厚生労働委員会

2009-06-05 衆議院 全204発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
平成二十一年六月五日(金曜日)
    午前九時八分開議
 出席委員
   委員長 田村 憲久君
   理事 上川 陽子君 理事 鴨下 一郎君
   理事 西川 京子君 理事 三ッ林隆志君
   理事 藤村  修君 理事 山井 和則君
   理事 桝屋 敬悟君
      赤池 誠章君    新井 悦二君
      井澤 京子君    井上 信治君
      猪口 邦子君    遠藤 宣彦君
      近江屋信広君    金子善次郎君
      川条 志嘉君    木原 誠二君
      木村 義雄君    清水鴻一郎君
      高鳥 修一君    谷畑  孝君
      とかしきなおみ君   戸井田とおる君
      冨岡  勉君    西本 勝子君
      林   潤君    福岡 資麿君
      矢野 隆司君    山本 明彦君
      内山  晃君    逢坂 誠二君
      岡本 充功君    川内 博史君
      菊田真紀子君    小宮山泰子君
      郡  和子君    園田 康博君
      長妻  昭君    細川 律夫君
      三井 辨雄君    柚木 道義君
      福島  豊君    古屋 範子君
      高橋千鶴子君    阿部 知子君
    …………………………………
   議員           中山 太郎君
   議員           河野 太郎君
   議員           山内 康一君
   議員           冨岡  勉君
   議員           福島  豊君
   議員           石井 啓一君
   議員           金田 誠一君
   議員           枝野 幸男君
   議員           阿部 知子君
   議員           根本  匠君
   議員           上川 陽子君
   議員           谷畑  孝君
   議員           西川 京子君
   議員           三井 辨雄君
   議員           岡本 充功君
   厚生労働大臣       舛添 要一君
   厚生労働大臣政務官    金子善次郎君
   厚生労働大臣政務官   戸井田とおる君
   衆議院法制局第五部長   岡本  修君
   政府参考人
   (警察庁長官官房審議官) 西村 泰彦君
   政府参考人
   (厚生労働省医政局長)  外口  崇君
   政府参考人
   (厚生労働省健康局長)  上田 博三君
   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君
    —————————————
委員の異動
六月五日
 辞任         補欠選任
  大野 松茂君     山本 明彦君
  杉村 太蔵君     近江屋信広君
  長崎幸太郎君     矢野 隆司君
  萩原 誠司君     猪口 邦子君
  園田 康博君     川内 博史君
  三井 辨雄君     小宮山泰子君
同日
 辞任         補欠選任
  猪口 邦子君     萩原 誠司君
  近江屋信広君     杉村 太蔵君
  矢野 隆司君     長崎幸太郎君
  山本 明彦君     大野 松茂君
  川内 博史君     園田 康博君
  小宮山泰子君     逢坂 誠二君
同日
 辞任         補欠選任
  逢坂 誠二君     三井 辨雄君
    —————————————
五月二十八日
 看護職員確保法の改正に関する請願(篠原孝君紹介)(第三〇〇五号)
 不妊患者の経済的負担軽減に関する請願(枝野幸男君紹介)(第三〇〇六号)
 同(小川淳也君紹介)(第三〇〇七号)
 同(郡和子君紹介)(第三〇〇八号)
 同(篠田陽介君紹介)(第三〇〇九号)
 同(高木美智代君紹介)(第三〇一〇号)
 同(照屋寛徳君紹介)(第三〇一一号)
 同(細川律夫君紹介)(第三〇一二号)
 同(大前繁雄君紹介)(第三一四六号)
 同(川条志嘉君紹介)(第三一四七号)
 同(菅野哲雄君紹介)(第三一四八号)
 同(北神圭朗君紹介)(第三一四九号)
 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一五〇号)
 同(高井美穂君紹介)(第三一五一号)
 同(寺田学君紹介)(第三一五二号)
 同(古川元久君紹介)(第三一五三号)
 同(横光克彦君紹介)(第三一五四号)
 同(牧原秀樹君紹介)(第三二三六号)
 介護労働者の処遇改善を初め介護保険制度の抜本的改善を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇一三号)
 同(和田隆志君紹介)(第三〇一四号)
 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一〇三号)
 同(三谷光男君紹介)(第三一八七号)
 同(柚木道義君紹介)(第三一八八号)
 後期高齢者医療制度廃止法案の衆議院での速やかな審議と可決を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇一五号)
 同(大島敦君紹介)(第三一八九号)
 同(岡本充功君紹介)(第三一九〇号)
 同(菅野哲雄君紹介)(第三一九一号)
 同(西村智奈美君紹介)(第三一九二号)
 同(日森文尋君紹介)(第三一九三号)
 同(細川律夫君紹介)(第三一九四号)
 同(細野豪志君紹介)(第三一九五号)
 同(牧義夫君紹介)(第三一九六号)
 同(山井和則君紹介)(第三一九七号)
 パーキンソン病患者・家族の生活の質の向上を求めることに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第三〇一六号)
 同(阿部俊子君紹介)(第三一九八号)
 同(津島雄二君紹介)(第三一九九号)
 同(宮腰光寛君紹介)(第三二〇〇号)
 肝炎対策基本法の制定に関する請願(小川淳也君紹介)(第三〇一七号)
 同(後藤茂之君紹介)(第三〇一八号)
 同(津村啓介君紹介)(第三〇一九号)
 同(中山太郎君紹介)(第三〇二〇号)
 同(保坂展人君紹介)(第三〇二一号)
 同(内山晃君紹介)(第三一〇五号)
 同(大野松茂君紹介)(第三一〇六号)
 同(清水鴻一郎君紹介)(第三一〇七号)
 同(辻元清美君紹介)(第三一〇八号)
 同(西川京子君紹介)(第三一〇九号)
 同(笠浩史君紹介)(第三一一〇号)
 同(新井悦二君紹介)(第三二〇一号)
 同(大串博志君紹介)(第三二〇二号)
 同(川内博史君紹介)(第三二〇三号)
 同(萩原誠司君紹介)(第三二〇四号)
 同(古屋範子君紹介)(第三二〇五号)
 同(三谷光男君紹介)(第三二〇六号)
 特別養護老人ホーム等介護福祉施設の介護報酬引き上げに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇二二号)
 現行保育制度の堅持・拡充と保育・学童保育・子育て支援予算の大幅増額に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第三〇二三号)
 同(石井郁子君紹介)(第三〇二四号)
 同(太田和美君紹介)(第三〇二五号)
 同(笠井亮君紹介)(第三〇二六号)
 同(穀田恵二君紹介)(第三〇二七号)
 同(佐々木憲昭君紹介)(第三〇二八号)
 同(志位和夫君紹介)(第三〇二九号)
 同(塩川鉄也君紹介)(第三〇三〇号)
 同(高橋千鶴子君紹介)(第三〇三一号)
 同(吉井英勝君紹介)(第三〇三二号)
 同(新井悦二君紹介)(第三二〇七号)
 同(萩原誠司君紹介)(第三二〇八号)
 社会保険二本松病院を公的病院として存続させ、地域医療の確保を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇三三号)
 人間らしい働き方と暮らしの実現を求めることに関する請願(保坂展人君紹介)(第三〇三四号)
 同(下条みつ君紹介)(第三二〇九号)
 小規模作業所等成人期障害者施策に関する請願(赤城徳彦君紹介)(第三〇三五号)
 同(泉健太君紹介)(第三〇三六号)
 同(遠藤武彦君紹介)(第三〇三七号)
 同(太田和美君紹介)(第三〇三八号)
 同(川端達夫君紹介)(第三〇三九号)
 同(吉良州司君紹介)(第三〇四〇号)
 同(近藤三津枝君紹介)(第三〇四一号)
 同(佐々木隆博君紹介)(第三〇四二号)
 同(坂本剛二君紹介)(第三〇四三号)
 同(新藤義孝君紹介)(第三〇四四号)
 同(鉢呂吉雄君紹介)(第三〇四五号)
 同(鳩山由紀夫君紹介)(第三〇四六号)
 同(保坂展人君紹介)(第三〇四七号)
 同(馬渡龍治君紹介)(第三〇四八号)
 同(前原誠司君紹介)(第三〇四九号)
 同(森本哲生君紹介)(第三〇五〇号)
 同(山田正彦君紹介)(第三〇五一号)
 同(吉川貴盛君紹介)(第三〇五二号)
 同(和田隆志君紹介)(第三〇五三号)
 同(渡辺具能君紹介)(第三〇五四号)
 同(あかま二郎君紹介)(第三一一五号)
 同(阿部知子君紹介)(第三一一六号)
 同(伊藤忠彦君紹介)(第三一一七号)
 同(岩屋毅君紹介)(第三一一八号)
 同(内山晃君紹介)(第三一一九号)
 同(小野寺五典君紹介)(第三一二〇号)
 同(太田和美君紹介)(第三一二一号)
 同(北神圭朗君紹介)(第三一二二号)
 同(北側一雄君紹介)(第三一二三号)
 同(北村茂男君紹介)(第三一二四号)
 同(倉田雅年君紹介)(第三一二五号)
 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一二六号)
 同(小宮山洋子君紹介)(第三一二七号)
 同(七条明君紹介)(第三一二八号)
 同(杉浦正健君紹介)(第三一二九号)
 同(鈴木克昌君紹介)(第三一三〇号)
 同(鈴木淳司君紹介)(第三一三一号)
 同(高井美穂君紹介)(第三一三二号)
 同(藤井裕久君紹介)(第三一三三号)
 同(冬柴鐵三君紹介)(第三一三四号)
 同(古川元久君紹介)(第三一三五号)
 同(古屋圭司君紹介)(第三一三六号)
 同(松浪健四郎君紹介)(第三一三七号)
 同(笠浩史君紹介)(第三一三八号)
 同(遠藤乙彦君紹介)(第三二一〇号)
 同(大串博志君紹介)(第三二一一号)
 同(大島敦君紹介)(第三二一二号)
 同(岡部英明君紹介)(第三二一三号)
 同(田島一成君紹介)(第三二一四号)
 同(土屋品子君紹介)(第三二一五号)
 同(寺田稔君紹介)(第三二一六号)
 同(中谷元君紹介)(第三二一七号)
 同(中野正志君紹介)(第三二一八号)
 同(長安豊君紹介)(第三二一九号)
 同(平野博文君紹介)(第三二二〇号)
 同(藤田幹雄君紹介)(第三二二一号)
 同(古屋範子君紹介)(第三二二二号)
 同(細野豪志君紹介)(第三二二三号)
 同(馬淵澄夫君紹介)(第三二二四号)
 同(宮腰光寛君紹介)(第三二二五号)
 同(渡部恒三君紹介)(第三二二六号)
 トンネル建設労働者のじん肺被害の予防と被災者の速やかな救済を求めることに関する請願(太田和美君紹介)(第三〇五五号)
 同(後藤茂之君紹介)(第三〇五六号)
 同(森本哲生君紹介)(第三〇五七号)
 同(玄葉光一郎君紹介)(第三一四二号)
 同(小宮山洋子君紹介)(第三一四三号)
 同(福田康夫君紹介)(第三一四四号)
 同(藤井裕久君紹介)(第三一四五号)
 同(阿部俊子君紹介)(第三二二九号)
 同(大野功統君紹介)(第三二三〇号)
 同(岡部英明君紹介)(第三二三一号)
 同(島村宜伸君紹介)(第三二三二号)
 同(中野正志君紹介)(第三二三三号)
 同(永岡桂子君紹介)(第三二三四号)
 同(古屋範子君紹介)(第三二三五号)
 高齢者に負担増と差別医療を強いる後期高齢者医療制度の中止・撤回を求めることに関する請願(古本伸一郎君紹介)(第三一〇四号)
 物価に見合う年金の引き上げ、最低保障年金制度の実現を求めることに関する請願(笠井亮君紹介)(第三一一一号)
 同(穀田恵二君紹介)(第三一一二号)
 同(志位和夫君紹介)(第三一一三号)
 同(吉井英勝君紹介)(第三一一四号)
 腎疾患総合対策の早期確立に関する請願(小宮山洋子君紹介)(第三一三九号)
 同(七条明君紹介)(第三一四〇号)
 同(高木陽介君紹介)(第三一四一号)
 同(新井悦二君紹介)(第三二二七号)
 同(古屋範子君紹介)(第三二二八号)
 国の乳幼児医療費無料制度創設に関する請願(泉健太君紹介)(第三一八五号)
 同(和田隆志君紹介)(第三一八六号)
は本委員会に付託された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(石井啓一君外一名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(根本匠君外六名提出、衆法第三〇号)
     ————◇—————
この発言だけを見る →
田村憲久#1
○田村委員長 これより会議を開きます。
 第百六十四回国会、中山太郎君外五名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十四回国会、石井啓一君外一名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十八回国会、金田誠一君外二名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び根本匠君外六名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。
 この際、お諮りいたします。
 各案審査のため、本日、政府参考人として警察庁長官官房審議官西村泰彦君、厚生労働省医政局長外口崇君、健康局長上田博三君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →
田村憲久#2
○田村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    —————————————
この発言だけを見る →
田村憲久#3
○田村委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。遠藤宣彦君。
この発言だけを見る →
遠藤宣彦#4
○遠藤(宣)委員 おはようございます。自由民主党の遠藤宣彦でございます。
 本日は、このような機会をいただきましたこと、心からお礼を申し上げたいと思います。
 また私自身、国会議員として、このような緊張、そして責任を感じる場面というのはございません。と申しますのは、やはりこの法案は、人間の生と死という本当に人の尊厳にかかわる問題、しかしながら一方において、こうしている間に移植を受けられずに死んでいる人たちもいる、こういったときに、どのように私たちは考えるべきなのか、そんな思いが今募っております。
 そしてまた、私ごとでありますけれども、私はきょう誕生日を迎えました。誕生日に思うのは、自分が今命をいただいて、先祖がどういう思いで命を紡いできたのか。私は、大体毎年お墓参りに行くんですけれども、自分が誕生日を迎えたときに、自分の先祖、親は二人、おじいちゃん、おばあちゃんは四人、二がずっと掛かっていって、十代さかのぼると千人も先祖がいる、その間の一人でも何かあったら今私はいないんだ、そんな気持ちでいつも誕生日を迎えます。そうしたときに、今我々が命というものを持っている、その重大さを改めてかみしめる日にこういう機会をいただいたことを心から感謝したいと思います。
 そしてまた、この厚生労働委員会に私は今所属させていただいておりますけれども、どういう立場で考えるべきなのか。障害者やあるいはさまざまな厚生労働にかかわる人たち、自分がもしかしたらその立場になるかもしれない、ひょっとしたら障害を受けるかもしれない、そして今回の件についても、自分の家族が移植を必要とする人になるかもしれない、そういった立場に置きかえて今考えなければならない。
 とりわけ私自身は、親がおととしの暮れにがんで亡くなりました。人間が死んでいくのをみとったのは初めての経験でありました。そしてまた、私は今八歳の娘と十一カ月の息子がいます。子供の顔を見たときに、子供がもしも移植が受けられなくて死んでいく、そうしたときに親としてどんな気持ちになるんだろうか、あるいは自分の子供が脳死になって、そして提供するときにどんな気持ちになるんだろうか、そんな思いを持ったときに、いたたまれないといいますか、胸に迫るものが多々ございます。
 しかしながら、今現状、一九九七年に施行されて以来十一年以上がたちますけれども、ある資料によると、臓器の提供が八十一例ぐらい、年間十前後である。一方、アメリカでは年間七千例以上。国内の一万二千人以上の移植待機患者の大半は、今、日本では希望がかなえられないままに亡くなっている。
 もしも移植が可能であれば、そんな思いでみとっている方々がいっぱいいるということは、私たち、ある意味で立法の不作為というものが、殺人とは言いませんけれども、立法さえしてくれればという思いを持っている人たちにとっては、見殺しにされたという気持ちを持たれても仕方がない。だからこそ、今回、人間の生と死についてのいろいろな考えがあることを踏まえつつ、ぜひともそういった人たちに対しての救いの道を開くべきだというふうに考えております。
 昨今、WHOの勧告の動きや、あるいは本当に移植が受けられずに死んでいく人たちの悲鳴が聞こえてくる。今回、行政やあるいは立法の不作為と言われないようにするためにも待ったなしの状態だと私自身は認識をしておりますが、今まで長きの年月がかかった理由、あるいは現行法の問題点、そして、今回ぜひとも改正を急がなければならない理由も含めて、今回の臓器移植法の成立に向けた認識と決意についてお伺いをしたいと思います。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →
中山太郎#5
○中山(太)議員 遠藤委員の御質問にお答えしたいと思います。
 この臓器移植法ができるまでの経緯についてちょっと御紹介をしたいと思います。
 一九六七年に、南アフリカでバーナードという医者が臓器移植をやったのが世界最初の例でございます。それ以降、キリスト教文化の社会で、自分の死後、自分の臓器が他人の生きる喜びに貢献できるなら臓器の提供をしたいというキリスト教的な精神のもとに、ヨーロッパ、アメリカ、そういった地域で盛んに臓器移植が発展していった。こういう歴史的な経過を見まして、日本でも臓器移植法を制定しよう、こういうことが最初の立法の際の環境でございました。
 そこで、日本の社会においては、どちらかといえば死というものが忌み嫌われる、家族にとっては大変悲しい出来事でございますけれども。その場合、死の診断をできる人は医師に限られているわけです。それで、そのときの死の条件というのは死の三徴候といいまして、私ども医師には法律的にも学問的にも規定がございました。瞳孔が散大して対光反応がない、あるいは呼吸が停止している、さらに心臓が停止しているという死の三徴候というのがございますが、それに合わせて脳死は人の死ということを改めて議論が行われまして、一九八八年の一月に日本医師会は生命倫理懇談会を開いて、脳死をもって個体死とするという決定をされました。こういうことで、その後、政府においても脳死臨調が開かれて、脳死は人の死という判断が行われました。
 そういう経過があるということを御理解いただきたいと思います。
この発言だけを見る →
遠藤宣彦#6
○遠藤(宣)委員 本当に、きょう、神に祈るような気持ち、あるいは神の前にたたずむような気持ちで私はここにおりますけれども、現実に今移植が受けられずに、そして死の定義というものが、中山先生おっしゃられましたけれども、さまざまな見方がある中で、現実に受けられずに亡くなっている方がいっぱいいらっしゃる。
 そして問題は、これがきちっとした形で動いていないために、生体移植と海外に頼らざるを得ない。これは、我々、先進国の一員という自負がありますけれども、本当にこの部分においてこのままでいいのかという気持ちが私自身はしてなりません。そしてまた、今、世界の方に臓器移植で出ていく、しかし国内ではなかなかできない、こういったものが海外から一体どういうふうに見られているのか、そういうような気持ちが非常に強くございます。
 今おっしゃられましたように、一人の人間の生、生きていくということを望むことは、同時に、一人の人間の死を待つことを意味するということがあるために、我々はどこか二の足を踏んでしまう。しかし現実に我々は政治家として、そして立法府として、今困っている人たちをどう救うかということが重要だと思います。今まで中山先生が長年やってこられたことを踏まえられまして、ぜひとも今回、成立に向けて皆様とすり合わせをした上で、御尽力いただきたいというふうに思います。
 今、脳死のことについてもおっしゃられましたけれども、私自身は今回のことについていろいろ勉強させていただいた中で、たしか一九六八年、札幌医大の和田教授が日本初の心臓移植を実施された。そして、そのときに脳死判定が確実に行われたのか、あるいは患者が本当に移植を必要としていたのか、密室での移植にそういったことの疑惑が噴出して、あげくの果てに殺人罪で告発されてしまった。そして一九八四年、昭和五十九年、筑波大の岩崎医師、脳死ドナーから膵臓と腎臓の同時移植が施行されましたが、医師を中心とした第三者によって殺人罪の告発を受けた。
 つまり、これから、死の定義とか非常にデリケートな問題に、医師を中心としたさまざまな方々がこの臓器移植法案に関係して携わっていくときに何が起きるのか。一つ間違えると裁判ざたになる、そして告発を受ける。臓器移植というものは、そもそも善意の臓器の提供者がいない限り絶対に成立をしない医療でありますけれども、臓器提供者がいても、さらに病院の医師の協力がなければ臓器提供にはつながりません。つまり、医師がこれをやっていくときに萎縮をしてしまう、厄介なことにかかわらなければいいということにならないようにすることが絶対の条件だと思うんですね。
 私自身は父方の本家がずっと医者だったものですから、医者の話は聞きますけれども、私自身は法学部の出身です。法曹改革がございました。法曹改革で弁護士がこれから増加する。そして何が起きるかというと、訴訟の増加が起きる可能性がある。そんな中で、ちまたでは、一番ターゲットになるのは医療関係と消費者関係だろうというふうに言われています。栃木の産婦人科の訴訟だけでも、どれだけ医師に萎縮効果をもたらしてしまったか、そしてまた、ひいては医学の進歩に対して足かせになったかということがございます。
 そんな中で、安心して医師が医療行為や臓器移植が行えて、そして多くの患者をためらいなく助けることができるように、訴訟の余地というものが極力ないように、つまり解釈の余地がないように、明確な基準で法律をつくるべきだと私自身は考えますけれども、今後の臓器移植と訴訟の関係についてどうあるべきか、その御見解を改めて伺いたいと思います。
この発言だけを見る →
中山太郎#7
○中山(太)議員 今先生言われたように、札幌医大の和田教授の心臓移植が非常に疑問な点が多かったということで、長期の裁判に及んだことは御承知のとおりでございます。
 なぜ日本で移植がこれほどうまくいかなかったかということの中には、日本人の生死観というものが一つ大きくあると私は思います。
 もう一つは、ドナーカードを一億枚以上配りましても、実際にそれが果たして何%利用されているかという問題が一つございます。
 また、移植医療の中で裁判が起こる、こういったときに、判決ができる裁判官で医学部を卒業して司法試験を通った裁判官は、三千人の裁判官の中でわずかに十名前後です。こういう状況の中で司法が判断を下すということにも、これから日本の裁判制度にも十分配慮しなければならない。
 そして、提供する人があれば、それを受け入れる方の幸せのためにあらゆる医師が協力をして新しい命をそこにつなげる、こういったことで、ぜひ法律的な整備をお願いしたいと考えております。
この発言だけを見る →
遠藤宣彦#8
○遠藤(宣)委員 いずれにせよ、裁判になったら困るとか、医師の萎縮というものがないような環境をつくるということが非常に重要だと思いますので、この点についてもしっかりと考えていかなければならないというふうに思っております。
 先ほど申し上げましたように、今、海外か生体でしか、なかなか受けられない方がおる。それは言いかえてみると、お金があって海外に行ける人たち、海外にお願いできる人たちしか救われないということも意味する場合があります。一生懸命募金を集めて、一億何千万かかる、言ってみれば、命にお金で差がついてしまう可能性がある。
 そういった意味でも、ぜひとも国内において移植を受ける機会が公平に与えられるように、そして公正で中立的な臓器移植ネットワークの構築と完成というのがありますけれども、お金に差が出ない、そしてこれから臓器提供があったときに公平に機会が得られるように、このあたりについてどう担保されていくお考えがあるか、この点についてお伺いをしたいと思います。
この発言だけを見る →
中山太郎#9
○中山(太)議員 脳死判定ができる病院は既に厚生労働省によって指定をされております。また一方で、移植医という専門医も存在する場所がはっきりしております。
 問題は、脳死判定というものをドナーが出た場合に正確にやるというシステムがどれだけ完備しているかというところが一番問題でございます。脳死判定を二回しなければ移植には移行できないようになっておりますから、二回目でも、そこで遺族が反対すれば拒否をすることもできるわけでございまして、そういうことをよく国民の皆様方に御認識いただくように、これから政府も一層の広報活動をやっていかなきゃならない、このように考えております。
この発言だけを見る →
遠藤宣彦#10
○遠藤(宣)委員 ぜひとも、提供の公平性とスムーズにいくシステムをお考えいただきたいと思います。そして、臓器提供が本当に困っている人に、そして自分のものを提供したい、こういったいい形でのリンケージができますことを私自身は心から願っております。
 最後に、一九九二年、脳死臨調の場で、会長の元文部大臣の永井道雄氏がみずから筆をとった最終答申の末尾でどういうことを言われていたか。脳死を人の死とすることについてはおおむね受容され合意されているという答申をまとめた上で、このように申されています。「「人の死」についてはいろいろな考えが世の中に存在していることに十分な配慮を示しつつ、良識に裏打ちされた臓器移植が推進され、それによって一人でも多くの患者が救われることを希望するものである。」とされています。
 あれから十七年たった現在、その原点を確認しつつ、政治家はまず、移植が受けられずに死んでいくのを見守るしかないという、やるせない思いを持つ人が一人でもいなくなるように努力すべきであり、そしてまた、何としても今国会で成立させる必要があると思いますが、最後にこの決意をお伺いして、質問を終わりたいと思います。よろしくお願いします。
この発言だけを見る →
中山太郎#11
○中山(太)議員 先生の熱心な御希望に対して、私は感激をしております。
 政府が出した提案ではございません、議員立法で今回四案が出ているわけでございますが、この法案が成立することによって、多くの恵まれない困っている子供たちが助けられるような社会に移行していく必要がある。それが国際的に、海外での移植を排除されてくる今度のWHOの規定が出ると思いますけれども、移植学会は既にイスタンブール宣言で言っておりますから、どうか国内の皆様方の御理解、脳死に対する、または臓器移植に対する、そして新しい命に対する国民的なお考えをぜひ深めていただきたい、このように思っております。
この発言だけを見る →
遠藤宣彦#12
○遠藤(宣)委員 ぜひとも、命の尊厳を踏まえつつ、そしてまた日本の尊厳、そして我々国会議員のあるべき姿が試されている場面だと思いますので、しっかりとこの推移を見守っていきたいと思います。
 ありがとうございました。
この発言だけを見る →
田村憲久#13
○田村委員長 次に、井上信治君。
この発言だけを見る →
井上信治#14
○井上(信)委員 おはようございます。自由民主党の井上信治です。
 本日は、大変貴重な機会をお与えいただきまして、大変ありがとうございます。
 先輩方の御努力によって平成九年に臓器移植法が成立をし、そして、附則の中では三年以内に必要な検討を加えて見直しをしていく、こういう規定があったにもかかわらず、なかなか見直しが進まなかった。私も大変じくじたる思いをいたしておりました。しかし、今般、そちらに座っておられる提出者の先生方を初めとして皆さんの努力で臓器移植法改正法案が国会に提出をされ、そして大いに議論されていることに、心より敬意を表したいと思っております。
 私は思います。医療の技術の発展などによりまして、これは臓器移植の問題だけではなくて、例えば生殖医療とか、クローン技術とか、尊厳死の問題など、個人の生死観や倫理観、宗教観などが問われる、そんな大きな課題が本当に多く提示をされております。このような個人の価値観にかかわる問題を、立法府を初めとして行政や司法など国家機関がどの程度関与して規律していくのかというのは大変難しい問題だと思っています。
 国会議員ごときが人の生死にかかわる判断をするのはおこがましい、そういったような御指摘もありましたけれども、他方で、我々立法府が考え方を示し行動しないことには、現場は現場で途方に暮れて対応に苦慮し、あるいは救えるはずだった命が救われずに失われてしまう、こういったことも現実であると思っております。ですから、当然のことながら、科学的な検証とかあるいは社会的なコンセンサスの醸成の状況、こういったものをしっかりと見詰め、また、個人の価値観、意思決定を最大限に尊重しながらも、やはり我々が一定の枠組みをつくっていくというのは、むしろ立法府の、国民の代表たる我々の責任ではないかと私は考えております。
 そのような信念に基づいておりますので、今、臓器移植が世界各国と比べてもなかなか症例がふえてこないという日本の現実にかんがみまして、そういう意味では、法案が成立すれば症例が最もふえるだろうと予想されるA案を私は支持しております。
 時間が大変限られておりますので、以下、A案とD案について、特にその違いなどについて質問をさせてもらいたいと思います。
 A案につきまして、ポイントは多くありますけれども、やはり大きなポイントは、脳死が人の死であるということを前提として考えておられる、そのことについて抵抗を感じている方も多いということだと思います。本当にそこまで社会的合意が進んでいるのか、それが他の案の賛同者の方々から疑問が呈されているという状況であります。
 しかし、先週のA案の方々の御答弁などを伺っておりますと、これは臓器移植法でございますから臓器の移植に関連しての法律であって、臓器移植以外の場面において、一般的な脳死判定の制度あるいは統一的な死の定義を定めるものではないということで、A案において、脳死を人の死とすることは臓器移植のときに限って認めていくということだと思います。そういたしますと、前提条件としての脳死の解釈が異なっているとしましても、実際の医療の現場における効果としては余りほかの案と変わらず、過度に心配する必要はないのではないか、そんなふうにも思います。
 先週、阿部議員などを初めとして、少しこの点について質疑がありましたけれども、大変重要なポイントであり、かつ、ちょっとわかりにくい部分もありますので、改めてA案の先生に御説明をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →
冨岡勉#15
○冨岡議員 お答えします。
 非常に高い見識をお持ちの井上先生の御質問で、A案ということでございます。AとDの違いは何かということでございます。
 私たちは、脳死臨調の最終答申において、平成九年になりますけれども、脳死は人の死であるといっておおむね社会的に受容されていると考えております。また、提出者としては、したがって脳死は人の死であるという考え方を前提としてこの法律案を提出している。先生のおっしゃったとおりです。他方、D案は、一般には脳死は人の死とは考えていないと私たちは承知しております。
 実際の臓器移植の場面においては、私たちのA改正案では、年齢を問わず、本人の意思が不明な場合に家族の承諾で臓器の摘出を行うということになっております。つまり、十五歳以上の方でも、家族の同意、そして書面でそれが確認されれば、現行法と違って臓器移植への道が開かれるという点がD案とは異なっている点であります。
 また、D案では、十五歳未満の者についてのみ家族の承諾で臓器の摘出が行われることとなっておりますので、そういった意味では、A案は非常に間口を広くしたような案というふうに御理解いただければと思います。
この発言だけを見る →
井上信治#16
○井上(信)委員 脳死は人の死であるという前提が、あまねくほかのことにも適用されてしまうのではないか、そういったような心配があるのではないかというのが私の質問の趣旨なんです。
 あわせまして、ちょっと懸念をいたしておりますのは六条二項の話でありまして、現行法におけるこの規定をあえて削除したということであります。現行法の反対解釈をすれば、このことによって何だか、あまねく脳死を人の死とするということをこの法文で認めている、そんなふうな解釈もできると思うんですけれども、この辺のところについての御見解をお願いいたします。
この発言だけを見る →
冨岡勉#17
○冨岡議員 したがって、平成九年のころでは、脳死を一般的に人の死と認める方が四二、三%でありました。二十年度の調査ではこれが六一・七%まで上昇してきており、我々としては、おおむね脳死が人の死であるというふうに考えております。
 また、委員からお尋ねの点で、第六条第二項から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削除しているのはどういう理由かという点につきましては、脳死臨調の最終答申において、何度も言いますように、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されていると考えております。したがって、提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提として組み立てて、この案を提出しているところであります。
 その意味としては、「脳死した者の身体」の定義についても、このような考え方によりふさわしい表現ではないかというふうに考え、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除したものであります。つまり、衆議院を通過した法案が参議院で修正可決されましたけれども、その衆議院の原案を今回提出したというふうに解釈していただければと思います。
 ただし、臓器移植法は、臓器の移植に関連して脳死判定や臓器摘出等の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものでないというのは委員も御承知のことと思います。したがって、この文言を削除したとしても、臓器移植以外の場面において、この第六条第二項の規定により、当然に脳死が人の死として取り扱われることはないと承知しているところであります。
この発言だけを見る →
井上信治#18
○井上(信)委員 ありがとうございました。
 若干ちょっと議論がかみ合ってなかったんですけれども、最後そういった御答弁をいただいたものですから、本当に、これは前提であるとしても、やはり今後とも慎重なる取り扱いをしていくべきことだと私は思っております。
 それと、ちょっと時間もないんですけれども、一つだけ、親族への臓器の優先的な提供についてであります。
 このことにつきましては、私は、臓器を提供する方のお気持ち、家族の愛あるいは親子の情、こういったものを考えますと、やはり優先的な提供というものを認めるべきであるというふうに考えております。臓器移植法の中の理念、公平性と本人意思の尊重ということで、なかなかこれはバランスの問題で難しいとは思うんですけれども、その点についてA案の方は認めていく、しかしD案の方では認めていないということであると思います。
 D案の先生方に、ちょっとこの見解についてお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →
西
西川京子#19
○西川(京)議員 井上先生にお答えさせていただきます。
 確かに、今、A案の方々は親族の優先順位というものを認めるという方向になっておりますが、私どもは、この臓器移植法の基本理念、「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」この公平性の原理というのはやはり大変重いものがあると思います。その中で、血液型が適合するとか、そのときの緊急度とか、優先順位というのは大変厳しいものがあると思うんですね。そういう中で、やはりこの公平性の原理は貫かなければいけない、その立場に立っております。
 それと、私たちは本人の意思を大事にするんだから、その辺はちょっと違うんじゃないかという御意見があるかもしれませんが、あくまでも臓器移植法の御本人の意思というのは臓器提供をする意思であって、親族を優先する意思ではないと私たちは解釈しておりますので、これだけシビアな問題は、やはりあくまでも本当に法にのっとった公平性の原理をしっかり守りたい、そういう立場でございます。
この発言だけを見る →
井上信治#20
○井上(信)委員 そういう御答弁でありますけれども、私としては、家族のきずなとか親子の愛情、いつもほかの案件では西川先生が訴えていることだと思いますけれども、ですから、やはりそれは認めていただきたいなというふうに思っております。
 特に、これは優先でありますから、何も親族だけにということではありませんし、当然のことながら提供する者の意思によって判断できるわけですから、そういう意味では、あえてD案のように排除するというのは、本人の意思尊重ということを一番に考えているというD案の趣旨にはちょっとそぐわないような気がいたします。
 もう時間が来てしまいましたので、きょう、限られた時間ですけれども、それでも大変有意義なお答えをいただいたというふうに思っております。
 ただ、今回、国会にはA案からD案までの四案が提出されているということで、やはり一番心配なのは、それぞれ意見がまとまらず、結局どの案も成立しないということになってしまっては、これはやはり立法府の意思決定としてはいかがなものかというふうに私は思っております。
 もちろん、四案それぞれ、全く思想、信条も違うということでありますから、安易に妥協する必要はないと思いますけれども、しかし今申し上げたように、例えば、ちょっと論理の一貫性がないんじゃないかとか、あるいは我々からすると、この項目についてはこの案のここはいいけれども、この項目についてはこっちがいいというようなこともあるわけでありますから、特に提出者の先生方よく御協議をいただいて、そして、とにかく一日千秋の思いで臓器提供を待っている、そんな患者さん、御家族あるいは医療関係者のために、何としても何らかの成案を得るべく、そんな御努力を引き続きお願いしたいと思います。
 ありがとうございました。
この発言だけを見る →
田村憲久#21
○田村委員長 次に、高鳥修一君。
この発言だけを見る →
高鳥修一#22
○高鳥委員 おはようございます。自由民主党の高鳥修一でございます。
 きょうは質問の機会をいただきまして、大変ありがとうございます。まずもって、今日まで非常に熱心にこの臓器移植法改正の問題について取り組んでこられました法案提出者を初めとする先生方に、心から敬意と感謝を申し上げます。
 臓器移植の問題は、死生観あるいは生命倫理にも通ずる重いテーマでございますので、慎重に議論を進める必要があると思っております。正直申しまして、そういう大変重いテーマでありますから、できれば専門の先生方にお任せしたいなという気持ちが過去にはなきにしもあらずでありました。しかし、前回十六人、そして本日も十三人が質疑に立つということは、この問題について、厚生労働委員会全員参加に近い形で議論に参加して考えなさいということであると思います。そして、最終的には立法府の一員として意思表示をしなければならないわけであります。そういう責任を持ってきょうの質疑に立たせていただいていると理解をいたしております。
 先ほど遠藤先生も述べられましたけれども、私は基本的に、幼い子供が国内で臓器移植を受けられないために、募金を募り、そして億に近いお金を集めて海外で移植を受ける、そのために渡航をしなければならない、しかし、費用を捻出できたケースだけに移植のチャンスが生ずるというのもやはり納得がいかない話であります。また、仮に渡航できても、ドナーが見つかる前に亡くなるケースもございます。助かる命があるならば、やはり助けたいと思います。
 そこで、質問通告をしてから、実は昨夜、過去の議事録を読ませていただいたんですが、読めば読むほどわからなくなってまいりまして、表現が適切でないかもしれませんけれども、いわゆる禅問答か神学論争みたいになっている部分があるのではないか。
 そして、私がお聞きしたいのはA案とD案の違いについてなんですが、この二つの案は、本来、よって立つ前提が違うはずなんですね。ところが、過去の議事録を読むと、A案は答弁者によって微妙にニュアンスが違うような感じがいたします。この点は川内先生それから岡本先生もお触れになっているんですが、大切な部分ですので改めて確認をさせていただきたいと思います。
 まず第一に、脳死は人の死かということについて、D案では、臓器移植が行われる際に限って脳死を人の死と認める、それに対してA案は、脳死を人の死と一律に規定すると一般に理解をされていると思います。これはもう基本的な脳死に対する理解とか哲学の違いであると。
 しかし、A案提出者によれば、脳死は人の死と認めるが、それは臓器移植を行われる際に限る、こういうお話を私は聞いております。では、これはD案とどこが違うのか。D案の方は、臓器移植をする際に限って脳死を人の死と認める。でも、先ほど申し上げたA案のある提出者によれば、脳死は人の死と認めるんだ、しかしそれは臓器移植が行われる際に限るということは、何か違いがないように思うんですが、A案の提出者に御説明をお願いします。
この発言だけを見る →
冨岡勉#23
○冨岡議員 この質問がずっと出てきます。
 ベースにある考え方が、脳死は人の死であるかということに対して、A案はそうですよと言っていると思います。ただし、その場合は、一般的にはそうですが、その及ぶ範囲は臓器移植法に関係した部分ですよというのがAの考え方です。D案は、脳死は人の死でないんだけれども、ないというか、それは認めたくないという方が多分大半だと私としては推察します。それでD案を出されたと思うので。その場合には、そう認めてはいないんだけれども、家族がやってもいいと言うときに限って、この脳死は人の死であります、臓器を提供してもいいんだと。そこの部分が、考えのベースになっている部分が若干違うんだ。若干というよりも、大きく違うという表現の方がいいかもしれませんが。
 したがって、何度も申しますように、我々A案としては、脳死臨調の最終答申において、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されていると考えております。十年前に比べましても二〇%程度、それを受容するような国民の世論があると考えております。したがって、提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しているところであります。この考え方は、臓器移植が行われるかどうかにかかわらず、一般に脳死は人の死であるという社会的合意がほぼなされているという考えのもとであります。
 これに対してD案は、臓器移植が行われる場合に限って脳死が人の死であるという社会的合意があると考えられると私たちは理解しており、この点で、A案とD案とは、改正案の前提となる脳死に関する社会的合意をどのように考えるかという点において異なる立場に立っているものと思います。
 実際にも、十五歳以上では、我々A案は家族の同意で臓器移植ができるということをしております。これは年齢を問わず、十五歳以下でもしかりであります。一方、D案は家族の同意では、今までの現行法どおりで、書面による同意がないとできないということであります。
この発言だけを見る →
高鳥修一#24
○高鳥委員 ありがとうございます。
 今お聞きしてみて、確かによって立つ前提は微妙であるけれどもやはり明白に違うのかなという感じがいたしました。しかし、その効果はどうなんでしょうか。
 そこで、D案に対して、主にA案の支持者からですが、こういう批判的な意見があるんですね。それは、脳死と判定された子供が臓器提供する場合のみ死亡することになる、つまり、親が臓器提供を承認することによって子供を殺すことになる、こういう批判がございます。
 私の過去の理解では、今となってはこれは正しくなかったのかなと思っていますが、ちょっと聞いていただきたいんですが、A案は、脳死は人の死と認めるということは、脳死状態にある方は一応お亡くなりになっているんだという前提に立つのかな。それは、考えを拒否する方、また、受け入れないという方の立場も認めるけれども、前提は死亡していると。だから、法的脳死判定を受けることは死亡を確認する作業である、だから、親が法的脳死判定を受ける判断をしても、親が子供を殺したことにはならないんです、このA案の前提が。もし私の言っていることが正しければですが。
 ところが、D案は脳死を人の死とする前提に立ちません。臓器移植をする場合にのみ認めるから、脳死状態では死亡していない、生きているということになると思うんですね。だから、法的脳死判定を受け、臓器を提供するという判断を親が下すことで子供を殺すことになるという批判が成り立つし、実際にされているんだと思っておりました。
 しかし、これは結論的には、先ほどの効果のことを申し上げますが、結局、親の判断で子供の死が決まるという意味においては、A案もD案も実は同じなんじゃないかと思うんですね。つまり、同様の批判がA案にも当てはまるのではないかと思います。
 ちなみに、河野先生がこういう答弁をされておられます。脳死を一律に人の死としない、強制しないし、拒否できる、ここで定めている脳死は、法的脳死判定を受けて脳死と判定された場合には脳死となるということを定めているのであって、一般の病院で行われている臨床的脳死判定、脳死診断ということについては何ら規定をしておりませんと。続けて、A案の御両親に求められているのは、医学的、科学的な脳死判定を受けるかどうかということ。
 つまり、両親の法的脳死判定を受けるという判断で子供の死亡が決まるというのは、やはりD案と同じではないかと私は思うんですが、これについてはA案の提出者はどのように考えられますか。
    〔委員長退席、西川(京)委員長代理着席〕
この発言だけを見る →
冨岡勉#25
○冨岡議員 D案の考え方は、後でD案の方に聞いてください。
 A案の考え方は、脳死は人の死として、その大前提がございまして、実際に脳死判定というのは、一般的には臨床脳死判定と法的脳死判定がございます。したがって、A案は、客観的に、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止した状態になれば、臓器移植が行われるかどうか、それにかかわらず一般に人の死であるという考え方に立っております。
 したがって、脳死判定は本人がそういった一般的な死の状態にあるかどうかを確認するための行為であって、たとえ家族の承諾が脳死判定を開始する契機になったとしても、家族が承諾したから本人が死んだということになるのではありません。A案はそういう考え方であります。
この発言だけを見る →
高鳥修一#26
○高鳥委員 それでは、A案の方にちょっと確認なんですが、臨床的な脳死判定の段階、脳死状態にあるというときには、まだこの方は亡くなっていないということですね。それで、法的な脳死判定を受けた段階で亡くなるということですね。
この発言だけを見る →
冨岡勉#27
○冨岡議員 臨床的脳死判定というのは、一般的に行われる診療行為の一つと理解していただければいいと思います。血圧をはかったり体温をはかったりする。したがって、頭部挫傷とか脳挫傷が疑われたときに、検査の一環として脳波をとることはあります。
 法的脳死判定というのは非常に煩雑な作業をするわけでありまして、したがって、そういう意味では、人の死というのは、法的脳死判定が完成した時点までは、深昏睡、昏睡状態であるというふうに考えられ、その二回目の法的脳死判定がなされた時点で死亡ということになります。
この発言だけを見る →
高鳥修一#28
○高鳥委員 そうしますと、わかりやすく言うと、法的脳死判定の結論が出るまでは生きているということなんですね。
 それで、D案の方にお伺いいたします。D案では、子供の死亡というのは、どの段階で、だれの判断で決まるのか、教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →
根本匠#29
○根本議員 子供の死亡の前に、今の議論がいろいろありますから、私も多少整理をさせていただきたいと思います。
 まず、A案とD案の違いは、脳死が人の死かということを法律で決めるか決めないかということであります。
 A案は、六条二項を変えたように、A案の提出者が説明をしておりますが、A案では脳死は人の死であるということを法律で規定しております。そこははっきり答弁がありました。そこが私は大事な点だと思います。
 それから、我々は、脳死が人の死かどうか、これは宗教観や死生観や個人の人生観で変わりますから、人の死かどうかというのは人によって異なるだろう、ですから、脳死が、脳死判定を受けて医学的な脳死状態が、確かにこれは人の死ですよと受容できる方の臓器提供の意思を尊重しよう、実はこの立場に立っております。
 この立場の違いから、A案とD案の一番の違いは、生前の意思が不明であった方について、我々は、基本的に意思を尊重しますから、十五歳以上であっても認めません。ただし、A案では、十五歳以上であっても、脳死が死ですから、家族の承諾だけで意思が不明であっても臓器提供できる。ここに大きな違いがあると私は思います。
 それから、我々は基本的に臓器提供の意思というものを尊重しております。ただ、子供については、現行法でも、子供の意思能力、これは遺言の可能年齢で十五歳とやっておりますので、我々の理念、哲学、考え方である、提供する意思を尊重しようという考え方の中で、親と子のきずな、そして命の大切さ、尊厳、これをよく、子供の人格形成にもかかわる親が子供にかわって意思を表明し、そして家族が承諾することによって子供からの臓器提供への道を開こうということであります。
 では、子供の死がどこで確定するのかということでありますが、これは、A案もD案も死が確定する時期は全く同じだと私は思います。A案は、脳死判定を家族が承諾するわけですから、脳死判定をされて法的に脳死判定されれば、今お話ありましたように、そこで死が確定される。
 子供の脳死判定の基準をどうするか。これは、丁寧にさらに検討しなければなりません。なりませんが、子供の場合も、法的脳死判定で、これが医学的脳死状態ですよ、医学的な脳死状態となれば、それは人の死と認める方ですから、そこで死が確定する。その点ではまさに一緒なので、子供の死の判定については、A案もD案も親が判定を承諾するという点では同じ、そして法的に脳死判定がされたというところで死が確実に確定するというのも同じ。それは、D案の場合はそれを認めている、親ですからそれが認められるということであります。
この発言だけを見る →
← 戻る