根本匠の発言 (厚生労働委員会)
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○根本議員 A案を支持できない理由というよりは、A案とD案の考え方、基本的な哲学、理念、この差について申し上げたいと思います。
先ほども申し上げました、A案とD案の一番大きな違いは、人の死を法律で規定するか規定しないかだと思います。我々は、脳死が人の死である、医学的な脳死状態は死だとは思いますが、それを人の死と認めるかどうか。心臓がとまっていない限り人の死としては認められない、こういう方もおられますから、私は、人の死、脳死について人の死かどうか、これについての社会的合意は残念ながら十年前と変わってはいないと思います。
その意味で、我々は脳死を人の死と法律では規定しておりません。脳死が人の死かどうか、これは考え方が分かれますから、脳死が人の死として受容できる、認められる方がみずからの臓器を提供したいという自己決定意思と、そして受けたいという方の相互の意思を尊重する。これは、脳死を人の死でないという方々もここは尊重できるだろう、こういう考え方に立っております。
二点目は、脳死が人の死かという考え方、定義の違いから何が違ってくるか。一番違ってまいりますのは、臓器提供の意思があるかどうか不明な方。生前に、自分は臓器提供するかどうか、これはわからないよという方もおられます。したくないという方が意思表示をしていればそれは対象になりませんが、要は、意思が不明な方に対する対応、これが実は大きく異なります。
D案は、不明の場合にはこの法律の適用とはいたしません。A案がなぜそれが可能となるかというと、脳死が人の死である、これが前提にありますから、死体解剖保存法と同じように、これは遺族の判断、承諾で臓器を提供できるということになりますから、脳死が人の死かということと意思が不明の方の対応、これがA案とD案とは大きく異なる。その前提には、理念、哲学が前提として違う。我々はあくまでも現行の移植法の理念、哲学の基本的な考え方を踏襲しているということであります。
ただ、我々も臓器提供の機会はぜひふやしたいと思っておりますから、より臓器提供の機会をふやすように、保険証あるいは運転免許証で意思の表示欄を設けて、そして社会的な理解、合意を深めながら、臓器移植を漸進的に進めたいという立場であります。