杉本健郎の発言 (厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会)

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○杉本参考人 すぎもとボーン・クリニークというわけのわからない名前、診療所の名前なんですが、これはスウェーデン語で子供診療所という意味でございます。
 きょうはこのような場を与えていただきまして一番うれしいのは、二十三年前に亡くなりました剛亮という長男のことをここで話ができるということが、何よりも僕にとっては、一種の贖罪感を払拭する一つの機会になるのかなと思って、自分の、トラウマでも何でもないんですけれども、今までずっとやってきたことの一つのまとめのような話をさせていただくのと、それから次に、小児神経科医として、今、小児神経学会の理事をしておりますけれども、果たして今の脳死診断基準が死として正しいのかどうかということと、もう一つは、慢性脳死と言われる子供たちが百人以上いるんじゃないかということをお話しできればいいなと思います。
 いつもスライドで話しているので、きょうは落としてまいりました。実質六枚しかないんですけれども、十五分間を使いましてお話しさせていただきたいと思います。
 きょう、僕の立場というのは、今お話ししましたとおり、小児神経科医であり、脳死を診る側にある人間だったわけなんですが、残念というか、これは仕方がないというか、一九八五年、ちょうど脳死診断基準が決まりました年、同じ月に、息子が交通事故に遭って、脳死状態から、それから心停止をして、腎移植を行いました。ドナーファミリーの一人でもあります。もう随分たっているんですけれども。
 それと、あと、トロントの小児病院は御存じだと思いますが、ここは子供のドナーのレシピエント率というのが今でも七割を超えているという状況があります。長期脳死というのが北米ではほとんどないわけなんですが、その辺の背景などもいろいろと疑問に思いましたので、行っていろいろ調査してまいりました。
 それから、御存じだと思いますが、六番に書いておりますとおり、二〇〇一年のバレンタインデーに、大阪府大の森岡先生と一緒に、恐らく今のB案に相当するであろう案ともう一つの案、二つの案を既に提案して、もうかれこれ七年たちます。ということで、お話を始めさせていただきます。
 スライドにしますと三番目なんですが、「ドナー・ファミリー、父として」というところであります。
 一九八五年というのは、今、脳死診断基準が生きているとおり、非常に身近なもののように思いますが、随分古い話、二十三年前の話です。ついこの間、生きていれば三十歳になっていたはずなんですが、その息子が突然、事故で脳死宣告を受けました。二十四時間もたたないうちに、すごくいいかげんなずさんな脳波のとり方、診断基準は実にあいまいでした。でも、患者の立場からは、それを何も言うことはできませんでした。ただ、何が判断として移植に走ったかということを、きょうはお話ししたいと思います。
 とにかく、灰になるのが怖いのです。恐怖なのです。心臓の脈拍があるというモニターが出ているんですけれども、それがとまっていくということの恐怖がすごくありました。このことをもって、何とか自分が、自分の主張ができないかということの、これは恐らく自分、父親の思いが一つあったんだと思うんですけれども、そこから何が出てきたかというと、ひとつ社会的に取引をしようということは今思うんですけれども、そういう考え方になってきたんだろうと思います。移植だということなんですね。これは最初から移植がありきだったわけではないんです。
 それから、もう一つの大きな理由は、六歳十カ月で、非常に短い、社会的貢献をしていない短い人生だったということで、ここで生きていたぞという証拠を残そう、息子自身の証拠を残したいという思い、これはかなり当時強かったと思います。そのことで、やはり移植で生きたものをだれかに引き継いでほしい、本当にほしいんです、下さいじゃなくて、もらってほしいという気持ちになりました。それで移植に入ったわけですね。
 それに至るまでの間は、当時はまだ珍しかったんですけれども、枕頭看護と申しまして、二十四時間体制で、面会謝絶と書いてありましたが、おトイレへ行く以外は、ずっと子供のそばのまくら元で寝起きしました。そこがそういう判断に至った一つの理由だったのかもしれません。
 当時、一年、二年、三年のうちは、これは死を受容して移植になったんだというふうに自分で言い聞かせておりましたけれども、今、十年ほどかかりましたけれども、それまではずっと移植ドナーカードを持っておりました。自分も同じようにするんだと思っておりましたが、トロントで一年間生活をして、外から自分を眺めたときに、帰るときにドナーカードを破り捨てました。これは違う、どうも違うという感覚が出てきました。
 ドナーの立場というのは、先ほどの先生方、いろいろとドナーに対する思いをちゃんとするシステムをとおっしゃるんですけれども、ドナーの気持ちというのは日々移っていきます。ささいなことに非常に喜々とするんですけれども、悲喜こもごもなんですけれども、やはり年月とともに自分の子供に対する思いというのは随分と変わっていくものだなという気は、今この立場で、二十三年たってお話ができる。ただ、その息子の話を今ここでできるということ自体が、自分にとっては還暦を前にしたすごい喜びの一つでもあるわけなんですね。
 要するに、結論としては、まさに自分自身にとっての息子の死の恐怖に対するいやしでしかなかったんじゃないかということをすごく感じます。それを一つの今の結論として持っております。
 ただ、そのときにおりました九歳の姉は、常に否定をしておりました。今、三十三歳になり、小児科医になって僕と一緒に診療所を始めたんですけれども、やはり考え方は同じです。最初から最後まで、それはおかしい、弟に傷をつけるということは絶対許されない、父親として許されないんじゃないかということを、いつも討論、激論になるんですけれども、それは親の意向でやったということで、討論がいつもそこに落ちていきます。
 そういう湿っぽい話はここまでにしまして、もう少し科学的というか、話に入っていきたいと思います。
 五番目のところです。
 脳死と言われましてもう長いんですけれども、この根本というのは、一九八一年大統領委員会の、脳は有機的統合体であるということの概念から始まっておりますね。医学にしたら、もう二十五年も前の話なんですね。四半世紀前の話の概念がまだ通用するのかどうかというところから出発していただきたいと思います。
 一九八〇年代の前半というと、レスピレーターという人工呼吸器は、ちょうどこの机ぐらいの大きさで、病院に一つか二つしかなかった時代の話なんです。今は、手にとって片手で持てるようなコンパクトな人工呼吸器があります。しかも、それは在宅で医療保険を使えるということで、もう全然条件が変わっております。
 医療的ケアと言われる在宅医療の内容が一九八〇年代と二〇〇八年は全く違っているという概念の中で、心移植の技術も進みましたけれども、在宅医療の進歩もすごく進んでいるという概念は決して忘れていただかないようにしていただかないと、慢性脳死の在宅というのは絶対に理解できないわけですね。ここのところを一つ押さえていただきたいと思います。
 そして、三つのデータをお示ししております。どれもこれも読んでいただければわかるとおりなんですが、まず、厚生省研究班そのものが、一カ月以上心停止が来ない脳死診断をした人を長期脳死と名づけられました。これは厚生省の研究班が名づけられた名前なんです。我々が勝手に名づけたものでも何でもないんですね。
 この長期脳死の方々の数が、小児ではかなりいるんじゃないかということで、二〇〇四年、我々小児科学会で調査いたしました。ここにも数字が書いてあるとおりです。約二〇%近くの数があるということですね。
 それから、一番新しいところでは去年の五月一日現在で、もちろん、毎日新聞の方の大場さんの記事もありますが、小児科学会の倫理委員会で調べた例としまして、これはことしの一月号の小児科学会雑誌に出ておりますが、臨床的脳死と言われる、つまり無呼吸テスト以外は全部やって脳死であると診断された方が八人、二十歳未満で現におられて、うち三人が在宅でやっておられるという現状です。
 それから、一般的脳死と言われまして、全部満たしていないけれども医者が診断したというのが二十六人なんですね。極めて脳死に近い例というのは、これは臨床の場面ではほとんど脳死として扱われてしまうんですね。ここも非常に危険な要素を持っているんですが。
 これらを一つに合わせてみまして、一と二を合わせたところで、全国推計しますと、これは八府県のデータだったものですから、百人を優に超えるのではないかという方々、そのうちの何割かは、一割、二割は在宅におられるという現状を決して忘れないでほしいと思います。
 これを死と名づけることができるのかどうかは、先ほどの中村さんの話にもありましたように、今、尊厳ある死、尊厳ある死とよく言っていますが、そうじゃなくて、我々小児神経科医であり、我々小児科医の在宅を目指す者としては、尊厳ある生をいかに支援できるかというところに視点を置いております。
 だから、尊厳ある死に方はどうぞ御自由にやっていただいたらいいと思いますが、我々ドクターとしては、それから医療関係者としては、生きる者を支えていくということを念頭に置く形でないと医療というのは成り立たないということを肝に銘じてやっております。
 それから、六番目のところに参ります。
 これは、繰り返しいろいろなところで述べられておりますし、時間もない関係で、全部ペケだということです。
 一九八五年の脳死診断基準の骨格になりました竹内基準をつくった武下先生、今、宇部フロンティア大学をやめられたかどうかわかりませんが、その方が三つの骨子を書かれました。
 一番、「脳の反応性が不可逆的に消失し、」云々は、慢性脳死で見事崩れました。二番、「広汎かつ重篤な脳の壊死を予測する」ということの根拠は、子供の場合、身長が伸びるし、何よりも、我々も経験しましたが、腐らない。変な言い方ですけれども、ごめんなさいね、中村さん。とにかく腐らないんです。いつまでも生き生きと、親にとっては生きていると感じるような子供たちなんです。これを忘れないでほしい。それから三番、脳の平たん脳波云々ということなんですが、脳波なんというのはまやかしです。自分の専門領域でもあるわけですけれども、脳の表面からとる脳波が平たんであるからといって、見せしめのごとく平たんな脳波を見せるなんというのは医学的に、科学的に全くナンセンスですね。カナダでも脳波はもうとっておりません。そういう古い診断基準でいいのかどうかということの確認が今皆さん議員の中に要るんじゃないか。
 だから、それでそれを死とするんだ、満たしたものをするんだとされれば、それに対するしっかりとした、七番目の三のことを申し上げております、基準を満たすことが死なんだよということの裏にある科学的な意味合いをしっかりとわかった上で社会的にこれを死としようというA案、A案にはきちっとこういう説明がないと、これはうそになります。科学的にそこでもう線を引いていいんだということになるわけですね。
 それからもう一つ。ドナーの立場からしましたら、一番のスペインモデル、イタリアモデルも追随しております、これは、脳死のドナーになるべき人の説得をする方法論が時間的に書いてあります。このことによって、スペインが世界的にドナーがふえた、ふえたと言っているわけですね。このモデルがあるわけです。
 だから、今まではドナーカードだったんですけれども、今度はカードがなくなります。必ず説得と言われる了解が入ってくるわけで、そのときのモデルがここにあるわけなんです。必死になっている親の中で、こういった手なれたコーディネーターの人たちがモデルを用いて誘導するということがあり得ないとは限らないんですよね。この辺のところもしっかりと押さえていただかないと、後でドナーそのものが悔いを持つ。
 それは二番にもかかわってくるわけですね。ドナーの親だけじゃなくて、子供自身の権利を保障するためのきちっとした第三者の委員会を、今の大人の七十例だけじゃなくて、もっとしっかりとオープンにみんなに信頼できるような形での検証委員会を常に持っていただくということが、これをもし進められるのであれば、ぜひとも必要なことであるということを強調しておきたいと思います。
 最後に、先ほどからお話しになっておられましたように、渡米する方々の子供さんに対して僕は何も拒否をする気もないし、何か、何とかなればいいという小児科医としての思いは同じように持っております。ただ、それを一本化した、そのことだけでもって、今ある百人を超える脳死の人とか、それから一九八五年という古臭いカビの生えた診断基準の中で物事を突き切ろうとする、しかも脳死を死としようという、こういった哲学的なところまで踏み込んでしまおうとするA案に対しては、B、C、これはどちらでもいいんですけれども、少なくともA案では理屈が通らないということをはっきりと申し上げて、以上で発言を終わらせていただきます。(拍手)

発言情報

speech_id: 116904263X00120080603_008

発言者: 杉本健郎

speaker_id: 26612

日付: 2008-06-03

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会