神野直彦の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(神野直彦君) 東京大学の神野でございます。よろしくお願いします。
初めに、おわびを申し上げておかなければなりませんけれども、私は網膜剥離を患っておりまして光を目に入れることができませんので、文明の利器は使えません。昔ながらのレジュメでお話をさせていただくことをお許しいただければと思います。
さらに、網膜剥離は近眼が、通常の方は二十歳ぐらいで止まるんですけれども、進み続けちゃうんですね。私の人生の体験からいえば、日本の社会も近視眼的に物を見て目先の利益ばかり考えていると、待っているのは失明、暗黒しかないのではないかということを危惧しております。
お手元のレジュメを見ていただいて、危機の時代における二つの経済学のパラダイムということを書いておきましたが、現在、私たちの歴史は大転換期を迎えておりますけれども、歴史の大転換期には必ず新しい経済学のパラダイムが生まれます。十九世紀の末も現在と同じような大不況でしたが、そのときに二つの経済学が誕生いたしました。
一つは、新古典派と言われている経済学で、現在、経済学といえば新古典派だと言われるような主流派の経済学です。もう一つは、ドイツで誕生いたしました私のやっております財政学でございまして、この財政学は、国民経済というのは市場経済と財政という二つの経済が車の両輪になってうまく絡み合わないと発展することはないという考え方に立脚している学問だというふうにお考えいただければいいかと思います。私は、今日はそうした財政学の立場からお話をさせていただきたいと考えております。
レジュメの最初に書きましたけれども、財政赤字というのは、必ず経済危機、不況が起きたり大不況が起きたり、あるいは戦争が起きるなどの社会的な危機が起これば、必ず財政というのは危機になるんですね、財政は赤字になるんです。論理は逆に考えてはならないということです。財政赤字を解消しようとすれば、財政の使命である経済危機や社会的な危機を解消して、そうしなければ本来の財政の再建というのはあり得ない。財政の目的というのは、経済危機や社会的な危機を解消して、エウデモニア、アリストテレスの言葉でありますが、幸福な社会を実現することにあるということを頭に置いていただければ有り難いと思います。
私は、よくスウェーデンの例を出すのですが、スウェーデンは私の考えている財政学どおりのほぼ政治をやってくれているので、私の言っていることも現実性があるのだということで例を出すのですけれども、スウェーデンの言葉で私の好きな言葉が二つあります。一つは、ラーゴムという言葉です。ラーゴムというのは、程々とか程よいという意味なんですね。極端に貧しくなることも嫌うけれども、極端に豊かになることも嫌う、中庸の徳のようなことを意味する言葉だというふうにお考えいただければと思います。貧しい者と豊かな者とのラーゴム、程よいバランス、それと公、公共部門と民間部門の程よいバランス、私は程よい政府と言っておりますが、現在のようにただ単に小さくしていくということではなく、程よくバランスするということが重要だというふうに考えています。
もう一つの言葉は、オムソーリーという言葉です。オムソーリーという言葉は社会サービスという意味です。ソーシャルサービスと英訳されております。ソーシャルサービスというのは、日本の社会福祉よりもやや、ずっと広い概念と言った方がいいでしょうか、教育、福祉、医療、すべての社会サービスを含んでいます。このオムソーリーという言葉の意味は、悲しみを分かち合うことという意味です。お互いにかばい合うことという意味なんですね。教育も悲しみを分かち合うことですかと聞くと、そうですというふうに答えます。
悲しみを分かち合うことというのは、悲しんでいる人々のためだけじゃないんですね。悲しみを分かち合えば、その分かち合うことによって悲しんでいる人々に自分が必要だ、自分の存在が他者によって必要だということが実感できる。人間が生きる喜び、生きがいというのは他者に自分の存在が必要だというふうに認識できたときだというふうに考えておりますので、スウェーデンの人々はオムソーリー、悲しみを分かち合うために租税を負担し合っている、そういう考え方に立っております。
この点は、日本が次の社会を考える上で学ぶべき二つのキーワードになるのではないかと思って御紹介をいたしました。
現在、私たちはクライシス、大きな時代の転換点に立っていると思います。クライシスというのは危機という意味ですが、クライシスという意味は分かれ道という意味です。医学上でクライシスというと、お医者さんがよく今晩が病の峠ですという、峠と使いますが、これがクライシスという意味ですね。クライシスの結論は二つしかないんです。破局か肯定的な解決かです。
こうした歴史の分かれ道で財政がやらなければならないことには二つありまして、一つは国民の生活、つまり社会に対して安全のネットを整備するということですね。もう一つは、次の新しい社会の経済的な基軸になる産業システムを支えるインフラストラクチャー。インフラストラクチャーというのは次の産業構造の前提条件という意味ですので、次の産業構造の前提条件の整備をする。この安全のネットとインフラストラクチャーのネットの二つを整備するということが歴史の大転換期における、歴史の峠における財政の役割であるというふうに認識をしていただければと思います。
私たちはどういう歴史の大転換期に差しかかっているのかというと、二番目のところにケインズ的福祉国家の行き詰まりと書きましたけれども、重化学工業を基盤とする産業構造が行き詰まり始めて、重化学工業を基盤とする産業構造の上に、第二次世界大戦後、先進国で形成されていた福祉国家が行き詰まっているんだというのが現在の状況だというふうにお考えいただければと思います。産業構造は重化学工業から知識集約産業あるいは情報産業あるいはサービス産業などの方に大きく転換しつつあるわけですね。そういう時期に、福祉国家に代わるどういう社会経済体制をつくり上げていくのかというのが問われている、そういう歴史の転換期だというふうにお考えいただければと思います。
重化学工業では、そこで働く人々というのは、同質で大量の筋肉労働を必要としましたので、主として男性でした。重化学工業の時代の家族像というのは、男性が主として働きに行って、女性が主として家族内で無償労働、アンペイドワーク、育児とか養老とか高齢者福祉サービスとかあるいは家事労働などを行っている、そういう家族像を前提にできたということですね。
ところが、産業構造が大きく転換していきますと、労働市場の構造は当然変わってくるわけです。女性の労働を必要とする大きな産業部門が開けてまいりますので、これまで家庭内で無償労働をしていた女性も労働市場に参加するようになる、これが労働市場の多様化とか様々な言葉で表現されている事柄だというふうに御理解いただければと思います。もう一つ、家族の方も変化するわけですね。家族の方も、これまでアンペイドワーク、無償労働をしていた人々が姿を消していきますから家族像も大きく変わってくる。
結論は先ほど木下さんがおっしゃったような意味になるのですけれども、結論は、家族内でやっていた、無償労働でやっていた、アンペイドワークでやっていた育児とか養老とかなどというサービスを政府が提供していかなければならなくなる時代になっているということになるわけですけれども、そうすると、家族の機能がもっと弱まるんじゃないかという声が聞かれますが、それはありません。
スウェーデン政府は、家族内で行っていた育児、養老、そうしたサービスにすべて責任を持つ、しかし愛情には責任を持てない、愛情は家族の責任であるし、コミュニティーの責任であるし、共同体の責任であると言っていますから、日本の場合には、むしろそういうサービスを政府が怠っているために、かえって国民の家族が崩壊する寸前にあるというふうに言ってもいいのではないかと思います。
お手元のところに書いておきましたが、これまでのケインズ的な福祉国家では、垂直的再分配、これは、お金持ちから税金を取って貧しい人に、生活保護のような形で貧しい人に限定してお金を配分する、こういう再分配をやっていたわけですね。それに対して、これから必要なことは、サービス給付による、現金を配るんじゃなくて、現金給付ではなくてサービス給付による水平的所得再分配。水平的再分配というのは、同じ所得の人で、リスクに陥ったとき、同じ所得なんだけど病に陥りました、あるいは子供を持っています、あるいは高齢者を抱えていますというようなリスクに陥ったときに政府がサポートする、ユニバーサルにサポートする、豊かであろうと貧しい人々であろうとすべての国民にサポートするサービスを提供するというのが水平的再分配ということであります。
ここで皆様に認識しておいていただきたいのは、再分配のパラドックスというのが証明されているということです。
ちょっとお手元に、資料のうち、この図表から始まる資料をお開けいただいて、順番を付け忘れたので申し訳ありませんが、上から五枚目を見ていただければと思いますが、表一のところに、各国の社会支出のジニ係数と相対的貧困率、ジニ係数は不平等度を表す指標ですし、相対的貧困率というのは貧困率ですね、正確に表現すれば、国民所得の半分も行かない、平均の所得の半分も行かない人々がどのぐらいいるかという割合です。
このうち、アメリカ、イギリス、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、フランス、日本となっていますが、生活保護のような貧しい人々に対してお金を配る、貧しい人々に限定してお金を配る社会的扶助支出、左から二番目の欄ですね。これは生活保護のような貧しい人々に限定してお金を配る支出です。この社会的扶助支出が多ければ、通常の場合、不平等度も、垂直的な再分配やるわけですから社会は平等になり貧しい人々も少なくなるはずなんですけれども、再分配のパラドックスというのは、こうした垂直的な再分配をやればやるほど、貧しい人々に対する生活保護などのウエートが高ければ高いほどその社会は不平等になって貧しくなる、貧しい人々が多くなるという、それが再分配のパラドックスです。
お手元を見ていただければ、社会的扶助支出の高いのはイギリス、アメリカですね。この二か国が三・七、四・一と高くなっております。これは、一九九〇年代に日本が悪平等だと言われているぐらい平等な社会だと言われたときの数字をわざわざ使っておりまして、一九九〇年代の半ばでジニ係数を見ていただくと、ジニ係数は高い方が不平等ですから、アメリカ、イギリスは〇・三六一、〇・三二一ですので、アメリカやイギリスは不平等な国になっているわけですね。それから、相対的貧困率を見ていただくと、一六・七、一〇・九ですから、非常に貧困の多い国ということになるわけです。
さて、スウェーデン、デンマークを見ていただくと、生活保護に当たるような社会的扶助支出は一・五、一・四ですから、圧倒的に少ないんです。圧倒的に少ないとジニ係数〇・二一一、〇・二一三で平等の国になっているわけですね、圧倒的に。さらに、相対的貧困率を見ていただくと、三・七と三・八ですから、もう圧倒的に貧困も少ない。
ドイツ、フランスを見ていただきましょうか。これは二・〇です、社会的扶助支出二・〇、二・〇ですから、これ見ていただくと、ちょうどアメリカやイギリスのアングロサクソン諸国とスウェーデン、デンマークというスカンジナビア諸国の中間になります。中間になるとジニ係数もちょうど中間になり、相対的貧困率も中間になるということですね。
では、日本はどうかというと、日本は社会的扶助支出は〇・三ですから少ないので、生活保護のような支出が少ないので、本来ジニ係数は低くていいはずなんですが、アメリカ、イギリスよりも低い。これが日本は平等な国だと言われている社会ですね。日本はいつもアメリカとイギリスしか比較しないからです。さらに、相対的貧困率を見ていただくと、アメリカよりは低いんだけれども高いんですね。
そして、問題なのは、どうしてこういう結果が起こるのかというと、社会的支出のウエートが違うからです。生活保護のような垂直的な再分配にかかわるようなものは少ないんだけれども、スウェーデン、デンマークのような国々は、医療、福祉、教育、貧しい人でも豊かな人でもすべて極端に言えば無料でもらえるというようなことを充実させるか否かということが決定的なメルクマールになるということです。確かに、スウェーデンでも医療をすれば自己負担額が一割ありますので、自己負担しなければなりません。保育園に行けば一割は自己負担ですので、自己負担しなければなりません。しかし、スウェーデン、スカンジナビア諸国、ヨーロッパ諸国の多くの国々はサービスは買うものではないという考え方に立っていますから、その自己負担額は所得比例なんです。貧しい人々はただ、豊かな人々は高いんですね。
ちなみに申し上げておきますと、スカンジナビア諸国では交通違反の罰金も所得比例ですから。この間新聞に、ちょっと前ですが話題になった、フィンランドの大金持ちが十キロか十マイルかちょっと忘れましたけれども、スピードオーバーをやったら罰金が三千万、これは所得比例で掛かってきますから。そういう所得比例を持たせているので、買うものではないという考え方に立っている。
これから重要なことは、女性が働きに行きますので、結局育児サービス、養老サービス、つまり家庭内でやっていたようなサービス、さらに教育、そして医療というような水平的再分配にかかわるようなサービスを充実させていくという政策を打って人々の生活を安定させていくということが決定的に重要になる。そうしないと格差が拡大するんです。
日本の社会で格差の拡大が言われている重要な原因は、労働市場が二極化しているからですね。なぜ労働市場が二極化しているのかというと、重化学工業の時代ではなくなっているにもかかわらず、両立支援サービスと言われているように、家庭内でやっていたような育児、養老などのサービスを政府が提供していないので、仕事をやりながら、つまりアンペイドワークを家庭内でやりつつ労働市場に出ていく人と、家庭内でのアンペイドワークから全く解放されて労働市場に出ていく人が分断されるんです。フルタイムの労働市場とパートの労働市場ができ上がってその賃金格差が激しくなって、結局は格差社会に陥るということになるということです。
さらにもう一つ、なぜ生活保護のようなサービスでは所得再分配がうまくいかないのかというと、日本の社会もそうですけれども、生活保護や年金でほかのサービスを買えというシステムになっちゃうからですね。
生活保護の六割は、皆様方、医療費だというのは御存じですね。生活保護をもらっている人は、六割が医療費なんです。この医療費というのは、簡単に言ってしまえば、健康保険の保険料を、生活保護をあげるからそこから払いなさいと言っているということと同じことです。
今度、後期高齢医療制度ができて、年額ですよ、年額十八万を超える年金者の人から保険料を二分の一以内まで取れるんですね。そうすると、それは、年金あげるから、この年金であなた介護保険あるいは医療保険を買って医療サービスをやりなさいというシステムになる。これを切り分けろということが私の提案です。
時間がないので三つの政府まで詳しく御説明できませんが、私たちの生活を保障するのには、政府がお金を配る現金給付と、それからサービスを配るサービス給付とセットでなければならない。サービス給付が充実していれば現金給付はわずかで済んでしまう。
お年寄りの老後の生活は、配達サービス、訪問介護や施設サービスなどのサービス給付と、それから年金とセットですから、そのお年寄りが病気だったらばこれは医療サービスでやりますし、家がなかったら住宅サービスでやりますし、年金は何に使うかと。そのお年寄りの医と食、食事と医療だけで済みますから、一律にわずかの額さえ配っていけばいいことになるはずですね。すべてを年金でやろうとすると多額になる。しかも、そのやり方をすると、中産階級の人々の生活を公共サービスが支えないんです。そうすると、必ず小さな政府を要求するようになり、結局人々の生活を保障できるような公共サービスが減少してしまうということになるだろうと思います。
お手元二枚目、おめくりいただきまして、最後の私の結論ですが、五番目のところに予言の自己成就と書いておきました。これは皆様にお願いしておきたいことですが、予言の自己成就というのは社会心理学で言われている言葉です。未来はこうなるという予言を信じれば信じるほどそうなる確率は高まるというのが予言の自己成就という言葉です。つまり、私たちは、肯定的な未来を描いて、そのことを信じれば肯定的な未来になる確率は高まる。しかし、悲観的な未来を描いて、そうなるということを信じれば信じるほどそうなる確率は高まる。皆様方の使命は、肯定的な未来のビジョンを描くことだというふうに思います。
最後にケルンの地下ごうで最近発見された言葉を書いておきましたが、予言の自己成就という言葉を最後にお話をして私のつたないお話をこれで終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。