那谷屋正義の発言 (総務委員会)
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○那谷屋正義君 どちらに責任があるというか、責任のなすり合いでは事は解決していかないというのは私も重々承知しております。これはもう両者共にやはり努力していくという、先ほどの形式論で言えばそういったことが言えるんだろうというふうに思うんですけれども、ただ、やはりその大本が国の様々な施策に影響されているということから言うならば、地方の方が、いや、国もこんな施策をしたけれども、地方には地方のやっぱり責任があったなという自覚を持って今の状況に立ち向かっていくということはあったとしても、国の方から、いや、地方にも応分の責任があるんだという物の言い方をするということでは、これは全然違うんだろうと思うんですね。やっぱり国は国として何をしなければならない、こういうふうなことをしてきたから地方に対してこういうことをしていかなきゃいけないという、そういう姿勢を見せてこそ初めて、それこそ地方に活力が出てくるんではないかと、こんなふうに思うわけであります。
その一つ一つをちょっとひもといていきたいと思いますが、まず一九九四年から九九年までの特別減税、引き続いての恒久的減税、いわゆる〇六年まで続いた定率減税であります。これはもちろん国民にとっては大変景気的あるいは経済的な効果はあったというふうに私も理解しておりますが、しかし地方財政というふうなことで言うならば、いわゆる個人住民税にかかわる減収規模が六兆円であったということであります。そして、これらはすべて国主導の減税政策に地方が付き合わされたと、まあ言葉は悪いですけれども、そういうふうになるわけであります。内閣が提案し、国会が可決した法改正によるものであり、この責任を地方が負うべき理由はちょっと考えられないというのが普通の常識ではないかというふうに思います。したがって、地方に責任があるとすれば公共投資の追加等に絞られることになるかなと。
ところで、大臣が持ち出す地方の責任論というのは、国は方針を出しただけで、地方が自主判断で公共事業等を実施したかのような、そんなふうにも聞こえる部分がございます。総事業規模で約三十兆円にも達した一九九三年度の経済対策を取り上げてその論理の破綻をちょっと指摘をさせていただきたいと思いますが、九三年度というのは、第一次分権改革によって機関委任事務の廃止等を内容とする地方分権一括法が施行される二〇〇〇年四月より前であるということから、総務省、当時の旧自治省の地方公共団体に対する指示の仕方がこれは驚くほどストレートな形になっています。
例えば、地方税法や地方交付税法等の改正案が成立した後に、これは各都道府県知事に対して事務次官名で出される、何というんですか、通知といいますか、その内容を見ると、積極的に推進すること、その推進を図ること、その活用を図ることなどという言葉が随所にちりばめられております。その実施、促進に躍起となっていることがまさにリアルに伝わってくるわけであります。
無用な箱物行政を助長した地域総合整備事業債にとどまらず、臨時地方道路整備事業債や公共用地の先行取得など、その後地方公共団体の財政運営に対して批判が集まる施策のほとんどはこの時期に政府によって用意されたものである。事業量の大幅拡充や事業債の大幅増額というようなインセンティブも当然のこととして盛り込んだ上での話でありますけれども、国の考えとは関係なく自主的、自立的に行われたものでないことはこういう意味でも明らかではないかというふうに思いますが、今私が整理をしているこの論点というのは違っているのかどうか、もう一度大臣にお伺いします。