高鳥修一の発言 (厚生労働委員会)

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○高鳥委員 おはようございます。自由民主党の高鳥修一でございます。
 きょうは質問の機会をいただきまして、大変ありがとうございます。まずもって、今日まで非常に熱心にこの臓器移植法改正の問題について取り組んでこられました法案提出者を初めとする先生方に、心から敬意と感謝を申し上げます。
 臓器移植の問題は、死生観あるいは生命倫理にも通ずる重いテーマでございますので、慎重に議論を進める必要があると思っております。正直申しまして、そういう大変重いテーマでありますから、できれば専門の先生方にお任せしたいなという気持ちが過去にはなきにしもあらずでありました。しかし、前回十六人、そして本日も十三人が質疑に立つということは、この問題について、厚生労働委員会全員参加に近い形で議論に参加して考えなさいということであると思います。そして、最終的には立法府の一員として意思表示をしなければならないわけであります。そういう責任を持ってきょうの質疑に立たせていただいていると理解をいたしております。
 先ほど遠藤先生も述べられましたけれども、私は基本的に、幼い子供が国内で臓器移植を受けられないために、募金を募り、そして億に近いお金を集めて海外で移植を受ける、そのために渡航をしなければならない、しかし、費用を捻出できたケースだけに移植のチャンスが生ずるというのもやはり納得がいかない話であります。また、仮に渡航できても、ドナーが見つかる前に亡くなるケースもございます。助かる命があるならば、やはり助けたいと思います。
 そこで、質問通告をしてから、実は昨夜、過去の議事録を読ませていただいたんですが、読めば読むほどわからなくなってまいりまして、表現が適切でないかもしれませんけれども、いわゆる禅問答か神学論争みたいになっている部分があるのではないか。
 そして、私がお聞きしたいのはA案とD案の違いについてなんですが、この二つの案は、本来、よって立つ前提が違うはずなんですね。ところが、過去の議事録を読むと、A案は答弁者によって微妙にニュアンスが違うような感じがいたします。この点は川内先生それから岡本先生もお触れになっているんですが、大切な部分ですので改めて確認をさせていただきたいと思います。
 まず第一に、脳死は人の死かということについて、D案では、臓器移植が行われる際に限って脳死を人の死と認める、それに対してA案は、脳死を人の死と一律に規定すると一般に理解をされていると思います。これはもう基本的な脳死に対する理解とか哲学の違いであると。
 しかし、A案提出者によれば、脳死は人の死と認めるが、それは臓器移植を行われる際に限る、こういうお話を私は聞いております。では、これはD案とどこが違うのか。D案の方は、臓器移植をする際に限って脳死を人の死と認める。でも、先ほど申し上げたA案のある提出者によれば、脳死は人の死と認めるんだ、しかしそれは臓器移植が行われる際に限るということは、何か違いがないように思うんですが、A案の提出者に御説明をお願いします。

発言情報

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発言者: 高鳥修一

speaker_id: 26144

日付: 2009-06-05

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会