと業務が移管され、官と民の境がなくなり、官民は著しく相対化しています。
私は、民について規制しろという意見ではありません。官だけ規制するのはおかしい、官を規制するならなぜ民を規制しないか、それは何らかの考え方が前提にあるのかということを言わざるを得ません。私は、基本的には官も民も自由であるべきだと思っておりますので、規制すべきという立場を取りませんが、官のみを規制する合理的理由はないというふうに言わざるを得ないと思います。
それから、確かに公務員の地位利用や職権濫用、あるいは勤務時間中の国民投票運動とか信用失墜的な行為というのはあり得ると思います。それは国公法も地公法も、それに、服務規律違反に対しては懲戒規定を置いているわけですから、個別的な問題はもう十分懲戒処分によって対応し得るわけですね。個別的に予想される弊害を理由に一般的な規制を置くというのは、正に角を矯めて牛を殺すたぐいの立法規制ではないかということを言わざるを得ないのであります。
そういう意味で、私は百三条一項の公務員の地位利用については反対でありまして、削除されるべきであるという見解でございます。
次に、教育者の地位利用についても、今、公務員について述べたのと基本的には同じ理由であると言っていいと思います。
教育者であるがゆえにこれほど広範な規制をする必要は、国民投票運動の持つ重大な性格からないと。教育者についても、先ほど憲法、大学の教授についての具体的な懸念のお話がありましたけれども、教育者についても私は広く主権者の一人として国民投票運動に参加をすべきではないか、参加をしてしかるべきではないかというふうに思います。
それから、先ほどちょっと論点を一つ落としましたけれども、地位利用というなら、地位利用というのであれば、やはり実際上考えられる地位の濫用というのは、非常に裁量権限を持っているいわゆる高級公務員について妥当するわけでありまして、すべての公務員を規制の対象にするというのは、これもまた本来の規制の在り方から度を越している規制ではないかというふうに思います。
最後に、一般的な国公法上の規制、地公法上の規制がこの国民投票に適用になるのかどうか、あるいはそのような規制を及ぼすべきかどうかという議論であります。
これもいろいろ議論も出ておりますので、結論だけを申し上げますと、私は、三党合意において適用除外がなされたという経過があったように聞いておりますが、正にこれこそ非常に見識を持った対応でありまして、今回、立法者意思として明確に、国公法、地公法上の政治活動規制は国民投票に及ばないということを立法上明記するのが望ましいと思います。
国公法、地公法上の政治活動規制、あるいは人事院規則一四―七が国民投票運動にそのまま果たして適用になるのかどうかというのは、多分解釈論上、いろいろな議論があり得ると思います。そのまま適用にならないという議論もあり得るかもしれません。しかし、例えば人事院規則一四―七を見ますと、特定の政策に賛成又は反対することという非常に漠たる行為も入っておりますので、適用される可能性は否定できないと。適用されますと、国家公務員法の場合は刑事罰の制裁もございます。
そういう点で考えますと、この国民投票法という重大な主権者の選択の中にこの公務員、あるいは国家公務員、地方公務員をほとんどほぼ全面的に運動から排除するような国公法、地公法上の規制は排せられるべきではないかというふうに思います。
ここで、ちょっと是非御理解いただきたいのは、よく引用されるんですね、猿払事件の判決が。先ほど西参考人も引用されたんですが、最高裁の猿払事件の判決は、行政における分野における公務というものは、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策、政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行、あるいは政治的な偏向なしにそれをやるという、そこに政治活動規制の法的な論拠を置いているわけですね。
しかし、憲法改正に賛成するかどうかというのは、決定された政策に対するものではありません。正に憲法、先ほどおっしゃられましたように憲法の制定の一過程に国民が関与するという問題であります。そういう点で、猿払事件判決が政治活動を禁止した論旨は、私は国民投票運動には妥当しないと、ここはよくよく、猿払事件判決がよく引用されますが、私はこれは正しくないとらえ方であるというふうに考えております。
結論的に申せば、適用される可能性がある、疑義のある国公法、地公法上の規定は、明文においてその適用除外を国民投票法案の中に定めるべきであるというふうに思うわけであります。
最後に、附則十一条に関しまして、これをどう読むかという問題がありますが、私は国民投票運動において公務員の取扱いがどうなるかというのはこの法案の極めて重要な問題点の一つだというふうに思います。国民運動規制の在り方に関する重要な問題の一つだと思います。これを附則にゆだねて先送りをするというのは重要な、憲法改正手続法という重要な立法の在り方として非常に好ましくない、妥当ではないというふうに考えます。
国民投票法が作られるのであれば、この点も含めて審議を尽くして立法化されるべきであるということを附則に関連して一言申し上げて、私の意見を終わりたいと思います。
ありがとうございました。