稲貴夫の発言 (厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○稲参考人 私は、現在、財団法人日本宗教連盟の事務局長をいたしております稲と申します。
 初めに、本連盟につきまして御紹介をさせていただきます。略して日宗連と申し上げますけれども、昭和二十一年に設立された日本における諸宗教団体の連合組織でございまして、信教の自由の精神のもとに、宗教文化の興隆に向けた諸事業を進めております。現在、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会の五つの協賛団体で構成され、日本における約十八万の宗教法人の九割以上が、それぞれの協賛団体を通じて諸事業に参画しております。
 本日は、臓器移植法改正法案の審議に当たりまして、宗教界の意見を表明する機会を設けていただきましたことを感謝申し上げたいと存じます。
 平成九年の臓器移植法の制定に当たりましては、人間の生と死の問題、特に、死の定義をめぐる問題につきまして大きな議論を巻き起こしたわけでございますが、日本宗教連盟ではこの問題を、我が国における宗教文化の根源ともかかわる重要問題と受けとめ、これまでさまざまな研究協議を進めてまいりました。
 最近では、臓器移植法改正の動きが具体的になってまいりました平成十七年に、「いま、臓器移植の行方を考える」をテーマとした宗教と生命倫理シンポジウムを二回開催しております。また、平成十八年十一月には臓器移植法改正問題に対する意見書、平成十九年三月には臓器移植と生命倫理に関する調査研究の専門機関設置に関する要望書をまとめ、公表いたしております。
 本日は、これまでの活動を踏まえながら、日本宗教連盟及び宗教界の意見を御説明してまいりたいと存じます。
 まず、現行の臓器移植法は、脳死を一律に人間の死とせずに、本人の生前の書面による意思表示と遺族の承諾を原則として、第六条の二項にもありますとおり、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者」に限りまして、例外的に「脳死した者の身体」を死体とみなして臓器の摘出を可能とするものであります。
 それに対し、改正案A案と言われるものは、「脳死した者の身体」を一律に死体とするという内容ですから、脳死を人の死とするものであり、現行臓器移植法の基本的理念を根本から大きく変更しようとするものであります。
 宗教界には、脳死、臓器移植の問題に関してさまざまな意見があります。臓器移植そのものを生命に対する冒涜とみなす意見から、臓器の提供を積極的に愛の贈り物とみなす意見までさまざまであります。しかし、宗教界として、脳死は人の死ではないという点に関しては共通した理解であることを強く表明したいと思います。
 人間は社会的、文化的存在であり、人間の死を科学的、医学的な観点からのみ判断することは誤りと言わざるを得ません。多くの宗教が人間の死にかかわってきました。宗教の立場からいえば、人間の死とは、肉体から霊魂が分離することです。息が絶えたとき、霊魂が身体から離れ、死が訪れます。
 人類は、心臓が停止し、呼吸がとまり、瞳孔が拡大したときを死の訪れと認識してきました。死者をみとった人々は、その死の意味や死後の世界のことを考え、そして生の意味に思いをめぐらしてきました。そうした長年の営みを通して、さまざまな宗教や文化が発展してきました。
 現代日本人の死生観も、そうした宗教的、歴史的背景を経て形づくられています。それを無視して、法律で脳死を例外なく人間の死と定め、死の一般的な概念に変更を加えることは、国民生活にさまざまな禍根を残すことになると考えます。
 次に、A案では、本人が生前に臓器提供を拒否していない限り、家族の同意で脳死での臓器移植を可能にするとしております。ここにも重大な問題があることを指摘しなければなりません。
 さきに脳死は人の死ではないと述べました。人の死でない以上、脳死体からの臓器提供には最低限、本人の意思が必要であることは言うまでもありません。脳死臓器移植の制度について了解した上で、本人がみずから進んで提供の意思表示をしているとき、臓器移植は社会的合意を得ることができ、崇高な行為ともみなされるわけであります。本人の意思表示がないのに、家族の同意だけで臓器移植が可能になれば、そこに愛の要素は見出しがたく、臓器を確保するために他人の死を期待するという状況が生まれ、日本人の倫理観の問題にまで影響することを懸念いたします。
 現行法が基本理念としております本人の書面による意思表示は、脳死臓器移植にとって欠くことのできない絶対条件であると考えます。本人の書面による意思表示を実質的に廃止することは、現行法の改正案ではなく、日本人の死生観に混乱をもたらす法律の制定になると言わざるを得ません。この点を慎重に御検討いただきたいと存じます。
 一方、改正案B案は、臓器提供の年齢制限を十五歳以上から十二歳以上に緩める内容となっております。
 しかし、社会的に弱い立場にあり、脳死臓器移植に十分な理解を持ち得ない子供の意思表示に基づく臓器提供については、大人とは別のルールが必要であると考えます。また、親が子供の命にかかわる意思をどこまで代弁することができるのかなど、検討すべき多くの問題を抱えております。これらの問題が解決されていない現状においては、提供の意思を正しく表明できるかどうか危ぶまれる十五歳以下への拡大に反対をいたします。
 加えて、脳死状態での子供の蘇生力について、まだ明らかにされていない部分があることが専門家からも指摘されていること、また、子供への相次ぐ殺傷事件、幼児虐待などが大きな社会問題となっている現状から、十五歳以下への拡大は進めるべきではないと考えます。
 私たちは、医学や科学の進歩によって豊かな生を享有しております。しかし、医療技術の発達がもたらした脳死臓器移植という治療法は、他者の重要臓器の摘出を前提としている限り、普遍的な医療ではなく、過渡期的な治療法と言わざるを得ないと考えます。
 また、臓器移植の成功率が上昇したとしても、その成功はさらなる臓器の需要を生み出すことは間違いありません。臓器移植大国と言われるアメリカにおいても、脳死からの移植臓器が不足し、生体移植が増加してきているという現状があります。生体移植には、脳死移植とは別のさまざまな問題が指摘されております。
 さらに、年々、救急医療技術の進歩と交通安全対策の充実により、交通事故による死者も減少してきておりますが、このことは、総体的に脳死状態になる人の減少を意味しております。こうした状況の中で、他者の死を前提とする臓器移植法を拙速に改正することが妥当なのかどうか、慎重に御検討くださいますよう重ねてお願いを申し上げます。
 平成九年に現行の臓器移植法が施行され、平成十一年に同法に基づく最初の臓器提供が行われてから約十年が経過しておりますが、これまでの臓器提供事例は七十例とのことです。欧米など他の先進諸国と比べて圧倒的に少ないことが改正推進派の方々から指摘されておりますが、日本でドナーがふえない理由は、法律とは別のところにあるのではないかと考えます。それは、日本人の価値観や死生観などの文化の問題が背景にあるのではないでしょうか。
 今日の日本の社会は非常に近代化が進み、多くの人々が科学技術の発達した現代文明の恩恵を受けておりますが、特定の文化を有する人間としての行動様式がそう簡単に変わるとは思えません。脳死臓器移植の制度について、多くの日本人は、理屈の上では理解しても、その人生観、死生観の上から心理的に忌避しているために普及、定着しないのではないでしょうか。これは文化の問題ですから、よい、悪い、善悪で判断できるものではありません。
 ですから、臓器移植法の拙速な改正を考える前に、まず現行法のもとで広く国民に理解を求めていくにはどうしたらよいのか、国民の死生観や価値観を踏まえて対応を図ることが求められているものと思料いたします。
 以上、臓器移植法改正の問題に関して、宗教界の立場から意見を述べてきました。
 我が国における脳死判定、臓器移植のあり方については、拙速な法改正を考える前に、まず、現行法における十年間の実績と課題、問題点を国民の前に明らかにしなければなりません。また、この間の再生医療や人工臓器などの関連医学の進歩も考慮に入れる必要があります。それらを踏まえて、医療系諸科学や法律の分野のみならず、哲学、宗教、倫理などの分野を総合した検討が必要であると考えます。
 臓器移植法の改正は国民の人生観や死生観に及ぼす影響が大きいことから、広範な議論と意見集約、さらに、今日における臓器移植と生命倫理に関する調査研究を目的とする第二次脳死及び臓器移植調査会の設置を要望いたしまして、意見表明とさせていただきます。
 資料といたしまして、この件に関する本日付の理事長名の要望書を添付いたしておりますので、ごらんいただければと存じます。
 ありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 116904263X00120080603_012

発言者: 稲貴夫

speaker_id: 25001

日付: 2008-06-03

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会