根本匠の発言 (厚生労働委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○根本議員 お答えいたします。
まず、脳死は人の死かどうか、この前提からお話をさせていただきたいと思います。
A案は、脳死は人の死である、A案の提出者の方も、脳死は一律に人の法的な死であるとお答えになっている方もおられます。私は、A案は脳死は人の死と法律で規定している。これは、脳死が人の死かというのは、個人の死生観や宗教観あるいは人生観によって価値観、価値判断が異なりますが、これを法律で規定していいのか、こういう疑問があります。
私は、医学的な脳死は厳然たる死だ、医学的な脳死はそうだと思います。ただ、まだ心臓が動いている状態で、あるいは脈もあるという状態で、脳死は人の死ではない、こう考えられる方もたくさんおられる。ですから、現行法は、脳死が人の死かどうかは死生観や宗教観や人生観によってそれぞれ判断が異なりますから、脳死を人の死として認められる、受容できる、ぜひみずからの臓器を提供したいという崇高な気持ちを持っておられる方の提供の意思というものを大切にして、そして、それならぜひ受け入れたいという受け入れる方の相互の意思尊重、自己決定、これであれば、脳死が人の死でないとする方もそこは尊重できるのではないか、これが私は現行法の考え方だと思います。
その意味で、我々は、脳死が人の死かということについて、まだそれを法律で規定するだけの社会的な合意は残念ながら得られていない。十年前には随分私もこの場で議論をさせていただきました。そういう前提に我々は立っております。
そして、では十五歳以下への臓器提供の道をいかに開くか、これは随分考えました。やはり我々は十五歳以下の子供への臓器提供の道を開かなければならない。どういうふうな形で開くか。これは、親と子のきずな、命の大切さ、子供の尊厳、これを一番わかるのは親でありますから、親が、親権者が子供にかわって意思をそんたくして意思を表示し、そして家族が承諾する、こういう場合に限って子供の臓器提供への道を開こうということで、そこは現行の、意思を尊重するという枠の中で、今回の子供への道を開くということで考えました。