西川京子の発言 (厚生労働委員会)

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○西川(京)委員 おはようございます。自民党の西川京子でございます。
 大臣、本当に長い間の御審議、お疲れさまでございますけれども、どうぞよろしくお願いします。
 審議時間も、きょうの時間を含めて二十五時間になるかと思います。それぞれ与野党、さまざまな今回の法案に対する意見が出ておりますが、私も締めくくりという立場で、大まかな質問になるかもしれませんが、よろしくお願いしたいと思います。
 今回、この年金問題というものが国民の関心事の大きなテーマになったのは、やはりいろいろ管理上の不祥事がさまざまに浮き出たということで、いわば初めてと言っていいほど国民が年金という問題に興味を抱いたわけです。
 我が国で国民皆年金というのが始まったのが昭和三十六年ということで、大体、年金というものがそもそもどういう意味があるのかということに関して、社会状況の変化ということによって大きく意味が変わってきていると思うんですね。
 実は、社会保険をちょっと調べてみましたら、社会保険制度のそもそもというのは、十九世紀のドイツ帝国のビスマルクが、いわゆる上層部のさまざまな労働者階級や商工階級、この人たちを政府に引きつけるというような、大変政略的な意味合いでつくられたという経緯があるように聞いております。そういう中で、実は社会保険というものが全国民を対象にして全部網羅するものではない、過半数の人たちを大体想定していたという過去の経緯があるわけですね。実は、ヨーロッパで始まった社会保険制度のそういう歴史ということが、各国の保険制度に対する、さまざまな制度にその辺が色濃く残っている部分もあると思います。
 そういう中で、日本は、皆保険、皆年金を昭和三十六年に導入して、着々と今回の状況に進めてきたわけでございます。ただし、その当時、国民年金というものが創設された中で皆保険が実現したわけですが、そのときの社会状況というのは確かに、年金というものが将来の家の中で、高齢者に対しての援助というものが家族の中に帰結していた社会。それが、高度経済成長、そういう状況の中で都市部に人口が集中して、家族がある程度離れて、親の世代と子の世代が離れて暮らすというような社会状況の中、そして地域社会のある意味では崩壊が始まっていった中で、仕送りをするという形態が出てきて、いわば個人でやるものを世代として、国が関与して世代間の支え合い、国が仕送りをまとめて皆さんからいただいてやりますよ、そういう考え方だったと思うんですね。
 その中で、第一次産業や商工業者がほとんどだった国民年金というものが、年をとってからの、高齢者になってからの生活費の一部であった、そのあたりのときには問題がそこまで噴出しなかったわけですけれども、やはり定着するとともに、この年金制度が成熟するとともに、年金だけで高齢社会の、高齢時代の生活の基本が年金である、この辺のところからさまざまな問題が出てきたと思います。
 そういう中で、実は、スタートしたころは高齢世帯の二三%が保護世帯だったというんですね。ですから、今の問題から比べると、現在、高齢世帯の保護率が約四、五%ということですから、今の単身高齢低年金世帯をどうするかとか、そういう問題はある意味では、実はスタートのころはもっとひどかった状況だったということがあります。そういう意味では、むしろそれを回避してきた歴史もあるわけですね。ただし、今の状況を放置するならば、かなりの近い将来、一割ぐらいになってしまう可能性もある。その辺が、今いろいろな、低年金問題その他が噴き出てきたことにつながっているんだろうと思います。
 今、高度経済成長と人口増、この二つの条件で成り立っていた年金制度というものの前提が崩れてきた中で、やはり当然、制度改革の必要性はもうだれでもが認めているという現実があるわけですので、そういう中で今回の、社会保険方式がいいのか、あるいは税方式がいいのかというさまざまな議論が噴出してきた、こういう状況があると思います。
 その中で、税方式か社会保険方式か、実は二者択一ということではないのかもしれませんが、ずっと社会保険方式をとってきた厚生労働省として、そのあたりの大臣の御見解をお聞きしたいと思います。

発言情報

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発言者: 西川京子

speaker_id: 15059

日付: 2009-04-17

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会