北岡秀二の発言 (文教科学委員会)

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○北岡秀二君 大臣もおっしゃられましたが、私も以前から感じておることの一つに、俗に言われる教育というのは、知育、徳育、体育、三分野があると。体育であるとか知育に関しては、いろんな体系別の分析や取組の窓口というか、かなり整理されている。ところが、徳育に関しては、これは私、政教分離の宗教がタブーとされているところがある部分がかなりひょっとしたら障害になっているのかも分かりませんが、整理されているようで整理されていないところがたくさんあって、私も、今までのやり取りを聞かせていただいても、大臣のではないんですよ、委員会のやり取りを聞かせていただいても、例えば規範意識、これがどこまでを網羅しているかというのを我々認識しているだろうか。
 ちょっと私、辞書で規範という言葉も調べてみたんですが、規範というのは、あくまで行動基準であったり礼儀作法であったり、ややもすると一つの基準を守らなきゃならぬ部分を守りましょうという領域であると。じゃ、我々が目指している道徳、道徳というか徳育の領域は、じゃそれだけなんだろうかと、ちょっと違うんじゃないかなと。たくましく生きていく力を身に付ける、あるいは命に対して、自然に対する恐れの念というか畏敬の念というか、人間として、動物としての底流の一番大事な部分を身に付ける、これはちょっと規範意識の領域じゃないな。
 じゃ、この分野というのは何をもって、どういう手段で指導していっているのだろうと。かといって、じゃ道徳、道徳という我々何気なしに、例えば最近、道徳教科という部分の、教科としての道徳が話題になっていますが、道徳で一体どこまで教えられるのだろうというような問題もございます。言葉だけをとらえると、礼儀作法の問題とか、あるいは今申し上げたようなことですね、思いやりの問題、あるいは道徳もそうですが。
 私、今大臣図らずも言われた、学校でどこまでできるのか、ややもすると我々は学校に何もかも期待をしてしまう、要求してしまう。このたび、基本法を改正した上での学校教育法の改正でございますので、やっぱり根っこの根っこの部分をもう一度再点検、再構築をしていかなければならないという前提から申し上げると、私はこの徳育の領域、もう一度、学校で取り組められる部分の限界、そしてまた、おっしゃった家庭の問題あるいは社会の問題等々、再整理をして、ここからここまでが、まあびしっと決めれるものではないんだろうとは思いますが、少なくとも最低基準として、学校の問題ですよ、あるいは体系的にこの分野は連携してやらなきゃならぬですよ、トータルでやらなきゃならぬですよ。また、なおかつ、規範、礼儀作法ですべてが、我々発言するときに規範意識ということですべてが網羅しているようなちょっと錯誤をしてしまうときもあるんですが、このセクション、このセクション、このセクションがありますよという、その辺りの体系化も私は、今までもある程度やっていらっしゃっただろうと思うんですが、なお一層必要になってくるだろうと思いますので、その辺りもう一度、大臣自身、今後の取組の姿勢、先ほども申されましたけど、改めてもう一度御答弁をいただきたいと思います。

発言情報

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発言者: 北岡秀二

speaker_id: 13059

日付: 2007-05-24

院: 参議院

会議名: 文教科学委員会