北岡秀二の発言 (文教科学委員会)
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○北岡秀二君 諸外国の話が改めて出てまいりましたので、私のこれも所感申し上げますけれども、欧米ですね、特に欧米は道徳あるいは生きる力、この領域に関してはかなり宗教がカバーしているだろうと思います。当然、家庭、親の指導による日曜日に教会へ行ったり、あるいは牧師さんといろいろコミュニケーションを取ったり、当然、学校教育の中にも取り入れているところもあるでしょうし、いろんな部分の、システムとして宗教が確立された部分でお教えをいただいている、教えというか学んでいるところがあるだろうと思う。
ところが、日本の場合はいろんな問題があって、憲法の制約もあるんですが、じゃ行政で正式に、教育基本法の改正のときにも大きな議論になりましたが、どうしても限界点があると。なおかつ、戦後、特にそういう一つの伝統的な部分が断ち切られた部分に相まって、ややそういう宗教でカバーしなければならない部分の心の問題というか徳育の問題が大きな大きな欠陥を来さざるを得ない環境になっていると。
じゃ、先ほどの、それをどうカバーするかという問題に非常に我々は悪戦苦闘しているし、当然行政サイドもそういう面での悪戦苦闘があるだろうと思うんですが。
要は、私は、先ほど話がありました、ちょっとある程度体系別にちゃんと整理をして、科学的にと言ったらおかしいんですが、体育の問題であれば、いろいろな体系別の、こういう状況にはこういう運動なりあるいは栄養が必要ですよとかというのがきれいに体系別に分けられている。あるいは、知育の分野でもそれなりにいろいろ積み重ねができ上がっていますが、これから是非とも、徳育の領域に関していろんな制限がある中で、そしてまたこの環境の中で、本格的に文科省としても、地域でできるもの、あるいは家庭でできるもの、あるいは学校でやらなきゃならぬもの、その辺りを、話の中で私もう一点大事なキーワードを言い忘れていたんですが、国家の意思というのは絶対に要るだろうと思います。当然、国家の意思というのを、放任であれば放任がその国家の意思でもいいんですよ。ただ、国の教育である以上、国家の意思というのは基本的には最低限私はその辺りは持っていなければならないだろうし、国家の意思に基づいてのその辺りの体系的な分類分けあるいは体系化を是非とも本格的にやっていただきたいと思います。
各論の部分で何点か、時間が来ましたから質問をさせていただきたいんですが、もう一点、学力低下の問題です。
これも配付はいたしておりませんが、国際的な学力比較をされている機関がありますよね。OECDとかあるいはPISAというんですか、理数系を中心に国際比較をされておるその数字というのは何年かに一遍発表をされていらっしゃるんでしょうけど、確実に日本の学力、理数系の学力が落ちてきている。これも先ほど申し上げました、人材立国であるべきはずの日本からすると、大きな黄色信号から赤信号になる傾向性が客観的なデータの上からも確実に出てきておると。
学校教育法の改正から始まって、先ほどおっしゃられました指導要領の改訂からいろいろあるだろうと思います。改めて、私は、もう今まで何度も何度も質問はありましたが、ゆとり教育の見直し問題の話も含めて、根底から制度、法律を変えるに当たって、大臣の学力を向上させるという観点での決意と思いをもう一度お話しをいただきたいと思います。